ただ、まえへ割って出ようとする女を、ほかの女が肘で争っているくらいのものだ。それも、いぎりす人のことである。すべてが可笑しいほど、厳粛な沈黙と、静寂のうちに――。
私たちも朝飯の食卓で新聞の記事を見て、折から事あれかしと待ちかまえていたところだったので、こうしてぶらりとアドルフ・マンジュウを見物に出てきたのだ。べつに見てどうしようという意志もないから、このとおりおとなしくうしろのほうに引っこんでいる。
三々伍々あるいている人たちが参加して、群集はふえる一ぽうだ。なかには、何だか知らずに立ちどまっている人も多いらしい。あちこちでおたがいに訊きあっている。きっと、皇太子殿下がいま亜弗利加旅行へ出発するところだ、ことのいや、皇太子殿下がいま亜弗利加旅行からおかえりになるところだとのこと、いろいろ取り沙汰がたいへんだとみえて、何かさかんに言いふらしている物識顔と、それに応じてしきりにうなずいている頭とがそこここに揺れている。
時計はとうに三時二十七分を過ぎて、カレイ・ドウヴァの汽船に聯絡する汽車から吐きだされた乗客のむれが、ぞろぞろ停車場を出て来た。アドルフ・マンジュウの出迎人は瞬間石のように緊張しながら、一列につづく自動車のために細いみちを開ける。そこを群集に驚いた乗客たちが、思いおもいにタキシを走らせて通りすぎてゆく。それがすっかり通り過ぎてしまっても、奇蹟はまだ出現しない。一同は散ろうともせずに待っている。いぎりす人らしく自治的に、そして可笑しいほど厳粛な沈黙と静寂のうちに。
私たちは飽きてしまった。で、いささかばかばかしくなって歩き出そうとしたときだった。
ざわざわと停車場の出口にあたって少数の人がうごいたように思った。と、誰もかれもが一そう首を伸ばして、同時にアドルフ、アドルフというじつにものしずかな――英吉利人らしい自制的な――声がつたわってきて、女は手ぶくろを振っている。
灰いろの大型な幌無自動車が人のなかの通路をすべってゆく。車のまえは一本の隙間が長くひらけ、車のうしろには女の信者たち――女給、女事務員、町娘等のムウビイ・ゴウアス――がぎっしりつづいて。
ただそれだけの野次である。
ほかの人々は、自動車のうえを見るよりも、そのまわりの群集をみている。それも、いかにもイギリス人らしく可笑しいほど厳粛な沈黙と静寂のうちに。
はじめからアドルフ・マンジュウを目的にしていたのは、集まった人々の十分の一だったのだ。他は、ただ群集のために一時歩行を中止していたのである。しずかに、そして自制的に、いかにも英吉利人らしく無言のまま。
アドルフ・マンジュウのあの浅黒い光った顔と、中年女の好きそうなひげと、有閑好色紳士めいた鼻のわきの小皺とが、イギリス人らしいあっけない群集のなかを、映画用微笑とともにゆるくドライヴして行った。そばに、巴里の新夫人――新夫人めかしてうつむいた――の肩に、ストウン・マアテンの毛皮が自動車の震動でこまかくふるえていた。
アドルフは灰色に縞の眼立つ背広、夫人は黒のテイラメイド・コスチュウムだった。
信じられないかも知れないが、いくら「アドルフ・マンジュウ」だって、「法律による自分の妻」とともにこうして自動車を駆ることも、たまにはあるのである。
空は高く青く、建物は低く黒く、満足したらしい群集は自治的に解散し出す。最後に、イギリス人らしい可笑しいほど厳粛な沈黙と静寂のうちに。
待っていたようにバスが唸り出し、苺売りが人を呼び、町かどの巡査は人間性を理解しつくしたもののごとく長閑にほほえみ、ふたたびいつものヴィクトリヤ停車場まえの妙に鄙びたすなっぷだ。
『思ったより年をとってるのね、アドルフ・マンジュウって。』
救われたように彼女が言っていた。まず、これはこれでおしまい――そういった、きょうの見物順序のひとつをすました旅行者のよろこびで。
小野さん
小野さんはロンドンにいる日本人である。
小野さんはいつも下宿を探している。
この下宿さがし――小野さんと私たちが相識になったのは、その「下宿探し」という楽しい企業に関する一つの妙ないきさつからだった。
当時私たちは、西南の郊外に近いパレス街に、そこらによくある賄付下宿の一つ、ベントレイ夫人方に居を卜していたのだったが、はじめのうちは珍しかったとみえて、何やかやとベントレイお婆さんがよく気をつけてくれたけれど、しばらくいると直ぐ慣れっこになって、だんだん万事粗末にし出した。下宿というものはへんなもので、ひとつ嫌になると不思議に何からなにまで癪にさわってくる。べつに何がどうしたというわけでもないが、ただ朝夕その遣り方のすべてが気に食わないのだ。こうなると先方もこの気分を感じて、気のせいか一そう虐待しはじめる。そうするとこっちもつい好戦的になって、事につけ物にふれ角が立ち、何となく大事件が突発しそうでしじゅう胸のばたばたするような日がつづいていた。なにもそんなところに我慢していなくても、ぽんぽん威勢のいい言葉を残して速刻引っ越したらよさそうなものだが、事実また、憤然と荷物をまとめにかかったことも一再にとどまらないのだが、ところが、じっさいに当ってみると、夫婦で荷物を足もとに茫然街上に立つわけにもゆかないしするから、一日延ばしに漫然と腰を据えていたので、そのまえにほかを探したらいいだろうというかも知れないけれど、それは、もちろんあちこちさがしてはいるんだが、条件がむずかしいからなかなかないのだ。そこへもって来て、いっそベントレイお婆さんが出て往けがしにしてくれると、日本人の性質として、たとえ当てがなくても即座に飛び出すんだけれど、出られてはまた困るものだから、お婆さんも決して積極的な態度をとらない。そこで、あと脚で砂を蹴るにしたところでそのきっかけがなくて弱っていた形だった。
何よりもうるさくて閉口なのは、同宿の人々がどっちかと言えば無教育な連中なので、恐ろしく躾が悪いとみえ、その子供たちが私たちに対してじつに公々然と興味と好奇の眼を光らせ過ぎることだった。
たとえば、私と彼女が外出しようとして廊下へあらわれたとする。すると、必ずそこに早くも一小隊の少年少女が待っていて、気味がわるいものだから常に相当の間隔をおき、いざとあらば直ちに逃げのびられる体がまえで、世にもしつこく凝視し、観察し、研究し、批評しているのを発見するのだ。
『そらっ! また日本人が出てきたぞ!』
『女がこっちを見てるぞ。』
『何か言ってらあ!』
『おい! 笑ったぞ、笑ったぞ!』
『なに? 笑った? ほんとか。』
『やあ、時計を出した。』
『ほら、来るぞ、くるぞ!』
というようなことなんだろう。私たちが近づくと、左右の壁にぴったり背中をつけて立ち並んで、恐そうに口々に挨拶する。
『お早う!』
『お早う!』
『お早う!』
そして、通りすぎたあとですぐ、
『おい! 聞いたか。男がお早うって言ったぜ。』
なのだ。
これをあんまりつづけられると、どんなに気のいい異国者でも、相手は子供と思いつつついうんざりさせられる。どうもここらの児は普通より質がわるいようだが、その国の子供は最もよくその国をあらわす。例のアングロサクソン・スウペリオリティ――不幸にも――の観念からか、一体イギリス人は外来者を受け入れない。英吉利では、外国人はどこまで往っても外国人である。自分たちより一段も二段も下の動物と、万人が万人そう思っているらしい。ただ大人は、動物にさえ――動物であるがゆえに一そう――悪感情を持たせまいとする紳士淑女らしいデリカシイから、電車内や往来などでも、ちらりちらりと見ないようにして見る。そこを、子供は子供だけにおおびらにやるだけなのだ。
なんかと、下宿の不平からはじまって私たちが全英国のあらゆる事物に反感を抱き、ことあらば今日にも爆発してやろうと手ぐすね引いている最中――小野さんなる人物はここへはじめて出てくる。
ある日の朝、ベントレイ婆さんがいつになくにこにこして私たちの部屋へ来た。手に新聞を持っている。読んでみろというから読んでみる。と――。
「下宿を求むる一日本紳士」
というのが標題で、広告欄につぎのような文章が掲載してある。その近処にだけ出る小さな
区域新聞だった。
「ここに一人の年若き日本紳士あり。ロンドンの西南に当り、家族的好感の下宿をもとむ。紳士は独立の事業家にして良き地位を占め、かつ寝室居間食事に対して週二磅半を最も快く支払うべく、その準備全くととのいおるものなり。うんぬん。」
『ふうむ。』
私が感心したのを見すまして、ベントレイお婆さんははじめる。
『ああ! わたしの愛するヴァレイ氏夫妻よ!――註に曰く。私たちを
谷と呼んでくれ。そのほうがお前に覚えよくていいから。この
家へ来たとき、私たちはむこうの便宜をはかって、つとにお婆さんにこう言い渡してあるのだ。だからお婆さんにとって私はヴァレイ氏であり、したがって彼女はヴァレイ夫人である――そこで、もう一度ヴァレイ氏夫妻よ! わたし――というのはつまりお婆さんじしんだが――は、つねにヴァレイ夫人に忠告して来ました。いかに資本金が出来ようとも、人間、下宿屋だけは始めなさんな、と。おお! その世話のやけること、その気をつかうこと!――しかし、ものにはすべて例外があります。まかないつき下宿も、すっかり日本人だけで充満させることが出来れば、ああ! かえってヴァレイ夫人にも
奨めたいくらい――日本人! 何てまあお金払いのいい、思いやりの深い、あちこち届く国民でしょう? 五十年まえまでは野蛮国だったんですって? 信じられません! いいえ、信じられません! ほんとに
家じゅうに日本人がいたらわたしはどんなに幸福でしょう! じっさい日本の方は理想的な下宿人で――。』
と、これを要するに、この広告の主の日本紳士を何とかして下宿人として捕獲しなければならないから、早速私に
推薦状を一本書けというのである。これには私も困り入ってしまった。じぶんが
嫌で今にも出ようとしているところを、人に、しかも同胞のひとりに、紹介推薦するということは、論理にも合わなければ、気も咎める。しかし、部屋があいて閉口しているベントレイ夫人は、この下宿人
払底の世の中に日本人だろうが何だろうがそんなことを言ってはいられないし、それに事実、日本人は文句はいわず――じつは言いたくても、一つはその引っこみ思案と、多くは不充分な発表能力とで大がいのことにはただ
にやにや笑って黙っているのだが――と、なにしろお金の受授が
きちんとしているのとで、ここは何とあってもその「若き日本紳士」を生けどりにしたくてたまらない。出来るだけの愛嬌笑いを顔に、そのくせ命令的に両手を腰に厳然と私のまえに直立していて動かないのだ。おまけに言いぐさがいい。
『あなた方は満足しているからこそ私の
家に居るんでしょう? してみれば、じぶんが満足なら当然人に、ことに必要に迫られている同国人に、その満足をしらせて幾分でも分けてやりたいとは思いませんか。』
どうも呆れたものだ――むこう側からヴァレイ夫人が早口にいう。
『書いてやったらいいじゃありませんか。何でもいいから。』
私はベントレイ老夫人に直面して、
『しかし、僕は日本人だから英語じゃ書けない。日本語でいいなら大いにこの家を
褒めて書こう。』
するとお婆さんが微笑した。日本語でさしつかえないというのだ。
これで助かった私は、そこで、ペンを執って
すらすらとこういう一文を草したのである。
「宿の主婦があなたの広告を見て、推薦状を書けといってききません。仕方がないのでこうして書き出しましたが、これは決して推薦状ではありません。私も近日移ろうと思っているくらいですから――どっかにいい家はないでしょうか。」
そして、こんな手紙に名前は書けないから、と言ってこのままでは署名がないじゃないかとお婆さんが承知しないにきまっているから、おしまいの下のほうへ「早々敬具」とくっつけて、これが私の日本名だと指したら、お婆さんはますますにこにこして、おなじ国の人からこんな立派な推薦状が行くんだから、その日本人はきっと来るにきまっている、と、もう一部屋ふさがったようにほくほくもので引き取って行った。
すこし罪だね――私たちはそう言って笑い合っただけで、このことはそのまますぐ忘れてしまった。もっとも時どきは話題にのぼって、
『どうでしょう、あの日本人の人、お部屋を見にくるでしょうか。』
『なあに、ああ言ってやったんですもの、来るもんか。』
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] 下一页 尾页