SAKURA
一七一二年に発行された、ABCのいろは歌留多みたいな“Trivia”のなかに、
A――小路はぶらぶら歩きに持ってこいだし、
B――本屋の主人は天気の予言が上手だし、
C――群集は馬車がくると左右にわかれ、
D――塵埃屋には閉口だ。
などとE・F・G・Hと trivial なことを詩の形式であげてある。
月並には相違ない。が、よくこのABCの詩をにらんでしばらく眼をつぶり、それから眼をあけて、こんどは行と行のあいだをじっと凝視していると、私はそこから昔の倫敦が青白い姿でよろばい出てくるのを見るのだ。
私は空想する――一、二世紀まえの倫敦の街上を。
織るような人通りだ。
黒子を貼った貴婦人と相乗りの軽馬車を駆っていく伊達者。その車輪にぶら下がるようにして一しょに走りながら、大声に哀れみを乞う傴僂の乞食。何というそれは colourful な世であったろう!
古本屋のおやじは一日いっぱい往来へ出て両手をうしろへ廻し、空を見上げて天気の予言に夢中だ。通りすがりの御者の鞭が一ばんあぶない。びゅうっと唸っておやじの丸帽子を叩きおとし、掛声を残して行ってしまうと、鵞鳥のように追っかけてようよう拾った帽子を袖で払いながら、あとからおやじが真赤になって呶鳴っているが、町の人の笑い声でそれはおやじ自身にさえ聞えない。
単純で、そして楽しく華やかな過去のろんどん街上図だ。これらすべての「振り返って見る浪漫さ」は、あの、善くうつくしい時流というものの働きかける魔法かも知れないが、いま私たちが、その単純さ、その噪がしい華やかさ、そのロンドンらしい「遵奉されたる蕪雑さ」において、この「巷の詩」のもつ調子とすこしも変らないものを見出し得る町が、こんにちの倫敦にたったひとつ存在しているとしたら、それは、「すでにロンドンの失ったものをロンドンに求める」無理な旅人にとって、たしかに一つの福音であると言わなければなるまい。
チアリング・クロスだ。
AH! ちありんぐ・くろす!
いったい亜米利加人や英吉利人は倫敦を征服――完全に見物――しようとする場合、この掴まえどころのない漠たる大都会に立って、そもそもどこからその事業に着手するかというと、それはハイド・パアクの一角からはじめることに、ほとんど因襲のようにきまっている。そこに、公園に面して東側に、ちょっと人眼につかない灰色の石造建築物が立っている――これこそロンドン一番地とでもいうべきアプスレイ館である。このロンドン市一番地という概念は、よくここを起点にして倫敦の「足による研究」が開始されるからで、もちろん番地それじしんは何ら公式の権威を持たない。現にアプスレイ館のほんとの所在はピカデリイ街一四九番だ。が、それほどあめりか人なんかが「ロンドン一番地」を重要視して、かならずこの家のまえから倫敦見物の足を踏み出すことにしているに反し、仏蘭西人はふらんす人らしく芸術的不整頓を愛する好みから、このおなじろんどんに独特の出発点をもっている。それがここにいうチャアリング・クロスなのだ。
そのむかし、いぎりす島の王様が皇后の棺をウェストミンスタア村の寺院へ埋葬するため、とむらいの行列を仕立ててテムズ河畔を進んだとき、途中いくつかの休み場所をしつらえたのだったが、当時チャアリング・クロスは、ウェストミンスタアへ這入る手前の、最後の葬列休憩所だった。あの、倫敦の歴史とは切ってもきれないドクタア・ジョンスンは、その時の淋しいチャアリング・クロス村が後日人間の潮が浪をなして寄せては返す浜べになるであろうといっている。その予言のとおりに、いまのチャアリング・クロス街は大ろんどんの中心となって、市の劇的生活の主役のひとつを演じているのだが、ABCの詩にあらわれている田舎町めいた人混みと、音律と、あの色彩、それはその舞台面にふさわしい、狭く暗い、曲りくねったチャアリング・クロスにだけ、いまもそのままに、生きて動いているのだ。
時間と煤煙と霧に黒ずんで、昔のとおりの軽い心臓の群集を両側の歩道に持っている英吉利での羅典区――私は、皮肉で、粋で智的なフリイト街の雰囲気とともに、この細い一本道の提供する古めかしい楽天さを愛する。チャアリング・クロス――あまりに多くの不可思議を見てきた町。
新々あらびや夜話が鉱脈のように地底を走っている往来である。
何とたくさんの物語の主人公と女主人公がこのまち筋を歩かせられ、またこれからも、どれだけその人道を蹈むことだろうか――OH! そして小説のなかの彼らめいめいの用意と目的と感情、それらのすべてを、過去のものも来るべき作家のペンに宿る性格も、書物を読むようにすっかり心得ているのがチャアリング・クロスだ。なぜなら、人はそっくりろまんす中の人物となって魅縛的なここの敷石に立つ――と言われているほど、それほど、じっさいチャアリング・クロスを昼夜上下に押しかえす通行人は、ロンドンの他のどの町をとおる人ともちがって、いぎりす人らしくない一種ぼへみあんな理解に溶けあっているように思われる。
チャアリング・クロスは古本の港。
トテナム・コウトは家具の山。
この、古本と古本屋のおやじと、おやじの自慢する天候観測能力とごみだらけの小さな飾り窓とのチャアリング・クロスをトテナム・コウトの地下鉄停車場から新オックスフォウド街を越して二、三歩左へ切れたところに、すこしでも注意ぶかい人なら、そこに、一風変った人種の出入によって、しっきりなしに不気味に揺れている一つの戸口を発見してぎょっと――その最も不用意な瞬間に――することであろう。
デンマアク街Ⅹ番――上に、SAKURAと金文字が読める。
日本御料理「さくら」のまえに、私たちはいま立っているのだ。
想像をも許さない「東洋神秘の扉」――それが現実にこうして倫敦の一横町へむかって、冒険心に富む全市民のまえにひらいているのである。
さくら――Ah, Yes ! Just off Charing Cross !
日本の「口」のオアシス。
日本旅人のらんでうだ。
何という民族的に礼讃すべき存在であろう!――なんかと、いくら私ひとりでさわいでも、日本にいる日本の人には何だか一こう訳がわからないかも知れない。が、解らなくても構わない。とにかく、ロンドンへ着いた日本人のほとんど全部が、この戸へ面したとき、やっとのことで一つの望みへ辿りつき得た大きな喜悦を、その涙ぐんだ溜息によって表現するのだとだけ言っておこう。
「ああ――!」と。
そして、もう一つ、もし幸いにして諸君が些かの同情と理解をもって聞いてくれるならば、私はここへこうつけ足したい――つぎの刹那、私たち――と言うのは倫敦へ着いた日本人――は、勇躍してドアを蹴り、完全に万事を忘却して「頭から」にそのさくらの内部へ dive する。おみおつけの海に抜手を切るべく、お米の御飯の山を跋渉すべく、はたまたお醤油の滝に浴みすべく――。
というと、ばかに大げさにひびくが、食物は民族の血と骨と肉を作っているばかりでなく、事実、歴史的にそのこころをも形成しているものだと私は信ずる。いや、信ずるというよりも、じつは今度の旅行によってそれを発見し、痛感しているのだ。だから私がここに、海外旅行中の全日本人を代表して――はなはだおこがましい次第だが単に便宜上――日本の食物に対する止むにやまれぬ正直な告白――そして他人の正直な告白を嗤う権利は神様にも悪魔にもないはずだ――をはるかに故国なる諸君に寄せたからといって、それは何も私だけが人なみ外れて食いしんぼうな証拠でもなければ、第一、なるほど問題は食物に相違ないが、その奥底に、飲食物なる最も端的な本能的なかたちを採って「遠い祖国」への恋ごころが――可哀そうにも!――動いていることを考えていただきたい。いやに辞を弄して自分の意地きたないところを弁解これ努めているようだが、とまれ、この「日本食へのあこがれ」―― only too often 私と彼女はこの異郷の発作におそわれる――ばかりは、日本に居ることによってあまりにその境遇に狎れしたしみ、恵まれた運命に感謝することさえ忘れている大それた諸君には、とうてい察しが届くまいと私は逸早くあきらめている。しかし、私は確信する。私がこの紙とペンに託して私の最善をつくしたなら――何と大変なことになったものよ!――すくなくとも幾らかの実感が滲み出て、それが諸君を打たずにはおかないであろうと。
こと食べ物に関して来たらついむきになって申訳ないが、ま、一さいの議論はあと廻しにして早速SAKURAの戸をあけるとしよう。
戸を開けると、倫敦チャアリング・クロスのそばに、この日本御料理さくらである。
うす暗い帳場のわきを通って階下の食堂へ出る。高い窓から採光してあるだけなので、くもった日には昼でも電灯がともっている。壁によって白布の食卓、中央の机には「なつかしい故国の新聞」が二、三種綴ってあって、久方ぶりに相見える餅菓子、どら焼・ようかん・金つばの類が硝子器のうえにほとんど宗教的尊崇をもってうやうやしく安置してある。このろんどんの真ん中に、ここだけは切り離されたように見るもの聞く物すべてが「日本」だ。いつ行っても大概どの卓子もふさがっていて、AHA! なんと多勢のにっぽん人! みんな嬉しいことには私たちとおなじ黒い髪、黄色の皮膚、眼のつり上った真面目な顔、高い頬骨と短い四肢――地位と職業もほとんど一定している。正金のAさん・住友のB氏・三井のCさん・郵船のD君・文部省留学生E教授・大使館のFさん――夫妻・子供・それに日本から伴れてきている女中――新聞社特派員のG君・「商業視察」のHさん・海外研究員のⅠ君・寄港中の機関長J氏――これらは、すこし大きな欧羅巴の町ならどこでもかならず見参する「在外同胞」の典型である――が、めいめい日本へ帰ったような at home さをもって自由に箸をうごかし、そしてより以上の、非常に驚くべき自由――おお! 感謝すべき自国語の特権よ!――をもって談じかつ笑っているのだ。
テエブルにつくと、HON給仕人――日本人の――がHON献立表――日本語の――を持って“No”のように無言に接近してくる。昼食三志・夕食三志六片とあって、ア・ラ・カアトのほうを見ると、こうだ。
そのいかに本格に日本的であるかを立証するため、左に出来るだけ忠実に写し取ることにする。
舌代
お吸物 一志
刺身 十一片
酢の物 十一片
天ぷら 一志五片
そば いろいろ 十一片より一志六片まで
うどん いろいろ 同
ざるそば 十片
蒲鉾 十一片
大根おろし 六片
味噌汁 九片
うに しおから 四片
御飯 九片
御漬物 三片
その他いろいろとあるとおりに、ぬた、したし物、湯豆腐、
冷豆腐、でんがく、にゅうめん、
冷そうめん、
茶碗蒸し、小田巻むし、
鰻蒲焼、海老
鬼殻焼、天丼、親子丼、
海苔佃煮、寄せ鍋、鯛ちり、牛鍋、かきどふ鍋、鳥鍋、鴨鍋、御寿司、御弁当――およそ普通の日本料理のすべてを網羅していて、余白に
曰く。
多人数様の御宴会には特別勉強致します。
尚仕出し御料理その他御弁当御寿司などの御註文は多少にかかわりませず迅速に御届け申上ます。
月 日