窓
私たちの部屋には、四角な枠に仕切られた二枚の淡色街上風景が、まるで美術館の絵のようにならんで壁にひらいている。くる日も来る日も鉛いろの雨に降りこめられている私達に、かろうじて外部の世界との交渉が許されるのは、いま言ったふたつの窓硝子をとおして町に移る陰影のうごきを眺める場合だけだ。窓は家の眼だという。が、この窓はただちに私たちの眼でもあった。私と彼女は、ひとりずつその穴ぐらみたいな薄暗い部屋の窓のまえに立ちつくして、解くまで獄を出られない与えられた問題かなんぞのように、朝から晩まで狭い往来を見つめていることが多かった。
窓から覗く空は、円をえがくかわりに平面な一枚の雲の板だ。それが、遠雷のようなロンドンのどよめきを反響して、ぜんたいが遅々とそして凝然と押し流れてゆく。早く言えば、空というひとつの高いはっきりした存在があるのではなく、ろんどんの呑吐する煙が厚い層をなして、天と地を貫いて立っているにすぎなかった。その低空にがあっと音がする。があっと音のするような感じで瞬く間に空がくもるのだ。そうすると向側の家を撫でていた薄陽がふっと影って、白い歩道の石に小さな黒点がまばらに散らばり出す。きょうも雨だ。
雨・雨・雨――五月の雨。
煤煙と人いきれと音響を溶かして降る倫敦の雨。
なんというものとにい、何という呪われた憂鬱であろう!
窓枠のなかの風景画にも雨がけむる。
昼は、石と鉄と石炭の巨大な立体の底に銀色のしぶきをあげて、庭木をとおして見える家々の角度が水気にぼやけ、黒く濡れて光る道に、走りすぎる自動車のかげがくっきり映っている。空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、まるで液体のなかに棲息しているような気がするのだ。私たちの愛玩する窓の二枚の絵は、歪んだ建物といささかのみどりと炭油で固めた路との散文的な風物に過ぎなかったが、画面を這う日脚と光線のあやとが、そのときどきの添景人物とともに見飽きない効果と触を出していた。不思議な帽子をかぶった郵便配達夫が、大きなずっくのふくろをかついで雨のなかを行く。買物の帰りらしい女が赤い護謨外套の襟を立てて歩道に水煙を蹴散らしてくる。樹の下に立って空を見あげている男がある。そこへまたひとり若い女が駈け込んで行った。彼女は帽子が気になるとみえて、すぐ脱いで、雨にぬれたところをしきりに拭いている。丘のような荷馬車が、その車体よりも大きな箱を積んで私の絵へはいって来た。荷物のうえで、四、五人の労働者がびしょ濡れのまま笑っているのが見える。ちょうど絵のまん中で、御者は肺いっぱいに雨を飲みながら欠伸をして行った。彼女の窓には巡査と犬と子供がいる。巡査は巡査らしく立ちどまってあたりを睥睨し、犬は鎖を張って子供を引いて去った。光る雨ならまだしも五月のにおいを運んで、そこに植物の歓声も沸けば、しずかな詩のこころも見出されようというものだが、これは夜もひるもない暗い騒がしい雨なのだ。朝となく夕方となくろんどんを包む湿気の連続なのだ。よし一しきり雨がやんで、白い日光がぼんやりと落ちてくることがあっても、それはまた直ぐ水の線に変って、太陽よりもっと平均に隈なくそそぐであろう。傘とレイン・コウトの倫敦に名物の薄明が覆いかぶさる。夜に入って一そうの雨だ。
すると、ちょうど前の往来に立っている古風な街灯のひかりが流れこんで、雨の真夜中でも新聞の見出しが読めるほど部屋はあかるかった。私たちの間借りしているパアム街一〇九番の三階建の家は、完全におなじ建築と外観の住宅が何哩も何哩も、ほとんど地球のそとにまでつづいているように思われる。たましいを掻きりたいほど退屈なパアム街のなかほどに、109という番号字の剥げかかった茶煉瓦の立体が、赤く枯れた蔦をいっぱいに絡ませて、よろめきながら街路にむかって踏みこたえている。それだって同居人と日用品商人の手垢で黒くよごれた木の門から、呼鈴のこわれたままになっている入口のあいだには、芝生のかわりに赤土と石ころがあって、重病人のような林檎の樹の下に忘れな草が咲いていた。うしろの庭は塵埃すて場だった。そして朝晩はどの家からも不健康な料理油のにおいと赤んぼの泣声とが、五月の雨とともに街路に面する窓という窓のかあてんをそよがせていた。風雨に着色された木柵のところどころを、真あたらしい板で不器用に修繕したあとが、うすあかりのなかにまるで傷口のように生々しかった。塀にそって金いろの水蝋樹が芽をそろえていた。ことによると、雨を浴びたそのあざやかな黄が瓦斯灯の光線に反射して、それでこうも夜の室内が明るいのかも知れなかったが、この頃のロンドンは午後の九時十時がまだ夕ぐれの色なのだ。そのうえ三時にはもうぼうっとした朝の気が雨といっしょに青っぽく漂いわたって、牛乳配達の馬のひづめが地流れのする固い石畳を鳴らして過ぎる。つぎには、黒人のような石炭屋が大型貨物自動車に山とつんだ石炭ぶくろの上に突っ立って、むかしの倫敦呼声のおもかげをつたえて咽喉自慢らしく叫んでくる。
こうる・まあああん!
こうる・まあああん!
そうすると、雨のなかをあちこちの家から細君や娘たちが走り出てその日の石炭を買い込む。五月だというのに、寒い雨のおかげで、人は一日炉のまえに椅子を引いて暮らしているのだ。
とにかく人をめらんこりいにする雨が day after day つづいてゆく。四六時ちゅう勝手に降ったり上ったりする、じつに無意義な灰色の水粒だ。ろんどんの五月の雨よ。呪われてあれ!
May in England ――多くの詩人と、より多くの詩の追随者たちによって、薔薇・ひばり・日光・微風・花の香・田舎みち・濃い木影なぞと古来讃美されてきた五月のろんどんだから、さぞ色彩的な生活情緒が自然に人事に高唱されていることだろうと思ったら、ALAS! 異国人にとって倫敦の五月はこんなにまで不人情につめたく感じられる。げんに雨と靉日と落莫たるただずまいとが、いましっかり私を押さえつけて、この多角的な怪物の把握で窒息させようとしているくらいだ。
WHY! ああ・いえす、しつこい歯痛とともに鬱々として焦立たしいものの代表に使われるほど、世界的に有名な London weather ――それが私に作用しつつあるのだ。
私たちだって、旅行者のもつ俗な善意と口笛の気軽さで、野花とみどりの斜面と羊のむれのケント州の心臓を走って、「ある日大きな倫敦へ愛蘭人がやってきた」ように、黒いヴィクトリア停車場へ着いたものだった。それを老嬢ロンドンは、老嬢に特有の白眼と冬の陽ざしと煤けた建物の並立とでごく儀式的に迎えてくれた。なんという殷賑な、そして莫大な田舎町であろう! これが私の組織を電閃し去った正直な第一印象だった。見わたすところ、家も人も路も権威ある濃灰色の一いろの歴史的凝結にすぎない。そして above all ――雨。私の部屋の窓硝子に、week in, week out ほそい水の糸をひく五月の雨。GAWD!
君!
ぼんやりと椅子に崩れている私は、まぶたのうらに、太陽の接吻にめぐまれた日本の五月の思い出をころがしている。眼をつぶると、ひとりでに日本と日本の日光が浮かび出てくるのだ。五月と言えば、わがにほん国では風もないのにひらひらと「サクラ」が散り、桜の梢から Hiroshige の Fuji-Yama がほほえみ、ひるがえる燕と女の袂・気の早い麦藁帽とぱらそる――が、現実の私のまえには、窓枠のなかの雨の風景画が二枚、まるで美術館のように並んで壁にひらいているきりだ。
石と鉄と石炭の巨大な暗黒の底に白いしぶきをあげて、くろ光りにひかる道路に、驀進する自動車の灯火がながく流れている。そこには、空気のかわりに蒼然たる水滴が濃く宙を占めて、こうして見ていると、まるで私たちじしんが魚類に化身したような気がする。またしても私のこころに日本の新緑が萌え上ってくる。私は彼女を見た。彼女は煖炉のまえにしゃがんでしきりに石炭の火をくずしている。
で、私はやはり私の窓へかえる。があっという音が走ったかと、思うと、交通機関の咆哮がしいんと遠ざかって、水蝋樹の反映のなかを―― anyway、また雨だ。
一晩降り抜くだろう。
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