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踊る地平線(おどるちへいせん)01踊る地平線

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 6:35:08  点击:  切换到繁體中文


   夕陽に十字を切る

 火酒ウォッカのように澄み切った空気のなかを、うそ寒い日光が白くそそいで、しっとりと去年からの塵埃ほこりをかぶった建物と、骨の高いはだかのどろ柳と、呪文のようなポスタアを貼った広告塔と、塑像のように動かない街角の支那巡査、ぬかるみのまま固化した裏通り、zig zag につづく木柵、剃刀みたいにひやりと頬に接吻して行く松花江しょうかこうの風、そよぐ白楊はくようと巻きあがる馬糞の粉と、猶太ユダヤ女の買物袋と帝政時代の侍従長のひげと。
 過去と未来がきくしく交響する、哈爾賓ハルビンはいつもたそがれの街だ。
 そこでは、朝も昼も真夜中も、すべてが夕ぐれの持つ色とにおいで塗りつぶされて、その歴史もその市民も、坂も空地も商業街も電柱も石ころも、それらの発散する捨鉢すてばちな幻怪味と蟲惑こわくも、音楽も服装も食物も、みんな落日おちびを浴びて長い影を引いている。言わば、小さな暴君にかれて顧みられない玩具。Or ――発狂した悪魔詩人が、きまって毎夜の夢にさまよう家並やなみ、それがこのハルビンである。
 ホテルの三階の部屋から私は下の往来を見おろしていた。女学生らしい赤い帽子の露西亜ロシア少女が、青い林檎りんごをかじりながら手を上げて、泥だらけの乗合自動車を停める。兵卒みたいな腕力家の車掌が荷物のように彼女をつまみあげて行った。蒙古人の皮鞋匠ひあいしょうが石だたみに道具を並べて、眼のまえの通行人の足をぼんやり眺めている。靴直しだ。支那人が鶏を抱いてくる。盗んできたものに相違ない。かれは、三歩ごとにうしろを振り返っては急いでいるから。
 向側は露西亜人の食料品店とみえて、ほこりにまみれた缶詰と青物がほんのすこしばかり飾窓ショーウインドーに散らばって、家の横に貼った黄色い紙が、あやうく飛びそうに土けむりにはためいている。阿弥陀仏、念々不忘、福徳無量と印刷してある。極楽寺とかいう近ごろ出来た支那寺の伝導標語であろう。楽隊がきた。羅馬ローマ字を裏から見るような露西亜語のびらを自動車の腹へ掛けて、三人の楽手が、それでもみずからの貧しい旋律に十分陶酔して疾駆し去った。漢字の旗が板みたいにくうに流れて立っていた。電影子園でんえいしえんというのは常設館のことだろう。「哀憐公子」と映画の題が大きく書いてあった。
 風がひどい。町ぜんたいを引っき廻す気流の渦だ。市街の果ての平原に煙幕のような蒙古風が巻き立ったかと思うと、視界はもう人類最後の審判の日のように、赤く暗くかすんで、色の附いた空気があらゆる隙間から、室内へ、机の上へ、寝台へ、そして私たちの鼻口へ、おそらくは肺の底へまで音を立てて侵入してくるのだ。そのために椅子の背も人の肩も、十マイルむこうの土砂の粉末を載せて真白である。咽喉のどが乾く。冬以来雨というものがないという。
 が、一たびこの大規模な、そして色彩的な風が屋根を包んで過ぎると、あとには、火酒ウォッカのように澄みきった大気のなかをうすら寒い日光が白くそそいで、哈爾賓ハルビンはやはり根気のいい植物のように、じいっと何かを待って展開している。
 グランド・ホテル――格蘭得火太立グランド・ホテル旅館という物々しい支那語の看板をかかげたホテルに、私たちは宿をとっているのだ。三階の自室の窓に立つと、大陸の気層は魔術的だ、けさ着いた停車場ワグザルの建物をすぐ眼のまえに見せて、鬱金うこん木綿の筒っぽのどてらのようなものに尨大な毛の帽子をいただいた支那人の御者が、車輪から車体から座席、馬にいたるまで土とほこりに汚れきった一頭立ての軽馬車を雑然とかためて、高粱こうりゃんむちを鳴らして何か大声に罵りあいながら客待ちしているのが、遠くさわがしいだけにうつろに眺められる。ホテルの玄関の両側には、満洲人の果物売りが朝早くからずらりと歩道に荷をおろして、商売に関係なく暗くなるまで居眠りしている。たまに上海蜜柑みかんの一つも売れようものなら、われながら不審げにきょとんとするが、すぐに忘れてまた眠り出す。そうしてえりへしみる夕風に急に驚いたように籠を片づけて、何人も何人も薄あかりのなかを連れ立って帰って行くのだ。
 おちぶれた貴族が、猥雑な現在の生活においても、なおかつ過ぎ去った豪奢と栄誉を忘れ得ずに、いつか再び同じ日のまわってくることを固く信じてその望みにのみ生きている――といったものの哀れパセティックなこころは、ハルビンとハルビンらしいすべての姿に胸を打って感じられる。この格蘭得火太立グランド・ホテル旅館がそうだ。その入口にはセゾンの終った歌劇の広告が老プリマドンナの白粉おしろいみたいにげかかっていても、ちりめん紙を巻いたごむの木の鉢のかげには、たしか玄関番ドアマンの制服が金ぼたんを光らせているし、安物の絨毯じゅうたんは旅行者のかかとに踏みやぶられようとも、その大広間は赤の一色で装飾され、ジョニイ・ウォカアの広告油絵と、東支鉄道の灰皿と、大阪製の巨大な花瓶とを宝物のごとくに安置し、一九二四年度の加奈陀カナダ太平洋会社汽船案内と近着の巴里パリー雑誌ラ・ヴィ・パリジャンヌとが、隣り合わせにきちんと揃えてあり、食堂は、肥満せる猶太ユダヤ独逸ドイツ人ウンテルベルゲル氏が経営して自ら給仕長として立ち、いっぽんの生胡瓜オグレツ大洋タイヤンの一円五十銭をとり、定食アベイトには、卓上電灯を半暗にして不可思議な舞踏交響楽がはじまり、帳場デスク露西亜番頭ロシアクラアクはたくさんの支那語とすこしの英語とすこしの独逸語と少しの仏蘭西フランス語と、それにすこしの日本語とを話し、浅黄色のわんぴいすを着て頭髪を角刈りにした不柔順な支那ボウイの一隊と、慈善病院の看護婦みたいな不潔な露西亜ロシア女中の大軍とを擁し――以下略――とさえ言えば、いかに「哈爾賓ハルビン」な、あまりにハルビンな火太立ホテルであるかが充分以上に描出されたことになろう。
 窓硝子ガラスをとおしてまだぼんやりと前の通りを見下ろしていた私は、吹きまくる蒙古風といっしょに奇妙な呼び声が揺れ上ってくるのに気がついた。声は、黄色く暮れてゆく街上をだんだん近づいて来る。

ちいやらまた
たんぐうろえ
 またしばらく間をおいて、
ちやらまた
たんぐろえ
 私は上半身を乗り出して真下の歩道をのぞいた。巌畳がんじょうな支那の中年男が、酸漿ほおずきのしぼんだようなものを何本となく藁束わらたばに刺したのを肩へ担いで、欠伸あくびみたいに大きくゆっくり口を開けるたんびに、円い太い声が、心もちふるえて長閑のどかに吐き出されるのだ。
あああう――あ!
ちい――やらまた
たあ――んぐろえ
 ※(「木+査」、第3水準1-85-84)さんざしという木の実である。それを乾して赤く着色したのを、子供の駄菓子として売り歩いているのだが、七、八つ刺した串が一本大洋タイヤンの一銭とかで、終日砂ほこりにさらされて真っ白になっているのを、売れても売れなくても一向平気に、彼は呶鳴どなることそれ自身に生甲斐いきがいを感じているらしく、私の眼下でもう一度「ちいやらまた」を叫んだのちぶらりと通りすぎていった。山※(「木+査」、第3水準1-85-84)子の実は甘酸あまずっぱい味がして、左程さほどまずくもないそうだけれど、そのほこりだらけなのに怖毛おじけをふるって、私達はとうとう手が出なかった。この山※(「木+査」、第3水準1-85-84)子売りはハルビン街上風景の一主要人物である。黄塵こうじん万丈の風に乗って、泣くようなその売り声が町の角々から漂ってくるとき、人は「哈爾賓ハルビンらしさ」の核心に触れる。
 三十分おきにどっちかの発議で、私たちはお茶を飲んでいる。露西亜チャイだ。気候のせいかみんなよくこのチャイをのむ。個人の家ばかりかどこの事務所でも、時間をきめて洋杯コップになみなみといだのへレモンと砂糖を添えて持ってくるが、身体からだが要求するのだろう、さして美味おいしくもないのに、咽喉のどがひりひりして飲まずにはいられない。が、お茶だけでも仕様がないから、勇を鼓して階下の食堂へ降りてみると、いたずらに広い卓子テーブルのあいだに給仕人の襯衣シャツの胸が白くちらほら光って、運命開拓者のあめりか人が赤い耳輪の売春婦と酒を飲んでいるきり、オウケストラのウォルツが寒々しくあふれている。そのうちに、中年の露西亜ロシア婦人が子供をれて這入はいってきた。東京にいるT露西亜大使の夫人だそうだ。それはいいが、ここはハルビンでも料理のいいほうだというけれど、その食物の猛悪なのには降参せざるを得ない。第一に、ボリシチとか号するスウプに類したものには油が玉のように浮んで、二きれの偉大な肉が煩悶の極うなり声を上げている。つぎなるザクシカというのは、早く言えば、若くして悶死した魚の腐肉だ。そのほかガグリシチにしろペテロシュカにしろギザルシカにしろすべて大同小異である。やたらに量が多いばかりでとても口にする気になれない。もっともカトレイタだのビフシュテイキなんかと称して西欧めいたのもあるにはあるが、ガグリシチやペテロシュカの惨状を一見しただけで、他を試みる必要のないほど料理人の腕はわかる。で、色電灯と散乱する音譜とウンテルベルゲル氏の職業用微笑にいくらかの大洋タイヤンを献じたのち、私達は空腹と連れ立って食堂をあとにした。ただビイフシュトロウゲンという奇怪な一皿と、ブルンビアなるアイスクリイムに厚化粧をほどこしたようなデザアトだけは、いささか人類の食に適することをウンテルベルゲル氏の名誉のためにつけ足しておこう。
 ホテルを出た私たちをタキシのむれと宵闇が待ちかまえていた。そのタキシを駆ってその宵闇のなかを東支倶楽部へいそぐ。トルトウスカヤ女史のひきいる露西亜ロシア舞踊団の公演を見ようというのだ。
 倶楽部の演芸場にも「世が世ならば」の群集があふれて、赤を呪う白の人々と、支那政府の眼をくぐって白の動きを見守る赤の密偵と、赤系と白系がりまざってまるで理髪屋の標柱のような哈爾賓ハルビンの社会相が、ここにそのままの縮図を見せているのだった。何というもの淋しい「過去と未来を同時に呼吸する群」であろう! いまだにニコライ・ロマノフの写真を飾って上帝に十字を切る一団、北東の秘密活動本部をここへおく第三国際の宣伝員、すべての主義と世の動きとをよそに在りし日を夢みる階級――それらの露西亜人とその家族たちが、しばらく政治と闘争と謀策を中止して一夜の受楽のためにこうしてあつまっているのだ。これでも大きな社交的出来事ソシアル・オケイジョンのひとつとみえて、タキシイドの男と粗末なデコルテがあちこちに見受けられるが、無理にも場合を作って明るい宵を持とうとする彼等の努力に、なみだぐましい泣笑いがひそんでいる。じっさいこの町に住む露西亜人は、片っぱしから「やりびても」の心意気なのだ。だから、莫大な体躯といかめしいひげと灰色の眼とをもつ格蘭得火太立グランド・ホテル旅館の老小使ポウタアミシェルは、むかし国境防備軍団の旅団長として皇帝と同じ食卓で茶をんだ記憶を秘蔵し、ボルシチの料理人は革命当時にバイカル湖を泳いで逃げた大銀行家のなれの果てだし、路傍に燐寸マッチを売る老婆という老婆は、すべて王女かもしくは宮廷の侍女であったに相違ない。こうして大山鉱業者は街角に靴をみがき、大将軍は貨物自動車を運転し、大僧正が倉庫の番人をつとめているわけで、陸軍中将の御者、大公爵の番頭、帝室歌劇団花形の売子、すべて由緒ある亡命者をもってハルビンは充満している。これらの白い波に、いま欧亜主義ユウロパシフィックなる一つの反動思想、ソヴィエト制度をピイタア大帝以前の露西亜ロシア本来のものとして肯定して、一ぽう共産党現政府を乗っ取ろうとする運動が、全世界にちらばる白系露人と呼応して起りつつあると聞くが、そうかと思うと、じぶんは今まで白のように言われていたけれど、じつは立派な赤なのだと新聞に公開状を発した作家もあったりして、この哈爾賓ハルビンを中心に、赤がどの程度に白を侵すか、いかにして白よく赤を制するか、それは将来にかかる面白い見ものであろう。とともに、その間にあって活躍する両派密偵のかけひきに、幾多の小説的興味が含まれていることはいうまでもあるまい。
 舞台ではトルトウスカヤ舞踏団の公演がはじまっている。五つ六つから二十歳はたちぐらいの三十人ほどの女にまじって、二、三人の男も見える。みな裸体に近い簡単な服装で、おどりは筋肉的な基本的旋律運動だ。最初は教授の実際を示すためとあって、スタンカによる実習、セレゲイナにおける実習、ビオメカニカ、ピラミッドなどエクロバティックなものが多い。そのほかプログラムに眼をとおすとマズルカというクラシック、韃靼だったん踊り、善と悪との争い、東、猶太ユダヤ風、気まぐれ、グロテスク、さすらい――郷土的なものと象徴的なものとを、程よく集めてある。私は彼女とともに観衆のなかにすわって、かろうじて音楽と舞踊によってしばらく故国と自分たちとの問題や労苦から避難しようとしている周囲の人々をかなしいと思った。
 休憩時にクルアシビイリという元露西亜ロシア軍隊の将校で、日露戦争に旅順で奮戦して負傷した老人に会った。かれの勇名は乃木大将の耳にもはいって、敵ながらも天晴あっぱれとあって将軍から感状をはじめ色々の物を贈られたのを、彼はいまだに大切に保存しているという。あまりいい生活もしていないようで、片腕が肩からない身体からだに、すべての勲章や金モウルの飾りをぎ取った色のせた黒の軍服を着ていた、が、どこかに三軍を叱咤しったした面影が残って、その棒のような身長のうえから何ごとをも諦め切ったほほえみがおだやかにあふれている。このクルアシビイリと話しながら、私はそこらの隅から冷たい赤派の眼がうかがっているような気がしてならなかった。
 つぎの日、並木のまばらな田舎路をドライヴして馬家溝ばかこう横川よこかわおきほか四烈士の墓を見た。荒原の真ん中に高い記念碑が建っている。屍体を発掘したのは碑へ向って右横、すこし背後うしろへまわった小高い地点で、日本から横川氏の弟が来たとき、ハルビンにいた日本人医師が多分このへんに埋めてあるはずだとそこを掘ったところが、はたして二つの死骸がかなり綺麗に扱われて葬ってあったのを発見したのだそうだ。射殺されたのは碑のうらで、当時はここに露軍の砲塁があったという。私は、両氏が眼隠しを拒絶して弾丸の前に立ったであろうあたりを見まわした。満目蕭条しょうじょうたる平野に雑草の花が揺れて、雲の往来ゆききが早い。陽が照ったり影ったりして、枯木のような粗林のむこうに土民の家が傾き、赤土にからすが下りていた。
 すべては時間が適当に処理するものだ。当年碧血へきけつのあと、いまはただ野の草がさざなみのように風に倒れて、遠く浦塩ウラジオへ通ずる鉄路の果てが一線を引いて消える地平に、玩具おもちゃのような汽車が黒煙を吐いている。
 かえりにその線路を横切る。踏切に札が立っている。「小心火車」とある。火車とは汽車のこと。さしずめこれは「汽車に注意すべし」ぐらいのところであろう。支那で汽車というと自動車の意味で、さてこそほうぼうに「福特フォウド汽車」なる広告の出ているわけだ。福特フォウドは例のフォウドである。世界中どこへ行っても、いかなる形でか亜米利加アメリカがついてまわるのはうに覚悟のまえだが、この美国汽車福特フォウド号にはちとおどろかされる。
 支那町傅家甸フウジャテンの新世界で、川鮑魚湯せんぽうぎょとうだの葱焼海参そうしょうかいざんだのと呼号する偉そうできたない食を喫したのち、私たちは不可解な腕車わんしゃをつらねて、喧騒と臭気と極彩色と殷賑いんしんと音響のなかを大通りキタイスカヤ街へ出た。途中、笛と跫音あしおとと泣き女のいとも哀しい支那の葬式にあう。失業者の苦力クーリーが棺をかつぐあとから家族らしい一行がうなだれて、長い列が休みやすみ泥棒市場のかどを曲っていった。泥棒市場は、その名の示すとおり、善良な市民が金を払ってじぶんの盗まれた品物を買戻す市場だ。もっとも、どうせ盗んだものだから誰が何を買ってもさしつかえない。ひどく徹底した国民的施設である。
 キタイスカヤには黒い建物とでこぼこの歩道と貧しい商店とが、それでもさすがにメイン・ストリイトの格式をもってつづいて、安価な原色を身につけた女たちが花屋のまえにとまり、いろいろな種族がベンチに顔を並べ、横町の郵便局には代書屋に人が群れさわぎ、地下室の窓からは真白い女の顔が覗き、秋林チュウリンウォルガバイガルなどの百貨店に日本の商品が散見し、喫茶店の卓子テーブルでは松花江スンガリイの氷の解けたうわさがはずみ、アントニオ・モレノ主演「侠勇男子」の絵看板と跳舞大会のびらとがホテル近代モデルンの入口を色どり、しつこい乞食のに夕方の風が吹き、いっぱいの曹達水ソデリヤ・ワダに日露支全極東の味がこもり、肥った淫売婦がいまつかまえた男のひじをとって口笛を鳴らし、その口笛に応じて十七台の小馬車が勇ましく先を争い、新めいせん日本服のハルビンお何が向う側の露西亜ロシア学生に秋波を送り、暗い入口に人のささやきがうごめき、お洒落しゃれな旅行者の捨てた煙草に六本の手が伸び、同じ男と女に何度も会い、めりんす二〇三高地の輸出向日本芸者がしゃなりと自動車から左褄ひだりづまを取り、露西亜人のよっぱらいが支那の巡警に管をまき、それらのうえにぼやけたあかりと北満の夜霧がひろがり、この貧しい都市にも、まずしいなりに感じと動きと流露フィリング・ムウヴィング・パッションとを追う散歩者の行進曲が奏でられているのを知る。が、スピイドのない享楽の狩猟、PEPを欠く狂噪、CHICの見られない街路進歩プロムナアド、何という神さまに忘れられた砂漠がハルビンであろう!
 いま哈爾賓ハルビンの市中をあめりか人らしい夫婦が自動車を乗りまわして、いたるところで車上から銀貨銅貨を現実に撒き散らして歩いている。何かの功徳かそれとも単なるものずきかも知れないが、「見知らぬ紳士ニエイズベストヌイ・ゴスポジン」として新聞も騒ぎ、みんなそのはなしで持ちきりだ。不幸にして私たちは問題の自動車を見かけなかったけれど、見知らぬ紳士のこころもちはよくわかるように思えてならない。誰だってこのみすぼらしい市民が努力して生活を楽しもうと心がけている窮状を見ては、あり余るものならば財布をからばらまきたい衝動に襲われるであろう。とにかく、こんな中世紀的な物語も物語でなく実在し得るのがハルビンだ。なぜなら、それはつねに振り返っている町だから。そして同時に、絶えず爪立ちして何か――何であるかは哈爾賓ハルビンじしんも知らない――を待ち望んでいる都会だから。
 泣き顔に塗った白粉おしろい。死んだ伯父が愛用した古いふるい動かない銀時計。そんな言葉がよく当てはまるほど、私はハルビンを地球上にユニイクな市街だと思う。その光りと影、その廃頽はいたいと暗示、私は哈爾賓の持つ蕪雑ぶざつな詩趣を愛する。
 そこでは、この夜更けにも夕ぐれの色とにおいがくまなく往きわたって、いまこうしてキタイスカヤ街をまがろうとしている私と彼女に、眼のまえの「飯店めしや」の裏口に貼った紙がはっきりと読めるのだ。
閑人免進悪狗咬人かんじんすすむなかれあくいぬひとをかむ
君子自重面欄莫怪くんしじちょうめんらんあやしむなかれ
 はじめの一行は「無用の者入るべからず」。
 あとの君子自重は、其角きかくの「このところ小便無用花の山」に似て、後者の風流を狙って俗なるに比し、ずっと道学的に洒脱である。私が感心して立ちどまっていると、文字どおりに悪狗あくいぬらしいのが、これもたそがれのかげを引いて長くえた。
 日露戦争の癈兵はいへいらしい老人がふたり、ひとりは手風琴を、他はヴァイオリンを鳴らして路傍に物乞いしている。跛足と盲らだ。「無眼之人」と大きく書いたボウル紙を首から下げていた。
 ウチャストコワヤ街の方角から、深夜の紅塵にまじって支那少年の叫びがけたたましく流れてくる。
ちで・ちで!
 夕刊売りだ。
ちで――い!
ちで――い!


   VIA・さいべりあ

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