SAYONARA
がたん!
――という一つの運命的な衝動を私たちの神経につたえて、午後九時十五分東京駅発下関行急行は、欧亜連絡の国際列車だけに、ちょいと気取った威厳と荘重のうちにその車輪の廻転を開始した。
多くの出発と別離がそうであるように、じつに劇的な瞬間が私たちのうえに落ちる。
まず、車窓のそとに折り重なる人の顔が一つひとつ大きな口に変って、それら無数の巨大な口腔が、おどろくべき集団的訓練のもとにここに一大音響を発した。あああ――あい! というのだ。ばんざああい!
では、大きな声で『さよなら!』
さよなら!
そしてまた『ばんざあい!』
この爆発する音波の怒濤。燃焼する感激。立ちのぼる昂奮と人の顔・顔・顔。そして夜のプラットフォームに漂う光線の屈折――それらの総合による場面的効果は、ながい長い行程をまえに控えている私達の心臓をいささか民族的な感傷に甘えさせずにはおかない。が、そんな機会はなかった。交通機関はつねに無慈悲にまで個人の感情に没交渉である。彼女が贈られた花束を振り、私が、この刹那の印象をながく記憶しようと努力しているうちに、汽車はじぶんの任務にだけ忠実に、well ――急行だから早い。さっさと出てしまった。私たちは車室へ帰る。
皿のうえの魚のように、彼女はいつまでも花束とともに黙りこくって動かない。何が彼女の脳髄を侵蝕しているのか、私にはよくわかる。東京と東京の持つすべて、日本と日本のもつすべてから時間的にも地理的にも完全に離れようとするいま、私達は急に白っぽい不安に捉われ出したのだ。それはふたりのすこしも予期しなかった、そして、それだけまた自然すぎる、漠然たる憂鬱だった。
しかし、この「去るに臨みて」の万感こもごもは、ぼうっと赤い東京の夜ぞらとともにすぐ消えて、かわりに私は、そこに世界地図の上を這いまわる二足の靴を想像する。それは、倫敦チャアリング・クロスの敷石もアルジェリアの砂漠も、シャンゼリゼエの歩道も同じ軽さで叩くだろうしベルゲンの土も附けばアラビヤの砂も浴びるだろう。私達の旅のすがただ。詩人の墓も撫でてみたいし、帝王の裾にも接吻したい。西班牙の駅夫と喧嘩することもあろうし、ルウマニアの巡査に小突かれる日もあろう。モンテ・カアロでは夜どおし張るつもりだ。ムッソリニと握手する。一夕独逸廃帝と快諾して思い出ばなしを聞く。ナポレオンの死の床も見たいし、ツタカメン王の使用した安全剃刀もぜひ拝観しよう。それから、それから、ETC・ETC――出来るだけ多くの大それた欲望を持つことが、旅行者にあたえられた権利であり、義務なのだ。
気がついてみると私は、汽車の進行に合わしてこころ一ぱい叫んでいた。
がたん・がたん!
がたん・がたん!
歓呼のこ――えに送られて
歓呼のこ――えに送られて
何とそれが調子よくピストンのひびきに乗ったことよ! ことによると私は早くも無意識のうちに、自然現象のように自由で無頼な放浪者を気取っていたのかも知れない。
寝台へ這い上る。
同時に、さまざまな断片が私のこころへ這いあがる。
ホテルから東京駅へのタキシのなかから一瞥した最後の東京。雨が降っていた。窓を打ってななめに走る水。丸ビルを撫で上げる自動車の頭灯。
「東京――モスコウ」と朱線のはいった黄色い切符を示したとき、ちょっと儀式張って、善きほほえみとともに鋏を入れてくれた改札係の顔。若きかれのうえに祝福あれ!
とにかくこれが当分のお別れであろう日本の春の夜を、汽車はいま狂女のように驀進している。下関へ、ハルビンへ、莫斯科へ、伯林へ、やがてロンドンへ。
朝は、私たち同行二人の巡礼をすっかり国際的な漂泊人のこころもちのなかに発見するであろう。
汽車という汽車のなかで、その夜の九時十五分東京駅発下関行急行――私がそれに何らの必要もなしにほとんど先天的な約束をさえ見出しかけていると、彼女も眠れないとみえて、下の寝台で寝返りを打つのが聞えた。
『どうしたい、まだ降ってるかい?』
『え?』
『雨さ。』
『いいえ。』
『どのへんだろう此処――。』
『さあ――静岡あたりでしょう、きっと。』
黒と白だけの風景画
「下関」
むらさき色の闇黒。警戒線。星くず。
無表情な顔をならべて関釜連絡T丸の船艙へ流れこむ朝鮮人の白衣の列。
「釜山」
あさ露に濡れる波止場の板。
赤い円い禿山。
飴と煙草―― e.g. 朝鮮専売局の発売にかかるカイダ・マコウ・ピジョンなど・など・など。
停車場への雑沓。
バナナを頬張りながら口論している色の黒い八字ひげと、金ぶちの色眼鏡。
内地人の薬売り――新植民地情景。
「京城まで」
土塀と白壁。赤土。黒豚。
小川。犬。へんぽんたる洗濯物。
教神――水晶洞所見。
滝頭山神社のお祭り。
勿禁院洞と読める。
皇恩浩蕩とも書いてある。
長いきせると荷馬車。
褐色の連続を点綴する立看板の林――大学眼薬、福助足袋、稲こき親玉号、なになに石鹸、仁丹、自転車ソクリョク号、つちやたび、風邪には新薬ノムトナオル散、ふたたび稲こきおやだま号、ナイス印万年筆、スメル香油、何とか歯みがき、& whatnot。
「京城」
降りて行った亜米利加の女伝導師と、彼女の靴下のやぶれ。
午後七時四十分。
「安東まで」
低い丘。雑木林。
金泉で雨。
黙々として黒く濡れている貨車。
停車場の棚に金雀枝がいっぱい咲いていた――三浪津の駅。
秋風嶺でも雨。
見たことのあるような気のする転轍手の顔。
鉄道官舎のまえに立っていた日本の女。
唐傘。雑草。石炭。枕木。
日の丸。
小学校。
「安東」
税関。鉄橋。驟雨。日光。
「奉天まで」
ゆるいカアキイ色の起伏。
展望車に絵葉書がおいてある。唐獅子の画に註して曰く。「現今民国有識階級ニ於テハ華国ハ眠レル獅子ナリト言ヒナサレ覚醒又ハ警世ノ意アリテ尤モ喜バル」と。
なになに聯隊奮戦の地。
連山関の郵局。
「赤い夕陽」
ほんとに真赤な、大きな、火事のような入り日だ。
「奉天」
のりかえ。
「長春」
のりかえ。
支那馬車のむれ。
客桟で人を呼ぶ声。深夜。
やすい煙草――大愛国香烟、長寿牌大号、中国出産中俄煙公司。
南京豆の皮を吹く砂まじりの風。
水菓子屋の灯り。
午前十二時十分発。
「哈爾賓まで」
万国寝台車の一夜。巴里に本社のあるワゴンリイのくるまだ。まるで宮殿のよう――と彼女が讃嘆したとおりに、飴いろに金ぴかの装飾が光っている。
中華民国のかたではありませんか、と呼びかけられて、下関で高等係の人からかなり長い質疑応答をやらせられた私達――断っておくが、私はながい外套にへんなぐあいに帽子を潰してかぶり、彼女は断髪にしかと花束を抱えていた――も、長春では、旅券をしらべに車室へ来た支那の官憲が、一眼で日本人と白眼んだためにそのままに済んだ。――のはいいが、故国の役人には支那人に間違われ、支那人にはすぐに日本人と看破される。やはり、旅だ。
「ハルビン」
灰色にくすぶる新市街の停車場。
殺到する支那の赤帽。手荷物略奪戦。
りゃん・りゃん・りゃん!
まあやあ・ほいほい!
てんが・れんが・れん!
For God's sake, wait ! ――この一種物語的なひびきを持つ都会の名は、私たち日本人にただちに公爵伊藤の死を聯想させる。
で、これが映画なら、さしずめここでカット・バックというところだ。すなわち、画面全体が見るみるぼやけて、そこに過去の話中話が煙りのように浮かび出る――こんなふうに。
最初スクリンいっぱいに、疾走中の汽車の車輪を大きく見せて、つぎに字幕。
「明治四十二年十月二十六日午前八時、元勲伊藤公の坐乗せる特別列車は、長春より一路哈爾賓をさして急ぎつつあった。」
食堂車内の景。
伊藤公が、金の飾りのついた洋杖をかたわらに、何か書いた紙片を満鉄総裁中村是公氏、宮内大臣秘書官森泰二郎氏に示している。漢詩人森槐南が微吟する。
十月二十五日発奉天赴長春汽車中作
万里平原南満洲 風光潤遠一天秋
当年戦跡留余憤 更使行人牽暗愁
「日露の親和がこの汽車中にはじまり、汽車の前進するがごとくますます進展せんことを望む。」公はこう言って露西亜側の接待役を見まわしながら、しきりにつづける。「余は露西亜人を愛す。」
この「日露の親和がうんぬん」のことばは、公の死後、非常な好意をもって露人のあいだに喧伝された有名な言辞だ。
ふたたびタイトル。
「そうして午前九時――。」
と、これから暗殺の場面へ移るのだが、まあ止そう。
それよりも同車の満鉄のG氏が、私の肘を掴まえて大声に話している。
『列氏零下五度、こまかい雪が降っていましてね、猛烈に寒い朝でしたよ。ピストルの音ですか。いいえ、日本人の一般出迎者はずっと左の端のほうにいたので、何も聞えませんでした。いえ、聞いた人もありましたが、支那人が歓迎の意味で爆竹を打ちあげたのだと思ったそうです。すると伊藤公が撃られたというんでしょう、さあ大変、みんな滅茶苦茶に飛び出して行って、わいわいごった返しです。露助の兵隊なんか大きな刀を振り廻してやたらに、ヤポウネツ・ヤポンツァ! って呶鳴る――。』
『ちょ、ちょっと待って下さい。』私はあわてる。『その、それは何です――ヤポ・ヤポってのは?』
『日本人が日本人を! というんですね。で、わあっと押し出したのはいいが、線路へ落ちるやら兵隊に蹴られるやら――そのうちにぎゃっ! というもの凄い声が聞えましたが、それは人混みのなかで露助の兵隊が安重根を捕まえたときに、先生夢中で頸部を締めつけたもんだから、安のやつ苦しがって悲鳴をあげたんです。私も一生懸命でしたよ。爪立ちして伊藤公の担がれて行くのを見ていました――。』
汽車を降りた私たちは、二十年前に公の狙撃された現場に立った。その地点は、一・二等待合室食堂へ向って、左から二番目と三番目の窓の中間、ちょうど鉄の支柱前方線路寄りの個処だ。が、いくら見廻しても、どこの停車場のプラットフォウムにもある、煤烟と風雨によごれたこんくりいと平面の一部に過ぎない。いや、平面と呼ぶべくそれはあまりにでこぼこして、汽車を迎えるために撒かれた小さな水たまりが、藁屑と露西亜女の唾と、蒼穹を去来する白雲の一片とをうかべているだけだった。
G氏の案内で構内食堂の隅に腰を下ろす。ここはその朝、外套に運動帽子といういでたちでレスナヤ街二十八号の友人金成白――レスナヤ28は、いま、見たところ何の変哲もない荒れ果てた一住宅だ――の家を出た安重根が、近づく汽車の音に胸を押さえながら、ぽけっとのブロウニング式七連発を握りしめたという椅子である。殺した人も殺された人も、もうすっかり話しがついて、どこかしずかなところでこうして私達のようにお茶を喫んでいるような気がしてならない。
ハルビン――不思議が不思議でない町。
OH・YES! HARBIN。いろんな別称で呼ばれるわけだ。
あらゆる人種と美しい罪の市場。
海のない「上海」。
そうして、極東の小巴里。
さればこそ、どんな冒険にでも勇敢であるべく、彼女の口紅は思いきり濃くなり、やけに意気っぽく帽子を曲げる。AHA!
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