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南北の東海道四谷怪談(なんぼくのとうかいどうよつやかいだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-26 15:05:18  点击:  切换到繁體中文


       三

 乞食こじきに化けて観音裏の田圃道たんぼみちを歩いていた庄三郎は、佐藤与茂七に逢って衣服を取りかえた。与茂七は宅悦の家で借りて来た提燈も庄三郎にやって、
「非人に提燈はいらぬもの、これも貴殿へ」
 と云って往ってしまった。庄三郎はじぶん風采なりを提燈ので見て、
「こんななりをしてて、仲間の乞食に見つかっては大変じゃ」
 庄三郎はそれから富士権現ふじごんげんの前へ往った。ほこらの影から頬冠ほおかむりした男がそっと出て来て、庄三郎にねらい寄り、手にしている出刃で横腹をえぐった。
「与茂七、恋の仇じゃ、思い知ったか」
 頬冠の男は直助であった。直助は『藪の内』と書いた提燈を目あてにしていたので、庄三郎を与茂七とのみ思いこんでいた。
「これでもか、これでもか」
 惨忍ざんにんな直助は庄三郎をりさいなんだ。
「これでいい、これでいい」
 直助は思いだして出刃を傍の垣根の中へ投げすてた。と、跫音あしおとがいりみだれて駈けだして来る者があった。直助はあわてて傍へ身を隠した。それは四谷左門と伊右衛門の二人が、斬りあいながら来たところであった。伊右衛門は途中で左門に逢ったので、お岩を返してくれと頼んだが、左門が承知しないので左門を殺そうとしていた。
「おのれ、老ぼれ」
「おのれ、悪人」
 左門は斬られて血みどろになっていた。伊右衛門が追いすがってまた一刀をあびせた。左門は倒れてしまった。伊右衛門はそれに止めをさした。
「強情ぬかした老ぼれめ、刀のさびは自業自得だ」
 其の時傍の闇から直助が顔を出した。
「そう云う声は、たしかに民谷さん」
 伊右衛門は直助の方をきっと見た。
「奥田の小厮こものの直助か、どうして此処へ」
 其の時向うの方で下駄の音がした。伊右衛門と直助は祠の後へ隠れた。下駄の音は近よって来た。それは糸盾いとだてを抱えた辻君つじぎみ姿のわかい女であった。
「こんな遅くまで、父さんは何をしていらっしゃることやら」
 小提燈をけた女が走って来たが、よほどあわてていると見えて、辻君姿の女にどたりと突きあたった。
「これは、どうも」
 小提燈の女は丁寧に頭をさげた。辻君姿の女は其の顔に眼をつけた。
「あ、おまえは妹」
 小提燈の女も対手あいてに眼をつけていた。
「あなたはあねさん」
 辻君姿の女はお岩で、小提燈の女はお袖であった。お岩は物乞に往っている父親の左門を、お袖は途中で別れた与茂七の後を追うて来たところであった。お袖はお岩のあさましい姿をはっきり見た。
「あなたは、まあ、あさましい、辻君などに」
 お岩はお袖の顔をきっと見た。
「おまえこそ、与茂七さんと云うれっきとした所天おっとがありながら、聞けば此のごろ、味な勤めとやらを」
「え、それは」
「これと云うのも貧がさすわざ、ととさんが二人に隠して、観音さまの地内で袖乞をしておられるから、わたしも辻君になってはおるものの、肌身までは汚しておらぬ」
「それはわたしも同じこと、恥かしい勤めはしても、肌身までは汚しませぬ。それにこんなことをしていたばかりに、今晩与茂七さんに逢うて、同伴いっしょに来る道で、与茂七さんにはぐれたから、それを探しに」
「わたしもととさんがあまり遅いから、それが気がかりで」
 其の時お岩は地べたで何か見つけた。
「おまえの傍に、それ血が」
 お袖は提燈をかざした。其のあかりでお岩は左門の死体、お袖は庄三郎の死体を見つけた。
「あ、たいへん、こりゃととさん」
「こりゃ与茂七さん」
 お岩は左門の死体に、お袖は与茂七の死体にすがりついて泣いた。祠の陰から此の容子を見ていた伊右衛門と直助が、わざとらしく跫音を大きくして出て来た。
「女の泣声がする、ただ事ではないぞ」伊右衛門はそう云いお岩の傍へ往って、「おまえは、お岩じゃないか」
 お岩は顔をあげた。
「あ、おまえは伊右衛門さん」
 直助はお袖の傍へ往った。
此方こっちにいるのはお袖さんか」
 お袖は泣きじゃくりしていた。
ととさんと同じ所で、此のように」
 お岩とお袖は悲しみのあまり自害しようとした。伊右衛門は芝居がかりであった。
「うろたえもの、今姉妹が自害して、親、所天おっとかたき何人たれが打つ」
 お岩はそこできっとなった。
「それでは、別れた夫婦仲みょうとなかでも、讐うちのたよりになってくださりますか」
 伊右衛門はお岩をじぶんものにできるので心でほくそ笑んだ。
「別れておっても、去り状はやってないから、やっぱり夫婦、舅殿しゅうとどのの讐も打たし、妹婿の讐も打たす」
 直助はお袖を云いくるめた。
「こうなるからは、是非ともおまえの力になる」

       四

 雑司ヶ谷ぞうしがやの民谷伊右衛門の家では、伊右衛門が内職の提燈を貼りながら按摩の宅悦と話していた。其の話はお岩のさんの手伝に雇入れた小平こへいと云う小厮こものが民谷家の家伝のソウセイキと云う薬をぬすんで逃げたことであった。其の時屏風びょうぶの中から手が鳴った。宅悦は腰をあげた。
「はい、はい、お薬でござりますか」
 宅悦が屏風の中へ入って往くと、伊右衛門は舌打ちした。
「此のなけなしの中へ、餓鬼がきまで産むとは気のきかねえ、これだから素人の女房は困る」
 宅悦は屏風の中から出て七輪へ薬の土瓶をかけてあおぎだした。伊右衛門はにがにがしい顔をした。
「お岩の薬か、生れ子の薬か」
「これは、お岩さまのでござります」
 其の時秋山長兵衛あきやまちょうべえが走るように入って来た。
「民谷氏、小平めをつかまえましたぞ、って逃げた薬は、これに」
「これはかたじけない」伊右衛門は貼りかけていた提燈を投げ棄てるようにして、長兵衛から小風呂敷の包みをもらい「して、小平めは」
 其処へ関口官蔵せきぐちかんぞう中間ちゅうげん伴助はんすけが、小平をぐるぐる巻きにして入って来た。宅悦は小平を口入した責任があった。
「てめえ故に、な、おれまでが、難儀しておるぞ」
 伊右衛門は惨忍なことを考えていた。小平ははらはらしていた。
「どうぞ、おゆるしなされてくださりませ」
「ならん、たわけめ、素首そっくびを打ち落とすやつだが、薬を取りかえしたことだし、それに、昨日立てかえた金をかえせば、生命いのちだけは助けてやるが、其のかわりてめえの指を、一本一本折るからそう思え」
 小平は身をふるわせた。
「旦那さま、お慈悲でござります、そればかりは、どうぞ」
 長兵衛がついと出た。
「やかましい」と怒鳴りつけて、それからみんなに、「さあ、猿轡さるぐつわをはめさっしゃい」
 官蔵、伴助、宅悦の三人は、長兵衛に促されて手拭で小平に猿轡をはめ、まずびんの毛を脱いた。其の時門口へお梅の乳母のお槇が、中間に酒樽さかだる重詰じゅうづめを持たして来た。
「お頼み申しましょう」
 伊右衛門はそれと見て、三人に云いつけて小平を壁厨おしいれへ投げこませ、そしらぬ顔をしてお槇を迎えた。
「さあ、どうか、これへこれへ。御近所におりながら、何時いつも御疎遠つかまつります、御主人にはおかわりなく」
「ありがとうござります、主人喜兵衛はじめ、後家ごけ弓とも、よろしく申しました。承わりますれば、御内室お岩さまが、お産がありましたとやら、お麁末そまつでござりますが」
 お槇はそこで贈物を前へ出した。伊右衛門はうやうやしかった。
「これは、これは、いつもながら御丁寧に、痛みいります、器物いれもの此方こちらよりお返しいたします」
「かしこまりました」それから懐中かいちゅうからちいさなきいろな紙で包んだ物を出して、「これは、てまえ隠居の家伝でござりまして、血の道の妙薬でござります、どうかお岩さまへ」
 伊右衛門はそれを取って戴いた。
「これはお心づけかたじけのう存ずる、それでは早速」と云って伴助を見て、「これ、てめえ、白湯さゆをしかけろ」
 其の時屏風の中で嬰児あかんぼの泣く声がした。お槇が耳をたてた。
「おお、ややさま、男の子でござりまするか」
 伊右衛門は頷いた。
「さようでござる」
「それはお芽出とうござります、それでは」
 お槇の一行が帰って往くと、長兵衛と官蔵がもう樽の口を開け、重詰を出して酒のしたくにかかった。伊右衛門はにんまりした。
「はて、せわしない手あいだのう」

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