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地獄の使(じごくのつかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-25 9:15:02  点击:  切换到繁體中文


「花嫁で耻かしいから、云わざったわよ」
 と、老婆が嘲り返す。お爺さんは憤って、膳の上の茶碗を投げつけて、
きさまのような奴は、もう許さん、今日限り離縁する」
 老婆はお爺さんのことを思いだし思いだししていた。そして、今度便所に往った時に見ると、三つ星がもう裏の藪の上へ傾いていた。で、老婆は寝ることにして、戸締をし壁厨おしいれから蒲団を出しているうちに、また餅のことを思いだしたが、腹が一ぱいで何も喫ってみる気がしない。
(明日の朝にしよう、もう腐るようなことはない)
 老婆は仏壇の明りをしめして来て、行灯の灯をなおし、それから寝床に入ろうとすると、表の戸を叩く音がした。
「頼もう、頼もう」
 それはことばの使い方からして、近隣きんじょの人の声ではなかった。お上の御用を扱うている村役人ではないかと思った。老婆は行灯を提げて往った。
「頼もう、頼もう」
「はい、はい」
 老婆は表の入口の端になった雨戸を一枚開けた。暗い中にがさがさと物音をさして、行灯の灯のしょぼしょぼした光の中へ入って来たものがあった。それは青い錦の道服を着た者と、赤い錦の道服を着た者であった。二個の手にぴかぴか光る鉾があった。老婆はびっくりしてその顔を見た。青い道服を着た方の顔は、絵にあるような青い鬼で、赤い道服を着た方の顔は、赤い鬼であった。老婆はつくばってしまった。
「怖がることはない、俺達は此処の爺さんに頼まれて来た者じゃ」
 と、赤鬼が云った。
「此処では話ができん、内へ入って話そう」
 と、青鬼が云った。青鬼はもう隻足を敷居に踏みかけていた。
 老婆はふらふらと起ちあがって、顫う手に行灯を持った。青鬼と赤鬼の二疋は、胴を屈めるようにしてあがった。老婆は鬼に近寄られないようにと背後うしろ向きに引きさがった。そして、仏壇のある室まで往くと、老婆はべたりと坐ってしまった。二疋の鬼もそのまま其処へ衝立った。
「おい婆さん、俺達は地獄から此処の爺さんに頼まれてやって来た者じゃが、此処な爺さんは、この世に在る時に、あまり因業であったから、閻魔王の前で、夜も昼も呵責を受けて、その苦しむさまが、如何な俺達にも傍で見ていられない、閻魔王に願ってみると、許しがたい奴じゃが、五十両出せば許しても好いと仰せられるから、それを爺さんに話してみると、我家うちへ往って婆さんに話せば、それ位の金は出来ると云うから、それで二人で来てやったが、すぐその金が出来るのか、他とちがって地獄から来た者じゃ、べんべんと長くは待たれない、すぐ出来るなら持って往ってやっても好い」
 と、青鬼が云った。老婆はもう涙を滴して口をもぐもぐさしていた。
「できます、できます、手許にはないが、親類にあずけてありますから、じき執って来ます、どうぞちょっと待ってくだされ」
「すぐ執って来るなら待ってやっても好いが、遅くはないだろうな」
 と、青鬼が念を押した。老婆は気がうわずったようになっていた。
「ど、ど、して、遅くなりますものか、小半時もかかりません、どうぞ、ちょっと待ってくだされ、お爺さんがいとしい」
「しかし婆さん、俺達は地獄の使じゃ、こんなことを他の人間に話したりすると、俺達も此処にこうしていられん、そんなことは云わずに、金を持って来んといかんぜ」
 と、赤鬼が云った。老婆は話の中から頷いていた。
「それは、もう、そんなことをなにしに申しましょう、黙って執って来ますから、どうぞ待ってくだされ」
「そんなら好い、待ってやる」
 と、青鬼が云うと、老婆は急いで表の方へ出て往った。青鬼と赤鬼はその後を見送って、耳を澄ますようにしていた。
 老婆の雨戸を締めて出て往く音がした。青鬼は手にした鉾を襖に立てかけた。
「旨くいったな」
「うむ、旨くいった」
 と、赤鬼も鉾を襖に立てかけた。
「すこし休もうか」
 と、青鬼がまた云った。
「よかろう」
 と、赤鬼が同意した。そして、二疋の鬼は其処へ胡坐をかいた。
「脱いでも好いだろう」
「そうじゃ、脱いでもいいな」
 二疋は首の周囲に手をやって、何かかさかさとやっていたが、やがて赤鬼からさきに鬼の顔を除ってしまった。皆鬼の面を着ていた者であった。赤鬼の面を着ていたのは、わかい色の白い男で、青鬼の面を着ていたのは、頬髯の濃い角顔の男であった。
「旨くいったな」
「大丈夫じゃ」
 青鬼の方の男は行灯の灯で、仏壇に供えてある餅を見つけた。
「好い物があるぞ」
 と、彼は起って仏壇に手をやり、二つの餅を執って来て、一つを赤鬼の男にやってその一つを己の口に入れた。

 寝ていた本家を起して、すこし都合があるからと、預けてあった金の中から五十両を無理から貰って、急いで我家うちへ帰って来た老婆は、仏壇の間へ入るとともに驚きの声を立てた。老婆の挙動に不審を抱いて、その後から尾行して来た本家の主人は、その声を聞くと家の中へ飛び込んで来た。そこには神楽の衣裳を着た二人の男が、俯向きになって血を吐いて死んでいた。その傍には赤鬼と青鬼の面もあった。
 血を吐いて死んでいた者は、その附近に出没する博徒であった。二人は老婆から金を騙取する目的で、村の鎮守の神庫を破って、其処から神楽の装束を持ち出したものであった。そして、その二人を殺した餅も、やはり金に眼をつけた村の悪漢の所為せいであったが、その悪漢も日ならず村はずれの松並木の下で磔殺たくさつせられた。
 老婆はその夜のうちに孫婿の許へ引移った。





底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
※「私はまた何人だれかと」「庖厨かっての庭から入り」は、底本では「私はまだ何人だれかと」「疱厨かっての庭から入り」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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