您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 田中 貢太郎 >> 正文

円朝の牡丹灯籠(えんちょうのぼたんどうろう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-25 8:41:15  点击:  切换到繁體中文

       一

 萩原新三郎はぎわらしんざぶろう孫店まごだなに住む伴蔵ともぞうれて、柳島やなぎしま横川よこかわへ釣にっていた。それは五月の初めのことであった。新三郎は釣に往っても釣に興味はないので、吸筒すいづつの酒を飲んでいた。
 新三郎は其の数ヶ月ぜん医者坊主いしゃぼうず山本志丈やまもとしじょうといっしょに亀戸かめいどへ梅見に往って、其の帰りに志丈の知っている横川の飯島平左衛門いいじまへいざえもんと云う旗下はたもとの別荘へ寄ったが、其の時平左衛門の一人娘のおつゆを知り、それ以来お露のことばかり思っていたが、一人でお露を尋ねて往くわけにもゆかないので、志丈の来るのを待っていたところで、伴蔵が来て釣に誘うので、せめて外からでも飯島の別荘の容子ようすを見ようと思って、其の朝神田昌平橋かんだしょうへいばしの船宿から漁師を雇って来たところであった。
 新三郎は其のうちに酔って眠ってしまった。伴蔵は日の暮れるまで釣っていたが、新三郎があまり起きないので、
「旦那、お風をひきますよ」
 と云って起した。新三郎はそこで起きておかへ眼をやると、二重の建仁寺垣があって耳門くぐりもんが見えていた。それは確に飯島の別荘のようであるから、
「伴蔵、ちょっと此処ここへつけてくれ、往ってくるところがあるから」
 と云って船をけさして、おかへあがり、耳門くぐりの方へ往って中の容子を伺っていたが、耳門の扉が開いているようであるから思いきって中へ入った。そして、一度来て中の方角は判っているので、赤松の生えた泉水のへりについて往くと、其処に瀟洒しょうしゃな四畳半のへやがあって、蚊帳かやを釣り其処そこにお露があおい顔をして坐っていた。新三郎は跫音あしおとをしのばせながら、折戸の処へ往った。と、お露が顔をあげて此方こっちを見たが、急に其の眼がいきいきとして来た。
「あなたは、新三郎さま」
 お露も新三郎を思って長い間気病きやまいのようになっているところであった。お露はもう慎みを忘れた。お露は新三郎の手をって蚊帳の中へ入った。そして、しばらくくしてお露は、傍にあった香箱を執って、
「これは、お母さまから形見にいただいた大事の香箱でございます、これをどうか私だと思って」
 と云って、新三郎の前へさしだした。それは秋野に虫の象眼の入った見ごとな香箱であった。新三郎は云われるままにそれをもらって其のふたを執ってみた。と、其処へ境のふすまを開けて入って来たものがあった。それはお露の父親の平左衛門であった。二人は驚いて飛び起きた。平左衛門は持っていた雪洞ぼんぼりをさしつけるようにした。
「露、これへ出ろ」それから新三郎を見て、「其の方は何者だ」
 新三郎は小さくなっていた。
「は、てまえは萩原新三郎と申す粗忽そこつものでございます、まことにどうも」
 平左衛門はおこって肩で呼吸いきをしていた。平左衛門はお露の方をきっと見た。
「かりそめにも、天下の直参の娘が、男を引き入れるとは何ごとじゃ、これが世間へ知れたら、飯島は家事不取締とあって、家名を汚し、御先祖へ対してあいすまん、不孝不義のふとどきものめが。手討ちにするからさよう心得ろ」
 新三郎が前へ出た。
「お嬢さまには、すこしもとがはございません、どうぞてまえを」
「いえいえ、わたしが悪うございます。どうぞわたしを」
 お露は新三郎をかばった。平左衛門は刀をいた。
「不義は同罪じゃ、娘からさきへ斬る」
 平左衛門はそう云いながら、いきなりお露の首に斬りつけた。お露の島田首しまだくびはころりと前へ落ちた。新三郎が驚いて前へのめろうとしたところで、其のほおに平左衛門の刀が来た。新三郎は頬からあごにかけて、ずきりとした痛みを感じた。
「旦那、旦那、たいそううなされてますが、おっそろしい声をだして、びっくりするじゃありませんか、もし旦那」
 新三郎は其の声に驚いて眼を開けた。伴蔵が枕頭まくらもとへ来て起しているところであった。新三郎はきょろきょろと四辺あたりを見まわした。
「伴蔵、おれの首が落ちてやしないか」
「そうですねえ、船べりで煙管きせるを叩くと、よく雁首がんくびが川の中へ落ちますよ」
「そうじゃない、俺の首だよ、何処にも傷が附いてやしないか」
「じょうだん云っちゃいけませんよ、何で傷がつくものですか」
 やがて新三郎は船を急がせて帰って来たが、船からあがる時、
「旦那、こんな物が落ちておりますよ」
 と云って、伴蔵のさしだした物を見ると、それはさっき夢の中でお露から貰ったの秋草に虫の象眼のある香箱の蓋であった。

       二

 新三郎は精霊棚しょうりょうだな準備したくができたので、縁側へ敷物を敷き、そして、蚊遣かやりいて、深草形の団扇うちわで蚊を追いながら月を見ていた。それは盆の十三日のことであった。新三郎はその前月、久しぶりに尋ねて来た志丈から、お露がじぶんのことを思いつめて、其のために病気になって死んだと云うことを聞いたので、それ以来お露の俗名ぞくみょうを書いて仏壇に供え、来る日も来る日も念仏を唱えながらうつうつとして過しているところであった。
 と、生垣の外からカラコン、カラコンと云う下駄の音が聞えて来た。新三郎はやるともなしに其の方へ眼をやった。三十位に見える大丸髷おおまるまげ年増としまが、其のころ流行はやった縮緬細工ちりめんざいくの牡丹燈籠を持ち、其の後から文金の高髷たかまげに秋草色染の衣服を、上方風の塗柄ぬりえ団扇うちわを持った十七八に見える※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいな女が、緋縮緬ひぢりめん長襦袢ながじゅばんすそをちらちらさせながら来たところであった。新三郎は其のわかい女に何処かに見覚えのあるような気がするので、伸びあがるようにして月影にすかしていると、牡丹燈籠を持った女が立ちどまって此方こちらを見たが、同時に、
「おや、萩原さま」
 と云って眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはった。それは飯島家のじょちゅうのおよねであった。
「おやお米さん、まあ、どうして」
 新三郎は志丈からお露が死ぬと間もなくお米も死んだと云うことを聞いていたので、ちょっと不思議に思ったが、すぐこれはきっと志丈がいいかげんなことを云ったものだろうと思って、
「まあお入りなさい、其処の折戸をあけて」
 と云うと二人が入って来た。後のわかい女はお露であった。お米は新三郎に、
「ほんとに思いがけない。萩原さまは、お歿くなり遊ばしたと云うことを伺っていたものでございますから」
 と云った。そこで新三郎は志丈の云ったことを話して、
「お二人が歿くなったと云うものだから」
 と云うと、お米が、
「志丈さんがだましたものですよ」
 と云って、それから二人が其処へ来たわけを話した。それによると平左衛門のめかけのおくにが、某日あるひ新三郎が死んだと云ってお露を欺したので、お露はそれをに受けて尼になると言いだしたが、心さえ尼になったつもりでおればいいからと云ってなだめていると、今度は父親が養子をしたらと云いだした。お露はどんなことがあっても婿はとらないと云って聞かなかったので、とうとう勘当同様になり、今では谷中やなか三崎みさきでだいなしのうちを借りて、其処でお米が手内職などをして、どうかこうか暮しているが、お露は新三郎が死んだとのみ思っているので、毎日念仏ばかり唱えていたのであった。そして、お米は、
「今日は盆のことでございますから、彼方此方あっちこっちおまいりをして、おそく帰るところでございます」
 と云った。新三郎はお露が無事でいたのでうれしかった。
「そうですか、私はまた此のとおり、お嬢さんの俗名を書いて、毎日念仏しておりました」
「それほどまでにお嬢さまを」思い出したように、「それでお嬢さまは、たとえ御勘当になりましても、られてもいいから、萩原さまのお情を受けたいとおっしゃっておりますが、今夜お泊め申してもよろしゅうございましょうか」
 それは新三郎も望むところであったが、ただ孫店に住む白翁堂勇斎はくおうどうゆうさいと云う人相観にんそうみが、何かにつけて新三郎の面倒を見ているので、それに知れないようにしなくてはならぬ。

[1] [2] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告