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もの思う葦(ものおもうあし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-24 17:49:06  点击:  切换到繁體中文


     審判

 人を審判する場合。それは自分に、しかばねを、神を、感じているときだ。

     無間むけん奈落

 押せども、ひけども、うごかぬ扉が、この世の中にある。地獄の門をさえ冷然とくぐったダンテもこの扉については、語るを避けた。

     余談

 ここには、「鴎外と漱石」という題にて、鴎外の作品、なかなか正当に評価せられざるに反し、俗中の俗、夏目漱石の全集、いよいよ華やかなる世情、涙出ずるほどくやしく思い、参考のノートや本を調べたけれども、「僕輩」の気折れしてものにならず。この夜、一睡もせず。朝になり、ようやく解決を得たり。解決にいわく、時間の間題さ。かれら二十七歳の冬は、云々。へんに考えつめると、いつも、こんな解決也。
 いっそ、いまは記者諸兄と炉をかこみ、ジャアナルということの悲しさについて語らん
 私は毎朝、新聞紙上で諸兄の署名なき文章ならびに写真を見て、かなしい気がする。(ときたま不愉快なることもあり。)これこそ読み捨てられ、見捨てられ、それっきりのもののような気がして、はかなきものを見るもの哉と思うのである。けれども、「これが世の中だ」とささやかれたなら、私、なるほどとうなずくかもしれぬ気配をさえ感じている。ゆく水は二度とかえらぬそうだ。せいせいるてんという言葉もある。この世の中に生れて来たのがそもそも、間違いの発端と知るべし。

     Alles Oder Nichts

 イブセンの劇より発し少しずつヨオロッパ人のくちに上りしこの言葉が、流れ流れて、今では、新聞当選のたよりげなき長編小説の中にまで、易々やすやすとはいりこんでいたのを、ちらと見て、私自身、嘲弄ちょうろうされたと思いこみむっとなった。私の思念の底の一すじのせんかんたる渓流もまた、この言葉であったのだから。
 私は小学校のときも、中学校のときも、クラスの首席であった。高等学校へはいったら、三番に落ちた。私はわざと手段を講じてクラスの最下位にまで落ちた。大学へはいり、フランス語が下手で、屈辱の予感からほとんど学校へ出なかった。文学に於いても、私は、誰のあなどりも許すことが出来なかった。完全に私の敗北を意識したなら、私は文学をさえ、止すことが出来る。
 けれども私は、或る文学賞の候補者として、私に一言の通知もなく、そうして私が蹴落されていることまで、附け加えて、世間に発表された。人おのおの、不抜の自尊心のほどを、思いたまえ。しかるに受賞者の作品を一読するに及び、告白すれば、私、ひそかに安堵あんどした。私は敗北しなかった。私は書いてゆける。誰にも許さぬ私ひとりの路をあるいてゆける確信。
 私、幼くして、峻厳酷烈しゅんげんこくれつなる亡父、ならびに長兄に叩きあげられ、私もまた、人間として少し頑迷なるところあり、文学に於いては絶対に利己的なるダンディスムを奉じ、十年来の親友をも、みだりに許さず、死して、なお、旗を右手に歯ぎしりしつつちまたをよろばいあるくわが身の執拗しつようなるごうをも感じて居るのだ。一朝、生活にことやぶれ、万事窮したる揚句あげくの果には、耳をつんざく音と共に、わが身は、酒井真人と同じく、「文芸放談」。どころか、「文芸糞談ふんだん」。という雑誌を身の生業なりわいとして、石にかじりついても、生きのびて行くやも知れぬ。秀才、はざま貫一、勉学を廃止して、ゆたかな金貸し業をこころざしたというテエマは、これは今のかずかずの新聞小説よりも、いっそう切実なる世の中の断面を見せてれる。
 私、いま、自らすすんで、君がかなしき藁半紙わらばんしに、わが心臓つかみ出したる詩を、しるさむ。私、めったの人には断じて見せなかった未発表の大事の詩一篇。
 附言する。われ藁半紙のゆえにのみしるす也と思うな。原稿用紙二枚に走り書きしたる君のお手紙を読み、わば、屑籠くずかごの中のはちすを、確実に感じたからである。君もまたクライストのくるしみを苦しみ、凋落ちょうらくのボオドレエルの姿態に胸を焼き、焦がれ、たしかに私と甲乙なき一二の佳品かきたることあるべしと推量したからである。ただし私、書くこと、この度一回に限る。私どんなひとでも、馴れ合うことは、いやだ。
  因果
  射的を
  好む
  頭でっかちの
  弟。
  兄は、いつでも、生命を、あげる。

     葦の自戒

 その一。ただ、世の中にのみ眼をむけよ。自然の風景に惑溺わくできして居る我の姿を、自覚したるときには、「われ老憊ろうばいしたり。」と素直に、敗北の告白をこそせよ。
 その二。おなじ言葉を、必ず、二度むしかえして口の端に出さぬこと。
 その三。「未だし。」

     感想について

 感想なんて! まるい卵もきりようひとつで立派な四角形になるじゃないか。伏目がちの、おちょぼ口を装うこともできるし、たったいまたかまが原からやって来た原始人そのままの素朴の真似もできるのだ。私にとって、ただ一つ確実なるものは、私自身の肉体である。こうして寝ていて、十指を観る。うごく。右手の人差指。うごく。左の小指。これも、うごく。これを、しばらく、見つめて居ると、「ああ、私は、ほんとうだ。」と思う。他は皆、なんでも一切、千々ちぢにちぎれ飛ぶ雲の思いで、生きて居るのか死んで居るのか、それさえ分明しないのだ。よくも、よくも! 感想だなぞと。
 遠くからこの状態を眺めている男ひとり在りて曰く、「たいへん簡単である。自尊心。これ一つである。」

     すらだにも

 金槐集きんかいしゅうをお読みのひとは知って居られるだろうが、実朝さねとものうたの中に、「すらだにも。」なる一句があった。前後はしかと覚えて居らぬが、あわれ、けだものすらだにも、云々というような歌であった。
 二十代の心情としては、どうしても、「すらだにも。」といわなければならぬところである。ここまで努めて、すらだにも、と口に出したくなって来るではないか。実朝を知ること最も深かった真淵まぶち、国語をまもる意味にて、この句を、とらず。いまになりては、いずれもきことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。

     慈眼

「慈眼。」というのは亡兄の遺作(へんな仏像)に亡兄みずから附したる名前であって、その青色の二尺くらいの高さの仏像は、いま私の部屋の隅に置いて在るが、亡兄、二十七歳、最後の作品である。二十八歳の夏に死んだのだから。
 そういえば、私、いま、二十七歳。しかも亡兄のかたみの鼠色のしまの着物を着て寝て居る。 二三年まえ、罪なきものをなぐり、ちらかして、馬の如くちまたを走り狂い、いまもなお、ときたま、余燼よじんばくはつして、とりかえしのつかぬことをしてしまうのである。どうにでもなれと、一日一ぱいふんぞりかえって寝て居ると、わが身に、慈眼の波ただよい、言葉もなく、にこやかに、所謂いわゆるえびす顔になって居る場合が多い。われながら、まるでたわいがないのだ。
 この項、これだけのことで、読者、不要の理窟を附さぬがよい。

     重大のこと

 知ることは、最上のものにあらず。人智には限りありて、上は――氏より、下は――氏にいたるまで、すべて似たりよったりのものと知るべし。
 重大のことは、ちからであろう。ミケランジェロは、そんなことをせずともよい豊かな身分であったのに、人手は一切借りず何もかもおのれひとりで、大理石塊を、山から町の仕事場までひきずり運び、そうして、からだをめちゃめちゃにしてしまった。
 附言する。ミケランジェロは、人を嫌ったから、あんなに人に嫌われたのだそうである。

     敵

 私をしんに否定し得るものは、(私は十一月の海を眺めながら思う。)百姓である。十代まえからの水呑百姓、だけである。
 丹羽文雄、川端康成、市村羽左衛門、そのほか。私には、かぜ一つひいてさえ気にかかる。

 追記。本誌連載中、同郷の友たる今官一君の「海鴎の章。」を読み、その快文章、私の胸でさえ躍らされた。このみごとなる文章の行く先々を見つめ居る者、けっして、私のみに非ざることを確信して居る。

     健康

 なんにもしたくないという無意志の状態は、そのひとが健康だからである。少くとも、ペエンレッスの状態である。それでは、上は、ナポレオン、ミケランジェロ、下は、伊藤博文、尾崎紅葉にいたるまで、そのすべての仕事は、みんな物狂いの状態から発したものなのか。しかり。間違いなし。健康とは、満足せる豚。眠たげなポチ。

     K君

 おそるおそる、たいへんな秘密をさぐるが如き、ものものしき仕草で私に尋ねた。「あなたは、文学がお好きなのですか。」私はだまって答えなかった。面貌だけは凛乎りんこたるところがあったけれど、なんの知識もない、十八歳の少年なのである。私にとって、唯一無二の苦手であった。

     ポオズ

 はじめから、空虚なくせに、にやにや笑う。「空虚のふり。」

     絵はがき

 この点では、私と山岸外史とは異るところがある。私、深山のお花畑、初雪の富士の霊峰。白砂にい、ひろがれる千本松原、または紅葉に見えかくれする清姫滝、そのような絵はがきよりも浅草仲店の絵はがきを好むのだ。人ごみ。喧噪けんそう。他生の縁あってここにつどい、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運命開拓の手段を、あれこれと考えて歩いている。私には、この千に余る人々、誰ひとりをも笑うことが許されぬ。それぞれ、努めて居るにちがいないのだ。かれら一人一人の家屋。ちち、はは。妻と子供ら。私は一人一人の表情と骨格とをしらべて、二時間くらいの時を忘却する。

     いつわりなき申告

 黙然たる被告は、突如立ちあがって言った。
「私は、よく、ものごとを識っています。もっと識ろうと思っています。私は卒直であります。卒直に述べようと思っています。」
 裁判長、傍聴人、弁護士たちでさえ、すこぶる陽気に笑いさざめいた。被告は坐ったまま、ついにその日一日おのれの顔を両手もて覆っていた。夜、舌を噛み切り、冷くなった。

     乱麻らんまを焼き切る

 小説論が、いまのように、こんぐらかって来ると、一言、もっこれおおいたくなって来るのである。フランスは、詩人の国。十九世紀の露西亜ロシアは、小説家の国なりき。日本は、古事記。日本書紀。万葉の国なり。長編小説などの国にはあらず。小説家たる君、まず異国人になりたまえ。あれも、これも、と工合ぐあいには、断じていかぬよう也。君の兄たり友たり得るもの、プウシキン、レエルモントフ、ゴオゴリ、トルストイ、ドストエフスキイ、アンドレエフ、チエホフ、たちまち十指にあまる勢いではないか。

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