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パンドラの匣(パンドラのはこ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-22 9:25:11  点击:  切换到繁體中文


     2

 君のお手紙では、君は、ばかに竹さんを弁護しているようじゃないか。そんなに好きなら、竹さんに君から直接、手紙でも出すがよい。いや、それよりも、まあ、いちどってごらん。そのうち、おひまの折に、僕を見舞いに、ではなくて竹さんを拝見しに、この道場へおいでになるといい。拝見したら、幻滅しますよ。何せ、どうにも、立派な女なのだから。腕力だって、君より強いかも知れない。お手紙にると、君は、マア坊が泣いた事なんか、少しも問題ではないが、竹さんの、「うち、気がもめる」が、大事件だ、というお説のようだが、それは僕だって考えてみたさ。マア坊が僕のところへ来て、なやみがあるのよ、なんて言って泣いた事に就いて、「うち、気がもめる」というのは、すなわち、竹さんが僕に前から思召おぼしめしがある証拠ではなかろうか、とばかな自惚うぬぼれを起したいところだが、僕には、みじんもそんな気持が起らない。竹さんは、なりばかり大きくて、ちっともお色気の無い人だ。いつも仕事に追われて、ほかの事など、考えているひまも無いようなたちの人なんだ。助手の組長という重責に緊張して、甲斐々々かいがいしく立働いているというだけの人なんだ。竹さんが、その前夜、マア坊をしかった。叱ったところが、マア坊はひどくしょげて、泣いたりしているという事を、他の助手から聞いて、それでは自分の叱り方が少し強すぎたのかしらと反省して、そうして心配になって来て、「うち、気がもめる」という事になった、というのがこの場合、すこぶる野暮ったいけれども、しかし、最も健全な考え方だと思われる。それに違いないのだ。女なんて、どうせ、自分自身の立場の事ばかり考えているものさ。あたらしい男は、女に対して、ちっとも自惚れていないのだ。また、好かれるという事も無いんだ。さっぱりしたものだ。
「うち、気がもめる」と言って、竹さんは顔を赤くしたけれども、あれは、マア坊を叱った事に就いて気がもめる、という意味で、ふいと言ったその言葉が、案外の妙な響きを持っている事にはっと気づいて、少し自分でまごついて顔を赤くしたというだけの事で、なんという事もない。きわめて、つまらぬ事だ。そうして、あの日、マア坊が僕のところで泣いた事や、また、気がもめるの事にしても、或いは、ごはん一杯ぶんの贔屓ひいきの事にしろ、あの日の全部の変調子を解くために、是非とも考慮に入れて置かなければならぬ重大な事実が一つあるのだ。それは、鳴沢イト子の死である。鳴沢さんは、その前夜に死んだのだ。笑い上戸じょうごのマア坊が叱られたのもそれでわかる。助手たちは、鳴沢イト子と同様の、若い女だ。衝動も強かったのでは、あるまいか。女には、未だ、古くさい情緒みたいなものが残っている。さびしくて戸まどいして、そうして、ごはん一杯ぶんの慈善なんて、へんな情緒を発揮したのではあるまいか。とにかく、あの日の、みんなの変調子は、鳴沢イト子の死と強くむすびついているようだ。マア坊も、竹さんも、別段、僕に思召しがあるわけじゃないんだ。冗談じゃない。
 どうだ、君、わかったかい。これでも、君は、竹さんを好きかい。まあいちど道場へ御出張になって、実物を拝見なさる事だ。竹さんよりは、マア坊のほうが、まだしも感覚の新しいところがあって、いいように僕には思われるのだが、君は、ひどくマア坊をきらいらしいね。考え直したらどうかね。マア坊には、やっぱり、ちょっといいところがあるんだぜ。おとといであったか、マア坊が、とても気だてのよいところを見せてくれて、僕は、にわかにまたマア坊を見直したというわけだが、きょうは一つその事の次第を御紹介しましょう。君も、きっと、マア坊を好きになるだろうと思う。

     3

 おととい、同室の西脇にしわきつくし殿が、いよいよ一家内の都合でこの道場を出る事になって、ちょうどその日がマア坊の公休日とかに当っているのだそうで、それで、つくしをE市まで送って行く約束をしたとか、その前の日あたりからマア坊は塾生たちに大いにからかわれて、お土産をたのむ、とほうぼうから強迫されて、よし心得た、と気軽に合点々々していたが、おとといの朝早く、久留米絣くるめがすりのモンペイをはいて、つくし殿のあとを追っていそいそ出かけ、そうして午後の三時ごろ、僕たちが屈伸鍛錬をはじめていたら、こいしい人と別れて来たひとらしくもなく、にこにこ笑いながら帰って来て、部屋々々をまわって約束のお土産を塾生たちにくばって歩いていた。
 いまのような手不足の時代には、かなりの暮しをしている家の娘でも、やはり家を出て働かなければならぬ様子だが、マア坊なども、どうやらその組らしく、仕事も遊び半分のようだし、そのくせポケットの温かなせいか、いつもなかなか気前がよく、それがまた塾生たちの人気の原因の一つになっているようで、こんな時のお土産だって、かなり贅沢ぜいたくだ。お土産は、どこでどんな具合いに入手したのか、一寸に二寸くらいのおもちゃの鏡だ。裏に映画女優の写真がられてある。昔は、こんなものは、駄菓子屋だがしやの景物などに、ただでくれたしろものだが、いまはこんなものでも、買うとなると決して安くないだろう。どこかの駄菓子屋かおもちゃ屋のストックを、そんなに数十枚も買って帰ったのかも知れないが、とにかく、いかにもマア坊らしい思いつきのお土産だ。塾生たちには、裏の映画女優の写真がいたくお気に召した様子で、たいへんな騒ぎ方だ。かっぽれも一枚もらった。僕は、女からものをもらうのは、いやだから、はじめからお土産の強迫などもしなかったし、また、みんなと同じおもちゃの懐中鏡一枚の恩恵に浴したところで、つまらない事だと思っていたし、マア坊が僕たちの部屋へやって来て、かっぽれに鏡を手渡し、
「かっぽれさんは、この女優を知ってる?」
「知らねえが、べっぴんだ。マア坊にそっくりじゃないか。」
「あら、いやだ。ダニエル・ダリュウじゃないの。」
「なんだ、アメリカか。」
「ちがうわよ、フランスのひとよ。ひところ東京では、ずいぶん人気があったのよ。知らないの?」
「知らねえ。フランスでも何でも、とにかくこれは返すよ。毛唐けとうはつまらねえ。日本の女優の写真とかえてくれねえか。あい願わくば、そうしてもらいたい。こいつは、向うの小柴こしばのひばりさんにでもあげるんだね。」
「ぜいたく言ってる。特別に、あなただけに差上げるのよ。ひばりには、いや。意地わるだから、いや。」
「どうだかね。ではまあ、いただいて置きましょう。ダニエ?」
「ダニエルよ。ダニエル・ダリュウ。」
 そんな二人の会話を聞いて、僕はにこりともせず屈伸鍛錬を続けていたが、さすがに面白おもしろくなかった。僕がそんなにマア坊にきらわれていたのか。好かれているとは、もちろん思っていなかったが、こんなに僕ひとり憎まれてきらわれているとは思い及ばなかった。自分の地位を最低のところに置いたつもりでいても、まだまだ底には底があるものだ。人間は所詮しょせん、自己の幻影に酔って生きているものであろうか。現実は、きびしいと思った。いったい僕の、どこがいけないのだろう。こんど一つマア坊に、真面目まじめに聞いてみようと思った。そうして、機会は、案外早くやって来た。

     4

 その日の四時すぎ、自然の時間に、僕はベッドに腰かけてぼんやり窓の外をながめていたら、白衣に着かえたマア坊が、洗濯物せんたくものを持ってひょいと庭に出て来た。僕は思わず立ち上り、窓から上半身乗り出して、
「マア坊。」と小さい声で呼んだ。
 マア坊は振向き、僕を見つけて笑った。
「土産をくれないの?」と言ってみた。
 マア坊は、すぐには答えず、四辺を素早く身廻した。誰か見ていないかと、あたりに気をくばるような具合いであった。道場は、いま安静の時間である。しんとしていた。マア坊は、こわばったような笑い方をして、ちょっとてのひらを口の横にかざし、あ、と大きく口をあけ、それから口をとがらせてあごをひき、その次に、口を半分くらいひらいてこっくり首肯うなずき、それから口を三分の二ほどひらいてまた、こっくり首肯いた。声を全然出さず、つまり口の形だけで通信しているのである。僕には、すぐにわかった。
「ア、ト、デ、ネ」と言っているのだ。
 すぐにわかったけれども、わざと、同じ様に口の形だけで、「ア、ト、デ?」と聞きかえすと、もう一度、「ア、ト、デ、ネ」を一字一字区切って、子供がこっくりこっくりをするような身振りで可愛かわいく通信してみせて、それから、口の横にかざしていた掌を、内緒、内緒、とでもいうように小さく横に振って、肩をきゅっとすくめて笑い、小走りに別館のようへ走って行った。
「あとでね、か。案ずるより生むがやすし、だ。」そんな事を心の中でつぶやき、僕は、どさんとベッドに寝ころがった。僕のよろこびに就いては説明する必要もあるまい。すべて、御賢察にまかせる。
 そうして、きのうの夜の摩擦の時、僕はマア坊から、その「アトデネ」のお土産をもらった。きのうの朝から、時々、マア坊は、エプロンの下に何か隠しているようなふうで、意味ありげに廊下をうろついて、ひょっとしたら、あのエプロンの下に僕へのお土産を忍ばせてあるのではあるまいかとも思っていたのだが、図々ずうずうしくこちらから近寄って手を差しのべ、「どうしたの?」などと逆襲されると、これはまた大恥辱であるから、僕は知らん顔をしていたのだ。けれども、やっぱり、それは僕への贈物であったのだ。
 昨夜の七時半の摩擦は、約一週間ぶりでマア坊の番に当って、マア坊は左手に金盥かなだらいをかかえ、右手をエプロンの下に隠し、にやりにやりと笑いながらやって来て、僕のベッドの側にしゃがみこんで、
「意地わる。取りに来ないんだもの。けさから何度も廊下で待っていたのに。」
 そう言ってベッドの引出しをあけ、素早くエプロンの下の品物をその中に滑り込ませて、ぴったり引出しをしめ、
「言っちゃ、いやよ。誰にも、言っちゃいやよ。」
 僕は寝ながら二度も三度も小さく首肯いた。摩擦に取りかかって、
「ひばりの摩擦は、久しぶりね。なかなか番が廻って来ないんだもの。お土産を渡そうとしても、どうしたらいいのか、困ったわ。」
 僕は自分の首のところに手をやって、結ぶ真似まねをして、ネクタイか? という意味の無言の質問をすると、
「ううん。」と下唇したくちびるを突き出して笑って否定し、「ばかねえ。」と小声で言った。
 実際、ばかだ。僕には、背広さえ無いのに、何だってまた、ネクタイなんて妙なものを考えたのだろう。われながら、おかしい。或いは、あの小さい懐中鏡から無意識にネクタイを聯想れんそうしたのかも知れない。

     5

 僕は、こんどは右手で、ものを書く真似をして、万年筆か? という意味の質問をしてみた。実に僕は勝手な男だ。僕の万年筆がこの頃はどうも具合が悪いので、あたらしいのが欲しいという意識が潜在していたらしく、ついこんな時ひょいと出る。僕は内心、自分の図々しさにあきれたよ。
「ううん。」マア坊は、やっぱり首を横に振って否定する。まるでもう、見当がつかない。
「ちょっと、地味かも知れないけど、人にやったりしないでね。お店に、たった一つ残っていたのよ。飾りも、ちっとも上等でないけど、ここを出てから持って歩いてね。ひばりは紳士だから、きっと要るわよ。」
 いよいよ、わからなくなった。まさか、ステッキじゃあるまい。
「とにかく、ありがとう。」僕は寝返りを打ちながら言った。
「何を言ってるの。ぼんやりねえ、この子は。さっさと早くなおって、いなくなるといい。」
「おおきに、お世話だ。いっそ、ここで、死んでやろうかね。」
「あら、だめよ。泣くひとがあるわ。」
「マア坊かい?」
「しょってるわ。泣くもんですか。泣くわけがないじゃないの。」
「そうだろうと思った。」
「あたしが泣かなくたって、ひばりには、泣いてくれる人がいくらでもあるわ。」ちょっと考えてから、「三人、いや、四人あるわ。」
「泣くなんて、意味が無い。」
「あるわよ、意味があるわよ。」と強く言い張って、それから僕の耳元に口を寄せて、「竹さんでしょう? キントトでしょう? たまねぎでしょう? カクランでしょう?」と一人々々左手の指を折って数え上げて、「わあい。」と言って笑った。
「カクランも泣くのか。」僕も笑った。
 その夜の摩擦はたのしかった。僕も以前のように、マア坊に対して固くなるような事はなく、いまでは何だか皆を高所から見下しているような涼しい余裕が出来ていて、自由に冗談も言えるし、これもつまり、女に好かれたいなどという息ぐるしい慾望よくぼうを、この半箇月ほどの間に全部あっさり捨て去ったせいかも知れぬが、自分でも不思議なほど、心に少しのこだわりも無く楽しく遊んだのだ。好くも好かれるも、五月の風に騒ぐ木の葉みたいなものだ。なんの我執も無い。あたらしい男は、またひとつ飛躍をしました。
 その夜、摩擦がすんで、報告の時間に、アメリカの進駐軍がいよいよこの地方にも来るという知らせを、拡声機を通して聞きながら、ベッドの引出しをさぐり、マア坊の贈物を取り出し、包をほどいた。
 三寸四方くらいの小さい包で、中には、シガレットケースが入っていた。「ここを出てから持って歩いてね、ひばりは紳士だから、きっと要るわよ」という先刻の不可解な言葉の意味も、これでわかった。
 それを箱から出して、ちょとひっくりかえしたりして見ているうちに、僕は何だかひどく悲しくなって来た。うれしくないのだ。あながち、世間のニュウスのせいばかりでも無かったようだ。

     6

 それは、ステンレッスというのか、ケーキナイフなどに使ってあるクロームのような金属で出来た銀色の、平たいケースである。ふたには薔薇ばらつるを図案化したような、こんがらかった細い黒い線の模様があって、その蓋の縁には小豆色のエナメルみたいなものが塗られてある。このエナメルが無ければよいのに、このエナメルの不要な飾りのために、マア坊の言うように、「ちょっと地味」だし、また「ちっとも上等でなく」なっている。でもまあ、せっかくマア坊が買って来てくれたのだから、とにかく大事にしまって置くべきであろう。
 どうも、しかし、愉快でない。もらって、こんな事を言うのはいけないが、本当にちっともうれしくないのだ。よその女のひとから、ものをもらうのは、はじめての経験であるが、実に妙に胸苦しくていけないものだ。はなはだ後味のわるいものだ。僕は、引出しの奥の一ばん底に、ケースを隠した。早く忘れてしまいたい。
 ケースには、僕も、少し閉口して、持てあましの形だが、しかし、こんな経緯にって、マア坊のよさを少しでも君にわかってもらいたくて、以上、御報告の一文をしたためた次第だ。どうだね、少しはマア坊を見直したかね。やっぱり、竹さんのほうがいいかね。御感想をお聞かせ下さい。
 きょうは、つくしのベッドに、隣りの「白鳥の間」の固パンが移って来た。姓名は須川五郎すがわごろう、二十六歳。法科の学生だそうで、なかなかの人気者らしい。色浅黒く、まゆが太く、眼はぎょろりとしてロイド眼鏡をかけて、鷲鼻わしばなで、あまり感じはよくないが、それでも、助手さんたちから、大いに騒がれているのだそうだ。どうも、男から見ていやなやつほど、女に好かれるようだ。固パンの出現に依って、「桜の間」の空気も、へんにしらじらしいものになって来た。かっぽれは、既に少し固パンに対して敵意を抱いているようだ。きょうの夕食前の摩擦の時にも、助手さんたちは固パンに向って英語を色々たずねて、
「ねえ、教えてよ。ごめんなさいね、ってのは英語でどういうの。」
「アイ、ベッグ、ユウア、パアドン。」固パンは、ひどく気取って答える。
「覚えにくいわ。もっと簡単な言いかたが無いの?」
「ヴェリイ、ソオリイ。」実に気取って言う。
「それじゃあね。」と別な助手さんが、「どうぞお大事にね、ってことを何というの?」
「プリイズ、テッキャア、オブ、ユアセルフ。」 take care を、テッキャアと発音する。なんとも、どうも、きざな事であった。
 助手さんたちは、それでも大いに感心して聞いている。かっぽれには、僕以上に固パンの英語がかんにさわるらしく、小さい声でれいの御自慢の都々逸どどいつ
『末は博士か大臣か、よしな書生にゃ金が無い』とかいうのを歌ったりして、とにかく、さかんに固パンを牽制けんせいしようとあせっている様子であった。
 僕はしかし、元気だ。きょう体重をはかったら、四百もんめちかく太っていた。断然、好調である。
  九月十六日

   衛生について


     1

 こないだから、女の事ばかり書いて、同室の諸先輩に就いての報告を怠っていたようだから、きょうは一つ「桜の間」の塾生じゅくせいたちの消息をお伝え申しましょう。きのう「桜の間」では喧嘩けんかがあった。とうとう、かっぽれが固パンに敢然と挑戦ちょうせんしたのだ。
 原因は梅干である。
 それがはなはだ、どうにもややこしい話なのである。かっぽれには、かねて、瀬戸の小鉢こばちがあって、それに梅干をいれて、ごはんの度に、ベッドの下の戸棚とだなから取出しては梅干をつついていた。けれども、このごろ、その梅干にかびが生えはじめた。かっぽれは、これはれ物の悪いせいではあるまいかと考えた。小鉢のふたがよく合わぬので、そこから細菌が忍び入り、このようにかびが生える結果になったのに違いないと考えた。かっぽれは、なかなか綺麗きれい好きなひとなんだ。どうにも気になる。何かよい容れ物があるまいかと、かっぽれは前から思案にくれていたというような按配あんばいなのだ。ところが、きのうの朝食の時、お隣りの固パンがやはり、食事の度毎たびごとに持出していたらっきょうのびんが、ちょうど空いたのを、かっぽれは横目で見とどけ、あれがいいと思った。口も大きいし、そうして、しっかりせんも出来る。いかなる細菌も、あの瓶の中には忍び込む事が出来まい。もう空いたのだから、固パンも気軽く貸してくれるだろう。固パンに頭を下げるのはしゃくだが、でも、細菌を防ぐためには、どうしてもあのらっきょうの瓶が必要である。衛生を重んじなければならぬ。そう思って、かっぽれは、食事がすんでから、おそるおそる固パンに空瓶の借用を申し出た。
 固パンは、かっぽれの顔をまっすぐに見て、
「こんなものを、どうするのです。」
 その言い方が、かっぽれに、ぐっと来たというのである。前からこの二人の間には暗雲が低迷していたのである。かっぽれは、この健康道場第一等の色男をもって任じていたのに、最近にいたって固パンがめきめき色男の評判を高めて、かっぽれの影は薄くなり、むしゃくしゃしていた矢先だったのである。
「こんなもの? 須川さん、そんな言い方をしてもいいのですか。」かっぽれの言い方も妙である。
「なぜ、いけないのです。」固パンは、にこりともしない。どうにも堅くるしく、気取っている男なのである。
「わかりませんかねえ。」かっぽれは、少しおされ気味になって、にやにやと無理に笑って、「私があなたから、まさか、豚のしっぽを借りようとしたわけではなし、こんなもの、とにべもなく言われては、私の立つ瀬が無くなります。」いよいよ妙だ。
「僕は豚のしっぽなんて事は言いません。」
「わからない人だね。」かっぽれは、少しすごくなった。「かりにお前さんが、豚のしっぽと言わなくたって、こちとらには、ぴんと来るんだから仕様がねえじゃないか。馬鹿ばかにしなさんな。大学生だって左官だって、同じ日本国の臣民じゃないか。よくもおれを、豚のしっぽみたいに扱いましたね。おれが豚のしっぽなら、お前さんは、とかげのしっぽだ。一視同仁というものだ。おれには学はねえが、それでも衛生を尊ぶ事だけは、知っているのだ。人間、衛生を知らなけれゃ、犬畜生と同じわけのものなんだ。」
 何が何だか、さっぱりわけのわからない口説くぜつになって来た。

     2

 固パンは一向それに取合わず、両手を頭のうしろに組んで、仰向にベッドの上に寝ころがった。度胸のある男のように見えた。かっぽれは、ベッドの上にあぐらをいて、からだを前後左右にゆすぶり、腕まくりするやら、自分のひざを自分のこぶしでぽんぽんたたくやら、しきりにやきもきして、
「え、おい、聞いているのですか、そこな大学生。まさか柔道を使やしねえだろうな。大学生には時たまあれを使うやつがあるから恐れいる。あいつぁ、ごめんだぜ。いいかい、はっきり言って置くけど、この道場は、柔道の道場でもなければ、また、色男修行の道場でもないんですぜ。場長の清盛きよもりも、こないだの講話で言っていた。諸君は選手である。結核の必ず全治するという証拠を、日本全国に向って示すところの選手である。切に自重を望む、と言いましたがね。おれはあの時、涙が出たね。男子、義を見てせざれば勇なきなり、というわけのものだ。勇に大勇あり小勇あり、ともいうべきわけのところだ。だから、人間、智仁勇、この三つが大事というわけになるんだ。女にもてるなんて、問題になるわけのものじゃ決してないんだ。」ほとんど支離滅裂である。それでも、かっぽれは顔を青くしてさらに声を張り上げ、「だから、それだから、衛生が大事だというわけの事に自然になって行くんだ。常に衛生、火の用心というのは、だから、そこのところを言ってると思うんだ。いやしくも一個の人間を豚のしっぽとくらべられるわけのものじゃ絶対に無いんだ。」
「やめろ、やめろ。」と越後獅子えちごじしが仲裁にはいった。越後獅子は、それまでベッドの上に黙って寝ころんでいたのだが、その時むっくり起きてベッドから降り、かっぽれのうしろから肩を叩いて、やめろやめろ、とちょっと威厳のある口調で言ったのである。
 かっぽれは、くるりと越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子のふところに顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。廊下には、ほかの部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴どなった。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」とうなって、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復かいふくして、「芝居の作用だ。」と叫んだ。
 芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券こけんにかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
 かっぽれは、それこそ親獅子のふところにかき抱かれている児獅子こじしというような形で、顔を振り振り泣きじゃくり、はっきり聞きとれぬような、ろれつのまわらぬ口調で、くどくどと訴えはじめた。

     3

「おれは、生れてから、こんな赤恥をかいた事はねえのだ。育ちが、悪くねえのです。おれは、おやじにだって殴られた事はねえのだ。それなのに、豚のしっぽ同然にあしらわれて、はらわたが煮えくりかえって、おれは、すじみちの立った挨拶あいさつを仕様と思って、一ばんいい事ばかり言ったのです。一ばんいいところばかり選んで言おうと思ったんだ。本当に、おれは、一ばんのいい事だけを言ってやったつもりなんだ。それなのに、それを、ベッドに寝ころがって知らん振りして、なんだ、あの態度は! くやしくて、残念でならねえのです。なんだ、あの態度は! ひとが一ばんいい事を言っているのに、あの態度は! つくづく世間が、イヤになった。ひとが一ばんいい事を、――」
 だんだん同じ様な事ばかり繰り返して言うようになった。
 越後は、かっぽれをそっとベッドに寝かせてやった。かっぽれは、固パンのほうに背を向けて寝て、顔を両手でおおって、しばらくしゃくり上げていたが、やがて眠ったみたいに静かになった。八時の屈伸鍛錬の時間になっても、その形のままで、じっとしていた。
 実に妙な喧嘩であった。けれども、昼食の頃にはもう、もとの通りのかっぽれさんにかえっていて、固パンが、れいのらっきょうの空瓶を綺麗に洗って来て、どうぞ、と言って真面目まじめに差出した時にも、すみません、とぴょこんとお辞儀をして素直に受け取り、そうして昼食がすんでから、梅干を一つずつ瀬戸の小鉢から、らっきょうの瓶に、たのしそうに移していた。世の中の人が皆、かっぽれさんのようにあっさりしていたら、この世の中も、もっと住みよくなるに違いないと思われた。
 喧嘩の事に就いては、これくらいにして、ついでにもう一つ簡単な御報告がある。
 きょうの午後の摩擦は、竹さんだった。僕は、竹さんに君のことを少し言った。
「竹さんを、とても好きだと言っている人があるんだけど。」
 竹さんは、摩擦の時には、ほとんど口をきかない。いつも黙って涼しく微笑ほほえんでいる。
「マア坊なんかより、竹さんのほうが十倍もいいと言ってた。」
だれや。」沈黙女史も、つい小声で言った。マア坊よりもいい、というほめ方が、いたく気にいった様子である。女って、あさはかなものだ。
「うれしいかい?」
「好かん。」竹さんはそう一こと言ったきりで、シャッシャッと少し手荒く摩擦をつづける。まゆをひそめて、不機嫌ふきげんそうな顔だ。
「怒ったの? そのひとは、本当にいいやつなんだがね。詩人だよ。」
「いやらしい。ひばりは、このごろ、あかんな。」左の手の甲で自分の額の汗をぬぐって言った。
「そうかね、それじゃもう教えない。」
 竹さんは黙っていた。黙って摩擦をつづけた。摩擦がすんで引きあげる時に、竹さんはおくれ毛をき上げて、妙に笑い、
「ヴェリイ、ソオリイ。」と言った。
 ごめんなさいね、って言ったつもりなんだろう。ちょっと竹さんも、わるくないね。どうだい、君、そのうちにひまを見て、当道場へやって来ないか。君の大好きな竹さんを見せてあげますよ。冗談、失礼。朝夕すずしくなりました。常に衛生、火の用心とはここのところだ。僕と二人ぶんの御勉強おねがい申し上げます。
  九月二十二日

   コスモス


     1

 さっそくの御返事、たのしく拝読いたしました。高等学校へはいると、勉強もいそがしいだろうに、こんなに長い御手紙を書くのは、たいへんでしょう。これからは、いちいちこんな長い御返事の必要はありません。勉強のさまたげになるのではないかと、それが気になります。
 竹さんに、あんな事を言うとはけしからぬとのおしかり。おそれいりました。けれども、「もう僕は君をお見舞いに行けなくなった」というお言葉には賛成いたしかねます。君も、ずいぶん気が小さい。こだわらずに、竹さんに軽く挨拶あいさつ出来るようでなければ、新しい男とは言えません。色気を捨てる事ですね。詩三百、思いよこしま無し、とかいう言葉があったじゃありませんか。天真爛漫らんまんを心掛けましょう。こないだお隣りの越後獅子えちごじしに、
「僕の友だちで、詩の勉強をしている男があるんですが、」と言いかけたら、越後は即座に、
「詩人は、きざだ。」と乱暴極まる断定を下したので、僕は少しむっとして、
「でも、詩人は言葉を新しくすると昔から言われているじゃありませんか。」と言い返した。越後獅子は、にやりと笑って、
「そう。こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と無雑作に答えたが、越後も、ちょっと、あなどりがたい事を言うと思った。賢明な君の事だから、すでにお気づきの事と思いますが、どうか、これからは、詩の修行はもとより、何につけても、君の新しい男としての真の面目を見せて下さるよう、お願いします。なんて、妙に思いあがった、先輩ぶった言い方をしましたが、なに、竹さんなんかの事は気にするな、というだけの事なんだ。勇気を出して、当道場を訪問して、竹さんをひとめ見るといい。現物を見ると、君の幻想は、たちまち雲散霧消する。何せもうただ立派で、そうして大鯛おおだいなんだからね。それにしても君は、ずいぶん竹さんに打ち込んだものだね。僕があれほど、マア坊の可愛かわいらしさを強調して書いてやっても、「マア坊とやらいう女性などは、出来そこないの映画女優のごとく」なんておっしゃって、一向にみとめてはくれず、ひたすら竹さん竹さんなんだから恐れいりました。しばらく竹さんに就いての御報告はひかえようと思う。この上、君に熱をあげられて、寝込まれでもしたら大変だ。
 きょうは一つ、かっぽれさんの俳句でも御紹介しましょうか。こんどの日曜の慰安放送は、塾生たちの文芸作品の発表会という事になって、和歌、俳句、詩に自信のある人は、あすの晩までに事務所に作品を提出せよとの事で、かっぽれは、僕たちの「桜の間」の選手として、お得意の俳句を提出する事になり、二、三日前から鉛筆を耳にはさみ、ベッドの上に正坐せいざして首をひねり、真剣に句を案じていたが、けさ、やっとまとまったそうで、十句ばかり便箋びんせんに書きつらねたのを、同室の僕たちに披露ひろうした。まず、固パンに見せたけれども、固パンは苦笑して、
「僕には、わかりません。」と言って、すぐにその紙片を返却した。次に、越後獅子に見せて御批評をうた。越後獅子は背中を丸めて、その紙片をねらうようにつくづくと見つめ、
「けしからぬ。」と言った。
 下手だとか何とか言うなら、まだしも、けしからぬという批評はひどいと思った。

     2

 かっぽれは、あおざめて、
「だめでしょうか。」とお伺いした。
「そちらの先生に聞きなさい。」と言って越後は、ぐいと僕の方をあごでしゃくった。
 かっぽれは、僕のところに便箋を持って来た。僕は不風流だから、俳句の妙味などてんでわからない。やっぱり固パンのように、すぐに返却しておゆるしを乞うべきところでもあったのだが、どうも、かっぽれが気の毒で、何とかなぐさめてやりたく、わかりもしない癖に、とにかくその十ばかりの句を拝読した。そんなにまずいものではないように僕には思われた。月並とでもいうのか、ありふれたような句であるが、これでも、自分で作るとなると、なかなか骨の折れるものなのではあるまいか。
 乱れ咲く乙女心の野菊かな、なんてのは少しへんだが、それでも、けしからぬと怒るほどの下手さではないと思った。けれども、最後の一句に突き当って、はっとした。越後獅子が憤慨したわけも、よくわかった。
  露の世は露の世ながらさりながら
 誰やらの句だ。これは、いけないと思った。けれども、それをあからさまに言って、かっぽれに赤恥をかかせるような事もしたくなかった。
「どれもみな、うまいと思いますけど、この、最後の一句はほかのと取りかえたら、もっとよくなるんじゃないかな。素人しろうと考えですけど。」
「そうですかね。」かっぽれは不服らしく、口をとがらせた。「その句が一ばんいいと私は思っているんですがね。」
 そりゃ、いいはずだ。俳句の門外漢の僕でさえ知っているほど有名な句なんだもの。
「いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
 僕は、ちょっと途方に暮れた。
「わかりますかね。」かっぽれは図に乗って来た。「いまの日本国に対する私のまごころも、この句には織り込まれてあると思うんだが、わからねえかな。」と、少し僕を軽蔑けいべつするような口調で言う。
「どんな、まごころなんです。」と僕も、もはや笑わずに反問した。
「わからねえかな。」と、かっぽれは、君もずいぶんトンマな男だねえ、と言わんばかりに、まゆをひそめ、「日本のいまの運命をどう考えます。露の世でしょう? その露の世は露の世である。さりながら、諸君、光明を求めて進もうじゃないか。いたずらに悲観するなかれ、といったような意味になって来るじゃないか。これがすなわち私の日本に対するまごころというわけのものなんだ。わかりますかね。」
 しかし、僕は内心あっけにとられた。この句は、君、一茶いっさが子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。きれいに意味をひっくりかえしている。これが越後の所謂いわゆる「こんにちの新しい発明」かも知れないが、あまりにひどい。かっぽれのまごころには賛成だが、とにかく古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶのは悪い事だし、それにこの句をそのまま、かっぽれの作品として事務所に提出されては、この「桜の間」の名誉にもかかわると思ったので、僕は、勇気を出して、はっきり言ってやった。

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