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正義と微笑(せいぎとびしょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-20 9:11:41  点击:  切换到繁體中文



 五月八日。月曜日。
 雨。きょうは学校を休んだ。何が何やら、さっぱりわからなくなって、この貴重な一週間を、いったいどうして過したのか、学校へ行っても、そわそわして、何でもないのに、にやにや笑ったり、家に帰っては、やたらに部屋の整頓せいとんばかりして、そうして、参考書は一冊も読まなかった。ただ、部屋の中で、うごめいているのである。気持は、刻一刻と狼狽ろうばいし、こうして日記を書いていても、手が震えるのである。つまり、あの、緊張したような、きもを失ったような、厳粛なような、からっぽのような、それでいて、絶えずはらはらして、絶間たえまなくお便所へ行っては、よしやろう、勉強しようと、武者ぶるいして部屋へ帰って、また部屋の整頓である。ゆるしてもらえないだろうか。だめなのである。どうにも、落ちつけないのである。言いたい事、書きたい事は山々ある。けれども、いたずらに感情が高ぶって、わくわくしてしまって、すわって居られなくなるのだ。そうして、ただやたらに部屋の整頓である。こっちのものを、あっちへ持ち運び、あっちのものを、こっちへ持ち運び、まるで同じ事を繰り返して、独りで、てんてこ舞いをしているのである。恥ずかしい事であるが、実は、聖書もききめがなかったのだ。けさから、パッパッと三度もひらいてみたのだが、少しも頭にはいらない。実に恥ずかしかった。もう、だめだ。僕は寝よう。午後六時。お念仏でもとなえたい。キリストも、おしゃかさんも、ごちゃまぜになった。
 ちょっと寝てから、また猛然とはね起きた。日が暮れてしまったら、少し心も落ちついて来た。きのう写真屋から送られて来た手札型の写真を見つめる。同じものが三枚送られて来たのだが、その中でも割合、顔の色が黒く、陰影のあるのを選んで履歴書などと一緒に、きのう速達で研究所へ送ってやったのである。どうして僕の顔は、こんなに、らっきょうのように、単純なのだろう。眉間みけんしわを寄せて、複雑な顔を作ろうと思うのだが、ピリピリッと皺が寄ったかと思うと、すぐに消える。口を、ヘの字形に曲げて、鼻の両側に深い皺を作りたいのだが、どうも、うまく行かない。口が小さすぎるのかも知れない。曲がらないで、とがるのである。口を、どんなに、とがらせたって、陰影のある顔にはならない。馬鹿に見えるだけである。
「お前の顔は、役者に向かない顔である。」と明日の試験で、はっきり宣告されたら、どうしよう。僕は、その瞬間から、それこそ「生けるしかばね」になるのだ。生きていても、意味の無い人間になるのだ。ああ、僕に果して、演劇の才能があるのだろうか。すべては明日、決定せられる。また、部屋の整頓を、はじめたくなった。
 兄さんがやって来て、
「床屋へ行ったか?」と尋ねる。まだ行っていないのである。
 雨の中を、あたふたと床屋へ行く。実際、なってない。床屋で、ドボルジャークの「新世界」を聞く。ラジオ放送である。好きな曲なんだけれど、どうしても、気持にはいって来ない。大きな、櫓太鼓やぐらだいこみたいなものを、めった矢鱈やたらに打ちならすような音楽でもあったら、いまの僕のいらいらした気持にぴったり来るのかも知れない。けれども、そんな音楽は、世界中を捜してもないだろう。
 床屋から帰って、それから、兄さんにすすめられて科白せりふの練習を少しやってみた。桜の園のロパーヒン。
 兄さんに、いろいろ注意された。自分の声をそのまま出して自然に言う事。もっとおなかに力をいれて、ハッキリ言う事。あまり、からだを動かさない事。いちいちあごをひかない事。口辺の筋肉を、もっとやわらかに。これは手痛かった。口を、ヘの字に曲げようと努力しすぎたのだ。
「お前は、サシスセソが、うまく言えないようだね。」これも手痛かった。自分でも、それは薄々感じていたのだ。舌が長すぎるのだろうか。
妄言ぼうげん多謝だ。」兄さんは笑って、「お前は、僕なんかにくらべると問題にならないほど、うまいんだ。でも、あしたは本職の役者の前でやるのだから、ちょっと今夜は酷評して緊褌きんこん一番をうながしてみたんだがね。なに、上出来だよ。」
 僕は、だめかも知れない。思いは千々ちぢに乱れるばかりだ。どうも日記の文章が、いつもと違っているようだ。たしかに気持も、いや気持がちがうというのは、気違いの事だ。まさか、気違いではなかろうが、今夜は変だ。文章も、しどろもどろの茶苦茶ちゃくちゃだ。麻のごとくに乱れてります。
 こんな事でどうする。あすは、いや、もう十二時を過ぎているから、きょうだ、きょうの午後一時には試験があるのだ。何かしようと思っても、なんにも手がつかず、仕方が無い、万年筆にインクでもつめて置いて、そうして寝る事にしましょう。考えてみると、明日の試験に失敗したら、僕は死なねばならぬ身なのである。手が震える。


 五月九日。火曜日。
 晴れ。きょうも学校を休む。大事な日なんだから仕方が無い。ゆうべは夢ばかり見ていた。着物の上に襦袢じゅばんを着た夢を見た。あべこべである。へんな形であった。不吉な夢であった。さいさきが悪いと思った。
 きょうは、でも、ちかごろにない佳いお天気だった。九時に起きて、ゆっくり風呂ふろへはいって、十一時半に出発した。きょうは兄さんは、門口まで見送って来ない。もう大丈夫だときめてしまっているらしい。斎藤氏のところへ出掛ける時には、兄さんは、僕以上に緊張し、気をもんでくれたのに、きょうは、まるでのんびりしていた。試験よりも、斎藤氏の方が大問題だと思っているのかしら。兄さんには、学校の入学試験でも何でも、どうも試験を甘く見すぎる傾向がある。入学試験に落ちた憂目うきめを見た事がないからかも知れない。でも兄さんが、もう大丈夫と僕の事を楽天的に考えている時に僕が見事落ちたら、そのつらさ、の悪さは格別だ。も少し、僕の事を危ぶんでくれてもいいと思う。僕は、また落ちるかも知れないのだ。
 出発の時間が早すぎた。新富町の研究所はすぐにわかった。アパートの三階である。到着したのは、正午すこし過ぎである。ちょっと様子をさぐってみようと思って、ドアをノックしてみたが返答は無い。だれもいないらしい。あきらめて、外へ出た。
 陽春。ひたいに汗がにじみ出る。つめたいものを飲みたくなって、昭和通りの小さい食堂へはいって、ソーダ水を飲んで、それからついでに、ライスカレーを食べた。別に、おなかがいていたわけではなかったが、なんだか不安で、食べずには、居られなかったのだ。おなかが一ぱいになったら、頭もぼんやりして来て、いらだたしい気持も、少しおさまった。そこを出て、ぶらぶら歌舞伎座かぶきざの前まで行って、絵看板を見て、さて、それからまた新富町の研究所へ引返した。
 それこそ一時ジャストである。僕は、アパートの階段をのぼった。来ている。来ている。二十人くらい。でもまあ、なんて生気せいきの無い顔をしたやつばかりなんだろう。学生が五人。女が三人。ひでえ女だ。永遠に、従妹いとこベット一役ひとやくだ。他は皆、生活に疲れた顔をした背広姿の三十前後の人たちである。全然、芸術に縁のないような表情の、番頭さんみたいな四十男もいる。不思議な気がした。みんな神妙に、伏目ふしめになって、廊下の壁に寄りかかり、立ったりしゃがんだりして、時々、ひそひそ話を交わしたりしている。暗い気がした。ここは、敗残者の来るところではないかと思った。自分まで、なんだか、みじめになったような気持がして来るのである。この人たちがきょうの、僕の競争相手なのかと思ったら、うんざりした。戦わずして、闘志を失った感じであった。僕が試験官だったら、一瞥いちべつして、みんな落第だ。僕は、自分の今朝までの、あの興奮と緊張とを思い出し、むしゃくしゃして来た。ばかにしていやがると思ったのだ。
 やがて事務所から中年の婦人が出て来て、
「番号札をお渡し致します。」と言ったが、その声には、聞き覚えがあった。一週間前に電話で問い合せた時に、明瞭めいりょうな発音で「午後一時ジャスト」などと言って教えたあの女性の声であった。本当に綺麗きれいな声だったので、女優さんじゃないかと思っていたのだが、女は、声だけではわからぬものだ。茶色のダブダブしたジャケツを着て、女優さんどころか、いや、言うまい。何もその人が、あたしは美人だと自負してもいないのに、その人の顔の事など、とやかく批評するのは罪悪だ。とにかく、四十くらいのばあさんであった。
「お名前を呼びますから、御返事を願います。」
 僕は三番目だった。来ていない人も、ずいぶんあった。四十人くらいの名前を呼んだのだが、出席者は約その半数である。
「それでは、一番のおかた、どうぞ。」
 いよいよ、はじまるのだ。一番は、女のひとであった。婆さんに連れられて、しょんぼり中へはいって行った。生気のない事おびただしい。研究所の内部は、二部屋にわかれているらしい。一つは事務所で、その奥が稽古場けいこばになっているようだ。試験は、その稽古場で行われる様子である。
 聞える、聞える。戯曲の朗読だ。しめた! 桜の園だ。なんて、まがいいんでしょう。前から僕は、桜の園の朗読は得意だったし、ゆうべもちょっと練習したじゃないか。もう、大丈夫。どこからでも来い! と勇気百倍だったが、それにしても、あの女のひとの朗読は、なんて下手くそなんだろう。一本調子の棒読みだ。ところどころつまずいて、読み直したりしている。あれじゃ落第だ。大落第だ。可笑おかしくなって、ひとりでクスクス笑ったが、他の人たちは、にこりともせず、眠るがごとくぼんやりしている。
「二ばんのおかた、どうぞ。」
 もう一番のひとがすんだのかしら。早いなあ。筆記試験は無いのかしら。この次は僕だ。さすがに脚がふるえて来た。なんだか、病院にいるような気がして来た。これから大手術を受けなければならぬ。看護婦さんの呼びに来るのを、待っている。お便所に行きたくなって来た。いそいでお便所に行く。お便所から帰って来たら、
「三ばんのおかた、どうぞ。」
「はい。」と思わず、右手を高く挙げた。
 事務所は、せまくるしく、しかも殺風景で、こんな所から、あの鴎座かもめざの華やかなプランが生れるのかと、感慨が深かった。
 一番と二番は、ほとんど同時に終ったらしく、一緒に廊下へ出て行った。僕は、事務所の婆さんの机の前に立って、簡単な質問を受けた。婆さんは、椅子いすに浅くちょこんと腰をおろして、机の上の写真と、僕の顔を、ちらと見較べ、
「おいくつですか?」と言った。ちょっと侮辱を感じたので、
「履歴書に書いてなかった?」と反問したら、急に狼狽ろうばいの様子で、
「ええ、でも、――」と言って、机の上にひろげてあった僕の履歴書を前こごみになって調べた。近眼らしい。
「十七です。」と言ったら、ほっとしたように顔を挙げて、
「父兄の承諾は、たしかですね?」
 この質問も不愉快だった。
「もちろんです。」と少し怒って答えた。試験官でもないのに、要らない事ばかり言いやがる。こんな機会をとらえて、こっそり試験官の真似まねをして、ちょっと威張ってみたかったのだろう。
「では、どうぞ。」
 隣室に通された。がやがや騒いでいたのに、僕がはいって行ったら、ぴたりと話をやめて、五人の男が一斉いっせいに顔を挙げて僕を見た。
 五人の男が一列に、こちら向きに並んで腰かけている。テエブルは三つ。みんな写真で見覚えのある顔だった。まんなかに坐っている太った男は、最近めっきり流行して来た劇作家兼演出家の、横沢太郎氏にちがいない。あとの四人は、俳優らしい。入口でもじもじしていたら、横沢氏は大きい声で、
「こっちへ来いよ。」と下品な口調で言って、「こんどは多少、優秀かな?」
 他の試験官たちは、にやりと笑った。部屋全体の雰囲気ふんいきが、不潔で下等な感じであった。
「学校は、どこだ!」そんなに威張らなくてもいいじゃないか。
「R大です。」
「としは、なんぼ?」いやになるね。
「十七です。」
「お父さんのゆるしを得たか。」まるで罪人あつかいだ。むかっとして来た。
「お父さんはいませんよ。」
「なくなられたのですか?」俳優の上杉新介うえすぎしんすけ氏らしい人が、そばから、とりなし顔にやさしく僕に尋ねる。
「承諾書に書いてあったはずです。」仏頂面ぶっちょうづらして答えてやった。これが試験か? あきれるばかりだ。
「気骨稜々りょうりょうだね。」横沢氏は、にやにや笑って、「見どころあり、かね?」
「演技部ですか、文芸部ですか?」上杉氏が鉛筆でご自分の顎を軽くたたきながら尋ねる。
「なんですか?」よくわからなかった。
「役者になるのか。」横沢氏は、また馬鹿声を出して、「脚本家になるのか。どっちだ!」
「役者です。」即座に答えた。
「しからば、たずねる。」本気か冗談か、わけがわからない。どうして横沢氏は、こんなにがらが悪いんだろう。人相だってよくないし、服装だって、和服の着流しで、だらしがない。日本で有数の文化的な劇団「鴎座」の、これが指導者なのかと思うと、がっかりする。きっと、お酒ばかり飲んで、ちっとも勉強していないのだろう。下唇したくちびるをぐっと突き出して、しばらく考えてから、やおら御質問。
「役者の、使命は、何か!」愚問なり。おどろいた。あやうく失笑しかけた。まるで、でたらめの質問である。質問者の頭のからっぽなことを、あますところなく露呈している。てんで、答えようがないのである。
「それは、人間がどんな使命を持って生れたか、というような質問と同じ事で、まことしやかな、いつわりの返答は、いくらでも言えるのですが、僕は、その使命は、まだわかりませんと答えたいのです。」
「妙な事を言うね。」横沢氏は、鈍感な人である。軽い口調でそう言って、シガレットケースから煙草たばこを取り出し、一本口にくわえて、「マッチないか?」と、隣の上杉氏からマッチを借り、煙草に点火してから、「役者の使命はね、外に向っては民衆の教化、内においては集団生活の模範的実践。そうじゃないかね。」
 僕は、あきれた。落第したほうが、むしろ名誉だと思った。
「それは、役者に限らず、教化団体の人なら誰でも心掛けていなければならぬ事で、だから僕がさっき言ったように、そんな立派そうな抽象的な言葉は、本当に、いくらでも言えるんです。そうしてそれは、みんなうそです。」
「そうかね。」横沢氏は、けろりとしている。あまりの無神経に、僕は横沢氏を、ちょっと好きになったくらいであった。「そういう考えかたも、面白おもしろいね。」滅茶滅茶だ。
「朗読をお願いしましょう。」上杉氏は、ちょっと上品に気取って言った。その態度には、なんだかねこのような、陰性の敵意が含まれていた。横沢氏よりも、こっちが手剛てごわい。そんな気がした。
「何をお願いしましょうか。」上杉氏は、くそ叮嚀ていねいな口調で、横沢氏に尋ねるのである。「このひとは、程度が高いそうですから。」いやな言いかたを、しやがる! 卑劣だ! 世の中で、一ばん救われがたい種属の男だ。これが、あの、「伯父ワーニャ」を演じて日本一と称讃しょうさんせられた上杉新介氏の正体か。なってないじゃないか。
「ファウスト!」横沢氏は叫ぶ。がっかりした。桜の園なら自信があったのだけれど、ファウストは苦手にがてだ。だいいち僕は、ファウストを通読した事さえない。落第、僕は落第だ。
「この部分をお願いします。」上杉氏は、僕にテキストを手渡して、そうして朗読すべき箇所を鉛筆で差し示した。「一ぺん黙読して、自信を得てから朗読して下さい。」なんだか意地の悪い言い方だ。
 僕は黙読した。ワルプルギスの夜の場らしい。メフィストフェレスの言葉だ。

そこのいさん、岩の肋骨ろっこつつかまえていないと、
あなた、谷底へ吹き落されてしまいますぜ。
霧が立って夜闇よやみの色を濃くして来た。
あの森の木のめきめきうのをお聞きなさい。
梟奴ふくろうめがびっくりして飛び出しゃあがる。
お聞きなさい。永遠とわの緑の宮殿の
柱が砕けているのです。
枝がきいきい云って折れる。
幹はどうどうと大きい音をさせる。
根はぎゅうぎゅうごうごう云う。
上を下へとこんがらかって、かさなり合って、
みんな折れて倒れるのです。
そしてそのしかばねおおわれている谷の上を
風はひゅうひゅうと吹いて通っています。
あなた、あの高い所と、
遠い所と、近い所とにする声が聞えますか。
此山このやまうごかして、
おそろしい魔法の歌が響いていますね。
「僕には朗読できません。」ざっと黙読してみたのだが、このメフィストのささやきは、僕には、ひどく不愉快だった。ひゅうひゅうだの、ぎゅうぎゅうだの不愉快な擬音ぎおんばかり多くて、いかにも悪魔の歌らしく、不健康な、いやらしい感じで、とても朗読する気など起らなかった。落第したっていいんだ。「ほかの所を読みます。」
 でたらめに、テキストをぱらぱらめくって、ちょっと佳いところを見つけて、大声で朗読をはじめた。第二部、花咲ける野の朝。眼ざめたるファウスト。
上を見ればどうだ。巨人のような山のいただきが、
もう晴がましい時を告げている。
あの巓は、後になっておれ達の方へ
向いて降りる、永遠とわの光をず浴びるのだ。
今アルピの緑にくぼんだ牧場に、
新しい光や、あざやかさが贈られる。
そしてそれが一段一段と行き渡る。
日が出た。惜しい事には己はすぐ羞明まぶしがって
背を向ける。み渡る目のいたみを覚えて。

あこがれる志が、信頼して、努力して、
最高の願の所へ到着したとき、成就じょうじゅとびら
いているのを見た時は、こんなものだな。
その時その永遠なる底の深みから、強過ぎる、
ほのおほとばしり出るので、己達は驚いて立ち止まる。
己達は命の松明たいまつに火をともそうと思ったのだが、
身は火の海にまれた。
なんと云う火だ!
この燃え立って取り巻くのは、あいか、にくみか。
よろこびなやみとにおそろしくかわがわる襲われて、
おさなかった昔の羅衣うすものに身を包もうとして、
又目を下界に向けるようになるのだ。

いから日は己の背後の方にれ。
己はあの岩の裂目さけめから落ちて来る滝を、
次第に面白がって見ている。
一段又一段と落ちて来て、千のながれになり
万の流になり、飛沫とばしり
高く空中にあげている。
しかしこの荒々しい水のすさびに根ざして、
七色のにじの、
常なき姿が、まあ、美しく空によこたわっていること。
はっきりとしているかと思えば、すぐ又空に散って、
においある涼しいそよぎをあたりにみなぎらせている。
此の虹が、人間の努力の影だ。
あれを見て考えたら、前よりはくわかるだろう。
人生は、いろどられた影の上にある!

「うまい!」横沢氏は無邪気にめてくれた。「満点だ。二、三日中に通知する。」
「筆記試験は無いのですか?」へんに拍子抜けがして、僕は尋ねた。
「生意気言うな!」末席の小柄こがらの俳優、伊勢良一いせりょういちらしい人が、矢庭やにわに怒鳴った。「君は僕たちを軽蔑けいべつしに来たのか?」
「いいえ、」僕はきもをつぶした。「だって、筆記試験も、――」しどろもどろになった。
「筆記試験は、」少し顔をあおくして、上杉氏が答えた。「時間の都合で、しないのです。朗読だけで、たいていわかりますから。君に言って置きますが、いまから台詞せりふり好みをするようでは、見込みがありませんよ。俳優の資格として大事なものは、才能ではなくて、やはり人格です。横沢さんは満点をつけても、僕は、君にはれい点をつけます。」
「それじゃ、」横沢氏は何も感じないみたいに、にやにやして、「平均五十点だ。まあ、きょうは帰れ。おうい、つぎは四ばん、四ばん!」
 僕は軽く一礼して引きさがったのだが、ずいぶん得意な気持も在った。というのは、上杉氏は僕を非難しているつもりで、かえって僕の才能を認めていることを告白してしまったからである。「大事なものは、才能ではなくて、やはり人格だ。」と言ったが、それでは今の僕に欠けているものは人格で、才能のほうは充分という事になるではないか。僕は、自分の人格に就いては、努力しているし、いつも反省しているつもりだから、そのほうは人に褒められても、かえって、くすぐったいくらいで、別段うれしいとも思わぬし、また、人に誤解せられ悪口を言われても、まあ見ていなさい、いまにわかりますから、というような余裕もあるのだが、才能のほうは、これこそ全く天与てんよのもので、いかに努力しても及ばぬ恐ろしいものがあるような気がしているのだ。その才能が、僕にある、と日本一の新劇俳優が、うっかり折紙をつけてしまった。ああ、喜ばじとほっするも得ざるなり。しめたものさ。僕には才能が、あったのだ。人格は無いけれども、才能はあるそうだ。上杉氏には、人格の判定は出来ない。うその判定だ。あの人には判定する資格が無い。けれども流石さすがに、才能に就いての判定は、横沢氏などよりさらに数段正確なところがあるのではあるまいか。もちは餅屋である。役者の才能は、役者でなければわからない。うれしい事だ。僕には、俳優の才能があるのだそうだ。笑わじと欲するも得ざるなり。いまはもう、落第したってかまわない。それこそ、鬼の首でも取って来たみたいに、僕は意気揚々と家へ帰った。
「だめ、だめ。」と僕は兄さんに報告した。「みごと落第です。」
「なんだ、ばかにうれしそうな顔をしているじゃないか。だめな事は、ないんだろう。」
「いや、だめなんだ。戯曲朗読は零点だった。」
「零点?」兄さんも、真面目まじめになった。「本当かい?」
「人格がだめなんだそうだ。でも、ね、才能は、――」
「何をそんなに、にやにや笑っているんだ。」少し不機嫌になって、「零点をもらって、よろこぶ事はないだろう。」
「ところが、あるんだ。」僕は、きょうの試験の模様をくわしく兄さんに知らせた。
「及第だ。」兄さんは僕の話を聞き終ってから、落ちついて断定を下した。「絶対に落第じゃない。二、三日中に合格通知が来るよ。だけど、不愉快な劇団だなあ。」
「なってないんだ。落第したほうが名誉なくらいだ。僕は合格しても、あの劇団へは、はいらないんだ。上杉氏なんかと一緒に勉強するのは、まっぴらです。」
「そうだねえ。ちょっと幻滅だねえ。」兄さんは、さびしそうに笑った。「どうだい、もういちど斎藤氏のところへ相談に行ってみないか。あんな劇団は、いやだと、進の感じた事を率直に言ってみたらどうだろう。どの劇団も皆あんなものだから、がまんしてはいれ、と先生が言ったら、仕方が無い。はいるさ。それとも他にまた、いい劇団を紹介してくれるかも知れない。とにかく、試験は受けましたという報告だけでもして置いたほうがいい。どうだい?」
「うん。」気が重かった。斎藤氏は、なんだか、こわい。こんどこそ、折檻せっかんされそうな気もする。でも、行かなければならぬ。行って、お指図を受けるより他は無いのだ。勇気を出そう。僕は、俳優として、大いに才能のある男ではなかったか。きのうまでの僕とは、ちがうのだ。自信をもっ邁進まいしんしよう。一日いちにち労苦ろうくは、一日いちにちにてれり。きょうは、なんだか、そんな気持だ。
 晩ごはんの後、僕は部屋にとじこもって、きょう一日のながい日記をける。きょう一日で、僕は、めっきり大人おとなになった。発展! という言葉が胸に犇々ひしひしと迫って来る。一個の人間というものは、非常に尊いものだ! ということも切実に感ずる。


 五月十日。水曜日。
 晴れ。けさ眼が覚めて、何もかも、まるでもう、変ってしまっているのに気がついた。きのう迄の興奮が、すっかり覚めているのだ。けさは、ただ、いかめしい気持、いや、しらじらしい気持といったほうが近いかも知れぬ。きのう迄の僕は、たしかに発狂していたのだ。逆上していたのだ。どうしてあんなに、浮き浮きと調子づいて、妙な冒険みたいな事ばかりやって来たのか、わからなくなった。ただ、不思議なばかりである。永い、悲しい夢から覚めて、けさは、ただ、眼をぱちくりさせて矢鱈やたらに首をかしげている。僕は、けさから、ただの人間になってしまった。どんな巧妙な加減乗除をしても、この僕の一・〇いちこんまれいという存在は流れの中に立っているくいのように動かない。ひどく、しらじらしい。けさの僕は、じっと立っている杭のように厳粛だった。心に、一点の花も無い。どうした事か。学校へ出てみたが、学生が皆、十歳くらいの子供のように見えるのだ。そうして僕は、学生ひとりひとりの父母の事ばかり、しきりに考えていた。いつものように学生たちを軽蔑する気も起らず、また憎む心もなく、不憫ふびんな気持がかすかに感ぜられただけで、それもすずめの群に対する同情よりも淡いくらいのもので、決して心をゆすぶるような強いものではなかった。ひどい興覚め。絶対孤独。いままでの孤独は、わば相対孤独とでもいうようなもので、相手を意識し過ぎて、その反撥はんぱつのあまりにポーズせざるを得なくなったような孤独だったが、きょうの思いは違うのだ。まったくだれにも興味が無いのだ。ただ、うるさいだけだ。なんの苦も無くこのまま出家遁世とんせいできる気持だ。人生には、不思議な朝もあるものだ。
 幻滅。それだ。この言葉は、なるべく使いたくなかったのだが、どうも、他には言葉が無いようだ。幻滅。しかも、ほんものの幻滅だ。われ、大学に幻滅せり、と以前にたけり猛って書き記した事があったような気がするが、いま考えてみると、あれは幻滅でなく、憎悪ぞうお、敵意、野望などの燃え上る熱情だった。ほんものの幻滅とは、あんな積極的なものではない。ただ、ぼんやりだ。そうして、ぼんやり厳粛だ。われ、演劇に幻滅せり。ああ、こんな言葉は言いたくない! けれども、なんだか真実らしい。
 自殺。けさは落ちついて、自殺を思った。ほんものの幻滅は、人間を全くけさせるか、それとも自殺させるか、おそろしい魔物である。
 たしかに僕は幻滅している。否定する事は出来ない。けれども、生きる最後の一すじの道に幻滅した男は、いったい、どうしたらよいのか。演劇は、僕にとって、唯一ゆいいつの生き甲斐がいであったのだ。
 ごまかさずに、深く考えて見よう。演劇を、くだらないなどとは思わぬ。くだらないなんて、とんでもない事だ。くだらないと思ったなら、そこには怒りもあるだろうし、軽蔑し切って捨て去り、威勢よく他の道へ飛込んで行く事も出来るだろうが、僕のけさの気持は、そんなものではなかった。むなしいのだ。すべてが、どうでもいいのだ。演劇。それは、さぞ、立派なものでございましょう。俳優。ああ、それもいいでしょうね。けれども、僕は、動かない。ハッキリ、間隙かんげきが出来ていた。冷たい風が吹いている。斎藤氏のお家へはじめてお伺いして、ていのいい玄関払いを食って帰った時にも、これに似た気持を味わった。世の中が、ばかばかしい、というよりは、世の中に生きて努力している自分が、ばかばかしくなるのだ。ひとりで暗闇くらやみで、ハハンと笑いたい気持だ。世の中に、理想なんて、ありゃしない。みんな、ケチくさく生きているのだ。人間というものは、やっぱり、食うためにだけ生きているのではあるまいか、という気がして来た。あじきない話である。
 放課後、ふらふらと蹴球部しゅうきゅうぶの支度部屋へ立寄ってみた。蹴球部へでも、はいろうかと思ったのだ。なにも考えずにボールでもって、平凡な学生として、ぼんやり暮したくなったのだ。蹴球部の部屋には誰もいなかった。合宿所のほうに行っているのかも知れない。合宿所までたずねて行くほどの情熱も無く、そのまま家へ帰った。
 家へ帰ったら、鴎座から速達が来ていた。合格である。「今回の審査の結果、五名を研究生として合格させた。貴君も、その一人である。明日、午後六時、研究所へおいであれ。」というような通知である。少しも、うれしくなかった。不思議なくらい、平静な気持であった。R大合格の通知を受けた時のほうが、まだしも、これより嬉しかった。僕にはもう、役者の修業をする気が無いのだ。きのう、上杉氏から俳優としての天分を多少みとめられて、それだけは、鬼の首でも取ったように、ほくほくしていたのだが、けさ、眼が覚めた時には、その喜びも灰色に感ぜられて、なんだ、才能なんて、あてにならない、やっぱり人格が大事だなどと、まじめに考え直してしまっている。この、気分の急変は、どこから来たか。恋を、まったく得てしまった者の虚無か、きのう鴎座の試験の時に無意識で選んで読んだ、あの、ファウストの、「成就の扉の、いているのを見た時は、己達はかえって驚いて立ち止まる。」という台詞せりふのとおり、かねて、あこがれていた俳優が、あまりにも容易につかみ取れそうなのを見て、うんざりしたのか。
「進は、合格しても、あまり嬉しそうでないじゃないか。」兄さんも、そう言っていた。
「考えてみます。」僕は、まじめに答えた。
 今夜は、兄さんと、とてもつまらぬ議論をした。たべものの中で、何が一番おいしいか、という議論である。いろいろ互いに食通振しょくつうぶりを披瀝ひれきしたが、結局、パイナップルの鑵詰かんづめしるにまさるものはないという事になった。桃の鑵詰の汁もおいしいけど、やはり、パイナップルの汁のような爽快そうかいさが無い。パイナップルの鑵詰は、あれは、をたべるものでなくて、汁だけを吸うものだ、という事になって、
「パイナップルの汁なら、どんぶりに一ぱいでも楽に飲めるね。」と僕が言ったら、
「うん、」と兄さんもうなずいて、「それに氷のぶっかきをいれて飲むと、さらにおいしいだろうね。」と言った。兄さんも、ばかな事を考えている。
 たべものの話をしたら、やけにおなかがいて来たので、食通ふたりは、こっそり台所へ行って、おむすびを作ってたべた。非常においしかった。
 ニヒルと、食慾しょくよくと、何か関係があるらしい。
 兄さんは、いま、隣室で、小説を書いている。もう五十枚以上になったらしい。二百枚の予定だそうだ。雪が降りはじめた時に、という書出しから始まる美しい小説だ。僕は十枚ばかり読ませてもらった。出来上ったら、文学公論の懸賞に応募するんだそうだ。兄さんは以前、懸賞の応募を、あんなに軽蔑していたのに、どうしたのだろう。
「懸賞に応募するなんて、自分を粗末にする事じゃないのかな。作品が、もったいない。」と僕が言ったら、
「でも、あたったら二千円だ。お金でも、とれるんでなかったら、小説なんて、ばからしい。」と、とても下品な表情をして言ったが、兄さんは、このごろ、ずいぶんお酒も飲むし、なんだか、堕落しているんじゃないかしら、と心配だ。
 いずれを見ても、理想の喪失。
 今夜は、ばかに眠い。


 五月十一日。木曜日。
 曇。風強し。きょうは、やや充実した日だった。きのうの僕は幽霊だったが、きょうは、いくぶん積極的な生活人だった。学校の聖書の講義が面白かった。毎週一回、寺内神父の特別講義があるのだが、いつも僕には、この時間が、たのしみなのだ。先々週の、木曜の講義も面白かった。「最後の晩餐ばんさん」の研究なのだが、晩餐の十三人が、それぞれ食卓のどの位置についていたか、図解して、とても明瞭めいりょうに教えてくれた。そうして十三人全部が、寝そべって食卓についたというのだから驚いた。当時の風習として、食卓のまわりに寝台があって、その寝台にそれぞれ寝そべって飲食したのだそうである。ダヴィンチの「最後の晩餐」は、事実とは違っていたわけである。ロシヤのゲエとかいう画家のかいた「最後の晩餐」の絵は、みんな寝そべっているそうである。キリストの精神とは、全く関係の無い事だが、僕には、とても面白かった。どうも僕は、食べることに関心を持ちすぎるようだ。きょうもやっぱり、食べる事に就いて考えて、けれども、之は、あながちナンセンスに終らなかった。多少、得るところがあった。きょうは、寺内師は、旧約の申命記を中心にして講義した。寺内師は、決して、教壇に立って講義はしない。いている学生の机に座席をとって、学生と一緒に勉強するような形で、くつろいで話をする。それが、とてもいい感じだ。みんなと楽しい事に就いて相談でもしているような感じだ。きょうは、申命記を中心にして、モーゼの苦心を語ってくれたが、僕はその中でも、モーゼが民衆のたべ物の事にまで世話を焼いているのを興味深く感じた。
「十四章。なんじけがらわしき物は何もくらなかれ。汝らがくらうべき獣蓄けものこれなりすなわち牛、羊、山羊やぎ牡鹿おじか羚羊かもしか、小鹿、やまひつじ[#「鹿+嚴」、148-1]※(「鹿/章」、第3水準1-94-75)くじかおおじかおおくじか[#「鹿/京」、148-1]、など。すべ獣蓄けもの中蹄うちひづめの分れ割れて二つの蹄を成せる反蒭獣にれはむけものは汝らこれくらうべし。ただ反蒭者にれはむものと蹄の分れたる者のうち汝らのくらうべからざる者は是なり即ち駱駝らくだうさぎおよび山鼠やまねずみ、是らは反蒭にれはめども蹄わかれざれば汝らにはけがれたる者なり。また豚是は蹄わかるれども反蒭にれはむことをせざれば汝らにはけがれたる者なり、汝ら是等これらの物の肉をくらうべからず、またその死体しかばねさわるべからず。
 水におるもろもろの物の中是うちかくのごとき者を汝らくらうべし即ち凡てひれうろこのある者は皆汝ら之をくらうべし。凡て翅と鱗のあらざる者は汝らこれをくらうべからず是は汝らにはけがれたる者なり。
 また凡てきよき鳥は皆汝らこれをくらうべし。但し是等はくらうべからず即ち※(「周+鳥」、第3水準1-94-62)わし黄鷹くまたかとび※(「亶+鳥」、第3水準1-94-72)はやぶさたか、黒鷹のたぐい各種もろもろからすたぐい鴕鳥だちょうふくろかもめ雀鷹すずめたかたぐいこうさぎ、白鳥、※※おすめどり[#「(「署」の「者」に代えて「幸」)+鳥」、148-9][#「虞」+「鳥」、148-9]、大鷹、※(「茲+鳥」、第3水準1-94-66)つる鸚鵡おうむたぐいしぎおよび蝙蝠こうもり、また凡て羽翼つばさありてはうところの者は汝らにはけがれたる者なり汝らこれをくらうべからず。凡て羽翼つばさをもてぶところのきよき物は汝らこれをくらうべし。
 凡そみずかしにたる者は汝らくらうべからず。」
 実に、こまかいところまで教えてある。さぞ面倒くさかった事であろう。モーゼは、これらの鳥獣、駱駝や鴕鳥の類まで、いちいち自分で食べてためしてみたのかも知れない。駱駝は、さぞ、まずかったであろう。さすがのモーゼも顔をしかめて、こいつはいけねえ、と言ったであろう。先覚者というものは、ただ口で立派な教えを説いているばかりではない。直接、民衆の生活を助けてやっている。いや、ほとんど民衆の生活の現実的な手助けばかりだと言っていいかも知れない。そうしてその手助けの合間合間に、説教をするのだ。はじめから終りまで説教ばかりでは、どんなに立派な説教でも、民衆はきしたがわぬものらしい。新約を読んでも、キリストは、病人をなおしたり、死者をよみがえらせたり、さかな、パンをどっさり民衆に分配したり、ほとんどその事にのみ追われて、へとへとの様子である。十二弟子さえ、たべものが無くなると、すぐ不安になって、こそこそ相談し合っている。心の優しいキリストも、ついには弟子達をしかって、「ああ信仰うすき者よ、なんぞパン無きことを語り合うか。いまだ悟らぬか。五つのパンを五千人に分ちて、そのあまり幾筐いくかごひろい、また七つのパンを四千人しせんにんに分ちて、そのあまり幾籃いくかごひろいしかを覚えぬか。我が言いしはパンの事にあらぬをなんぞ悟らざる。」と、つくづく嘆息をもらしているのだ。どんなに、キリストは、さびしかったろう。けれども、致しかたが無いのだ。民衆は、そのように、ケチなものだ。自分の明日のくらしの事ばかり考えている。
 寺内師の講義を聞きながら、いろんな事を考え、ふと、電光のごとく、胸中にひらめくものを感じた。ああ、そうだ。人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、――ああ、それは、十字架へ行くみちなんだ。そうして、それは神の子の路である。僕は民衆のひとりに過ぎない。たべものの事ばかり気にしている。僕はこのごろ、一個の生活人になって来たのだ。地をう鳥になったのだ。天使の翼が、いつのまにやら無くなっていたのだ。じたばたしたって、はじまらぬ。これが、現実なのだ。ごまかしようがない。「人間の悲惨を知らずに、神をのみ知ることは、傲慢ごうまんき起す。」これは、たしか、パスカルの言葉だったと思うが、僕は今まで、自分の悲惨を知らなかった。ただ神の星だけを知っていた。あの星を、ほしいと思っていた。それでは、いつか必ず、幻滅の苦杯をめるわけだ。人間のみじめ。食べる事ばかり考えている。兄さんが、いつか、お金にもならない小説なんか、つまらぬ、と言っていたが、それは人間の率直な言葉で、それを一図いちずに、兄さんの堕落として非難しようとした僕は、間違っていたのかも知れない。
 人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。「物質的な鎖と束縛とを甘受せよ。我は今、精神的な束縛からのみなんじを解き放つのである。」これだ、これだ。みじめな生活のしっぽを、ひきずりながら、それでも救いはある筈だ。理想に邁進する事が出来る筈だ。いつも明日のパンのことを心配しながらキリストについて歩いていた弟子達だって、ついには聖者になれたのだ。僕の努力も、これから全然、新規蒔直まきなおしだ。
 僕は人間の生活をさえ否定しようとしていたのだ。おととい鴎座の試験を受け、そこにいならぶ芸術家たちが、あまりにも、ご自分たちのわずかな地位をまもるのに小心翼々の努力をしているのを見て、あいそがつきたのだ。ことにあの上杉氏など、日本一の進歩的俳優とも言われている人が、僕みたいな無名の一学生にまで、顔面蒼白そうはくになるほどの競争意識を燃やしているのだから、あさましくて、いやになってしまったのだ。いまでも決して、上杉氏の態度を立派だとは思っていないが、けれども、それだからとて人間生活全部を否定しようとしたのは、僕の行き過ぎである。きょう鴎座の研究所へ行って、もういちどあの芸術家たちと、よく話合ってみようかと思った。二十人の志願者の中から選び出されたという事だけでも、僕は感謝しなければならぬのかも知れない。
 けれども放課後、校門を出て烈風に吹かれたら、ふいと気持が変った。どうも、いやだ。鴎座は、いやだ。ディレッタントだ。あそこには、理想の高いにおいが無いばかりか、生活の影さえ稀薄きはくだ。演劇を生活している、とでもいうような根強さが無い。演劇を虚栄している、とでも言おうか、雰囲気ふんいきでいい心地になってる趣味家ばっかり集っている感じだ。僕には、どうしても物足りない。僕はもう、きょうからは、甘い憧憬家しょうけいかではないのだ。へんな言いかただけど、僕はプロフェショナルに生きたい!
 斎藤氏のところへ行こうと決意した。きょうは、どうあっても、僕の覚悟のほどを、よく聞いてもらわなければならぬ、と思った。そう決意した時、僕のからだは、ぬくぬくと神の恩寵おんちょうに包まれたような気がした。人間のみじめさ、自分の醜さに絶望せず、「すべなんじの手にうる事は力をつくしてこれをせ。」
 努めなければならぬ。十字架から、のがれようとしているのではない。自分の醜いしっぽをごまかさず、これを引きずって、歩一歩よろめきながら坂路をのぼるのだ。この坂路の果にあるものは、十字架か、天国か、それは知らない。かならず十字架ときめてしまうのは、神を知らぬ人の言葉だ。ただ、「御意みこころのままになしたまえ。」
 たいへんな決意で、芝の斎藤氏邸に出かけて行ったが、どうも斎藤氏邸は苦手にがてだ。門をくぐらぬさきから、妙な威圧を感ずる。ダビデのとりではかくもあろうか、と思わせる。
 ベルを押す。出て来たのはれいの女性だ。やはり、兄さんの推定どおり、秘書兼女中とでもいったところらしい。
「おや、いらっしゃい。」相変らず、なれなれしい。僕を、なめ切っている。
「先生は?」こんな女には用は無い。僕は、にこりともせずに尋ねた。
「いらっしゃいますわよ。」たしなみの無い口調である。
「重大な要件で、お目に、――」と言いかけたら、女は噴き出し、両手で口を押えて、顔を真赤にして笑いむせんだ。僕は不愉快でたまらなかった。僕はもう、以前のような子供ではないのだ。
「何が可笑おかしいのです。」と静かな口調で言って、「僕は、ぜひとも先生にお目にかかりたいのです。」
「はい、はい。」と、うなずいて笑いころげるようにして奥へひっこんだ。僕の顔に何かすみでもついているのであろうか。失敬な女性である。
 しばらくって、こんどはやや神妙な顔をして出て来て、お気の毒ですけれども、先生は少し風邪の気味で、きょうはどなたにも面会できないそうです。御用があるなら、この紙にちょっと書いて下さいまし、そう言って便箋びんせんと万年筆を差し出したのである。僕は、がっかりした。老大家というものは、ずいぶんわがままなものだと思った。生活力が強い、とでもいうのか、とにかくごうの深い人だと思った。
 あきらめて玄関の式台に腰をおろし、便箋にちょっと書いた。
「鴎座に受けて合格しました。試験は、とてもいい加減なものでした。一事は万事です。きょうの午後六時に鴎座の研究所へ来い、という通知を、きのうもらいましたが、行きたくありません。迷っています。教えて下さい。じみな修業をしたいのです。芹川進。」
 と書いて、女のひとに手渡した、どうも、うまく書けない。女のひとはそれを持って奥へ行ったが、ながい事、出て来なかった。なんだか不安だ。山寺にひとりで、ぽつんとすわっているような気持だった。
 突然、声たてて笑いながらあの女のひとが出て来た。
「はい、ご返事。」前の便箋とはちがう、巻紙を引きちぎったような小さい紙片を差し出した。毛筆で書き流してある。
 春秋座
 それだけである。他には、なんにも書いていない。
「なんですか、これは。」僕は、さすがに腹が立って来た。愚弄ぐろうするにも程度がある。
「ご返事です。」女は、僕の顔を見上げて、無心そうに笑っている。
「春秋座へはいれって言うのですか。」
「そうじゃないでしょうか。」あっさり答える。
 僕だって春秋座の存在は知っている。けれども、春秋座は、それこそ大名題おおなだい歌舞伎かぶき役者ばかり集って組織している劇団なのだ。とても僕のような学生が、のこのこ出かけて行って団員になれるような劇団ではない。
「これは、無理ですよ。先生の紹介状でもあったらとにかく、」と言いかけたら、青天霹靂へきれき
「ひとりでやれ!」と奥から一喝いっかつ
 仰天した。いるのだ。御本尊がふすまの陰にかくれて立って聞いていたのだ。びっくりした。ひどい、じいさんだ。ほうほうのていで僕は退却した。すごい、じいさんだ。実に、おどろいた。家へ帰って兄さんに、きょうのてんまつを語って聞かせたら、兄さんは腹をかかえて笑った。僕も仕方なしに笑ったけれど、ちょっと、いまいましい気持もあった。
 きょうは完全に、やられた。けれども、斎藤先生(これからは斎藤先生と呼ぼう)の奇妙にしわがれた一喝に遭って、この二、三日の灰色の雲も、ふっ飛んだ感じだ。ひとりでやろう。春秋座。けれども、それでは一体、どうすればいいのか、まるで見当がつかない。兄さんも、当惑しているようだ。ゆっくり春秋座を研究してみましょう、というのが今夜の僕たちの結論だった。
 思いがけない事ばかり、次から次へと起ります。人生は、とても予測が出来ない。信仰の意味が、このごろ本当にわかって来たような気がする。毎日毎日が、奇蹟きせきである。いや、生活の、全部が奇蹟だ。

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