赤い太鼓
むかし都の西陣に、織物職人の家多く、軒をならべておのおの織物の腕を競い家業にはげんでいる中に、徳兵衛とて、名こそ福徳の人に似ているが、どういうものか、お金が残らず胆を冷やしてその日暮し、晩酌も二合を越えず、女房と連添うて十九年、他の女にお酌をさせた経験も無く、道楽といえば、たまに下職を相手に将棋をさすくらいのもので、それもひまを惜しんで目まぐるしい早将棋一番かぎり、約束の仕事の日限を違えた事はいちども無く万事に油断せず精出して、女房も丈夫、子供も息災、みずからは二十の時に奥歯一本虫に食われて三日病んだ他には病気というものを知らず、さりとてけちで世間の附き合いの義理を欠くというわけではなく職人仲間に律儀者の評判を取り、しかも神仏の信心深く、ひとつとして悪事なく、人生四十年を過して来たものの、どういうわけか、いつも貧乏で、世の中には貧乏性といってこのような不思議はままある事ながら、それにしても、徳兵衛ほどの善人がいつまでも福の神に見舞われぬとは、浮世にはわからぬ事もあるものだと、町内の顔役たちは女房に寝物語してひそかにわが家の内福に安堵するというような有様であった。そのうちに徳兵衛の貧乏いよいよ迫り、ことしの暮は夜逃げの他に才覚つかず、しのびしのび諸道具売払うを、町内の顔役たちが目ざとく見つけ、永年のよしみ、捨て置けず、それとなく徳兵衛に様子を聞けば、わずか七、八十両の借金に首がまわらず夜逃げの覚悟と泣きながら言う。顔役は笑い、
「なんだ、たかが七、八十両の借金で、先代からのこの老舗をつぶすなんて法は無い。ことしの暮は万事わしたちが引受けますから、もう一度、まあ、ねばってみなさい。来年こそは、この身代にも一花咲かせて見せて下さい。子供さんにも、お年玉を奮発して、下職への仕着も紋無しの浅黄にするといまからでも間に合いますから、お金の事など心配せず、まあ、わしたちに委せて、大船に乗った気で一つ思い切り派手に年越しをするんだね。お内儀も、そんな、めそめそしてないで、せっかくのいい髪をもったいない、ちゃんと綺麗に結って、おちめを人に見せないところが女房の働き。正月の塩鮭もわしの家で三本買って置いたから、一本すぐにとどけさせます。笑う門には福が来る。どうも、この家は陰気でいけねえ。さあ、雨戸をみんなあけて、ことしの家中の塵芥をさっぱりと掃き出して、のんきに福の神の御入来を待つがよい。万事はわしたちが引受けました。」と景気のいい事ばかり言い、それから近所の職人仲間と相談の上、われひと共にいそがしき十二月二十六日の夜、仲間十人おのおの金子十両と酒肴を携え、徳兵衛の家を訪れ、一升桝を出させて、それに順々に十両ずつばらりばらりと投げ入れて百両、顔役のひとりは福の神の如く陽気に笑い、徳兵衛さん、ここに百両あります、これをもとでに千両かせいでごらんなさい、と差し出せば、またひとりの顔役は、もっともらしい顔をして桝を神棚にあげ、ぱんぱんと拍手を打ち、えびす大黒にお願い申す、この百両を見覚え置き、利に利を生ませて来年の暮には百倍千倍にしてまたこの家に立ち戻らせ給え、さもなくば、えびす大黒もこの金横領のとがにんとして縄を打ち、川へ流してしまいます、と言えば、また大笑いになり、職人仲間の情愛はまた格別、それより持参の酒肴にて年忘れの宴、徳兵衛はうれしく、意味も無く部屋中をうろうろ歩きまわり重箱を蹴飛ばし、いよいよ恐縮して、あちらこちらに矢鱈にお辞儀して廻り、生れてはじめて二合以上の酒を飲ませてもらい、とうとう酔い泣きをはじめ、他の職人たちも、人を救ったというしびれるほどの興奮から、ふだん一滴も酒を口にせぬ人まで、ぐいぐいと飲み酒乱の傾向を暴露して、この酒は元来わしが持参したものだ、飲まなければ損だ、などとまことに興覚めないやしい事まで口走り、いきな男は、それを相手にせず、からだを前後左右にゆすぶって小唄をうたい、鬚面の男は、声をひそめて天下国家の行末を憂い、また隅の小男は、大声でおのれの織物の腕前を誇り、他のやつは皆へたくそ也とののしり、また、頬被りして壁塗り踊りと称するへんてつも無い踊りを、誰も見ていないのに、いやに緊張して口をひきしめいつまでも呆れるほど永く踊りつづけている者もあり、また、さいぜんから襖によりかかって、顔面蒼白、眼を血走らせて一座を無言で睨み、近くに坐っている男たちを薄気味悪がらせて、やがて、すっくと立ち上ったので、すわ喧嘩と驚き制止しかかれば、男は、ううと呻いて廊下に走り出て庭先へ、げえと吐いた。酒の席は、昔も今も同じ事なり、しまいには、何が何やら、ただわあとなって、骨の無い動物の如く、互いに背負われるやら抱かれるやら、羽織を落し、扇子を忘れ、草履をはきちがえて、いや、めでたい、めでたい、とうわごとみたいに言いながらめいめいの家へ帰り、あとには亭主ひとり、大風の跡の荒野に伏せる狼の形で大鼾で寝て、女房は呆然と部屋のまんなかに坐り、とにかく後片附けは明日と定め、神棚の桝を見上げては、うれしさ胸にこみ上げ、それにつけても戸じまりは大事と立って、家中の戸をしめて念いりに錠をおろし、召使い達をさきに寝かせて、それから亭主の徳兵衛を静かにゆり起し、そんな大鼾で楽寝をしている場合ではありません、ご近所の有難いお情を無にせぬよう、今夜これから、ことしの諸払いの算用を、ざっとやって見ましょう、と大福帳やら算盤を押しつければ、亭主は眼をしぶくあけて、泥酔の夢にも債鬼に苦しめられ、いまふっと眼がさめると、われは百両の金持なる事に気附いて、勇気百千倍、むっくり起き上り、
「よし来た、算盤よこせ、畜生め、あの米屋の八右衛門は、わしの先代の別家なのに、義理も恩も人情も忘れて、どこよりもせわしく借りを責め立てやがって、おのれ、今に見ろと思っていたが、畜生め、こんど来たら、あの皺面に小判をたたきつけて、もう来年からは、どんなにわしにお世辞を言っても、聞かぬ振りして米は八右衛門の隣りの与七の家から現金で買って、帰りには、あいつの家の前で小便でもして来る事だ。とにかく、あの神棚の桝をおろせ。久しぶりで山吹の色でも拝もう。」と大あぐらで威勢よく言い、女房もいそいそと立って神棚から一升桝をおろして見ると、桝はからっぽ、一枚の小判も無い。夫婦は仰天して、桝をさかさにしたり叩いてみたり、そこら中を這い廻ってみたり、神棚を全部引下して、もったいなくも御神体を裏がえしたりひっくりかえしたり、血まなこで捜しても一枚の小判も見当らぬ。
「いよいよ無いにきまった。」と亭主は思い切って、「もうよい、捜すな。桝一ぱいの小判をまさか鼠がそっくりひいて行ったわけでもあるまい。福の神に見はなされたのだ。よくよく福運の無い家と見える。」と言ったが口惜しさ、むらむらと胸にこみあげ、「いい笑い草だ。八右衛門の勘定はどうなるのだ。むだな喜びをしただけに、あとのつらさが、こたえるわい。」と腹をおさえて涙を流した。
女房もおろおろ涙声になって、
「まあ、どうしましょう。ひどい、いたずらをなさる人もあるものですねえ。お金を下さってよろこばせて、そうしてすぐにまた取り上げるとは、あんまりですわねえ。」
「何を言う。そなたは、あの、誰か盗んだとでも思っているのか。」
「ええ、疑うのは悪い事だけれども、まさか小判がひとりでふっと溶けて消えるわけは無し、宵からこの座敷には、あの十人のお客様のほかに出入りした人も無し、お帰りになるとすぐにあたしが表の戸に錠をおろして、――」
「いやいや、そのようなおそろしい事を考えてはいけない。小判は神隠しに遭ったのだ。わしたちの信心の薄いせいだ。あのように情深いご近所のお方たちを疑うなどは、とんでもない事だ。百両のお金をちらと拝ませていただいただけでも、有難いと思わなければならぬ。それに、生れてはじめてあれほどの大酒を飲む事も出来たし、もともとお金は無いものとあきらめて、」と分別ありげな事を言いながらも、明日からの暮しを思うと、地獄へまっさかさまに落ち込む心地で、「ああ、それにしても、一夜のうちに笑ったり泣いたり、なんてまあ馬鹿らしい身の上になったのだろう。」と鼻をすする。
女房はたまらず泣き崩れて、
「いいなぶりものにされました。百両くださると見せかけて、そっとお持ち帰りになって、いまごろは赤い舌を出して居られるのに違いない。ええ、十人が十人とも腹を合せて、あたしたちに百両を見せびらかし、あたしたちが泣いて拝む姿を楽しみながら酒を飲もうという魂胆だったのですよ。人を馬鹿にするにもほどがある。あなたは、口惜しくないのですか。あたしはもう恥ずかしくて、この世に生きて居られない。」
「恩人の悪口は言うな。この世がいやになったのは、わしも同様。しかし、人を恨んで死ぬのは、地獄の種だ。お情の百両をわが身の油断から紛失した申しわけに死ぬのならば、わしにも覚悟はあるが。」
「理窟はどうだって、いいじゃないの。あたしは地獄へ落ちたっていい。恨み死を致します。こんなひどい仕打ちをされて、世間のもの笑いになってなお生き延びるなんて事はとても出来ません。」
「よし、もう言うな。死にやいいんだ。かりそめにも一夜の恩人たちを訴えるわけにもいかず、いや疑う事さえ不埒な事だ、さりとてこのまま生き延びる工夫もつかず、女房、何も言わずに、わしと一緒に死のうじゃないか。この世ではそなたにも苦労をかけたが、夫婦は二世と言うぞ。」
一寸さきは闇の世の中、よろこびの宴の直後に、徳兵衛夫婦は死ぬる相談、二人の子供も、道づれと覚悟を極め、女房は貧のうちにも長持の底に残してあった白小袖に身を飾り、鏡に向い若い時から人にほめられた黒髪を撫でつけながら、まことに十九年のなじみ此のあけぼのの夢と歎き、気を取り直して二人の子供をしずかに引起せば、上の女の子は、かかさま、もうお正月か、と寝呆け、下の男の子は、坊の独楽はきょう買ってくれるかと言う。夫婦は涙に目くらみ、ものも言えず、子供を仏壇の前に坐らせ、わななきわななき御燈明をあげ、親子四人、先祖の霊に手を合せて、いまはこれまでと思うところに、子守女どたばたと走り出て、二人の子供を左右にひしとかかえて頬ずりして、あんまりだ、あんまりだ、旦那さまたちは何をなさるだ、われはさっきからお前様たちの話を残らず聞いていただ、死ぬならお前様たちだけで死ねばいいだ、こんな可愛い坊ちゃま嬢ちゃまに何の罪とががあるだ、むごい親だ、あんまりだ、坊ちゃま嬢ちゃまは、おらがもらって育てるだ、死ぬならお前様たちだけでさっさと死ねばいいだ、とあたりはばからぬ大声で泣きわめいて、隣近所の人もその騒ぎに起き出して、夫婦の自害もうやむやになり、顔役はやがて事情を聞いて驚き、これは大事とひとり思案し、いかにも夫婦の言うとおり、あの夜われら十人のほか部屋に出入りした人は無し、小判が風に吹き飛んだという例も聞かず、まさかわれら腹黒くしめし合せ、あの夫婦をなぶりものにするなんてのは滅相も無い事、十人が十人とも義に勇んであのいそがしい年末の一夜、十両の合力を気前よく引受けたのだ、誰をも疑うわけに行かぬ、下手な事を言い出したら町内の大騒動、わが身の潔白を示そうとして腹を切る男など出て来ないとも限らぬ、さりとて百両といえば少からぬ金額、あの夫婦の行末も気の毒、このまま捨て置くわけにも行くまい、とにかくこの事件はわれらが手に余ると分別を極め、ひそかに役人に訴え申し、金の詮議を依頼した。
この不思議な事件の吟味を取扱った人は、時の名判官板倉殿、年内余日も無く皆々渡世のさわりもあるべし、正月二十五日に詮索をはじめる、そのあいだ、かの十人の者ひとりも他国仕るな、という仰せがあり、やがて初春の二十五日に、お役所からお達しがあり、かの十人の者ども各々その女房を召連れてまかり出ずべし、もし女房無き者は、その姉妹、あるいは姪伯母、かねて最も近親の女をひとり同道して出頭致すべしとの上意。情をかけてこんな迷惑、親爺の遺言に貧乏人とは附合うなとあったが、なるほどここのところだ、十両の大金を捨て、そのうえお役所へ呼び出されるとはつまらぬ、とかく情は損のもと也、と露骨な卑しい愚痴を言うものもあり、とにかく女房を連れておそるおそるお白洲に出ると、板倉殿は笑いながら十人の者に鬮引きをさせて、一、二の順番をきめ、その順序のとおりに十組の名を大きな紙に書きしたためて番附を作り、お役所の前に張出させて、さて威儀を正していかめしく申し渡すよう、
「このたび百両の金子紛失の件、とにもかくにも、そちたちの過怠、その場に居合せながら大金の紛失に気附かざりしとは、察するところ、意地汚く酒を過し、大酔に及んだがためと思われる。飲酒の戒もさる事ながら、人の世話をするなら、素知らぬ振りしてあっさりやったらよかろう。救われた人を眼の前に置いてしつっこく、酒など飲んでおのれの慈善をたのしむなどは浅間しい。早く夫婦二人きりにさせて諸支払いの算用をさせるようにしむけてやるのが、まことの情だ。なまなかの情は、かえって人を罪におとす。以後は気を附けよ。罰として、きょうからあの表に張り出してある番附の順序に従って一日に一組ずつ、ここにある太鼓に棒をとおして、それぞれ女房と二人でかつぎ、役所の門を出て西へ二丁歩いて、杉林の中を通り抜け、さらに三丁、畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮に参り、八幡宮のお札をもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、固く申しつける。」との事で、一同これは世にためし無き異なお仕置きと首をかしげたが、おかみのお言いつけなれば致し方なく、ばかばかしくもその日から、夫婦で太鼓をかついで八幡様へお参りして来なければならなくなった。耳ざとい都の人にはいち早くこの珍妙の裁判の噂がひろまり、板倉殿も耄碌したか、紛失の金子の行方も調べずに、ただ矢鱈に十人を叱って太鼓をかつがせお宮参りとは、滅茶苦茶だ、おおかた智慧者の板倉殿も、このたびの不思議な盗難には手の下し様が無く、やけっぱちで前代未聞の太鼓のお仕置きなど案出して、いい加減にお茶を濁そうという所存に違いない、と物識り顔で言う男もあれば、いやいやそうではない、何事につけても敬神崇仏、これを忘れるなという深いお心、むかし支那に、夫婦が太鼓をかついでお宮まいりをして親の病気の平癒を祈願したという美談がある、と真面目な顔で嘘を言う古老もあり、それはどんな書物に出ています、と突込まれて、それは忘れたがとにかくある、と平気で嘘の上塗りをして、年寄りの話は黙って聞け、と怒ってぎょろりと睨み、とにかく都の評判になり、それ見に行けとお役所の前に押しかけ、夫婦が太鼓をかついでしずしずと門から出て来ると、わあっと歓声を挙げ、ばんざいと言う者もあり、よう御両人、やけます、と黄色い声で叫ぶ通人もあり、いずれも役人に追い払われ、このたびのお仕置きは、諸見物の立寄る事かたく御法度、ときびしく申しわたされ、のこり惜しそうに、あとを振り返り振り返り退散して、夫婦はそれどころで無く大不平、なんの因果で、こんな太鼓をかついでのこのこ歩かなければならぬのか、思えば思うほど、いまいましく、ことにも女は、はじめから徳兵衛の事などかくべつ可哀想とも思わず、一銭の金でも惜しい大晦日に亭主が勝手に十両などという大金を持ち出し、前後不覚に泥酔して帰宅して、何一ついいことが無かった上に亭主と共にお白洲に呼び出され、太鼓なんか担がせられて諸人の恥さらしになるのだから、面白くない事おびただしい。おまけにこの太鼓たるや、気まりの悪いくらい真赤な塗胴で、天女の舞う図の金蒔絵がしてあって、陽を受けて燦然と輝き、てれくさくって思わず顔をそむけたいくらい。しかも大きさは四斗樽ほどあって、棒を通して二人でかついでも、なかなか重い。女房はじめは我慢して神妙らしく担いでいても、町はずれに出て、杉林にさしかかる頃からは、あたりに人ひとりいないし、そろそろ愚痴が出て来る。
「ああ、重い。あなたは、どうなの? 重くないの? ばかにうれしそうに歩いているわね。お祭りじゃないんですよ。子供じゃあるまいし、こんな赤い大鼓をかついでお宮まいりだなんて、板倉様も意地が悪い。もうもう、あたしは、人の世話なんてごめんですよ。あなたたちは、人の世話にかこつけて、お酒を飲んで騒ぎたいのでしょう? ばかばかしい。おまけにこんな赤い太鼓をかつがせられて、いい見せ物にされて、――」
「まあ、そう言うな。ものは考え様だ。どうだい、さっきの、お役所の前の人出は。わしは生れてから、あんなに人に囃された事は無い。人気があるぜ、わしたちは。」
「何を言ってるの。道理であなたは、けさからそわそわして、あの着物、この着物、と三度も着かえて、それから、ちょっと薄化粧なさってたわね。そうでしょう? 白状しなさい。」
「馬鹿な事を言うな。馬鹿な。」と亭主は狼狽して、「しかし、いい天気だ。」とよそ話をした。
また翌日の一組は、れいの発起人の顔役とその十八の娘。
「お父さん、」と十八の娘は、いまは亡き母にかわって家事の担当、父の身のまわりの世話を焼いているので、鼻息が荒い。「亡くなったお母さんが、あたしたちのこんないい恰好を見て、草葉の蔭で泣いていらっしゃるでしょうねえ。お父さんは、まあ、自業自得で仕方がないとしても、あたしにまで、こんな赤い太鼓の片棒かつがせて、チンドン屋みたいな事をさせてさ、お母さんはきっと、お父さんをうらんで、化けて出るわよ。」
「おどかしちゃいけねえ。何も、わしだって好きでかついでいるわけじゃないし、また、年頃のお前にこんな判じ物みたいなものを担がせるのも、心苦しいとは思っている。」
「あんな事を言っている。心苦しいだなんて、そんな気のきいた言葉をどこで覚えて来たの? おかしいわよ。お父さんには、この太鼓がよく似合ってよ。お父さんは派手好きだから、赤いものが、とてもよく似合うわ。こんど、真赤なお羽織を一枚こしらえてあげましょうね。」
「からかっちゃいけねえ。だるまじゃあるまいし、赤い半纏なんてのはお祭りにだって着て出られるわけのものじゃない。」
「でも、お父さんは年中お祭りみたいにそわそわしている、あんなのをお祭り野郎ってんだと陰口たたいていた人があったわよ。」
「誰だ、ひでえ奴だ、誰がそんな事を言ったんだ。そのままにはして置けねえ。」
「あたしよ、あたしが言ったのよ。何のかのと近所に寄合いをこしらえさせてお祭り騒ぎをしようとたくらんでばかりいるんだもの。いい気味だわ。ばちが当ったんだわ。お奉行様は、やっぱりえらいな。お父さんのお祭り野郎を見抜いて、こらしめのため、こんな真赤なお祭りの太鼓をかつがせて、改心させようと思っていらっしゃるのに違いない。」
「こん畜生! 太鼓をかついでいなけれや、ぶん殴ってやるんだが、えい、徳兵衛ふびんさに、持前の親分肌のところを見せてやったばっかりに、つまらねえ事になった。」
「持前だって。親分肌だって。おかしいわよ、お父さん。自分でそんな事を言うのは、耄碌の証拠よ。もっと、しっかりしなさいね。」
「この野郎、黙らんか。」
またその翌日の夫婦は、
「あなたも、しかし、妙な人ですね。ふだんあんなにけちで、お客さんの煙草ばかり吸っているほどの人が、こんどに限って、馬鹿にあっさり十両なんて大金を出したわね。」
「そりゃあね、男の世界はまた違ったものさ。義を見てせざるは勇なき也。常日頃の倹約も、あのような慈善に備えて、――」
「いい加減を言ってるわ。あたしゃ知っていますよ。あなたは前から、あの徳兵衛さんのおかみさんを、へんにほめていらっしゃったわね。思召しがあるんじゃない? いいとしをして、まあ、そんな鬼がくしゃみして自分でおどろいてるみたいな顔をして、思召しも呆れるじゃないの、いいえ、あたしゃ知っていますよ、あなた、としを考えてごらんなさい、孫が三人もあるくせに、お隣りのおかみさんにへんな色目を使ったりなんかして、あなたはそれでも人間ですか、人間の道を知っているのですか、いいえ、あたしには、わかっていますよ、おかげでこんな重い太鼓なんか担がせられて、あいたたた、あたしゃまた神経痛が起って来た。あしたから、あなたが、ごはんをたくのですよ。薪も割ってもらわなくちゃこまるし、糠味噌もよく掻きまわして、井戸は遠いからいい気味だ、毎朝手桶に五はいくんで来て台所の水甕に、あいたたた、馬鹿な亭主を持ったばかりに、あたしは十年寿命をちぢめた。」と喚き、その翌る日の組も同じ事、いずれも女は不平たらたら、男はひとしく口汚くののしられて、女子と小人は養い難しと眼をかたくつぶって観念する者もあり、家へ帰って矢庭に女房をぶん殴って大立廻りを演じ離縁騒ぎをはじめた者もあり、運悪く大雪の日の番に当った一組は、ひとしお女房の歎きやら呪いやらが猛烈を極め、共に風邪をひき、家へ帰って床を並べて寝込んでしまって咳にむせかえりながらも烈しく互いに罵倒し合い、太鼓の仕置きも何の事は無い、女の口の悪さを暴露したという結果に終っただけのようであった。十組のお仕置きが全部すんでから、また改めて皆にお呼び出しがあり、一同不機嫌のふくれつらでお白州にまかり出ると、板倉殿はにこにこ笑い、
「いや、このたびは御苦労であった。太鼓の担ぎ賃として、これは些少ながら、それがしからの御礼だ。失礼ではあろうが、笑って受取ってもらいたい。風邪をひいて二、三日寝込んだ夫婦もあったとか、もはや本服したろうが、お見舞いとして別に一封包んで置いた。こだわり無く収めていただきたい。このたび仲間の窮迫を見かねて金十両ずつ出し合って救ったとは近頃めずらしい美挙、いつまでもその心掛けを忘れぬよう。それにもかかわらず、あのような重い太鼓をかつがせ、その上、男どもは、だいぶ女連にやられていたようで、気の毒に思っている。まあ、何事も水に流して、この後は仲良く家業にはげむよう。ところで、この中の一組、太鼓をかついで杉林にさしかかった頃から女房が悪鬼に憑かれたように物狂わしく騒ぎ立て、亭主の過去のふしだらを一つ一つ挙げてののしり、亭主が如何になだめても静まらず、いよいよ大声で喚き散らすゆえ、亭主は困却し果て、杉林を抜けて畑にさしかかった頃、あたりをはばかる小さい声で、騒ぐな、うらむな、太鼓の難儀もいましばしの辛抱、百両の金は、わしたちのもの、家へ帰ってから戸棚の引出しをあけて見ろ、と不思議な事を言った。言った者には、覚えのある筈。いや、それがしは神通力も何も持っていない。あの赤い太鼓は重かったであろう。あの中に小坊主ひとりいれて置いた。委細はその小坊主から聞いて知った。言った者を、いまここで名指しをするのは容易だが、この者とて、はじめは真の情愛を以てこのたびの美挙に参加したのに違いなく、酒の酔いに心が乱れ、ふっと手をのばしただけの事と思われる。命はたすける。おかみの慈悲に感じ、今夜、人目を避けて徳兵衛の家の前にかの百両の金子を捨てよ。然る後は、当人の心次第、恥を知る者ならば都から去れ。おかみに於いては、とやかくの指図無し。一同、立て。以上。」
(本朝桜陰比事、巻一の四、太鼓の中は知らぬが因果)
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