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博愛主義。雪の四つ辻に、ひとりは提燈を持ってうずくまり、ひとりは胸を張って、おお神様、を連発する。提燈持ちは、アアメンと呻く。私は噴き出した。
救世軍。あの音楽隊のやかましさ。慈善鍋。なぜ、鍋でなければいけないのだろう。鍋にきたない紙幣や銅貨をいれて、不潔じゃないか。あの女たちの図々しさ。服装がどうにかならぬものだろうか。趣味が悪いよ。
人道主義。ルパシカというものが流行して、カチュウシャ可愛いや、という歌がはやって、ひどく、きざになってしまった。
私はこれらの風潮を、ただ見送った。
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プロレタリヤ独裁。
それには、たしかに、新しい感覚があった。協調ではないのである。独裁である。相手を例外なくたたきつけるのである。金持は皆わるい。貴族は皆わるい。金の無い一賤民だけが正しい。私は武装蜂起に賛成した。ギロチンの無い革命は意味が無い。
しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った。
私はカルモチンをたくさん嚥下したが、死ななかった。
「死ぬには、及ばない。君は、同志だ。」と或る学友は、私を「見込みのある男」としてあちこちに引っぱり廻した。
私は金を出す役目になった。東京の大学へ来てからも、私は金を出し、そうして、同志の宿や食事の世話を引受けさせられた。
所謂「大物」と言われていた人たちは、たいていまともな人間だった。しかし、小物には閉口であった。ほらばかり吹いて、そうして、やたらに人を攻撃して凄がっていた。
人をだまして、そうしてそれを「戦略」と称していた。
プロレタリヤ文学というものがあった。私はそれを読むと、鳥肌立って、眼がしらが熱くなった。無理な、ひどい文章に接すると、私はどういうわけか、鳥肌立って、そうして眼がしらが熱くなるのである。君には文才があるようだから、プロレタリヤ文学をやって、原稿料を取り党の資金にするようにしてみないか、と同志に言われて、匿名で書いてみた事もあったが、書きながら眼がしらが熱くなって来て、ものにならなかった。(この頃、ジャズ文学というのがあって、これと対抗していたが、これはまた眼がしらが熱くなるどころか、チンプンカンプンであった。可笑しくもなかった。私はとうとう、レヴュウというものを理解できずに終った。モダン精神が、わからなかったのである。してみると、当時の日本の風潮は、アメリカ風とソヴィエト風との交錯であった。大正末期から昭和初年にかけての頃である。いまから二十年前である。ダンスホールとストライキ。煙突男などという派手な事件もあった。)
結局私は、生家をあざむき、つまり「戦略」を用いて、お金やら着物やらいろいろのものを送らせて、之を同志とわけ合うだけの能しか無い男であった。
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満洲事変が起った。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。
私はたびたび留置場にいれられ、取調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度に呆れて、「おめえみたいなブルジョアの坊ちゃんに革命なんて出来るものか。本当の革命は、おれたちがやるんだ。」と言った。
その言葉には妙な現実感があった。
のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴に遂行した人の中に、あのひとも混っていたような気がしてならぬ。
同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。
中国を相手の戦争は継続している。
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私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。
私の最も憎悪したものは、偽善であった。
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キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。
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関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。
実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。
プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。
狂人の発作に近かった。
組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。
このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。
東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。
その二・二六事件の反面に於いて、日本では、同じ頃に、オサダ事件というものがあった。オサダは眼帯をして変装した。更衣の季節で、オサダは逃げながら袷をセルに着換えた。
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どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。
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中国との戦争はいつまでも長びく。たいていの人は、この戦争は無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英という事になった。
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ジリ貧という言葉を、大本営の将軍たちは、大まじめで教えていた。ユウモアのつもりでもないらしい。しかし私はその言葉を、笑いを伴わずに言う事が出来なかった。この一戦なにがなんでもやり抜くぞ、という歌を将軍たちは奨励したが、少しもはやらなかった。さすがに民衆も、はずかしくて歌えなかったようである。将軍たちはまた、鉄桶という言葉をやたらに新聞人たちに使用させた。しかし、それは棺桶を聯想させた。転進という、何かころころ転げ廻るボールを聯想させるような言葉も発明された。敵わが腹中にはいる、と言ってにやりと薄気味わるく笑う将軍も出て来た。私たちなら蜂一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、敵の大部隊を全部ふところにいれて、これでよし、と言っている。もみつぶしてしまうつもりであったろうか。天王山は諸所方々に移転した。何だってまた天王山を持ち出したのだろう。関ヶ原だってよさそうなものだ。天王山を間違えたのかどうだか、天目山などと言う将軍も出て来た。天目山なら話にならない。実にそれは不可解な譬えであった。或る参謀将校は、この度のわが作戦は、敵の意表の外に出ず、と語った。それがそのまま新聞に出た。参謀も新聞社も、ユウモアのつもりではなかったようだ。大まじめであった。意表の外に出たなら、ころげ落ちるより他はあるまい。あまりの飛躍である。
指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。
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しかし彼等は脅迫した。天皇の名を騙って脅迫した。私は天皇を好きである。大好きである。しかし、一夜ひそかにその天皇を、おうらみ申した事さえあった。
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日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。
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天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。
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十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。
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まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。
●表記について
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