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グッド・バイ(グッド・バイ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-20 8:22:38  点击:  切换到繁體中文


      怪力 (一)

 しかし、田島だって、もともとただものでは無いのである。闇商売やみしょうばいの手伝いをして、一挙に数十万は楽にもうけるという、いわば目から鼻に抜けるほどの才物であった。
 キヌ子にさんざんムダ使いされて、黙って海容かいようの美徳を示しているなんて、とてもそんな事の出来る性格ではなかった。何か、それ相当のお返しをいただかなければ、どうしたって、気がすまない。
 あんちきしょう! 生意気だ。ものにしてやれ。
 別離の行進は、それから後の事だ。まず、あいつを完全に征服し、あいつを遠慮深くて従順で質素で小食の女に変化させ、しかるのちにまた行進を続行する。いまのままだと、とにかく金がかかって、行進の続行が不可能だ。
 勝負の秘訣ひけつ。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。
 彼は、電話の番号帳により、キヌ子のアパートの所番地を調べ、ウイスキイ一本とピイナツを二袋だけ買い求め、腹がへったらキヌ子に何かおごらせてやろうという下心、そうしてウイスキイをがぶがぶ飲んで、酔いつぶれた振りをして寝てしまえば、あとは、こっちのものだ。だいいち、ひどく安上りである。部屋代もらない。
 女に対して常に自信満々の田島ともあろう者が、こんな乱暴な恥知らずの、エゲツない攻略の仕方を考えつくとは、よっぽど、かれ、どうかしている。あまりに、キヌ子にむだ使いされたので、狂うような気持になっているのかも知れない。色慾のつつしむべきも、さる事ながら、人間あんまり金銭に意地汚くこだわり、モトを取る事ばかりあせっていても、これもまた、結果がどうもよくないようだ。
 田島は、キヌ子を憎むあまりに、ほとんど人間ばなれのしたケチないやしい計画を立て、果して、死ぬほどの大難に逢うに到った。
 夕方、田島は、世田谷のキヌ子のアパートを捜し当てた。古い木造の陰気くさい二階建のアパートである。キヌ子の部屋は、階段をのぼってすぐ突当りにあった。
 ノックする。
「だれ?」
 中から、れいの鴉声からすごえ
 ドアをあけて、田島はおどろき、立ちすくむ。
 乱雑。悪臭。
 ああ、荒涼こうりょう。四畳半。その畳の表は真黒く光り、波の如く高低があり、へりなんてその痕跡こんせきをさえとどめていない。部屋一ぱいに、れいのかつぎの商売道具らしい石油かんやら、りんご箱やら、一升ビンやら、何だか風呂敷に包んだものやら、鳥かごのようなものやら、紙くずやら、ほとんど足の踏み場も無いくらいに、ぬらついて散らばっている。
「なんだ、あなたか。なぜ、来たの?」
 そのまた、キヌ子の服装たるや、数年前に見た時の、あの乞食姿、ドロドロによごれたモンペをはき、まったく、男か女か、わからないような感じ。
 部屋の壁には、無尽会社の宣伝ポスター、たった一枚、他にはどこを見ても装飾らしいものがない。カーテンさえ無い。これが、二十五、六の娘の部屋か。小さい電球が一つ暗くともって、ただ荒涼。

      怪力 (二)

「あそびに来たのだけどね、」と田島は、むしろ恐怖におそわれ、キヌ子同様の鴉声になり、「でも、また出直して来てもいいんだよ。」
「何か、こんたんがあるんだわ。むだには歩かないひとなんだから。」
「いや、きょうは、本当に、……」
「もっと、さっぱりなさいよ。あなた、少しニヤケ過ぎてよ。」
 それにしても、ひどい部屋だ。
 ここで、あのウイスキイを飲まなければならぬのか。ああ、もっと安いウイスキイを買って来るべきであった。
「ニヤケているんじゃない。キレイというものなんだ。君は、きょうはまた、きたな過ぎるじゃないか。」
 にがり切って言った。
「きょうはね、ちょっと重いものを背負ったから、少し疲れて、いままで昼寝をしていたの。ああ、そう、いいものがある。お部屋へあがったらどう? 割に安いのよ。」
 どうやら商売の話らしい。もうけ口なら、部屋の汚なさなど問題でない。田島は、靴を脱ぎ、畳の比較的無難なところを選んで、外套がいとうのままあぐらをかいて坐る。
「あなた、カラスミなんか、好きでしょう? 酒飲みだから。」
「大好物だ。ここにあるのかい? ごちそうになろう。」
「冗談じゃない。お出しなさい。」
 キヌ子は、おくめんも無く、右の手のひらを田島の鼻先に突き出す。
 田島は、うんざりしたように口をゆがめて、
「君のする事なす事を見ていると、まったく、人生がはかなくなるよ。その手は、ひっこめてくれ。カラスミなんて、要らねえや。あれは、馬が食うもんだ。」
「安くしてあげるったら、ばかねえ。おいしいのよ、本場ものだから。じたばたしないで、お出し。」
 からだをゆすって、手のひらを引込めそうも無い。
 不幸にして、田島は、カラスミが実に全く大好物、ウイスキイのさかなに、あれがあると、もう何も要らん。
「少し、もらおうか。」
 田島はいまいましそうに、キヌ子の手のひらに、大きい紙幣を三枚、載せてやる。
「もう四枚。」
 キヌ子は平然という。
 田島はおどろき、
「バカ野郎、いい加減にしろ。」
「ケチねえ、一ハラ気前よく買いなさい。鰹節かつおぶしを半分に切って買うみたい。ケチねえ。」
「よし、一ハラ買う。」
 さすが、ニヤケ男の田島も、ここに到って、しんから怒り、
「そら、一枚、二枚、三枚、四枚。これでいいだろう。手をひっこめろ。君みたいな恥知らずを産んだ親の顔が見たいや。」
「私も見たいわ。そうして、ぶってやりたいわ。捨てりゃ、ネギでも、しおれて枯れる、ってさ。」
「なんだ、身の上話はつまらん。コップを借してくれ。これから、ウイスキイとカラスミだ。うん、ピイナツもある。これは、君にあげる。」

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