拝復。
先日は、短篇集とお手紙を戴きました。御礼おくれて申しわけありませんでした。短篇集は、いずれゆっくり拝読させて戴くつもりです。まずは、御礼まで。草々。
十八日
井原退蔵
木戸一郎様
一枚の
葉書の始末に窮して、机の上に置きそれに向ってきちんと正坐してみても落ち附かず、その葉書を持って立ち上り、部屋の中をうろうろ歩き廻ってみても、いよいよ途方に暮れるばかりで、いっそ何気なさそうな顔をして部屋の
隅の
状差しに、その持てあました葉書を押し込んで、フンといった気持で畳の上にごろりと寝ころんでもみましたが、一向に形が附かず、また起き上ってその葉書を状差しから引き抜き、短かすぎる文面を小声で読んで、淋しく、とうとう二つに折って、
懐深くねじ込み、どうやら少し落ち附いた気持になって、机に向い、またもやあなたにこんな失礼な手紙を書きしたためて居ります。
先日は、実に、だらしない手紙を差し上げ、まことに失礼いたしました。あの夜、あの手紙を書き上げて、そのまま
翌る朝まで机の上に載せて置いたならば、
或いは、心が臆して来て、出せなくなるのではないかと思い、深夜、あの手紙を持って野道を三丁ほど、煙草屋の前のポストまで行って来ましたが、ひどく明るい月夜で、雲が、食べられるお菓子の綿のように白くふんわり空に浮いていて、深夜でもやっぱり白雲は浮いて、ゆるやかに流れているのだという事をはじめて発見し、けれどもこんな甘い発見に胸を躍らせるのも、もうこの後はあるまい、今夜が最後だ、最後だ、最後だと、一歩一歩、最後だという言葉ばかりを胸の中で
呟きつづけて家へ帰りました。翌る朝、朝ごはんを食べながら、
呻くばかりでありました。くだらない手紙を差し上げた事を、つくづく後悔しはじめたのです。出さなければよかった。取返しのつかぬ大恥をかいた。たった一夜の感傷を、二十年間の秘めたる思いなどという背筋の寒くなるような言葉で飾って、わあっ! 私は、鼻持ちならぬ美文の大家です。文章
倶楽部の愛読者通信欄に投書している文学少女を笑えません。いや、もっと悪い。私は先日の手紙に於いて、自分の事を四十ちかい、四十ちかいと何度も言って、もはや初老のやや落ち附いた生活人のように形容していた筈でありましたが、はっきり申し上げると三十八歳、けれども私は初老どころか、昨今やっと文学のにおいを
嗅ぎはじめた少年に過ぎなかったのだという事を、いやになるほど、はっきり知らされました。行きづまった等、そんな
大袈裟な事を、言える柄では無かったのです。私は、なんにも作品を書いていなかった。なんにも努めていなかった。私は、安易な隙間隙間をねらって、くぐりぬけて歩いて来た。窮極の問題は、私がいま、なんの生き
甲斐も感じていないという事に在ったのでした。生きる事に何も張り合いが無い時には、自殺さえ、出来るものではありません。自殺は、かえって、生きている事に張り合いを感じている人たちのするものです。最も平凡な言いかたをすれば、私は、スランプなのかも知れません。恋愛でもやってみましょうか。先日あんな、だらしない手紙を差し上げ、それから後で、つくづく自分のだらしなさ、青臭さを痛感して、未だ少しも自分の形の出来ていないのがわかり、こんな具合では、もういちどはじめから全部やり直さなければなるまい、けれども一体、どこから手をつけて行けばいいのか、途方に暮れて、愚妻の
皺の殖えたソバカスだらけの顔を横目で見て、すさまじい気が致しました。私は、自分に
呆れました。そうして、けさは又、あなたから、たいへん短いお言葉をいただき、いよいよ自分に呆れました。先日の私の、あんな、ふざけた手紙には、これくらいの簡単な御返事で適当なのだろうと思い知りました。決して、お怨みしているのではございません。とんでも無いことであります。その点は、なにとぞ御放念下さい。私は、けさの簡単なお葉書のお言葉に
依って、私の身の程を、はっきり知らされたのです。かえって有難く思って居ります。こうして書いているうちにも、だんだんはっきり判って来ます。つまり、けさ私がお葉書をいただいて、その葉書の処置に窮して、うろうろしたのは、自分の身の程を知らされて
狼狽していただけの事でありました。少しは私にも、作家としての誇りもあったのでしょう、その誇りのやり場に窮して、うろうろあのお葉書を持ち廻っていたのに違いありません。私は、はじめから、やり直します。さらに素直に、心掛けます。
「華厳」を、あれから、もう一度、ゆっくり読みかえしてみました。最初、お照が髪を
梳いて抜毛を丸めて、無雑作に庭に投げ捨て、立ち上るところがありますけれど、あの一行半ばかりの描写で、お照さんの肉体も宿命も、自然に首肯出来ますので、思わず私は
微笑みました。庭の
苔の描写は、余計のように思われましたけれど、なお、もう一度、読みかえしてみるつもりであります。雨後の華厳の滝のところは、ただもう、にこにこしてしまいました。滝のしぶきが、冷く痛く頬に感ぜられました。お照も細く見えた、という結末の一句の若さに驚きました。女体が、すっと飛ぶようにあざやかに見えました。作者の愛情と祈念が、やはり読者を救っています。
私は貧乏なので、なんの空想も浮ばず、十年一日の如く、月末のやりくり、庭にトマトの苗を植えた事など、ながながと小説に書いて、ちかごろは、それもすっかり、いやになって、なんとかしなければならぬと、ただやきもきして新聞ばかり読んでいます。
脚気のほうも、最近は、しびれるような事も無く、具合がいいので、五、六日前から少しずつ、酒の稽古をはじめて居ります。酒を飲むと、少し空想も豊富になって、うれしいのです。酒がこんなに有難いものだとは思わなかった。酒は不潔な堕落のような気がして、このとしになるまで盃をふくんだ事がなかったのですが、国内に酒が少し不足になりかけた頃に、あわてて酒の稽古をするとは、実に、おどろくべき遅刻者であります。私は、いつでも遅刻ばっかりしていました。いっそトラックを一周おくれて、先頭になりましょうか。ひとつ御指導を得て、恋愛の稽古もはじめたい。歴史を勉強しましょうか。哲学とやらは如何。語学は。
告白すると、私は、ショパンの憂鬱な
蒼白い顔に芸術の正体を感じていました。もっと、やけくそな言葉で言うと、「あこがれて」いました。お笑いになりますか。海浜の宿の
籐椅子に、疲れ果てた細長いからだを埋めて、まつげの長い大きい眼を、まぶしそうに細めて海を見ている。
蓬髪は海の風になぶられ、
品のよい広い額に乱れかかる。右頬を軽く支えている五本の指は
鶺鴒の尾のように細長くて鋭い。そのひとの背後には、
明石を着た中年の女性が、ひっそり立っている。呆れましたか。どうも私の空想は月並みで自分ながら閉口ですが、けれども私は本気で書いてみたのです。近代の芸術家は、誰しも一度は、そんな姿と大同小異の影像を、こっそりあこがれた事がある。実に滑稽です。大工のせがれがショパンにあこがれ、だんだん横に太るばかりで、脚気を病み、顔は
蟹の
甲羅の如く真四角、髪の毛は、海の風に
靡かすどころか、頭のてっぺんが
禿げて来ました。そうして一合の晩酌で大きい顔を、でらでら油光りさせて、老妻にいやらしくかまっています。少年の頃、夢に見ていた作家とは、まさか、こんなものではありませんでした。本当に、「こんな筈ではなかった」という笑い話。けれども現在の此の私は、作家以外のものでは無い。先生、と呼ばれる事さえあるのです。ショパンを見捨て、山上憶良に転向しましょうか。「貧窮問答」だったら、いまの私の日常にも、かなりぴったり致します。こんなのを民族的自覚というのでしょうか。
書いているうちに、何もかも、みんな、くだらなくなりました。これで失礼いたします。けさは朝から不愉快でした。少し落ち附いて考えてみたくなりました。なんだか、みんな不安になりました。けれどもお気になさらぬよう。失礼いたしました。
この手紙には、御返事は
要りません。お大事に。
六月二十日
木戸一郎
井原退蔵様
前略。
返事は要らぬそうだが御返事をいたします。
君の赤はだかの神経に接して、二三日、自分に(君にではない)不潔を感じて
厭な気がしていたという事も申して置きます。自分は、君の名を前から知っていました。作品を読んだ事は無かったが、詩人の加納君が、或る会合の席上でかなりの情熱を
以て君の作品をほめて、自分にも一読をすすめた事がありました。自分も、そんなら一度読んでみようと思いながら、今日までその機会が無く、そのままになっていました。先日、君の短篇集とお手紙をもらって、お礼のおくれたのは自分の気不精からでもありましたが、自分は誰かれの差別なくお礼やら返事やらを書いているわけにも行きません。恩を着せるようにとられても厭ですが、自分は君の短篇集をちょっと
覗いてみて、安心していいものがあるように思われましたから、気も軽くなって
不取敢お礼を差し上げたのです。お礼の言葉が短かすぎて君はたいへん不満のようですが、お礼には、誠実な「ありがとう」の一言で充分だと思う。他に、どんな言葉が要るのですか。あの時には、自分は未だ君の作品を、ほとんど読んでいなかったのです。
けれどもいまは、ちがいます。自分は君の短篇集を、はじめから終りまで全部読みました。かなりの資質を持った作家だと思いました。いつか詩人の加納が、君の作品をほめていたが、その時の加納の言葉がいま自分にも、いちいち首肯出来ました。
「光陰」のタッチの軽快、「
瘤」のペエソス、「
百日紅」に於ける強烈な自己凝視など、外国十九世紀の一流品にも
比肩出来る逸品と信じます。お手紙に
依れば、君は無学で、そうして大変つまらない作家だそうですが、そんな、見え透いた虚飾の言は、やめていただく。君が無学で、下手な作家なら、井原は学者で、上手な作家という事になるようですが、そんな、人を無意味に困惑させるような言葉は、聞きたくないのです。もし君が、これから自分と交際をはじめるつもりであったなら、まず、そんな不要の言いわけは一言もせぬ事にして、それからにして欲しい。そうで無ければ、自分は交際を願うわけに行かない。「私は無学で、下手な作家」だと言われると、言われた自分のほうで、自分に不潔を感じてやりきれなくなります。自分だって、大きい顔をでらでら油光りさせて酒を飲んでいる事があります。君の手紙に不潔を感じたというのではなく、鏡の反射光を真正面に自分のほうに向けられたような気がして、自分の醜さにまごつくのです。おわかりの事と思う。
君の作品に於いても、自分にはたった一つ大きい不満があります。十九世紀の一流品に比肩出来るという、自分の言葉の中にも、自分はその大きい不満を含めていました。君の作品は、十九世紀の完成を小さく模倣しているだけだ、といってしまうと、
実も
蓋も無くなりますが、君の作品のお手本が、十九世紀のロシヤの作家あるいはフランスの象徴派の詩人の作品の中に、たやすく発見出来るので、窮極に於いて、たより無い気がするのです。感傷の
在りかたが、諦念に到達する過程が、心境の動きが、あきらかに公式化せられています。かならずお手本があるのです。誰しもはじめは、お手本に
拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに
腑甲斐ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているようです。「芸術的」という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が
胚胎していたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、「正確を期する事」であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ「芸術的」でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く
滑稽な幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり
自涜であります。「チエホフ的に」などと少しでも意識したならば、かならず
無慙に失敗します。言わでもの事であったかも知れません。君も既に一個の創作家であり、すべてを心得て居られる事と思いますが、君の作品の底に少し心配なところがあるので、遠慮をせずに申し上げました。
無闇に
字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。複雑という事は、かえって無思想の人の表情なのです。それこそ、本当の無学です。君は無学ではありません。君の作品に於いても、根強い一つの思想があるのに、君は、それを未だに自覚していないのです。次の
箴言を知っていますか。
「エホバを
畏るるは知識の
本なり。」
多少、興奮して、失敬な事を書いたようです。けれども、若いすぐれた資質に接した時には、若い情熱でもって返報するのが作家の礼儀とも思われます。自分は、ハンデキャップを認めません。体当りで来た時には、体当りで返事をします。
今日は、君の作品に
就いてだけ申し上げました。君のお手紙の言葉に対しては、次の機会にゆっくりお答えしたいと考えています。君の二通の手紙は、君の作品に較べて、ひどく劣っています。自分がもし君のあの手紙だけを読んで君の作品に接していなかったら、自分は君に返事を書かなかったろうと思います。君は、嘘ばかり書いていました。次の機会に、もっとくわしく申し上げます。長くなりますので、今日の手紙は、これだけで打ち切ります。
よい友人が得られそうなので、自分も久し振りに張り合いを感じています。やり切れなくなったら、旅行でもしてみたら、どうですか。不一。
二十五日
井原退蔵
木戸一郎様
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