三
毎日、毎日、暑い日が続きました。私は、暑さと、それから心配のために、食べものが喉をとおらぬ思いで、頬の骨が目立って来て、赤ん坊にあげるおっぱいの出もほそくなり、夫も、食がちっともすすまぬ様子で、眼が落ちくぼんで、ぎらぎらおそろしく光って、或る時、ふふんとご自分をあざけり笑うような笑い方をして、
「いっそ発狂しちゃったら、気が楽だ。」
と言いました。
「あたしも、そうよ。」
「正しいひとは、苦しい筈が無い。つくづく僕は感心する事があるんだ。どうして、君たちは、そんなにまじめで、まっとうなんだろうね。世の中を立派に生きとおすように生れついた人と、そうでない人と、はじめからはっきり区別がついているんじゃないかしら。」
「いいえ、鈍感なんですのよ、あたしなんかは。ただ、……」
「ただ?」
夫は、本当に狂ったひとのような、へんな目つきで私の顔を見ました。私は口ごもり、ああ、言えない、具体的な事は、おそろしくて、何も言えない。
「ただね、あなたがお苦しそうだと、あたしも苦しいの。」
「なんだ、つまらない。」
と、夫は、ほっとしたように微笑んでそう言いました。
その時、ふっと私は、久方振りで、涼しい幸福感を味わいました。(そうなんだ、夫の気持を楽にしてあげたら、私の気持も楽になるんだ。道徳も何もありやしない、気持が楽になれば、それでいいんだ。)
その夜おそく、私は夫の蚊帳にはいって行って、
「いいのよ、いいのよ。なんとも思ってやしないわよ。」
と言って、倒れますと、夫はかすれた声で、
「エキスキュウズ、ミイ。」
と冗談めかして言って、起きて、床の上にあぐらをかき、
「ドンマイ、ドンマイ。」
夏の月が、その夜は満月でしたが、その月光が雨戸の破れ目から細い銀線になって四、五本、蚊帳の中にさし込んで来て、夫の痩せたはだかの胸に当っていました。
「でも、お痩せになりましたわ。」
私も、笑って、冗談めかしてそう言って、床の上に起き直りました。
「君だって、痩せたようだぜ。余計な心配をするから、そうなります。」
「いいえ、だからそう言ったじゃないの。なんとも思ってやしないわよ、って。いいのよ、あたしは利巧なんですから。ただね、時々は、でえじにしてくんな。」
と言って私が笑うと、夫も月光を浴びた白い歯を見せて笑いました。私の小さい頃に死んだ私の里の祖父母は、よく夫婦喧嘩をして、そのたんびに、おばあさんが、でえじにしてくんな、とおじいさんに言い、私は子供心にもおかしくて、結婚してから夫にもその事を知らせて、二人で大笑いしたものでした。
私がその時それを言ったら、夫はやはり笑いましたが、しかし、すぐにまじめな顔になって、
「大事にしているつもりなんだがね。風にも当てず、大事にしているつもりなんだ。君は、本当にいいひとなんだ。つまらない事を気にかけず、ちゃんとプライドを持って、落ちついていなさいよ。僕はいつでも、君の事ばかり思っているんだ。その点に就いては、君は、どんなに自信を持っていても、持ちすぎるという事は無いんだ。」
といやにあらたまったみたいな、興ざめた事を言い出すので、私はひどく恰好が悪くなり、
「でも、あなた、お変りになったわよ。」
と顔を伏せて小声で言いました。
(私は、あなたに、いっそ思われていないほうが、あなたにきらわれ、憎まれていたほうが、かえって気持がさっぱりしてたすかるのです。私の事をそれほど思って下さりながら、他のひとを抱きしめているあなたの姿が、私を地獄につき落してしまうのです。
男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているのではないでしょうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れないというのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならない、とでも思い込んでいるのではないでしょうか。そうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱な溜息などついて見せて、道徳の煩悶とかをはじめて、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あっさり無心に愛してやって下さい。)
夫は、力無い声で笑い、
「変るもんか。変りやしないさ。ただもうこの頃は暑いんだ。暑くてかなわない。夏は、どうも、エキスキュウズ、ミイだ。」
とりつくしまも無いので、私も、少し笑い、
「にくいひと。」
と言って、夫をぶつ真似をして、さっと蚊帳から出て、私の部屋の蚊帳にはいり、長男と次女のあいだに「小」の字の形になって寝るのでした。
でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話をして笑い合う事が出来たのがうれしく、胸のしこりも、少し溶けたような気持で、その夜は、久しぶりに朝まで寝ぐるしい思いをせずにとろとろと眠れました。
これからは、何でもこの調子で、軽く夫に甘えて、冗談を言い、ごまかしだって何だってかまわない、正しい態度で無くったってかまわない、そんな、道徳なんてどうだっていい、ただ少しでも、しばらくでも、気持の楽な生き方をしたい、一時間でも二時間でもたのしかったらそれでいいのだ、という考えに変って、夫をつねったりして、家の中に高い笑い声もしばしば起るようになった矢先、或る朝だしぬけに夫は、温泉に行きたいと言い出しました。
「頭がいたくてね、暑気に負けたのだろう。信州のあの温泉、あのちかくには知ってる人もいるし、いつでもおいで、お米持参の心配はいらない、とその人が言っているんだ。二、三週間、静養して来たい。このままだと、僕は、気が狂いそうだ。とにかく、東京から逃げたいんだ。」
そのひとから逃げたくなって、旅に出るのかしら、とふと私は考えました。
「お留守のあいだに、ピストル強盗がはいったら、どうしよう。」
と私は笑いながら、(ああ、悲しいひとたちは、よく笑う)そう言いますと、
「強盗に申し上げたらいいさ、あたしの亭主は気違いですよ、って。ピストル強盗も、気違いには、かなわないだろう。」
旅に反対する理由もありませんでしたので、私は夫のよそゆきの麻の夏服を押入から取り出そうとして、あちこち捜しましたが、見当りませんでした。
私は青白くなった気持で、
「無いわ。どうしたのでしょう。空巣にはいられたのかしら。」
「売ったんだ。」
夫は泣きべそに似た笑い顔をつくって、そう言いました。
私は、ぎょっとしましたが、しいて平気を装って、
「まあ、素早い。」
「そこが、ピストル強盗よりも凄いところさ。」
その女のひとのために、内緒でお金の要る事があったのに違いないと私は思いました。
「それじゃ、何を着ていらっしゃるの?」
「開襟シャツ一枚でいいよ。」
朝に言い出し、お昼にはもう出発ということになりました。一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめずらしくその日、俄雨があり、夫は、リュックを背負い靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしているように顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふいと一言、
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら。」
と呟きました。
玄関の前の百日紅は、ことしは花が咲きませんでした。
「そうなんでしょうね。」
私もぼんやり答えました。
それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。
雨がやんで、夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。
それから、諏訪の宿から出した夫の手紙も私は、受取りました。
「自分がこの女の人と死ぬのは、恋のためではない。自分は、ジャーナリストである。ジャーナリストは、人に革命やら破壊やらをそそのかして置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いている。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。自分はその自己嫌悪に堪えかねて、みずから、革命家の十字架にのぼる決心をしたのである。ジャーナリストの醜聞。それはかつて例の無かった事ではあるまいか。自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させ反省させる事に役立ったら、うれしい。」
などと、本当につまらない馬鹿げた事が、その手紙に書かれていました。男の人って、死ぬる際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘をついていなければならないのかしら。
夫のお友達の方から伺ったところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家へ泊りに来たりしていたそうで、姙娠とか何とか、まあ、たったそれくらいの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、そうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思いました。
革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。
気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいう思いよりも、呆れかえった馬鹿々々しさに身悶えしました。
●表記について
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