この新聞(帝大新聞)の編輯者は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、「文学の敵、と言ったら大袈裟だが、最近の文学に就いて、それを毒すると思われるもの、まあ、そういったようなもの」を書いてみなさいと言って来たのである。
編輯者の同情に報いる為にも私は、思うところを正直に述べなければならない。
こういう言葉がある。「私は、私の仇敵を、ひしと抱擁いたします。息の根を止めて殺してやろう下心。」これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、浅学の私には、わからぬ。どうせ不埒な、悪文学者の創った詩句にちがいない。ジイドがそれを引用している。ジイドも相当に悪業の深い男のようである。いつまで経っても、なまぐさ坊主だ。ジイドは、その詩句に続けて、彼の意見を附加している。すなわち、「芸術は常に一の拘束の結果であります。芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずることは、凧のあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。カントの鳩は、自分の翼を束縛する此の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さを托し得る此の空気の抵抗が必要だということを識らぬのです。同様にして、芸術が上昇せんが為には、矢張り或る抵抗のお蔭に頼ることが出来なければなりません。」なんだか、子供だましみたいな論法で、少し結論が早過ぎ、押しつけがましくなったようだ。
けれども、も少し我慢して彼のお話に耳を傾けてみよう。ジイドの芸術評論は、いいのだよ。やはり世界有数であると私は思っている。小説は、少し下手だね。意あまって、絃響かずだ。彼は、続けて言う。
「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。伝える所では、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、大理石が不足したお蔭だと言います。アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られている事に依て、そこで止むなく、コオカサスに鎖ぐプロメトイスの沈黙を発明し得たのであります。ギリシャは琴に絃を一本附け加えた者を追放しました。芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります。」
なかなか自信ありげに、単純に断言している。信じなければなるまい。
私の隣の家では、朝から夜中まで、ラジオをかけっぱなしで、甚だ、うるさく、私は、自分の小説の不出来を、そのせいだと思っていたのだが、それは間違いで、此の騒音の障害をこそ私の芸術の名誉ある踏切台としなければならなかったのである。ラジオの騒音は決して文学を毒するものでは無かったのである。あれ、これと文学の敵を想定してみるのだが、考えてみると、すべてそれは、芸術を生み、成長させ、昇華させる有難い母体であった。やり切れない話である。なんの不平も言えなくなった。私は貧しい悪作家であるが、けれども、やはり第一等の道を歩きたい。つねに大芸術家の心構えを、真似でもいいから、持っていたい。大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに首肯き、さて立ち上ってみたら、甚だばかばかしい事になった。自分をぶん殴り、しばりつける人、ことごとくに、「いや、有難うございました。お蔭で私の芸術も鼓舞されました。」とお辞儀をして廻らなければならなくなった。駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、あれとあんまり違わない。大芸術家になるのもまた、つらいものである。などと茶化してしまえば、折角のジイドの言葉も、ぼろくそになってしまうが、ジイドの言葉は結果論である。後世、傍観者の言葉である。
ミケランジェロだって、その当時は大理石の不足に悲憤痛嘆したのだ。ぶつぶつ不平を言いながらモオゼ像の制作をやっていたのだ。はからずもミケランジェロの天才が、その大理石の不足を償って余りあるものだったので、成功したのだ。いわんや私たち小才は、ぶん殴られて喜んでいたのじゃ、制作も何も消えて無くなる。
不平は大いに言うがいい。敵には容赦をしてはならぬ。ジイドもちゃんと言っている。「闘争に生き、」と抜からず、ちゃんと言っている。敵は? ああ、それはラジオじゃ無い! 原稿料じゃ無い。批評家じゃ無い。古老の曰く、「心中の敵、最も恐るべし。」私の小説が、まだ下手くそで伸び切らぬのは、私の心中に、やっぱり濁ったものがあるからだ。
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