「島山鳴動して猛火は炎々と右の火穴より噴き出だし火石を天空に吹きあげ、息をだにつく隙間もなく火石は島中へ降りそそぎ申し候。大石の雨も降りしきるなり。大なる石は虚空より唸りの風音をたて隕石のごとく速かに落下し来り直ちに男女を打ちひしぎ候。小なるものは天空たかく舞いあがり、大虚を二三日とびさまよひ候。」
私はそれを一字一字清書しながら、天才を実感して
戦慄した。私のこれまでの生涯に於て、日本の作家に天才を実感させられたのは、あとにも先にも、たったこの一度だけであった。
「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」
私は、阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶している。
「青ヶ島大概記」が発表せられて間もなく、私が井伏さんのお宅へ遊びに行き、例によって将棋をさし、ふいと思い出したように井伏さんがおっしゃった。
「あのね。」
機嫌のよいお顔だった。
「何ですか。」
「あのね、谷崎潤一郎がね、僕の青ヶ島を賞めていたそうだ。佐藤(春夫)さんがそう云ってた。」
「うれしいですか。」
「うん。」
私には不満だった。
第三巻
この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。
例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活というものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな
雰囲気の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
井伏さんは、所謂「
早稲田界隈」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
早稲田界隈。
下宿生活。
井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
いつか、私は、井伏さんと一緒に、(何の用事だったか、いま正確には思い出せないが、とにかく、何かの用事があったのだ)所謂早稲田界隈に出かけたことがあったけれども、その時の下宿屋街を歩いている井伏さんの姿には、金魚鉢から池に放たれた金魚の如き面影があった。
私は、その頃まだ学生であった。しかし、早稲田界隈の下宿生活には縁が薄かった。謂わば、はじめて見たといってもよい。それは、遠慮なく言って、異様なものであった。
井伏さんが、歩いていると、右から左から後から、所謂「後輩」というものが、いつのまにやら十人以上もまつわりついて、そうかと言って、別に井伏さんに話があるわけでも無いようで、ただ、磁石に引き寄せられる
釘みたいに、ぞろぞろついて来るのである。いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。
どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。
そこで井伏さんも往生して、何とかという、名前は忘れたが、或る小さいカフェに入った。どやどやと、つきものも入って来たのは
勿論である。
失礼ながら、井伏さんは、いまでもそうにちがいないが、当時はなおさら懐中貧困であった。私も、もちろん貧困だった。二人のアリガネを合わせても、とてもその「後輩」たちに
酒肴を供するに足りる筈はなかったのである。
しかし、事態は、そこまで到っている。皆、呑むつもりなのだ。早稲田界隈の親分を思いがけなく迎えて、当然、呑むべきだと思っているらしい気配なのだ。
私は井伏さんの顔を見た。皆に囲まれて
籐椅子に坐って、ああ、あのときの井伏さんの不安の表情。私は忘れることが出来ない。それから、どうなったか、私には、正確な記憶が無い。
井伏さんも酔わず、私も酔わず、浅く呑んで、どうやら大過なく、引き上げたことだけはたしかである。
井伏さんと早稲田界隈。私には、怪談みたいに思われる。
井伏さんも、その日、よっぽど当惑した御様子で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、(阿佐ヶ谷には、井伏さんの、借りのきく飲み屋があった。)改札口を出て、井伏さんは立ち止り、私の方にくるりと向き直って、こうおっしゃった。
「よかったねえ。どうなることかと思った。よかったねえ。」
早稲田界隈の下宿街は、井伏さんに一生つきまとい、井伏さんは阿佐ヶ谷方面へお逃げになっても、やっぱり追いかけて行くだろう。
井伏さんと下宿生活。
けれども、日本の文学が、そのために、一つの重大な収穫を得たのである。
第四巻
れいに依って、発表の年代順に、そうして著者みずからのその作品に対する愛着の程をも考慮し、この巻には以上の如き作品を収録することにした。
気がついてみると、その作品の大部分は、「旅」に於ける収穫のように見受けられるのだ。
第三巻の後記に於て、私は井伏さんと早稲田界隈との因果関係に触れたが、その早稲田界隈に優るとも劣らぬ程のそれこそ「宿命的」と言ってもいいくらいの、縁が、井伏さんの文学と「旅」とにつながっていると言いたい気持にさえなるのである。
人間の一生は、旅である。私なども、女房の
傍に居ても、子供と遊んで居ても、恋人と街を歩いていても、それが自分の所謂「ついに」落ち着くことを得ないのであるが、この旅にもまた、旅行上手というものと、旅行下手というものと両者が存するようである。
旅行下手というものは、旅行の第一日に於て、既に旅行をいやになるほど満喫し、二日目は、旅費の殆んど全部を失っていることに気がつき、旅の風景を享楽するどころか、まことに俗な、金銭の心配だけで、へとへとになり、旅行も地獄、
這うようにして女房の許に帰り、そうして女房に怒られて居るものである。
旅行上手の者に到っては、事情がまるで正反対である。
ここで、具体的に井伏さんの旅行のしかたを紹介しよう。
第一に、井伏さんは釣道具を肩にかついで旅行なされる。井伏さんが本心から釣が好きということについては、私にもいささか疑念があるのだが、旅行に
釣竿をかついで出掛けるということは、それは釣の名人というよりは、旅行の名人といった方が、適切なのではなかろうかと考えて居る。
旅行は元来(人間の生活というものも、同じことだと思われるが)手持ち無沙汰なものである。朝から晩まで、温泉旅館のヴェランダの籐椅子に腰掛けて、前方の山の紅葉を眺めてばかり暮すことの出来る人は、阿呆ではなかろうか。
何かしなければならぬ。
釣。
将棋。
そこに井伏さんの全霊が打ち込まれているのだかどうだか、それは私にもわからないが、しかし、旅の姿として最高のもののように思われる。金銭の浪費がないばかりでなく、情熱の浪費もそこにない。井伏さんの文学が十年一日の如く、その健在を保持して居る秘密の
鍵も、その辺にあるらしく思われる。
旅行の上手な人は、生活に於ても絶対に敗れることは無い。謂わば、花札の「
降りかた」を知って居るのである。
旅行に於て、旅行下手の人の最も閉口するのは、目的地へ着くまでの乗物に於ける時間であろう。すなわちそれは、数時間、人生から「
降りて」居るのである。それに耐え切れず、車中でウイスキーを呑み、それでもこらえ切れず途中下車して、自身の力で動き廻ろうともがくのである。
けれども、所謂「旅行上手」の人は、その乗車時間を、楽しむ、とまでは言えないかも知れないが、少なくとも、観念出来る。
この観念出来るということは、恐ろしいという言葉をつかってもいいくらいの、たいした能力である。人はこの能力に戦慄することに於て、はなはだ鈍である。
動きのあること。それは世のジャーナリストたちに屡々好評を以て迎えられ、動きのないこと、その努力、それについては不感症では無かろうかと思われる程、盲目である。
重ねて言う。井伏さんは旅の名人である。目立たない旅をする。旅の服装も、お粗末である。
いつか、井伏さんが釣竿をかついで、南伊豆の或る旅館に行き、そこの
女将から、
「お部屋は一つしか空いて居りませんが、それは、きょう、東京から井伏先生という方がおいでになるから、よろしく頼むと或る人からお電話でしたからすみませんけど。」
と断わられたことがある。その南伊豆の温泉に達するには、東京から五時間ちかくかかるようだったが、井伏さんは女将にそう言われて、ただ、
「はあ。」
とおっしゃっただけで、またも釣竿をかつぎ、そのまま真直に東京の荻窪のお宅に帰られたことがある。
なかなか出来ないことである。いや、私などには、一生、どんなに所謂「修行」をしても出来っこない。
不敗。井伏さんのそのような態度にこそ、不敗の因子が宿っているのではあるまいか。
井伏さんと旅行。このテーマについては、私はもっともっと書きたく、誘惑せられる。
次々と思い出が
蘇える。井伏さんは時々おっしゃる。
「人間は、一緒に旅行をすると、その旅の道連れの本性がよくわかる。」
旅は、
徒然の姿に似て居ながら、人間の決戦場かも知れない。
この巻の井伏さんの、ゆるやかな旅行見聞記みたいな作品をお読みになりながら、以上の私の注進も、読者はその胸のどこかの片隅に
湛えておいて頂けたら、うれしい。
井伏さんと私と一緒に旅行したことのさまざまの思い出は、また、のちの巻の後記に書くことがあるだろうと思われる。
●表記について
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