春いくとせ
いつか忘れてゐた言葉
あなたが拾つてもつてゐた
いくねんまへの
春だつた
「青麥の青きをわけて、逢ひにくる。だつたかしら、そんな歌もおぼえてゐますわ」
「女つていふものは、變なことをよくおぼえてゐるものですねえ」
「月日だつてちやんとおぼえてゐましてよ」
「さうかなあ。そのくせナポレオンがセントヘレナへ流された日なんか忘れてゐるでせう」
「なんでも櫻の花がまるで雪のやうに青麥の間へたまつてゐました。ネルのキモノの袖口からくすぐつたい南風が吹いてくる日でしたわ」
「そんなにいろんな過去をおぼえてゐたら生きてゐることがずゐぶん負擔になりやしませんか」
「いやなことより好いことの方をよけいにおぼえてゐますもの」
「そんなものですかねえ」
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カリンの花
五月雨の降りつづく頃になると、森羅萬象が緑色に見えることがある。私の記憶の風景もちやうどそんな風でした。カリンの木下闇は緑が降るやうにこめて、梢がくれに見える太陽も緑色であつた。ただカリンの花だけが、ほんのり紅を含んで咲いてゐました。
それは何處であつたか、何日であつたか、そして茂みのおくの中二階のやうな窓から顏を出した人が誰であつたか、私は覺えない。男だつたか女だつたか、眉を青く剃落した人だつた。男なら旅藝人の女形であつたらう。七つの時、四國遍路に出た時の記憶ではなかつたかとおもふ。
たそがれなりき かなしさを
そでにおさへてたちよれば
カリンの花のほろほろと
髮にこぼれて にほひけり。
たそがれなりき 路をきく
まだうらわかき 旅人の
眉のほくろの なつかしく
後姿の泣かれけり。
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ネルのキモノの肌ざはり
「ネルのキモノの肌ざはり」といふ主題で、エキゾチツクな草畫をどれかの著書へ描いたのは、もう二十年も前になるやうだ。その後宮崎與平が「ネルのキモノ」といふ繪を描いて、太平洋の展覽會か何かに出した。ネルのキモノはよく描けてゐたが、ネルを着た女の情感も肉感も出てゐないのを惜しいと、作者へ手紙を書いたのを思ひ出す。
その頃は、肌ざはりの好い地質と、好もしい線と美しい影をつくるのに好い、本物のフランネルがあつた。今時のはいやにばさばさしてとても素肌に着られる代物ではない。絹裏の素袷の、甞めつくやうな柔かさも好ましいが、善い毛織物の持つ、動物質のすこし櫟り氣味の肌ざはりは、ちよつとした運動を伴ふ場合殊に好いものだ。絹物を着て汗をかいたのは好い氣持ではない。
なにしろ肌のものをぬいで、素肌に着物をきる頃の――晩春初夏は若者の恵まれる季節だ。若者ならずとも、健康な肉體を感謝して好い季節だ。
青麥の青きをわけてはるばると
逢ひにくる子とおもへば哀し
舊作だが、こんな歌を書きつけても、さしていやみにならぬほど私も充分年とつたものだとおもふ。さてまた昔語りだが、これも十年も前のことだつたらう。
横濱へいつて、淡青い地に灰色の線のあるフランネルを買つてきた。帶は臙脂にガランスとシトロンの亂菊模樣のついたのを締めさせて、曇日の合歡の葉影にほのかな淡紅の花をおいた背景で描いた。そのモデルの娘をお光と呼んだと思ふが、その繪が出來上つてからか、今少しといふ所であつたか、お光は良縁があつて結婚するために、急に私の畫室からいつてしまつた。その時から五年ほど經つて、神戸で個人展覽會をやつた時、會場であつた青年會館の下の白い道を歩いてゐると、五月のはじめで、パラソルを深くさして歩いてくる女のキモノが遠目にもすぐに「あれだな」と思はせた。しかし「あれ」といふのが「どれ」だかはつきりしたのではない。といふのは、あのネルのキモノを彼女が暇をとつた時に呉れてやつたのを、私は忘れてゐたが、自分で選んだ品物だつたからすぐに好尚の感覺がただ「あれだ」とおもはせたらしいのだ。
近づいた女がパラソルをさげてお辭儀をした。私はまだ思ひ出せない。
「…………」
「お光です」
「ああさうだつたね」
で、やつとそのネルとお光とのつながりがとれてきた。帶もそのままあれだつた。
何故あれを着てゐるのだらう。ただ、今が季節だからだらうか。あなたの記念ですから、などといふ心持でないことは心安いが、こんな着古しをきてゐる彼女は、いまあまり豐かに暮してゐないのだらうか。私は「それ」を見ないやうにして話した。
「あれからどうしたの」
「ま、ゆつくりお話しますわ。今朝、先生の展覽會のあることを主人からきいて、いま飛んできた所ですの。今晩主人とお宿へでも伺はせて頂きたいと思ひますの、およろしいでせうか」
こんな風に書き出すと、ネルの話も盡きさうにない。
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