幕末維新懐古談 |
岩波文庫、岩波書店 |
1995(昭和30)年1月17日 |
1997(平成9)年5月15日第6刷 |
1995(平成7)年1月17日第1刷 |
早速彫らされることになる――
この話はしにくい。が、まず大体を話すとすると、最初は「割り物」というものを稽古する。これはいろいろの紋様を平面の板に彫るので工字紋、麻の葉、七宝、雷紋のような模様を割り出して彫って行く。これは道具を切らすまでの手続き。それが満足に出来るようになると、今度は大黒の顔です。これがなかなか難儀であって、木の先へ大黒天の顔を彫って行くのであるが、円満福徳であるべきはずの面相が馬鹿に貧相になったり、笑ったようにと思ってやると、かえって泣いたような顔になる。なかなか旨く行かない。繰り返し繰り返し、旨く行くまで彫らされる。彫るものの身になると、真に辛い。肥えさせればぼてるし、瘠せさせれば貧弱になる。思うようには到底ならないのを、根気よく毎日毎晩コツコツとやっている中に、どうやら、おしまいには大黒様らしいものが出来て来ます。
と、今度は蛭子様――これは前に大黒の稽古が積んで経験があるから、いくらか形もつく。大黒が十のものなら五つで旨く行って、まずそれでお清書は上がるのです。
すると、三番目の稽古に掛かるのが不動様の三尊である。不動様は今日でもそうであるが、その頃は、一層成田の不動様が盛んであったもので、不動の信者が多い所から自然不動様が流行っている。不動様はまず矜羯羅童子から始めます。これは立像で、手に蓮を持っている。次が制迦童子、岩に腰を掛け、片脚を揚げ、片脚を下げ、捻り棒を持っている。この二体が出来て来ると、次は本体の不動明王を彫るのです。
次は三体に対する岩を彫る。次は火焔という順序で段々と攻めて行くのである。この不動様の三尊を彫り上げるということは彫刻の稽古としては誠に当を得たものであって、この稽古中に腕もめきめき上がって行くのです。それはそのはずであって、この三体の中には仏の種々相が含まれているからです。矜羯羅が柔和で立像、制迦が岩へ「踏み下げ」て忿怒の相、不動の本体は安座であって、片手が剣、片手が縛縄、天地眼で、岩がある。岩の中央に滝、すなわち水の形を示している。後は火焔で火の形である。ですから、これで立像も分る。「踏み下げ」も分る。安坐も会得する。柔和忿怒の相から水火の形という風に諸々の形象が含まれているのであるから、調法というはおかしいが、材料としてはまことに適当であります。しかし、この不動三尊を纏め上げるには容易なことではなく、三、四年の歳月は経っていて、私の年齢も、もう十六、七になっている。話しではいかにも速いが脳や腕はそう速く進むものでない。修行盛りのこと故、一心不乱となって勉強をしたものです。
さて、それから仏師となるには、仏師一通りのことは出来ねばなりません。まずその一通りというところを話して行くと、第一に如来です。
如来は、如実の道に乗じて、来って正覚を成す、とある通り仏の最上美称であって、阿弥陀、釈迦、薬師、大日などをいうのであります。如来が一番むずかしいものとなっている。仏工は古来より阿弥陀如来の立像と、地蔵菩薩の立像をむつかしい物の東西の大関に例えてある。
次に菩薩、これは大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至、文殊、普賢、虚空蔵などある。それから天部という。これは梵天、帝釈、弁天、吉祥天等。次は怒り物といって忿怒の形相をした五大尊、四天、十二神将の如き仏体をいう。諸仏の守護神です。それから僧分の肖像、たとえば弘法大師、日蓮上人のような僧体である。一々話して行けば実に数限りもないことです。余は略します。
それから、また、本体に附属した後光がある。船後光の正式は飛天光という。天人と迦陵頻伽、雲を以て後光の形をなす。その他雲輪光、輪後光、籤の光明(これは来迎仏などに附けるもの)等で各々真行草があります。余は略す。
台坐には、十一坐、九重坐、七重坐、蓮坐、荷葉坐、多羅葉坐、岩坐、雲坐、須弥坐、獅子吼坐、円坐、雷盤坐等で、壇には護摩壇、須弥壇、円壇等がある。
天蓋には、瓔珞、羅網、花鬘、幢旛、仏殿旛等。
厨子は、木瓜厨子、正念厨子、丸厨子(これは聖天様を入れる)、角厨子、春日厨子、鳳輦形、宮殿形等。
その他、なお、舎利塔、位牌、如意、持蓮、柄香炉、常花、鈴、五鈷、三鈷、独鈷、金剛盤、輪棒、羯麿、馨架、雲板、魚板、木魚など、余は略します。
前陳の各種を製作するにつき、これに附属する飾り金物、塗り、金箔、消粉、彩色等の善悪を見分ける鑑識も必要であります。
まず「飾り」であるが、飾りには、金鍍金と「消し差し」の二つ。箔を焼きつけたものが鍍金で、消粉を焼きつけるのが「消し差し」です。
金物の彫りの方では、唐草の地彫り、唐草彫り、蔓彫り、コックイ(極印)蔓などで地はいずれも七子です。
塗り色にも種々ある。第一が黒の蝋色である。それから、朱、青漆、朱うるみ、ベニガラうるみ、金白檀塗り、梨子地塗りなど。梨子地には、焼金、小判、銀、錫、鉛(この類は梨子地の材料で金と銀とはちょっと見て分り兼ねる)。
塗りにも、塗り方は、堅地と泥地とあって、堅地は砥粉地と桐粉地とあり、いずれも研いで下地を仕上げるもの。上塗りは何度も塗って研磨して仕上げるものです。泥地は胡粉と膠で下地を仕上げ、漆で塗ったまま仕上げ、研がないのです。泥地でも上物は中塗りをします。
箔にも種類があって、一つの製品を金にするにも金箔を使うのと、同じ金であっても、金粉を蒔いて金にするのと二色ある。
箔についても、濃色があり、色吉がある。中色、青箔、常色等がある。その濃色は金の位でいうとヤキ金に当る。色吉が小判で、十八金位に当る。それから段々十二金、九金というように銀の割が余計になって来る。
箔の大きさは普通三寸三分、三寸七分、四寸である。厚さにも二枚掛け、三枚掛けと色々ある。これは私が仏師になった時代のことだが、今日ではいろいろの大きさの箔が出来ていて調法になっています。
彩色にも、いろいろあります。極彩色、生け彩色、俗にいう桐油彩色など。その彩色に属するもので、細金というのがある。これは細金で模様を置くのである。描くとはいえない。それから金泥で細金の如く模様を描くのがあります。
極彩色はやっぱり絵画と同じ行き方で、胡粉で白地に模様を置き上げ、金にする所は金にして彩色にかかる。生け彩色は一旦塗って金箔を置いて、見られるようになった時、牡丹なら牡丹の色をさす。葉は葉で彩り、金を生かして、彩色をよいほどに配して行く。これはなかなか好い工夫のものです。
桐油彩色は、雨にぬれても脱落ないように、密陀油に色を割って、赤、青と胡粉を割ってやるのです。余り冴えないものだが、外廻りの雨の掛かる所、殿堂なら外廓に用いられる。
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