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雨の日に香を燻く(あめのひにこうをたく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-14 6:11:12  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本の名随筆33 水
出版社: 作品社
初版発行日: 1985(昭和60)年7月25日


底本の親本: 太陽は草の香がする
出版社: アルス
初版発行日: 1926(昭和元)年9月

 

      一

 梅雨まへには、今年はきつと乾梅雨だらうといふことでしたが、梅雨に入つてからは、今日まで二度の雨で、二度ともよく降りました。

 私は雨の日が好きです。それは晴れた日の快活さにも需めることの出来ない静かさが味ははれるからであります。毎日毎日降り続く梅雨の雨は、私のやうな病気勝ちな者にとつては、いくらか鬱陶し過ぎるやうですが、それすらある程度まで外界のうるささからのがれて、静かな心持をゆつくり味はふことが出来るのを喜ばずにはゐられません。
 梅雨の雨のしとしとと降る日には、私は好きな本を読むのすら勿体ない程の心の落ちつきを感じます。かういふ日には、何か秀れたものが書けさうな気もしますが、それを書くのすら勿体なく、出来ることなら何もしないで、静に自分の心の深みにおりて行つて、そこに独を遊ばせ、独を楽しんでゐたいと思ひます。
 香を焚くのは、どんな場合にもいいものですが、とりわけ梅雨の雨のなかに香を聞くほど心の落ちつくものはありません。私は自分一人の好みから、この頃は白檀を使ひますが、青葉に雨の鳴る音を聞きながら、じつと目をとぢて、部屋一ぱいに漂ふ忍びやかなその香を聞いてゐると、魂は肉体を離れて、見も知らぬ法苑林の小路にさまよひ、雨は心にふりそそいで、潤ひと柔かみとが自然に浸み透つて来ます。この潤ひと柔かみとは、『自然』と『我』との融合抱和になくてはならない最勝の媒介者であります。私の魂が宇宙の大きな霊と神交感応するのもこの時。草木鳥虫の小さな精と忍びやかに語るのもこの時。今は見るよしもない墓のあなたの故人を呼びさまして、往時をささやき交はすのもこの時です。
 香の煙の消えるともなく弱つて往く頃には、私の心も軽い疲労をおぼえて来ますので、私は起つて窓障子を押し開きます。心のうちに落ちてゐるとのみ思つてゐた雨は、外にも同じやうに降りしきつてゐるのでした。薄暗い庭の片隅に、紫陽花が花も葉もぐしよ濡れに濡れそぼつて立つてゐるのが見えます。幽界の夢でも見てゐるやうな、青白い微笑を眼尻にもつてゐるこの花は、梅雨時になくてならないものの一つです。くちなしの花、合歓の花――どちらも昼日なか夢をみる花ですが、紫陽花のやうに寂しい陰鬱な夢をみる花はほかにはありません。
 紫陽花のすぐ隣に、立葵の赤と白との花が雨にぬれてゐます。梅雨季の雨と晴間の日光とをかはるがはる味ふために、茎は柱のやうに真つ直に突つ立ちながら、花はみな横向きにくつついてゐるのはこの草です。
 私は立葵を描いた光琳と乾山との作を見たことがありますが、兄弟相談して画いたかとも思はれる程互によく似てゐました。茎と花とが持つてゐる図案的のおもしろみはどちらにもよく出てゐましたが、土から真つ直に天に向つて突立つてゐるこの草の力強さと厚ぼつたさとは、乾山の方によく出てゐたやうに思ひます。作者の人柄が映つてゐたのかも知れません。
 暫くするうち、雨は小降りとなり、やがて夕日が少しづゝ洩れるやうになりました。湿気を帯びた、新鮮な風がさつと吹いて来ると、ぐしよ濡れになつて突つ伏してゐたそこらの木々は、狗が身ぶるひして水を切るやうに、身体ぢうの水気を跳ね飛ばして、勢ひよく起き上りました。ひた泣きに涙を流した後の歓び――さういつたやうな静かな快活さがあたりに流れました。日暮前のこんな時に、しみじみと見とれるのは、合歓の花です。

         二

 雨の晴れ間を田圃へ出てみると、小川には薄濁りした雨水が、田の畔を浸すまでに満ち溢れてゐました。それを見ると、小供の頃こんな出水のあつた晩に、よく鯰切りに出かけて往つた事を思ひ出しました。手頃の竹竿の端に草刈り鎌を結びつけたのを片手に、今一つの手には松明を持つて出かけるのです。くらがりの小川の岸づたひに、松明をふりふり辿つて往くと、火影を慕つた大鯰が偶にぱくりと水音をさせて、その大きな頭を流の上にもちあげます。と見ると、やにはに片手に持つた長柄の草刈鎌をふりかざして、その頭をめがけてはつしと打ちおろすのです。川狩としては少し残酷なやうですが、私たちの小供の頃は梅雨の雨が降り続いて、それが下り闇の夜にでもなると、誰がいひ出すともなく、
「鯰切りにでも出かけたいなあ。」
 といふことになつて、二人三人小さな蓑笠を着て、大人の尻についてぼそぼそ出かけたものです。
 いつでしたか、幸田露伴氏が京都大学の講師をしてゐられる頃、お目にかかつていろんな話のなかに、この鯰切りのことを話した事がありました。幸田氏は名高い魚釣の名人ですが、私の話を聞くと、不審さうに小首を傾げて、
「さうですか。しかし鯰は生れつきひどい臆病ものですから、松明のあかりを見たら、尻ごみこそすれ、水の上に浮き上つて来る筈はないんですがね。」
 といはれました。私は折角の幸田氏の言葉でしたから、鯰が大の臆病ものだといふことは信じてもいいやうな気がしましたが、さうかといつて臆病ものだから水の上にぱくりと頭を持ち上げたといふのが疑はしいやうな口ぶりは承知が出来かねました。なぜといつて、私は小供の頃幾度かそれを見かけたばかしか、自分でも一度はその大きな頭に鎌を打ち込んだこともあつたのでしたから。

         三

 このごろ咲くものに、柿の花と馬齢薯の花とがあります。どちらも実を結ぶ事が出来たらそれで十分だ、その他のものは一切贅沢だといつたやうな、ごく簡朴で質素な花です。そこらの農夫が木の端くれで刻んだか、紙きれで折つたかといつたやうな、いはゆる農民芸術の味があるのはこの花です。柿の花のもつてゐるあの安香水のやうな甘いにほひも、自然が必要に逼られたからの小さな驕りに過ぎないのです。

         四

 草も木も緑をもつて誇りとしてゐるこの頃の世界に、たつたひとり、茎も葉も紫で、おまけに体ぢうから紫色の香をぷんぷん放散してゐる紫蘇こそは最も特色のある草です。そのむかし、京都円山の茶寮で、いろんな人の女房たちが衣裳比べをした事がありました。誰も彼もが金銀をつくして、贅沢を凝らしたなかに、ひとり中村内蔵助の妻は、尾形光琳の趣好で、打掛着付とも黒羽二重の無地、その下には白無垢を幾つも重ねてゐましたが、この方が見飽きがしないといふので、大層な評判をとつたさうです。紫蘇の紫にそれ程の趣好と用意とはなささうで、ことによつたら造化の絵具皿に紫の色しか残つてゐなかつた時の創造かも知れませんが、それにしても、色も香も紫づくめに塗りくつた放胆な意匠は季が季だけに充分の効果が見えます。





底本:「日本の名随筆33 水」作品社
   1985(昭和60)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「太陽は草の香がする」アルス
   1926(昭和元)年9月
入力:砂場清隆
校正:菅野朋子
2000年7月29日作成
2005年1月28日修正
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