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千鳥(ちどり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:46:49  点击:  切换到繁體中文


 蜜柑箱を墨で塗って、底へ丸い穴を開けたのへ、筒抜けの鑵詰のからめて、それを踏台の上に乗せて、上から風呂敷をかけると、それが章坊の写真機である。
「またみんなを玩具おもちゃにするのかい」と小母さんが笑う。この細工は床屋の寅吉に泣きついてさせたのだという。章坊は、
「兄さんを写してあげるんだから、よう、炬燵から出てくださいよ」と甘えるように言うかと思うと、
「じきです。じき写ります」と、まじめに写真やのつもりでいる。
「兄さんは炬燵へ当ってる方がうまく写るよ」
「だって姉さんが邪魔をしてるんだもの」と風呂敷の中へ頭を入れる。
「姉さんぐずぐずしてると背中が写ってしまいますよ」
「はいはい」と、藤さんは笑いながら自分の隣へ移る。
「兄さん、もっと真っ直ぐ」
「私の顔が見えるの?」
「見えるとも、そら笑ってらあ。やあい」
 がたがたと箱を揺ぶる。やがてもったいらしく身構えをして、
「はい、写しますよ」とこちらを見詰める。
「あら、目をつぶってるものがあるものか。……さ、写りますよ。……ただ今。はいありがとう」と手に持った厚紙のふたを鑵詰へかぶせると、箱の中から板切れを出して、それをげて、得意になって押入の前へ行く。
「章ちゃん、もう夜はそんな押入なぞへはいるもんじゃないよ」と小母さんが止めると、
「だってお母さん。写真を薬でよくするんじゃありませんか」と泣きそうな顔をする。
「それよりか写真屋さん。一昨日おとといかしら写したあたしの写真はいつできるんですか」と藤さんが問う。小母さんも、「私ももう五六度写ったはずだがねえ。いつできるんだろう。まだ一枚もくれないのね」と突っ込む。それから小母さんは、向いの地方じがたへ渡って章坊と写真をった話をする。章坊は、
「今度は電話だ」と言って、二つの板紙ボールがみの筒を持って出てくる。筒の底には紙が張ってあって、長い青糸が真ん中をつないでいる。勧工場かんこうばで買ったのだそうである。章坊は片方の筒を自分に持たせて、しばらく何かしら言って、
「ね、解ったでしょう?」という。
「ああ、解ったよ」といい加減にを合わしておくと、
「万歳」と言ってにこにこして飛んできて、藤さんをけて自分の隣りへあたる。
「よ。姉さんもだよ」という。
「よしよし」
「何の事なんです」と藤さんは微笑む。
「今電話がかかりましてね、……」
「ああ今言っちゃいけないんだよ兄さん。あれは姉さんには言われないんだから」
「何でしょう。人が悪いのね」
 このようなことを言っているところへ、初やが狐饅頭きつねまんじゅうを買って帰ってくる。小提灯ぢょうちんを消すと、蝋燭ろうそくから白い煙がふわふわとあがる。
「奥さま、今度の狐もやっぱり似とりますわいの」と言ってげらげらと初やが笑う。
 饅頭を食べながら話を聞くと、この饅頭屋の店先には、娘に化けて手拭を被った張子の狐が立たせてあった。その狐の顔がそこのうちの若い女房におかしいほどそっくりなので、この近在で評判になった。女房の方では少しもそんなことは知らないでいたが、先達せんだってある馬方が、饅頭の借りを払ったとか払わないとかでその女房に口論をしかけて、
「ええ、この狐め」
「何でわしが狐かい」
「狐じゃい。知らんのか。鏡を出してこの招牌かんばんと較べてみい。間抜けめ」
 こういったようなことから、後で女房が亭主に話すと、亭主はこの辺では珍らしいさばけた男なんだそうで、それは今ごろ始った話じゃないんだ。己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口わるくちも聞いていたのかと問えば、うん、と言ってすましている。女房はわっと泣きだして、それを今日まで平気でいたお前がうらめしい。畢竟ひっきょうわしをばかにしているからだ。もうこれぎり実家さとへ帰って死んでしまうと言って、箪笥たんすから着物などを引っ張りだす。やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻めおとじゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり取ってきた。その時の女房との条約にもとづいて、店の狐は翌日から姿を隠してしまった。ほかの狐が箱にはいって城下の人形屋から来て、ふたたび店に立ったのはついこの間の事である。今度のは大きさもいたちぐらいしかないし、顔も少し趣を変えるように注文したのであろうけれど、
「なんぼどのような狐をこしらえてきたところで、お孝ちゃんの顔が元のままじゃどうしてもだめでがんすわいの。へへへへへ」と、初やは、やっと廻りくどい話を切ってあちらへ立つ。藤さんはもう先達も聞いたから、今夜はそんなにおかしくはないと言ったけれど、それでもやはりはじめてのように笑っていた。
 話が途絶とだえる。藤さんは章坊が蒲団へ落したあんを手の平へ拾う。影法師が壁に写っている。頭が動く。やがてそれがきちんと横向きに落ちつくと、自分は目口眉毛を心でつける。小母さんのうでがちょいちょい写る。かんざしで髪の中をいているのである。
 裏では初やが米をく。

 自分は小母さんたちと床を列べて座敷へ寝る。
 枕が大きくて柔かいから嬉しいと言うと、この夏にはうっかりしていたが、あんな枕では頭に悪いからと小母さんがいう。藤さんはこの枕を急いで拵えてから、あだに十日あまりを待ち暮したと話す。
 藤さんは小母さんの蒲団のすそを叩いて、それから自分のを叩く。肩のところへ坐って夜着の袖をも押えてくれる。自分は何だか胸苦しいような気がする。やがてあちらで藤さんが帯を解く気色けはいがする。章坊は早く小さないびきになる。自分は何とはなしに寝入ってしまうのが惜しい。
「ね、小母さん」とふたたび話しかける。
「え?」と、小母さんは閉じていた目を開ける。
「あの、いったい藤さんはどうした人なんです?」と聞くと、
「なぜ?」と言う。
 聞いてみると、このうちが江田島の官舎にいた時に、藤さんの家と隣り合せだったのだそうである。まだ章坊ももらわない、ずっと先の事であったし、小母さんは大変に藤さんを可愛がって、後には夜も家へ帰すよりか自分の側へ泊らせる方が多いくらいにしていた。はじめそこへ移ってきたあくる日であったか、藤さんがふと境の扇骨木垣かなめがきの上から顔を出して、
「小母さま。今日は」と物を言いかけたのが元であった。藤さんが七つ八つにすぎぬころであったろう。それから四五年してここの主人が亡くなって、小母さんはこちらへ住居をきめることになった。別れの時には藤さんも小母さんも泣いた。藤さんはその後いつまでも小母さん小母さんと恋しがって、今日まで月に一二度、手紙を欠かしたことはない。藤さんの家は今佐世保にあるのだそうで、お父さんは大佐だそうである。
「それでは佐世保からはるばる来たんですか」
「いいえ、あのだけは二た月ばかり前から、この対岸むかいにいるんです。あなたでもおんなじですけれど、こんなになると、情合はまったく本当の親子と変りませんわ」
「それだのにこの夏には、あの人の話はちょっとも出ませんでしたね」
「そうでしたかね。おや、そうだったかしら」
「そして私の事はもうすっかりあの人に話してあるようですね」
「ふふふそれはあなた、家では何とかいうとすぐあなたの話が出るんですから、あの人だって、まだ見もしないうちからもう青木さん青木さんと言って、お出でになってもまるで兄妹きょうだいかなぞのように思っているんですもの」と章坊の枕を直してやる。
「さっきもね、初やから、お嬢さんは存外人に恥かしがらない方だとかなんとか言ってからかわれたんでしょう。そうするとね、だってあの方はもうよくお知り申してる方なんだものってそう言うんですよ。それでいてまだずいぶん子供のようなところがあるんですからね」
「私だって何だか、はじめて会った人のようには思えませんよ。――まだ永く逗留とうりゅうするんですか」
「あのですか。そうですね……いったい今度こちらへまいったというのが……」
 しまいをあくびといっしょに言って、枕へ手を添えたと見ると、小母さんはその後を言わないで、それなりふいと眉毛のあたりまで埋まりこんでしまう。しばらく待ってみても容易にふたたび顔を出さない。蒲団の更紗へ有明行灯ありあけあんどんあかりおぼろにさして赤い花の模様がどんよりとしている。
 何だか煮えきらない。藤さんが今度来たのはどうしたのだというのか。何かおもしろくない事情があるのであろうか。小母さんは何とか言いかけてひょっくり黙ってしまった。藤さんはどうして九月から家を出ているのか。この対岸むかいのどんな人のところにいるのであろう。
 池へ山水の落ちるのがかすかに聞える。小母さんはいつしか顔を出してすやすやと眠っている。大根を引くので疲れたのかもしれない。小母さんの静かな寝顔をじっと見ていると、自分もだんだんにまぶたが重くなる。

 千鳥の話は一と夜明ける。
 自分は中二階で長い手紙を書いている。藤さんが、
「兄さん」と言ってはいってくる。
「あのただ今船頭が行李こうりを持ってまいりましたよ」という。
「あれは私のです」と言ったまま、やっぱりずんずんと書いて行く。
「それはそうですけれど、どうせこちらへ運ばなければならないのでしょう?」
「ええ」
「ではこの押入には、下の方はあたしのものが少しばかりはいっておりますから、あなたは当分上の段だけで我慢してくださいましな」
「………」
「ねえ」
「ええ」
「まあ一心になっていらっしゃるんだわ」という。
 ちょうど一と区切りついたから向きなおる。藤さんは少し離れて膝を突いている。
「お召し物も来たんでしょう?――では早くお着換えなさいましな。女の着物なんか召しておかしいわ」と微笑む。自分は笑って、袖をかざしてみる。
「さっきね」と、藤さんはたもとへ手を入れて火鉢の方へ来る。
「これごらんなさい」と、袂の紅絹もみ裏の間から取りだしたのは、くきの長い一輪の白い花である。
「このごろこんな花が」
蒲公英たんぽぽですか」と手に取る。
「どこで目っけたんです? たった一本咲いてたんですか」
「どうですか。さっき玉子を持ってきた女の子がくれてったんですの。どこかの石垣に咲いていたんだそうです。初やがね、これはこのごろあんまり暖かいものだから、ついだまされて出てきたんですって」
 返した花を藤さんは指先でくるくる廻している。
「本当にもう春のようですね、こちらの気候は」
「暖いところですのね」
 自分はもくもくと日のさした障子を見つめて、陽炎かげろうのような心持になる。
「私ただ今お邪魔じゃございませんか」
「何がです?」
「お手紙はお急ぎじゃないのですか」
「そうですね。――郵便の船はひるに出るんでしたね」
「ええ。ではあとですぐ行李をこちらへ運ばせますから」と、藤さんは張合がなさそうに立って行く。
「あ、この花は?」
「え?」と出口で振り向いて、
「それはあなたにおあげ申したのですわ」
 藤さんが行ってしまったあとは何やら物足りないようである。たんぽぽを机の上に置く。手紙はもう書きたくない。藤さんがもう一度やってこないかと思う。ちぎった書き崩しを拾って、くちゃくちゃに揉んだのをひろげて、しわを延ばして畳んで、また披げて、今度は片端から噛み切っては口の中で丸める。いつしかいろいろの夢を見はじめる。――自分は覚めていて夢を見る。夢と自分で名づけている。
 馬の鈴が聞えてくる。女がうたうのが聞える。
 ふと立って廊下へ出る。藤さんが池のそばにしゃがんでいて、
「もうおすみになって?」と声をかける。自分は半煮えのような返事をする。母屋おもやの縁先で何匹かのカナリヤがやっきにさえずり合っている。庭いっぱいの黄色い日向は彼らが吐きだしているのかと思われる。
「ちょっといらっしてごらんなさいな。小さなふなかしらたくさんいますわ」と、藤さんはまぶしそうにこちらを見る。
「だって下駄がないじゃありませんか」
「あたしだって足袋のままですわ」
 自分もそれなり降りて花床をまたぐ。はかなげに咲き残った、何とかいう花にすそが触れて、花弁はなびらの白いのがはらはらと散る。庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢ひとむら生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残したのである。
 藤さんは、水のそばの、こけの被った石の上に踞んでいる。水ぎわにちらほらと三葉四葉ついたはぜの実生えが、真赤な色に染っている。自分が近づけば、水の面が小砂を投げたようにしびれを打つ。
「おや、みんな沈みました」と藤さんがいう。自分は、水をへだてて斜に向き合って芝生に踞む。手を延ばすなら、藤さんの膝にかろうじて届くのである。水は薄黒く濁っていれど、藤さんのかざたもとの色を宿している。自分の姿は黒く写って、松の幹の影に切られる。
「また浮きますよ」と藤さんがいう。ゆびさすところをじっと見守っていると、底の水苔を味噌汁のようにおだてて、幽かな色の、小さな鮒子がむらむらと浮き上る。上へ出てくるにつれて、幻からうつつへ覚めるように、順々に小黒い色になる。しばらくいっしょに集ってじっとしている。やがて片端から二三匹ずつりだして、列を作って、小早に日の当る方へと泳いで行く。ちらちらと腹を返すのがある。水の底には、泥をかぶった水草の葉が、泥へ彫刻したようになっている。ややあって、ふと、鮒子の一隊が水の色とまぎれたと思うと、底の方を大きな黒いのがうじゃうじゃと通る。
「大きなのもいるんですね。あ、あそこに」と指すと、
「どこに」と藤さんが聞く。しかしそれは写っている影であった。鮒子はやっぱり小さく上の方を行く。自分は足元の松葉をかき寄せて投げつける。鮒子は響のごとくに沈んで、争い乱れて味噌汁へ逃げこんでしまう。
 藤さんが笑う。
 手飼の白鳩が五六羽、離れの屋根のあたりから羽音を立てて芝生へ下りる。
「あのかもめは綺麗な鳥ですね」と藤さんがいう。
「あれは鳩じゃありませんか」
「ほほほほ、あれじゃないんですの。あたしね、ほほほほ」
「どうしたんです?」
「いいえ、あたしとんでもないことを思いだしたんですわ」と一人で微笑む。
「何を?」
「何でもないことです。――先達せんだってあたしがこちらへ渡ってくる途中でね、鴎が一匹、小さな枝切れへとまって、波の上をふわりふわりしていたんですの。ちょうど学校なぞにある標本を流したようでしたわ」
 自分は気がついたように、海の方を見わたす。はるかの果てに地方じがたの山がっすら見える。小島の蔭に鳥貝を取る船がむれ帆をつらねている。
「ね、鳩が餌を拾うでしょう」と藤さんがいう。
「芝生に何か落ちてるんでしょうか」
「あたしがさっきいておいたんです。いつでもあそこへ餌を撒くんです」
「あ、あれは足をどうかしてるようですね」
 初やがすたすたとやってくる。こん絆天はんてんの上に前垂をしめて、丸くふくれている。
「お嬢さん」
「何?」
「いいや、男のお嬢さんじゃわいの」
「まあ。今お着換えなさるんだわ」
「私がどうした」
「冗談は置いて、あなたはかにを食べなんしたか」
「いつ?」
「ほほほ、鴎のような話ね。――蟹を召しあがれば買ってくるつもりなの?」
「ええ、はあ買うたるのよの。午に煮ようかと思うんでがんさ。はあじきにお午じゃけに。――食べなんしたことががんすのかいの」
「食べるけど、あれは厄介やっかいなばかりでしかたがないや」
「おいしいものですけれどね」
「それはうもうがんすえの。それにこのごろは月がないころじゃけになおさらうまいんでがんすわいの。いいえ、ほんとでがんすて。月夜にはの、あれが自分の影に怖れてびくびくするけに痩せるんでがんすといの」
 村の水天宮様の御威徳を説く時の顔つきである。
「ほほほ」
「おもしろいな、それは」
「そんなら食べなんすか」
「食べるよ」
「じゃ、よかった」と、またあちらへすたすたと、草履のかかとへ短い影法師を引いて行く。
 鳩は少しも人に怖れぬ。

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