四
そのあくる晩は三ばん目の息子の番でした。
母親は、つゞけて二人の息子になくなられたので、三ばん目の息子には、お前だけはどうぞ湖水のそばへいかないでおくれと泣き/\たのみました。息子は、
「何、だいぢやうぶです。私はあすこへいつたつて、けつして妖女なんぞにまけはしません、安心してゐて下さい。」
かう言つて、晩になると、一人で出ていき、岸の、青い木の下に坐つて、銀の笛を吹きはじめました。笛の音は、暗い水の上を渡つて、遠くまでひゞきました。
すると、やがて月が上るのと一しよに、妖女の王の三ばん目の王女が、ふうはりと水の上へ出て来ました。
その王女は三人のきやうだいの中で一ばん美しい妖女でした。今、その妖女は、ふさ/\した髪に、わすれな草の花冠をつけて、にじでこしらへた、硝子のやうにすきとほつてゐる、きら/\光る着物を着て、くびに真珠のくびかざりをつけ、金の帯を結んでゐました。若ものはその美しい女を見ると、びつくりして笛をやめて、
「もし/\、妖女さん、こゝへ入らつしやい。どうぞ私のお嫁になつて下さい。」とたのみました。妖女は、その若ものが、また海へしづむやうになつてはかはいさうだと思つて、
「さあ、早くあちらへおかへりなさい。私たちは人間のお嫁になるわけにはいかないのです。第一人間は私たちの姿を見るものではありません。」と言ひました。若ものは、
「さう言はないで一しよに来てください。私は一人でかへるのはいやです。」と言つて、そのまゝそこを動かうともしませんでした。妖女は、
「どうしてそんなに私に来い/\とおつしやるのです。私のこの真珠のくびかざりがほしいのですか。さあ、これを上げませう。それともこの金の帯がおすきなのですか。それではこれも上げませう。」と言ひながら、その両方を、岸の上へ投げました。若ものは、
「いえ/\そんなものはいりません。私はあなたがほしいのです。あなたのその珊瑚のやうな口と星のやうなその青い目がすきなのです。私はあなたをもらつて、お母さまのところへつれてかへつて、小鳥のやうにだいじにして上げたいのです。」
かう言つて、くびかざりや金の帯には見向きもしませんでした。妖女はこの若ものが好きになりました。それで急いで岸へ泳いで来て、両方の手をさし出しました。
若ものはその手を取つて妖女を引き上げようとしました。
妖女の王さまや、小さな妖女たちは、下からそれを見てびつくりして、あわてゝ水の中をかけて来て、もう少しのことで王女の足をつかまへようとしました。しかし妖女といふものは、人間の子をすきだと思ふと、たちまち妖女の魔力がなくなつてしまふのでした。ですから、若ものは、それなりやす/\とその妖女を岸へ引き上げて、お家へつれてかへりました。
妖女の王さまや、小さな妖女たちは、だいじな王女が人間にさらはれてしまつたので、それはそれは悔しがつて、いきなり湖水のそこから、大きな/\大浪を立てゝ、どん/\岸へぶつけ/\しました。大浪はまるで悪魔のやうに荒れ狂つて、夜どほし、がう/\と岸へ乗り上げ、そこいらの森の立木といふ立木を、すつかり引きぬいて持つていきました。
若ものゝふた親は息子がうつくしいお嫁をつれてかへつたので、たいへんによろこんで、すぐに御婚礼をさせました。村中の人は、その美しいお嫁さんを見て、びつくりしないものはありませんでした。しかし、家の人でさへも、まさかそれが妖女だらうとは気がつきませんでした。
若い二人は、ちやうど二つの小鳩のやうに仲よくくらしました。みんなは、二人を見て、世の中にこれほど仕合せな人はないだらうと思ひました。
妖女はどこを見てもちつとも人間とちがつたところはありませんでした。たゞよく気をつけて見ると、妖女が手にさはつたものは、かならず、そこだけしめり気がつきました。暑い/\夏の日にしをれて頭をかしげてゐる庭の花でも、妖女がそばへ来ると、ぢきに勢よく頭をもち上げました。妖女はそのかはいらしいまつ白な指の先から、水のしづくを出して、あはれな花を生きかへらせるのでした。
若ものゝお母さまは、よくものに気のつく人でした。そのお母さまだけは、嫁の手がさはつたところには、きつとしめり気がのこるのを見て、一人でへんだ/″\と思ひました。
五
そのうちに、ぢきに一年たちました。すると妖女のお嫁さんには、男の子が一人生れました。
妖女は、人がだれもゐないときには、そつとたらひに水を入れて、生れたばかりの赤ん坊をその中へ入れました。すると、赤ん坊は魚のやうに、自由に水の中を泳ぎまはりました。その子どもは丈夫にどん/\大きくなりました。村中の人はみんな、その子のだいたんなことゝ、水を上手に泳ぐのとに、びつくりしてしまひました。男の子は、湖水を、こちらの岸から一ばん向うの遠い岸まで、さつさと泳いでわたりました。それから、人が何でも湖水の中へ落すと、すぐに水のそこへもぐつて、どんなものでも、またゝく間にさがし出して来ました。
それから、いく年もたつて、男の子は大きな大人になりました。お祖父さんやお祖母さんは、もうとつくになくなつてしまひました。お父さんも、もうだいぶ年よりになりました。
ところがたつた一人、お母さんの妖女だけは、いつまでたつても、お嫁に来たときとちつともかはらず、まるで息子の若ものと同じ年ぐらゐに見えました。
と、或夏、その地方にはたいへんなひでりがつゞきました。村々の畠といふ畠はすつかりこげついたやうに荒れてしまひますし、果物の畠も、そこらの木といふ木も一本ものこらず枯れてしまひました。それから、どこの家の井戸も、水がきれいに干上つてしまつたので、みんなはこまつて大さわぎをしました。
ところが例の湖水だけは、あべこべに、どん/\水がふえて、だん/\と岸の上へあふれ出して来ました。今までひでりでさわいでゐた村の人は、今度はまた急に大水におどろかされてあわて出しました。
湖水の水は見てゐるうちに、おそろしい勢で四方にひろがつて、今にも村中がのこらず、つかりさうになりました。
若ものゝお母さんの妖女は、そのまゝぢつとしてゐると、じぶんたちの命もあぶないので、息子の若ものをつれて水のふちへ行つて、こつそりと、湖水の秘密を話しました。
「この湖水の下には私のお父さまの、王さまが、水晶の御殿の中に住んでゐるのです。私たちは三人の姉妹だけれど、三人ともみんなお母さまがちがつてゐて、一ばんのお姉さまを生んだのは、大空の雲だし、中のお姉さまは地に湧く泉のお腹に生れ、私は草の葉にふる露のお腹に出来たのです。
お父さまの王さまは、それは/\気のみじかいひどい人で、人間と、人間の住んでゐるこの地面とがにくゝなると、すぐに、私たち三人のお母さまを湖水の底へよびよせて、一と間へおしこめてしまふのです。それだから、今度も地の上がすつかりひでりになつてしまつて、そのかはりに、湖水の水だけがこんなにどん/\ふえて来たのです。
これなりはふつておくと、おまへのお父さんもおまへも私も、今にみんな、村中の人と一しよにおぼれて死なゝければなりません。
それで、ごくらうだが、お前はこれから急いで湖水の底へ行つて来て下さい。あすこにまるめろといふ木が生えてゐるでせう? あの枝を一本をつて、それを持つて水の下へもぐつておいきなさい。さうすると、いろんなお化が出て来て、追ひかへさうとするから、そのときにはまるめろの枝でなぐつてやれば、お化はみんなおそれてにげてしまひます。
それからなほずん/\いくと、黄色いすゐれんの花がたくさんさいてゐるところへ来ます。その花の向うに、お祖父さまの水晶の御殿があるのです。水晶だから壁もすつかりすきとほつて、中に何千となくならんでゐる部屋/″\が一と目に見えます。その部屋は、どれもみんな、大きなダイヤモンドやエメラルドでかざつてあつて、柱にはルービーがいくつもはまつてゐます、部屋の戸口戸口には、羽根の生えた竜が、二ひきづゝ番をしてゐます。
その竜がゐてもけつしておそれるにはおよびません、まるめろの枝でなぐつてやれば、みんな石になつてしまひます。その部屋/″\をとほりぬけて、どこまでも、まつすぐに進んでいくと、一ばんしまひに、エメラルドの戸のはまつた、りつぱなお部屋へ来ます。そこがお祖父さんの寝室です。
そのお部屋は、天井が真珠で張つてあつて、床はすつかり貝のからで出来てゐます。その中へはいると、いくつもならんでゐる大きな花瓶に、珊瑚のやうな花と、黄金のやうな果物のなつてゐる木とがさしてあります。四方の壁には大きな水草の中からふき出てゐる、綿のやうな蜘蛛の網が、一ぱいたれてゐます。その壁かけの上には、小さなうす赤い色をした蛙が、いくひきもとまつてゐて、青い蜘蛛たちと一しよに、きれいな声で歌をうたつてゐます。
そのお部屋に、長い/\青いひげの生えた王さまが、緑色のびろうどの着物を着て、帯のかはりに、銀色の蛇をまきつけて、椅子にかけてゐます。
その両側には、私の二人のお姉さまが坐つて、魚のひれでお父さまをあふいでゐます。
おまへが行くと、お父さまやお姉さまは、みんなでおまへのごきげんを取つて、宝物のおくらへつれて行つて、金や銀やダイヤモンドを上げようと言ふにきまつてゐます。しかし、そんなものには一さい手をふれてはいけません。それよりも、そのおくらの中には、小さなびんが十二はいつてゐる、硝子のはこが一つあるから、それをおもらひなさい。
それから、そのつぎには同じおくらのすみの方にかくしてある、さびついた鐘をおもらひなさい。それは、あすこの、あの礼拝堂の鐘なのです。
もし、その鐘だけはやられないと言つたら、そんならまるめろの枝でその鐘をたゝくよと言つておどかしてごらんなさい。さうすれば、きつとくれます。
十二のびんは、もらつたらすぐに口をお開けなさい。そして鐘だけもつてかへつていらつしやい。
しかしよく言つておくが、王さまの御殿を出てしまふまでは、けつしてその鐘は鳴らしてはいけませんよ。何かへぶつけてひとりでに鳴つてもいけないのだから、よく気をつけてね。
そして御殿を出て、戸口を少しはなれたら、お前のありたけの力を出して、その鐘を三べんおたたきなさい。分つたね。それでおまへの行つた用事はすむのです。」
お母さまはかう言つて、くはしくをしへました。
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