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古事記物語(こじきものがたり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:38:27  点击:  切换到繁體中文

 

きじのお使(つか)い


       一

 そのうちに大空の天照大神(あまてらすおおかみ)は、お子さまの天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に向かって、
「下界に見える、あの豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)は、おまえが治めるべき国である」とおっしゃって、すぐにくだって行くように、お言いつけになりました。命(みこと)はかしこまっておりていらっしゃいました。しかし天(あめ)の浮橋(うきはし)の上までおいでになって、そこからお見おろしになりますと、下では勢いの強い神たちが、てんでんに暴(あば)れまわって、大さわぎをしているのが見えました。命は急いでひきかえしていらしって、そのことを大神にお話しになりました。
 それで大神と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とは、さっそく天安河(あめのやすのかわ)の河原に、おおぜいの神々をすっかりお召(め)し集めになって、
「あの水穂国(みずほのくに)は、私たちの子孫(しそん)が治めるはずの国であるのに、今あすこには、悪強い神たちが勢い鋭く荒れまわっている。あの神たちを、おとなしくこちらの言うとおりにさせるには、いったいだれを使いにやったものであろう」とこうおっしゃって、みんなにご相談をなさいました。
 すると例のいちばん考え深い思金神(おもいかねのかみ)が、みんなと会議をして、
「それには天菩比神(あめのほひのかみ)をおつかわしになりますがよろしゅうございましょう」と申しあげました。そこで大神は、さっそくその菩比神(ほひのかみ)をおくだしになりました。
 ところが菩比神(ほひのかみ)は、下界へつくと、それなり大国主神(おおくにぬしのかみ)の手下になってしまって、三年たっても、大空へはなんのご返事もいたしませんでした。
 それで大神と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とは、またおおぜいの神々をお召(め)しになって、
菩比神(ほひのかみ)がまだ帰ってこないが、こんどはだれをやったらよいであろう」と、おたずねになりました。
 思金神(おもいかねのかみ)は、
「それでは、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子の、天若日子(あめのわかひこ)がよろしゅうございましょう」と、お答え申しました。
 大神はその言葉(ことば)に従って、天若日子(あめのわかひこ)にりっぱな弓(ゆみ)と矢(や)をお授けになって、それを持たせて下界へおくだしになりました。
 するとその若日子は大空にちゃんとほんとうのお嫁(よめ)があるのに、下へおり着くといっしょに、大国主神(おおくにぬしのかみ)の娘(むすめ)の下照比売(したてるひめ)をまたお嫁にもらったばかりか、ゆくゆくは水穂国(みずほのくに)を自分が取ってしまおうという腹(はら)で、とうとう八年たっても大神の方へはてんでご返事にも帰りませんでした。
 大神と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とは、また神々をお集めになって、
「二度めにつかわした天若日子もまたとうとう帰ってこない。いったいどうしてこんなにいつまでも下界にいるのか、それを責(せ)めただしてこさせたいと思うが、だれをやったものであろう」とお聞きになりました。
 思金神(おもいかねのかみ)は、
「それでは名鳴女(ななきめ)というきじがよろしゅうございましょう」と申しあげました。大神たちお二人はそのきじをお召(め)しになって、
「おまえはこれから行って天若日子(あめのわかひこ)を責めてこい。そちを水穂国(みずほのくに)へおくりだしになったのは、この国の神どもを説き伏せるためではないか、それだのに、なぜ八年たってもご返事をしないのか、と言って、そのわけを聞きただしてこい」とお言いつけになりました。
 名鳴女は、はるばると大空からおりて、天若日子のうちの門のそばの、かえでの木の上にとまって、大神からおおせつかったとおりをすっかり言いました。
 すると若日子のところに使われている、天佐具売(あめのさくめ)という女が、その言葉を聞いて、
「あすこに、いやな鳴き声を出す鳥がおります。早く射(い)ておしまいなさいまし」と若日子にすすめました。
 若日子は、
「ようし」と言いながら、かねて大神からいただいて来た弓(ゆみ)と矢(や)を取り出して、いきなりそのきじを射殺してしまいました。すると、その当たった矢が名鳴女の胸(むね)を突(つ)き通して、さかさまに大空の上まではねあがって、天安河(あめのやすのかわ)の河原(かわら)においでになる、天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とのおそばへ落ちました。
 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)はその矢を手に取ってご覧(らん)になりますと、矢の羽根に血がついておりました。
 高皇産霊神は、
「この矢は天若日子(あめのわかひこ)につかわした矢だが」とおっしゃって、みんなの神々にお見せになった後、
「もしこの矢が、若日子が悪い神たちを射たのが飛んで来たのならば、若日子にはあたるな。もし若日子が悪い心をいだいているなら、かれを射殺せよ」とおっしゃりながら、さきほどの矢が通って来た空の穴(あな)から、力いっぱいにお突きおろしになりました。
 そうするとその矢は、若日子がちょうど下界であおむきに寝(ね)ていた胸のまん中を、ぷすりと突き刺(さ)して一ぺんで殺してしまいました。
 若日子のお嫁(よめ)の下照比売(したてるひめ)は、びっくりして、大声をあげて泣(な)きさわぎました。
 その泣く声が風にはこばれて、大空まで聞こえて来ますと、若日子の父の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)と、若日子のほんとうのお嫁と子供たちがそれを聞きつけて、びっくりして、下界へおりて来ました。そして泣き泣きそこへ喪屋(もや)といって、死人を寝かせておく小屋をこしらえて、がんを供物(くもつ)をささげる役に、さぎをほうき持ちに、かわせみをお供(そな)えの魚(さかな)取りにやとい、すずめをお供えのこめつきに呼(よ)び、きじを泣き役につれて来て、八日(ようか)八晩(よばん)の間、若日子の死がいのそばで楽器をならして、死んだ魂(たましい)を慰(なぐさ)めておりました。
 そうしているところへ、大国主神(おおくにぬしのかみ)の子で、下照比売(したてるひめ)のおあにいさまの高日子根神(たかひこねのかみ)がお悔(くや)みに来ました。そうすると若日子(わかひこ)の父と妻子(つまこ)たちは、
「おや」とびっくりして、その神の手足にとりすがりながら、
「まあまあおまえは生きていたのか」
「まあ、あなたは死なないでいてくださいましたか」と言って、みんなでおんおんと嬉(うれ)し泣(な)きに泣きだしました。それは高日子根神(たかひこねのかみ)の顔や姿(すがた)が天若日子(あめのわかひこ)にそっくりだったので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思ってしまったのでした。
 すると高日子根神は、
「何をふざけるのだ」とまっかになって怒(おこ)りだして、
「人がわざわざ悔(くや)みに来たのに、それをきたない死人などといっしょにするやつがどこにある」とどなりつけながら、長い剣(つるぎ)を抜(ぬ)きはなすといっしょに、その喪屋(もや)をめちゃめちゃに切り倒し、足でぽんぽんけりちらかして、ぷんぷん怒って行ってしまいました。
 そのとき妹の下照比売(したてるひめ)は、あの美しい若い神は私のおあにいさまの、これこれこういう方だということを、歌に歌って、誇(ほこ)りがおに若日子の父や妻子に知らせました。

       二

 天照大神(あまてらすおおかみ)は、そんなわけで、また神々に向かって、こんどというこんどはだれを遣(つか)わしたらよいかとご相談をなさいました。
 思金神(おもいかねのかみ)とすべての神々は、
「それではいよいよ、天安河(あめのやすのかわ)の河上(かわかみ)の、天(あめ)の岩屋(いわや)におります尾羽張神(おはばりのかみ)か、それでなければ、その神の子の建御雷神(たけみかずちのかみ)か、二人のうちどちらかをお遣(つかわ)しになるほかはございません。しかし尾羽張神は、天安河の水をせきあげて、道を通れないようにしておりますから、めったな神では、ちょっと呼(よ)びにもまいれません。これはひとつ天迦久神(あめのかくのかみ)をおさしむけになりまして、尾羽張神がなんと申しますか聞かせてご覧になるがようございましょう」と申しあげました。
 大神はそれをお聞きになると、急いで天迦久神(あめのかくのかみ)をおやりになってお聞かせになりました。
 そうすると尾羽張神(おはばりのかみ)は、
「これは、わざわざもったいない。その使いには私でもすぐにまいりますが、それよりも、こんなことにかけましては、私の子の建御雷神(たけみかずちのかみ)がいっとうお役に立ちますかと存じます」
 こう言って、さっそくその神を大神のご前(ぜん)へうかがわせました。
 大神はその建御雷神に、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)という神をつけておくだしになりました。
 二人の神はまもなく出雲国(いずものくに)の伊那佐(いなさ)という浜にくだりつきました。そしてお互(たが)いに長い剣(つるぎ)をずらりと抜(ぬ)き放(はな)して、それを海の上にあおむけに突(つ)き立てて、そのきっさきの上にあぐらをかきながら、大国主神(おおくにぬしのかみ)に談判をしました。
「わしたちは天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とのご命令で、わざわざお使いにまいったのである。大神はおまえが治めているこの葦原(あしはら)の中(なか)つ国(くに)は、大神のお子さまのお治めになる国だとおっしゃっている。そのおおせに従って大神のお子さまにこの国をすっかりお譲(ゆず)りなさるか。それともいやだとお言いか」と聞きますと、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、
「これは私からはなんともお答え申しかねます。私よりも、むすこの八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が、とかくのご返事を申しあげますでございましょうが、あいにくただいま御大(みお)の崎(さき)へりょうにまいっておりますので」とおっしゃいました。
 建御雷神(たけみかずちのかみ)はそれを聞くと、すぐに天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を御大(みお)の崎(さき)へやって、事代主神(ことしろぬしのかみ)を呼(よ)んで来させました。そして大国主神に言ったとおりのことを話しました。
 すると事代主神は、父の神に向かって、
「まことにもったいないおおせです。お言葉(ことば)のとおり、この国は大空の神さまのお子さまにおあげなさいまし」と言いながら、自分の乗って帰った船を踏(ふ)み傾(かたむ)けて、おまじないの手打ちをしますと、その船はたちまち、青いいけがきに変わってしまいました。事代主神はそのいけがきの中へ急いでからだをかくしてしまいました。
 建御雷神(たけみかずちのかみ)は大国主神に向かって、
「ただ今事代主神はあのとおりに申したが、このほかには、もうちがった意見を持っている子はいないか」とたずねました。
 大国主神は、
「私の子は事代主神のほかに、もう一人、建御名方神(たけみなかたのかみ)というものがおります。もうそれきりでございます」とお答えになりました。
 そうしているところへ、ちょうどこの建御名方神(たけみなかたのかみ)が、千人もかからねば動かせないような大きな大きな大岩を両手でさしあげて出て来まして、
「やい、おれの国へ来て、そんなひそひそ話をしているのはだれだ。さあ来い、力くらべをしよう。まずおれがおまえの手をつかんでみよう」と言いながら、大岩を投げだしてそばへ来て、いきなり建御雷神(たけみかずちのかみ)の手をひっつかみますと、御雷神(みかずちのかみ)の手は、たちまち氷の柱になってしまいました。御名方神(みなかたのかみ)がおやとおどろいているまに、その手はまたひょいと剣(つるぎ)の刃(は)になってしまいました。
 御名方神はすっかりこわくなっておずおずとしりごみをしかけますと、御雷神(みかずちのかみ)は、
「さあ、こんどはおれの番だ」と言いながら、御名方神の手くびをぐいとひっつかむが早いか、まるではえたてのあしをでも扱うように、たちまち一握(にぎ)りに握りつぶして、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向こうへ投げつけました。
 御名方神は、まっさおになって、いっしょうけんめいに逃(に)げだしました。御雷神(みかずちのかみ)は、
「こら待て」と言いながら、どこまでもどんどんどんどん追っかけて行きました。そしてとうとう信濃(しなの)の諏訪湖(すわこ)のそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そうとしますと、建御名方神(たけみなかたのかみ)はぶるぶるふるえながら、
「もういよいよおそれいりました。どうぞ命ばかりはお助けくださいまし。私はこれなりこの信濃(しなの)より外へはひと足も踏(ふ)み出しはいたしません。また、父や兄の申しあげましたとおりに、この葦原(あしはら)の中つ国は、大空の神のお子さまにさしあげますでございます」と、平たくなっておわびしました。
 そこで建御雷神(たけみかずちのかみ)はまた出雲(いずも)へ帰って来て、大国主神(おおくにぬしのかみ)に問いつめました。
「おまえの子は二人とも、大神のおおせにはそむかないと申したが、おまえもこれでいよいよ言うことはあるまいな、どうだ」と言いますと、大国主神は、
「私にはもう何も異存はございません。この中つ国はおおせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげます。その上でただ一つのおねがいは、どうぞ私の社(やしろ)として、大空の神の御殿(ごてん)のような、りっぱな、しっかりした御殿をたてていただきとうございます。そうしてくださいませば私は遠い世界から、いつまでも大神のご子孫にお仕え申します。じつは私の子は、ほかに、まだまだいくたりもありますが、しかし、事代主神(ことしろぬしのかみ)さえ神妙にご奉公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しはいたしません」
 こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいになりました。
 それで建御雷神(たけみかずちのかみ)は、さっそく、出雲国(いずものくに)の多芸志(たぎし)という浜にりっぱな大きなお社(やしろ)をたてて、ちゃんと望みのとおりにまつりました。そして櫛八玉神(くしやたまのかみ)という神を、お供(そな)えものを料理する料理人にしてつけ添(そ)えました。
 すると八玉神(やたまのかみ)は、う[#「う」に傍点]になって、海の底(そこ)の土をくわえて来て、それで、いろんなお供えものをあげるかわらけをこしらえました。
 それからある海草の茎(くき)で火切臼(ひきりうす)と火切杵(ひきりぎね)という物をこしらえて、それをすり合わせて火を切り出して、建御雷神(たけみかずちのかみ)に向かってこう言いました。
「私が切ったこの火で、そこいらが、大空の神の御殿のお料理場のように、すすでいっぱいになるまで欠かさず火をたき、かまどの下が地の底の岩のように固(かた)くなるまで絶えず火をもやして、りょうしたちの取って来る大すずきをたくさんに料理して、大空の神の召しあがるようなりっぱなごちそうを、いつもいつもお供えいたします」と言いました。
 建御雷神(たけみかずちのかみ)はそれでひとまず安心して、大空へ帰りのぼりました。そして天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)に、すっかりこのことを、くわしく奏上(そうじょう)いたしました。


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