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古事記物語(こじきものがたり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:38:27  点击:  切换到繁體中文

 

八俣(やまた)の大蛇(おろち)


       一

 須佐之男命(すさのおのみこと)は、大空から追いおろされて、出雲(いずも)の国の、肥(ひ)の河(かわ)の河上(かわかみ)の、鳥髪(とりかみ)というところへおくだりになりました。
 すると、その河(かわ)の中にはしが流れて来ました。命(みこと)は、それをご覧(らん)になって、
「では、この河の上の方には人が住んでいるな」とお察しになり、さっそくそちらの方へ向かって探(さが)し探しおいでになりました。そうすると、あるおじいさんとおばあさんとが、まん中に一人の娘(むすめ)をすわらせて三人でおんおん泣(な)いておりました。
 命は、おまえたちは何者かとおたずねになりました。
 おじいさんは、
「私は、この国の大山津見(おおやまつみ)と申します神の子で、足名椎(あしなずち)と申します者でございます。妻の名は手名椎(てなずち)、この娘の名は櫛名田媛(くしなだひめ)と申します」とお答えいたしました。
 命は、
「それで三人ともどうして泣いているのか」と、かさねてお聞きになりました。
 おじいさんは涙をふいて、
「私たち二人には、もとは八人の娘(むすめ)がおりましたのでございますが、その娘たちを、八俣(やまた)の大蛇(おろち)と申します怖(おそ)ろしい大じゃが、毎年出てきて、一人ずつ食べて行ってしまいまして、とうとうこの子一人だけになりました。そういうこの子も、今にその大じゃが食べにまいりますのでございます」
 こう言って、みんなが泣いているわけをお話しいたしました。
「いったいその大じゃはどんな形をしている」と、命(みこと)はお聞きになりました。
「その大じゃと申しますのは、からだは一つでございますが、頭と尾(お)は八つにわかれておりまして、その八つの頭には、赤ほおずきのようなまっかな目が、燃えるように光っております。それからからだじゅうには、こけや、ひのきやすぎの木などがはえ茂(しげ)っております。そのからだのすっかりの長さが、八つの谷と八つの山のすそをとりまくほどの、大きな大きな大じゃでございます。その腹(はら)はいつも血にただれてまっかになっております」と怖ろしそうにお話しいたしました。命は、
「ふん、よしよし」とおうなずきになりました。そして改めておじいさんに向かって、
「その娘はおまえの子ならば、わしのお嫁(よめ)にくれないか」とおっしゃいました。
「おことばではございますが、あなたさまはどこのどなただか存じませんので」とおじいさんは危(あや)ぶんで怖る怖るこう申しました。命は、
「じつはおれは天照大神(あまてらすおおかみ)の同じ腹(はら)の弟で、たった今、大空からおりて来たばかりだ」と、うちあけてお名まえをおっしゃいました。すると、足名椎(あしなずち)も手名椎(てなずち)も、
「さようでございますか。これはこれはおそれおおい。それでは、おおせのままさしあげますでございます」と、両手をついて申しあげました。
 命は、櫛名田媛(くしなだひめ)をおもらいになると、たちまち媛をくしに化けさせておしまいになりました。そして、そのくしをすぐにご自分のびんの巻髪(まきがみ)におさしになって、足名椎(あしなずち)と手名椎(てなずち)に向かっておっしゃいました。
「おまえたちは、これからこめをかんで、よい酒をどっさり作れ。それから、ここへぐるりとかきをこしらえて、そのかきへ、八(や)ところに門をあけよ。そしてその門のうちへ、一つずつさじきをこしらえて、そのさじきの上に、大おけを一つずつおいて、その中へ、二人でこしらえたよい酒を一ぱい入れて待っておれ」とお言いつけになりました。
 二人は、おおせのとおりに、すっかり準備をととのえて、待っておりました。そのうちに、そろそろ大じゃの出て来る時間が近づいて来ました。
 命は、それを聞いて、じっと待ちかまえていらっしゃいますと、まもなく、二人が言ったように、大きな大きな八俣(やまた)の大蛇(おろち)が、大きなまっかな目をぎらぎら光らして、のそのそと出て来ました。
 大じゃは、目の前に八つの酒(さか)おけが並(なら)んでいるのを見ると、いきなり八つの頭を一つずつその中へつっこんで、そのたいそうなお酒を、がぶがぶがぶがぶとまたたくまに飲み干(ほ)してしまいました。そうするとまもなくからだじゅうによいがまわって、その場へ倒れたなり、ぐうぐう寝(ね)いってしまいました。
 須佐之男命(すさのおのみこと)は、そっとその寝息(ねいき)をうかがっていらっしゃいましたが、やがて、さあ今だとお思いになって、十拳(とつか)の剣(つるぎ)を引き抜(ぬ)くが早いか、おのれ、おのれと、つづけさまにお切りつけになりました。そのうちに八つの尾(お)の中の、中ほどの尾をお切りつけになりますと、その尾の中に何か固(かた)い物があって、剣の刃先(はさき)が、少しばかりほろりと欠けました。
 命(みこと)は、
「おや、変だな」とおぼしめして、そのところを切り裂(さ)いてご覧になりますと、中から、それはそれは刃の鋭い、りっぱな剣が出て来ました。命は、これはふしぎなものが手にはいったとお思いになりました。その剣はのちに天照大神(あまてらすおおかみ)へご献上(けんじょう)になりました。
 命はとうとう、大きな大きな大じゃの胴体をずたずたに切り刻(きざ)んでおしまいになりました。そして、
足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)、来て見よ。このとおりだ」とお呼(よ)びになりました。
 二人はがたがたふるえながら出て来ますと、そこいら一面は、きれぎれになった大じゃの胴体から吹き出る血でいっぱいになっておりました。その血がどんどん肥(ひ)の河(かわ)へ流れこんで、河の水もまっかになって落ちて行きました。
 命はそれから、櫛名田媛(くしなだひめ)とお二人で、そのまま出雲(いずも)の国にお住まいになるおつもりで、御殿(ごてん)をおたてになるところを、そちこちと、探(さが)してお歩きになりました。そして、しまいに、須加(すが)というところまでおいでになると、
「ああ、ここへ来たら、心持がせいせいしてきた。これはよいところだ」とおっしゃって、そこへ御殿をおたてになりました。そして、足名椎神(あしなずちのかみ)をそのお宮の役人の頭(かしら)になさいました。
 命にはつぎつぎにお子さまお孫さまがどんどんおできになりました。その八代目のお孫さまのお子さまに、大国主神(おおくにぬしのかみ)、またの名を大穴牟遅神(おおなむちのかみ)とおっしゃるりっぱな神さまがお生まれになりました。


むかでの室(むろ)、へびの室(むろ)


       一

 この大国主神(おおくにぬしのかみ)には、八十神(やそがみ)といって、何十人というほどの、おおぜいのごきょうだいがおありになりました。
 その八十神(やそがみ)たちは、因幡(いなば)の国に、八上媛(やがみひめ)という美しい女の人がいると聞き、みんなてんでんに、自分のお嫁(よめ)にもらおうと思って、一同でつれだって、はるばる因幡へ出かけて行きました。
 みんなは、大国主神が、おとなしいかたなのをよいことにして、このかたをお供(とも)の代わりに使って、袋(ふくろ)を背おわせてついて来させました。そして、因幡の気多(けた)という海岸まで来ますと、そこに毛のないあか裸(はだか)のうさぎが、地べたにころがって、苦しそうにからだじゅうで息をしておりました。
 八十神(やそがみ)たちはそれを見ると、
「おいうさぎよ。おまえからだに毛がはやしたければ、この海の潮(しお)につかって、高い山の上で風に吹かれて寝(ね)ておれ。そうすれば、すぐに毛がいっぱいはえるよ」とからかいました。うさぎはそれをほんとうにして、さっそく海につかって、ずぶぬれになって、よちよちと山へのぼって、そのまま寝ころんでおりました。
 するとその潮水(しおみず)がかわくにつれて、からだじゅうの皮がひきつれて、びりびり裂(さ)け破れました。うさぎはそのひりひりする、ひどい痛(いた)みにたまりかねて、おんおん泣き伏(ふ)しておりました。そうすると、いちばんあとからお通りかかりになった、お供の大国主神がそれをご覧(らん)になって、
「おいおいうさぎさん、どうしてそんなに泣いているの」とやさしく聞いてくださいました。
 うさぎは泣き泣き、
「私は、もと隠岐(おき)の島におりましたうさぎでございますが、この本土へ渡(わた)ろうと思いましても、渡るてだてがございませんものですから、海の中のわにをだまして、いったい、おまえとわしとどっちがみうちが多いだろう、ひとつくらべてみようじゃないか、おまえはいるだけのけん族をすっかりつれて来て、ここから、あの向こうのはての、気多(けた)のみさきまでずっと並(なら)んでみよ、そうすればおれがその背(せ)中の上をつたわって、かぞえてやろうと申しました。
 すると、わにはすっかりだまされまして、出てまいりますもまいりますも、それはそれは、うようよと、まっくろに集まってまいりました。そして、私の申しましたとおりに、この海ばたまでずらりと一列に並びました。
 私は五十八十と数をよみながら、その背なかの上をどんどん渡って、もう一足でこの海ばたへ上がろうといたしますときに、やあいまぬけのわにめ、うまくおれにだまされたァいとはやしたてますと、いちばんしまいにおりましたわにが、むっと怒(おこ)って、いきなり私をつかまえまして、このとおりにすっかりきものをひっぺがしてしまいました。
 そこであすこのところへ伏(ふ)しころんで泣(な)いておりましたら、さきほどここをお通りになりました八十神(やそがみ)たちが、いいことを教えてやろう、これこれこうしてみろとおっしゃいましたので、そのとおりに潮水(しおみず)を浴びて風に吹かれておりますと、からだじゅうの皮がこわばって、こんなにびりびり裂(さ)けてしまいました」
 こう言って、うさぎはまたおんおん泣きだしました。
 大国主神(おおくにぬしのかみ)は、話を聞いてかわいそうだとおぼしめして、
「それでは早くあすこの川口へ行って、ま水でからだじゅうをよく洗って、そこいらにあるかばの花をむしって、それを下に敷いて寝(ね)ころんでいてごらん。そうすれば、ちゃんともとのとおりになおるから」
 こう言って、教えておやりになりました。うさぎはそれを聞くとたいそう喜んでお礼を申しました。そしてそのあとで言いました。
「あんなお人の悪い八十神(やそがみ)たちは、けっして八上媛(やがみひめ)をご自分のものになさることはできません。あなたは袋(ふくろ)などをおしょいになって、お供(とも)についていらっしゃいますけれど、八上媛はきっと、あなたのお嫁(よめ)さまになると申します。みていてごらんなさいまし」と申しました。
 まもなく、八十神たちは八上媛のところへ着きました。そして、代わる代わる、自分のお嫁になれなれと言いましたが、媛(ひめ)はそれをいちいちはねつけて、
「いえいえ、いくらお言いになりましても、あなたがたのご自由にはなりません。私は、あそこにいらっしゃる大国主神のお嫁にしていただくのです」と申しました。
 八十神たちはそれを聞くとたいそう怒(おこ)って、みんなで大国主神を殺してしまおうという相談をきめました。
 みんなは、大国主神を、伯耆(ほうき)の国の手間(てま)の山という山の下へつれて行って、
「この山には赤いいのししがいる。これからわしたちが山の上からそのいのししを追いおろすから、おまえは下にいてつかまえろ。へたをして遁(に)がしたらおまえを殺してしまうぞ」と、言いわたしました。そして急いで、山の上へかけあがって、さかんにたき火をこしらえて、その火の中で、いのししのようなかっこうをしている大きな石をまっかに焼いて、
「そうら、つかまえろ」と言いながら、どしんと、転(ころ)がし落としました。
 ふもとで待ち受けていらしった大国主神は、それをご覧になるなり、大急ぎでかけ寄って、力まかせにお組みつきになったと思いますと、からだはたちまちそのあか焼けの石の膚(はだ)にこびりついて、
「あッ」とお言いになったきり、そのままただれ死にに死んでおしまいになりました。

       二

 大国主神の生みのおかあさまは、それをお聞きになると、たいそうお嘆(なげ)きになって、泣(な)き泣き大空へかけのぼって、高天原(たかまのはら)においでになる、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)にお助けをお願いになりました。
 すると、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、蚶貝媛(きさがいひめ)、蛤貝媛(うむがいひめ)と名のついた、あかがいとはまぐりの二人の貝を、すぐに下界へおくだしになりました。
 二人は大急ぎでおりて見ますと、大国主神(おおくにぬしのかみ)はまっくろこげになって、山のすそに倒(たお)れていらっしゃいました。あかがいはさっそく自分のからを削(けず)って、それを焼いて黒い粉をこしらえました。はまぐりは急いで水を出して、その黒い粉をこねて、おちちのようにどろどろにして、二人で大国主神のからだじゅうへ塗(ぬ)りつけました。
 そうすると大国主神は、それほどの大やけどもたちまちなおって、もとのとおりの、きれいな若い神になってお起きあがりになりました。そしてどんどん歩いてお家(うち)へ帰っていらっしゃいました。
 八十神(やそがみ)たちは、それを見ると、びっくりして、もう一度みんなでひそひそ相談をはじめました。そしてまたじょうずに大国主神をだまして、こんどは別の山の中へつれこみました。そしてみんなで寄ってたかって、ある大きなたち木を根もとから切りまげて、その切れ目へくさびをうちこんで、その間へ大国主神をはいらせました。そうしておいて、ふいにポンとくさびを打ちはなして、はさみ殺しに殺してしまいました。
 大国主神のおかあさまは、若い子の神がまたいなくなったので、おどろいて方々さがしておまわりになりました。そして、しまいにまた殺されていらっしゃるところをおみつけになると、大急ぎで木の幹を切り開いて、子の神のお死がいをお引き出しになりました。そしていっしょうけんめいに介抱(かいほう)して、ようようのことで再びお生きかえらせになりました。おかあさまは、
「もうおまえはうかうかこの土地においてはおかれない。どうぞこれからすぐに、須佐之男命(すさのおのみこと)のおいでになる、根堅国(ねのかたすくに)へ遁(に)げておくれ、そうすれば命(みこと)が必ずいいようにはからってくださるから」
 こう言って、若(わか)い子の神を、そのままそちらへ立ってお行かせになりました。
 大国主神は、言われたとおりに、命のおいでになるところへお着きになりました。すると、命のお娘(むすめ)ごの須勢理媛(すぜりひめ)がお取次をなすって、
「お父上さま、きれいな神がいらっしゃいました」とお言いになりました。
 お父上の大神(おおかみ)は、それをお聞きになると、急いでご自分で出てご覧になって、
「ああ、あれは、大国主という神だ」とおっしゃいました。そして、さっそくお呼(よ)びいれになりました。
 媛(ひめ)は大国主神のことをほんとに美しいよい方だとすぐに大すきにお思いになりました。大神には、第一それがお気にめしませんでした。それで、ひとつこの若い神を困(こま)らせてやろうとお思いになって、その晩、大国主神を、へびの室(むろ)といって、大へび小へびがいっぱいたかっているきみの悪いおへやへお寝(ね)かせになりました。
 そうすると、やさしい須勢理媛(すぜりひめ)は、たいそう気の毒にお思いになりました。それでご自分の、比礼(ひれ)といって、肩(かた)かけのように使うきれを、そっと大国主神におわたしになって、
「もしへびがくいつきにまいりましたら、このきれを三度振(ふ)って追いのけておしまいなさい」とおっしゃいました。
 まもなく、へびはみんなでかま首を立ててぞろぞろとむかって来ました。大国主神(おおくにぬしのかみ)はさっそく言われたとおりに、飾(かざ)りのきれを三度お振(ふ)りになりました。するとふしぎにも、へびはひとりでにひきかえして、そのままじっとかたまったなり、一晩じゅう、なんにも害をしませんでした。若(わか)い神はおかげで、気らくにぐっすりおよって、朝になると、あたりまえの顔をして、大神(おおかみ)の前に出ていらっしゃいました。
 すると大神は、その晩はむかでとはちのいっぱいはいっているおへやへお寝(ね)かせになりました。しかし媛(ひめ)が、またこっそりと、ほかの首飾りのきれをわたしてくだすったので、大国主神は、その晩もそれでむかでやはちを追いはらって、また一晩じゅうらくらくとおやすみになりました。
 大神は、大国主神がふた晩とも、平気で切りぬけてきたので、よし、それではこんどこそは見ておれと、心の中でおっしゃりながら、かぶら矢(や)と言って、矢じりに穴(あな)があいていて、射(い)るとびゅんびゅんと鳴る、こわい大きな矢を、草のぼうぼうとはえのびた、広い野原のまん中にお射こみになりました。そして、大国主神に向かって、
「さあ、今飛んだ矢を拾って来い」とおおせつけになりました。
 若い神は、正直(しょうじき)にご命令を聞いて、すぐに草をかき分けてどんどんはいっておいでになりました。大神はそれを見すまして、ふいに、その野のまわりへぐるりと火をつけて、どんどんお焼きたてになりました。大国主神は、おやと思うまに、たちまち四方から火の手におかこまれになって、すっかり遁げ場を失っておしまいになりました。それで、どうしたらいいかとびっくりして、とまどいをしていらっしゃいますと、そこへ一ぴきのねずみが出て来まして、
「うちはほらほら、そとはすぶすぶ」と言いました。それは、中は、がらんどうで、外はすぼまっている、という意味でした。
 若い神は、すぐそのわけをおさとりになって、足の下を、とんときつく踏(ふ)んでごらんになりますと、そこは、ちゃんと下が大きな穴になっていたので、からだごとすっぽりとその中へ落ちこみました。それで、じっとそのままこごまって隠れていらっしゃいますと、やがてま近まで燃えて来た火の手は、その穴の上を走って、向こうへ遠のいてしまいました。
 そのうちに、さっきのねずみが大神のお射になったかぶら矢をちゃんとさがし出して、口にくわえて持って来てくれました。見るとその矢の羽根のところは、いつのまにかねずみの子供たちがかじってすっかり食べてしまっておりました。

       三

 須勢理媛(すぜりひめ)は、そんなことはちっともご存じないものですから、美しい若い神は、きっと焼け死んだものとお思いになって、ひとりで嘆(なげ)き悲しんでいらっしゃいました。そして火が消えるとすぐに、急いでお弔(とむら)いの道具を持って、泣(な)き泣(な)きさがしにいらっしゃいました。
 お父上の大神も、こんどこそはだいじょうぶ死んだろうとお思いになって、媛のあとからいらしってごらんになりました。
 すると大国主神(おおくにぬしのかみ)は、もとのお姿(すがた)のままで、焼けあとのなかから出ていらっしゃいました。そしてさっきのかぶら矢をちゃんとお手におわたしになりました。
 大神(おおかみ)もこれには内々(ないない)びっくりしておしまいになりまして、しかたなくいっしょに御殿(ごてん)へおかえりになりました。そして大きな広間へつれておはいりになって、そこへごろりと横におなりになったと思うと、
「おい、おれの頭のしらみを取れ」と、いきなりおっしゃいました。
 大国主神はかしこまって、その長い長いお髪(ぐし)の毛をかき分けてご覧になりますと、その中には、しらみでなくて、たくさんなむかでが、うようよたかっておりました。
 すると、須勢理媛(すぜりひめ)がそばへ来て、こっそりとむくの実と赤土とをわたしてお行きになりました。
 大国主神は、そのむくの実を一粒(ひとつぶ)ずつかみくだき、赤土を少しずつかみとかしては、いっしょにぷいぷいお吐(は)き出しになりました。大神はそれをご覧になると、
「ほほう、むかでをいちいちかみつぶしているな。これは感心なやつだ」とお思いになりながら、安心して、すやすやと寝いっておしまいになりました。
 大国主神は、この上ここにぐずぐずしていると、まだまだどんなめに会うかわからないとお思いになって、命(みこと)がちょうどぐうぐうおやすみになっているのをさいわいに、その長いお髪(ぐし)をいく束(たば)にも分けて、それを四方のたる木というたる木へ一束ずつ縛(しば)りつけておいたうえ、五百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩を、そっと戸口に立てかけて、中から出られないようにしておいて、大神(おおかみ)の太刀(たち)と弓矢(ゆみや)と、玉の飾りのついた貴(とうと)い琴(こと)とをひっ抱(かか)えるなり、急いで須勢理媛(すぜりひめ)を背なかにおぶって、そっと御殿をお逃(に)げ出しになりました。
 するとまの悪いことに、抱えていらっしゃる琴が、樹(き)の幹にぶつかって、じゃらじゃらじゃらんとたいそうなひびきを立てて鳴りました。
 大神はその音におどろいて、むっくりとお立ちあがりになりました。すると、おぐしがたる木じゅうへ縛りつけてあったのですから、大力(おおぢから)のある大神がふいにお立ちになるといっしょに、そのおへやはいきなりめりめりと倒(たお)れつぶれてしまいました。
 大神は、
「おのれ、あの小僧(こぞう)ッ神め」と、それはそれはお怒(いか)りになって、髪(かみ)の毛をひと束ずつ、もどかしく解きはなしていらっしゃるまに、こちらの大国主神はいっしょうけんめいにかけつづけて、すばやく遠くまで逃げのびていらっしゃいました。
 すると大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とうとう黄泉比良坂(よもつひらざか)という坂の上までかけつけていらっしゃいました。そしてそこから、はるかに大国主神を呼びかけて、大声をしぼってこうおっしゃいました。
「おおいおおい、小僧ッ神。その太刀と弓矢をもって、そちのきょうだいの八十神(やそがみ)どもを、山の下、川の中と、逃げるところへ追いつめ切り払(はら)い、そちが国の神の頭(かしら)になって、宇迦(うか)の山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその娘(むすめ)はおまえのお嫁(よめ)にくれてやる。わかったか」とおどなりになりました。
 大国主神(おおくにぬしのかみ)はおおせのとおりに、改めていただいた、大神(おおかみ)の太刀(たち)と弓矢(ゆみや)を持って、八十神(やそがみ)たちを討(う)ちにいらっしゃいました。そして、みんながちりぢりに逃(に)げまわるのを追っかけて、そこいらじゅうの坂の下や川の中へ、切り倒(たお)し突(つ)き落として、とうとう一人ももらさず亡(ほろ)ぼしておしまいになりました。そして、国の神の頭(かしら)になって、宇迦(うか)の山の下に御殿(ごてん)をおたてになり、須勢理媛(すぜりひめ)と二人で楽しくおくらしになりました。

       四

 そのうちに例の八上媛(やがみひめ)は、大国主神をしたって、はるばるたずねて来ましたが、その大国主神には、もう須勢理媛(すぜりひめ)というりっぱなお嫁(よめ)さまができていたので、しおしおと、またおうちへ帰って行きました。
 大国主神はそれからなお順々に四方を平らげて、だんだんと国を広げておゆきになりました。そうしているうちに、ある日、出雲(いずも)の国の御大(みお)の崎(さき)という海ばたにいっていらっしゃいますと、はるか向こうの海の上から、一人の小さな小さな神が、お供の者たちといっしょに、どんどんこちらへ向かって船をこぎよせて来ました。その乗っている船は、ががいもという、小さな草の実で、着ている着物は、ひとりむしの皮を丸はぎにしたものでした。
 大国主神は、その神に向かって、
「あなたはどなたですか」とおたずねになりました。しかし、その神は口を閉(と)じたまま名まえをあかしてくれませんでした。大国主神はご自分のお供の神たちに聞いてご覧になりましたが、みんなその神がだれだかけんとうがつきませんでした。
 するとそこへひきがえるがのこのこ出て来まして、
「あの神のことは久延彦(くえびこ)ならきっと存じておりますでしょう」と言いました。久延彦というのは山の田に立っているかかしでした。久延彦(くえびこ)は足がきかないので、ひと足も歩くことはできませんでしたけれど、それでいて、この下界のことはなんでもすっかり知っておりました。
 それで大国主神は急いでその久延彦(くえびこ)にお聞きになりますと、
「ああ、あの神は大空においでになる神産霊神(かみむすびのかみ)のお子さまで、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)とおっしゃる方でございます」と答えました。大国主神はそれでさっそく、神産霊神(かみむすびのかみ)にお伺(うかが)いになりますと、神も、
「あれはたしかにわしの子だ」とおっしゃいました。そして改めて少名毘古那神に向かって、
「おまえは大国主神ときょうだいになって二人で国々を開き固(かた)めて行け」とおおせつけになりました。
 大国主神は、そのお言葉に従って、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)とお二人で、だんだんに国を作り開いておゆきになりました。ところが、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)は、あとになると、急に常世国(とこよのくに)という、海の向こうの遠い国へ行っておしまいになりました。
 大国主神(おおくにぬしのかみ)はがっかりなすって、私(わたし)一人では、とても思いどおりに国を開いてゆくことはできない、だれか力を添(そ)えてくれる神はいないものかと言って、たいそうしおれていらっしゃいました。
 するとちょうどそのとき、一人の神さまが、海の上一面にきらきらと光を放(はな)ちながら、こちらへ向かって近づいていらっしゃいました。それは須佐之男命(すさのおのみこと)のお子の大年神(おおとしのかみ)というお方でした。その神が、大国主神に向かって、
「私をよく大事にまつっておくれなら、いっしょになって国を作りかためてあげよう。おまえさん一人ではとてもできはしない」と、こう言ってくださいました。
「それではどんなふうにおまつり申せばいいのでございますか」とお聞きになりますと、
大和(やまと)の御諸(みもろ)の山の上にまつってくれればよい」とおっしゃいました。
 大国主神はお言葉(ことば)のとおりに、そこへおまつりして、その神さまと二人でまただんだんに国を広げておゆきになりました。


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