「きみはわるい子だよ。不信者だよ。」
トゥロットは、もう、こんな子どもと口を利いてはいけないとおもつて、おうちへかへらうとして三足もふみ出しました。
しかし、あの子が何にも食べないといふのは、かはいさうです。だから、おいのりのことを、ちやんと、をしへておいてやらなければならないと、おもひなほして、またひきかへしました。
「きみ、神さまにおいのりをすれば、何でもして下さるんだよ。こんばん、おねんねをするまへにおいのりをしてごらんよ。あすの朝、大きな三日月パンを下さいましつて。さうすれば、きつと下さるんだよ。ね。ね。」
「三日月パンがどこへ出る?」
「それは、どこにでもさ。テイブルの上にでも、チョコレイトのそばにだつても。――チョコレイトなんかない? それぢやストーヴの上にだつて、ちやんとおいてあるよ。」
「でも、父ちやんがとつちやふよ。それよか、あすこんとこの岩の下の穴ん中から出るといゝや。おれがさがしに来るから。」
そんなことは何でもないことだ。神さまは、いつもは、そんな穴の中へ入れたりなんかなさらないけれど、この子がさう言つておねがひすれば、人にとられないやうに、あすこんとこへ入れといて下さるにきまつてゐる。
「ね。だから、おいのりをお言ひよ。」
男の子はもじ/\しながら、
「だつて、おれ、そんなこと、言つたことねえんだ。」
おや/\何といふばかでせう。おいのりをしたことがないなんて。トゥロットはつく/″\あきれて、ためいきをつきました。
「それぢや、ぼく見たいに、かうしたまへ。」と、トゥロットは、まづ砂地へ両ひざをつきました。男の子はひざをまげて、地びたへつけようとして、ころりと前のめりにたふれました。
「ばか。」と、トゥロットはおこりました。やつと男の子はひざをつきました。
「こんどは、お手をかう組むの。――かうだよ。――さうぢやないよ。かうするんだよ。」
何てきたない手でせう。こんな手では神さまのお気には入りさうもない。
「さあ、ぼくのいふとほりを、言つてごらん。――神さま、私はおなかゞすいてをりますッて、さうお言ひよ。」
男の子は、おなかがすいた、と、半分口のうちでかう言つて、いも虫のやうにむく/\とからだをくねらせました。
「きみ、じつとしてゐるんだよ。そのつぎはね。――私はたいへんおなかゞすいてをります。どうぞ、あすは、トゥロットがシャベルを入れておいた、あの岩の下のくぼみへ、大きな三日月パンを入れといて下さいまし。――あゝ、さう/\。そして、アーメン。」
男の子は、
「アーメン。」と言つて、くす/\笑ひました。
トゥロットは、これですつかり満足して立ち上りました。そして、さも、この子をまもつてやる保護者かなぞのやうに、うなづいて見せて、どん/\お家へかへりました。
三
トゥロットは寝る間ぎはまで、あの子のことばかりかんがへてゐました。あの子があすの朝、あの岩の下から大きな三日月パンを見つけだしたら、どんなによろこぶでせう。トゥロットは、それをおもふと、をどり出したいほど元気がつきました。でも何だかしんぱいでもありました。ねがけにトゥロットは聞きました。
「お母ちやま、神さまに何かおねがひすれば、いつでも下さるのね。」
「それや、下さるわ。むりなことでなければ。そして、しんからおねがひすれば。」
トゥロットはそれを聞いて、すつかりあんしんしました。あの子が、あさごはんに三日月パンを下さいとおねがひするのは、むりなことでも何でもありません。しんからおねがひするか、しないか。それは一しようけんめいにおねがひするにきまつてゐます。トゥロットは、じぶんがパンを食べてゐるのを、あの子がじろ/\見てゐた、あの目つきをおもひ出しました。
トゥロットは眠りこみました。そしてゆめを見ました。神さまは、牛のつのや、象のきばほどもある、大きな/\三日月パンの一つぱいはいつたかごを、あの子のまへでおあけになりました。あの子の食べること、食べること。神さまは、なくなればいくらももつて来て下さいます。男の子はすつかりよろこんで、頬をまつ赤にしてをどつてゐます。トゥロットのうれしさと言つたらありません。
「坊ちやま、お早うございます。よくおねんねなさいましたでせう?」
ジャンヌはトゥロットのお顔を洗ひ、お着かへをすませました。トゥロットは、あの子も、着物を洗つていただいたり、ほかの着物も下さるやうに、神さまにおねがひしなければいけないねとおもひました。お着かへをする間中、トゥロットは、あの子のことばかりかんがへつゞけてゐました。
トゥロットは、あの子が三日月パンを見つけ出しにいくときの顔が早く見たくてたまりません。おゝ、けさのお天気のすばらしいこと、これはきつと、三日月パンをしめらさないやうにするためだよと、トゥロットはおもひました。
トゥロットは二分間でチョコレイトをむりやりにたべこみ、おほいそぎで、三日月パンをポケットにおしこみました。
「お母ちやま、ちよつと浜へいつて来てもいゝ?」
「まあ、何でけさは、そんなに早くからいくの? おゝ、いゝお天気だこと。ぢやァいつてらつしやい。先生がおいでになつたらよびますから。」
トゥロットは岩のところへかけつけました。神さまの三日月パンはどんなでせう。きつとパン屋のよりも、もつと/\金色で、そして、ずつと大きいにちがひありません。トゥロットは、すこしあの子がうらやましくなりました。
トゥロットは穴の中に手を入れて見ました。それから、のぞいて見ました。そして、ぞくりとして青くなりました。なんにもはいつてはゐません。もう一ど、よくのぞいて見ました。どうしたんでせう。神さまは、きつと、ほかのところへおおきになつたのでせう。
トゥロットは、そこいら中を見まはしました。ほかの岩の下の穴をものぞいて見ました。でも、どこにもありません。一たいどうしたわけでせう。今にあの男の子が出て来ます。そして何にもみつからなかつたら、それごらん、神さまなんてうそつぱちぢやないかといふにちがひありません。トゥロットのことをだつて、うそつきだといふでせう。それにあの子は、あんなにおなかをすかしてゐるのですから、かはいさうです。
「あゝァ。」
トゥロットは、かなしさがこみ上げて来ました。神さまは、けさはいそがしかつたのか、それともおわすれになつたのにちがひありません。でなくば、パンがこげてゐたからでせう。おうちでも一どそんなことがありました。だつて、こげたのでもいゝから一つ下さればいゝものを。
トゥロットは、がつかりしました。
と、あの子がやつて来ました。にこ/\した顔をして、舌なめずりをしながら、大またにあるいて、ずん/\岩の方へ向つて来ます。トゥロットはこちちから見てゐると、両足がぶる/\ふるへ出して来ました。身も心もちゞみ上るやうです。出来るならにげ出してしまひたいくらゐです。
「あゝァ。」と、もじ/\しながら、トゥロットは両手をポケットにつッこみました。あゝ、いゝことがある。トゥロットはポケットの三日月パンをとり出して、すばやく穴のおくにおしこみました。
男の子は砂の上にすわりこんで、もぐ/\息もつまるばかりに、ほうばつて食べました。トゥロットはそれをじつと見てゐました。今、じぶんの小さな胃袋は、まい朝のやうにふくらんでゐないのがはつきりわかります。じぶんのあさごはんだつたものが、見る/\きえていくのを見つめてゐると、すこしばかりは、をしくないでもありません。しかし、これでじぶんは、人にかるはずみなことを言つたつぐなひを、ちやんとつけたことになります。それだけは神さまも見て下さるだらうとおもふと、やつぱり、ゆかいでした。
男の子は、すつかり食べてしまひました。
「パン、おいしかつた?」
「うん。でも神さまがもつて来たんぢやねえぞ。おれ、おめえが穴の中へつッこむのを見たぞ。」
トゥロットは、まつ赤な顔になりました。まつたくそれにちがひないので、いひぬけをすることも出来ません。しかし、トゥロットの顔は、ふいにかゞやいて来ました。そしてにこ/\いさんで言ひました。
「でもさ、ぼくに、パンを入れとけとおつしやつたのは神さまだよ。きつとさうだよ。」
トゥロットは、ぺこ/\のおなかをして、おうちへかへりました。でもお顔はとてもはれ/″\して、いかにもうれしさうでした。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
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