日本児童文学大系 第一〇巻 |
ほるぷ出版 |
1978(昭和53)年11月30日 |
1978(昭和53)年11月30日初刷 |
1978(昭和53)年11月30日初刷 |
鈴木三重吉童話全集 第五巻 |
文泉堂書店 |
1975(昭和50)年9月 |
一
トゥロットの別荘のうしろは、きれいな小さな砂浜になつてゐました。今トゥロットは、そこへ下りてあすんでゐます。そこへは村の人なぞはめつたに来ません。ですから、海のきはへさへ出なければ、一人でそこであすんでもいゝと、おゆるしが出てゐるのでした。
でも、お庭には、ちやんと女中のジャンヌがこしをかけて、見ないやうなふりをして、ちよいちよい、こつちをみてゐます。
トゥロットは、シャベルで大きな穴をほり、その砂をつみ上げて大きなお山をこしらへました。海の中につかつてゐる、そつちこつちの大岩や、砂の上に眠つてゐる、いろんな岩にもまけないやうな、大きなお山が出来ました。
「お坊ちやま、早くいらつしやいまし。お三時でございますよ。」
トゥロットは斜面をかけ上つて、ジャンヌのお手からチョコレイトを一きれと、三日月パンを一つうけとると、またお山の方へもどつて来ました。立つたまゝ食べるのはおつくうなので、お山をひぢかけいすにしてしまつて、その上へ、どつかとこしをかけて、穴の中へ足を入れこみました。そして、チョコレイトを、ちよつぴりづゝ、かじりはじめました。すこうしづゝかじり/\して、もようみたいにこはしていくのがたのしみなのです。それは、とてもおもしろいのです。
「おや、何だらう。」
トゥロットのまんまへに、ふいに影がさしました。顔を上げて見ますと、いつの間にか小さな男の子が来てゐます。いやにきたならしい子で、とてもくさくつてたまらなささうな、ぼろ/\の服を着てゐます。顔もまつ黒、両手もまつ黒で、鼻の下のところがへんに赤くなつてゐます。トゥロットはシャベルをふり上げて、
「あつちへおいで。」と、おどしつけました。男の子は片ひぢを目の上へあげて、三足あとすざりをしましたが、そのまゝトゥロットのまん前にすわりこんで、トゥロットの方をじろ/\見てゐます。トゥロットもその子を見つめながら、ちびり/\チョコレイトを食べつゞけました。
ふゝん、この子の女中は、まいあさこの子を頭から足のさきまでシャボンで洗つたりしないんだから、いゝね。ぼくはいやな目をさせられて損だ。でもぼくは貴族のうちの子で、もう大きな子なんだから、ちやんと洗つてもらはなければいけない。洗はれるのはいやだけれど、きれいになるのはいゝ気もちだのに、この子はなんてぶざまなんだらう。
「ほんとに、きたないね、きみは。」
かういふと、子どもは、ちよいと、目をうつぶせましたが、ぢきまた上げて、へんじもしないで、うすのろのやうににた/\笑ひながら、片方の手で砂をにぎつては、やみまなしに、片方の手の平へうつし/\してゐます。でも、たいしておもしろさうなけはひもなく、目では、じつと、トゥロットが三日月パンをもう少しで食べてしまひかけるのを見つめてゐるのです。
トゥロットはその子の目のおちるところを見て見ました。じいつと見ていくと、その目は、じぶんの三日月パンの上へ来てとまるやうです。あゝ、やつぱりさうだ。三べん同じところへ来るんだもの。まちがひはない。
「きみ、三日月パンがほしい?」
トゥロットはかう言つて、食べかけをみんな口の中へおしこみました。男の子は、しよげこんだ顔をして、何をか口の中でぶつ/\言ひました。
「きみは、もう食べちやつたの?」と聞きますと、あひての子は、ぼんやりした目でトゥロットの顔を見上げました。
「もう食べちやつた?」
男の子は、かぶりをふりました。
「それぢや、あとでぢき食べるのね。」
男の子は目を地びたにおとして、くびをふりました。そして、さつきのやうにまた砂をいぢりはじめました。
「今日は食べないの?」
男の子は何とも返事をしません。トゥロットは、では、あゝ、きつとさうにちがひないとおもひました。
「きみは、きのふは物を食べても不消化だつたのね。」
男の子は目を大きくあけました。不消化といふ言葉がわからないのでへどもどしたやうですが、それでも、やつぱり、かぶりをふつて見せました。
「ぢやァ、おなかがいたいの?」
やつぱり、うんう。
「ぢやァ、なんか、おいたをした?」
さうでもない。
「そんなら、なぜ食べないの?」
男の子は、ベッと、地びたへつばきをはきました。おゝ、いやだ。トゥロットは、つばきなんかをはかれるのは大きらひです。おや、片手でぼり/\頭をかいて、もう一つの手では、指をぐいと鼻の穴の中へつッこみました。
「きみ、なんにももらはなかつたの?」
男の子は、はじめて、うん、といふやうにうなづきました。
「お母さまに、何かちようだいッて、なぜ言はなかつたの?」
「言つた。」
「言つたのに下さらなかつたの?」
「うちには何にもないんだよ。」
あはゝ、それはうそだ。どこの家にだつて、お居間にも、廊下や、だいどころのお戸だなにも、おいしいものがどつさりしまつてあるんだもの。この子はうそつきだ。さうでなく、きつと、何かわるいことをしたばつに、お母さまが何にもありませんとおつしやつたのにちがひない。
「きみ、何かとつて食べた、だまつて? おぎようぎがわるかつた? きみのとこへ来る先生をおこらした? でなければ、お話がうまく言へなかつたんだらう? ちがふ? ぢやァ、なぜ、なんにも食べなかつたのさ。――家になんにもない? そんならおなかゞすいてる? さつき、さういへば、ぼく、パンをすこし上げたんだけど。ぼくは、おなかなんかすいてないんだから。――でももうすつかりたべちやつたんだもの、ね。」
男の子は、だから、もうしかたがないといふやうに、うなづきました。坊やのいふことがよくわかつたのでした。
二
トゥロットは、しばらくかんがへてゐましたが、しまひにむつかしい問ひをかけました。
「ぢやァ、なぜお家になんにもなかつたの?」
「とうちやんは、もうからねえんだよ。母ちやんと、小ちやい子は、びようきなんだもの。だから食へねえんだ。」
ぷふゥ。食へねえんだつて、何て下等な言葉でせう。トゥロットは、げびたうちの子とお話をしてはいけないのでした。だから、ほんとは、もうさつさと、あつちへいつてしまはなければならないのです。だけども、もつと、ちやんとわかるまで聞いて見たくてたまりません。
「なぜ、お父さまは、おいしいものを買つて来いと言ひつけないの?」
「お金がねえんだ。」
「では伝票にすればいゝぢやないの?」
おうちのばあやは、お金をもたないでも買物をして来ます。そしてお母さまの伝票にかきこみます。
男の子は、また顔をふつて、手の指の間から砂を流しはじめました。トゥロットは、それこそ、こはくなるくらゐふしぎでした。何のわるいこともしない子に、お母さまが何にも下さらないつてことがあるでせうか。神さまはそれを見て何とおつしやるでせう。そんな、らんぼうなことがあるでせうか。
「では、きみのお父さまは、きみにまいにちパンを下さるやうに神さまにおいのりをしないの?」
男の子は何のことかわからないやうな顔をしてゐるので、トゥロットは、もう一ぺん、聞きかへしました。
「しねえ。」
トゥロットは、ほつとため息をしました。だからわかつた。おいのりをしないんだもの。それぢやだめだよ。
「ね、神さまのこと、一ぺんも話して下さらないの、お父さまは。」
「うん。神さまなんて、あるもんかいッて、おこるとさういふよ。」
何の意味か、トゥロットにはわかりませんが、何だか、それは、いゝおいのりではなささうにおもはれます。
「ぢや、きみは、何と言つて、おいのりをするの?」
男の子は、うす気味のわるい笑ひかたをするだけで返事をしません。
「ねえ。何ておいのりを上げるの?」
男の子は、やつばり、ばかにするやうに笑ひながら、
「神さまなんてものァ、うそつぱちだよ。」
と言ひました。トゥロットは、あつけにとられて、言葉も出ませんでした。神さまのことを、うそつぱちだなんて。ぼくがまいばんお母さまにをそはるとほりを言つて、おいのりをするあの神さまのことを。――遠くの海の中を航海していらつしやるお父さまに、おかはりがないやうにと、ぼくはまいばんおいのりをするんぢやないか。その神さまが、うそッぱち? トゥロットは、くわッと血が顔中へ上つて来ると一しよに、シャベルをふり上げて、ごつんと男の子の頭をなぐりつけました。男の子は、びつくりして、ひぢで顔をかばひながら、横目でにらみつけました。でも、それきりで、べつに食つてかゝつて来ようともしません。
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