您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 鈴木 行三 >> 正文

菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:27:57  点击:  切换到繁體中文


        二十一

 其の時お菊は驚いてかたちを正し、
菊「何をする」
 と云いながら、側にりました烟管きせるにて林藏の頭をちました。
林「あゝいてえ、なんった、呆れて物が云われねえ」
菊「早くお前の部屋へおいでなんぼ私が年がかないと云って、あんまり人を馬鹿にして、さ、出て行っておくれよ、本当に呆れてしまうよ」
林「出てくもかねえもらねえ、えやならえやで訳は分ってる、突然えきなり頭部あたまにやして、本当に呆れてしまう、何だってったよ」
菊「たなくてさ、旦那様のお留守に冗談も程がある、よく考えて御覧、私は旦那さまに別段御贔屓になることも知っていながら、気違じみた真似をして、すぐに出て往っておくれ、お前のような薄穢うすぎたない者の女房にょうぼうに誰がなるものか」
林「薄穢けりアそれでえよ、本当に呆れて物が云われねえ、いやなら何も無理もりに女房になれとは云わねえ、わしの身代が立派れっぱになれば、お前さんよりもっと立派れっぱ女房にょうぼを貰うから、えやならえやで分ってるのに、突然いきなり烟管でにやすてえことがあるか、頭へけずが附いたぞ」
菊「ったって当然あたりまえだ、さっさと部屋へおいで、旦那さまがお帰りになったら申上げるから」
林「旦那様がお帰りになりア此方こっちで云うてひまア出させるぞ」
菊「おや、何で私が……」
林「何もこそらねえ、さっさと暇ア出させるようにわしが云うから、う思って居るがえ」
 と云い放って立上る袖をとらえて引止め、
菊「何ういう理由わけで、まおまちよ」
林「何だねたもとを押えて何うするだ」
菊「私が何でおいとまが出るんだえ、お暇が出るといえば其の理由わけを聞きましょう」
林「エヽイ、くもかねえもらねえ、放さねえかよ、これ放さねえかてえにあれ着物けものが裂けてしまうじゃアねえか、裂けるよ、放さねえか、放しやがれ」
 と林藏はプップと腹を立って庭の方へ出る途端に、チョン/\チョン/\、
○「四ツでござアい」
 と云う廻りの声を合図に、松蔭大藏は裏手の花壇の方からそっ抜足ぬきあしをいたし、此方こちらへまいるに出会いました。
大「林藏じゃアねえか」
林「おや旦那様」
大「林藏出て来ちゃアいかんなア」
林「いかんたってわしにはられませんよ、旦那様、頭へけず出来でけました、こんなににやして何うにも斯うにも、其様そんな薄穢い田舎者えなかものえやだよッて、突然いきなり烟管で殴しました」
大「ウフヽヽヽ菊が……菊が立腹して、ウフヽヽヽったか、それで手前腹を立てゝ出て来たのか」
林「ヒエ左様でござえます」
大「ウム至極もっともだ、少しの間己が呼ぶまで来るな、しかし菊もまだ年がいかないから、死んでもいやだと一度ひとたび断るは女子おなごじょうだ、ま部屋に往って寝ていろ」
林「部屋へってもられませんよ」
大「ま、兎も角彼方あちらけ/\、悪いようにはしないから」
林「ヒエ左様なら御機嫌宜しゅう」
 と林藏がおのれの部屋へ後姿うしろすがたを見送って、
大「えゝーい」
 と大藏はわざと酔った真似をして、雪駄をチャラ/\鳴らして、井筒のうたいを唄いながら玄関へかゝる。お菊は其の足音を存じていますから、すぐに駈出して両手を突き、
菊「お帰り遊ばせ」
大「あい、あゝーどうも誠に酔った」
菊「大層お帰りがお遅うございますから、また神原様でお引留ひきとめで、御迷惑を遊ばしていらっしゃることゝ存じて、先程からお帰りをお待ち申して居りました」
大「いや、どうも無理に酒をしいられ、神原も中々の酒家のみかで、飲まんというのをかずに勧めるには実に困ったが、飯もべずに帰って来たが、さぞ待遠まちどおであったろう」
菊「さ、此方こちらへ入らしってお召換めしかえを遊ばしまし[#「遊ばしまし」は底本では「遊ぱしまし」]
大「あい、衣類きものを着替ようかの」
菊「はい」
 とお菊はすぐ乱箱みだればこの中に入って居ります黄八丈の袷小袖あわせこそでを出して着換させる、しとねが出る、烟草盆が出ます。松蔭大藏は自分の居間へ坐りました。
菊「御酒ごしゅは召上っていらっしゃいましたろうが、御飯ごはんを召上りますか」
大「いや勧めの酒はの幾許いくら飲んでもうまくないので、宅へ帰ると矢張また飲みたくなる、一寸ちょっと一盃いっぱいけんか」
菊「はい、お湯も沸いて居りますし、支度もして置きました」
大「じゃア此処これへ持って来てくれ」
菊「はい畏まりました」
 と勝手を存じていますから、たしなみの物を並べて膳立ぜんだてをいたし、大藏の前へ盃盤はいばんが出ました。お菊は側へまいりまして酌をいたす。大藏はさかずきって飲んでお菊に差す。お菊はあいに半分ぐらいずついやでも飲まなければなりません。
大「はあー……お菊先程林藏が先へ帰ったろう」
菊「はい、何だかも大層飲酔たべよってまいりまして、大変な機嫌でございましたが、もようやだまして部屋へりましたが、あれには余り酒をつかわされますといけませんから、加減をしておつかわし下さいまし」
大「ウム左様か、何か肴の土産を持って参ったか」
菊「はい、種々いろ/\頂戴致しましたが、わたくしいからお前持ってくが宜い、折角下すったのだからと申して皆あれつかわしました」
大「あゝうか、あゝーい心持だ、何処どこで酒を飲むより宅へ帰って気儘に座を崩して、菊の酌で一盃飲むのが一番旨いのう」
菊「貴方また其様そん御容子ごようすいことばかり御意遊ばします、わたくしのような此様こんなはしたない者がお酌をしては、御酒ごしゅもお旨くなかろうかと存じます」
大「いや/\どうも実に旨い、はアー……だがの、菊、酔って云うのではないが表向おもてむき、ま手前は小間使こまづかいの奉公に来た時から、器量と云い、物の云いよう裾捌すそさばき、他々ほか/\の奉公人と違い、自然に備わるひんというものは別だ、実に物堅い屋敷にいながら、仮令たとい己が昇進して、身に余る大禄を頂戴するようなことになれば、尚更慎まねばならん、所がどうも慎み難く、己が酔った紛れに無理を頼んだ時は、手前はいやであったろう、否だろうけれども性来せいらい怜悧りこうの生れ付ゆえ、否だと云ったらば奉公も出来難できにくい、辛く当られるだろうと云うので、ま手前も否々いや/\ながら己の云うことを聞いてくれた処は、りア己も嬉しゅう思うてるぞよ」
菊「貴方また其様そんな事を御意遊ばしまして、あのお話だけは……」
大「いゝえさ誰にも聞かする話ではない、表向でないから、もう一つ役替やくがえでも致したら、内々ない/\は若竹の方でも己が手前に手を付けた事も知っているが、己が若竹へ恩を着せた事が有るから、あれも承知して居り、織江の方でも知って居ながらいさゝかでも申した事はない、手前と己だけの話だが手前はさぞいやだろうと思って可愛相だ」
菊「あなた、なんぞと云うと其様な厭味なことばかり御意遊ばします、これが貴方身を切られる程厭で其様なことが出来ますものではございません」
大「だが手前は己に物を隠すの」
菊「なにわたくしは何も隠した事はございません」
大「いんにゃ隠す、物を隠すというのも畢竟ひっきょう主従しゅうじゅうというへだてがあって、己は旦那様と云われる身分だから、手前の方でも己を主人と思えば、軽卒けいそつ[#「軽卒」は「軽率」の誤記か]の取扱いも出来ず、斯う云ったら悪かろうかと己に物を隠す処が見えると云うのは、船上忠平は手前の兄だ、それが渡邊織江のうちに奉公をしている、其処そこに云うに云われん処があろう」
菊「何を御意遊ばすんだかわたくしには少しも分りません、是迄私は何でも貴方にお隠し申した事はございません」
大「そんなら己から頼みがある、しかし笑ってくれるな、己がくまで手前に迷ったと云うのは真実惚れたからじゃ、己も新役でおかゝえになって間のない身の上で、内妾ないしょう手許てもとへ置いては同役のきこえもあるから、慎まなければならんのだが、其の慎みが出来んという程惚れたせつなるじょうを話すのだが、己は何も御新造ごしんぞのある身の上でないから、行々ゆく/\は話をして表向手前を女房にしたいと思っている」
菊「どうも誠にお嬉しゅうございます」
大「なに嬉しくはあるまい……なに……真に手前嬉しいと思うなら、己に起請きしょうを書いてくれ」
菊「貴方、御冗談ばかり御意遊ばします、起請なんてえ物をわたくしは書いた事はございませんから、何う書くものか存じません」
大「いやさ己の気休めと思って書いてくれ、いやでもあろうがれを持っておれば、菊は斯ういう心である、末々すえ/″\まで己のものと安心をするような姿で、それが情だの、迷ったの、笑ってくれるな」
菊「いゝえ、笑うどころではございませんが、起請などはお止し遊ばせ」
大「ウヽム書けんと云うのか、それじゃア手前の心が疑われるの」
菊「だってわたくしは何もお隠し申すことはありませんし、起請などを書かんでも……」
大「いや反古ほごになっても心嬉しいから書いてくれ、硯箱すゞりばこをこれへ……それ書いてくれ、文面は教えてやる……書かんというと手前の心がうたぐられる、何か手前の心に隠している事が有ろう、うでなければ早く書いてくれ」
菊「はい……」
 とお菊は最前大藏が飴屋の亭主を呼んで、神原四郎治との密談を立聞たちぎゝをしたが、其の事でこれを書かせるのだな、今こゝで書かなければ尚疑われる、兄の勤めている主人方へお屋敷の一大事を内通をする事も出来ん、先方の心の休まるように書いた方が宜かろうと、はずかしそうに筆を執りまして、大藏が教ゆる通りの文面をすら/\書いてやりました。
大「まア待て、待て/\、名を書くのに松蔭と書かれちゃア主人のようだ、何処までも恋の情でいかんければならん、矢張ぷっつけに[#「ぷっつけに」は「ぶっつけに」の誤記か]大藏殿と書け」
菊「貴方のお名を……」
大「ま書け/\、字配りは此処こゝから書け」
 と指を差された処へ筆を当てゝ、ちゃんと書いたのち、自分の名を羞かしそうにきくと書き終り、
菊「あの、起請は神に誓いまして書きますもので、血か何か附けますのですか」
大「なに血は宜しい、手前の自筆なれば別に疑うところもない、あゝ有難い」
 押戴おしいたゞいて巻納まきおさめもう一盃いっぱい。と酒を飲みながら如何いかなることをかたくむらん、続けて三盃さんばいばかり飲みました。
大「あゝ酔った」
菊「大層お色に出ました」
大「殺して居た酒が一時いちじに出ましたが、あの花壇の菊は余程咲いたかの」
菊「余程咲きました、咲乱れて居ります」
大「一寸ちょっと見たいもんだの」
菊「じゃアお雪洞ぼんぼりけましょう」
大「うしてくれ」
菊「お路地のお草履ぞうり此処これにあります、飛石とびいしへおつまずき遊ばすとあぶのうございますよ」
大「おゝい/\/\」
 とよろけながらぶらり/\くのを、危いからお菊もあとから雪洞を提げて外の方へ出ると花壇があります。此の裏手はずっと崖になって、くだると谷中新幡随院しんばんずいいんの墓場此方こちらはお馬場口になって居りますから、人の往来ゆきゝは有りません。
大「菊々」
菊「はい」
大「其処そこへ雪洞を置けよ」
菊「はい置きます」
大「灯火あかりがあっては間が悪いのう」
菊「何を御意あそばします」
大「これ菊、少ししゃがんでくれ」
菊「はい」
 左の手を出して……おふくろ二歳ふたつ三歳みッつの子供を愛するようにお菊の肩の処へ手をかけて、お菊の顔を視詰みつめて居りますから、
菊「あなた、何を遊ばしますの、わたくしは間が悪うございますもの……」
 大藏は四辺あたりを見て油断を見透みすかし、片足げてポーンと雪洞を蹴上けあげましたから転がって、灯火あかりの消えるのを合図にお菊の胸倉をって懐にかくし持ったる合口あいくちを抜く手も見せず、喉笛へプツリーと力に任せて突込つきこむ。
菊「キャー」
 と叫びながら合口のつかを右の手で押え片手で大藏の左の手を押えに掛りまするのを、力に任せて捻倒ねじたおし、乗掛って、
大「ウヽー」
 とこじったから、
菊「ウーン」
 パタリとそれなり息は絶えてしまい、大藏はのりだらけになりました手をお菊の衣類きもので拭きながら、そっと庭伝いに来まして、三尺のしまりのある所を開けて、密っと廻って林藏という若党のいる部屋へまいりました。

        二十二

大「林藏や、林藏寝たか林藏……」
林「誰だえ」
大「己だ、一寸ちょっと開けてくれ」
林「誰だ」
大「己だ、開けてくれ、己だ」
林「いやー旦那さまア」
大「これ/\」
林「何うして此様こんな処へ」
大「静かに/\」
林「ど何ういう事で」
大「静かに……」
林「はい、只今開けます、灯火あかりが消えて居りますから、只今……先刻さっきから種々いろ/\考えて居て一寸ちょっとられません、へえ開けます」
 がら/\/\。
林「先刻の事が気になってねむられませんよ」
大「一緒に来い/\」
林「ひえ/\」
大「手前の手許てもとに小短い脇差で少し切れるのがあるか」
林「ひえ、ござえます」
大「それを差して来い、静かに/\」
 と是れから林藏の手を引いて、足音のしないように花壇のもとまで連れて来まして、
大「これ」
林「ひえ/\」
大「菊は此の通りにして仕舞った」
林「おゝ……これは……どうもお菊さん」
大「これさ、しッ/\……主人の言葉をそむく奴だから捨置き難い、どうか始終は林藏と添わしてやりたいから、段々話をしても肯入きゝいれんから、むを得ずかくの通り致した」
林「ひえゝ、したがまア、殺すと云うはえれえことになりました、可愛相な事をしましたな」
大「いや可愛相てえ事はない、手前は菊の肩を持って未練があるの」
林「未練めれんはありませんが」
大「なアに未練みれんがある」
 と云いながら、やっと突然いきなり林藏の胸倉をとらえますから、
林「何をなさいます」
 と云う所を、押倒しざま林藏が差して居ました小脇差を引抜いて咽笛のどぶえへプツーリ突通つきとおす。
林「ウワー」
 と悶掻もがく所を乗掛って、
大「ウヽーン」
 と突貫つきつらぬく、林藏は苦紛くるしまぎれに柄元つかもとへ手を掛けたなり、
林「ウヽーン」
 と息が止りました。是から大藏は伸上って庭外そとを見ましたが人も来ない様子ゆえ、
大「しめた」
 と大藏は跡へ帰って硯箱を取出して手紙をしたゝめ、是から菊が書いた起請文を取出して、大藏とある大の字の中央まんなかへ(ぼう)を通してね、右方こちらへ木の字を加えて、大藏を林藏と改書なおして、血をべっとりと塗附けて之を懐中し、又々庭へ出て、お菊の懐中を探して見たが、別に掛守かけまもりもない、帯止おびどめほどいて見ますと中にまもりが入っておりますから、其の中へ右の起請をれ、元のように致して置き、が明けるとすぐに之をかしらへ届けました。た有助と云う男に手紙を持たせて、本郷春木町三丁目の指物屋さしものや岩吉方へつかわしましたが、中々大騒おおさわぎで、其の内に検使けんしが到来致しまして、段々死人をあらためますと、自ら死んだように、匕首あいくちを握り詰めたなりで死んで居ります。林藏も刀の柄元を握詰め喉をいておりますから、如何どういう事かと調べになると、大藏の申立もうしたてに、平素つねからおかしいように思って居りましたが、かねて密通を致し居り、痴情のやる方なく情死を致したのかも知れん、何か証拠が有ろうと云うので、懐中ふところから守袋まもりぶくろを取出して見ると、起請文が有りましたから、大藏は小膝をはたうちまして、
大「訝しいと存じて、とがめた時に、露顕したと心得情死を致しましたと見ゆる、不憫ふびんな事を致した、なに死なんでもいものを、あれまでに目を懸けて使うてやったものを」
 などゝ、まことしやかにべて、検使の方は済みましたが、今年五十八になります、指物屋の岩吉が飛んでまいり、船上忠平という二十三になる若党も、織江方から飛んでまいりました。
大「これ/\此処こゝへ通せ、老爺じゞい此処へ入れ」
岩「はい、急にお使つかいでございましたから飛んでめえりました、どうも飛んだことで」
大「誠に何ともはやお気の毒な事で、斯ういう始末じゃ」
岩「はい、どうも此のたびの事ばかりは何ういう事だかわしには一向訳が分りません、貴方様あんたさまへ御奉公に上げましてから、旦那様がお目をかけて下さり、斯ういう着物を、やれ斯ういう帯をとこしらえて戴き、其の上お小遣いまで下さり、それからくしかんざしから足の爪先まで貴方が御心配下さるてえますから、彼様あんな結構な旦那さまをしくじっちゃアならんよ、己は職人の我雑者がさつもので、人の前で碌に口もきかれない人間だが、行々ゆく/\お前をい処へ嫁付かたづけてやると仰しゃったというから、私はそれをたのしんで居りましたが、何ういうわけで林藏殿と悪い事をすると云うは……のう忠平、一つ屋敷にいるから手前は他の仲間衆ちゅうげんしゅうの噂でも聞いていそうなものだったのう」
忠「噂にも聞いた事がございません、そんなれば林藏という男が美男びなんという訳でもなし、の通りの醜男子ぶおとこ、それと斯ういう訳になろうとは合点がまいりません、おとっさん、ねえちいさいうちから妹は其様そんな了簡の女ではないのです、何か是には深い訳があるだろうと思います」
 と互に顔を見合せましたが、親父の岩吉には理由わけが分りませんから、
岩「訳だってわしにはどうも分らん、林藏さんと斯ういう事になろう筈がないと申すは、旦那さま、此の間菊へ一寸ちょっとお暇を下さいました時に、宅へまいりましたから、早く帰んなよ、うしないと旦那様に済まねえよ、親元に何時いつまでもぐず/\して居てはならないと申したら、おとっさん、私はと何か云いにくい事がある様子で、ぐず/\して居ましたが、何方どなたもいらっしゃいませんからお話を致しますが、お父さん、私は浮気じゃアないが、私のような者でも旦那様が別段お目をかけて下さいますよと云いますから、お前を奉公人の内で一番目をかけて下さるのか、然うじゃアないよ、別段に目をかけて下さるの、何ういう事でと聞きましたら、私ア旦那さまのお手が附いたけれども、此の事が知れては旦那様のお身の上にさわるから、お前一人得心で居てくれろと申しますから手前は冥加至極な奴だ、彼様あんい男の殿様のお手が附いて……道理でお屋敷へあがる時から、やれこれ目を掛けて下さると思った、しかほかの奉公人のそねみを受けやアしないかと申しましたが、結構な事だ有難いことだと実は悦んで安心していました、菊も悦んで親へ吹聴致すくらいで、何うして林藏さんと……」
大「こら/\大きな声をしては困りますな、併し岩や恋は思案のほかという諺もあって、是ばかりは解りませんよ、そんならばうちにいて気振けぶりでも有りそうなものだったが、少しも気振を見せない、もっとしゅう家来だから気をつめるところもあり、同じ朋輩同志人目を忍んで密会あいびきをする方が又たのしみと見えて、林藏という者が来た時から、菊がかれに優しくいたす様子、林藏の方でもお菊さん/\としたし工合ぐあいだから、結構な事だと思って居たが、起請まで取交とりかわして心中を仕ようとは思いません、実に憎い奴とは思いながら、誠に不憫な事をして、お前の心になって見れば、立腹するかどはない、お前には誠に気の毒で、忠平どんも未だ年若としわかではあるし、他に兄弟もなく、さぞと察する、斯うして一つ屋敷内やしきうちに居るから、恥入ることだろうと思う、実に気の毒だが、の道ばかりは別だからのう」
忠「へえ、(泣声にて)おとっさんなんたる事になりましたろう、わたくしは旦那様の処へ奉公をして居りましても、他の足軽や仲間共に対して誠に顔向けが出来ません、一人の妹が此様こんな不始末を致し、御当家様へ申訳がありません」
大「いや、仕方がないから、屍体したいのところはすぐに引取ってくれるように」
岩「へえかしこまりました」
 と岩吉も忠平も本当らしいから、仕方がない、お菊の屍骸を引取って、木具屋の岩吉方から野辺の送りをいたしました。九月十三に、渡邊織江は小梅の御中屋敷おなかやしきにて、お客来がござりまして、お召によって出張いたし、お饗応もてなしをいたしましたので、余程も更けましたが、お客の帰った跡の取片付けを下役に申付けまして、自分は御前をさがり、小梅のお屋敷を出ますと、浅草寺あさくさ亥刻よつの鐘が聞えます。全体此の日は船上忠平も供をして参っておったところが、急に渡邊のたくから手紙で、嬢様が少しお癪気しゃくけだと申してまいりました。嬢様の御病気を看病致すには、慣れたものがらんければ不都合ゆえ、織江が忠平に其の手紙を見せまして、先へ忠平を帰しましたから、米藏よねぞうという老僕おやじに提灯を持たして小梅の御中屋敷を立出たちいで、吾妻橋あずまばしを渡って田原町たわらまちから東本願寺へ突当つきあたって右に曲り、それから裏手へまいり、反圃たんぼ海禅寺かいぜんじの前を通りまして山崎町やまざきちょうへ出まして、上野の山内さんないを抜け、谷中門へ出て、直ぐ左へ曲って是から只今角に石屋のあります処から又あとへ少し戻って、細い横町よこちょうを入ると、谷中の瑞林寺ずいりんじという法華寺ほっけでらがあります、今三浦の屋敷へ程近い処まで来ると、突然だしぬけに飛出した怪しげなる奴が、米藏の持った提灯をばっさり切って落す。
米「あっ」
 と驚く、
織「何者だ、うぬ、狼藉ろうぜき……」
 とあと退さがるところを藪蔭からプツーリ繰出した槍先にて、渡邊のひばらを深く突く
織「ムヽーン」
 と倒れて起上ろうとする所を、早く大刀のつかに手をかけると見えましたが抜打ぬきうちに織江の肩先深く切付けたから堪りません。
織「ウヽーム」
 と残念ながら大刀の柄へ手を掛けたまゝ息は絶えました。

        二十三

 渡邊織江が殺されましたのは、子刻こゝのつ少々前で、丁度同じ時刻にの春部梅三郎が若江というお小姓の手をひいて屋敷を駈落致しました。昔は不義はお家の御法度ごはっとなどと云ってお手打になるような事がございました。そんならと申して殿様がお堅いかと思いますと、殿様の方にはお召使が幾人いくたりもあって、何か月に六斎ろくさいずつかわる/″\お勤めがあるなどという権妻ごんさい置散おきちらかして居ながら、家来が不義を致しますと手打にいたさんければならんとは、ちと無理なお話でございますが、其の時分の君臣の権識けんしきたいして違っておりましたもので、若江が懐妊したようだというから、何うしてもこと露顕を致します、ことには春部梅三郎の父が御舎弟様から拝領いたしました小柄こづか紛失ふんじつ致しました。これも表向に届けてはやかましい事であります、此方こなたも心配致している処へ、若江が懐妊したから連れて逃げて下さいというと、そんなら……、と是から両人共身支度をして、小包を抱え、若気の至りとは云いながら、たかも家も捨てゝ、春部梅三郎は二十三歳で、其の時分の二十三は当今のお方のように智慧分別も進んでは居りませんから、落着く先の目途あてもなく、お馬場口から曲って来ると崖のふち柵矢来さくやらいが有りまして、此方こちらは幡随院の崖になって居りまして、此方に細流ながれがあります。此処こゝ川端かわばたと申します。お寺が幾らも並んで居ります。清元の浄瑠璃に、あの川端へ祖師そしさんへなどと申す文句のござりますのは、此の川端にある祖師堂で、此の境内には俳優岩井家代々の墓がございます。っては別に往来ゆきゝもない処で、人目にかゝる気遣いはないからというので、是から合図をして藪蔭へくゞり込み、
若「春部さま」
梅「あい、わしは誠に心配で」
若「わたくしも一生懸命に信心をいたしまして、貴方と御一緒に此の外へ出てしまえば、何様どんな事でも宜しゅうございますけれども、お屋敷にいる内に私がつかまりますと、貴方のお身に及ぶと存じて、本当に私は心配いたしましたが、く入らしって下さいました」
梅「まだ廻りの来る刻限にはちっと早い、さ、これを下りると川端である、柵が古くなっているから、じきに折れるよ、すそをもっと端折はしょらにゃアいかん、危いよ」
若「はい、かしこまりました、貴方宜しゅうございますか」
梅「わしは大丈夫だ、此方こちらへおでなさい」
 と是から二人ともになだれの崖縁がけべりりにかゝると、手拭ですっぽり顔を包み、紺の看板に真鍮巻しんちゅうまきの木刀を差した仲間体ちゅうげんていの男が、手に何か持って立ってる様子、其所そこへ又一人顔を包んだ侍が出て来る。若江春部の両人は忍ぶ身の上ゆえ、怖い恐ろしいも忘れてひのき植込うえごみ一叢ひとむら茂る藪の中へ身を縮め、息をこらしてかくれて居りますと、顔を包んだ侍が大小を落差おとしざしにいたして、尻からげに草履ぞうり穿いたなり、つか/\/\と参り、
大「これ有助」
有「へえ、これをの人に上げてくれと仰しゃるので、へい/\首尾は十分でございましたな」
大「うん、手前は之を持って、かねての通り道灌山どうかんやまくのだ」
有「へい宜しゅうございます、文箱ふばこで」
大「うん、取落さんように致せ、此の柵をけて川を渡るのだ、水の中へ落してはならんぞ」
有「へえ/\大丈夫で」
大「仕損ずるといけんよ」
有「宜しゅうございます」
 と低声こゞえでいうから判然はっきりは分りませんが、怪しい奴と思って居ります内に、の侍はすっといずれへか往ってしまいました。チョンチョン/\/\。
廻「丑刻やつでございます」
 と云う廻りの声にて、先の仲間体の男は驚き慌てゝ柵をくゞって出る。春部は浮気をして情婦おんなを連れ逃げる身の上ではありますが、一体忠義の人でございますから、屋敷内に怪しい奴が忍び込むは盗賊か何だか分りませんから、
梅「曲者くせもの待て」
 と云いながら領上えりがみとらえる。曲者は無理に振払おうとするはずみに文箱ふばこの太い紐に手をかけ、此方こなたは取ろうとする、の者は取られまいとする、引合うはずみにぶつりと封じは切れて、文箱のふたもろともに落たる密書、曲者はこれを取られてはならんと一生懸命に取返しにかゝる、るまいと争う機みに、何ういう拍子か手紙のなかば引裂ひっさいて、ずんと力足ちからあしを踏むと、男はころ/\/\とーんと幡随院の崖縁がけべりへ転がり落ちました。其の時耳近く。
廻「つでございまアす」
 と云う廻りの声に驚き引裂ひきさいた手紙を懐中して、春部梅三郎は若江の手を取って柵を押分け、身体を横にいたし、ようようの事で此処こゝを出て、川を渡り、一生懸命にとっとゝ団子坂だんござかの方へ逃げて、それから白山通はくさんどおりへ出まして、駕籠かごを雇い板橋いたばしへ一泊して、翌日出立しゅったつを致そうと思いますと、秋雨あきさめ大降おおぶりに降り出してまいって、出立をいたす事が出来ませんから、仕方なしに正午過ひるすぎまで待って居りまして、午飯ひるはんたべるとたちまちに空が晴れて来ましたから、
梅「どうか此宿こゝを出る所だけは駕籠に仕よう」
 と駕籠で大宮までまいりますと、もう人に顔を見られても気遣いはないと、駕籠をよして互に手を引合い、漸々だん/\大宮の宿しゅくを離れて、桶川おけがわを通り過ぎ、こうの手前の左は桑畠で、右手の方は杉山の林になって居ります処までまいりました。御案内の通り大宮から鴻の巣までの道程みちのりは六里ばかりでございます。此処こゝまで来ると若江はしゃがんだまゝ立ちません。
梅「何うした、足を痛めたのか」
若「いえ痛めやア致しませんが、只一体に痛くなりました、一体に草臥くたびれたので、もゝがすくんでちっとも歩けません」
梅「歩けないと云われては誠に困るね、急いでかんければなりません」
若「もけません、ようよう此処まで我慢して歩いて来ましたので、わたくし此様こんなに歩いた事はないものですから、う何うしてもけません」
梅「けませんたって…誠に子供のようなことを云っているから困りますな、是からわしの家来のうちへでも往くならまだしも、お前の親のもとへ往って、詫言わびごとをして、しばらく置いて貰わなければなりません、それだのにお前が其処そこで草臥れたと云ってかゞんで、気楽な事を云ってる場合ではありません」
若「わたくしも実に心配ですが、どうも歩けませんもの、もう少しお駕籠をお雇い遊ばすと宜しゅうございましたのに」
梅「其様そんなことを云ったって、今時分こゝらに駕籠はありませんよ、それでなくともなりはすっかり変えても、頭髪あたまふうが悪いから、頭巾を被っても自然と知れます、誠に困りました」
若「困るたって、どうも歩けませんもの」
梅「歩けんと云って、そうして居ては……」
若「少しおぶって下さいませんか」
梅「何うしてわしも草臥れています」
 先の方へぽく/\く人が、うしろ振反ふりかえって見るようだが、暗いので分らん。
梅「えゝもし……其処そこにおいでのお方」
男「はっ……あーびっくりした、はあーえら魂消たまげやした、あゝおっかねえ……何かぽく/\くれえ物が居ると思ったが、こけえらはむじなの出る処だから」
若「あれまア、いやな、怖いこと……」
男「まだ誰か居るかの……」
梅「いえ決して心配な者ではありません、拙者は旅の者でござるが、足弱連あしよわづれで難儀致してるので、駕籠を雇いたいと存ずるが、此の辺に駕籠はありますまいか、うして鴻の巣まではまだの位ありましょう、それに其方そなたは御近辺のお方か、但し御道中のお人か」
男「わしは鴻の巣までけえるものでござえますが、駕籠を雇ってあとけえっても、十四五丁へいらねえばなんねえが、う少しけば鴻の巣だ、五丁半べえの処だアから、同伴つれでもえて、まアね少しはまぎれるだ、私もおっかねえと思って、年いってるが臆病でありやすから、追剥おいはぎでも出るか、狸でも出たら何うしべえかと考え/\来たから、実に魂消たね、飛上ったね、いまだにどう/\胸が鳴ってるだ……見れば大小を差しているようだ、お侍さんだな、どうか一緒に連れて歩いてくだせえ、私も鴻の巣までめえるもので」
梅「それは幸いな事で、しからば御同伴ごどうはんを願いたい」
男「えゝ…こゝでまんまア喰う訳にはまいりやせん、お飯を喰えって」
梅「いえ、御同道ごどうどうをしたいので」
男「アハヽヽヽ一緒にくという事か、じゃア、御一緒にめえりますべえ……草臥れて歩けねえというのは此のねえさんかね、それは困ったんべえ、江戸者ちゅう者は歩きつけねえから旅へ出ると意気地いくじはねえ、わしも宿屋にいますが、時々客人が肉刺まめエ踏出して、吹売ふきがら糊付板のりつけいたを持ってうてえから、いつでも糊板を持って行くだが、足の皮がやっこいだからね、お待ちなせえ、私ア独り歩くと怖えから、提灯をけねえで此の通りぶらさげているだ。同伴つれが殖えたから点けやすべえ」
梅「お提灯は拙者が持ちましょう」
男「わし此処こゝ懐中附木かいちゅうつけぎを持ってる、江戸見物に行った時に山下で買ったゞが、赤い長太郎玉ちょうたろうだまあれと一緒に買っただが、附木だって紙っきれだよ、火絮ほくちがあるから造作もねえ、松の蔭へはいらねえじゃア風がえら来るから」
 と幾度もかち/\やったが付きません。
男「これは中々点かねえもんだね、いしが丸くなってしまって、それに火絮が湿ってるだから……やっとの事で点いただ、これでこの紙の附木に付けるだ、それ能く点くべい、えら硫黄臭いが、硫黄でこしれえた紙だと見える、南風でも北風でも消えねえって自慢して売るだ、点けてしまったあとは、手でおせえて置けば何日いつでも御重宝ごちょうほうだって」
梅「じゃア拙者が持ちましょう、誠にお提灯は幸いの事で、さ我慢して、五町ばかりだと云うから」
若「はい、有難う存じます」
男「お草臥れかね、えへゝゝゝゝ顔を其方そっちへ向けねえでもい」
 若江は頭巾を被って居りますから田舎者の方では分りませんが、若江の方で見ると、旧来我家わがやに勤めている清藏せいぞうという者ゆえ、嬉しさの余り草臥れも忘れて前へすさり出まして、
若「あれまア清爺せいじいや」
清「へえ……誰だ……誰だ」
若「誰だってまア本当に、頭巾を被っているから分るまいけれども私だよ」
 と云いながらお高祖頭巾こそずきんをとるを見て、
清「こりゃア何とまア魂消たね、何うして……やアこれ阿魔ア……」
梅「何だ阿魔とはしからん、知る人かえ」
若「はい、わたくしの処の親父の存生中ぞんしょうちゅうから奉公して居ります老僕じいやですが、こゝで逢いましたのは誠に幸いな事で」
清「ま、どうして来ただアね、宿下やどさがりの時にアわしは高崎まで行ってゝ留守で逢わなかったが、でかくなったね、今年で十八だって、今日もわれが噂アしてえた処だ、見違みちげえるようになって、何とはア立派な姿だアな、何うして来た、宿下りか」
若「いゝえ、私はまたお前に叱られる事が出来たのだけれども、お母様っかさま詫言わびごとをして、どうか此のお方と一緒にうちへ置いて戴くようにしておくれな」
清「此のお方様てえのは」
 と梅三郎を見まして、
「此のお方様が……貴方は岡田さまか」
梅「えゝ拙者は春部梅三郎と申す者で、以後別懇べっこんに願います」
清「へえ、余り固く云っちゃア己がに分りやせん、ま何ういう訳で、あゝ是は失策しくじりでもして出て、貴方あんたいて参ったか」
梅「いや別にかみへ対して失策しくじりもござらんが、両人とも心得違いをいたし、昨夜屋敷を駈落いたしました」
清「え屋敷を出たア…」
若「此のお方様もお屋敷にられず、わたくし矢張やっぱりられない理由わけになったが、おっかさんは物堅い御気性だから、屹度きっと置かないと仰しゃるだろうが、此のお方も、何処どこへもき所のないお方で、後生だから何日いつまでもうちられるようにしておくれな」
清「むゝう……此の人とわれがと二人ながら屋敷にられねえ事を出来でかして仕様がなく、駈落をして来たな」
若「あゝ」
清「あ……それじゃア何か二人ともにまア不義わるさアして居ただアな、いゝや隠さねえでもい、不義わるさアしたってい、い/\/\能くした、かくなるもんだアな、此間こねえだまで頭ア蝶々見たように結って、まさきやわらっこい葉でピイ/\をこしらえて吹いてたのが、此様こんでかくなって、綺麗な情夫おとこを連れて突走つッぱしって来たか、自分の年いったのは分んねえが、われえかくなったで知れらア、心配しんぺえせねえでもい、おふくろさまが置くも置かねえもねえ、何うしても男と女はわるさアするわけのものだ、心配しんぺえせねえでもい、どうせ聟養子むこようしをせねえばなんねえ、われが死んだとっさまの達者の時分からの馴染なじみで、己が脊中でたり、脊中で小便はり垂れたりした娘子あまっこが、でかくなったゞが、お前さんもまんざらいやならば此様こんな処まで手を引張ふっぱって逃げてめえる気遣きづけえもねえが、宿屋の婿むこになったら何うだ、屎草履くそぞうりを直さねえでもいから」
梅「それは有難い事で、ような事でもいたしますが、拙者は屋敷育ちでとん知己しるべもござらず、前町まえまちに出入町人はございますが、前町の町人どものかたへも参られず、他人ひとの娘をそゝのかしたとお腹立もございましょうが、お手前様から宜しくお詫びを願いたい、し寺へまいるような子供でもあれば、四書五経ぐらいは教えましてもし、何うしても困る時には御厄介にならんよう、人家ひとかどに立ち、うたいを唄い、いさゝかの合力ごうりょくを受けましても自分のたべるだけの事は致す心得」
清「其様そんな事をしねえでもえ、見っともねえ、聟になっておふくろの厄介になりたくねえたって、歌ア唄って表え歩いて合力てえ物を売って歩いて、飴屋見たような事はさせたくねえ、あの頭の上へかごか何かのっけて売って歩くのだろう」
梅「いえ、左様な訳ではございません」
清「うでえにしても其様そんな事は仕ねえがい、そろ/\めえりましょう、提灯を持っておくんなせえ、先へ立って」
若「お前ね、私は嬉しいと思ったら草臥れがけたからいよ」
清「まアぶっされよ」
若「宜いよ」
清「いたってえかくなっていやらしく成ったもんだから、間ア悪がって……早くっされよ、ちいさえうちは大概ていげえわしおぶったんだ、情夫おとこが居るもんだから見えして、われが友達の奥田おくだかね野郎なア立派なわけしゅになったよ、われがと同年おねえどしだが、此の頃じゃア肥手桶こいたごも新しいんでなけりゃかつぎやアがんねえ、其様そんなに世話ア焼かさずにぶっされよ」

        二十四

 鴻の巣の宿屋では女主人おんなあるじが清藏の帰りの遅いのを心配いたして、
母「あの清藏はまだけえりませんかな……何うしたかながえ、他の者を使いにやれば、今までにゃアかえるだに……こら、清藏がけえったようじゃアねえか、けえったらすぐ此処こゝうといえ」
清「へえ、只今往ってめえりました……もし、此の人は何とか云っけ、名は……」
若「春部さま」
清「うん春部梅か成程……梅さん、そこな客座敷は六畳しかないが、客のえらある時にゃア此処へも入れるだが常にア誰も来ねえから、其処そこへいって居な、一旦わびをしねえ内は仕方がねえから……へえ往ってめえりました」
母「あんまなげえじゃアねえか」
清「長えって先方むこうで引留めるだ、まア一盃いっぱい飲んでけと云って、どうか船の利かないところを、おめえの馬に積んで二三けえり廻してくれと云っていたが、まき百把ひゃっぱに二十二三把安いよ」
主「それはかっけな」
清「何よ、それなんに逢いやした、それ…」
母「誰だ」
清「誰だってえかくなって見違みちげえたね、屋敷姿は又別だね、此処こゝを斯ういう塩梅あんばいに曲げて、馬糞受まぐそうけ見たように此処にぺら/\下げて来たっけね、今日のあたまア違って、着物も何だか知んねえ物を着て来たんだ、年い十八じゃアなりでけえな、それ娘のおわかよ、とっさまに似てえるだ」
母「あれまア何処どけえ」
清「六畳に居るだ」
母「あれまア早くそう云えばいじゃアねえか」
清「遅く屋敷を出たゞよ」
母「何か塩梅でも悪くてさがって来たんじゃアあんめえか、それとも朋輩なかま同士揉めでも出来たか、宿下やどさがりか」
清「それがね、お屋敷うちでね、一つ所で働くわッけさむれえがあって、え男よ、其方そっちを掃いてくんろ、わしイ拭くべえていった様な事から手が触り足が触りして、ふと私通くッついたんだ、だん/\聞けば腹アでかくなって赤児ねゝこが出来てみれば、奉公は出来ねえ、そんならばとって男を誘い出して、済みませんから老僕じいや詫言をしてくんろってよ、どうかまアね、本当にいおさむれえだよ」
母「むゝう……じゃア何か情夫いろおとこを連れやアがって駈落いして来たか」
清「うん突走つッぱしって来ただ」
母「それからわれ何処どこへ入れた」
清「何処だって別に入れどこがねえから、新家しんやの六畳の方へ入れてまんまア喰わして置いただ」
母「馬鹿野郎、呆れた奴だよ、何故うちへ引入れた、何故敷居をまたがしたよ、屋敷奉公をしていながら、不義わるさアして走って来るような心得違こころえちがえな奴は、此処こゝから勝手次第に何処どこへでもくがえと小言を云って、何故追出してやらねえ、敷居を跨がして内へ入れる事はねえよ」
清「それはう云ったって仕様がねえ、どうせ年頃の者に固くべえ云ったっていかねえ、おめえだって此処こけえ縁付いて来るのに見合から仕て、婚礼したじゃアねえ、あれを知ってるのはわしばかりだ、十七の時だね、十夜じゅうやの帰りがけにそれ芋畠ずいきばたけに二人立ってたろう」
母「止せ……われまで其様そんなことをいうからあまがいう事をかねえ、宜くかんげえて見ろよ、くまヶ谷石原いしはらの忰をうちへよばる都合になって居るじゃアねえか、親父のいた時から決っているわけじゃアねえか、それが今情夫おとこを連れて逃げて来やアがって、親が得心でかくまって置いたら、石原の舎弟や親達に済むかよ」
清「おゝちげえねえ、是は済まねえ」
母「済まねえだって、われは何もかも知っていながら、あまを連れて来て、足踏みをさせて済むかよ、たった今追出おんだしてしめえ、われ幾歳いくつになる、頭ア禿はげらかしてよ、女親だけに子に甘く、義理人情を考えねえで入れたと、石原へきこえて済むか、汝も一緒に出てけ」
清「わしが色事をしやアしめえし、出される訳はねえ、実ア私もうちへ入れめえとは考えたけれども、おさむれえさんが如何いかにも優しげな人で、色が白いたって彼様あんなのはねえ、私アしろかと思えやした、一体おさむれえなんてえ者は田舎へ来れば、こら百姓……なんて威張るだが、私のような者に手を下げて、心得違こゝろえちげえをして屋敷を出ましたが、他に知って居る者もねえ、かゝさまア腹も立とうが、厄介やっけえにはなりません、稼ぎがあります、何だっけ、えゝ歌ア唄って合力ごうりょくとかいう菓子を売って歩いても世話にならねえから、置いてやって下せえな」
母「だめだよ、さっさと追出せよ」
清「そうおこったって仕様がねえ、出せばどこがねえが、娘子あまっこ情夫おとこおらうちうって連れて来たものを追出おんだすような事になれば、誠に義理も悪い、他にどこはねえ、仕様がねえから男女ふたりで身い投げておっんでしまおうとか、林の中へ入って首でもくゝるべえというような、途方もねえかんげえを起して、とんでもねえ間違まちげえが出来るかも知んねえ、追出おんだせなら追出おんだしもするが、ひょっとおめえらの娘が身い投げても、首を縊ってもわしうらんではなんねえよ、たった今追出おんだすから…」
母「まア、ちょっくら待てよ」
清「なに……」
母「己を連れてって若に逢わせろよ」
清「逢わねえでもかんべえ」
母「いよ、おらたゞ追出おんだす心はねえから、彼奴あいつに逢って頭の二つ三つ殴返はりけえして、小鬢こびんでもむしゃぐって、云うだけの事を云って出すから、連れてって逢わせろよ」
清「それはくねえ、ちっせえ子供じゃアねえし、十七八にもなったものゝ横ぞっぽを打殴ぶんなぐったりしねえで、それより出すは造作もねえ」
母「まア待てよ…打叩うちたゝきは兎も角も、むすめは憎くて置かれねえ奴だが、附いて来たおさむれえさんに義理があるから、己が会って、云うだけの事を云って聞かした其の上で、其の人へ義理だ、あまには草鞋銭わらじせんの少しもくれべえ」
清「うむ、それは沢山たんとるがえ、新家にいるだよ」
 と清藏が先へ駈出してまいり、
清「今此処こけへおふくろが来るよ」
若「おっかさんがおこって何とか仰しゃったかえ」
清「怒るたって怒らねえたって訳が分らねえ、彼様あんなはアかてえ義理を立てる人はねえ、此の前彌次郎やじろううちとり喜八きはちめたっけ、あの時おふくろが義理が立たねえって其の通りの鶏を買ってねえばなんねえと、幾ら探しても、あゝいう毛がねえで困ったよ、あゝいう気象だから、おめえさまも其の積りで、田舎者が分らねえ事をいうと思って、きもいらしちゃアいけねえよ、腹立紛れに何を云うか知んねえ、来た/\、さ此方こっちへお母」
母「あゝ薄暗い座敷だな、行灯あんどんを持って来な……お若/\、此方こっちへ出ろよ、此処こけへ出ろ、う少し出てよ」
 お若は間が悪いから、畳へぴったり手を突いて顔を上げ得ません。附いて来た侍は何様どんな人だか。と横目でじろりと見ながら、自分の方より段々前へ進み出まして
母「お若、今清藏に聞きまして魂消たまげましたぞ、われ情夫おとこを連れて此処こけへ走って来たではねえか、何ともはア云様いいようのねえ親不孝なア奴だ、これ屋敷奉公に出すは何のためだよ、斯ういう田舎にいては行儀作法も覚えられねえ、なれども鴻の巣では家柄の岡本の娘だアから屋敷奉公に上げ、行儀作法も覚えさせたらで、金をかけて奉公に遣ったのに、い事は覚えねえで不義わるさアして、此処こけへ走って来ると云うは何たる心得違こゝろえちげえなア親不孝の阿魔だか、呆れ果てた、われの根性を見限って勘当してくれるから、何処どけへでも出てけ、石原の舎弟に合わす顔がえ、あれが汝の婿だ、去年宿下やどさがりに来た時、石原へ連れて往くのに、先方むこうは田舎育ちの人ゆえ、汝が屋敷奉公をして立派な姿で往くが、先方が木綿ものでいても見下げるな、汝が亭主になる人だよと、何度も云って聞かせ、お父様とっさんが約束して固く極めた処を承知していながら、情夫を連れてめえっちゃア石原へ済まねえ事を知っていながら来るとは、何ともはア魂消てしまった、汝より他に子はねえけれども、義理という二字があって何うしても汝をうちへ置く事は出来ねえ、見限って勘当をするから何処どこへでも出て往くがい、汝は此のお方様に見棄てられて乞食になるとも、首いくゝって死ぬとも、身を投げるとも汝が心がらで、自業自得だ、子のない昔と諦めますから」
 と両眼には一杯涙をうかめて泣いて居りました。

        二十五

 母は心のうちでは不憫でならんが、義理にからんで是非もなく/\わざと声をあらゝげまして、
母「これ若、もう物を云わずさっさと出て往け」
 と云いながら梅三郎に向いまして、
「お前様には始めてお目にかゝりましたが、お立派なお侍さんがんなきたねえ処へお出でなすったくれえだから、どうか此のあまを可愛がって下せえまし、折角此処こゝまで連れて逃げて来たものを、若い内には有りうちの事だ、田舎気質かたぎとは云いながら、頑固かたくなばゞアだ、何の勘弁したってえにとお前様には思うか知んねえけれども、只今申します通り義理があって、どうも此の娘をうちへ置かれませんたった今追出します、名主へも届け、九離きゅうりって勘当します、往処ゆきどこもなし、親戚みより頼りもねえ奴でごぜえますから、見棄てずに女房にして下せえまし、貴方あんたが見棄てゝもわしゃア恨みとも思いませんが、どうかお頼み申します、何や清藏、あのお若を屋敷奉公させてうちへ帰らば、やあらけえ物も着られめえと思って、紬縞つむぎじま手織ておりがえらく出来ている、あんな物が家に残ってるとあとで見てきもれてくねえから、帯もくしこうがいのようなものまで悉皆みんならねえからわれ一風呂敷ひとふろしき引纒ひんまとめて、表へ打棄うっちゃっちまえ」
清「打棄らねえでもかんべい、のう腹ア立とうけれども打棄ったって仕様がねえ」
母「チョッ、分らねえ奴だな、石原の親達へていしても此娘これがに何一つ着せる事ア出来ねえ、そんならと云ってうちに置けばくねえ、憎い親不孝なアあまの着物を見るのはいやだから、打棄うっちゃっちまえと云うだ」
清「打棄らずに取って置いたらかんべい」
母「雨も降りそうになって居るから、合羽に傘に下駄でも何でも、われが心で附けて、此娘これがに遣ることは出来ねえ、憎くって、しかうちに置くことが出来ねえから打棄れというのだ、雨が降りそうになって居るから」
清「うーむうか、打棄るべえ、箪笥たんすごと打棄ってもい、どっちり打棄るだから、誰でも拾ってくが宜い、はアーどうも義理という二字は仕様のねえものだ」
 と立ちにかゝるを引止めて、
梅「ましばらく……清藏どんとやら暫くお待ち下さい、只今親御おやごの仰せられるところ、重々御尤ごもっともの次第で、御尊父御存生ごぞんしょうの時分からお約束の許嫁いいなずけの亭主あることを存ぜず、無理に拙者が若江を連れてまいりましたは、あなたに対しては何とも相済みません、若江はなくなられた親御の恩命にそむき、不孝の上の不孝の上塗うわぬりをせんければならず、拙者は何処どこへもどころはないが、男一人の身の上だから、何処いずくの山の中へまいりましても喰うだけの事は出来ます、お前は此処こゝとゞまって聟を取り、家名相続をせんければならんから、拙者一人できます」
清「ま、お待ちなせえ……そんな義理立ぎりだてえして無闇に往ったっていけねえ、二人で出て来たものが、一人置いておめえさんが往ったらあまくねえ訳だア、く相談してくがい、今草鞋銭をくれると云うから待てよ、えゝぐず/\云っちゃア分らねえ、判然はっきり云えよ、泣きながらでなく……の人ばかり追返おっけえしちゃア義理が済むめえ、色事だって親の方にも義理があるから追返すくれえなら首でもるか、身い投げておっぬというだ」
母「篦棒べらぼう……死ぬなんておどごとを云ったら、母親おふくろが魂消て置くべいかと思って、死ぬなんてえだ、死ぬと云った奴に是迄死んだためしはねえ、さたった今死ね、おれは義理さえ立てばい、われより他に子はねえが、死ぬなんて逆らやアがって、死ぬなら死ね、さ此処こゝに庖丁があるから」
清「止せよー、困ったなア……うむ何うした/\」
 若江は身のあやまりでございますから、一言もないが、心底可愛い梅三郎と別れる気がない、女の狭い心から差込んでまいる癪気しゃくきに閉じられ、
若「ウヽーン」
 と仰向けさまに反返そりかえる。清藏は驚いて抱き起しまして、
清「お前さま帰るなんて云わねえがい、さゝ冷たくなって、歯をくいしばっておっんだ、お前様めえさまあんまり小言を云うからだ……アいたえ、己の頭へ石頭を打附ぶッつけて」
 と若江を抱え起しながら、
清「お若やー……」
母「少しぐらい小言を云われて絶息ひきつけるような根性で、何故んな訳になったんだかなア、いてえ……此方こっちへ顔を出すなよ」
清「おめえだって邪魔だよ、何か薬でもあるか、なに、おめえさま持ってる……むゝう是は巻いてあって仕様がねえ、何だ印籠いんろうか……可笑おかしなものだな、おめえさん此の薬をあまの口んなけっぺし込んで……半分噛んで飲ませろよ、なに間がわりい……横着野郎め」
 梅三郎は間が悪そうに薬をくゝんで飲ませますと、若江はようやくうゝんと気が付きました。
清「気が付いたか」
母「しっかりしろ」
清「大丈夫でえじょうぶだ、あゝゝ魂消たあんまり小言を云わねえがえよ、義理立をして見す/\子を殺すようなことが出来る、もう其様そんなに心配しねえが宜えよ」
若「あのじいや、私はんなわるさをしたから、おっかさまの御立腹は重々御道理ごもっともだが、春部さまを一人でお帰し申しては済まないから、私も一緒に此のお方と出して下さるように、またほとぼりが冷めて、石原の方の片が附いたら、お母さまの処へお詫をする時節もあろうから、一旦御勘当の身となって、一度は私も出して下さるように願っておくれよ」
清「困ったね、往処ゆきどこのねえ人を、お若がうちまで誘い出して来て置かないと云うなら、の人を何うかしてやらなければなんねえ、時節を待って詫言わびごとをするてえが、何うする」
母「われと違ってお義理堅ぎりがてえ殿さまで、とこのねえ者を一人で出てくと仰しゃるは、己がへの義理で仰しゃるだ、憎くて置かれねえ奴だが、此の旦那さまもこんなにお義理堅ぎりがてえから、此の旦那様に免じて当分うちへ置いてくれるから、此処こゝに隠れて[#「隠れて」は底本では「隠ねて」]いるがい」
清「そんなれば早くう云えばいに、あとでそんな事を云うだから駄目だ、石原の子息むすこがぐず/\して居て困る事ができたら、わし殴殺ぶっころしても構わねえ」
 と是から二人は此の六畳の座敷へ足を止める事になりますと、お屋敷の方は打って変って、渡邊織江は非業に死し翌日になって其の旨を届けると、ぐさま検視もり、遂に屍骸しがいを引取って野辺の送りも内証ないしょにて済ませ、是から悪人穿鑿せんさくになり、渡邊織江の長男渡邊祖五郎そごろうが伝記に移ります。

        二十六

 さて其の頃はお屋敷は堅いもので、当主が他人ひとに殺された時には、不憫ふびんだからたかを増してやろうという訳にはまいりません、不束ふつゝかだとか不覚悟だとか申して、おいとまになります。の渡邊織江が切害せつがいされましたのは、明和の四年亥歳いどし九月十三に、谷中瑞林寺の門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山たじまさん誓願寺せいがんじへ内葬を致しました。其の時検使に立ちました役人の評議にも、誰が殺したか、織江も手者てしゃだから容易な者に討たれる訳はないが、たくんでした事か、どうも様子が分らん。死屍しがいわきに落ちてありましたのは、春部梅三郎がお小姓若江と密通をいたし、若江から梅三郎へ贈りました文と、小柄こづかが落ちてありましたが、春部梅三郎は人を殺すような性質の者ではない、是も変な訳、何ういう訳で斯様かような文が落ちてあったか頓と手掛りもなく、詰り分らず仕舞でござりました。織江には姉娘あねむすめのお竹と祖五郎という今年十七になるせがれがあって、家督人かとくにんでございます。此者これ愁傷しゅうしょういたしまして、昼は流石さすがに人もまいりますが、夜分はう者もござりませんから、位牌に向って泣いてばかり居りますと、同月どうげつ二十五日の日に、お上屋敷からお呼出しでありますから、祖五郎は早速麻上下あさがみしもで役所へ出ますと、家老寺島兵庫差添さしそえの役人も控えて居り、祖五郎は恐入って平伏して居りますと、
寺島「祖五郎も少し進みますように」
祖「へえ」
寺島「此のたびは織江儀不束の至りである」
祖「はっ」
寺島「仰せ渡されをそれ…」
 差添のお役人が懐から仰せ渡されがき取出とりいだして読上げます。
一其の方父織江儀御用に付き小梅中屋敷へまかり越し帰宅の途中何者とも不知しれず切害被致候段いたされそろだん不覚悟の至りに被思召おぼしめされ無余儀よぎなくなが御暇おいとま差出候さしだしそうろう上は向後こうご江戸お屋敷は不及申もうすにおよばず御領分迄立廻り申さゞる旨被仰出候事おおせいでられそろこと
家老名判
 祖五郎は
「はっ」
 とかしらを下げましたが、心のうちでは、父は殺され、其の上に又此のお屋敷をおいとまになることかと思いますと、年がきませんから、只畳へひたえを摺付けまして、残念の余りこらえかねて男泣きにはら/\/\となみだを落す。御家老は膝を進めて言葉を和らげ、
寺「マヽ役目は是だけじゃが、祖五郎如何いかにもお気の毒なことで、おかゝさまには確か早く別れたから、大概織江殿の手一つで育てられた、其の父が何者かに討たれあまつさえ急にお暇になって見れば、差向さしむき何処どこと云って落着く先に困ろうとお察し申すが、まゝ又其のうちに御帰参のかなう時節もあろうから、余りきな/\思っては宜しくない、心を大きく持って父のあだを報い、本意ほんいを遂げれば、其のかどによって再び帰参を取計らう時節もあろう、いては事を仕損ずるという語を守らんければいかん、年来御懇意にもいたした間、お屋敷近い処にもいまいが、遠く離れた処にいても御不自由な事があったら、内々ない/\で書面をおよこしなさい」
祖「千万せんばん有難う存じます……志摩しま殿、幸五郎こうごろう殿御苦労さまで」
志摩「誠にどうも此のたびは何とも申そうようもない次第で、実にえゝ御尊父さまには一方ひとかたならぬ御懇命ごこんめいを受けました、志摩などは誠にあゝいうお方様がと存じましたくらいで、へえどうか又何ぞ御用に立つ事がありましたら御遠慮なく……此処こゝは役所の事ですから、小屋へ帰りまして仰せ聞けられますように」
祖「千万有難う」
 と仕方なく/\祖五郎はわが小屋へ立帰って、急に諸道具を売払い、奉公人にいとまを出して、弥々いよ/\此処こゝ立退たちのかんければなりません。何処どこと云って便たよって目途あてもございませんが、の若江から春部の処へ送った文が残っていて、春部は家出をしたかどはあるが、春部が父を殺す道理はない、はて分らん事で……確か梅三郎の乳母と云う者は信州の善光寺にいるという事を聞いたが、梅三郎に逢ったら少しは手掛りになる事もあろうと考えまして、前々ぜん/\勤めていた喜六という山出し男は、信州上田の在で、なか条村じょうむらにいるというから、それを訪ねてまいろうと心を決しまして、忠平という名の如く忠実な若党を呼びまして、
祖「忠平手前はちっとも寝ないのう、ちょいと寝なよ」
忠「いえ眠くも何ともございません」
祖「姉様あねさま昨夜ゆうべのう種々いろ/\お話をしたが、屋敷に長くいる訳にもいかんから、此の通り諸道具を引払ってしまった、しかし又再び帰る時節もあろうからと思い、大切な品はごく別懇にいたす出入町人の家へ預けて置いたが、姉様とともに喜六を便たよって信州へ立越たちこえる積りだ、手前も長く奉公してくれたが、親父もの通り追々る年だし、菊はあゝ云う訳になったし、手前だけは別の事だから、こりゃア何の足しにもなるまいが、おとっさまの御不断召ごふだんめしだ、いさゝか心ばかりの品、受けて下さい、是まで段々手前にも宜く勤めて貰い、お父さまがのちも種々骨を折ってくれ、わしは年がかんのに、姉様は何事もお心得がないから何うしていかと誠に心配していたが、万事手前が取仕切ってしてくれ、誠にかたじけない、此品これはほんの志ばかりだ……また時が来て屋敷へ帰ることもあったら、相変らず屋敷へ来て貰いたい、此品これだけを納めて下さい」
忠「へえ誠に有難う……」
竹「手前どうぞ岩吉にも会いたいけれども、立つ時はこっそりと立ちたいと思うから、よく親父にそう云っておくれよ」
 と云われて、忠平は祖五郎とお竹の顔を視詰みつめて居りました。忠平は思い込んだ容子ようすで、
忠「へえ……お嬢さま、わたくしだけはどうかお供仰付け下さいますように願いたいもので、まア斯うやって私も五ヶ年御奉公をいたして居ります、成程親父はる年ですが、まだ中々達者でございます、旦那様には別段に私も御贔屓を戴きましたから、忠平だけはお供をいたし、御道中と申しても若旦那様もお年若、又お嬢様だって旅慣れんでいらっしゃいますから、私がお供をしてまいりませんと、誠にお案じ申します、うちで案じて居りますくらいなら、かえってお供にまいった方が宜しいので、どうかお供を」
竹「それは私も手前に供をして貰えば安心だけれども、親父も得心しまいし、また跡でも困るだろう」
忠「いえ困ると申しても職人も居りますから、何うぞ斯うぞ致して居ります、なまじ親父に会いますと又かく申しますから、立前たちまえに手紙でくわしく云ってやります、どうかわたくしだけはお邪魔でもお供を」
竹「誠に手前の心掛感心なことで……私もって貰いたいというは、祖五郎も此の通りまだ年はかず……しかしそれも気の毒で」
忠「何う致しまして、わたくしの方から願っても、此のたびは是非お供を致そうと存じてるので、どうか願います」
竹「そんなら岩吉を呼んで、く相談ずくの上にしましょう」
忠「いえ相談を致しますと、訳の分らんことを申してとても相談にはなりません、それより立つ前に書面を一本出して、ずっとお供をしてまいっても宜しゅうございます、心配ございません」
 そんならばと申すので、是から段々旅支度をして、いよ/\翌日あした立つという前晩まえばんに、忠平が親父のもとへ手紙をりました。親父の岩吉は碌に読めませんから、他人ひとに読んで貰いましたが、驚いて渡邊の小屋へ飛んでまいりました。
岩「お頼ん申します」
忠「どうれ……おやお出でかえ」
岩「うん……手紙が来たからすぐに来た」
忠「ま此方こっちへお出で」
岩「手前てめえ何かお嬢様方のお供をして信州とかへくてえが飛んだ話だ、え飛んだ話じゃアねえか、そんなら其の様にちゃんと己に斯ういう訳でお供を仕なければならぬがと、宜く己に得心させてからくがい、ふいと黙って立っちまっては大変だと思ったから、遅くなりましてもと御門番へ断って来たんだ、えゝおい」
忠「お供してまいらなければならないんだよ、お嬢様は脾弱ひよわいお体、若旦那さまは未だお年がいかないから、信州までお送り申さなければなりません、お屋敷へ帰る時節があれば結構だが、容易に御帰参は叶うまいと思うが、長々なが/\留守になりますから、お前さんも身をおいといなすって御大切ごたいせつに」
岩「其様そんなことを云ったって仕様がない、己は他に子供はない、お菊と手前てめえばかりだ、ところが菊はんな訳になっちまって、おらアもう五十八だよ」
忠「それは知ってます」
岩「知ってるたって、おれを置いて何処どこかへ行ってしまうと云うじゃアねえか、前の金太きんたの野郎でも達者でいればいが、己も此の頃じゃア眼が悪くなって、思うように難かしい物は指せなくなって居るから困る」
忠「困るって、是非お供をしなくっちゃアなりません」
岩「成らねえたって己を何うする」
忠「私がって来るうち、お前は年をったって丈夫な身体だから死ぬ気遣いはありません」
岩「其様そんな事を云ったって人は老少不定ろうしょうふじょうだ、それもちけえ処ではなし、信州とか何とか五十里も百里もある処へ行くのだ、人間てえものは明日あすも知れねえ、其の己を置いて行くようにく相談してから行け、手紙一本投込んで黙って行っちまっては親不孝じゃアねえか」
忠「それは重々私が悪うございましたが、相談をして又お前に止めたり何かされると困るから……これは武家奉公をすれば当然あたりまえのことで」
岩「なに、武家奉公をすれば当然あたりまえだと、旦那さまが教えたのか」
忠「お教えがなくっても当然あたりまえだよ」
岩「ういうことを手前てめえは云うけれども、親父を棄てゝ田舎へ一緒に行けと若旦那やお嬢様は仰しゃる訳はあるめえ」
忠「それは送れとは仰しゃらんのさ、若旦那様や嬢様の仰しゃるには、る年の親父もあるから、跡に残った方が宜かろう、と云って下すったが、多分にお手当も戴き、形見分けも頂戴し、ことに五ヶ年も奉公した御主人様が零落おちぶれて出るのを見棄てゝはられません、何処どこまでもお供をして、ともに苦労をするのが主従の間だから、悪く思って下さるな」
 と説付ときつけました。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告