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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)
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四十五
勘八は図太い奴でございますから、態と落著振いまして、 勘「へえ、誠に恐入りましてございます。お庭内へ参りましたのは、此の頃は若殿様御病気でございまして、皆さんが御看病なすっていらっしゃるので、どうもお内庭はお手薄でございましょうから、夜々見廻った方が宜いと主人から言いつかりました、それにお手飼の犬とは存じませんで、檜木山の脇へ私が参りましたら、此の節の陽気で病付いたと見えまして、私に咬付きそうにしましたから、咬付かれちゃア大変だと一生懸命で思わず知らず刀を抜いて斬りましたが、お手飼の犬だそうで、誠にどうも心得んで、とんだ事を致しました、へえ重々恐入りましてございます」 目「そりゃアお手飼の犬と知らず、他の飼犬にも致せ、其の方陪臣の身を以て夜中大小を帯し、御寝所近い処へ忍び入ったるは怪しい事であるぞ、さ何者にか其の方頼まれたので有ろう、白状いたせ、拙者屹度調るぞ」 勘「へえ、何も怪しくも何ともないんでございます、全く気を付けて時々お庭を廻れと云われましたんでございます、それゆえ致しました、此処においでなさいます主人の御舎弟四郎治様も爾う仰しゃったのでございます」 目「うむ、四郎治其の方は此の者に申付けたとの申立じゃが、全く左様か」 四「えゝ、お目付へ申上げます、実は兄五郎治は此の程お上屋敷のお夜詰に参って居ります、と申すは、大殿様御病気について、兄も心配いたしまして、えゝ、番でない時も折々は御病気伺いに罷り出で又御舎弟様も御病気に就きお夜詰の衆、又御看護のお方々もお疲れでありましょう、又疲れて何事も怠り勝の処へ付入って、狼藉者が忍入るような事もあれば一大事じゃから、其の方己がお上屋敷へまいって居る中は、折々お内庭を見廻れ、御寝所近い処も見廻るようにと兄より私が言付かって居ります、然る処昨日御家老より致しまして、火急のお呼出しで寅の門のお上屋敷へ罷出ましたが、私は予々兄より言付かって居りますから、是なる勘八に、其の方代ってお庭内を廻るが宜いと申付けたに相違ござらん、然るに彼がお手飼の犬とも心得んで、吠えられたに驚き、梅鉢を手打にいたしました段は全く彼何も弁えん者ゆえ、斯様な事に相成ったので、兄五郎治に於ても迷惑いたします事でござる、併し何も心得ん下人の事と思召しまして、幾重にも私が成代ってお詫を申上げます、御高免の程を願いとうござる、全く知らん事で」 目「むう、そりゃ其の方兄五郎治から言付けられて、其の方が見廻るべき所を其の方がお上屋敷へまいって居る間、此の勘八に申付けたと申すのか、それは些と心得んことじゃアないか、うん、これ申付けても外庭を見廻らせるか、又はお馬場口を見廻るが当然、陪臣の身分で御寝所近い奥庭まで夜廻りに這入れと申付けたるは、些と訝しいようだ、左様な事ぐらいは弁えのない其の方でもあるまい、殊に又帯刀をさせ面部を包ませたるは何う云う次第か」 四「それは夜陰の儀でござるで、誠にお馬場口や何か淋しくてならんから、彼に見廻りを申付ける折に、大小を拝借致したいと申すから、それでは己の積で廻るが宜いと申付けましたので、大小を差しましたる儀で、併し頭巾を被りましたことは頓と心得ません……これ勘八、手前は何故目深い頭巾で面部を包んだ、それは何ういう仔細か、顔を見せん積りか」 勘「えゝ誠にどうも夜になりますと寒うございますんで、それゆえ頭巾を被りましたんで」 目「なに寒い……当月は八月である、未だ残暑も失せず、夜陰といえども蒸れて熱い事があるのに、手前は頭巾を被りたるは余程寒がりと見ゆるな」 勘「へえ、どうも夜は寒うございますので」 目「寒くば寒いにもせよ、一体何ういう心得で其の方が御寝所近くへ這入った、仔細があろう、如何様に陳じても遁れん処であるぞ、兎や角陳ずると厳しい処の責めに遇わんければならんぞ、よく考えて、迚も免れん道と心得て有体に申せ」 勘「有体たって、私は何も別に他から頼まれた訳はございませんで、へえ」 目「中々此奴しぶとい奴だ、此の者を打ちませえ」 四「いや暫く……四郎治申し上げます、暫くどうぞ、彼は陪臣でござって、お内庭へ這入りました段は重々相済まん事なれども、五郎治から私が言付けられますれば、即ち私が、兄五郎治の代を勤むべき処、御用あって御家老からお呼出しに相成りましたから、止むを得ず家来勘八に申付けましたので、取も直さず勘八は兄五郎治の代でござる、何も強いて之を陪臣と仰せられては誠に夜廻りをいたし、上を守ります所の甲斐もない事でございます、勘八のみお咎が有りましては偏頗のお調べかと心得ます」 目「それは何ういう事か」 四「えゝ是れなる遠山權六は、当春中松蔭大藏の家来有助と申す者を取押えましたが、有助は何分にも怪しい事がないのを取押えられ堪り兼て逃所を失い、慌てゝ權六に斬付けたるを怪しいという処から、お調べが段々長く相成って、再度松蔭大藏もお役所へ罷出ました。其の折は御用多端の事で、御用の間を欠き、不取調べをいたし、左様な者を引いてまいり、上役人の迷惑に相成る事を仕出かし、御用の間を欠き、不届の至りと有って、權六は百日の遠慮を申付かりました、未だ其の遠慮中の身をも顧みず、夜な/\お屋敷内を廻りまして宜しい儀でござるか、權六に何のお咎めもなく、私の兄へお咎めのあると云うのは、更に其の意を得んことゝ心得ます、何ういう次第で遠慮の者が妄りに外出をいたして宜しいか、其の儀のお咎めも無くって宜しい儀でござるなれば、陪臣の勘八がお庭内を廻りましたのもお咎めはあるまいかと存じます」 目「うむ…權六其の方は百日遠慮を仰付けられていると、只今四郎治の申す所である、何故に其の方は遠慮中妄りにお庭内へ出た」 權「えゝ」 目「何故に出た」 權「遠慮というのは何ういう訳だね」 目「何う云う訳だとは何だ、其の方は遠慮を仰付けられたであろう」 權「それは知っている、知っているが、遠慮と云うのは何を遠慮するだ、私が有助を押えてお役所へ引いて出ました時は、お役人様が貴方と違って前の菊田様てえ方で、悪人の有助ばかり贔屓いして私をはア何でも彼んでも、無理こじつけに遣り込めるだ、さっぱり訳が分らねえ、其の中に御用の間を欠いた、やれ何の彼のと廉を附けて長え間お役所へ私は引出されただ、二月から四月までかゝりましたよ、牢の中へ入ってる有助には大層な手当があって、何だか御重役からお声がゝりがあるって楽うしている、私は押込められて遠慮だ/\と何を遠慮するだ私の考では遠慮というものは芽出度い事があっても、宅で祝う所は祝わねえようにし、又見物遊山非番の時に行きたくても、其様な事をして栄耀をしちゃアならんから、遠慮さ、又旨え物を喰おうと思っても旨え物を喰って楽しんじゃアどうも済まねえと思って遠慮をして居ります、何も皆遠慮をしているが私が毎晩/\御寝所近えお庭を歩いているは何の為だ、若殿様が御病気ゆえ大切に思えばこそだ、それに御家来の衆も毎晩のことだから看病疲れで眠りもすりゃア、明方には疲れて眠る方も有るまい者でもねえ、其の時怪しい者が入っちゃアならねえと思うからだ、此の程は大分貴方顔なんど隠しちゃア長い物を差した奴がうろつか/\して、御寝所の縁の下などへ入る奴があるだ、過般も私がすうと出たら魂消やアがって、面か横っ腹か何所か打ったら、犬う見たように漸う這上ったから、とっ捕めえて打ってやろうと思う中に逃げちまったが、爾うして気を付けたら私はこれを忠義かと心得ます、他の事は遠慮を致しますが、忠義の遠慮は出来ねえ、忠義というものは誠だ誠の遠慮は何うしても出来ません、夜巡ることは別段誰にも言付かったことはない、役目の外だ、私も眠いから宅で眠れば楽だ、楽だが、それでは済みませんや、大恩のある御主人様の身辺へ気を付けて、警護をしていることを遠慮は出来ませんよ、無理な話だ、巡ったに違えねえ、それでもまだ遠慮して外庭ばかり巡って居りました、すると勘八の野郎が……勘八とは知んねえだ初まりは……犬う斬ったから野郎と押えべいと出たわけさ、それに違えねえでございますよ、はいそれとも忠義を遠慮をしますかな」 と弁舌爽かに淀みなく述立てる処は理の当然なれば、目付も少し困って、其の返答に差支えた様子であります。 目「むゝう、權六の申す所一応は道理じゃが、殿様より遠慮を仰せ出された身分で見れば、それを背いてはならん、最も外出致すを遠慮せんければならん」 權「外出だって我儘に旨え物を喰いに往くとか、面白いものを見に往くのなれば遠慮ういたしますが、殿様のお側を守るなア遠慮は出来ねえ、外出するなって其様な殿様も無えもんだ」 四「えゝ四郎治申上げますあの通り訳の分らん奴で、然るをお目付は權六のみを贔屓いたされ、勘八一人唯悪い者と仰せられては甚だ迷惑をいたします事で、殊にお目付も予てお心得でござろう、神原五郎治の家は前殿様よりお声掛りのこれ有る家柄、殊に遠山權六が如き軽輩と違って重きお役をも勤める兄でござる、權六と同一には相成りません、權六は上の仰せ出されを破り、外出を致したをお咎めもなく、格別の思召のこれ有る所の神原五郎治へお咎めのあるとは、実に依怙の御沙汰かと心得ます、左様な依怙の事をなされては御裁許役とは申されません」 目「黙れ四郎治、不束なれども信樂豊前は目付役であるぞ、今日其の方らを調ぶるは深き故有っての事じゃ、此の度御出府に成られた、御国家老福原殿より別段のお頼みあって目付職を勤めるところの豊前に対して無礼の一言であるぞ」 四「ではございますが、余り片手落のお調べかと心得ます」 目「其の方は部屋住の身の上で、兄の代りとはいえども、其の方から致して内庭へ這入るべき奴では無い、然るを何んだ、其の方が家来に申付けて内庭を廻れと申付けたるは心得違いの儀ではないか、前殿様より格別のお声がゝりのある家柄、誠に辱ない事と主恩を弁えて居るか、四郎治」 四「はい、心得居ります」 目「黙れ、新参の松蔭大藏と其の方兄五郎治兄弟の者は心を合せて、菊之助様をお世嗣にせんが為めに御舎弟様を毒殺いたそうという計策の段々は此の方心得て居るぞ」 四「むゝ」 目「けれども格別のお声がゝりもこれ有る家柄ゆえ、目付の情を以て柔和に調べ遣わすに、以ての外の事を申す奴だ、疾に証拠あって取調べが届いて居るぞ、最早遁れんぞ、兄弟共に今日物頭へ預け置く、勘八其の方は不埓至極の奴、吟味中入牢申付ける、權六」 權「はい私も牢へ入りますかえ」 目「いや其の方は四月の二十八日から遠慮になったな」 權「えゝ」 目「二十八日から丁度昨夜が遠慮明けであった」 權「あゝ然うでございますか」 目「いや丁度左様に相成る、遠慮が明けたから、其の方がお庭内を相変らず御主君のお身の上を案じ、御当家を大切と思い、役目の外に夜廻りをいたす忠義無二のことと、上にも御存じある事で、後してはまた格別の御褒美もあろうから、有難く心得ませい」 權「有難うございます、なにイ呉れます」 目「何を下さるかそれは知れん」 權「なに私は種々な物を貰うのは否でございます、どうかまア悪い奴と見たら打殺しても構わないくらいの許しを願えてえもので、此の頃は余程悪い奴がぐる/\廻って歩きます、全体此の四郎治なんという奴は打殺して遣りてえのだ」 目「これこれ控えろ、追って吟味に及ぶ、今日は立ちませえ」 と直に神原兄弟は頭預けになって、宅番の附くような事に相成り、勘八という下男は牢へ入りました。權六は至急お呼出しになって百日の遠慮は免りて、其の上お役が一つ進んで御加増となる。遠山權六は君恩の辱ないことを寝ても覚めても忘れやらず、それから毎夜ぐる/\廻るの廻らないのと申すのではありません。徹夜寝ずに廻るというは、実に忠義なことでございます。此の事を聞いて松蔭大藏が不審を懐き、どうも神原兄弟が頭預けになって、宅番が附いたは何ういう調べになった事かはて困ったものだ、彼奴らに聞きたくも聞くことも出来ん自分の身の上、あゝ案じられる、国家老の出たは容易ならん事、どうか国家老を抱込みたいものだと、素より悪才に長けた松蔭大藏種々考えまして、濱名左傳次にも相談をいたし、国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町のお出入町人秋田屋清左衞門という者の別荘が橋場にあります。庭が結構で、座敷も好く出来て居ります。これへ連出し馳走というので川口から立派な仕出しを入れて、其の頃の深川の芸者を二十人ばかり呼んで、格別の饗応になると云うのであります。
四十六
時は八月十四日のことで、橋場の秋田屋の寮へ国家老の福原數馬という人を招きまして何ぞ隙があったらば……という松蔭が企み、濱名左傳次という者と諜し合せ、更けて遅く帰るようで有ったらば隙を覗って打果してしまうか、或は旨く此方へ引入れて、家老ぐるみ抱込んでしまうかと申す目論見でございます。大藏は悪才には長け弁も能し愛敬のある男で、秋田屋に頼んで十分の手当でございます。此の寮も大して広い家ではございませんが客席が十五畳、次が十畳になって、入側も附いて居り誠に立派な住居でございます。普請は木口を選んで贅沢なことで建てゝから五年も経ったろうという好い時代で、落着いて、なか/\席の工合も宜しく、床は九尺床でございまして、探幽の山水が懸り、唐物の籠に芙蓉に桔梗刈萱など秋草を十分に活けまして、床脇の棚等にも結構な飛び青磁の香炉がございまして、左右に古代蒔絵の料紙箱があります。飾り付けも立派でございまして、庭からずうと見渡すと、潮入りの泉水になって、模様を取って土橋が架り、紅白の萩其の他の秋草が盛りで、何とも云えん好い景色でございます。饗応を致しますに、丁度宜しい月の上りを見せるという趣向。深川へ申付けました芸者は、極頭だった処の福吉、おかね、小芳、雛吉、延吉、小玉、小さん、などという皆其の頃の有名の女計り、鳥羽屋五蝶に壽樂と申します幇間が二人、是れは一寸荻江節もやります。荻江喜三郎の弟子だというので、皆美々しく着飾って深川の芸者は只今の芸者と違いまして、長箱で入りましたもので、大概橋場あたりで言付ければ残らず船でまいりまして、着換えなど沢山着換えまして、髪は油気なし、潰しという島田に致しまして、丈長と新藁をかけまして、笄は長さ一尺で、厚み八分も有ったという、長い物を差して歩いたもので、狭い路地などは通れませんような恐ろしい長い笄で、夏絽を着ましても皆肌襦袢を着ませんで、深川の芸者ばかりは素肌へ着たのでございます。裾模様が付いて居ります、紅かけ花色、深川鼠、路考茶などが流行りまして、金緞子の帯を締め、若い芸者は縞繻子の間に緋鹿の子をたゝみ、畳み帯、挟み帯などと申して華やかなこしらえ、大勢並んで、次の間にお客様のおいでを待って居ります。秋田屋清左衞門の番頭も、其の頃大名の御家老などが来ると家の誉れ名聞だというので、庭の掃除などを厳しく言付けぐる/\見廻って居ります。そらおいでだと云ってお出迎いをいたし、 番「えゝ、いらっしゃいまし」 數「あゝ、これは成程どうも好い庭で、松蔭好い庭だの」 大「はい誠にその、当家の亭主が至って茶人で、それゆえ此の庭や何かは、更に作りませんで、自然の様を見せました、実に天然のような工合で」 數「うん余程好い庭である、むう、これは感心……岩越何うだえ」 岩「へえ、私は斯様な処へ参ったのは始めてゞごすな、国にいては迚も斯ういう処は見られませんな、うゝん、これはどうも」 數「お前は何だ」 大「えゝ、これなるは当家の番頭、伊平と申します不調法者で」 番「えゝ、今日は宜うこそ御尊来有難い事で、貴所方のお入来のございますのは実に主人も悦び居りまして、此の上ない冥加至極の儀で、土地の外聞で、私においても、誠に有難いことで」 數「いや其様なに、大層に云わんでも宜い、土地の外聞なんて、亭主は余程好事家のようだな」 番「えゝ鬼灯などは植えんように致してございます」 數「うふゝゝ鬼灯じゃアない、風流人と申すことじゃ」 番「でございますか、なにほうずは出来ます」 數「何を申す」 番「へい、船の上をずる/\何時までも曳いているような長いものをほうずと申しますそうで」 數「いや中々の博識じゃ、うふゝゝ面白い男だの、此の泉水は潮入かえ」 番「へえ何と…」 數「いやさ此の泉水は潮が入るかえ」 番「へえ、何と御意遊ばします」 數「潮入りかというのじゃ」 番「へえ/\只今差上げますあの誰かお盆へ塩を持って来て上げな、どうも御癇癖だから、お手をお洗い遊ばすのだろう、へえお塩を」 數「何を持って来るのだ、此の泉水は潮入かと申すのだ」 番「へえ、左様でございます」 大「何卒これへ入らっしゃいまし」 數「うん岩越、ひょろ/\歩くと危いぞ池へ落こちるといかん、あゝ妙だ、家根は惣体葺屋だな、とんと在体の光景だの」 大「外面から見ますと田舎家のようで、中は木口を選んで、なか/\好事に出来て居ります」 數「其の許は斯ういう事も中々委しい、私はとんと知らんが、石灯籠は余りなく、木の灯籠が多いの」 大「えゝ、これはその、野原のような景色を見せました心得でございましょうか」 數「あ成程、これは面白い/\……此処から上るのか、成程玄関の様子が面白く出来たの、入口かえ」 大「これからお上り遊ばしませ、お履物は私がしまい置きます」 數「これは好い席だ」 大「さゝ、是へどうぞ/\」 と松蔭が段々案内をいたし、座敷の床の前へ褥を出し、烟草盆や何か手当が十分届いて居ります。 大「どうぞ此処へお坐りを願います」 數「余り好い月だによって、縁先で見るのが至極宜しい、これは妙だ、此の辺は一体隅田川の流れで……あれに見ゆるのは橋場の渡しの向うかえ、如何にも閑地だから、斯ういう処は好いの、えゝ一寸秋田屋をこれへ」 大「えゝ御家老これが当家の主人秋田屋清左衞門と申します、年来お屋敷へお出入を致すもので、染々未だお目通りは致しませんが、日外あの五六年以前、大夫が御出府の折にお目通りを致した事がありますと申し、斯様な見苦しい処ではござるが、一度御尊来を願いたいと申して居ったので、当人も悉く今日は悦び居ります、どうかお言葉を」 數「はゝあ、秋田屋か」 清「へえ、えゝ今日は宜うこそ、御尊来で、誠に身に取りまして有難い事でございます、えゝ年来お屋敷さまへお出入をいたします不調法者で、此の後とも何分御贔屓お引廻しを願います」 數「あい、秋田屋か、成程、貴公は知らんが、貴公の親父の時分であったか、江戸詰の時種々世話になった事もあった、中々立派な好い家だ、至極面白い」 清「いえ、見苦しゅうございまして、此の通り粗木を以て拵えましたので、中々大夫さまなどがお入来と申すことは容易ならんことで、此の家に箔が付きます事ゆえ、誠に有難いことで」 數「いや/\、格別の手当で辱ない、あい/\、成程、これは中々立派な茶碗だな、余程道具好きだと見えるな」 大「はい、好い道具を沢山所持して居る様子でございます、今日は御家老のお入来だと、何か大切な品を取出した様子で、なに碌なものもございますまいがほんの有合で」 數「いや中々好い茶碗だ」 大「えゝ道具は麁末でござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底の水を汲上げ、砂漉にかけ、水を柔かにして好い茶を入れましたそうで」 數「成程それは有難い、其処が親切というもので、茶はたとえ番茶でも水を柔かにして飲ませる積りで、自身に川中まで船で水を汲みに往く志というものは、千万金にも替えがたく好い茶を飲ませるより福原辱なく飲む」 大「えゝ恐入りました事で」 數「大藏、立派な菓子を取ったの」 大「いえ、どうも甚だ何もございませんで、此の辺は誠にどうも……市ヶ谷から此処へ出張りますことで、好い道具や何かは皆此方の蔵へ入れ置きますという事で」 數「成程、火事がないから道具の好いのを運んで置くか、それは宜かろう」 大「今日は何も御馳走は有りませんが、御家老へ此の向うから月の上ります景色を………これは御馳走でございます、求めず天然の楽みで、幸い今宵は満月の前夜で」 數「おゝ成程な、いやかけ違って染々挨拶もしなかったが、段々と上屋敷の事も下屋敷の事も、貴公が大分に骨を折って大きに殿様にも格別に思召し、新参でありながら、存外の昇進で、えらいものだ」 大「えへゝゝ、不束の大藏格別上のお思召しをもちまして、重きお役を仰付けられ、冥加至極の儀で、此の上とも何卒御家老のお引立を蒙りたく存じます」 數「其様なに出世をしては往く処があるまい、中々どうして男は好し、弁に愛敬を持ち、武芸も達しておるから自然と昇進をする質だ」 大「えゝ、恐入りました事で」 數「手前も壮年の折柄は一体虚弱だが、大きに老年に及んで丈夫になったが、どうも歯が悪くなって、旨い物を喰べても余り旨いとは思わん、楽しみと云っても別になし、国に居れば田舎侍だから美食美服は出来んばかりでは無い、一体若い時分からそういう事は嫌いじゃ、斯ういう清々とした処を見るが何よりの楽しみじゃの」 大藏は座を進ませまして、 大「えゝどうも今日は何もお慰みもなく、お叱りを受けるかは存じませんが、亭主が深川の芸者を呼び置きましたと申すことで、一寸お酌を取りましても、武骨な松蔭や秋田屋がお酌をいたしましては、池田伊丹の銘酒も地酒程にも飲めんようなことで、甚だ御無礼ではございますが、お目通りへ其の深川の芸者どもを呼寄せることに致します」 數「おゝ成程その噂は聞いている、深川には大分美人も居り、芸の好いものも居るという事だが、それは宜いの、手前は芸者に逢った事はない、武骨者で殊に岩越という男が是非一緒に往きたい、何でも連れてってくれ、未だ碌に御府内を見たことが無いというから同道して来たが、起倒流の奥儀を究めあるだけあって、膂力が強いばかりで、頓と風流気のない武骨者じゃ」 岩越「えゝ拙者は岩越賢藏と申す至って武骨者で此の後ともお見知り置かれて御別懇に」 大「今日は図らず御面会を致しました、手前は松蔭大藏で……好い折柄、此の後とも御別懇に……御家老此れは濱名左傳次と申す者で、小役人でございましたが、図らず以上に仰付けられ、今日は何うかお目通りを致しまして、何かのお話を承われば身の修行だと申して居ります、武骨ではござるが洒落た口もきゝ、皺枯っ声で歌を唄い、面白い男ゆえお目をお掛け遊ばして、何分お引立を」 數「はい/\、中々様子の好い男、なれども近い処だと宜いがの、上屋敷までは遠いから、どうか些と早く帰りたいがの」 大「いえ、今晩は小梅のお中屋敷へ御一泊遊ばしては如何、寺家田の座敷が手広でござる、彼へ御一泊遊ばしますように、是から虎の門までお帰りになっては余り遅うなりますから」 數「それは宜かろう」 大「じゃア早く/\」 と是からお吸物に結構な膳椀で、古赤絵の向付けに掻鯛のいりざけのようなものが出ました。続いて口取焼肴が出る。数々料理が並ぶ。引続いて出て来ましたのは深川の別嬪でございます。 大「さ、これへ」 芸「今日は」 數「いや/\大勢呼んだの」 大「さ、これへ来てお酌を、大夫様から」 芸「へえ、大夫様お酌をいたしましょう」 數「いや成程これは綺麗、あい/\、成程松蔭年を老っても酌はたぼと云って幾歳になっても婦人は見て悪くないもんだの、むゝう、中々どうも……何てえ名だなに、小玉か成程、どんずり奴の男がいる、あれは何だ」 幇間「えゝ手前は鳥羽屋五蝶と申します幇間で」 數「ほゝう、なに太鼓を叩くか」 五「いえ、只口で叩きます」 數「口で太鼓を…唇でかえ」 五「いえ、なに、太鼓持で、えへゝゝ」 數「うん成程、口軽なことをいう、幇間か、成程聞いていた、中々面白い頭だの」 五「へゝゝ、どうも未だどんずり奴でございます」 數「太皷持の頭は、皆此様なかえ」 五「皆お揃いと云う訳ではございませんが、自然と毛が薄くなりましたので」 數「いや形が変って妙だ、幇間は口軽だというが、何か面白いことを云いなさい」 五「これは恐入りましたな、御家老さま、改まってこれを云えと仰せあられますと困りますが……喜三郎こゝへ出なよ、金公や此処へ出なよ」 喜「口軽なんぞ迚もお目通りは出来ないというのは何うだ」 五「何だえ、それは」 喜「足軽という洒落だ」 五「縁が遠いの、口軽と足軽では」 數「私は酒が頓といかん、岩越一盃やれ」 岩「私は斯ういう形のものは始めて見ました、余程違って居ります、云うことも中々面白いようで」 五「これから追々繰出します」
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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