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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:27:57  点击:  切换到繁體中文

底本: 圓朝全集 巻の九
出版社: 近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
初版発行日: 1964(昭和39)年2月10日


底本の親本: 圓朝全集巻の九
出版社: 春陽堂
初版発行日: 1927(昭和2)年8月12日

 

菊模様皿山奇談

三遊亭圓朝

鈴木行三校訂・編纂





 大奸は忠に似て大智は愚なるが如しと宜なり。此書は三遊亭圓朝子が演述に係る人情話を筆記せるものとは雖も、其の原を美作国久米郡南条村に有名なる皿山の故事に起して、松蔭大藏が忠に似たる大奸と遠山權六が愚なるが如き大智とを骨子とし、以て因果応報有為転変、恋と無常の世態を縷述し、読む者をして或は喜び或は怒り或は哀み或は楽ましむるの結構は実に当時の状況を耳聞目撃するが如き感ありて、圓朝子が高座に上り、扨て引続きまして今晩お聞きに入れまするは、とお客の御機嫌に供えたる作り物語りとは思われざるなり。蓋し当時某藩に起りたる御家騒動に基き、之を潤飾敷衍せしものにて、其人名等の世に知られざるは、憚る所あって故らに仮設せるに因るならん、読者以て如何とす。
  明治二十四年十一月
春濤居士識


[#改ページ]



        一

 美作国みまさかのくに粂郡くめごおりに皿山という山があります。美作や粂の皿山皿ほどのまなこで見ても見のこした山、という狂歌がある。その皿山の根方ねがたに皿塚ともいい小皿山ともいう、こんもり高い処がある。そのいわれを尋ねると、昔南粂郡みなみくめごおり東山村ひがしやまむらという処に、東山作左衞門ひがしやまさくざえもんと申す郷士ごうしがありました。すこぶ豪家ごうかでありますが、奉公人は余り沢山使いません。此の人の先祖は東山将軍義政よしまさつかえて、東山という苗字を貰ったという旧家であります。其の家に東山公から拝領の皿が三十枚あります。今九枚残っているのが、肥後ひごの熊本の本願寺支配の長峰山ちょうほうざん随正寺ずいしょうじという寺の宝物ほうもつになって居ります。これはの諸方で経済学の講釈をしたり、平天平地へいてんへいちとかいう機械をもって天文学を説いて廻りました佐田介石さだかいせき和尚が確かに見たとわたくしへ話されました。の様な皿かと尋ねましたら、非常に良い皿で、色は紫がゝった処もあり、また赤いような生臙脂しょうえんじがゝった処があり、それに青貝のようにピカ/\した処もあると云いますから、交趾焼こうちやきのような物かと聞きましたら、いや左様そうでもない、珍らしい皿で、成程一枚こわしたら其の人を殺すであろうと思うほどの皿であると云いました。其のほかにある二十枚の皿を白菊と云って、ごく薄手の物であると申すことですが、東山時分に其様そん薄作うすさくの唐物はない筈、決して薄作ではあるまいと仰しゃる方もございましょうが、ちょいと触っても毀れるような薄い皿で、欠けたり割れたりして、継いだのが有るということです。此の皿には菊の模様が出ているので白菊と名づけ、あとの十枚は野菊のような色気がある処から野菊と云いました由で、此の皿は東山家伝来の重宝ちょうほうであるゆえ大事にするためでも有りましょう、先祖が此の皿を一枚毀す者は実子たりとも指一本を切るという遺言状をこの皿に添えて置きましたと申すことで、ちと馬鹿々々しい訳ですが、昔は其様なことが随分沢山有りましたそうでございます。其の皿は実に結構な品でありますゆえ、たれも見たがりますから、作左衞門は自慢で、くだんの皿を出しますのは、ういうものか家例かれいで九月の節句に十八人の客を招待しょうだいして、これを出します。もっとも豪家ですからい道具も沢山所持して居ります。殊に茶器には余程の名器を持って居りますから自慢で人に見せます。又御領主の重役方などを呼びましては度々たび/\饗応を致します。左様な理由わけゆえ道具係という奉公人がありますが、此の奉公人がとんと居附きません。何故なぜというと、毀せば指一本を切ると云うのですから、皆道具係というと怖れて御免をこうむります。そこで道具係の奉公人には給金を過分に出します。其の頃三年で拾両と云っては大した給金でありますが、それでも道具係の奉公人になる者がありません。中には苦しまぎれに、なんの小指一本ぐらい切られても構わんなどゝ、度胸で奉公にまいる者がありますが、薄作だからついあやまっては毀して指を切られ、だん/\此の話を聞伝えて奉公に参る者がなくなりました。陶器と申す物も唐土からには古来から有った物ですが、日本では行基菩薩ぎょうきぼさつが始まりだとか申します。この行基菩薩という方は大和国やまとのくに菅原寺すがわらでら住僧じゅうそうでありましたが、陶器の製法を発明致されたとの事であります。其の元祖藤四郎とうしろうという人がヘーシを発明致したは貞応ていおうの二年、開山道元どうげんに従い、唐土へ渡って覚えて来て焼き始めたのでございましょうが、これが古瀬戸こせとと申すもので、安貞あんてい元年に帰朝致し、人にも其の焼法やきほうを教えたという。れはこん明治二十四年から六百六十三年ぜんのことで、又祥瑞五郎太夫しょんずいごろだゆう頃になりまして、追々と薄作の美くしい物も出来ましたが、其の昔足利の時代にもごく綺麗な毀れ易い薄いものが出来ていた事があります。丁度明和めいわの元年に粂野美作守くめのみまさかのかみ高義公たかよしこう国替で、美作の国勝山かつやまの御城主になられました。その領内南粂郡東山村の隣村りんそん藤原村ふじわらむらと云うがありまして、此の村に母子おやこ暮しの貧民がありました。母は誠に病身で、千代ちよという十九の娘がございます、至って親孝行で、器量といい品格といい、物の云いよう裾捌すそさばきなり何うも貧乏人の娘には珍らしい別嬪で、から嫁に貰いたいと云い込んでも、一人娘ゆえ上げられないと云う。尤も其の筈で、出が宜しい。これは津山つやまの御城主、其の頃松平越後守まつだいらえちごのかみ様の御家来遠山龜右衞門とおやまかめえもんの御内室の娘で、以前は可なりな高を取りました人ゆえ、自然と品格がちがって居ります。浪人して二年目に父を失い永らくの間浪々中、慣れもしない農作や人の使いをしてわずかの小畠こはたをもって其の日をやっと送ってる内に、母が病気附きまして、娘は母に良い薬を飲ませたいと、昼は人に雇われ、夜は内職などをして種々いろ/\介抱に力を尽しましたが、母は次第に病がおもりました。こゝに以前此の家に奉公を致していました丹治たんじと申す老爺じゞいがありまして、時々見舞に参ります。
丹「えゝお嬢様、何うでがす今日こんちは……」
千「おやじいやか、まアお上りな、爺や此間こないだは誠に何よりの品を有難うよ」
丹「なに碌なものでもございませんが、少しも早くかあさまの御病気が御全快になればいと心配していますが、何うも御様子が宜くねえだね」
千「何うかして少しお気をお晴しなさるといが、私はもういけない、所詮死ぬからなんて御自分の気から漸々だん/″\御病気を重くなさるのだから困るよ、今朝はお医者様を有難う、早速来て下すったよ」
丹「参りましたかえ、あのお医者さまはえらい人でごぜえまして、何でもはア此の近辺の者での人に掛ってなおらねえのはねえと云う、うちも小さくって良いお出入場でいりばえようだが、城下から頼まれて、立派なお医者さまが見放した病人を癒した事が幾許いくらもありやすので、諸方へ頼まれてきますが、年いって居るからようが丁寧だてえます、みゃくを診るのに両方の手をつかめえて考えるのが小一時こいっときもかゝって、余り永いもんだで病人が大儀だから、少し寝かしてくんろてえまで、診るそうです」
千「誠に御親切に診て下さいますけれども、爺や彼の先生の仰しゃるには、朝鮮の人参の入ってるお薬を飲ませないとおっかさまはいけないと仰しゃったよ」

        二

 其の時に丹治は首を前へ出しまして、
丹「へえー何を飲ませます」
千「人参の入ってるお薬を」
丹「のくらい飲ませるんで」
千「一箱も飲ませればいと仰しゃったの」
丹「それなら何も心配は入りません、一箱で一両も二両もする訳のものじゃアございやせん、多寡たかの知れた胡蘿蔔にんじんぐらいを」
千「なに胡蘿蔔ではない人参だわね」
丹「人参てえのは何だい」
千「人の形に成って居るような草の根だというが、私は知らないけれども、誠に少ないもので、本邦こっちへも余り渡らない物だけれども、其のお薬をおっかさまにべさせる事もできないんだよ」
丹「何うかして癒らば買って上げたいもんだが、の位のものでがす」
千「一箱三拾両だとさ」
丹「そりゃアたけえな、一箱三拾両なんて魂消たまげた、怖ろしい高え薬を売りたがる奴じゃアねえか」
千「なに売りたがると云う訳ではないが、其のお薬を飲ませればお母さまの御病気が癒ると仰しゃるから、私は其れを買いたいと思うが買えないの」
丹「むゝう三拾両じゃア仕様がねえ、是れが三両ぐらいのことなら大事な御主人のやめえには換えられねえから、うちを売ったって其の薬を買って上げたいとは思いますが、三拾両なんてえらい話だ、そんな出来ねえ相談をたれちゃア困ります、御病人の前ででけえ声じゃア云えねえが、ことに寄ったら其様そんな事を機会しおにしてほかへ見せてくんろという事ではないかと思うと、誠に気が痛みやすな」
千「私も実は左様そう思っているの、それにいて少しお前に相談があるからお母さまへ共々とも/″\に願っておくれな、私が其のお薬を買うだけの手当をこしらえますよ」
丹「拵えるたって無いものは仕様があんめえ」
千「そこが工夫だから、兎も角お母さまの処へ一緒に」
 と枕元の屏風を開け、
千「もしお母様っかさま、二番が出来ましたから召上れ、少し詰って濃くなりましたから上りにくうございましょう、おいやならば半分召上れ、あとのおりのあります所は私が戴きますから」
母「此のは詰らんことを云う、達者な者がお薬をべて何うする、私は幾らあびるほどお薬を飲んでも効験きゝめがないからいけないよ、私はもう死ぬと諦らめましたから、お前其様そんなに薬を勧めておくれでない」
千「あら、またお母さまはあんな事ばかり云っていらっしゃるんですもの、御病気は時節が来ないと癒りませんから、私は一生懸命に神さまへお願掛がんがけをして居ますが、あなた世間には七十八十まで生きます者は幾許いくらも有りますよ」
母「いゝえ私は若い時分に苦労をしたものだからの、それが矢張やっぱり身体にあたっているのだよ」
千「あの爺やが参りましたよ」
母「おゝ丹治、此方こっちへ入っておくれ」
丹「はい御免なせえまし、何うでござえますな、ちっとは胸のはれる事もござえますかね、お嬢さんも心配しておいでなさいますから、くお考えなせえまし、しかしまもとが旧で、あゝいう生活くらしをなすった方が、急に此様こんな片田舎へ来て、わしのような者を頼みに思って、親一人子一人で僅かな畠を持って仕つけもしねえ内職をしたりしてうやって入らっしゃるだから、あゝ詰らねえと昔を思って気を落すところから御病気になったものと考えますが、私だって貧乏だから金ずくではお力になれませんが、以前はあなたの処へ奉公した家来だアから、何うかして御病気の癒るように蔭ながら信心をぶって居りますが、お嬢さまの心配は一通りでないから、我慢してお薬を上んなせえまし」
母「有難う、お前の真実は忘れません、他にも以前つとめた[#「つとめた」は「つとめた」の誤記か]ものは幾許いくらもあるが、お前のように末々すえ/″\まで力になってくれる人は少ない、私は死んでもいといはないけれども、まだ十九つゞ廿歳はたちの千代をあとに残して死ぬのはのう……」
丹「あなた、う死ぬ死ぬと云わねえが宜うごぜえます、幾ら死ぬたって死なれません、寿命が尽きねえば死ねるもんではねえから、どうも然う意地の悪い事ばかり考えちゃア困りますなア、死ぬまでも薬を」
千「何だよう、死ぬまでもなんて、そんな挨拶があるものか」
丹「はい御免なせえまし、それじゃア、死なねえまでもお上んなせえ」
千「お前もう心配しておくれでない」
丹「はい」
千「お母さま、あの先刻桑田くわださまが仰しゃいました人参のことね」
母「はい聞いたよ」
千「あれをあなた召上れな、人参という物は、なに其様そんなに飲みにくいものでは有りませんと、少し甘味がありまして」
母「だってお前、私は飲みたくっても、一箱が大金という其様そんなお薬が何うして戴かれますものか」
千「その薬をあなた召上るお気なら、わたくしが才覚して上げますが……」
母「才覚たってお前、うちには売る物も何も有りゃアしないもの」
千「わたくしをあのう隣村の東山作左衞門という郷士の処へ、道具係の奉公にって下さいましな」
 其の時母は皺枯れたる眉にいとゞ皺を寄せまして、
母「お前、飛んでもない事をいう、丹治お前も聞いて知ってるだろうが、作左衞門のうちでは道具係の奉公人を探していて、大層給金を呉れる、其の代りに何とかいう宝物たからものの皿を毀すと指を切ると云う話を聞いたが、本当かの」
丹「えゝ、それは本当でごぜえます、もと公方くぼうさまから戴いた物で、いえにも身にも換えられねえと云って大事にしている宝だから、毀した者は指を切れという先祖さまの遺言状かきつけが伝わって居るので、指を切られた奴が四五人あります」
母「おゝ怖いこと、其様そんな怖い処へ此のを奉公にられますかね、とても遣られませんよ、何うしておっかない、皿を毀した者の指を切るという御遺言ごゆいごんだか何だか知らんけれども、其の皿を毀したものゝ指を切るなんぞとは聞いてもぞっとするようだ、何うして/\、人の指を切ると云うような其様な非道の心では、平常ふだん矢張やっぱひどかろう、其様な処へ奉公がさせられますものか、痩せても枯れても遠山龜右衞門のむすめじゃアないか、幾許零落おちぶれても、私は死んでも生先おいさきの長いお前が大切で私は定命じょうみょうより生延びている身体だから、私の病気が癒ったって、お前が不具かたわになって何うしましょう、詰らぬ事を云い出しましたよ、苦し紛れに悪い思案、何うでも私は遣りませんよ」
千「うではありましょうけれども、なに気を附けたら其様な事は有りますまい、わたくしも宜く神信心かみしん/″\をして丁寧に取扱えば、毀れるような事はありますまいと存じますからねお母さま、私は一生懸命になりまして奉公を仕遂しおお[#「仕遂せ」は底本では「仕逐せ」]、其のうちあなたの御病気が御全快になれば、私が帰って来て、御一緒に内職でもいたせば誠にい都合じゃアございませんか、何卒どうぞ遣って下さいまし、ねえお母さま、あなた私の身をおいといなすって、あなたに万一もしもの事でも有りますと、矢張やっぱり私が仕様がないじゃア有りませんか」
母「はい、有難うだけれども遣れません、なくなったおとっさんのお位牌に対して、私の病を癒そうためにお前を其様な恐ろしい処へ奉公に遣って済むものじゃアない、のう丹治」
丹「へえ、あんたの云う事も道理でごぜえます、これは遣れませんな」
千「だけども爺や、お母さんの御病気の癒らないのを見す/\知って、安閑として居られる訳のものではないから、私は奉公に仮令たとえ粗相で皿を一枚毀した処が、小指一本切られたって命にさわるわけではなし、お母さまの御病気が癒った方がいわけじゃアないか」
丹「うん、これはうだ、然う仰しゃると無理じゃアない、棄置けば死ぬと云うものを、あなたが何う考えても打棄うっちゃって置かれねえが、成程是れは奉公するも宜うごぜえましょう」
母「お前馬鹿な事ばかり云っている、私が此のを其様な処へ遣られるか遣られないか考えて見なよ、指を切られたら肝心な内職が出来ないじゃアないか、此の困る中で猶々なお/\困ります、遣られませんよ」
丹「成程是れはやれませんな、何う考えても」
千「あらまア、あんな事を云って、何方どっちへも同じような挨拶をしては困るよ」
丹「へえ、是れは何方とも云えない、困ったねえ…じゃア斯うしましょう、わしがのばゞあ何卒どうかお頼ん申します、私がお嬢さまの代りに奉公にめえりまして、私が其の給金を取りますから、お薬を買って下せえまし」
千「女でなければいけない、男は暴々あら/\しくて度々たび/\毀すから女に限るという事は知れて居るじゃアないか」
丹「うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等わしらは何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀うちこわしたり、厚ぼってえ摺鉢すりばちを落してった事もあるから、困ったものだアね」
千「お母さん、何卒どうぞやって下さいまし」
 と幾度いくたびも繰返しての頼み、段々母を説附ときつけまして丹治も道理もっともに思ったから、
丹「そんならばお遣んなすった方が宜かろう」
 と云われて、一旦母も拒みましたが、娘はかず、ことに丹治も倶々とも/″\勧めますので、仕方がないと往生をしました。幸い手蔓てづるが有ったから、縁を求めての東山作左衞門方へ奉公の約束をいたし、下男の丹治が受人うけにんになりまして、お千代は先方へ三ヶ年三十両の給金で住込む事になりましたのは五月の事で、母は心配でございますが、致し方がないので、泣く/\別れて、さて奉公に参って見ると、器量はし、起居動作たちいふるまい物の云いよう、一点も非の打ちどこがないから、至極作左衞門の気に入られました。

        三

 作左衞門はお千代の様子を見まして、是れならば手篤てあつく道具を取扱ってくれるだろう、誠に落着いてゝい、大切な物を扱うに真実で粗相がないから宜いと、大層作左衞門は目をかけて使いました。此の作左衞門のせがれ長助ちょうすけと申して三十一歳になり、一旦女房を貰いましたが、三年ぜんに少し仔細有って離別いたし、独身ひとりみで居ります所が、お千代は何うも器量がいので心底しんそこから惚れぬきまして真実にやれこれ優しく取做とりなして、
長「あれを買っておんなさい、見苦しいからの着物を取換えて、帯を買ってやったら宜かろう」
 などと勧めますと、作左衞門も一人子ひとりっこの申すことですから、其の通りにして、お千代/\と親子共に可愛がられお千代は誠に仕合せで丁度七月のことで、暑い盛りに本山寺ほんざんじという寺に説法が有りまして、親父おやじが聴きに参りましたあとで、奥の離れた八畳の座敷へ酒肴さけさかなを取り寄せ、親父の留守を幸い、鬼の居ないうちに洗濯で、長助が、
長「千代や/\、千代」
 と呼びますから、
千「はい若殿様、お呼び遊ばしましたか」
長「一寸ちょっと来い、/\、今一盃いっぱいやろうと云うんだ、おとっさんのお帰りのないうちに、今日はちとお帰りが遅くなるだろう、事に寄ると年寄の喜八郎きはちろうの処へ廻ると仰しゃったが村の年寄の処へ寄れば話が長くなって、お帰りも遅くなろう、ま酌をして呉れ」
千「はい、お酌を致します」
長「手襷たすきんなさい、忙がしかろうが、何もお前は台所だいどこを働かんでも、一切道具ばかり取扱ってればいんだ」
千「あの大殿様がお留守でございますから宜いお道具は出しませんで、粗末と申しては済みませんが、皆此の様な物で宜しゅうございますか」
長「酌は美女たぼ食物くいものは器で、い器でないと肴が旨く喰えんが、酌はお前のような美しい顔を見ながら飲むと酒が旨いなア」
千「御冗談ばかり御意遊ばします」
長「酔わんと極りが悪いから酔うよ」
千「お酔い遊ばせ、ですが余り召上ると毒でございますよ」
長「まだ飲みもせん内から毒などと云っちゃア困るが、実にお前は堅いねえ」
千「はい、武骨者でいけません」
長「いや、お父さんがお前を感心しているよ、親孝行で、何を見ても聞いても母の事ばかり云って居るって、しかしお前のおふくろの病気も追々全快になると云う事でいの」
千「はい、御当家こなたさまのお蔭で人参を飲みましたせいか、段々宜しくなりまして、此の程病褥とこを離れましたと丹治がまいっての話でございますが、母が申しますに、其方そちのような行届ゆきとゞきません者を置いて下さるのみならず、お目を掛けて下さいまして、誠に有難いことで、種々いろ/\戴き物をしたから宜しく申上げてくれと申しました」
長「感心だな、お前は出がいと云うが………千代/\千代」
千「はい」
長「どうもなんだね、お前は十九かえ」
千「はい」
長「ま一盃いで呉んな」
千「おしゃくを致しましょう」
長「半分残してはいかんな、何うだ一盃飲まんか」
千「いえ、わたくしちっとも飲めません、少し我慢して戴きますと、顔が青くなって身体が震えます」
長「その震える処がちょいと宜しいて、わしは酔いますよ、お前は色が白いばかりでなく、頬のへん眼のふちがぼうと紅いのう」
千「はい、少し逆上のぼせて居りますから」
長「いや逆上のぼせではない、平常ふだんから其の紅い処が何とも言われん」
千「御冗談ばっかり……」
長「冗談じゃアない、全くだ、わしは三年まえに家内を離別したて、どうも心掛けの善くない女で、面倒だから離縁をして見ると、独身ひとりみで何かと不自由でならんが、お前は誠に気立が宜しいのう」
千「いゝえ、誠に届きませんでいけません」
長「此の間わしが……あの…お前笑っちゃア困るが、少しばかり私が斯う五行いつくだりほどの手紙を、……したゝめて、そっとお前のたもとへ入れて置いたのをひらいて読んでくれたかね」
千「左様でございましたか、一向存じませんで」
 長助は少し失望のていで、
長「左様でございますかなどゝ、落着き払っていては困る、親に知れては成らん、知っての通り親父はごく堅いので、あの手紙を書くにも隠れてようよ二行にぎょうぐらい書くと、親父に呼ばれるから、筆を下に置いて又一行ひとくだり書き、しまいの一行は庭の植込うえごみの中で書きましたが、蚊に喰われて弱ったね」

        四

千「それはまアお気の毒さま」
長「なに全くだよ、親父に知れちゃア大変だから、そっとお前の袂へ入れたが、見たろう/\」
千「いゝえわたくしは気が附きませんでございました、何だか私の袂に反古ほごのようなものが入って居ましたが、私は何だか分りませんで、丸めて何処どこかへ棄てましたよ」
長「棄てちゃア困りますね、他人ひとが見るといけませんな」
千「そんな事とは存じませんもの、貴方あなたはお手紙で御用を仰付おおせつけられましたのでございますか」
長「仰付けられるなんて馬鹿に堅いね、だがね、千代/\」
千「何でございます」
長「実はねわしはお前に話をして、嫁に貰いたいと思うが何うだろう」
千「御冗談ばっかり御意遊ばします、わたくしの母は他に子と申すがありませんから、他家わきへ嫁にまいる身の上ではございません、貴方は衆人ひとに殿様と云われる立派なお身の上でおいで遊ばすのに、私のようなはしたない者を貴方此様こんな不釣合で、釣合わぬは不縁の元ではございませんか、おうちのお為めに成りません」
長「なに家の為めになってもならんでも不釣合だって、わしは妻を定むるのに身分の隔てはない事で、唯お前の心掛けを看抜みぬいて、此の人ならばと斯う思ったから、実はお前に心のたけを山々書いて贈ったのである、しかも私は丹誠して千代尽しの文で書いて贈ったんだよ」
千「何でございますかわたくしは存じませんもの」
長「存じませんて、わしの丹誠したのを見て呉れなくっちゃア困りますなア、どうかお前の母に会って、母諸共引取っても宜しいや」
千「わたくしの母は冥加至極有難いと申しましょうけれども、貴方のお父様とっさまが御得心の有る気遣きづかいはありますまい、私のようなはしたない者を御当家こちらさまの嫁に遊ばす気遣いはございませんもの」
長「いえ、お前が全くう云う心ならば、わしは親父に話をするよ、お前は大変親父の気に入ってるよ、どうも沈着おちつきがあって、器量と云い、物の云いよう、何やれは別だと云って居るよ」
千「なに、其様そんな事を仰しゃるものですか」
長「なに全く然う云ってるよ、いじゃアないか、ね千代/\千代」
 と雀が出たようで、無理無態にお千代の手をわが膝へグッと引寄せ、脇の下へ手を掛けようとすると、振払い。
千「何をなさいます、其様な事を遊ばしますと、わたくしうお酌にまいりませんよ」
長「酔った紛れに、少しは酒の席では冗談を云いながら飲まんと面白うないから、一寸ちょっとやったんだが、どうもお前は堅いね、千代/\」
千「はい最うお酌を致しますまいと思います、最うお止し遊ばせ、お毒でございますよ」
長「千代/\」
千「また始まりました」
長「親さえ得心ならば何も仔細はあるまい、何うだ」
千「そうではありますが、まア若殿様、わたくしの思いますには、夫婦の縁と云うものは仮令たとえ親が得心でも、当人同志が得心でない事は夫婦に成れまいかと思います」
長「それは然うさ、だがお前さえ得心ならいが、いやならいやと云えば、わしも諦めが附こうじゃアないか」
千「わたくしのような者を、私の口から何う斯うとは申されませんものを、余り恐入りまして」
 其の時お千代は身をそむけまして、
千「何とも申上げられませんものを、余り恐入りまして」
長「恐入らんでも宜しいさ、おふくろさえ得心なら、母諸共此方こっちへ引取って宜しい、もし窮屈でいやならば、いさゝ田地でんじでも買い、新家しんやを建って、お母に下婢おんなの一人も附けるくらいの手当をして遣ろうじゃアないか。此のうちは皆わしのもので、相続人の私だから何うにもなるから、お前さえおうと云えば、お母に話をして安楽にして遣ろうじゃアないか、しお母は堅いから遠山の苗字を継ぐ者がないとでもいうなら、夫婦養子をしたって相続人は出来るから、お前が此方こっちへ来ても仔細ないじゃアないか」
千「それは誠に結構な事で」
長「結構なればうしてくれ」
千「お嬉しゅうは存じますが」
長「さ、早くお父さまの帰らん内にうんと云いな、酔った紛れにいう訳じゃアない、真実の事だよ」
千「わたくしは貴方に対して申上げられませんものを、御主人さまへ勿体なくって……」
長「何も勿体ない事は有りませんから早く云いなさいよ」
千「恐入ります」
長「其様そんなにはずかしがらんでも宜しいよ」
千「貴方わたくしのような卑しい者の側へお寄り遊ばしちゃアいけません、私が困ります、そうして酒臭くって」
長「ね千代/\千代」
千「それじゃア貴方、本当にわたくしが思う心のたけを云いましょうか」
長「聞きましょう」
千「それじゃア申しますが、屹度きっと、…身分も顧りみず大それた奴だと御立腹では困ります」
長「腹などは立たんからお云いよ、大それたとは思いません、しょうそれたぐらいに思います、云って下さい」
千「本当に貴方御立腹はございませんか」
長「立腹は致しません」
千「それなれば本当に申上げますが、わたくしは貴方がいやなので……」
長「なに忌だ」
千「はい、わたくしはどうも貴方が忌でございます、御主人さまを忌だなどと云っては済みませんけれども、真底私は貴方が忌でございます、只御主人さまでいらっしゃれば有難い若殿さまと思って居りますが、艶書てがみをお贈り遊ばしたり、此の間から私にちょい/\御冗談を仰しゃることもあって、それから何うも私は貴方が忌になりました、どうも女房に成ろうという者の方でいやではとても添われるものじゃアございませんから、もとより無い御縁とお諦め遊ばして、わきから立派なお嫁をお迎えなすった方が宜しゅうございましょう、相当の御縁組でないと御相続の為になりませんから、しかとお断り申しますよ」
長「誠にどうも……至極道理もっとも……」
 と少しの間は額へ筋が出て、顔色がんしょくが変って、唇をブル/\震わしながら、暫く長助が考えまして、
長「千代、至極道理もっともだ、最う千代/\と続けては呼ばんよ、一言ひとことだよ、成程何うもえらい、賢女だ、成程どうも親孝心、誠に正しいものだ、心掛けと云い器量と云い、余り気に入ったから、つい迷いを起して此様こんな事を云い掛けて、誠に羞入はじいった、再び合す顔はないけれども、真に思ったから云ったんだよ、しかしお前にう云われたから諦めますよしかと断念しましたが、おまえ此のことを世間へ云ってくれちゃア困りますよ、わしは親父に何様どんな目に遇うか知れない、堅い気象の人だから」
千「わたくしは世間へ申すどころじゃア有りませんが、あなたの方で」
[#「長」は底本では「千」]わしは決して云わんよ、云やア自ら恥辱はじを流布するんだから云いませんが、あゝ……誠に愧入はじいった、此の通り汗が出ます、面目次第もない、何卒どうぞ堪忍して下さい」
[#「千」は底本では「長」]「恐入ります、是れから前々もと/\通りしゅう家来、矢張千代/\と重ねてお呼び遊ばしまして、お目をお掛け遊ばしまして……」
長「そう云う事を云うだけにわしは誠に困りますなア」
千「誠に恐入ります、大旦那さまのお帰り遊ばしません内に、お酒の道具を隠しましょうか」
長「あゝ仕舞っておくれ/\」
千「はい」
 とそれ/″\道具を片附けましたが、是れから長助がおこってお千代につれなく当るかと思いました処、つれなくも当りませんで、尚更宜く致しまして、の衣類は汚い、九月の節句も近いから、これを拵えて遣るがいと、手当が宜いので、お千代もあゝーお諦めになったか、有難い事だ、あんな事さえないと結構な旦那様であると一生懸命に奉公を致しますから、作左衞門の気にも入られて居りました。月日流るゝが如くで、いよ/\九月の節句と成りました。粂野美作守の重役を七里先から呼ばんければなりません、九の字の付く客を二九十八人招待しょうだいを致し、重陽ちょうようを祝する吉例で、作左衞門はの野菊白菊の皿を自慢で出してせます。美作守の御勘定奉行九津見吉左衞門くづみきちざえもんを初め九里平馬くりへいま戸村九右衞門とむらくえもん秋元九兵衞あきもとくへえ其のほか御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助くたにしょうすけ菊橋九郎左衞門きくはしくろうざえもん、年寄役村方で九の字の附いた人を合せて十八人集めまして、結構な御馳走を致し、善い道具ばかり出して、しきりに自慢を致します事で、実に名器ばかりゆえ、客は頻りに誉めます。此の日道具係の千代は一生懸命に、何卒どうぞ無事に役を仕遂しおおせますようにと神仏に祈誓きせいを致して、皿の毀れんように気を附けましたから、麁相そそうもなく、の皿だけはさがってまいります。自分は蔵前の六畳の座敷に居って、其処そこに膳棚道具棚がありますから、口分くちわけをして一生懸命に油汗を流して、心を用い働いて、無事に其の日のお客も済んで、翌日になりますと、作左衞門が、
作「千代」
千「はい」
作「昨日きのうは大きに御苦労であった、無事にお客も済んだから、今日は道具をあらためなければならん」
千「はい、お番附のございますだけは大概片付けました」
作「うむ、皿は一応検めて仕舞わにゃならん、何かと御苦労で、さぞ骨が折れたろう」
千「わたくしは一生懸命でございました」
作「うであったろう、此の通り三重の箱になってるが、是は中々得難い物だよ、何処どこへ往ったって見られん、女で何も分るまいが、見て置くがい」
千「はい、誠に結構なお道具を拝見して有難い事で」
作「一応検めて見よう」
 と眼鏡をかけて段々改めて、
作「あゝーず無事で安心を致した、是れは八年ぜんに是れだけ毀したのを金粉繕ふんづくろいにして斯うやってある、しか残余あと瑕物きずものにしてはならんから、どうかちゃんとそんして置きたい、是れだけった奴があって、不憫にはあったが、何うも許し難いからわしは中指を切ろうと思ったが、それも不憫だからみん無名指くすりゆびを切った」
千「怖い事でございます、わたくしは此のお道具を扱いますとはら/\致します」
作「是れは無い皿だよ、野菊と云って野菊の色のように紫がゝってる処で此の名が有るのじゃ、種々いろ/\先祖からの書附もあるが、先ず無事でわしも安心した」
 と正直な堅い人ゆえ、検めて道具棚へ載せて置きました。すると長助が座敷の掛物を片附けて、道具棚の方へ廻っていりました。
長「おとっさま」
作「残らず仕舞ったか」
長「お軸物は皆仕舞いました」
作「客は皆道具を誉めたろう」
長「大層誉めました、此の位の名幅めいふくを所持している者は、此の国にゃア領主にも有るまいとの評判で、お客振りもひどく宜しゅうございました」
作「皆良い道具が見たいから来るんだ、只呼んだって来るものか、権式振けんしきぶってゝ、併し土産も至極宜かったな」
長「はい、お父様とっさま、あの皿を今一応お検めを願います、野菊と白菊と両様共りょうようともお検めを願います」
作「あれ先刻さっき検めました」
長「お検めでございましょうが、少しおかしい事が有りますと云うは棚の脇に蒟蒻糊こんにゃくのりが板の上に溶いて有って、粘っていますから、何だか案じられます、他の品でありませんから、今一応検めましょうかね、あき、お前たちは其方そちらきなさい、金造きんぞう、裏手の方を宜く掃除して置け、喜八きはち此方こちらへ参らんようにして、最う大概蔵へ仕舞ったか、千代や」
千「はい/\はい」
長「先刻さっきとっさんがお検めになったそうだが、の皿を此処こゝへ持って来い」
千「はい、先刻さっきお検めになりました」
長「検めたが、一寸ちょっと気になるから今一応わしが検めると云うは、祝いは千年だが、お父さまのないのちは家の重宝じゅうほうで、此の品は私が守護する大事な宝物たからものだから、私も一応検めます」
千「大旦那さまがお検めになりまして、宜しい、少しも仔細ないと御意遊ばしましたのに、貴方何う云う事でお検めになります」
長「先程お父さまがお検めになっても、わしは私で検めなければ気が済まん」
千「何う云う事で」
長「何う云う事なんてとぼけるな、千代てまえは皿を割ったの」

        五

 お千代は呆れて急に言葉も出ませんでしたが、
千「何うもまア思い掛けない事を仰しゃいますわたくしは割りました覚えはございません、ちゃんと一々お検めになりまして、あとは柔かい布巾で拭きまして、一々の通り包みまして、大殿様へ御覧に入れました」
長「いやとぼけるなそんなら如何いかゞ理由わけで棚に糊付板のりつけいたが有るのだ」
千「あれはお箱の蓋の棧がれましたから、米搗こめつき權六ごんろく殿へ頼みまして、急拵きゅうごしらえに竹篦たけべらを削って打ってくれましたの」
長「耄けるな、其様そんなことを云ったって役には立たん、うまごまかそうたって、うはいかんぞ、此方こちらしかと存じておる、これ千代、其の方が怪しいと認めが附いてればこそ検めなければならんのだ早く箱を持って来い/\」
 と云われてお千代はハッとばかりに驚きましたが、何ゆえ長助が斯様こんなことを云うのか分りませんでしたが、の通り検めたのを毀したと云うのは変だなと考えて、よう/\思い当りましたのは、先達せんだっ愛想尽あいそづかしを云った恨みが、今になって出て来たのではないか、何事も無ければいがと怖々こわ/″\にお千代が野菊白菊の入った箱を長助の眼の前へ差出しますと、作左衞門が最前検めて置いた皿の毀れる気遣いはない、忰は何を云うのかと存じて居りますと、長助は顔色かおいろを変えて、
長「これ千代、それ道具棚にある糊付板を此処こゝへ持って来い……さ何う云う訳で此板これを道具棚へ置いた」
千「はい、只今申上げます通り、あのお道具の箱の棧がれましたから、打附けて貰おうと存じますと、米搗の權六がおれが附けて遣ろうと申して附けてくれましたので」
長「いゝや言訳をしたって役には立たん、其の箱の紐をサッサと解け」
千「そうお急ぎなさいますと、また粗相をして毀すといけませんもの」
長「おのれが毀して置きながら、又其様そんなこと申す其の手はくわぬぞ、わしが箱から出す、さ此処これへ出せ」
千「あなた、お静かになすって下さいまし、暴々あら/\しく遊ばして毀れますと矢張やっぱわたくし所為せいになります」
作「これこれ長助、手暴くせんがい、腹立紛れにてまえが毀すといかんから、矢張やっぱり千代お前検めるがい」
千「はい/\」
 と是れから野菊の箱の紐を解いて蓋を取り、一枚/\皿を出しまして長助の眼の前へならべまして。
千「御覧遊ばせ、わたくし先刻さっき検めました通りきずは有りゃアしません」
長「黙れ、毀した事は先刻さっきわしく見て置いたぞ、お父さま、迂濶うっかりしてはいけません、此者これは中々油断がなりません、さ、早く致せ」
千「其様そんなに仰しゃったって、慌てゝ不調法が有るといけません、他のお道具と違いまして、此品これが一枚毀れますとわたくし不具かたわになりますから」
長「不具になったって、受人うけにんを入れて奉公に来たんじゃアないか、さ早く致せ」
千「早くは出来ません」
 と申して検めに掛りましたが、急がれる程おおじ/\致しますが、一生懸命に心の内に神仏かみほとけを念じて粗相のないようにと元のように皿を箱に入れてしまい、是れから白菊の方の紐を解いて、漸々だん/″\三重箱迄開け、布帛きれを開いて皿を一枚ずつ取出し、検めては布帛に包み、ちゃんと脇へ丁寧に置き、
千「是で八枚で、九枚で十枚十一枚十二枚十三枚十四枚十五枚十六枚」
 と漸々勘定をして十九枚と来ると、二十枚目がポカリと毀れて居たからびっくり致しました。
千「おや……お皿が毀れて居ります」
長「それ見ろ、お父様とっさま御覧遊ばせ、此の通りだ粘りが有ります此の糊で附着くっつけてごまかそうとは太い奴では有りませんか」
千「いえ、先程大殿様がお検めになりました時には、決して毀れては居りません」
長「何う仕たって此の通り毀れて居るじゃアないか」
千「先刻さっきは何とも無くって、今毀れて居るのは何う云う訳でしょう」
作「成程斯う云う事があるから油断は出来ない、これ千代りようも有ろうのに、ちょっと欠いたとか、ひゞが入った位ならば、是れ迄の精勤のかどもっゆるすまいものでもないが、斯う大きく毀れては何うも免し難い、これ、何は居らんか、何や、何やでは分らん、おゝそれ/\辨藏べんぞう、手前はな、千代の受人の丹治という者の処へすぐに行ってくれ、余り世間へぱっと知れん内に行ってくれ、千代が皿を毀したから証文通りに行うから、念のために届けると云って、早く行って来い」
辨「へえ」
 と辨藏は飛んで行って、此のことを気の毒そうに話をすると、丹治は驚きまして、母の処へ駈込んでまいり。
丹「御新造ごしんぞさまア……」
母「おや丹治か、先刻さっきは誠に御苦労、お蔭で余程よっぽどいよ」
丹「はっ/\、誠にはや何ともどうも飛んだ訳になりました」
母「ドヽ何うしたの」
丹「へえ、お嬢様が皿ア割ったそうで」
母「え……丹治皿をあれが……」
丹「へえ、只今彼家あちらの奉公人が参りまして、お千代どんが皿ア割っただ、われ受人だアからなんぼ証文通りでも断りなしにゃア扱えねえから、ちょっくら届けるから、立合うがいと云って来ました、わしが考えますに、先方むこうはあゝ云う奴だから、詫びたってもくまいと思って、私が急いでお知らせ申しに来やしたが、お嬢さまが彼家あそこへ住込む時、虫が知らせましたよ、門の所まで私送り出して来たアから、貴方あんた皿ア割っちゃアいけないよと云ったら、お嬢様が余程よっぽど薄いもんだそうだし、原土もとつちで拵えたもんだから割れないとは云えないから、それを云ってくれちゃア困るよと仰しゃいましたが、何とまアなさけねえ事になりましたな、どうか詫をして見ようかと思います」
母「それだから私が云わない事じゃアない、不具者かたわにしちゃア済まないから、私も一緒に連れてっておくれ」
丹「連れて行けたって、あんた歩けますまい」
母「歩けない事もあるまい、一生懸命になって行きますよ、何卒どうぞお願いだから私の手を曳いて連れてっておくれ」
丹「だがはア、是れから一里もある処で、なか/\病揚句やみあげくで歩けるもんじゃアねえ」
母「私は余りびっくりしたんで腰がけましたよ」
丹「これはまア仕様がねえ、わしまで腰が脱けそうだが、あんた腰が脱けちゃア駄目だ」
母「何卒どうぞお願いだから……一通りあれ心術こゝろだてを話し、孝行のために御当家こちらさまへ奉公に来たと、次第を話して、何処までも私がお詫をして指を切られるのをのがれるようにしますから、丹治誠にお気の毒だが、おぶっておくれな」
丹「負ってくれたって、ちょっくら四五丁の処なれば負って行ってもいが……よし/\うごぜえます、わしも一生懸命だ」
 と其の頃の事で人力車くるまはなし、また駕籠かごに乗るような身の上でもないから、丹治が負ってせっせと参りました。此方こちらは最前から待ちに待って居ります。
作「早速庭へ通せ」
 という。百姓などが殿様御前などと敬い奉りますから、益々増長して縁近き所へ座布団を敷き、其の上に座して、刀掛に大小をかけ、凛々りゝしい様子で居ります。両人は庭へ引出され。
丹「へえ御免なせえまし、わしは千代の受人丹治で、母も詫びことにまいりました」
作「うむ、其の方は千代の受人丹治と申すか」
丹「へえ、わしは年来勤めました家来で、店請たなうけ致してる者でごぜえます」
作「うん、其処それへ参ったのは」
母「母でございます」
 と涙を拭きながら、
「娘が飛んだ不調法を致しまして御立腹の段は重々御尤ごもっともさまでござりますが、何卒どうぞ老体のわたくしへお免じ下さいまして、御勘弁を願いとう存じます」
作「いや、それはいかん、これはその先祖伝来の物で、添書そえがきも有って先祖の遺言が此の皿に附いてるから、何うも致し方がない、切りたくはないけれども御遺言にはえられんから、止むを得ず指を切る、指を切ったって命にさわる訳もない、中程から切るのだから、何も不自由の事もなかろう」
母「はい、でございますけれども、此の千代は親のために御当家様へ御奉公にまいりましたので、と申すは、わたくし長煩ながわずらいで、人参の入った薬を飲めば癒ると医者に申されましたが、長々の浪人ゆえ貧に迫って、中々人参などを買う手当はございませんのを、これが案じまして、御当家のお道具係を勤めさえすれば三年で三拾両下さるとは莫大の事ゆえ、それを戴いてわたしを助けたいと申すのを、わたくしも止めましたけれども、此娘これってと申して御当家さまへ参りましたが、親一人子一人、他に頼りのないものでございます、今此娘これを不具に致しましては、明日あすから内職を致すことが出来ませんから、何卒どうぞ御勘弁遊ばして、わたくし此娘これより他に力と思うものがございませんから」
長「黙れ/\、幾回左様な事を云ったって役に立たん、其のために前々まえ/\奉公住みの折に証文を取り、三年に三拾金という給金を与えてある、かくの如く大金を出すのも当家の道具が大切だからだ、それを承知で証文へ判を押して奉公に来たのじゃアないか、それに粗相でゞもある事か、先祖より遺言状の添えてある大切の宝を打砕うちくだき、糊付にして毀さん振をして、箱の中に入れて置く心底しんていが何うも憎いから、指を切るのがいやなれば頬辺ほッぺたを切ってる」
母「何卒どうぞ御勘弁を……」
 と泣声にて、
「顔へきずが附きましては婿取前の一人娘で、何う致す事も出来ません」
長「指を切っては内職が出来んと云うからつらを切ろうと云うんだ、疵が出来たって、あとで膏薬を貼れば癒る、指より顔の方を切ってやろう」
 と長助が小刀ちいさがたなをすらりと引抜いた時に、驚いて丹治が前へ膝行すさり出まして、
丹「何卒どうぞお待ちなすって下せえまし」
長「何だ、退け/\」
丹「お前さまは飛んだお方だアよ」
長「何が飛んだ人だ」
丹「成程証文は致しやしただけれども、人の頬辺ほッぺたを切るてえなアえ事です」
長「手前は何のために受人に成って、印形いんぎょういた」
丹「印形だって、是程にやかましかアねえと思ったから、印形を捺きやした、ほんのおきてで、一寸ちょっと小指へ疵を附けるぐれえだアと思いやしたが、指を打切ぶっきられると此ののち内職が出来ません、と云って無闇に頬辺なんて、どう云うはずみで鼻でも落したらそれこそ大変だ、情ねえ事で、嬢さんの代りにわしを切っておくんなせえ」
長「いや手前を切る約束の証文ではない、白痴たわけた事を云うな、何のための受人だ」
丹「受人だからわしが切られようというのだ」
長「黙れ、証文の表に本人に代って指を切られようと云う文面はないぞ、さ顔を切って遣る」
 と丹治と母を突きのけ、既に庭下駄を穿いてりにかゝるを、母は是れをさえぎり止めようと致すを、千代が、
千「お母様っかさま、是れには種々いろ/\理由わけがありますんで、わたくしが少し云い過ぎた事が有りまして、う云う事に成りまして済みませんが、お諦め遊ばして下さいまし、さア指の方は内職に障って母を養う事が出来ませんから顔の方を……」
長「うん、つらの方か、此方こっち所望のぞみだ」
作「これ/\長助、顔を切るのは止せ」
長「なに宜しい」
作「それはいかん、それじゃア御先祖の御遺言状にそむく、矢張指を切れ/\、不憫ふびんにも思うが是れも致し方がない、従来切来きりきたったものを今更仕方がない、併し長助、成丈なるたけ指を短かく切ってやれ」
長「さ切ってやるから、おれそばへ来て手を出せ」
千「はい何うぞ……」
母「いえ/\わたくしを切って下さいまし、私は死んでもい年でござります」
丹「旦那ア、わしの指を五本切って負けておくんなせえ」
長「控えろ」
 と今千代の腕を取って既に指を切りにかゝる所へ出て来た男は、土間で米をいていました權六という、身のたけ五尺五六寸もあって、鼻の大きい、胸からすねへかけて熊毛くまげはやし、眼の大きな眉毛の濃い、ひげの生えている大の男で、つか/\/\と出て来ました。

        六

 此の時權六は、作左衞門の前へ進み出まして、
權「はい少々御免下さいまし、權六申上げます」
長「なんだ權六」
權「へえ、実は此の皿を割りました者はわしだね」
長「なに手前が割った……左様な白痴たわけたことを云わんで控えて居れ」
權「いや控えてはられやせん、よく考えて見れば見る程、あゝ悪い事をしたとわしゃア思いやした」
長「何をう思った」
權「大殿様皿を割ったのは此の權六でがす」
作「え……其の方は何うして割った」
權「へえ誠に不調法で」
作「不調法だって、其の方は台所にばかり居て、夜は其の方の部屋へまいって寝るのみで、蔵前の道具係の所などへ参る身の上でない其の方が何うして割った」
權「先刻さっき箱の棧がれたから、どうかつくろってくんろてえから、糊をもってわしが繕ろうと思って、皿の傍へめえったのが事の始まりでごぜえます」
千「權六さん、お前さんが割ったなどと……」
權「えーい黙っていろ」
丹「誠に有難うごぜえます、わしは此の千代さんのうちの年来の家来筋で、丹治と云う者で、成程是れは此の人が割ったかも知れねえ、割りそうな顔付だ」
權「黙って居なせえ、おめえらの知った事じゃアない、えゝ殿様、誠にはずかしい事だが、此の千代が御当家こちらへ奉公にめえった其の時から、わしは千代に惚れたの惚れねえのと云うのじゃアねえ、寝ても覚めても眼のさきへちらつきやして、片時も忘れる暇もねえ、併し奥を働く女で、台所へは滅多に出て来る事はありやせんが、時々台所へ出て来る時に千代の顔を見て、あゝ何うかしてと思い、幾度いくたびふみを贈っちゃア口説くどいただアね」
長「黙れ、其の方がどうも其の姿や顔色がんしょくにもじず、千代に惚れたなどとしからん奴だなア、そこで手前が割ったというも本当には出来んわ、馬鹿々々しい」
權「それは貴方あんた、色恋の道は顔や姿のものじゃアねえ、年が違うのも、自分のわるい器量も忘れてしまって、お千代へばかり念をかけて、ることも出来ず、毎晩夢にまで見るような訳で、是程わしが方で思って文を附けても、丸めて棄てられちゃア口惜くやしかろうじゃアござえやんせんか」
長「なんだ……おとっさまの前をじもせんでしからん事をいう奴だ」
 と口には云えど、是れは長助がお千代を口説いてもはじかれ、文を贈っても返事をよこさんではずかしめられたのが口惜しいから、自分が皿を毀したんであります。罪なきお千代に罪を負わせ、うして他へ嫁にく邪魔に成るようにお千代の顔へ疵を附けようとする悪策わるだくみを權六が其の通りの事を申しましたから、長助は変に思いまして、
長「手前は全く千代に惚れたか」
權「え、惚れましたが、云う事をかねえから可愛さ余って憎さが百倍、嫁に行く邪魔をして呉れようと、九月のお節句にはお道具が出るから、其の時皿を打毀うちこわして指を切り不具かたわにして生涯亭主の持てねえようにしてろうと、貴方あなたの前だが考えを起しまして、皿検さらあらための時に箱の棧がれたてえから、糊でもってけてやる振をして、下の皿を一枚いちめえ毀して置いたから、ず恋の意趣晴しをして嬉しいと思い、実は土間で腕を組んで悦んでいると、此のかゝさまが飛んで来て、わしが病苦を助けてえとあぶねえ奉公と知りながら参って、人参とかを飲まそうと親のために指を切られるのも覚悟で奉公に来たアから、代りにわしを殺して下せえ、切って下せえと子を思うおふくろの心も、親を助けてえというお千代の孝行も、聴けば聴く程、あゝー実にわしア汚ねえ根性であった、何故此様こんな意地の悪い心になったかと考えたアだね、私が是れを考えなければ狗畜生いぬちくしょうも同様でごぜえますよ、私ア人間だアから考えました、はアーわりい事をしたと思いやしたから、正直に打明ぶんまけて旦那さまに話いして、私が千代に代って切られた方がいと覚悟をして此処こけえ出やした、さアお切んなせえ、首でも何でもお切んなせえまし」
長「妙な奴だなア、手前てめえそれは全くか」
權「へえ、わしが毀しやした」
作「成程長助、此者これが毀したかも知れん、懺悔ざんげをして自分から切られようという以上は、うせんければ宜しくない、しかし久しく奉公してるから、平生へいぜいの気象も宜く知れてるが、口もきかず、誠に面白い奴だと思っていた、ことわしに向って時々異見いけんがましい口答えをする事もあり、正直者だと思って目を掛けていたが、他人の三層倍さんぞうばいも働き、力も五人力とか、身体相応の大力だいりきを持っていて役にも立つと思っていたに、顔形にはじず千代に恋慕を仕掛るとは何の事だ、うん權六」
權「はい誠に面目次第もない訳で、何卒どうぞわしを………」
千「權六さん/\、お前私へ恋慕を仕掛けた事もないのに、私を助けようと思ってう云ってお呉れのは嬉しいけれども、それじゃア私が済みません」
權「えゝい、其様そんなことを云ったって、今日こんにち誠実まことを照す世界に神さまが有るだから、まアわしが言うことを聞け」
長「いや、お父さまは何と仰しゃるか知らんが、どうも此の長助にはだ腑に落ちない事がある權六手前てまえが毀したと云う何ぞたしかな証拠が有るか」
權「えゝ、証拠が有りやすから、其の証拠を御覧に入れやしょう」
長「ふむ、見よう」
權「へえ只今……」
 と云いながら、立って土間より五斗張ごとばりの臼を持ってまいり、庭の飛石の上にずしーりと両手で軽々とおろしたは、恐ろしい力の男であります。
權「これが証拠でごぜえます」
 と白菊の皿の入った箱を臼の中へ入れました。
長「何を致す/\」
權「なに造作ぞうさア有りません」
 と何時いつに持って来たか、きねの大きいのを出して振上げ、さくーりっと力に任せて箱諸共に打砕いたから、皿が微塵に砕けた時には、東山作左衞門は驚きました。其処そこに居りました者は皆顔を見合せ、呆気あっけに取られて物をも云わず、
一同「むむう……」
 作左衞門はおこったの憤らないのでは有りません。突然いきなり刀掛に掛けて置いた大刀をひっさげて顔の色を変え、
作「不埓至極の奴だ、おのれ気が違ったか、飛んだ奴だ、一枚毀してさえ指一本切るというに、二十枚箱諸共に打砕うちくだくとは……よし、さ己が首を斬るから覚悟をしろ」
 と詰寄せました。權六は少しも憶する気色けしきもなく、縁側へどっさり腰をかけ、襟を広げて首を差し伸べ、
權「さ斬って下せえ、だが一通り申上げねばなんねえ事があるから、是れだけ聞いて下せえ、逃げも隠れもしねえ、わしゃア米搗の權六でござえます、貴方あんた斬るのは造作もねえが、一言いちごん云って死にてえことがある」
 と申しました。

        七

 さて權六という米搗こめつきが、東山家に数代伝わるところの重宝じゅうほう白菊の皿を箱ぐるみ搗摧つきくだきながら、自若じじゃくとして居りますから、作左衞門はひどおこりまして、顔の色は変り、唇をぶる/\ふるわし、疳癖かんぺきが高ぶって物も云われん様子で、
作「これ權六、どうもしからん奴だて手前は何か気でも違ったか、狂気致したに相違ない、此皿これは一枚こわしてさえも指一本を切るという大切な品を、二拾枚一時いちじに砕くというのは実に怪しからん奴だ、さ何ういう心得か、御先祖の御遺言状おかきものに対しても棄置かれん、只今此の処に於いて其の方の首を斬るから左様心得ろ、權六を取遁とりにがすな」
 とはげしき下知に致方いたしかたなく、家の下僕おとこたちがばら/\/\と權六の傍へ来て見ますと、權六は少しも驚く気色もなく、縁側へどっさりと腰を掛けまして作左衞門の顔をしげ/\と見て居りましたが、
權「旦那さま、貴方あんたは実にお気の毒さまでごぜえます」
作「なに……いよ/\此奴こやつは狂気致してる、手前気の毒ということを存じてるかい、此の皿を二十枚砕くと云うのは……かねて御先祖よりの御遺言状おかきものの事も少しは聞いているじゃアないか、仮令たとえ気違でも此の儘には棄置かんぞ」
權「はい、わしア気も違いません、もとより貴方あんたさまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事でえじのお皿を悉皆みんな打毀ぶちこわしました、もし旦那さま、私ア生国もとおし行田ぎょうだの在で生れた者でありやすが、ちいさい時分に両親ふたおやなくなってしまい、知る人に連れられて此の美作国みまさかのくにめえって、何処どこと云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年あと当家こゝへ奉公にめえりまして、なげえ間お世話になり、たけえ給金も戴きました、お側にいて見れば、誠にどうも旦那さまは衆人ひとにも目をかけ行届きも能く、どうも結構な旦那さまだが、此の二十枚の皿が此処こゝうちげえだ、いや腹アお立ちなさるな、私は逃匿にげかくれはしねえ、もとより斬られる覚悟でした事だが、旦那さま、あんた此の皿はまア何で出来たものと思召おぼしめします、私ア土塊つちっころで出来たものとかんげえます、それを粗相で毀したからとって、此の大事でえじな人間の指い切るの、足い切るのと云って人を不具かたわにするような御遺言状おかきもののこしたという御先祖さまが、如何いかにも馬鹿気た訳だ」
作「黙れ、先祖の事を悪口あっこう申し、尚更棄置かんぞ」
權「いや棄置かねえでも構わねえ、もとより斬られる覚悟だから、しかわしだって斬られめえと思えば、あんた方親子二人がゝりで斬ると云っても、指でも附けさせるもんじゃアねえ、でっけい膂力ちからが有るが、御当家こちらへ米搗奉公をしていて、私ア何も知んねえ在郷ざいごもんで、何の弁別わきめえも有りやしねえが、村の神主さまのお説教を聴きにくと、人はあめが下の霊物みたまもので、万物の長だ、是れよりとうといものは無い、有情物いきあるもの主宰つかさだてえから、ず禁裏さまが出来ても、お政治をなさる公方様が出来ても、此の美作一国の御領主さまが出来やしても、勝山さまでも津山さまでも、皆人間が御政治ごせいじるのかと私はかんげえます、皿が政治を執ったてえ話は昔から聞いた事がねえ、何様どん器物ものでも人間が発明してこしらえたものだ、人間が有ればこそ沼ア埋めたり山ア掘崩したり、河へ橋を架けたり、田地田畠でんじでんばた開墾けえこんするから、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、168-6]も実って、貴方様あんたさまも私も命いつないで、物を喰って生きていられるだア、其の大事でえじなこれ人間が、粗相で皿ア毀したからって、指を切って不具かたわにするという御先祖様の御遺言ごゆいごんを守るだから、私ア貴方あんたを悪くは思わねえ、物堅ものがてえ人だがあんまり堅過ぎるだ、馬鹿っ正直というのだ、これ腹ア立っちゃアいけねえ/\、どうせ一遍腹ア立ってしまって、うして私を打斬ぶっきるが宜うがすが、それを貴方が守ってるから、此の村ばっかりじゃアない、近郷の者までが貴方の事を何と云う、あゝ東山は偉い豪士ごうしだが、いえに伝わる大事でえじ宝物たからものだって、それを打毀ぶちこわせば指い切るの足い切るのって、人を不具かたわにする非道な事をする、東山てえ奴は悪人だと人にわせるように、御先祖さまが遺言状かきつけのこしたアだね、然うじゃアごぜえませんか、そこでどうも私も奉公してるから、人に主人の事を悪党だ非道だと謂われゝばあんまり快くもごぜえません、御先祖さまの遺言が有るから、貴方はそれを守り抜いてゝ、証文を取って奉公させると、中には又喰うや喰わずで仕様がねえ、なに指ぐらい打切ぶちきられたって、たけえ給金を取って命いつなごう、なに指い切ったってはア命には障らねえからって、得心して奉公に来て、つい粗相で皿を打毀ぶちこわすと、親から貰った大切でえじな身体に疵うつけて、不具かたわになるものが有るでがす、実にはアなさけねえ訳だね、それもみんな此の皿のとがで、此の皿のうちは末代までも止まねえ、此の皿さえ無ければいと私は考えまして、とうから心配しんぺえしていました、所で聞けば、お千代どんはとしもいかないのにかゝさまが塩梅あんばいわりいって、い薬を飲まねば癒らない、どうか母さまを助けたい、仮令たとえ指を切られるまでも奉公して人参を買うだけの手当をしてえと、親子相談の上で証文を貼り、奉公に来た者を今指い切られる事になって、誠にはア可愛そうにと思ったから、私が此の二十枚の皿を悉皆みんな打砕ぶっくだいたが、二十人に代って私が一人死ねば、あとの二十人は助かる、それに斯うやって大切でえじな皿だって打砕ぶちくだけばもと土塊つちッころだ、金だって銀だって只形を拵えて、此の世の中の手形同様に取遣とりやりをするだけの物とかんげえます、金だって銀だって人間程大切たいせつな物でなえから、おかみでも人間を殺せば又其の人を殺す、それでもお助けてえと思う心があるので、何とやらさまの御法事と名を付けて助かる事もありやす、首を打斬ぶっきる奴でも遠島で済ませると云うのも、詰り人間が大切だから、お上でも然うして下さるのだ、それを無闇に打斬ぶちきるとは情ねえ話だ、あなたの御先祖さまは東山将軍義政さまから戴いた、東山という大切な御苗字だという事は米を搗きながら蔭で聞いて知って居ますが、あの東山は非道だ、土塊つちッころと人間と同じ様に心得ていると云われたら、其の東山義政のお名前までもけがすような事になって、貴方あんたは済むめえかとかんげえますが、何卒どうかして此の風儀を止めさせてえと思っても、他に工夫がえから、いっわざわいの根を絶とうと打砕ぶっくだいてしまっただ、私一人死んで二十人助かれば本望でがす、私もわけえ時分には、心得違こころえちげえもエラ有りましたが、ようやく此の頃本山寺ほんざんじさまへ行って、お説法を聞いて、此の頃少し心も直ってめえりましたから、大勢の人に代って私一人死にます、どうか其の代り、お千代さんを助けてやって下せえまし、親孝行な此様こんな人は国の宝で土塊つちッころとは違います、さ私を斬って下せえまし、親戚みより兄弟親も何もえ身の上だから、別に心を置く事もありません、さ、斬っておくんなせえまし」
 と沓脱石くつぬぎいしへピッタリ腰をかけ、えりの毛を掻上げて合掌を組み、首を差伸ばしまして、口の中で、
權「南無阿弥陀仏/\/\/\/\/\/\」
 かゝ殊勝しゅしょうていを見て、作左衞門は始めて夢の覚めたように、茫然として暫く考え、
作「いや權六許してくれ、どうも実に面目次第もない、く毀してくれた、あゝかたじけない、真実な者じゃ、なアる程左様……これは先祖が斯様な事を書遺かきのこしておいたので、わし祖父じゞいより親父も守り、幾代となく守りきたっていて、中指を切られた者が既に幾人いくたり有ったか知れん、誠に何とも、ハヤ面目次第もない、權六其方そなたが無ければ末世末代東山の家名はもとより、其方の云う通り慈昭院じしょういん殿(東山義政公の法名)を汚す不忠不義になる所であった、あゝ誠に辱ない、許してくれ、權六此の通り……作左衞門両手を突いて詫るぞ、宜くマ思い切って命を棄て、私の家名を汚さんよう、衆人ひとに代って斬られようという其の志、実に此の上もない感服のことだ、あゝ恥入った、実に我が先祖は白痴たわけだ、斯様な事を書遺すというは、許せ/\」
 と縁先へ両手をついて詫びますと、傍に聞いて居りました忰の長助が、何と思ったかポロリと膝へ涙を落して、權六の傍へ這ってまいりました。
長「權六、あゝー誠に面目次第もない、中々其方そなたを殺すどころじゃアない、わしが生きてはられん、お千代親子の者へ対しても面目ないから、私が死にます」
 とあわてゝ短刀を引き抜き自害をしようとするから、權六が驚いて止めました。


 

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