圓朝全集 巻の九 |
近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫 |
1964(昭和39)年2月10日 |
圓朝全集巻の九 |
春陽堂 |
1927(昭和2)年8月12日 |
菊模様皿山奇談
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂
序
大奸は忠に似て大智は愚なるが如しと宜なり。此書は三遊亭圓朝子が演述に係る人情話を筆記せるものとは雖も、其の原を美作国久米郡南条村に有名なる皿山の故事に起して、松蔭大藏が忠に似たる大奸と遠山權六が愚なるが如き大智とを骨子とし、以て因果応報有為転変、恋と無常の世態を縷述し、読む者をして或は喜び或は怒り或は哀み或は楽ましむるの結構は実に当時の状況を耳聞目撃するが如き感ありて、圓朝子が高座に上り、扨て引続きまして今晩お聞きに入れまするは、とお客の御機嫌に供えたる作り物語りとは思われざるなり。蓋し当時某藩に起りたる御家騒動に基き、之を潤飾敷衍せしものにて、其人名等の世に知られざるは、憚る所あって故らに仮設せるに因るならん、読者以て如何とす。
明治二十四年十一月
春濤居士識
[#改ページ]
一
美作国粂郡に皿山という山があります。美作や粂の皿山皿ほどの眼で見ても見のこした山、という狂歌がある。その皿山の根方に皿塚ともいい小皿山ともいう、こんもり高い処がある。その謂れを尋ねると、昔南粂郡の東山村という処に、東山作左衞門と申す郷士がありました。頗る豪家でありますが、奉公人は余り沢山使いません。此の人の先祖は東山将軍義政に事えて、東山という苗字を貰ったという旧家であります。其の家に東山公から拝領の皿が三十枚あります。今九枚残っているのが、肥後の熊本の本願寺支配の長峰山随正寺という寺の宝物になって居ります。これは彼の諸方で経済学の講釈をしたり、平天平地とかいう機械をもって天文学を説いて廻りました佐田介石和尚が確かに見たと私へ話されました。何の様な皿かと尋ねましたら、非常に良い皿で、色は紫がゝった処もあり、また赤いような生臙脂がゝった処があり、それに青貝のようにピカ/\した処もあると云いますから、交趾焼のような物かと聞きましたら、いや左様でもない、珍らしい皿で、成程一枚毀したら其の人を殺すであろうと思うほどの皿であると云いました。其の外にある二十枚の皿を白菊と云って、極薄手の物であると申すことですが、東山時分に其様な薄作の唐物はない筈、決して薄作ではあるまいと仰しゃる方もございましょうが、ちょいと触っても毀れるような薄い皿で、欠けたり割れたりして、継いだのが有るということです。此の皿には菊の模様が出ているので白菊と名づけ、あとの十枚は野菊のような色気がある処から野菊と云いました由で、此の皿は東山家伝来の重宝であるゆえ大事にするためでも有りましょう、先祖が此の皿を一枚毀す者は実子たりとも指一本を切るという遺言状をこの皿に添えて置きましたと申すことで、ちと馬鹿々々しい訳ですが、昔は其様なことが随分沢山有りましたそうでございます。其の皿は実に結構な品でありますゆえ、誰も見たがりますから、作左衞門は自慢で、件の皿を出しますのは、何ういうものか家例で九月の節句に十八人の客を招待して、これを出します。尤も豪家ですから善い道具も沢山所持して居ります。殊に茶器には余程の名器を持って居りますから自慢で人に見せます。又御領主の重役方などを呼びましては度々饗応を致します。左様な理由ゆえ道具係という奉公人がありますが、此の奉公人が頓と居附きません。何故というと、毀せば指一本を切ると云うのですから、皆道具係というと怖れて御免を蒙ります。そこで道具係の奉公人には給金を過分に出します。其の頃三年で拾両と云っては大した給金でありますが、それでも道具係の奉公人になる者がありません。中には苦しまぎれに、なんの小指一本ぐらい切られても構わんなどゝ、度胸で奉公にまいる者がありますが、薄作だからつい過まっては毀して指を切られ、だん/\此の話を聞伝えて奉公に参る者がなくなりました。陶器と申す物も唐土には古来から有った物ですが、日本では行基菩薩が始まりだとか申します。この行基菩薩という方は大和国菅原寺の住僧でありましたが、陶器の製法を発明致されたとの事であります。其の後元祖藤四郎という人がヘーシを発明致したは貞応の二年、開山道元に従い、唐土へ渡って覚えて来て焼き始めたのでございましょうが、これが古瀬戸と申すもので、安貞元年に帰朝致し、人にも其の焼法を教えたという。是れは今明治二十四年から六百六十三年前のことで、又祥瑞五郎太夫頃になりまして、追々と薄作の美くしい物も出来ましたが、其の昔足利の時代にも極綺麗な毀れ易い薄いものが出来ていた事があります。丁度明和の元年に粂野美作守高義公国替で、美作の国勝山の御城主になられました。その領内南粂郡東山村の隣村に藤原村と云うがありまして、此の村に母子暮しの貧民がありました。母は誠に病身で、千代という十九の娘がございます、至って親孝行で、器量といい品格といい、物の云いよう裾捌きなり何うも貧乏人の娘には珍らしい別嬪で、他から嫁に貰いたいと云い込んでも、一人娘ゆえ上げられないと云う。尤も其の筈で、出が宜しい。これは津山の御城主、其の頃松平越後守様の御家来遠山龜右衞門の御内室の娘で、以前は可なりな高を取りました人ゆえ、自然と品格が異って居ります。浪人して二年目に父を失い永らくの間浪々中、慣れもしない農作や人の使いをして僅かの小畠をもって其の日をやっと送って居る内に、母が病気附きまして、娘は母に良い薬を飲ませたいと、昼は人に雇われ、夜は内職などをして種々介抱に力を尽しましたが、母は次第に病が重りました。こゝに以前此の家に奉公を致していました丹治と申す老爺がありまして、時々見舞に参ります。
丹「えゝお嬢様、何うでがす今日は……」
千「おや爺やか、まアお上りな、爺や此間は誠に何よりの品を有難うよ」
丹「なに碌なものでもございませんが、少しも早く母さまの御病気が御全快になれば宜いと心配していますが、何うも御様子が宜くねえだね」
千「何うかして少しお気をお晴しなさると宜いが、私はもういけない、所詮死ぬからなんて御自分の気から漸々御病気を重くなさるのだから困るよ、今朝はお医者様を有難う、早速来て下すったよ」
丹「参りましたかえ、あのお医者さまはえらい人でごぜえまして、何でもはア此の近辺の者で彼の人に掛って癒らねえのはねえと云う、宅も小さくって良いお出入場も無えようだが、城下から頼まれて、立派なお医者さまが見放した病人を癒した事が幾許もありやすので、諸方へ頼まれて往きますが、年い老って居るから診ようが丁寧だてえます、脉を診るのに両方の手を押めえて考えるのが小一時もかゝって、余り永いもんだで病人が大儀だから、少し寝かしてくんろてえまで、診るそうです」
千「誠に御親切に診て下さいますけれども、爺や彼の先生の仰しゃるには、朝鮮の人参の入ってるお薬を飲ませないとお母さまはいけないと仰しゃったよ」
二
其の時に丹治は首を前へ出しまして、
丹「へえー何を飲ませます」
千「人参の入ってるお薬を」
丹「何のくらい飲ませるんで」
千「一箱も飲ませれば宜いと仰しゃったの」
丹「それなら何も心配は入りません、一箱で一両も二両もする訳のものじゃアございやせん、多寡の知れた胡蘿蔔ぐらいを」
千「なに胡蘿蔔ではない人参だわね」
丹「人参てえのは何だい」
千「人の形に成って居るような草の根だというが、私は知らないけれども、誠に少ないもので、本邦へも余り渡らない物だけれども、其のお薬をお母さまに服べさせる事もできないんだよ」
丹「何うかして癒らば買って上げたいもんだが、何の位のものでがす」
千「一箱三拾両だとさ」
丹「そりゃア高えな、一箱三拾両なんて魂消た、怖ろしい高え薬を売りたがる奴じゃアねえか」
千「なに売りたがると云う訳ではないが、其のお薬を飲ませればお母さまの御病気が癒ると仰しゃるから、私は其れを買いたいと思うが買えないの」
丹「むゝう三拾両じゃア仕様がねえ、是れが三両ぐらいのことなら大事な御主人の病には換えられねえから、宅を売ったって其の薬を買って上げたいとは思いますが、三拾両なんてえらい話だ、そんな出来ねえ相談を打たれちゃア困ります、御病人の前で高え声じゃア云えねえが、殊に寄ったら其様な事を機会にして他へ見せてくんろという事ではないかと思うと、誠に気が痛みやすな」
千「私も実は左様思っているの、それに就いて少しお前に相談があるからお母さまへ共々に願っておくれな、私が其のお薬を買うだけの手当を拵えますよ」
丹「拵えるたって無いものは仕様があんめえ」
千「そこが工夫だから、兎も角お母さまの処へ一緒に」
と枕元の屏風を開け、
千「もしお母様、二番が出来ましたから召上れ、少し詰って濃くなりましたから上り悪うございましょう、お忌ならば半分召上れ、あとの滓のあります所は私が戴きますから」
母「此の娘は詰らんことを云う、達者な者がお薬を服べて何うする、私は幾ら浴るほどお薬を飲んでも効験がないからいけないよ、私はもう死ぬと諦らめましたから、お前其様に薬を勧めておくれでない」
千「あら、またお母さまはあんな事ばかり云っていらっしゃるんですもの、御病気は時節が来ないと癒りませんから、私は一生懸命に神さまへお願掛けをして居ますが、あなた世間には七十八十まで生きます者は幾許も有りますよ」
母「いゝえ私は若い時分に苦労をしたものだからの、それが矢張り身体に中っているのだよ」
千「あの爺やが参りましたよ」
母「おゝ丹治、此方へ入っておくれ」
丹「はい御免なせえまし、何うでござえますな、些とは胸の晴る事もござえますかね、お嬢さんも心配しておいでなさいますから、能くお考えなせえまし、併しま旧が旧で、あゝいう生活をなすった方が、急に此様な片田舎へ来て、私のような者を頼みに思って、親一人子一人で僅かな畠を持って仕つけもしねえ内職をしたりして斯うやって入らっしゃるだから、あゝ詰らねえと昔を思って気を落すところから御病気になったものと考えますが、私だって貧乏だから金ずくではお力になれませんが、以前はあなたの処へ奉公した家来だアから、何うかして御病気の癒るように蔭ながら信心をぶって居りますが、お嬢さまの心配は一通りでないから、我慢してお薬を上んなせえまし」
母「有難う、お前の真実は忘れません、他にも以前勧めた[#「勧めた」は「勤めた」の誤記か]ものは幾許もあるが、お前のように末々まで力になってくれる人は少ない、私は死んでも厭いはないけれども、まだ十九や廿歳の千代を後に残して死ぬのはのう……」
丹「あなた、然う死ぬ死ぬと云わねえが宜うごぜえます、幾ら死ぬたって死なれません、寿命が尽きねえば死ねるもんではねえから、どうも然う意地の悪い事ばかり考えちゃア困りますなア、死ぬまでも薬を」
千「何だよう、死ぬまでもなんて、そんな挨拶があるものか」
丹「はい御免なせえまし、それじゃア、死なねえまでもお上んなせえ」
千「お前もう心配しておくれでない」
丹「はい」
千「お母さま、あの先刻桑田さまが仰しゃいました人参のことね」
母「はい聞いたよ」
千「あれをあなた召上れな、人参という物は、なに其様に飲みにくいものでは有りませんと、少し甘味がありまして」
母「だってお前、私は飲みたくっても、一箱が大金という其様なお薬が何うして戴かれますものか」
千「その薬をあなた召上るお気なら、私が才覚して上げますが……」
母「才覚たってお前、家には売る物も何も有りゃアしないもの」
千「私をあのう隣村の東山作左衞門という郷士の処へ、道具係の奉公に遣って下さいましな」
其の時母は皺枯れたる眉にいとゞ皺を寄せまして、
母「お前、飛んでもない事をいう、丹治お前も聞いて知ってるだろうが、作左衞門の家では道具係の奉公人を探していて、大層給金を呉れる、其の代りに何とかいう宝物の皿を毀すと指を切ると云う話を聞いたが、本当かの」
丹「えゝ、それは本当でごぜえます、旧の公方さまから戴いた物で、家にも身にも換えられねえと云って大事にしている宝だから、毀した者は指を切れという先祖さまの遺言状が伝わって居るので、指を切られた奴が四五人あります」
母「おゝ怖いこと、其様な怖い処へ此の娘を奉公に遣られますかね、とても遣られませんよ、何うして怖ない、皿を毀した者の指を切るという御遺言だか何だか知らんけれども、其の皿を毀したものゝ指を切るなんぞとは聞いても慄とするようだ、何うして/\、人の指を切ると云うような其様な非道の心では、平常も矢張り酷かろう、其様な処へ奉公がさせられますものか、痩せても枯れても遠山龜右衞門の娘じゃアないか、幾許零落ても、私は死んでも生先の長いお前が大切で私は最う定命より生延びている身体だから、私の病気が癒ったって、お前が不具になって何うしましょう、詰らぬ事を云い出しましたよ、苦し紛れに悪い思案、何うでも私は遣りませんよ」
千「然うではありましょうけれども、なに気を附けたら其様な事は有りますまい、私も宜く神信心をして丁寧に取扱えば、毀れるような事はありますまいと存じますからねお母さま、私は一生懸命になりまして奉公を仕遂せ[#「仕遂せ」は底本では「仕逐せ」]、其の中あなたの御病気が御全快になれば、私が帰って来て、御一緒に内職でもいたせば誠に好い都合じゃアございませんか、何卒遣って下さいまし、ねえお母さま、あなた私の身をお厭いなすって、あなたに万一の事でも有りますと、矢張り私が仕様がないじゃア有りませんか」
母「はい、有難うだけれども遣れません、亡ったお父さんのお位牌に対して、私の病を癒そうためにお前を其様な恐ろしい処へ奉公に遣って済むものじゃアない、のう丹治」
丹「へえ、あんたの云う事も道理でごぜえます、これは遣れませんな」
千「だけども爺や、お母さんの御病気の癒らないのを見す/\知って、安閑として居られる訳のものではないから、私は奉公に往き仮令粗相で皿を一枚毀した処が、小指一本切られたって命にさわるわけではなし、お母さまの御病気が癒った方が宜いわけじゃアないか」
丹「うん、これは然うだ、然う仰しゃると無理じゃアない、棄置けば死ぬと云うものを、あなたが何う考えても打棄って置かれねえが、成程是れは奉公するも宜うごぜえましょう」
母「お前馬鹿な事ばかり云っている、私が此の娘を其様な処へ遣られるか遣られないか考えて見なよ、指を切られたら肝心な内職が出来ないじゃアないか、此の困る中で猶々困ります、遣られませんよ」
丹「成程是れはやれませんな、何う考えても」
千「あらまア、あんな事を云って、何方へも同じような挨拶をしては困るよ」
丹「へえ、是れは何方とも云えない、困ったねえ…じゃア斯うしましょう、私がの媼を何卒お頼ん申します、私がお嬢さまの代りに奉公に参りまして、私が其の給金を取りますから、お薬を買って下せえまし」
千「女でなければいけない、男は暴々しくて度々毀すから女に限るという事は知れて居るじゃアないか」
丹「然うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等は何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀したり、厚ぼってえ摺鉢を落して破った事もあるから、困ったものだアね」
千「お母さん、何卒やって下さいまし」
と幾度も繰返しての頼み、段々母を説附けまして丹治も道理に思ったから、
丹「そんならばお遣んなすった方が宜かろう」
と云われて、一旦母も拒みましたが、娘は肯かず、殊に丹治も倶々勧めますので、仕方がないと往生をしました。幸い他に手蔓が有ったから、縁を求めて彼の東山作左衞門方へ奉公の約束をいたし、下男の丹治が受人になりまして、お千代は先方へ三ヶ年三十両の給金で住込む事になりましたのは五月の事で、母は心配でございますが、致し方がないので、泣く/\別れて、さて奉公に参って見ると、器量は佳し、起居動作物の云いよう、一点も非の打ち処がないから、至極作左衞門の気に入られました。
三
作左衞門はお千代の様子を見まして、是れならば手篤く道具を取扱ってくれるだろう、誠に落着いてゝ宜い、大切な物を扱うに真実で粗相がないから宜いと、大層作左衞門は目をかけて使いました。此の作左衞門の忰は長助と申して三十一歳になり、一旦女房を貰いましたが、三年前に少し仔細有って離別いたし、独身で居ります所が、お千代は何うも器量が好いので心底から惚れぬきまして真実にやれこれ優しく取做して、
長「あれを買ってお遣んなさい、見苦しいから彼の着物を取換えて、帯を買ってやったら宜かろう」
などと勧めますと、作左衞門も一人子の申すことですから、其の通りにして、お千代/\と親子共に可愛がられお千代は誠に仕合せで丁度七月のことで、暑い盛りに本山寺という寺に説法が有りまして、親父が聴きに参りました後で、奥の離れた八畳の座敷へ酒肴を取り寄せ、親父の留守を幸い、鬼の居ないうちに洗濯で、長助が、
長「千代や/\、千代」
と呼びますから、
千「はい若殿様、お呼び遊ばしましたか」
長「一寸来い、/\、今一盃やろうと云うんだ、お父さんのお帰りのない中に、今日はちとお帰りが遅くなるだろう、事に寄ると年寄の喜八郎の処へ廻ると仰しゃったが村の年寄の処へ寄れば話が長くなって、お帰りも遅くなろう、ま酌をして呉れ」
千「はい、お酌を致します」
長「手襷を脱んなさい、忙がしかろうが、何もお前は台所を働かんでも、一切道具ばかり取扱って居れば宜いんだ」
千「あの大殿様がお留守でございますから宜いお道具は出しませんで、粗末と申しては済みませんが、皆此の様な物で宜しゅうございますか」
長「酌は美女、食物は器で、宜い器でないと肴が旨く喰えんが、酌はお前のような美しい顔を見ながら飲むと酒が旨いなア」
千「御冗談ばかり御意遊ばします」
長「酔わんと極りが悪いから酔うよ」
千「お酔い遊ばせ、ですが余り召上ると毒でございますよ」
長「まだ飲みもせん内から毒などと云っちゃア困るが、実にお前は堅いねえ」
千「はい、武骨者でいけません」
長「いや、お父さんがお前を感心しているよ、親孝行で、何を見ても聞いても母の事ばかり云って居るって、併しお前のお母の病気も追々全快になると云う事で宜いの」
千「はい、御当家さまのお蔭で人参を飲みましたせいか、段々宜しくなりまして、此の程病褥を離れましたと丹治がまいっての話でございますが、母が申しますに、其方のような行届きません者を置いて下さるのみならず、お目を掛けて下さいまして、誠に有難いことで、種々戴き物をしたから宜しく申上げてくれと申しました」
長「感心だな、お前は出が宜いと云うが………千代/\千代」
千「はい」
長「どうも何だね、お前は十九かえ」
千「はい」
長「ま一盃酌いで呉んな」
千「お酌を致しましょう」
長「半分残してはいかんな、何うだ一盃飲まんか」
千「いえ、私は些とも飲めません、少し我慢して戴きますと、顔が青くなって身体が震えます」
長「その震える処がちょいと宜しいて、私は酔いますよ、お前は色が白いばかりでなく、頬の辺眼の縁がぼうと紅いのう」
千「はい、少し逆上せて居りますから」
長「いや逆上ではない、平常から其の紅い処が何とも言われん」
千「御冗談ばっかり……」
長「冗談じゃアない、全くだ、私は三年前に家内を離別したて、どうも心掛けの善くない女で、面倒だから離縁をして見ると、独身で何かと不自由でならんが、お前は誠に気立が宜しいのう」
千「いゝえ、誠に届きませんでいけません」
長「此の間私が……あの…お前笑っちゃア困るが、少しばかり私が斯う五行ほどの手紙を、……認めて、そっとお前の袂へ入れて置いたのを披いて読んでくれたかね」
千「左様でございましたか、一向存じませんで」
長助は少し失望の体で、
長「左様でございますかなどゝ、落着き払っていては困る、親に知れては成らん、知っての通り親父は極堅いので、あの手紙を書くにも隠れて漸う二行ぐらい書くと、親父に呼ばれるから、筆を下に置いて又一行書き、終いの一行は庭の植込みの中で書きましたが、蚊に喰われて弱ったね」
四
千「それはまアお気の毒さま」
長「なに全くだよ、親父に知れちゃア大変だから、窃とお前の袂へ入れたが、見たろう/\」
千「いゝえ私は気が附きませんでございました、何だか私の袂に反古のようなものが入って居ましたが、私は何だか分りませんで、丸めて何処かへ棄てましたよ」
長「棄てちゃア困りますね、他人が見るといけませんな」
千「そんな事とは存じませんもの、貴方はお手紙で御用を仰付けられましたのでございますか」
長「仰付けられるなんて馬鹿に堅いね、だがね、千代/\」
千「何でございます」
長「実はね私はお前に話をして、嫁に貰いたいと思うが何うだろう」
千「御冗談ばっかり御意遊ばします、私の母は他に子と申すがありませんから、他家へ嫁にまいる身の上ではございません、貴方は衆人に殿様と云われる立派なお身の上でお在遊ばすのに、私のようなはしたない者を貴方此様な不釣合で、釣合わぬは不縁の元ではございませんか、お家のお為めに成りません」
長「なに家の為めになってもならんでも不釣合だって、私は妻を定むるのに身分の隔てはない事で、唯お前の心掛けを看抜いて、此の人ならばと斯う思ったから、実はお前に心のたけを山々書いて贈ったのである、然も私は丹誠して千代尽しの文で書いて贈ったんだよ」
千「何でございますか私は存じませんもの」
長「存じませんて、私の丹誠したのを見て呉れなくっちゃア困りますなア、どうかお前の母に会って、母諸共引取っても宜しいや」
千「私の母は冥加至極有難いと申しましょうけれども、貴方のお父様が御得心の有る気遣いはありますまい、私のようなはしたない者を御当家さまの嫁に遊ばす気遣いはございませんもの」
長「いえ、お前が全く然う云う心ならば、私は親父に話をするよ、お前は大変親父の気に入ってるよ、どうも沈着があって、器量と云い、物の云いよう、何や角や彼れは別だと云って居るよ」
千「なに、其様な事を仰しゃるものですか」
長「なに全く然う云ってるよ、宜いじゃアないか、ね千代/\千代」
と雀が出たようで、無理無態にお千代の手を我膝へグッと引寄せ、脇の下へ手を掛けようとすると、振払い。
千「何をなさいます、其様な事を遊ばしますと、私は最うお酌にまいりませんよ」
長「酔った紛れに、少しは酒の席では冗談を云いながら飲まんと面白うないから、一寸やったんだが、どうもお前は堅いね、千代/\」
千「はい最うお酌を致しますまいと思います、最うお止し遊ばせ、お毒でございますよ」
長「千代/\」
千「また始まりました」
長「親さえ得心ならば何も仔細はあるまい、何うだ」
千「そうではありますが、まア若殿様、私の思いますには、夫婦の縁と云うものは仮令親が得心でも、当人同志が得心でない事は夫婦に成れまいかと思います」
長「それは然うさ、だがお前さえ得心なら宜いが、いやなら否と云えば、私も諦めが附こうじゃアないか」
千「私のような者を、私の口から何う斯うとは申されませんものを、余り恐入りまして」
其の時お千代は身を背けまして、
千「何とも申上げられませんものを、余り恐入りまして」
長「恐入らんでも宜しいさ、お母さえ得心なら、母諸共此方へ引取って宜しい、もし窮屈で否ならば、聊か田地でも買い、新家を建って、お母に下婢の一人も附けるくらいの手当をして遣ろうじゃアないか。此の家は皆私のもので、相続人の私だから何うにもなるから、お前さえ応と云えば、お母に話をして安楽にして遣ろうじゃアないか、若しお母は堅いから遠山の苗字を継ぐ者がないとでもいうなら、夫婦養子をしたって相続人は出来るから、お前が此方へ来ても仔細ないじゃアないか」
千「それは誠に結構な事で」
長「結構なれば然うしてくれ」
千「お嬉しゅうは存じますが」
長「さ、早くお父さまの帰らん内に応と云いな、酔った紛れにいう訳じゃアない、真実の事だよ」
千「私は貴方に対して申上げられませんものを、御主人さまへ勿体なくって……」
長「何も勿体ない事は有りませんから早く云いなさいよ」
千「恐入ります」
長「其様なに羞かしがらんでも宜しいよ」
千「貴方私のような卑しい者の側へお寄り遊ばしちゃアいけません、私が困ります、そうして酒臭くって」
長「ね千代/\千代」
千「それじゃア貴方、本当に私が思う心の丈を云いましょうか」
長「聞きましょう」
千「それじゃア申しますが、屹度、…身分も顧りみず大それた奴だと御立腹では困ります」
長「腹などは立たんからお云いよ、大それたとは思いません、小それた位に思います、云って下さい」
千「本当に貴方御立腹はございませんか」
長「立腹は致しません」
千「それなれば本当に申上げますが、私は貴方が忌なので……」
長「なに忌だ」
千「はい、私はどうも貴方が忌でございます、御主人さまを忌だなどと云っては済みませんけれども、真底私は貴方が忌でございます、只御主人さまでいらっしゃれば有難い若殿さまと思って居りますが、艶書をお贈り遊ばしたり、此の間から私にちょい/\御冗談を仰しゃることもあって、それから何うも私は貴方が忌になりました、どうも女房に成ろうという者の方で否では迚も添われるものじゃアございませんから、素より無い御縁とお諦め遊ばして、他から立派なお嫁をお迎えなすった方が宜しゅうございましょう、相当の御縁組でないと御相続の為になりませんから、確とお断り申しますよ」
長「誠にどうも……至極道理……」
と少しの間は額へ筋が出て、顔色が変って、唇をブル/\震わしながら、暫く長助が考えまして、
長「千代、至極道理だ、最う千代/\と続けては呼ばんよ、一言だよ、成程何うもえらい、賢女だ、成程どうも親孝心、誠に正しいものだ、心掛けと云い器量と云い、余り気に入ったから、つい迷いを起して此様な事を云い掛けて、誠に羞入った、再び合す顔はないけれども、真に思ったから云ったんだよ、併しお前に然う云われたから諦めますよ確と断念しましたが、おまえ此のことを世間へ云ってくれちゃア困りますよ、私は親父に何様な目に遇うか知れない、堅い気象の人だから」
千「私は世間へ申す処じゃア有りませんが、あなたの方で」
長[#「長」は底本では「千」]「私は決して云わんよ、云やア自ら恥辱を流布するんだから云いませんが、あゝ……誠に愧入った、此の通り汗が出ます、面目次第もない、何卒堪忍して下さい」
千[#「千」は底本では「長」]「恐入ります、是れから前々通り主家来、矢張千代/\と重ねてお呼び遊ばしまして、お目をお掛け遊ばしまして……」
長「そう云う事を云うだけに私は誠に困りますなア」
千「誠に恐入ります、大旦那さまのお帰り遊ばしません内に、お酒の道具を隠しましょうか」
長「あゝ仕舞っておくれ/\」
千「はい」
とそれ/″\道具を片附けましたが、是れから長助が憤ってお千代につれなく当るかと思いました処、情なくも当りませんで、尚更宜く致しまして、彼の衣類は汚い、九月の節句も近いから、これを拵えて遣るが宜いと、手当が宜いので、お千代もあゝーお諦めになったか、有難い事だ、あんな事さえないと結構な旦那様であると一生懸命に奉公を致しますから、作左衞門の気にも入られて居りました。月日流るゝが如くで、いよ/\九月の節句と成りました。粂野美作守の重役を七里先から呼ばんければなりません、九の字の付く客を二九十八人招待を致し、重陽を祝する吉例で、作左衞門は彼の野菊白菊の皿を自慢で出して観せます。美作守の御勘定奉行九津見吉左衞門を初め九里平馬、戸村九右衞門、秋元九兵衞其の他御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助、菊橋九郎左衞門、年寄役村方で九の字の附いた人を合せて十八人集めまして、結構な御馳走を致し、善い道具ばかり出して、頻りに自慢を致します事で、実に名器ばかりゆえ、客は頻りに誉めます。此の日道具係の千代は一生懸命に、何卒無事に役を仕遂せますようにと神仏に祈誓を致して、皿の毀れんように気を附けましたから、麁相もなく、彼の皿だけは下ってまいります。自分は蔵前の六畳の座敷に居って、其処に膳棚道具棚がありますから、口分をして一生懸命に油汗を流して、心を用い働いて、無事に其の日のお客も済んで、翌日になりますと、作左衞門が、
作「千代」
千「はい」
作「昨日は大きに御苦労であった、無事にお客も済んだから、今日は道具を検めなければならん」
千「はい、お番附のございますだけは大概片付けました」
作「うむ、皿は一応検めて仕舞わにゃならん、何かと御苦労で、嘸骨が折れたろう」
千「私は一生懸命でございました」
作「然うであったろう、此の通り三重の箱になってるが、是は中々得難い物だよ、何処へ往ったって見られん、女で何も分るまいが、見て置くが宜い」
千「はい、誠に結構なお道具を拝見して有難い事で」
作「一応検めて見よう」
と眼鏡をかけて段々改めて、
作「あゝー先ず無事で安心を致した、是れは八年前に是れだけ毀したのを金粉繕いにして斯うやってある、併し残余は瑕物にしてはならんから、どうかちゃんと存して置きたい、是れだけ破った奴があって、不憫にはあったが、何うも許し難いから私は中指を切ろうと思ったが、それも不憫だから皆な無名指を切った」
千「怖い事でございます、私は此のお道具を扱いますとはら/\致します」
作「是れは無い皿だよ、野菊と云って野菊の色のように紫がゝってる処で此の名が有るのじゃ、種々先祖からの書附もあるが、先ず無事で私も安心した」
と正直な堅い人ゆえ、検めて道具棚へ載せて置きました。すると長助が座敷の掛物を片附けて、道具棚の方へ廻って参いりました。
長「お父さま」
作「残らず仕舞ったか」
長「お軸物は皆仕舞いました」
作「客は皆道具を誉めたろう」
長「大層誉めました、此の位の名幅を所持している者は、此の国にゃア領主にも有るまいとの評判で、お客振りも甚く宜しゅうございました」
作「皆良い道具が見たいから来るんだ、只呼んだって来るものか、権式振ってゝ、併し土産も至極宜かったな」
長「はい、お父様、あの皿を今一応お検めを願います、野菊と白菊と両様共お検めを願います」
作「彼は先刻検めました」
長「お検めでございましょうが、少し訝しい事が有りますと云うは棚の脇に蒟蒻糊が板の上に溶いて有って、粘っていますから、何だか案じられます、他の品でありませんから、今一応検めましょうかね、秋、お前たちは其方へ往きなさい、金造、裏手の方を宜く掃除して置け、喜八、此方へ参らんようにして、最う大概蔵へ仕舞ったか、千代や」
千「はい/\はい」
長「先刻お父さんがお検めになったそうだが、彼の皿を此処へ持って来い」
千「はい、先刻お検めになりました」
長「検めたが、一寸気になるから今一応私が検めると云うは、祝いは千年だが、お父さまのない後は家の重宝で、此の品は私が守護する大事な宝物だから、私も一応検めます」
千「大旦那さまがお検めになりまして、宜しい、少しも仔細ないと御意遊ばしましたのに、貴方何う云う事でお検めになります」
長「先程お父さまがお検めになっても、私は私で検めなければ気が済まん」
千「何う云う事で」
長「何う云う事なんてとぼけるな、千代汝は皿を割ったの」
五
お千代は呆れて急に言葉も出ませんでしたが、
千「何うもまア思い掛けない事を仰しゃいます私は割りました覚えはございません、ちゃんと一々お検めになりまして、後は柔かい布巾で拭きまして、一々彼の通り包みまして、大殿様へ御覧に入れました」
長「いや耄けるなそんなら如何の理由で棚に糊付板が有るのだ」
千「あれはお箱の蓋の棧が剥れましたから、米搗の權六殿へ頼みまして、急拵えに竹篦を削って打ってくれましたの」
長「耄けるな、其様なことを云ったって役には立たん、巧く瞞かそうたって、然うはいかんぞ、此方は確と存じておる、これ千代、其の方が怪しいと認めが附いて居ればこそ検めなければならんのだ早く箱を持って来い/\」
と云われてお千代はハッとばかりに驚きましたが、何ゆえ長助が斯様なことを云うのか分りませんでしたが、彼の通り検めたのを毀したと云うのは変だなと考えて、よう/\思い当りましたのは、先達て愛想尽しを云った恨みが、今になって出て来たのではないか、何事も無ければ宜いがと怖々にお千代が野菊白菊の入った箱を長助の眼の前へ差出しますと、作左衞門が最前検めて置いた皿の毀れる気遣いはない、忰は何を云うのかと存じて居りますと、長助は顔色を変えて、
長「これ千代、それ道具棚にある糊付板を此処へ持って来い……さ何う云う訳で此板を道具棚へ置いた」
千「はい、只今申上げます通り、あのお道具の箱の棧が剥れましたから、打附けて貰おうと存じますと、米搗の權六が己が附けて遣ろうと申して附けてくれましたので」
長「いゝや言訳をしたって役には立たん、其の箱の紐をサッサと解け」
千「そうお急ぎなさいますと、また粗相をして毀すといけませんもの」
長「汝が毀して置きながら、又其様なこと申す其の手はくわぬぞ、私が箱から出す、さ此処へ出せ」
千「あなた、お静かになすって下さいまし、暴々しく遊ばして毀れますと矢張り私の所為になります」
作「これこれ長助、手暴くせんが宜い、腹立紛れに汝が毀すといかんから、矢張り千代お前検めるが宜い」
千「はい/\」
と是れから野菊の箱の紐を解いて蓋を取り、一枚/\皿を出しまして長助の眼の前へ列べまして。
千「御覧遊ばせ、私が先刻検めました通り瑾は有りゃアしません」
長「黙れ、毀した事は先刻私が能く見て置いたぞ、お父さま、迂濶りしてはいけません、此者は中々油断がなりません、さ、早く致せ」
千「其様なに仰しゃったって、慌てゝ不調法が有るといけません、他のお道具と違いまして、此品が一枚毀れますと私は不具になりますから」
長「不具になったって、受人を入れて奉公に来たんじゃアないか、さ早く致せ」
千「早くは出来ません」
と申して検めに掛りましたが、急がれる程尚おおじ/\致しますが、一生懸命に心の内に神仏を念じて粗相のないようにと元のように皿を箱に入れてしまい、是れから白菊の方の紐を解いて、漸々三重箱迄開け、布帛を開いて皿を一枚ずつ取出し、検めては布帛に包み、ちゃんと脇へ丁寧に置き、
千「是で八枚で、九枚で十枚十一枚十二枚十三枚十四枚十五枚十六枚」
と漸々勘定をして十九枚と来ると、二十枚目がポカリと毀れて居たから恟り致しました。
千「おや……お皿が毀れて居ります」
長「それ見ろ、お父様御覧遊ばせ、此の通り未だ粘りが有ります此の糊で附着けて瞞かそうとは太い奴では有りませんか」
千「いえ、先程大殿様がお検めになりました時には、決して毀れては居りません」
長「何う仕たって此の通り毀れて居るじゃアないか」
千「先刻は何とも無くって、今毀れて居るのは何う云う訳でしょう」
作「成程斯う云う事があるから油断は出来ない、これ千代毀りようも有ろうのに、ちょっと欠いたとか、罅が入った位ならば、是れ迄の精勤の廉を以て免すまいものでもないが、斯う大きく毀れては何うも免し難い、これ、何は居らんか、何や、何やでは分らん、おゝそれ/\辨藏、手前はな、千代の受人の丹治という者の処へ直に行ってくれ、余り世間へぱっと知れん内に行ってくれ、千代が皿を毀したから証文通りに行うから、念のために届けると云って、早く行って来い」
辨「へえ」
と辨藏は飛んで行って、此のことを気の毒そうに話をすると、丹治は驚きまして、母の処へ駈込んでまいり。
丹「御新造さまア……」
母「おや丹治か、先刻は誠に御苦労、お蔭で余程宜いよ」
丹「はっ/\、誠にはや何ともどうも飛んだ訳になりました」
母「ドヽ何うしたの」
丹「へえ、お嬢様が皿ア割ったそうで」
母「え……丹治皿を彼が……」
丹「へえ、只今彼家の奉公人が参りまして、お千代どんが皿ア割っただ、汝受人だアから何ぼ証文通りでも断りなしにゃア扱えねえから、ちょっくら届けるから、立合うが宜いと云って来ました、私が考えますに、先方はあゝ云う奴だから、詫びたっても肯くまいと思って、私が急いでお知らせ申しに来やしたが、お嬢さまが彼家へ住込む時、虫が知らせましたよ、門の所まで私送り出して来たアから、貴方皿ア割っちゃアいけないよと云ったら、お嬢様が余程薄いもんだそうだし、原土で拵えたもんだから割れないとは云えないから、それを云ってくれちゃア困るよと仰しゃいましたが、何とまア情ねえ事になりましたな、どうか詫をして見ようかと思います」
母「それだから私が云わない事じゃアない、彼の娘を不具者にしちゃア済まないから、私も一緒に連れてっておくれ」
丹「連れて行けたって、あんた歩けますまい」
母「歩けない事もあるまい、一生懸命になって行きますよ、何卒お願いだから私の手を曳いて連れてっておくれ」
丹「だがはア、是れから一里もある処で、なか/\病揚句で歩けるもんじゃアねえ」
母「私は余り恟りしたんで腰が脱けましたよ」
丹「これはまア仕様がねえ、私まで腰が脱けそうだが、あんた腰が脱けちゃア駄目だ」
母「何卒お願いだから……一通り彼の心術を話し、孝行のために御当家さまへ奉公に来たと、次第を話して、何処までも私がお詫をして指を切られるのを遁れるようにしますから、丹治誠にお気の毒だが、負っておくれな」
丹「負ってくれたって、ちょっくら四五丁の処なれば負って行っても宜いが……よし/\宜うごぜえます、私も一生懸命だ」
と其の頃の事で人力車はなし、また駕籠に乗るような身の上でもないから、丹治が負ってせっせと参りました。此方は最前から待ちに待って居ります。
作「早速庭へ通せ」
という。百姓などが殿様御前などと敬い奉りますから、益々増長して縁近き所へ座布団を敷き、其の上に座して、刀掛に大小をかけ、凛々しい様子で居ります。両人は庭へ引出され。
丹「へえ御免なせえまし、私は千代の受人丹治で、母も詫びことにまいりました」
作「うむ、其の方は千代の受人丹治と申すか」
丹「へえ、私は年来勤めました家来で、店請致して居る者でごぜえます」
作「うん、其処へ参ったのは」
母「母でございます」
と涙を拭きながら、
「娘が飛んだ不調法を致しまして御立腹の段は重々御尤さまでござりますが、何卒老体の私へお免じ下さいまして、御勘弁を願いとう存じます」
作「いや、それはいかん、これはその先祖伝来の物で、添書も有って先祖の遺言が此の皿に附いて居るから、何うも致し方がない、切りたくはないけれども御遺言には換えられんから、止むを得ず指を切る、指を切ったって命に障る訳もない、中程から切るのだから、何も不自由の事もなかろう」
母「はい、でございますけれども、此の千代は親のために御当家様へ御奉公にまいりましたので、と申すは、私が長煩いで、人参の入った薬を飲めば癒ると医者に申されましたが、長々の浪人ゆえ貧に迫って、中々人参などを買う手当はございませんのを、娘が案じまして、御当家のお道具係を勤めさえすれば三年で三拾両下さるとは莫大の事ゆえ、それを戴いて私を助けたいと申すのを、私も止めましたけれども、此娘が強ってと申して御当家さまへ参りましたが、親一人子一人、他に頼りのないものでございます、今此娘を不具に致しましては、明日から内職を致すことが出来ませんから、何卒御勘弁遊ばして、私は此娘より他に力と思うものがございませんから」
長「黙れ/\、幾回左様な事を云ったって役に立たん、其のために前々奉公住みの折に証文を取り、三年に三拾金という給金を与えてある、斯の如く大金を出すのも当家の道具が大切だからだ、それを承知で証文へ判を押して奉公に来たのじゃアないか、それに粗相でゞもある事か、先祖より遺言状の添えてある大切の宝を打砕き、糊付にして毀さん振をして、箱の中に入れて置く心底が何うも憎いから、指を切るのが否なれば頬辺を切って遣る」
母「何卒御勘弁を……」
と泣声にて、
「顔へ疵が附きましては婿取前の一人娘で、何う致す事も出来ません」
長「指を切っては内職が出来んと云うから面を切ろうと云うんだ、疵が出来たって、後で膏薬を貼れば癒る、指より顔の方を切ってやろう」
と長助が小刀をすらりと引抜いた時に、驚いて丹治が前へ膝行り出まして、
丹「何卒お待ちなすって下せえまし」
長「何だ、退け/\」
丹「お前さまは飛んだお方だアよ」
長「何が飛んだ人だ」
丹「成程証文は致しやしただけれども、人の頬辺を切るてえなア無え事です」
長「手前は何のために受人に成って、印形を捺いた」
丹「印形だって、是程に厳しかアねえと思ったから、印形を捺きやした、ほんの掟で、一寸小指へ疵を附けるぐれえだアと思いやしたが、指を打切られると此の後内職が出来ません、と云って無闇に頬辺なんて、どう云うはずみで鼻でも落したらそれこそ大変だ、情ねえ事で、嬢さんの代りに私を切っておくんなせえ」
長「いや手前を切る約束の証文ではない、白痴た事を云うな、何のための受人だ」
丹「受人だから私が切られようというのだ」
長「黙れ、証文の表に本人に代って指を切られようと云う文面はないぞ、さ顔を切って遣る」
と丹治と母を突きのけ、既に庭下駄を穿いて下りにかゝるを、母は是れを遮り止めようと致すを、千代が、
千「お母様、是れには種々理由がありますんで、私が少し云い過ぎた事が有りまして、斯う云う事に成りまして済みませんが、お諦め遊ばして下さいまし、さア指の方は内職に障って母を養う事が出来ませんから顔の方を……」
長「うん、顔の方か、此方の所望だ」
作「これ/\長助、顔を切るのは止せ」
長「なに宜しい」
作「それはいかん、それじゃア御先祖の御遺言状に背く、矢張指を切れ/\、不憫にも思うが是れも致し方がない、従来切来ったものを今更仕方がない、併し長助、成丈指を短かく切ってやれ」
長「さ切ってやるから、己の傍へ来て手を出せ」
千「はい何うぞ……」
母「いえ/\私を切って下さいまし、私は死んでも宜い年でござります」
丹「旦那ア、私の指を五本切って負けておくんなせえ」
長「控えろ」
と今千代の腕を取って既に指を切りにかゝる所へ出て来た男は、土間で米を搗いていました權六という、身の丈五尺五六寸もあって、鼻の大きい、胸から脛へかけて熊毛を生し、眼の大きな眉毛の濃い、髯の生えている大の男で、つか/\/\と出て来ました。
六
此の時權六は、作左衞門の前へ進み出まして、
權「はい少々御免下さいまし、權六申上げます」
長「なんだ權六」
權「へえ、実は此の皿を割りました者は私だね」
長「なに手前が割った……左様な白痴たことを云わんで控えて居れ」
權「いや控えては居られやせん、よく考えて見れば見る程、あゝ悪い事をしたと私ゃア思いやした」
長「何を然う思った」
權「大殿様皿を割ったのは此の權六でがす」
作「え……其の方は何うして割った」
權「へえ誠に不調法で」
作「不調法だって、其の方は台所にばかり居て、夜は其の方の部屋へまいって寝るのみで、蔵前の道具係の所などへ参る身の上でない其の方が何うして割った」
權「先刻箱の棧が剥れたから、どうか繕ってくんろてえから、糊をもって私が繕ろうと思って、皿の傍へ参ったのが事の始まりでごぜえます」
千「權六さん、お前さんが割ったなどと……」
權「えーい黙っていろ」
丹「誠に有難うごぜえます、私は此の千代さんの家の年来の家来筋で、丹治と云う者で、成程是れは此の人が割ったかも知れねえ、割りそうな顔付だ」
權「黙って居なせえ、お前らの知った事じゃアない、えゝ殿様、誠に羞かしい事だが、此の千代が御当家へ奉公に参った其の時から、私は千代に惚れたの惚れねえのと云うのじゃアねえ、寝ても覚めても眼の前へちらつきやして、片時も忘れる暇もねえ、併し奥を働く女で、台所へは滅多に出て来る事はありやせんが、時々台所へ出て来る時に千代の顔を見て、あゝ何うかしてと思い、幾度か文を贈っちゃア口説いただアね」
長「黙れ、其の方がどうも其の姿や顔色にも愧じず、千代に惚れたなどと怪しからん奴だなア、乃で手前が割ったというも本当には出来んわ、馬鹿々々しい」
權「それは貴方、色恋の道は顔や姿のものじゃアねえ、年が違うのも、自分の醜い器量も忘れてしまって、お千代へばかり念をかけて、眠ることも出来ず、毎晩夢にまで見るような訳で、是程私が方で思って文を附けても、丸めて棄てられちゃア口惜しかろうじゃアござえやんせんか」
長「なんだ……お父さまの前を愧じもせんで怪しからん事をいう奴だ」
と口には云えど、是れは長助がお千代を口説いても弾かれ、文を贈っても返事を遣さんで恥かしめられたのが口惜しいから、自分が皿を毀したんであります。罪なきお千代に罪を負わせ、然うして他へ嫁に往く邪魔に成るようにお千代の顔へ疵を附けようとする悪策を權六が其の通りの事を申しましたから、長助は変に思いまして、
長「手前は全く千代に惚れたか」
權「え、惚れましたが、云う事を肯かねえから可愛さ余って憎さが百倍、嫁に行く邪魔をして呉れようと、九月のお節句にはお道具が出るから、其の時皿を打毀して指を切り不具にして生涯亭主の持てねえようにして遣ろうと、貴方の前だが考えを起しまして、皿検めの時に箱の棧が剥れたてえから、糊でもって貼けてやる振をして、下の皿を一枚毀して置いたから、先ず恋の意趣晴しをして嬉しいと思い、実は土間で腕を組んで悦んでいると、此の母さまが飛んで来て、私が病苦を助けてえと危え奉公と知りながら参って、人参とかを飲まそうと親のために指を切られるのも覚悟で奉公に来たアから、代りに私を殺して下せえ、切って下せえと子を思うお母の心も、親を助けてえというお千代の孝行も、聴けば聴く程、あゝー実に私ア汚ねえ根性であった、何故此様な意地の悪い心になったかと考えたアだね、私が是れを考えなければ狗畜生も同様でごぜえますよ、私ア人間だアから考えました、はアー悪い事をしたと思いやしたから、正直に打明けて旦那さまに話いして、私が千代に代って切られた方が宜いと覚悟をして此処え出やした、さアお切んなせえ、首でも何でもお切んなせえまし」
長「妙な奴だなア、手前それは全くか」
權「へえ、私が毀しやした」
作「成程長助、此者が毀したかも知れん、懺悔をして自分から切られようという以上は、然うせんければ宜しくない、併し久しく奉公して居るから、平生の気象も宜く知れて居るが、口もきかず、誠に面白い奴だと思っていた、殊に私に向って時々異見がましい口答えをする事もあり、正直者だと思って目を掛けていたが、他人の三層倍も働き、力も五人力とか、身体相応の大力を持っていて役にも立つと思っていたに、顔形には愧じず千代に恋慕を仕掛るとは何の事だ、うん權六」
權「はい誠に面目次第もない訳で、何卒私を………」
千「權六さん/\、お前私へ恋慕を仕掛けた事もないのに、私を助けようと思って然う云ってお呉れのは嬉しいけれども、それじゃア私が済みません」
權「えゝい、其様なことを云ったって、今日誠実を照す世界に神さまが有るだから、まア私が言うことを聞け」
長「いや、お父さまは何と仰しゃるか知らんが、どうも此の長助には未だ腑に落ちない事がある權六手前が毀したと云う何ぞ確な証拠が有るか」
權「えゝ、証拠が有りやすから、其の証拠を御覧に入れやしょう」
長「ふむ、見よう」
權「へえ只今……」
と云いながら、立って土間より五斗張の臼を持ってまいり、庭の飛石の上にずしーりと両手で軽々と下したは、恐ろしい力の男であります。
權「これが証拠でごぜえます」
と白菊の皿の入った箱を臼の中へ入れました。
長「何を致す/\」
權「なに造作ア有りません」
と何時の間に持って来たか、杵の大きいのを出して振上げ、さくーりっと力に任せて箱諸共に打砕いたから、皿が微塵に砕けた時には、東山作左衞門は驚きました。其処に居りました者は皆顔を見合せ、呆気に取られて物をも云わず、
一同「むむう……」
作左衞門は憤ったの憤らないのでは有りません。突然刀掛に掛けて置いた大刀を提げて顔の色を変え、
作「不埓至極の奴だ、汝気が違ったか、飛んだ奴だ、一枚毀してさえ指一本切るというに、二十枚箱諸共に打砕くとは……よし、さ己が首を斬るから覚悟をしろ」
と詰寄せました。權六は少しも憶する気色もなく、縁側へどっさり腰をかけ、襟を広げて首を差し伸べ、
權「さ斬って下せえ、だが一通り申上げねばなんねえ事があるから、是れだけ聞いて下せえ、逃げも隠れもしねえ、私ゃア米搗の權六でござえます、貴方斬るのは造作もねえが、一言云って死にてえことがある」
と申しました。
七
さて權六という米搗が、東山家に数代伝わるところの重宝白菊の皿を箱ぐるみ搗摧きながら、自若として居りますから、作左衞門は太く憤りまして、顔の色は変り、唇をぶる/\顫わし、疳癖が高ぶって物も云われん様子で、
作「これ權六、どうも怪しからん奴だて手前は何か気でも違ったか、狂気致したに相違ない、此皿は一枚毀してさえも指一本を切るという大切な品を、二拾枚一時に砕くというのは実に怪しからん奴だ、さ何ういう心得か、御先祖の御遺言状に対しても棄置かれん、只今此の処に於いて其の方の首を斬るから左様心得ろ、權六を取遁すな」
と烈しき下知に致方なく、家の下僕たちがばら/\/\と權六の傍へ来て見ますと、權六は少しも驚く気色もなく、縁側へどっさりと腰を掛けまして作左衞門の顔をしげ/\と見て居りましたが、
權「旦那さま、貴方は実にお気の毒さまでごぜえます」
作「なに……いよ/\此奴は狂気致して居る、手前気の毒ということを存じて居るかい、此の皿を二十枚砕くと云うのは……予て御先祖よりの御遺言状の事も少しは聞いているじゃアないか、仮令気違でも此の儘には棄置かんぞ」
權「はい、私ア気も違いません、素より貴方さまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事のお皿を悉皆打毀しました、もし旦那さま、私ア生国は忍の行田の在で生れた者でありやすが、少さい時分に両親が亡なってしまい、知る人に連れられて此の美作国へ参って、何処と云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年前当家へ奉公に参りまして、長え間お世話になり、高え給金も戴きました、お側にいて見れば、誠にどうも旦那さまは衆人にも目をかけ行届きも能く、どうも結構な旦那さまだが、此の二十枚の皿が此処の家の害だ、いや腹アお立ちなさるな、私は逃匿れはしねえ、素より斬られる覚悟でした事だが、旦那さま、あんた此の皿はまア何で出来たものと思召します、私ア土塊で出来たものと考えます、それを粗相で毀したからとって、此の大事な人間の指い切るの、足い切るのと云って人を不具にするような御遺言状を遺したという御先祖さまが、如何にも馬鹿気た訳だ」
作「黙れ、先祖の事を悪口申し、尚更棄置かんぞ」
權「いや棄置かねえでも構わねえ、素より斬られる覚悟だから、併し私だって斬られめえと思えば、あんた方親子二人がゝりで斬ると云っても、指でも附けさせるもんじゃアねえ、大けい膂力が有るが、御当家へ米搗奉公をしていて、私ア何も知んねえ在郷もんで、何の弁別も有りやしねえが、村の神主さまのお説教を聴きに行くと、人は天が下の霊物で、万物の長だ、是れより尊いものは無い、有情物の主宰だてえから、先ず禁裏さまが出来ても、お政治をなさる公方様が出来ても、此の美作一国の御領主さまが出来やしても、勝山さまでも津山さまでも、皆人間が御政治を執るのかと私は考えます、皿が政治を執ったてえ話は昔から聞いた事がねえ、何様な器物でも人間が発明して拵えたものだ、人間が有ればこそ沼ア埋めたり山ア掘崩したり、河へ橋を架けたり、田地田畠を開墾するから、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、168-6]も実って、貴方様も私も命い継いで、物を喰って生きていられるだア、其の大事なこれ人間が、粗相で皿ア毀したからって、指を切って不具にするという御先祖様の御遺言を守るだから、私ア貴方を悪くは思わねえ、物堅え人だが余り堅過ぎるだ、馬鹿っ正直というのだ、これ腹ア立っちゃアいけねえ/\、どうせ一遍腹ア立ってしまって、然うして私を打斬るが宜うがすが、それを貴方が守ってるから、此の村ばっかりじゃアない、近郷の者までが貴方の事を何と云う、あゝ東山は偉い豪士だが、家に伝わる大事な宝物だって、それを打毀せば指い切るの足い切るのって、人を不具にする非道な事をする、東山てえ奴は悪人だと人に謂わせるように、御先祖さまが遺言状を遺したアだね、然うじゃアごぜえませんか、乃でどうも私も奉公して居るから、人に主人の事を悪党だ非道だと謂われゝば余まり快くもごぜえません、御先祖さまの遺言が有るから、貴方はそれを守り抜いてゝ、証文を取って奉公させると、中には又喰うや喰わずで仕様がねえ、なに指ぐらい打切られたって、高え給金を取って命い継ごう、なに指い切ったってはア命には障らねえからって、得心して奉公に来て、つい粗相で皿を打毀すと、親から貰った大切な身体に疵うつけて、不具になるものが有るでがす、実にはア情ねえ訳だね、それも皆な此の皿の科で、此の皿の在る中は末代までも止まねえ、此の皿さえ無ければ宜いと私は考えまして、疾から心配していました、所で聞けば、お千代どんは齢もいかないのに母さまが塩梅が悪いって、良い薬を飲まねば癒らない、どうか母さまを助けたい、仮令指を切られるまでも奉公して人参を買うだけの手当をしてえと、親子相談の上で証文を貼り、奉公に来た者を今指い切られる事になって、誠にはア可愛そうにと思ったから、私が此の二十枚の皿を悉皆打砕いたが、二十人に代って私が一人死ねば、余の二十人は助かる、それに斯うやって大切な皿だって打砕けば原の土塊だ、金だって銀だって只形を拵えて、此の世の中の手形同様に取遣りをするだけの物と考えます、金だって銀だって人間程大切な物でなえから、お上でも人間を殺せば又其の人を殺す、それでも尚お助けてえと思う心があるので、何とやらさまの御法事と名を付けて助かる事もありやす、首を打斬る奴でも遠島で済ませると云うのも、詰り人間が大切だから、お上でも然うして下さるのだ、それを無闇に打斬るとは情ねえ話だ、あなたの御先祖さまは東山将軍義政さまから戴いた、東山という大切な御苗字だという事は米を搗きながら蔭で聞いて知って居ますが、あの東山は非道だ、土塊と人間と同じ様に心得ていると云われたら、其の東山義政のお名前までも汚すような事になって、貴方は済むめえかと考えますが、何卒して此の風儀を止めさせてえと思っても、他に工夫が無えから、寧そ禍の根を絶とうと打砕いてしまっただ、私一人死んで二十人助かれば本望でがす、私も若え時分には、心得違えもエラ有りましたが、漸く此の頃本山寺さまへ行って、お説法を聞いて、此の頃少し心も直って参りましたから、大勢の人に代って私一人死にます、どうか其の代り、お千代さんを助けてやって下せえまし、親孝行な此様な人は国の宝で土塊とは違います、さ私を斬って下せえまし、親戚兄弟親も何も無え身の上だから、別に心を置く事もありません、さ、斬っておくんなせえまし」
と沓脱石へピッタリ腰をかけ、領の毛を掻上げて合掌を組み、首を差伸ばしまして、口の中で、
權「南無阿弥陀仏/\/\/\/\/\/\」
斯る殊勝の体を見て、作左衞門は始めて夢の覚めたように、茫然として暫く考え、
作「いや權六許してくれ、どうも実に面目次第もない、能く毀してくれた、あゝ辱けない、真実な者じゃ、なアる程左様……これは先祖が斯様な事を書遺しておいたので、私の祖父より親父も守り、幾代となく守り来っていて、中指を切られた者が既に幾人有ったか知れん、誠に何とも、ハヤ面目次第もない、權六其方が無ければ末世末代東山の家名は素より、其方の云う通り慈昭院殿(東山義政公の法名)を汚す不忠不義になる所であった、あゝ誠に辱ない、許してくれ、權六此の通り……作左衞門両手を突いて詫るぞ、宜くマ思い切って命を棄て、私の家名を汚さんよう、衆人に代って斬られようという其の志、実に此の上もない感服のことだ、あゝ恥入った、実に我が先祖は白痴だ、斯様な事を書遺すというは、許せ/\」
と縁先へ両手をついて詫びますと、傍に聞いて居りました忰の長助が、何と思ったかポロリと膝へ涙を落して、權六の傍へ這ってまいりました。
長「權六、あゝー誠に面目次第もない、中々其方を殺すどころじゃアない、私が生きては居られん、お千代親子の者へ対しても面目ないから、私が死にます」
と慌てゝ短刀を引き抜き自害をしようとするから、權六が驚いて止めました。