四十三
やま「はい、あのお前さんが情知らずのお人かと存じます、惠梅様と云う
又「惠梅も憎くはないが、実は
やま「え……」
又「さア、
やま「まアどうも怖いお方でございます」
と
又「お前これ程まで云うても云うことを聴かれぬか」
やま「聴かれません、怖くって、恐ろしい、お置き申すわけにはいきません、
又「云う事を聴かれぬ[#「聴かれぬ」は底本では「聴かれね」]時は仕方がない、今こそは寺男なれども、元
やま「あれ、脇差を持っておいでなすったね」
又「さア、可愛さ余って憎さが百倍で殺す気に成るが、何うじゃア」
やま「これは面白い、はい、私が云う事を聴かない時は殺すとは恐ろしいお方、さア殺すならお殺しなさい」
又「これさ、何うしてお前が可愛くって殺せやあせぬ、殺すまでお前に惚れたと云うのじゃ」
やま「何を仰しゃる、死ぬ程惚れられても私は厭だ、誰が云う事を聴くものか、厭で/\愛想が尽きたから行って下さいよう」
又「愛想が……本当に切る気に成りますぞ」
やま「さアお切りなさい」
又「
と
やま「あれえ人殺し」
と云って駈出しました。山之助も驚き飛上り、又市の
山「
と引きましたが、引かれる途端に斯う脇差が抜けました。
やま「人殺しイ」
と駈出しますのを又市は、人殺しと云うは惠梅を殺した事を
四十四
水司又市は十方でぶう/\/\/\と吹く
多「あゝ情ない事をした、そんな悪人とは知らずに、恩返しの為だから丹誠をして恩を返さんければならぬと云って、
と云うと、山之助も涙ばかり先立ち、胸が閉じて口を利く事も出来ませんが、
山「
と云う。伯父もお山の
多「お山やア/\しっかりして呉れよ」
と呼びまする。その声が耳に
やま「山之助」
山「あい
やま「伯父さん」
多「あい此処に居りやすから心を
やま「あい伯父さん、永々御厄介になりまして、十六年あとにお
多「あいよ、そんな心細い事を云って己も娘ばかりでござりやすし、
やま「はい私は何うも助かりません……山之助や、は、は、は、又市の額には葉広山で受けた
山「あい見忘れはしません」
やま「
山「あい決して忘れやしません、姉様確かりして下さいよ」
やま「
と
多「咽喉が涸くだから、水を飲ましたら宜かろう」
と手負いに水を与えてはならぬと申す事は
多「何うも致し方が無い、幾ら泣いても姉の帰るものじゃアないから諦めるが宜い、若し貴様が煩うような事が有っては己が困る」
と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附け、
四十五
和「おゝ萬助どんか、来たら
萬「へへえ何うも誠に御無沙汰を致しました、
和「あいまア
萬「へえ御免を蒙ります」
和「さて萬助どん、
萬「はい/\/\、何うも御厄介でござりまして、誠にはア
和「誠に
萬「それははや有難い事でござります、それ程に
和「就いてなア
萬「へえそれは/\何で
和「何ういう訳か知らぬが、まア此処に居るのが
萬「こりゃアとんだ事で、何うも
和「何処と云って、まア西国巡礼だろう」
萬「はいイ大黒巡礼と申しますると」
和「なに西国巡礼だ、西国巡礼と云って西の国を
萬「成程、へえ成程、そう云えば
和「なにそう云う事を聞きましたも無いもの、西国巡礼を知らぬ奴が有りますか」
萬「和尚様、どうぞ
和「あい呼びましょう……繼や居るか」
繼「はい…」
とは云ったが次の間で話を聞いて居りましたから、これは何でも叱られる事かと思いましたが、つか/\/\と出て来て和尚の前へ両手を突きます。……見ると
四十六
繼「お呼び遊ばしましたのは……おや叔父さん宜く」
萬「宜くたってお前急にお人だから来たんだ、おいお前なにか西国巡礼を始めるという事だが、何うも飛んだ話だぜ、和尚様の御恩を忘れては済まないじゃア無いか、それで和尚様は預かってる者が居なくなると困るから、
和「まア待ちなさい、お前のように半ばから
萬「
和「これ萬助どん、余計なことを云わいでも宜いわな」
萬「でも貴方の仰しゃった通りに云うので……それで段々女に見えるから
和「まア/\そう小言を云いなさるな……お繼何も隠さいでも宜い、何ういう訳で白の脚半や
繼「はい
萬「旦那様え、敵討え、旦那様」
和「いやはや何うもえらい事を云い
萬「どうも、飛んだ事を云い出しました……敵討……年の
四十七
和「これは何うも
萬「遣るたって何うも
和「いや
萬「はい/\/\」
和「じゃア
繼「有難う存じます」
萬「
繼「有難う存じます」
是から檀家へ此の話を致しますると、孝行の徳はえらいもので、
繼「少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか」
と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせずに、
繼「あの是から、落合へ
と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠をかぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、
侍「是々巡礼落合へ
繼「有難う存じます」
と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行ってもなだれ
「巡礼、巡礼
と云われたが真暗で誰だか分りません。
四十八
侍「これ巡礼」
繼「はい/\/\」
典「思い掛けねえ、
繼「はい
侍「何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、
繼「はい何方でございますか、人違いでございましょう、
典「汝は
繼「えゝ」
典[#「典」は底本では「繼」]「さ其の通り書いて有るから仕方がねえ」
繼「いゝえ
典「えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だが、
繼「
典「えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず/\云わんでさっさと出せ、
繼「いゝえ
典[#「典」は底本では「繼」]「えゝ
と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
繼「あれえ」
と一生懸命に逃げに掛るのを
典「待て」
と手を
勇「おい/\巡礼々々」
山「あい」
勇「己は
山「左様でがすか」
勇「左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、汝は女だな」
山「いゝえ私は男でげす」
勇「隠したってもいけねえや、修行者でも
山「何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、全く男でござります」
勇「いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れて行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ」
山「冗談を云っちゃアいけません」
勇「冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃアぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処はもう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有って堂の縁が広いから」
山「冗談しちゃアいけません、私は
勇「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を持ってる事もちゃんと承知だ」
山「何をなさる」
勇「何をと云って何うせ
山「無闇な事をなさるな」
勇「無闇が何うする、斯うだぞ」
山「何うもいけません、何をなさるのだ」
と山之助が勇治の
勇「何をする、汝がきゃアぱア云やア
本当に斬る気では有りませんが、
山「
と横道へばら/\/\/\/\。
四十九
勇「この
と
勇「なに此の女っちょ」
とは云っても谷間を歩くのは下手で追掛ける事は出来ません。何うした事か山之助が足掛りを踏外したから、ずずうと蔦が切れたと見えて、両手に
山「はアー何うも怖い事、伯父さんがそう云った
と
山「おう/\/\/\可愛そうに、此の人は洗馬で
と貯えの薬を出して、飲ませようと思いましたが、確かり歯を
繼「有難う/\」
山「お前さん確かりなさいよ」
繼「はい」
山「大丈夫です、私は
繼「はい有難う怖い事でございました」
山「成程お前さんは何うなすったの」
繼「何うしたんでございますか人違いでございましょうが、私が山路に掛って来ると、
山「それはお気の毒様、それじゃア私と間違えられたのだ、白島の山之助と云いましたか」
繼「はい」
山「その男は何と云う奴で」
繼「あの柳田典藏とか云いました」
山「それは大変、何うもお気の毒様、お前さんを私と間違えたのでございます」
繼「
山「そりゃア全く私の間違いです、お…前さん女でございますねえ」
繼「いゝえ」
山「それでも今私が抱いて起した時に乳が大きくて、口の利き様も女に違いないと思います」
繼「左様でございますか、私は本当は女でございます」
山「左様でしょう、それじゃア私はお前さんと間違えられたのだ、私が山道へ掛ると胡麻の灰が来て
繼「おやまアお気の毒様」
山「私の方がお気の毒様だ」
繼「お前さん
山「私は西国巡礼に」
繼「おや私も西国へ。よく似て居りますねえ」
山「えゝよく似て居りますねえ」
繼「お前さん
山「山道へ掛って様子は知らぬが、落合まで日の
繼「私も落合と思って、何うもよく似て居ますねえ」
山「えゝ何うもよく似て居ますなア」
繼「あなた私を連れて行って下さいませんか」
山「えゝ、一緒に参りましょう」
繼「それじゃア
山「一生懸命に
繼「何卒お連れなすって下さい」
と互に
山「何か落すといけませんよ」
繼「はい柄杓も此処に有ります」
と笠を片手に