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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        二十七

清「あとで小川様がだん/″\お調べに成ったところが、流石さすが名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の女房じゃアまアお梅を連れてげる時のことを知ってるから、これをかして置いては露顕するもとというて、ってげたに違いないと云うので、足を付けたがえまに知れぬと云いますわ」
又「それはまアうも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは何時いつの事でございましたか」
清「えーとえーつい先々月十九日じょうくにち暁方あけがたでありみしたか」
又「十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、昨宵ゆんべあんまり寒いからと云って、山へ鹿を打ちにきまして、よう/\塩梅あんばいに一疋の小鹿を打って、ふんじばって鉄砲でかついで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ/\哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、四足よしあしでせえも、あゝって子を打たれゝば、うろ/\して猟人りょうしそばまでも山を下って探しに来るのに、人間の身の上でたった一人の忰を置いてげると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……昨宵ゆんべばゞあと話をして居りましたが、まことに有難うございます、なくなりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねてこうと存じて、婆さんともう申して居りました」
清「えゝわしゃもうそごに帰りましょう、まことに飛んだ事をおめゝに入れておの毒に思いますが、わぬでも成りませんから詮方しょうことなしにお知らせ申した訳で、くまア念仏ども唱えておりなされ、私ゃ帰りみすから」
又「じゃア帰りには屹度きっとよりなすって」
清「はい屹度けっと寄って御厄介に成りみすよ、左様さよなれば」
婆「どうぞお帰りにお待ち申します」
清「おおけにお妨げを致しみした、左様さよならば」
又「お前さん山手の方へよっておいでなさいませんと、道が悪うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もいう通りにね、あの寄生木やどりの出た大木の方に附いてお出でなさいよ……あゝまア思いがけなく清兵衞さんがお出でなすって、一晩お泊め申してゆっくり話を聞きたいが、お急ぎと見えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺されたのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん」
婆「あい」
又「奥に泊って居る客人はおれとこ幾日いっかに泊ったっけな」
婆「あれは先々月のちょうど、二十日はつかの晩に泊りました」
又「二十日……えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊りとおっしゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと……婆さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか」
婆「何だか惠梅えばい様/\と云ったり、またお梅と呼びなさる事もあるよ」
又「はゝア何でも此の頃頭髪あたまった比丘さんに違いない、毛の生えるまで足溜あしだまりに己のうちへ泊って居るのだ、彼奴あいつら二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん」
婆「それア何とも云えないよ」
又「酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前」
又「いからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、一寸ちょっと明けられねえ様に、しんばりをかってしまいな、酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前さん無理酒むりざけを飲んではいけないよ、無理酒は身体にあたるから、忰が死んだからってもやけ酒はいけないよう」
又「もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい/\になって打倒ぶったおれて死んだって、何も此の世に思い置く事はない、然うじゃないか、おめえは己が死んだって、一生食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもうにも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ」
 と燗鍋で酒をあたため、燗の出来るも待てないから、茶碗でぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、中々きかないじゞい、欄間に掛った鉄砲をおろして玉込たまごめをしましたから。
婆「爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちにくのかえ」
又「えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、何処どこまでも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアとかぱアとか云って逃げめえものでもねえ、し逃げに掛ったら、手前てめえは此の細口ほそくちから駈出して、落合の渡しへ知らせろ、此方こっちは山手だから逃げる気遣きづかいはない、えゝ心配するな」
 と山刀やまがたなして片手に鉄砲をげ、忍足しのびあしで来て破れ障子に手を掛けまして、そうっと明けて永禪和尚とお梅の居ります所の部屋へ参って、これから掛合かけあいに成りますところ、一寸一息つきまして。

        二十八

 又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気のおやじで、鉄砲の筒口すぐちを押し握ってそっと破れ障子を開けると、此方こちらはこそ/\荷拵にごしらえを致して居るところへ這入って来ましたから、さとられまいと荷を脇へ片付けながら、
永「誰じゃ」
又「へいじゞいでございます」
永「おや是は/\、さア此方こちらへお這入りなさい、だ寝ずかいのう」
又「まだ貴方あなたがたもおやすみでございませんか」
永「寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居ました」
又「へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、貴方がたのお国は、何処どちらでございますかな」
永「うーんなんじゃ、わし大聖寺だいしょうじの者じゃ」
又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな」
永「うゝんイヤわしは大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか」
又「お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね」
永「何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、ういう事でわしう云うか知らぬけれども、それは人違いだろう」
又「隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼さんは前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお内儀かみさんで、お梅さんと云いましょうな」
永「何を詰らぬ事……飛んだ間違いでお前の事をあないな事を云う」
梅「まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませんが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上でる者を、荒物屋の女房にょうぼなんてまア何う云うなんかね……お前さん」
永「さア何ういう訳で其様そないなことを、さア誰がそんな事を言ったえ」
又「隠しちゃアいけねえ、あなたは一箇寺いっかじ住職の身の上で、このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪魔になるというので、薪割で打殺ぶちころして縁の下へ隠した事が、博奕ばくちの混雑から割れて、られねえのでお梅さんの手を引いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と何処どこでお別れなすったい」
永「これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云って、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何ういう訳じゃ、眞達さんと云うのは昨夜ゆうべ話に聞いたが、わしは知りアせぬが」
又「とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって種があがって居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては足手まといだから、神通川のかみ大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ」
永「何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事を言って何うもどゞ何ういう理窟で其様そんな事を云うか……のう惠梅様」
梅「本当に何だって其様そんな事を云いますか、私どもの身に覚えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で」
又「何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠さずに云え、云わなければ詮方しかたがねえ、お前方二人をふんじばって落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか」
 と云われこの時は永禪和尚もこれは隠悪ぼくれたわい、もう是れまでと思ってじゞばゞあを切殺して逃げるよりほかはないと、道中差どうちゅうざし胴金どうがねを膝の元へ引寄せて半身構えに成って坐り、居合いあいで抜く了簡、※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)つかへ手をかけ身構える。爺も持って参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛けて、すわと云ったら打果そうと云うのでう身構えました。互いに竜虎の争いと云おうか、呼吸いきの止るようにうーんと睨合にらみあいました時は側に居るお梅はわな/\ふるえて少しも口を利くことも出来ません。永禪は不図ふとうしろに火縄の光るのを見て、此奴こいつ飛道具とびどうぐを持って来たと思うからずーんと飛掛り、抜打ぬきうちに胸のあたりへ切付けました。

        二十九

又「やア斬りやアがったな」
 と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運のい奴、玉は肩をれてぷつりと破壁やぶれかべ打貫うちぬいて落る。又九郎はおのれ斬りやアがったなと空鉄砲からでっぽうを持って永禪和尚に打って掛るをぱずして、
永「猪口才ちょこざいな事をするな」
 と肩先深く斬下きりさげました。腕はえて居るし、刃物きれものは良し、又九郎横倒れにたおれるのを見てばゞあは逃出そうと上総戸かずさどへ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、栓張しんばりを取って、掛金かけがねを外す間もございません、ところへ永禪は逃げられては溜らぬと思いましたから、土間へ駈下かけおりて、うしろから一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を踏掛ふみかゝってとゞめを刺したが、お梅は畳の上へ俯伏うつぶしになって、声も出ませんでぶる/\ふるえて居りました。ところへ見相けんそう変えて血だらけの胴金を引提ひっさげて上って来ました。
永「あゝあやうい事じゃったな」
梅「はい」
永「しっかりせえ」
梅「確かりせえたって私はそっと裏から逃げようと思ってる処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような心持になりましたよ」
永「毒喰わば皿までねぶれだ、むを得ぬ、えゝ悪い事は出来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか」
梅「本当に怖い事ね」
永「此処こゝに泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけの手形が有るから差支さしつかえはないが、今夜此処を逃げて仕舞うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は此処に寝よう」
梅「怖くって、寝られやアしません」
永「今夜は誰も尋ねてやアせんから」
梅「死骸は何うするの」
永「えゝわ」
 と又九郎夫婦の死骸をごろ/\土間へ転がして、鉄砲を持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、く死骸を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、図々ずう/\しく残りの酒を飲んで永禪和尚はいびきをかいて寝ましたが、実に剛胆な奴であります、翌朝よくちょう身支度をして何喰わぬ顔で、此処を出ましたが、出ると急ぎまして、塩梅あんばいに広瀬のわたしを越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る気候に向って、く事も出来ませんから、人知れず千島村ちしまむらという処へ参って、水無瀬みなせの神社の片傍かたほとり隠家かくれがに身を潜め、翌年雪も解け二月の月末つきずえに越後地へ掛って来ます。芦屋あしやより平湯駅ひらゆえきに出で、大峠おおとうげを越し、信州松本しんしゅうまつもとに出まして、稲荷山いなりやまより野尻のじりそれより越後の国関川せきがわへ出て、高田たかたを横に見て、岡田村おかだむらから水沢みずさわに出まして、川口かわぐちと云う処に幸い無住むじゅうの薬師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市が寺男になって居てお経を教えて居る。其のうちに尼はだん/\覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いはひえなどを持って来て呉れるから、貰う物を喰ってようやく此処に身を潜めて居る中に又市も頭髪かみは生えて寺男の姿になり、片方かた/\は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間居りますから、誰有って知る者はございません。こゝにお話は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、信州水内郡みのちごおり白島村しろしまむらと申す処がございます。是は飯山いいやまの在で山家やまがでございます。大滝村おおたきむらという処に不動様がありまして、そのわきに掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります武士さむらいは、少し羊羹色ようかんいろではありますが黒の羽織を着て、大小を差して紺足袋に中抜なかぬきの草履を穿き、煙草を呑んで居りますると、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄のい女で、誠におとなしやかの姿で、前を通ってしきり[#「しきり」は底本では「しき」]に不動様を拝みお百度を踏んで居ります。武士は余念もなくの娘の姿を見て居りますが、お百度だから長うございます。自分も用があるのに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が往ったり来たりするのを見て、くび彼方あっちへふり此方こっちへふり、お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう仕舞しまいまで見て居りました。
武士「あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて居たの女は、何処どこの女だのう」

        三十

婆「はいありゃアなんでござりやすよ、あの白島村の者でござりやすが、く間があると参詣にひえーめえりやすが、ありゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には暴風雨あらしがあっても欠かさないでござりやしてな、ひやア」
武士「い女だね」
婆「ひやア此処こけいらにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、ひやア」
武士「何処どこの何者の娘かな」
婆「何だか知りやしねえが武士さむらいの娘で有りやすが、浪人してひやア此の山家へ引込ひっこんだ者じゃアはと評判ぶって居りやす、ひやア」
武士「はア左様かのう」
男「ちょっと/\旦那え」
 とうしろに腰を掛けて居りました鯔背いなせの男、木綿の小弁慶こべんけい単衣ひとえもの広袖ひろそで半纏はんてんをはおって居る、年三十五六の色の浅黒い気の利いた男でございます。
武士「いやお前はナニとんと心付かぬで、何処におでかな」
男「この衝立ついたての後に有合物ありあいもので一杯やって居ります、へー、碌な物は有りませんが、此のうちの婆さんは綺麗ずきで芋を煮ても牛蒡ごぼうを煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だから喰い心がようございます」
武士「はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸御出生ごしゅっしょうの様子だね」
男「へい旦那も江戸児えどっこのようなお言葉遣いでげすね」
武士「久しく山国やまぐにへ来て居て田舎者に成りました」
男「今の娘をい女だとめておいでなすったが、あれは白島村のなんです元は武士さむらいだと云いますが、ういう訳か伯父が有ると云うので、姉弟きょうだいで伯父の世話になって居ますが、弟は十六七でございますが、色の白いい男で、女の様でございます、それで姉弟でってるのだがの位のは沢山たんとはありませんな」
武士「はゝあ、貴公は御存知かえ」
男「へい、私は白島村の廣藏ひろぞう親分の厄介で、傳次でんじと申す元は魚屋でございますが、江戸を喰詰くいつめてこんなところへ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で」
武士「はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で」
傳「へい朝晩顔を見合せますからね」
武士「あゝ左様かえ、貴公ちっと遊びに来て下さらんかえ、私は桑名川村くわながわむらだから」
傳「じゃア隣り村で造作アございません」
武士「拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持がしますよ」
傳「そうです、変な言葉の奴ばかりいますから貴方あなたのような方に逢うと気丈夫でげす、ひまで遊んで居りますから何時いつでも参ります」
武士「何うだえ拙者宅てまえたくへ是を御縁としてな、拙者てまえ柳田典藏やなぎだてんぞうと申す武骨者だが、何うやらうやら村方の子供を相手にして暮して居ります」
傳「何で、何方どちら御藩ごはんでげす」
典「なに元は神田橋近辺に居た者だ、櫻井監物さくらいけんもつの用人役をも勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にもられないで、斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬが、兎も角も一緒に、き近い細川を渡るとぐだ」
傳「御一緒に参りましょう」
 とずう/\しい奴で、ぴょこ/\付いて来ました。
典「さア、此方こっちへ這入りなさい……庄吉、今お客様をお連れ申したから」
庄「はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰りはあるまいと思って居りました……さア此方こちらへお客様お這入りなさい」
傳「へいこれは何うも、御免なさい……おや庄吉さんか」
庄「や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何うも」
傳「何うした思い掛けねえ」
庄「何時も変りもうて目出とうありますと」
傳「いやア何うも、なんともかんとも、おめえにも逢いたかったが、れから行端ゆきはがねえので」
典「庄吉手前てめえは馴染か」

        三十一

庄「いや馴染だって互いに打明けてらちくちもない事をした身の上で……まア無事でいな」
傳「何時いつ此方こっちへ来たのだえ」
庄「何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと」
傳「いやうもわっちもからきしかたはねえので、仕ようが無いから来たんだ」
庄「旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無けりゃア貸してろう、らが持合もちあわせが有れば貸そうという中で有りますと」
傳「随分此の人の部屋でくずぶった事もあるのでねえ」
典「左様かえ、兎も角も」
 と是から有合物ありあいもので何かみつくろってと云って一杯始めると、傳次は改めて手を突き、
傳「わっちア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすって……大層机などが有りますね」
典「あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり易学えきがくを学んだからな売卜うらないをやる、それにた少しは薬屋のような事も心得てるから医者の真似もするて」
傳「へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは大丈夫でげす、どうも結構なお住居すまいですな」
典「田舎では種々いろ/\な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物ばかりとめてはいかぬて」
傳「妙でげすな」
典「さアお酌を致しましょう」
傳「へえ…有難う」
典「まずい物だが召上れ」
傳「頂戴致します……庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、何うも懐かしいなア、何うして来たかなア」
庄「本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前も此処こゝへ来たか」
傳「旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、賭博ばくちをしておかしい事がありやした……今では過去すぎさった事だが、あれは何うなったえ」
庄「何うたって何うにもうにもひどい目にうたぜ、わしア縁の下に隠れて、うしてお前様死人しびととは知らぬから先に逃げた奴が隠れて居ると思うたから、其奴そいつの帯をつかんでちま/\と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯を取って引かれるから、ずる/\と引摺ひきずられて出ると、あの一件が出たので」
傳「旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が死人しびとと知らずに帯につかまって出ると、死人しにんが出たので到頭ぼくが割れて縛られてきました」
庄「するとれから其の響けで永禪和尚がげたので、逃げる時、藤屋の女房じゃアまアと眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途中で切殺して逃げたので、ところが眞達は死人しにんに口なしで罪を負うて仕舞い、此方こちらは小川様が情深い役人で、調べもかろくなって出る事は出たが、一旦えったん人殺しと賭博とばく騒ぎが出来でけたから、誰あって一緒えっしょに飯い喰う者もないから、これはとても仕様がねえ、と色々えろ/\考え、何処どこほかこうと少しばかりの銭を貰うて流れ/\て此処へ来て、不思議な縁で、今は旦那の厄介になってるじゃ」
傳「旦那、……寺の坊主が前町の荒物屋の女房にょうぼうと悪いことをしやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ死人しびとを隠して置いたのさ、ところで其の死人に此奴こいつつかまって出たと云う可笑おかしい話だが、の時おれは一生懸命本堂へ逃げあがったが、本堂の様子が分らねえから、木魚に蹴躓けつまずいてがら/\音がしたので、驚いて跡から追掛おっかけるのかと思ったが、うじゃアないので、又逃げようとすると、がら/\/\と位牌が転がり落る騒ぎ、何うかうか逃げましたが、いまだに経机の角で向脛むこうずねを打ったきずは暑さ寒さには痛くってならねえ」
庄「おっかねえことであったのう」
傳「それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦労人の果だ」
典「時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の婦人はぬしはないのか」
傳「えゝ主はない、たった姉弟きょうだい二人で弟は十六七でい男さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです」
典「親はないのか」
傳「ないので、伯父さんの厄介になってはたを織ったり糸をったり、のくらい稼ぐ者は有りませんが、やさしくって人柄がい、いやになま世辞せじを云うのではないから、あれがうございます」
典「拙者てまえも当地へ来て何うやら斯うやらうやって、うちを持って、いさゝか田畑を持つ様になって村方でも何うかり着いて呉れと云うのだが、永住致すにはさいがなけりア成らぬが、貴公今の婦人に手蔓てづるが有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が媒介人なこうどにでも、橋渡しにでもなって、貰受もらいうけて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金をつかってしまってはいかぬけれども、貴公も左様そうして遊んで居るより村外れで荒物みせでも出して、一軒のあるじになって女房子にょうぼこでも持つようになれば、親類交際づきあいに末永くき通いも出来るから」
傳「有難うがす、わっちも斯うってぐずついて居ても仕様がねえから女房にょうぼう置去おきざりにしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信たよりもしませんので、向うでも諦らめて、今では団子をこしらえて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくってもい、しかし苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、わたしが話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう」
典「早いがいが」
傳「えゝなにすぐきましょう」
 と止せばいに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の端緒こぐち、この娘おやまぜん申上げた白島山平の娘で、弟は山之助さんのすけと申して、親山平は十六年ぜんから行方知れずになり、母はくなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから姉妹きょうだいが大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。

        三十二

 おやま山之助の姉弟きょうだいは、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年のきません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父多右衞門たえもんが引取り、伯父の手許てもとで十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳おとゝは十七で、小造こづくり華者きゃしゃ[#「華者」はママ]な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い気象で、姉弟してひょっとお父様とっさまがお帰りの有った時は、うかゞわずに元服しては済まないと云うので二十二で、大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が力に思合おもいあいまして、山之助は馬を引きあるいは人の牛をきまして、山歩きをして麁朶そだを積んで帰る。姉は織物をしたり糸をったりしてすきはございませんが、少しひまが有れば大滝村の不動様へ親父おやじ生死いきしに行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋の傳次がひょこ/\お辞儀をして。
傳「へい御免なさい」
山之助「はいお出でなさい」
傳「今日は結構なお天気で」
山「はい、何方様どなたさまで」
傳「へいわっちも久しく此地こちらに居りますからお顔は知って居ります、私は廣藏親分のところに居る傳次と云う魚屋でございますが親分の厄介者やっけえもので」
山「へえそうでございますか」
傳「どうも感心でげすね、姉様ねえさんを大事になすって、お中がいいって実に姉弟でう睦ましくうちはねえてえ村中の評判でございますよ、へえ御免なさいよ」
やま「さアお掛けなさい、何か御用でございますか」
傳「へえ姉様ねえさんまアねやぶから棒にんな事を申しては極りが悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞きに来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっしゃいますね」
やま「はい」
傳「今日お百度を踏んで帰んなさる時、葮簀張よしずっぱりの居酒屋でそれ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、彼処あすこにね腰を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い月代さかやきの生えた人柄のい旦那をごらんなすったか」
やま「はいわたくしは何だか急ぎましたから、薩張さっぱり存じません」
傳「の方は元お使番つかいばんを勤めた櫻井監物の家来で、柳田典藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て手習てなれえの師匠で医者をしてそれで売卜うらないをする三点張さんてんばりで、立派なうちに這入って居て、これから追々おい/\田地でんじでも買おうと云うのだが、一人の身上みのうえでは不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘ではいやだが、聞けば何か此方こちらねえさんは元武士さむれえのお嬢さんで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼の姉さんを嫁にもれえてえが傳次お前は同じ村に居るなら相談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば弟御様おとゝごさまは一緒に引取り、先方むこうで世話をしようと云う、お前さんも弟様にいさん仕合しやあせで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思ってわちきは相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだがうでげしょう」
やま「まことに御親切は有難うございますが、わたくしの身の上は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何うでもいので」
傳「へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえうで、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢います、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左様なら」
 とすぐに伯父の処へきまして。
傳「へえ御免なさい」
多「はい何方どちらから、さア此方こちらへ」
傳「へえわっちは廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者で」
多「左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言葉もかわしませんで、何分不調法者で、此のともお心安く願います」
傳「へえわっちも何分お心易く願います、いてはね、今ねえさんの処へ往ったのでげすが……あなたには姪御めいごさんでありますね」
多「へえ、おやまに」
傳「へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ得心になればいと云う嫁の口が出来たので、誠にい口で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な武士さむれえだが、運が悪いとは云いながら此方こっちへ来て田地や何かも余程有り、また是から段々ふやそうという売卜うらない手習てなれえの師匠に医者の三点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、彼処あすこへおりなすっては何うで、弟御おとゝごぐるみ引取ると云うので、随分お為になる処でございますが」
多「おやまが貴方あなたに御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬと言いましたか」
傳「えゝ言いました」
多「何うも自分ではお断りが仕憎しにくいから、大概の事はわしの処へ行って相談して呉れと、まず言抜いいぬけに云いますよ、れはなアとてもな無駄でございます」
傳「へえ何う云う訳で」

        三十三

多「いえ十六年あと親父おやじが行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存生ぞんしょうで帰った時は、親父に一言の話もしないで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、姉弟きょうだいで、あゝって、元服もせずに居りますくらいでござりやすから、何処どこからなんと云っても駄目でござりやす、聟でも取って遣りたいが中々左様そう言ったって聴きアしませんから」
傳「それじゃアおとっさんが帰らねえでは相談は出来ませんか」
多「へえ親父が帰ればすぐに相談が出来ますが、帰らぬうちは駄目でござりやして、ひやア」
傳「弱りましたね、左様なら」
 と呆然ぼんやり帰って来て。
傳「へえ往って来ました」
典「いやもう待って居ました」
傳「へえ」
典「うもね、お前は弁舌がし、何かの調子がいから先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつもりで目録包にして此処こゝに有るので」
傳「へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけません、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは」
典「何ういう訳で」
傳「何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が十六年あとに行方知れずに成ったから、親父のけえらぬうちは嫁にもかぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かねえうちにしては済まぬてえれは変りもんでげす、いけませんよ、へえ」
典「いかぬと云うのか」
傳「えーかねえと云うのでげす」
典「左様か仕様がない、それは仕方がない、それは先方むこういやなんでげしょうが、う云わなければ断り様がないからだ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十年も四十年も帰らぬ時は何うする、白髪しらがになって島田で居る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う云うのだ、宜しい/\、宜しいけれども実は事を極めて来たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、仕方がない、是までの事だ」
傳「から何うも仕様がねえ変りもんでげすな、おめえさんの云う通り白髪しらがの島田はないからねえ、何うも仕様がないね何うも」
典「貴公わしの名前を先方せんぽうへ言いますまいねえ」
傳「わっち左様そう言いましたよ、柳田典藏さんと云う手習てなれえの師匠で、易をたっうとすっかりならべ立ったので」
典「それは困りますね、姓名を打明うちあかして呉れては恥入るじゃアないか」
傳「だって余程よっぽど受けが宜かろうと思って列べたので」
典「それはいかぬ、まず先方で縁談が調とゝのうかいなかを聞いてくわしくは[#「くわしくは」は底本では「くはくは」]云わんで、しかるべき為になるうちぐらいの事を云って、お前くか、はい参りますとぼんやりでも云ったら、そく/\姓名を打明けて云ってもいが、極らぬうちから姓名を打明けては困りますな、何うもう少し何か事柄のわかるお方かと思ったら存外考えがなかった、宜しい/\、実は荒物屋の店でも貴公に出させようと思って、二三十金は資本もとでを入れる了簡で、媒介親なこうどおやと頼まんければ成らぬと思いまして……最う少し万事に届く方と思ったが、冒頭のっけに姓名を明かされては困りますねえ、実に恥入る」
傳「然う怒ったっていけません、旦那、旦那怒っちゃいけません、斯う仕ようじゃアございませんか、種々いろ/\わっち路々みち/\考えたが私の云う事を聴いて然うおまえさん云ってしまってはいけねえ、あれさ、そんな事をぷん/\怒ったっていけません、何でも気を長くしなければ成らねえ、あの娘は不動様へ又お参りに来ましょう、そこでまだ貴方を見ねえのだから先刻さっきわっちが話を聴いて見ると、斯ういうくろの羽織を着て、斯々これ/\の方を御覧かと云ったら急いだから存じませんと云うから、あの娘に貴方を見せたいや、貴方ね、二十二まで独身ひとりで居るのだから、十九つゞ二十はたち色盛いろざかり男欲しやで居るけれども、貴方をすうっとして美男いゝおとこと知らず、矢張やっぱり村の百姓と思って居るから厭だと云うかも知れねえから、お前さんの色白で黒の羽織を着てね、それが見せたい、まだ当人に逢わないからで、娘が逢いさえすればすぐだからお逢いなさい」
典「逢うたって、それ程厭てえものを逢う訳にはいきません」
傳「それは工夫で、お前さんと二人で例の茶見世へ行って、旨くもねえ、碌なものはねえが、い酒を持って行って一ぱいって、衝立ついたての内に居るのだね、それで娘がお百度を踏んでけえる所を引張込ひっぱりこんで、お前さんがおつう世辞を云って一杯飲んでお呉れと盃をさして、調子のい事を云うと、娘はあゝ程のい人だ、あゝ云う方なら嫁にきたいとずうと斯う胸にうかんだ時に、手を取って斯う酔った紛れに□ってしまうが宜い、こいつは宜い、これは早い、それで伯父さんに掛合うからいけないが、当人に貴方を見せてえ、これがわっち屹度きっとこうと思っている」
典「だけれども何かどうも赤面の至りだな、無暗むやみに婦人を引張込んで宜しいかねえ」

        三十四

傳「宜しいたって、お前さんの様な人は近村きんそんに有りゃアしません、だからお前さんを見せたい、ちょっとう大めかしに着物も着替え、髪も綺麗にしてね」
典「うもなんだか、宜しいかねえ、旨くくかねえ」
傳「宜しいてえ是は訳はねえ、明日あしたりましょう」
 と悪い奴も有るもので、柳田典藏も己惚うぬぼれが強いから、
典「じゃアきましょう」
 と翌日あしたの大滝村へ怪しい黒の羽織を引掛ひっかけて、葮簀張よしずっぱりの茶屋へ来て酒肴さけさかなを並べ、衝立ついたての蔭で傳次が様子をうかゞって居ると、おやまが参ってしきりにお百度を踏み、取急いで帰ろうとすると飛出して、
傳「ねえさん」
やま「はい」
傳「此の間は」
やま「はい此の間は誠に」
[#「傳」は底本では「ぱ」]此間こないだ話したね柳田の旦那が彼処あすこで一杯飲んで居るが、一寸ちょっとお前さんに逢いたいと云って」
やま「有難うございますが、わたくしは急ぎますから」
傳「お急ぎでしょうが、そんな事を云っちゃアいけねえ、此間こないだね、旦那におたのみの事はいけねえと云うと、手前てめえきもしねえで嘘だと云って疑ぐられて居て詰らねえから、お前さん厭でも一寸あがって、傳次さん此間はお草々そう/\でしたと云えばい、うすればわっちが行ったてえのが通じるのだから、彼処あそこへ往って一寸私に挨拶するだけ」
やま「いけませんよ」
傳「いけねえてえわっちが困るから、野暮やぼなことを云わずにお出でなさい」
 と無理に引摺ひきずり込んだから仕方なしにひょろ/\よろけながらあがぐちへ手を突くと、しりを持って押しますから、厭々上って来ると、柳田典藏は嬉しいが満ちてはっと赤くなり、お世辞を云うも間が悪かったか反身そりみになって、無闇に扇で額を叩き、口も利かずに扇を振り廻したりして、きょと/\して変な塩梅あんばいで有りますから、
傳「旦那、旦那お連れ申しました、此方こちらへ/\、ぐず/\して居てはいけねえ、ねえさんに御挨拶をさ」
典「これは何うも誠に、何か、御信心参りにお出でのところを斯様なる処へお呼立て申して甚だ御迷惑の次第で有ろうと申した処が、何か、御迷惑でも御酒をあがらぬなれば御膳でも上げたいと思って、一寸これへ、何うも恐入ります、一寸只御酒はいけますまいから、じゃア御膳を」
 と云うのを傳次は聞いて、
傳「いけねえね、そんな事ばかり云って困るな、めかして居て……一寸姉さんお盃を、お酌を致しますから」
やま「何をなさる、お前さん方は何をなさるのでございますえ、わたくしの様な馬鹿でございますけれども、あなた方は何もお近眤ちかづきになった事もない方が無理遣むりやりにこんな処へ手を持って、厭がる者を引張込んで、人の用の妨げをして、酒を飲めなんて、わたくしは酒のお相手をする様な宿屋や料理茶屋の女とは違います、余り人を馬鹿にした事をなさいますな」
傳「旦那、腹を立っちゃアいけねえ……姉さんう云っちゃアから何うも仕様がねえ、それは然うだがね姉さん人の云う事をお聞きなさいよ、この旦那は早く言えばお前さんに惚れたんだ……旦那、黙って其方そっちにおいでなせえ、お前さん口を出しちゃアいけねえ、黙って頭を叩いておいでなさい…姉さん、人の云う事をお聞きよ、此間こないだ伯父さんへ掛合ったのだ、いかえ、処がそれはおとっさんが居ねえので元服もせずに待って居ると云うお話だから、その事を柳田さんに話すと、それは御尤ごもっともだてんで、今日も柳田さんがお前さんを呼んでくれと云ったのではない、全くわっちの了簡で、旦那は誠に感心な娘だと云うので、どうも十六年も音信おとずれをしない親父おやじを待って、それ程までに元服もせずに居るとは、実に孝行な事だから嫁が厭なら宜しいが、実にその志操こゝろざしに傳次やなおほれるじゃアねえかとういう旦那の心持で、誠にもっともだからそう云う事ならせめて盃の一つも献酬とりやりして、眤近ちかづきに成りたいと云うので、決して引張込んで何う斯うすると云う訳じゃアないが、お前さんが得心して嫁になれば弟も引取って世話をすると云う、実に仕合せだから、うんと云ったらいじゃアないか」
やま「何をうんと云うのでございますえ、わたくしの身の上は伯父に」
傳「それは伯父さんに聞いたよ、遁辞いいぬけで伯父さんにかこつけると云う事は知ってる」
やま「知って居るなれば何も仰しゃらんでもいじゃア有りませんか、わたくしも今は浪人しては居りますけれども、やはり以前は少々御扶持ごふちを頂きました者の娘でございます、あなた方の御酒のお相手を致すような芸者や旅稼ぎの娼妓じょうろとは違います、余りと申せば失礼を知らぬ馬鹿/\しいお方だ」


 

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