二十七
清「あとで小川様がだん/″\お調べに成ったところが、
流石名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の
女房お梅を連れて
逃げる時のことを知って
居るから、これを
生かして置いては露顕する
本というて、
斬って
逃げたに違いないと云うので、足を付けたが
今に知れぬと云いますわ」
又「それはまア
何うも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは
何時の事でございましたか」
清「えーとえーつい先々月
十九日の
暁方でありみしたか」
又「十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、
昨宵余り寒いからと云って、山へ鹿を打ちに
往きまして、よう/\
能い
塩梅に一疋の小鹿を打って、ふん
縛って鉄砲で
担いで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ/\哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、
四足でせえも、あゝ
遣って子を打たれゝば、うろ/\して
猟人の
傍までも山を下って探しに来るのに、人間の身の上で
唯た一人の忰を置いて
遁げると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……
昨宵婆と話をして居りましたが、まことに有難うございます、
亡なりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて
行こうと存じて、婆さんとも
然う申して居りました」
清「えゝ
私ゃもう
直に帰りましょう、まことに飛んだ事をお
耳に入れてお
気の毒に思いますが、
云わぬでも成りませんから
詮方なしにお知らせ申した訳で、
能くまア念仏ども唱えてお
遣りなされ、私ゃ帰りみすから」
又「じゃア帰りには
屹度お
寄なすって」
清「はい
屹度寄って御厄介に成りみすよ、
左様なれば」
婆「どうぞお帰りにお待ち申します」
清「
大けにお妨げを致しみした、
左様ならば」
又「お前さん山手の方へよってお
出なさいませんと、道が悪うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もいう通りにね、あの
寄生木の出た大木の方に附いてお出でなさいよ……あゝまア思い
掛なく清兵衞さんがお出でなすって、一晩お泊め申して
緩くり話を聞きたいが、お急ぎと見えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺されたのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん」
婆「あい」
又「奥に泊って居る客人は
己の
所へ
幾日に泊ったっけな」
婆「あれは先々月のちょうど、
二十日の晩に泊りました」
又「二十日……えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊りと
仰ゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと……婆さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか」
婆「何だか
惠梅様/\と云ったり、またお梅と呼びなさる事もあるよ」
又「はゝア何でも此の頃
頭髪を
剃った比丘
様に違いない、毛の生えるまで
足溜りに己の
家へ泊って居るのだ、
彼奴ら二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん」
婆「それア何とも云えないよ」
又「酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前」
又「
宜いからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、
一寸明けられねえ様に、しん
張をかってしまいな、酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前さん
無理酒を飲んではいけないよ、無理酒は身体に
中るから、忰が死んだからってもやけ酒はいけないよう」
又「もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい/\になって
打倒れて死んだって、何も此の世に思い置く事はない、然うじゃないか、お
前は己が死んだって、一生食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもう
何にも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ」
と燗鍋で酒を
温め、燗の出来るも待てないから、茶碗でぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、中々きかない
爺、欄間に掛った鉄砲を
下して
玉込をしましたから。
婆「爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちに
往くのかえ」
又「えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、
何処までも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアとかぱアとか云って逃げめえものでもねえ、
若し逃げに掛ったら、
手前は此の
細口から駈出して、落合の渡しへ知らせろ、
此方は山手だから逃げる
気遣いはない、えゝ心配するな」
と
山刀を
帯して片手に鉄砲を
提げ、
忍足で来て破れ障子に手を掛けまして、
窃っと明けて永禪和尚とお梅の居ります所の部屋へ参って、これから
掛合に成りますところ、一寸一息つきまして。
二十八
又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気の
爺で、鉄砲の
筒口を押し握ってそっと破れ障子を開けると、
此方はこそ/\
荷拵えを致して居る
処へ這入って来ましたから、
覚られまいと荷を脇へ片付けながら、
永「誰じゃ」
又「へい
爺でございます」
永「おや是は/\、さア
此方へお這入りなさい、
未だ寝ずかいのう」
又「まだ
貴方がたもお
寝みでございませんか」
永「寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居ました」
又「へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、貴方がたのお国は、
何処でございますかな」
永「うーん
何じゃ、
私は
大聖寺の者じゃ」
又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな」
永「うゝんイヤ
私は大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか」
又「お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね」
永「何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、
何ういう事で
私を
然う云うか知らぬけれども、それは人違いだろう」
又「隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼
様は前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお
内儀で、お梅さんと云いましょうな」
永「何を詰らぬ事……飛んだ間違いでお前の事をあないな事を云う」
梅「まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませんが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上で
居る者を、荒物屋の
女房なんてまア何う云う
何かね……お前さん」
永「さア何ういう訳で
其様ことを、さア誰がそんな事を言ったえ」
又「隠しちゃアいけねえ、あなたは
一箇寺住職の身の上で、このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪魔になるというので、薪割で
打殺して縁の下へ隠した事が、
博奕の混雑から割れて、
居られねえのでお梅さんの手を引いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と
何処でお別れなすったい」
永「これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云って、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何ういう訳じゃ、眞達さんと云うのは
昨夜話に聞いたが、
私は知りアせぬが」
又「とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって種が
上って居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては足手まといだから、神通川の
上大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ」
永「何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事を言って何うもどゞ何ういう理窟で
其様な事を云うか……のう惠梅様」
梅「本当に何だって
其様事を云いますか、私どもの身に覚えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で」
又「何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠さずに云え、云わなければ
詮方がねえ、お前方二人をふん
縛って落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか」
と云われこの時は永禪和尚もこれは
隠悪が
顕れたわい、もう是れまでと思って
爺い
婆を切殺して逃げるより
外はないと、
道中差の
胴金を膝の元へ引寄せて半身構えに成って坐り、
居合で抜く了簡、
へ手をかけ身構える。爺も持って参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛けて、すわと云ったら打果そうと云うので
斯う身構えました。互いに竜虎の争いと云おうか、
呼吸の止るようにうーんと
睨合いました時は側に居るお梅はわな/\
慄えて少しも口を利くことも出来ません。永禪は
不図後に火縄の光るのを見て、
此奴飛道具を持って来たと思うからずーんと飛掛り、
抜打に胸のあたりへ切付けました。
二十九
又「やア斬りやアがったな」
と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運の
宜い奴、玉は肩を
反れてぷつりと
破壁を
打貫いて落る。又九郎は
汝れ斬りやアがったなと
空鉄砲を持って永禪和尚に打って掛るを
引っ
外して、
永「
猪口才な事をするな」
と肩先深く
斬下げました。腕は
冴えて居るし、
刃物は良し、又九郎横倒れに
斃れるのを見て
婆は逃出そうと
上総戸へ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、
栓張を取って、
掛金を外す間もございません、
処へ永禪は逃げられては溜らぬと思いましたから、土間へ
駈下りて、
後から一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を
踏掛ってとゞめを刺したが、お梅は畳の上へ
俯伏になって、声も出ませんでぶる/\
慄えて居りました。ところへ
見相変えて血だらけの胴金を
引提げて上って来ました。
永「あゝ
危い事じゃったな」
梅「はい」
永「
確かりせえ」
梅「確かりせえたって私は
窃と裏から逃げようと思ってる処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような心持になりましたよ」
永「毒喰わば皿まで
舐れだ、
止むを得ぬ、えゝ悪い事は出来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか」
梅「本当に怖い事ね」
永「
此処に泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけの手形が有るから
差支えはないが、今夜此処を逃げて仕舞うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は此処に寝よう」
梅「怖くって、寝られやアしません」
永「今夜は誰も尋ねて
来やアせんから」
梅「死骸は何うするの」
永「
宜わ」
と又九郎夫婦の死骸をごろ/\土間へ転がして、鉄砲を持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、
能く死骸を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、
図々しく残りの酒を飲んで永禪和尚は
鼾をかいて寝ましたが、実に剛胆な奴であります、
翌朝身支度をして何喰わぬ顔で、此処を出ましたが、出ると急ぎまして、
宜い
塩梅に広瀬の
渡を越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る気候に向って、
行く事も出来ませんから、人知れず
千島村という処へ参って、
水無瀬の神社の
片傍の
隠家に身を潜め、翌年雪も解け二月の
月末に越後地へ掛って来ます。
芦屋より
平湯駅に出で、
大峠を越し、
信州松本に出まして、
稲荷山より
野尻、
夫より越後の国
関川へ出て、
高田を横に見て、
岡田村から
水沢に出まして、
川口と云う処に幸い
無住の薬師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市が寺男になって居てお経を教えて居る。其の
中に尼はだん/\覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いは
稗などを持って来て呉れるから、貰う物を喰って
漸く此処に身を潜めて居る中に又市も
頭髪は生えて寺男の姿になり、
片方は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間居りますから、誰有って知る者はございません。
爰にお話は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、信州
水内郡白島村と申す処がございます。是は
飯山の在で
山家でございます。
大滝村という処に不動様がありまして、その
側に掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります
武士は、少し
羊羹色ではありますが黒の羽織を着て、大小を差して紺足袋に
中抜の草履を
穿き、煙草を呑んで居りますると、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄の
能い女で、誠におとなしやかの姿で、前を通って
頻[#「頻」は底本では「頻」]に不動様を拝みお百度を踏んで居ります。武士は余念もなく
彼の娘の姿を見て居りますが、お百度だから長うございます。自分も用があるのに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が往ったり来たりするのを見て、
頭を
彼方へふり
此方へふり、お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう
仕舞まで見て居りました。
武士「あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて居た
彼の女は、
何処の女だのう」
三十
婆「はいありゃア
何でござりやすよ、あの白島村の者でござりやすが、
能く間があると参詣にひえー
参りやすが、ありゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には
暴風雨があっても欠かさないでござりやしてな、ひやア」
武士「
宜い女だね」
婆「ひやア
此処らにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、ひやア」
武士「
何処の何者の娘かな」
婆「何だか知りやしねえが
武士の娘で有りやすが、浪人してひやア此の山家へ
引込んだ者じゃアはと評判ぶって居りやす、ひやア」
武士「はア左様かのう」
男「ちょっと/\旦那え」
と
後に腰を掛けて居りました
鯔背の男、木綿の
小弁慶の
単衣に
広袖の
半纏をはおって居る、年三十五六の色の浅黒い気の利いた男でございます。
武士「いやお前はナニとんと心付かぬで、何処にお
居でかな」
男「この
衝立の後に
有合物で一杯やって居ります、へー、碌な物は有りませんが、此の
家の婆さんは綺麗
好で芋を煮ても
牛蒡を煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だから喰い心がようございます」
武士「はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸
御出生の様子だね」
男「へい旦那も
江戸児のようなお言葉遣いでげすね」
武士「久しく
山国へ来て居て田舎者に成りました」
男「今の娘を
美い女だと
賞めておいでなすったが、あれは白島村の
何です元は
武士だと云いますが、
何ういう訳か伯父が有ると云うので、
姉弟で伯父の世話になって居ますが、弟は十六七でございますが、色の白い
好い男で、女の様でございます、それで姉弟で
遣ってるのだが
彼の位のは
沢山はありませんな」
武士「はゝあ、貴公は御存知かえ」
男「へい、私は白島村の
廣藏親分の厄介で、
傳次と申す元は魚屋でございますが、江戸を
喰詰めてこんな
処へ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で」
武士「はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で」
傳「へい朝晩顔を見合せますからね」
武士「あゝ左様かえ、貴公
些と遊びに来て下さらんかえ、私は
桑名川村だから」
傳「じゃア隣り村で造作アございません」
武士「拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持がしますよ」
傳「そうです、変な言葉の奴ばかりいますから
貴方のような方に逢うと気丈夫でげす、
閑で遊んで居りますから
何時でも参ります」
武士「何うだえ
拙者宅へ是を御縁としてな、
拙者は
柳田典藏と申す武骨者だが、何うやら
斯うやら村方の子供を相手にして暮して居ります」
傳「何で、
何方の
御藩でげす」
典「なに元は神田橋近辺に居た者だ、
櫻井監物の用人役をも勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にも
居られないで、斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬが、兎も角も一緒に、
直き近い細川を渡ると
直ぐだ」
傳「御一緒に参りましょう」
とずう/\しい奴で、ぴょこ/\付いて来ました。
典「さア、
此方へ這入りなさい……庄吉、今お客様をお連れ申したから」
庄「はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰りはあるまいと思って居りました……さア
此方へお客様お這入りなさい」
傳「へいこれは何うも、御免なさい……おや庄吉さんか」
庄「や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何うも」
傳「何うした思い掛けねえ」
庄「何時も変りも
無うて目出とうありますと」
傳「いやア何うも、
何とも
彼とも、お
前にも逢いたかったが、
彼れから
行端がねえので」
典「庄吉
手前は馴染か」
三十一
庄「いや馴染だって互いに打明けて
埓くちもない事をした身の上で……まア無事で
宜いな」
傳「
何時此方へ来たのだえ」
庄「何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと」
傳「いや
何うも
私もからきし
形はねえので、仕ようが無いから来たんだ」
庄「旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無けりゃア貸して
遣ろう、
己らが
持合せが有れば貸そうという中で有りますと」
傳「随分此の人の部屋で
燻った事もあるのでねえ」
典「左様かえ、兎も角も」
と是から
有合物で何かみつくろってと云って一杯始めると、傳次は改めて手を突き、
傳「
私ア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすって……大層机などが有りますね」
典「あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり
易学を学んだからな
売卜をやる、それに
又た少しは薬屋のような事も心得て
居るから医者の真似もするて」
傳「へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは大丈夫でげす、どうも結構なお
住居ですな」
典「田舎では
種々な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物ばかりと
極めてはいかぬて」
傳「妙でげすな」
典「さアお酌を致しましょう」
傳「へえ…有難う」
典「まずい物だが召上れ」
傳「頂戴致します……庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、何うも懐かしいなア、何うして来たかなア」
庄「本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前も
此処へ来たか」
傳「旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、
賭博をしておかしい事がありやした……今では
過去った事だが、あれは何うなったえ」
庄「何うたって何うにも
彼うにも
酷い目に
遭うたぜ、
私ア縁の下に隠れて、
然うしてお前様
死人とは知らぬから先に逃げた奴が隠れて居ると思うたから、
其奴の帯を
掴んでちま/\と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯を取って引かれるから、ずる/\と
引摺られて出ると、あの一件が出たので」
傳「旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が
死人と知らずに帯に
掴って出ると、
死人が出たので到頭ぼくが割れて縛られて
往きました」
庄「すると
彼れから其の響けで永禪和尚が
逃げたので、逃げる時、藤屋の
女房と眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途中で切殺して逃げたので、ところが眞達は
死人に口なしで罪を負うて仕舞い、
此方は小川様が情深い役人で、調べも
軽くなって出る事は出たが、
一旦人殺しと
賭博騒ぎが
出来たから、誰あって
一緒に飯い喰う者もないから、これは
迚も仕様がねえ、と
色々考え、
何処か
外へ
行こうと少しばかりの銭を貰うて流れ/\て此処へ来て、不思議な縁で、今は旦那の厄介になって
居るじゃ」
傳「旦那、……寺の坊主が前町の荒物屋の
女房と悪いことをしやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ
死人を隠して置いたのさ、ところで其の死人に
此奴が
掴まって出たと云う
可笑しい話だが、
彼の時おれは一生懸命本堂へ逃げ
上ったが、本堂の様子が分らねえから、木魚に
蹴躓いてがら/\音がしたので、驚いて跡から
追掛けるのかと思ったが、
然うじゃアないので、又逃げようとすると、がら/\/\と位牌が転がり落る騒ぎ、何うか
彼うか逃げましたが、いまだに経机の角で
向脛を打った
疵は暑さ寒さには痛くってならねえ」
庄「
怖かねえことであったのう」
傳「それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦労人の果だ」
典「時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の婦人は
主はないのか」
傳「えゝ主はない、たった
姉弟二人で弟は十六七で
美い男さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです」
典「親はないのか」
傳「ないので、伯父さんの厄介になって
機を織ったり糸を
繰ったり、
彼のくらい稼ぐ者は有りませんが、
柔しくって人柄が
宜い、いやに
生っ
世辞を云うのではないから、あれが
宜うございます」
典「
拙者も当地へ来て何うやら斯うやら
彼うやって、
家を持って、
聊か田畑を持つ様になって村方でも何うか
居り着いて呉れと云うのだが、永住致すには
妻がなけりア成らぬが、貴公今の婦人に
手蔓が有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が
媒介人にでも、橋渡しにでもなって、
貰受けて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を
遣ってしまってはいかぬけれども、貴公も
左様して遊んで居るより村外れで荒物
店でも出して、一軒の
主になって
女房子でも持つようになれば、親類
交際に末永く
往き通いも出来るから」
傳「有難うがす、
私も斯う
遣ってぐずついて居ても仕様がねえから
女房も
置去にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、
音信もしませんので、向うでも諦らめて、今では団子を
拵えて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくっても
宜い、
併し苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、
私が話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう」
典「早いが
宜いが」
傳「えゝなに
直に
往きましょう」
と止せば
宜いに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の
端緒、この娘お
山は
前申上げた白島山平の娘で、弟は
山之助と申して、親山平は十六年
前から行方知れずになり、母は
亡くなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから
姉妹が大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。
三十二
おやま山之助の
姉弟は、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の
往きません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父
多右衞門が引取り、伯父の
手許で十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳
弟は十七で、
小造な
華者[#「華者」はママ]な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い気象で、姉弟してひょっとお
父様がお帰りの有った時は、
伺わずに元服しては済まないと云うので二十二で、大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が力に
思合いまして、山之助は馬を引き
或は人の牛を
牽きまして、山歩きをして
麁朶を積んで帰る。姉は織物をしたり糸を
繰ったりして
隙はございませんが、少し
閑が有れば大滝村の不動様へ
親父の
生死行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋の傳次がひょこ/\お辞儀をして。
傳「へい御免なさい」
山之助「はいお出でなさい」
傳「今日は結構なお天気で」
山「はい、
何方様で」
傳「へい
私も久しく
此地に居りますからお顔は知って居ります、私は廣藏親分の
処に居る傳次と云う魚屋でございますが親分の
厄介者で」
山「へえそうでございますか」
傳「どうも感心でげすね、
姉様を大事になすって、お中が
宜って実に姉弟で
斯う睦ましく
行く
家はねえてえ村中の評判でございますよ、へえ御免なさいよ」
やま「さアお掛けなさい、何か御用でございますか」
傳「へえ
姉様まアね
藪から棒に
斯んな事を申しては極りが悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞きに来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっしゃいますね」
やま「はい」
傳「今日お百度を踏んで帰んなさる時、
葮簀張の居酒屋でそれ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、
彼処にね腰を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い
月代の生えた人柄の
宜い旦那をごらんなすったか」
やま「はい
私は何だか急ぎましたから、
薩張存じません」
傳「
彼の方は元お
使番を勤めた櫻井監物の家来で、柳田典藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て
手習の師匠で医者をしてそれで
売卜をする
三点張で、立派な
家に這入って居て、これから
追々田地でも買おうと云うのだが、一人の
身上では不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘では
否だが、聞けば何か
此方の
姉さんは元
武士のお嬢さんで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼の姉さんを嫁に
貰えてえが傳次お前は同じ村に居るなら相談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば
弟御様は一緒に引取り、
先方で世話をしようと云う、お前さんも
弟様も
仕合せで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思って
私は相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだが
何うでげしょう」
やま「まことに御親切は有難うございますが、
私の身の上は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何うでも
宜いので」
傳「へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえ
然うで、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢います、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左様なら」
と
直に伯父の処へ
行きまして。
傳「へえ御免なさい」
多「はい
何方から、さア
此方へ」
傳「へえ
私は廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者で」
多「左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言葉も
交しませんで、何分不調法者で、此の
後ともお心安く願います」
傳「へえ
私も何分お心易く願います、
就いてはね、今
姉さんの処へ往ったのでげすが……あなたには
姪御さんでありますね」
多「へえ、おやまに」
傳「へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ得心になれば
宜いと云う嫁の口が出来たので、誠に
良い口で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な
武士だが、運が悪いとは云いながら
此方へ来て田地や何かも余程有り、また是から段々
殖そうという
売卜に
手習の師匠に医者の三点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、
彼処へお
遣りなすっては何うで、
弟御ぐるみ引取ると云うので、随分お為になる処でございますが」
多「おやまが
貴方に御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬと言いましたか」
傳「えゝ言いました」
多「何うも自分ではお断りが
仕憎いから、大概の事は
私の処へ行って相談して呉れと、まず
言抜に云いますよ、
彼れはなアとてもな無駄でございます」
傳「へえ何う云う訳で」
三十三
多「いえ十六年
前に
親父が行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が
存生で帰った時は、親父に一言の話もしないで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、
姉弟で、あゝ
遣って、元服もせずに居りますくらいでござりやすから、
何処から
何と云っても駄目でござりやす、聟でも取って遣りたいが中々
左様言ったって聴きアしませんから」
傳「それじゃアお
父さんが帰らねえでは相談は出来ませんか」
多「へえ親父が帰れば
直に相談が出来ますが、帰らぬうちは駄目でござりやして、ひやア」
傳「弱りましたね、左様なら」
と
呆然帰って来て。
傳「へえ往って来ました」
典「いやもう待って居ました」
傳「へえ」
典「
何うもね、お前は弁舌が
宜し、何かの調子が
宜いから先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつもりで目録包にして
此処に有るので」
傳「へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけません、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは」
典「何ういう訳で」
傳「何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が十六年あとに行方知れずに成ったから、親父の
帰らぬうちは嫁にも
行かぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かねえうちにしては済まぬてえ
彼れは変り
者でげす、いけませんよ、へえ」
典「いかぬと云うのか」
傳「えー
往かねえと云うのでげす」
典「左様か仕様がない、それは仕方がない、それは
先方で
厭なんでげしょうが、
然う云わなければ断り様がないからだ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十年も四十年も帰らぬ時は何うする、
白髪になって島田で居る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う云うのだ、宜しい/\、宜しいけれども実は事を極めて来たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、仕方がない、是までの事だ」
傳「から何うも仕様がねえ変り
者でげすな、お
前さんの云う通り
白髪の島田はないからねえ、何うも仕様がないね何うも」
典「貴公
私の名前を
先方へ言いますまいねえ」
傳「
私は
左様言いましたよ、柳田典藏
様と云う
手習の師匠で、易を
立て
斯うとすっかり
列べ立ったので」
典「それは困りますね、姓名を
打明して呉れては恥入るじゃアないか」
傳「だって
余程受けが宜かろうと思って列べたので」
典「それはいかぬ、
先先方で縁談が
調うか
否かを聞いて
詳くは
[#「詳くは」は底本では「詳くは」]云わんで、
然るべき為になる
家ぐらいの事を云って、お前
行くか、はい参りますとぼんやりでも云ったら、そく/\姓名を打明けて云っても
宜いが、極らぬうちから姓名を打明けては困りますな、何うも
最う少し何か事柄の
解るお方かと思ったら存外考えがなかった、宜しい/\、実は荒物屋の店でも貴公に出させようと思って、二三十金は
資本を入れる了簡で、
媒介親と頼まんければ成らぬと思いまして……最う少し万事に届く方と思ったが、
冒頭に姓名を明かされては困りますねえ、実に恥入る」
傳「然う怒ったっていけません、旦那、旦那怒っちゃいけません、斯う仕ようじゃアございませんか、
種々私も
路々考えたが私の云う事を聴いて然うお
前さん云ってしまってはいけねえ、あれさ、そんな事をぷん/\怒ったっていけません、何でも気を長くしなければ成らねえ、あの娘は不動様へ又お参りに来ましょう、そこでまだ貴方を見ねえのだから
先刻私が話を聴いて見ると、斯ういう
墨の羽織を着て、
斯々の方を御覧かと云ったら急いだから存じませんと云うから、あの娘に貴方を見せたいや、貴方ね、二十二まで
独身で居るのだから、
十九や
二十で
色盛男欲しやで居るけれども、貴方をすうっとして
美男と知らず、
矢張村の百姓と思って居るから厭だと云うかも知れねえから、お前さんの色白で黒の羽織を着てね、それが見せたい、まだ当人に逢わないからで、娘が逢いさえすれば
直だからお逢いなさい」
典「逢うたって、それ程厭てえものを逢う訳にはいきません」
傳「それは工夫で、お前さんと二人で例の茶見世へ行って、旨くもねえ、碌なものはねえが、
美い酒を持って行って一ぱい
遣って、
衝立の内に居るのだね、それで娘がお百度を踏んで
帰る所を
引張込んで、お前さんが
乙う世辞を云って一杯飲んでお呉れと盃をさして、調子の
好い事を云うと、娘はあゝ程の
宜い人だ、あゝ云う方なら嫁に
行きたいとずうと斯う胸に
浮んだ時に、手を取って斯う酔った紛れに□ってしまうが宜い、こいつは宜い、これは早い、それで伯父さんに掛合うからいけないが、当人に貴方を見せてえ、これが
私は
屹度往こうと思っている」
典「だけれども何かどうも赤面の至りだな、
無暗に婦人を引張込んで宜しいかねえ」
三十四
傳「宜しいたって、お前さんの様な人は
近村に有りゃアしません、だからお前さんを見せたい、ちょっと
斯う大めかしに着物も着替え、髪も綺麗にしてね」
典「
何うも
何だか、宜しいかねえ、旨く
往くかねえ」
傳「宜しいてえ是は訳はねえ、
明日遣りましょう」
と悪い奴も有るもので、柳田典藏も
己惚が強いから、
典「じゃア
往きましょう」
と
翌日は
彼の大滝村へ怪しい黒の羽織を
引掛けて、
葮簀張の茶屋へ来て
酒肴を並べ、
衝立の蔭で傳次が様子を
窺って居ると、おやまが参って
頻りにお百度を踏み、取急いで帰ろうとすると飛出して、
傳「
姉さん」
やま「はい」
傳「此の間は」
やま「はい此の間は誠に」
傳
[#「傳」は底本では「ぱ」]「
此間話したね柳田の旦那が
彼処で一杯飲んで居るが、
一寸お前さんに逢いたいと云って」
やま「有難うございますが、
私は急ぎますから」
傳「お急ぎでしょうが、そんな事を云っちゃアいけねえ、
此間ね、旦那にお
頼の事はいけねえと云うと、
手前は
行きもしねえで嘘だと云って疑ぐられて居て詰らねえから、お前さん厭でも一寸
上って、傳次さん此間はお
草々でしたと云えば
宜い、
然うすれば
私が行ったてえのが通じるのだから、
彼処へ往って一寸私に挨拶するだけ」
やま「いけませんよ」
傳「いけねえてえ
私が困るから、
野暮なことを云わずにお出でなさい」
と無理に
引摺り込んだから仕方なしにひょろ/\
蹌けながら
上り
口へ手を突くと、
臀を持って押しますから、厭々上って来ると、柳田典藏は嬉しいが満ちてはっと赤くなり、お世辞を云うも間が悪かったか
反身になって、無闇に扇で額を叩き、口も利かずに扇を振り廻したりして、きょと/\して変な
塩梅で有りますから、
傳「旦那、旦那お連れ申しました、
此方へ/\、ぐず/\して居てはいけねえ、
姉さんに御挨拶をさ」
典「これは何うも誠に、何か、御信心参りにお出での
処を斯様なる処へお呼立て申して甚だ御迷惑の次第で有ろうと申した処が、何か、御迷惑でも御酒を
飲らぬなれば御膳でも上げたいと思って、一寸これへ、何うも恐入ります、一寸只御酒はいけますまいから、じゃア御膳を」
と云うのを傳次は聞いて、
傳「いけねえね、そんな事ばかり云って困るな、めかして居て……一寸姉さんお盃を、お酌を致しますから」
やま「何をなさる、お前さん方は何をなさるのでございますえ、
私の様な馬鹿でございますけれども、あなた方は何もお
近眤になった事もない方が
無理遣にこんな処へ手を持って、厭がる者を引張込んで、人の用の妨げをして、酒を飲めなんて、
私は酒のお相手をする様な宿屋や料理茶屋の女とは違います、余り人を馬鹿にした事をなさいますな」
傳「旦那、腹を立っちゃアいけねえ……姉さん
然う云っちゃアから何うも仕様がねえ、それは然うだがね姉さん人の云う事をお聞きなさいよ、この旦那は早く言えばお前さんに惚れたんだ……旦那、黙って
其方においでなせえ、お前さん口を出しちゃアいけねえ、黙って頭を叩いておいでなさい…姉さん、人の云う事をお聞きよ、
此間伯父さんへ掛合ったのだ、
宜いかえ、処がそれはお
父さんが居ねえので元服もせずに待って居ると云うお話だから、その事を柳田さんに話すと、それは
御尤だてんで、今日も柳田さんがお前さんを呼んでくれと云ったのではない、全く
私の了簡で、旦那は誠に感心な娘だと云うので、どうも十六年も
音信をしない
親父を待って、それ程までに元服もせずに居るとは、実に孝行な事だから嫁が厭なら宜しいが、実にその
志操に傳次や
尚惚るじゃアねえかと
斯ういう旦那の心持で、誠に
尤だからそう云う事ならせめて盃の一つも
献酬して、
眤近に成りたいと云うので、決して引張込んで何う斯うすると云う訳じゃアないが、お前さんが得心して嫁になれば弟も引取って世話をすると云う、実に仕合せだから、うんと云ったら
宜いじゃアないか」
やま「何をうんと云うのでございますえ、
私の身の上は伯父に」
傳「それは伯父さんに聞いたよ、
遁辞で伯父さんに
托けると云う事は知ってる」
やま「知って居るなれば何も仰しゃらんでも
宜いじゃア有りませんか、
私も今は浪人しては居りますけれども、やはり以前は少々
御扶持を頂きました者の娘でございます、あなた方の御酒のお相手を致すような芸者や旅稼ぎの
娼妓とは違います、余りと申せば失礼を知らぬ馬鹿/\しいお方だ」