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敵討札所の霊験(かたきうちふだしょのれいげん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-12 9:22:13  点击:  切换到繁體中文


        二十七

清「あとで小川様がだん/″\お調べに成ったところが、流石(さすが)名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の女房(じゃアまア)お梅を連れて逃(の)げる時のことを知って居(い)るから、これを生(え)かして置いては露顕する本(もと)というて、斬(け)って逃(の)げたに違いないと云うので、足を付けたが今(えま)に知れぬと云いますわ」
又「それはまア何(ど)うも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは何時(いつ)の事でございましたか」
清「えーとえーつい先々月十九日(じょうくにち)の暁方(あけがた)でありみしたか」
又「十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、昨宵(ゆんべ)余(あんま)り寒いからと云って、山へ鹿を打ちに往(ゆ)きまして、よう/\能(よ)い塩梅(あんばい)に一疋の小鹿を打って、ふん縛(じば)って鉄砲で担(かつ)いで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ/\哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、四足(よしあし)でせえも、あゝ遣(や)って子を打たれゝば、うろ/\して猟人(りょうし)の傍(そば)までも山を下って探しに来るのに、人間の身の上で唯(たっ)た一人の忰を置いて遁(に)げると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……昨宵(ゆんべ)婆(ばゞあ)と話をして居りましたが、まことに有難うございます、亡(なく)なりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて行(ゆ)こうと存じて、婆さんとも然(そ)う申して居りました」
清「えゝ私(わし)ゃもう直(そご)に帰りましょう、まことに飛んだ事をお耳(めゝ)に入れてお気(け)の毒に思いますが、云(え)わぬでも成りませんから詮方(しょうこと)なしにお知らせ申した訳で、能(よ)くまア念仏ども唱えてお遣(や)りなされ、私ゃ帰りみすから」
又「じゃア帰りには屹度(きっと)お寄(より)なすって」
清「はい屹度(けっと)寄って御厄介に成りみすよ、左様(さよ)なれば」
婆「どうぞお帰りにお待ち申します」
清「大(おお)けにお妨げを致しみした、左様(さよ)ならば」
又「お前さん山手の方へよってお出(いで)なさいませんと、道が悪うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もいう通りにね、あの寄生木(やどり)の出た大木の方に附いてお出でなさいよ……あゝまア思い掛(がけ)なく清兵衞さんがお出でなすって、一晩お泊め申して緩(ゆっ)くり話を聞きたいが、お急ぎと見えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺されたのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん」
婆「あい」
又「奥に泊って居る客人は己(おれ)の所(とこ)へ幾日(いっか)に泊ったっけな」
婆「あれは先々月のちょうど、二十日(はつか)の晩に泊りました」
又「二十日……えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊りと仰(おっし)ゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと……婆さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか」
婆「何だか惠梅(えばい)様/\と云ったり、またお梅と呼びなさる事もあるよ」
又「はゝア何でも此の頃頭髪(あたま)を剃(す)った比丘様(さん)に違いない、毛の生えるまで足溜(あしだま)りに己の家(うち)へ泊って居るのだ、彼奴(あいつ)ら二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん」
婆「それア何とも云えないよ」
又「酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前」
又「宜(い)いからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、一寸(ちょっと)明けられねえ様に、しん張(ばり)をかってしまいな、酒をつけろ」
婆「酒をつけろたってお前さん無理酒(むりざけ)を飲んではいけないよ、無理酒は身体に中(あた)るから、忰が死んだからってもやけ酒はいけないよう」
又「もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい/\になって打倒(ぶったお)れて死んだって、何も此の世に思い置く事はない、然うじゃないか、お前(めえ)は己が死んだって、一生食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもう何(な)にも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ」
 と燗鍋で酒を温(あたた)め、燗の出来るも待てないから、茶碗でぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、中々きかない爺(じゞい)、欄間に掛った鉄砲を下(おろ)して玉込(たまごめ)をしましたから。
婆「爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちに往(ゆ)くのかえ」
又「えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、何処(どこ)までも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアとかぱアとか云って逃げめえものでもねえ、若(も)し逃げに掛ったら、手前(てめえ)は此の細口(ほそくち)から駈出して、落合の渡しへ知らせろ、此方(こっち)は山手だから逃げる気遣(きづか)いはない、えゝ心配するな」
 と山刀(やまがたな)を帯(さ)して片手に鉄砲を提(さ)げ、忍足(しのびあし)で来て破れ障子に手を掛けまして、窃(そう)っと明けて永禪和尚とお梅の居ります所の部屋へ参って、これから掛合(かけあい)に成りますところ、一寸一息つきまして。

        二十八

 又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気の爺(おやじ)で、鉄砲の筒口(すぐち)を押し握ってそっと破れ障子を開けると、此方(こちら)はこそ/\荷拵(にごしら)えを致して居る処(ところ)へ這入って来ましたから、覚(さと)られまいと荷を脇へ片付けながら、
永「誰じゃ」
又「へい爺(じゞい)でございます」
永「おや是は/\、さア此方(こちら)へお這入りなさい、未(ま)だ寝ずかいのう」
又「まだ貴方(あなた)がたもお寝(やす)みでございませんか」
永「寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居ました」
又「へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、貴方がたのお国は、何処(どちら)でございますかな」
永「うーん何(なん)じゃ、私(わし)は大聖寺(だいしょうじ)の者じゃ」
又「大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がたは越中の高岡のお方でございましょうがな」
永「うゝんイヤ私(わし)は大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか」
又「お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね」
永「何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、何(ど)ういう事で私(わし)を然(そ)う云うか知らぬけれども、それは人違いだろう」
又「隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼様(さん)は前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお内儀(かみさん)で、お梅さんと云いましょうな」
永「何を詰らぬ事……飛んだ間違いでお前の事をあないな事を云う」
梅「まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませんが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上で居(い)る者を、荒物屋の女房(にょうぼ)なんてまア何う云う何(なん)かね……お前さん」
永「さア何ういう訳で其様(そないな)ことを、さア誰がそんな事を言ったえ」
又「隠しちゃアいけねえ、あなたは一箇寺(いっかじ)住職の身の上で、このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪魔になるというので、薪割で打殺(ぶちころ)して縁の下へ隠した事が、博奕(ばくち)の混雑から割れて、居(い)られねえのでお梅さんの手を引いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と何処(どこ)でお別れなすったい」
永「これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云って、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何ういう訳じゃ、眞達さんと云うのは昨夜(ゆうべ)話に聞いたが、私(わし)は知りアせぬが」
又「とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって種が上(あが)って居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては足手まといだから、神通川の上(かみ)大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ」
永「何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事を言って何うもどゞ何ういう理窟で其様(そん)な事を云うか……のう惠梅様」
梅「本当に何だって其様(そんな)事を云いますか、私どもの身に覚えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で」
又「何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠さずに云え、云わなければ詮方(しかた)がねえ、お前方二人をふん縛(じば)って落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか」
 と云われこの時は永禪和尚もこれは隠悪(ぼく)が顕(わ)れたわい、もう是れまでと思って爺(じゞ)い婆(ばゞあ)を切殺して逃げるより外(ほか)はないと、道中差(どうちゅうざし)の胴金(どうがね)を膝の元へ引寄せて半身構えに成って坐り、居合(いあい)で抜く了簡、※(「てへん+丙」、第4水準2-13-2)(つか)へ手をかけ身構える。爺も持って参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛けて、すわと云ったら打果そうと云うので斯(こ)う身構えました。互いに竜虎の争いと云おうか、呼吸(いき)の止るようにうーんと睨合(にらみあ)いました時は側に居るお梅はわな/\慄(ふる)えて少しも口を利くことも出来ません。永禪は不図(ふと)後(うしろ)に火縄の光るのを見て、此奴(こいつ)飛道具(とびどうぐ)を持って来たと思うからずーんと飛掛り、抜打(ぬきうち)に胸のあたりへ切付けました。

        二十九

又「やア斬りやアがったな」
 と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運の宜(い)い奴、玉は肩を反(そ)れてぷつりと破壁(やぶれかべ)を打貫(うちぬ)いて落る。又九郎は汝(おの)れ斬りやアがったなと空鉄砲(からでっぽう)を持って永禪和尚に打って掛るを引(ひ)っ外(ぱず)して、
永「猪口才(ちょこざい)な事をするな」
 と肩先深く斬下(きりさ)げました。腕は冴(さ)えて居るし、刃物(きれもの)は良し、又九郎横倒れに斃(たお)れるのを見て婆(ばゞあ)は逃出そうと上総戸(かずさど)へ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、栓張(しんばり)を取って、掛金(かけがね)を外す間もございません、処(ところ)へ永禪は逃げられては溜らぬと思いましたから、土間へ駈下(かけお)りて、後(うしろ)から一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を踏掛(ふみかゝ)ってとゞめを刺したが、お梅は畳の上へ俯伏(うつぶし)になって、声も出ませんでぶる/\慄(ふる)えて居りました。ところへ見相(けんそう)変えて血だらけの胴金を引提(ひっさ)げて上って来ました。
永「あゝ危(あやう)い事じゃったな」
梅「はい」
永「確(しっ)かりせえ」
梅「確かりせえたって私は窃(そっ)と裏から逃げようと思ってる処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような心持になりましたよ」
永「毒喰わば皿まで舐(ねぶ)れだ、止(や)むを得ぬ、えゝ悪い事は出来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか」
梅「本当に怖い事ね」
永「此処(こゝ)に泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけの手形が有るから差支(さしつか)えはないが、今夜此処を逃げて仕舞うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は此処に寝よう」
梅「怖くって、寝られやアしません」
永「今夜は誰も尋ねて来(き)やアせんから」
梅「死骸は何うするの」
永「宜(えゝ)わ」
 と又九郎夫婦の死骸をごろ/\土間へ転がして、鉄砲を持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、能(よ)く死骸を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、図々(ずう/\)しく残りの酒を飲んで永禪和尚は鼾(いびき)をかいて寝ましたが、実に剛胆な奴であります、翌朝(よくちょう)身支度をして何喰わぬ顔で、此処を出ましたが、出ると急ぎまして、宜(よ)い塩梅(あんばい)に広瀬の渡(わたし)を越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る気候に向って、行(ゆ)く事も出来ませんから、人知れず千島村(ちしまむら)という処へ参って、水無瀬(みなせ)の神社の片傍(かたほとり)の隠家(かくれが)に身を潜め、翌年雪も解け二月の月末(つきずえ)に越後地へ掛って来ます。芦屋(あしや)より平湯駅(ひらゆえき)に出で、大峠(おおとうげ)を越し、信州松本(しんしゅうまつもと)に出まして、稲荷山(いなりやま)より野尻(のじり)、夫(それ)より越後の国関川(せきがわ)へ出て、高田(たかた)を横に見て、岡田村(おかだむら)から水沢(みずさわ)に出まして、川口(かわぐち)と云う処に幸い無住(むじゅう)の薬師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市が寺男になって居てお経を教えて居る。其の中(うち)に尼はだん/\覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いは稗(ひえ)などを持って来て呉れるから、貰う物を喰って漸(ようや)く此処に身を潜めて居る中に又市も頭髪(かみ)は生えて寺男の姿になり、片方(かた/\)は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間居りますから、誰有って知る者はございません。爰(こゝ)にお話は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、信州水内郡(みのちごおり)白島村(しろしまむら)と申す処がございます。是は飯山(いいやま)の在で山家(やまが)でございます。大滝村(おおたきむら)という処に不動様がありまして、その側(わき)に掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります武士(さむらい)は、少し羊羹色(ようかんいろ)ではありますが黒の羽織を着て、大小を差して紺足袋に中抜(なかぬき)の草履を穿(は)き、煙草を呑んで居りますると、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄の能(よ)い女で、誠におとなしやかの姿で、前を通って頻(しきり)[#「頻(しきり)」は底本では「頻(しき)」]に不動様を拝みお百度を踏んで居ります。武士は余念もなく彼(か)の娘の姿を見て居りますが、お百度だから長うございます。自分も用があるのに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が往ったり来たりするのを見て、頭(くび)を彼方(あっち)へふり此方(こっち)へふり、お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう仕舞(しまい)まで見て居りました。
武士「あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて居た彼(あ)の女は、何処(どこ)の女だのう」

        三十

婆「はいありゃア何(なん)でござりやすよ、あの白島村の者でござりやすが、能(よ)く間があると参詣にひえー参(めえ)りやすが、ありゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には暴風雨(あらし)があっても欠かさないでござりやしてな、ひやア」
武士「宜(い)い女だね」
婆「ひやア此処(こけい)らにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、ひやア」
武士「何処(どこ)の何者の娘かな」
婆「何だか知りやしねえが武士(さむらい)の娘で有りやすが、浪人してひやア此の山家へ引込(ひっこ)んだ者じゃアはと評判ぶって居りやす、ひやア」
武士「はア左様かのう」
男「ちょっと/\旦那え」
 と後(うしろ)に腰を掛けて居りました鯔背(いなせ)の男、木綿の小弁慶(こべんけい)の単衣(ひとえもの)に広袖(ひろそで)の半纏(はんてん)をはおって居る、年三十五六の色の浅黒い気の利いた男でございます。
武士「いやお前はナニとんと心付かぬで、何処にお居(い)でかな」
男「この衝立(ついたて)の後に有合物(ありあいもの)で一杯やって居ります、へー、碌な物は有りませんが、此の家(うち)の婆さんは綺麗好(ずき)で芋を煮ても牛蒡(ごぼう)を煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だから喰い心がようございます」
武士「はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸御出生(ごしゅっしょう)の様子だね」
男「へい旦那も江戸児(えどっこ)のようなお言葉遣いでげすね」
武士「久しく山国(やまぐに)へ来て居て田舎者に成りました」
男「今の娘を美(い)い女だと賞(ほ)めておいでなすったが、あれは白島村の何(なん)です元は武士(さむらい)だと云いますが、何(ど)ういう訳か伯父が有ると云うので、姉弟(きょうだい)で伯父の世話になって居ますが、弟は十六七でございますが、色の白い好(い)い男で、女の様でございます、それで姉弟で遣(や)ってるのだが彼(あ)の位のは沢山(たんと)はありませんな」
武士「はゝあ、貴公は御存知かえ」
男「へい、私は白島村の廣藏(ひろぞう)親分の厄介で、傳次(でんじ)と申す元は魚屋でございますが、江戸を喰詰(くいつ)めてこんな処(ところ)へ這入って、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で」
武士「はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で」
傳「へい朝晩顔を見合せますからね」
武士「あゝ左様かえ、貴公些(ちっ)と遊びに来て下さらんかえ、私は桑名川村(くわながわむら)だから」
傳「じゃア隣り村で造作アございません」
武士「拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持がしますよ」
傳「そうです、変な言葉の奴ばかりいますから貴方(あなた)のような方に逢うと気丈夫でげす、閑(ひま)で遊んで居りますから何時(いつ)でも参ります」
武士「何うだえ拙者宅(てまえたく)へ是を御縁としてな、拙者(てまえ)は柳田典藏(やなぎだてんぞう)と申す武骨者だが、何うやら斯(こ)うやら村方の子供を相手にして暮して居ります」
傳「何で、何方(どちら)の御藩(ごはん)でげす」
典「なに元は神田橋近辺に居た者だ、櫻井監物(さくらいけんもつ)の用人役をも勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にも居(お)られないで、斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬが、兎も角も一緒に、直(じ)き近い細川を渡ると直(す)ぐだ」
傳「御一緒に参りましょう」
 とずう/\しい奴で、ぴょこ/\付いて来ました。
典「さア、此方(こっち)へ這入りなさい……庄吉、今お客様をお連れ申したから」
庄「はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰りはあるまいと思って居りました……さア此方(こちら)へお客様お這入りなさい」
傳「へいこれは何うも、御免なさい……おや庄吉さんか」
庄「や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何うも」
傳「何うした思い掛けねえ」
庄「何時も変りも無(の)うて目出とうありますと」
傳「いやア何うも、何(なん)とも彼(かん)とも、お前(めえ)にも逢いたかったが、彼(あ)れから行端(ゆきは)がねえので」
典「庄吉手前(てめえ)は馴染か」

        三十一

庄「いや馴染だって互いに打明けて埓(らち)くちもない事をした身の上で……まア無事で宜(い)いな」
傳「何時(いつ)此方(こっち)へ来たのだえ」
庄「何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと」
傳「いや何(ど)うも私(わっち)もからきし形(かた)はねえので、仕ようが無いから来たんだ」
庄「旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無けりゃア貸して遣(や)ろう、己(お)らが持合(もちあわ)せが有れば貸そうという中で有りますと」
傳「随分此の人の部屋で燻(くずぶ)った事もあるのでねえ」
典「左様かえ、兎も角も」
 と是から有合物(ありあいもの)で何かみつくろってと云って一杯始めると、傳次は改めて手を突き、
傳「私(わっち)ア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすって……大層机などが有りますね」
典「あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり易学(えきがく)を学んだからな売卜(うらない)をやる、それに又(ま)た少しは薬屋のような事も心得て居(お)るから医者の真似もするて」
傳「へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは大丈夫でげす、どうも結構なお住居(すまい)ですな」
典「田舎では種々(いろ/\)な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物ばかりと極(き)めてはいかぬて」
傳「妙でげすな」
典「さアお酌を致しましょう」
傳「へえ…有難う」
典「まずい物だが召上れ」
傳「頂戴致します……庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、何うも懐かしいなア、何うして来たかなア」
庄「本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前も此処(こゝ)へ来たか」
傳「旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、賭博(ばくち)をしておかしい事がありやした……今では過去(すぎさ)った事だが、あれは何うなったえ」
庄「何うたって何うにも彼(こ)うにも酷(ひど)い目に遭(お)うたぜ、私(わし)ア縁の下に隠れて、然(そ)うしてお前様死人(しびと)とは知らぬから先に逃げた奴が隠れて居ると思うたから、其奴(そいつ)の帯を掴(つか)んでちま/\と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯を取って引かれるから、ずる/\と引摺(ひきず)られて出ると、あの一件が出たので」
傳「旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が死人(しびと)と知らずに帯に掴(つかま)って出ると、死人(しにん)が出たので到頭ぼくが割れて縛られて往(い)きました」
庄「すると彼(あ)れから其の響けで永禪和尚が逃(の)げたので、逃げる時、藤屋の女房(じゃアまア)と眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途中で切殺して逃げたので、ところが眞達は死人(しにん)に口なしで罪を負うて仕舞い、此方(こちら)は小川様が情深い役人で、調べも軽(かろ)くなって出る事は出たが、一旦(えったん)人殺しと賭博(とばく)騒ぎが出来(でけ)たから、誰あって一緒(えっしょ)に飯い喰う者もないから、これは迚(とて)も仕様がねえ、と色々(えろ/\)考え、何処(どこ)か外(ほか)へ行(い)こうと少しばかりの銭を貰うて流れ/\て此処へ来て、不思議な縁で、今は旦那の厄介になって居(い)るじゃ」
傳「旦那、……寺の坊主が前町の荒物屋の女房(にょうぼう)と悪いことをしやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ死人(しびと)を隠して置いたのさ、ところで其の死人に此奴(こいつ)が掴(つか)まって出たと云う可笑(おか)しい話だが、彼(あ)の時おれは一生懸命本堂へ逃げ上(あが)ったが、本堂の様子が分らねえから、木魚に蹴躓(けつまず)いてがら/\音がしたので、驚いて跡から追掛(おっか)けるのかと思ったが、然(そ)うじゃアないので、又逃げようとすると、がら/\/\と位牌が転がり落る騒ぎ、何うか彼(こ)うか逃げましたが、いまだに経机の角で向脛(むこうずね)を打った疵(きず)は暑さ寒さには痛くってならねえ」
庄「怖(おっ)かねえことであったのう」
傳「それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦労人の果だ」
典「時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の婦人は主(ぬし)はないのか」
傳「えゝ主はない、たった姉弟(きょうだい)二人で弟は十六七で美(い)い男さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです」
典「親はないのか」
傳「ないので、伯父さんの厄介になって機(はた)を織ったり糸を繰(と)ったり、彼(あ)のくらい稼ぐ者は有りませんが、柔(やさ)しくって人柄が宜(い)い、いやに生(なま)っ世辞(せじ)を云うのではないから、あれが宜(よ)うございます」
典「拙者(てまえ)も当地へ来て何うやら斯うやら彼(こ)うやって、家(うち)を持って、聊(いさゝ)か田畑を持つ様になって村方でも何うか居(お)り着いて呉れと云うのだが、永住致すには妻(さい)がなけりア成らぬが、貴公今の婦人に手蔓(てづる)が有るなれば話をして、拙者の処の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が媒介人(なこうど)にでも、橋渡しにでもなって、貰受(もらいう)けて呉れゝば多分にお礼は出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を遣(つか)ってしまってはいかぬけれども、貴公も左様(そう)して遊んで居るより村外れで荒物店(みせ)でも出して、一軒の主(あるじ)になって女房子(にょうぼこ)でも持つようになれば、親類交際(づきあい)に末永く往(ゆ)き通いも出来るから」
傳「有難うがす、私(わっち)も斯う遣(や)ってぐずついて居ても仕様がねえから女房(にょうぼう)も置去(おきざり)にしましたが、これは下谷の上野町に居りますが、音信(たより)もしませんので、向うでも諦らめて、今では団子を拵(こしら)えて遣って居るそうですが、そうなれば有難い、力に成って下されば二十両戴かなくっても宜(よ)い、併(しか)し苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、私(わたし)が話せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をしましょう」
典「早いが宜(い)いが」
傳「えゝなに直(すぐ)に往(い)きましょう」
 と止せば宜(よ)いに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の処へ掛合に参る。是が間違の端緒(こぐち)、この娘お山(やま)は前(ぜん)申上げた白島山平の娘で、弟は山之助(さんのすけ)と申して、親山平は十六年前(ぜん)から行方知れずになり、母は亡(な)くなって、この白島村の伯父の世話になって居りますが、これから姉妹(きょうだい)が大難に遭いますお話、一寸一息つきまして。

        三十二

 おやま山之助の姉弟(きょうだい)は、白島山平が江戸詰になりましてから行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はおやまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の往(ゆ)きません二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父多右衞門(たえもん)が引取り、伯父の手許(てもと)で十五ヶ年の間養育を受けて成人致しまして、姉は二十二歳弟(おとゝ)は十七で、小造(こづくり)な華者(きゃしゃ)[#「華者」はママ]な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居りますが、堅い気象で、姉弟してひょっとお父様(とっさま)がお帰りの有った時は、伺(うかゞ)わずに元服しては済まないと云うので二十二で、大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が力に思合(おもいあ)いまして、山之助は馬を引き或(あるい)は人の牛を牽(ひ)きまして、山歩きをして麁朶(そだ)を積んで帰る。姉は織物をしたり糸を繰(と)ったりして隙(すき)はございませんが、少し閑(ひま)が有れば大滝村の不動様へ親父(おやじ)の生死(いきしに)行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋の傳次がひょこ/\お辞儀をして。
傳「へい御免なさい」
山之助「はいお出でなさい」
傳「今日は結構なお天気で」
山「はい、何方様(どなたさま)で」
傳「へい私(わっち)も久しく此地(こちら)に居りますからお顔は知って居ります、私は廣藏親分の処(ところ)に居る傳次と云う魚屋でございますが親分の厄介者(やっけえもの)で」
山「へえそうでございますか」
傳「どうも感心でげすね、姉様(ねえさん)を大事になすって、お中が宜(いい)って実に姉弟で斯(こ)う睦ましく行(ゆ)く家(うち)はねえてえ村中の評判でございますよ、へえ御免なさいよ」
やま「さアお掛けなさい、何か御用でございますか」
傳「へえ姉様(ねえさん)まアね藪(やぶ)から棒に斯(こ)んな事を申しては極りが悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞きに来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっしゃいますね」
やま「はい」
傳「今日お百度を踏んで帰んなさる時、葮簀張(よしずっぱり)の居酒屋でそれ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、彼処(あすこ)にね腰を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い月代(さかやき)の生えた人柄の宜(い)い旦那をごらんなすったか」
やま「はい私(わたくし)は何だか急ぎましたから、薩張(さっぱり)存じません」
傳「彼(あ)の方は元お使番(つかいばん)を勤めた櫻井監物の家来で、柳田典藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て手習(てなれえ)の師匠で医者をしてそれで売卜(うらない)をする三点張(さんてんばり)で、立派な家(うち)に這入って居て、これから追々(おい/\)田地(でんじ)でも買おうと云うのだが、一人の身上(みのうえ)では不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の娘では否(いや)だが、聞けば何か此方(こちら)の姉(ねえ)さんは元武士(さむれえ)のお嬢さんで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼の姉さんを嫁に貰(もれ)えてえが傳次お前は同じ村に居るなら相談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば弟御様(おとゝごさま)は一緒に引取り、先方(むこう)で世話をしようと云う、お前さんも弟様(にいさん)も仕合(しやあ)せで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思って私(わちき)は相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだが何(ど)うでげしょう」
やま「まことに御親切は有難うございますが、私(わたくし)の身の上は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何うでも宜(よ)いので」
傳「へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえ然(そ)うで、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢います、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左様なら」
 と直(すぐ)に伯父の処へ行(ゆ)きまして。
傳「へえ御免なさい」
多「はい何方(どちら)から、さア此方(こちら)へ」
傳「へえ私(わっち)は廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者で」
多「左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言葉も交(かわ)しませんで、何分不調法者で、此の後(ご)ともお心安く願います」
傳「へえ私(わっち)も何分お心易く願います、就(つ)いてはね、今姉(ねえ)さんの処へ往ったのでげすが……あなたには姪御(めいご)さんでありますね」
多「へえ、おやまに」
傳「へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ得心になれば宜(い)いと云う嫁の口が出来たので、誠に良(い)い口で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な武士(さむれえ)だが、運が悪いとは云いながら此方(こっち)へ来て田地や何かも余程有り、また是から段々殖(ふや)そうという売卜(うらない)に手習(てなれえ)の師匠に医者の三点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、彼処(あすこ)へお遣(や)りなすっては何うで、弟御(おとゝご)ぐるみ引取ると云うので、随分お為になる処でございますが」
多「おやまが貴方(あなた)に御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬと言いましたか」
傳「えゝ言いました」
多「何うも自分ではお断りが仕憎(しにく)いから、大概の事は私(わし)の処へ行って相談して呉れと、まず言抜(いいぬけ)に云いますよ、彼(あ)れはなアとてもな無駄でございます」
傳「へえ何う云う訳で」

        三十三

多「いえ十六年前(あと)に親父(おやじ)が行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存生(ぞんしょう)で帰った時は、親父に一言の話もしないで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、姉弟(きょうだい)で、あゝ遣(や)って、元服もせずに居りますくらいでござりやすから、何処(どこ)から何(なん)と云っても駄目でござりやす、聟でも取って遣りたいが中々左様(そう)言ったって聴きアしませんから」
傳「それじゃアお父(とっ)さんが帰らねえでは相談は出来ませんか」
多「へえ親父が帰れば直(すぐ)に相談が出来ますが、帰らぬうちは駄目でござりやして、ひやア」
傳「弱りましたね、左様なら」
 と呆然(ぼんやり)帰って来て。
傳「へえ往って来ました」
典「いやもう待って居ました」
傳「へえ」
典「何(ど)うもね、お前は弁舌が宜(よ)し、何かの調子が宜(い)いから先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつもりで目録包にして此処(こゝ)に有るので」
傳「へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけません、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは」
典「何ういう訳で」
傳「何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が十六年あとに行方知れずに成ったから、親父の帰(けえ)らぬうちは嫁にも行(い)かぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かねえうちにしては済まぬてえ彼(あ)れは変り者(もん)でげす、いけませんよ、へえ」
典「いかぬと云うのか」
傳「えー往(い)かねえと云うのでげす」
典「左様か仕様がない、それは仕方がない、それは先方(むこう)で厭(いや)なんでげしょうが、然(そ)う云わなければ断り様がないからだ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十年も四十年も帰らぬ時は何うする、白髪(しらが)になって島田で居る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う云うのだ、宜しい/\、宜しいけれども実は事を極めて来たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、仕方がない、是までの事だ」
傳「から何うも仕様がねえ変り者(もん)でげすな、お前(めえ)さんの云う通り白髪(しらが)の島田はないからねえ、何うも仕様がないね何うも」
典「貴公私(わし)の名前を先方(せんぽう)へ言いますまいねえ」
傳「私(わっち)は左様(そう)言いましたよ、柳田典藏様(さん)と云う手習(てなれえ)の師匠で、易を立(たっ)て斯(こ)うとすっかり列(なら)べ立ったので」
典「それは困りますね、姓名を打明(うちあか)して呉れては恥入るじゃアないか」
傳「だって余程(よっぽど)受けが宜かろうと思って列べたので」
典「それはいかぬ、先(まず)先方で縁談が調(とゝの)うか否(いな)かを聞いて詳(くわし)くは[#「詳(くわし)くは」は底本では「詳(くは)くは」]云わんで、然(しか)るべき為になる家(うち)ぐらいの事を云って、お前行(ゆ)くか、はい参りますとぼんやりでも云ったら、そく/\姓名を打明けて云っても宜(い)いが、極らぬうちから姓名を打明けては困りますな、何うも最(も)う少し何か事柄の解(わか)るお方かと思ったら存外考えがなかった、宜しい/\、実は荒物屋の店でも貴公に出させようと思って、二三十金は資本(もとで)を入れる了簡で、媒介親(なこうどおや)と頼まんければ成らぬと思いまして……最う少し万事に届く方と思ったが、冒頭(のっけ)に姓名を明かされては困りますねえ、実に恥入る」
傳「然う怒ったっていけません、旦那、旦那怒っちゃいけません、斯う仕ようじゃアございませんか、種々(いろ/\)私(わっち)も路々(みち/\)考えたが私の云う事を聴いて然うお前(まえ)さん云ってしまってはいけねえ、あれさ、そんな事をぷん/\怒ったっていけません、何でも気を長くしなければ成らねえ、あの娘は不動様へ又お参りに来ましょう、そこでまだ貴方を見ねえのだから先刻(さっき)私(わっち)が話を聴いて見ると、斯ういう墨(くろ)の羽織を着て、斯々(これ/\)の方を御覧かと云ったら急いだから存じませんと云うから、あの娘に貴方を見せたいや、貴方ね、二十二まで独身(ひとり)で居るのだから、十九(つゞ)や二十(はたち)で色盛(いろざかり)男欲しやで居るけれども、貴方をすうっとして美男(いゝおとこ)と知らず、矢張(やっぱり)村の百姓と思って居るから厭だと云うかも知れねえから、お前さんの色白で黒の羽織を着てね、それが見せたい、まだ当人に逢わないからで、娘が逢いさえすれば直(すぐ)だからお逢いなさい」
典「逢うたって、それ程厭てえものを逢う訳にはいきません」
傳「それは工夫で、お前さんと二人で例の茶見世へ行って、旨くもねえ、碌なものはねえが、美(い)い酒を持って行って一ぱい遣(や)って、衝立(ついたて)の内に居るのだね、それで娘がお百度を踏んで帰(けえ)る所を引張込(ひっぱりこ)んで、お前さんが乙(おつ)う世辞を云って一杯飲んでお呉れと盃をさして、調子の好(い)い事を云うと、娘はあゝ程の宜(い)い人だ、あゝ云う方なら嫁に行(ゆ)きたいとずうと斯う胸に浮(うか)んだ時に、手を取って斯う酔った紛れに□ってしまうが宜い、こいつは宜い、これは早い、それで伯父さんに掛合うからいけないが、当人に貴方を見せてえ、これが私(わっち)は屹度(きっと)往(い)こうと思っている」
典「だけれども何かどうも赤面の至りだな、無暗(むやみ)に婦人を引張込んで宜しいかねえ」

        三十四

傳「宜しいたって、お前さんの様な人は近村(きんそん)に有りゃアしません、だからお前さんを見せたい、ちょっと斯(こ)う大めかしに着物も着替え、髪も綺麗にしてね」
典「何(ど)うも何(なん)だか、宜しいかねえ、旨く往(い)くかねえ」
傳「宜しいてえ是は訳はねえ、明日(あした)遣(や)りましょう」
 と悪い奴も有るもので、柳田典藏も己惚(うぬぼれ)が強いから、
典「じゃア往(い)きましょう」
 と翌日(あした)は彼(か)の大滝村へ怪しい黒の羽織を引掛(ひっか)けて、葮簀張(よしずっぱり)の茶屋へ来て酒肴(さけさかな)を並べ、衝立(ついたて)の蔭で傳次が様子を窺(うかゞ)って居ると、おやまが参って頻(しき)りにお百度を踏み、取急いで帰ろうとすると飛出して、
傳「姉(ねえ)さん」
やま「はい」
傳「此の間は」
やま「はい此の間は誠に」
傳[#「傳」は底本では「ぱ」]「此間(こないだ)話したね柳田の旦那が彼処(あすこ)で一杯飲んで居るが、一寸(ちょっと)お前さんに逢いたいと云って」
やま「有難うございますが、私(わたくし)は急ぎますから」
傳「お急ぎでしょうが、そんな事を云っちゃアいけねえ、此間(こないだ)ね、旦那にお頼(たのみ)の事はいけねえと云うと、手前(てめえ)は行(ゆ)きもしねえで嘘だと云って疑ぐられて居て詰らねえから、お前さん厭でも一寸上(あが)って、傳次さん此間はお草々(そう/\)でしたと云えば宜(い)い、然(そ)うすれば私(わっち)が行ったてえのが通じるのだから、彼処(あそこ)へ往って一寸私に挨拶するだけ」
やま「いけませんよ」
傳「いけねえてえ私(わっち)が困るから、野暮(やぼ)なことを云わずにお出でなさい」
 と無理に引摺(ひきず)り込んだから仕方なしにひょろ/\蹌(よろ)けながら上(あが)り口(ぐち)へ手を突くと、臀(しり)を持って押しますから、厭々上って来ると、柳田典藏は嬉しいが満ちてはっと赤くなり、お世辞を云うも間が悪かったか反身(そりみ)になって、無闇に扇で額を叩き、口も利かずに扇を振り廻したりして、きょと/\して変な塩梅(あんばい)で有りますから、
傳「旦那、旦那お連れ申しました、此方(こちら)へ/\、ぐず/\して居てはいけねえ、姉(ねえ)さんに御挨拶をさ」
典「これは何うも誠に、何か、御信心参りにお出での処(ところ)を斯様なる処へお呼立て申して甚だ御迷惑の次第で有ろうと申した処が、何か、御迷惑でも御酒を飲(あが)らぬなれば御膳でも上げたいと思って、一寸これへ、何うも恐入ります、一寸只御酒はいけますまいから、じゃア御膳を」
 と云うのを傳次は聞いて、
傳「いけねえね、そんな事ばかり云って困るな、めかして居て……一寸姉さんお盃を、お酌を致しますから」
やま「何をなさる、お前さん方は何をなさるのでございますえ、私(わたくし)の様な馬鹿でございますけれども、あなた方は何もお近眤(ちかづき)になった事もない方が無理遣(むりやり)にこんな処へ手を持って、厭がる者を引張込んで、人の用の妨げをして、酒を飲めなんて、私(わたくし)は酒のお相手をする様な宿屋や料理茶屋の女とは違います、余り人を馬鹿にした事をなさいますな」
傳「旦那、腹を立っちゃアいけねえ……姉さん然(そ)う云っちゃアから何うも仕様がねえ、それは然うだがね姉さん人の云う事をお聞きなさいよ、この旦那は早く言えばお前さんに惚れたんだ……旦那、黙って其方(そっち)においでなせえ、お前さん口を出しちゃアいけねえ、黙って頭を叩いておいでなさい…姉さん、人の云う事をお聞きよ、此間(こないだ)伯父さんへ掛合ったのだ、宜(い)いかえ、処がそれはお父(とっ)さんが居ねえので元服もせずに待って居ると云うお話だから、その事を柳田さんに話すと、それは御尤(ごもっとも)だてんで、今日も柳田さんがお前さんを呼んでくれと云ったのではない、全く私(わっち)の了簡で、旦那は誠に感心な娘だと云うので、どうも十六年も音信(おとずれ)をしない親父(おやじ)を待って、それ程までに元服もせずに居るとは、実に孝行な事だから嫁が厭なら宜しいが、実にその志操(こゝろざし)に傳次や尚(なお)惚(ほれ)るじゃアねえかと斯(こ)ういう旦那の心持で、誠に尤(もっとも)だからそう云う事ならせめて盃の一つも献酬(とりやり)して、眤近(ちかづき)に成りたいと云うので、決して引張込んで何う斯うすると云う訳じゃアないが、お前さんが得心して嫁になれば弟も引取って世話をすると云う、実に仕合せだから、うんと云ったら宜(い)いじゃアないか」
やま「何をうんと云うのでございますえ、私(わたくし)の身の上は伯父に」
傳「それは伯父さんに聞いたよ、遁辞(いいぬけ)で伯父さんに托(かこつ)けると云う事は知ってる」
やま「知って居るなれば何も仰しゃらんでも宜(い)いじゃア有りませんか、私(わたくし)も今は浪人しては居りますけれども、やはり以前は少々御扶持(ごふち)を頂きました者の娘でございます、あなた方の御酒のお相手を致すような芸者や旅稼ぎの娼妓(じょうろ)とは違います、余りと申せば失礼を知らぬ馬鹿/\しいお方だ」


 

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