十七
藤屋の女房お梅は、十三年振で
図らずも永禪和尚に
邂逅いまして、始めの程は憎らしい坊主と思いましたなれども、亭主が借財も有りますから
一か
遁れと思いましたも、
固より
汚れた身体ゆえ、何うかして
欺し
遂せて遁れようと言いくるめて居ります
中に、
度々参ると、
彼方でも親切に致しますも惚れて居りますから、何事もお梅の云う通りに
行届き、亭主は窮して居りますから、固より不実意の女と見えて、永禪和尚の情にひかされて宗慈寺へ
日泊を致す様に成りましたが、お梅は年三十になりますから少ししがれて見えますが、色ある花は匂い失せずの
譬え、
殊に以前勤めを致した身でございますから取廻しはよし、永禪和尚の
法衣を縫い直すと申して、九月から十月の中頃まで泊り切りで、
家はお繼という十二歳になる娘ばかりで、一日も帰って来ませんで、まことに不都合だから、藤屋七兵衞は腹立紛れに寺へ来て見ると、台所に
誰も居りません。
七「
庄吉さん……お留守でげすか……御免なせえ」
と納所部屋へ上って、
七「開けても
宜うがすか……おや眞達さんも誰も居ない、
何処へお出でなさった……旦那様お留守でげすか、お梅は居りませんか」
と納所部屋から段々
庫裏から本堂の方へ来ると、本堂の
後に
一寸した小座敷がございます、
此処にお梅と二人で差向い、畜生めという四つ足の
置火燵で、ちん/\鴨だか
鶩だか
小鍋立の楽しみ酒、そうっと
立聴をするとお梅だから、七兵衞はむっと致しますのも道理、身代を傾け、こんな遠国へ来て苦労するも此の女ゆえ、実に
斯う云うあまッちょとは知らなんだ、不実な奴と
癇癖が込上げ、直ぐに飛込んで
髻を
把ってと云う訳にもいきません、坊主ですから鉄鍋の様に両方の耳でも把るか、鼻でも
ごうかと既に飛込みに掛りましたが、いや/\お梅もまさか永禪和尚に惚れた訳でも無かろう、この和尚に借金もあり、身代の為にした事かと
己惚て、遠くから差配人が
雪隠へ這入った様にえへん/\咳払いして、
七「御免なさい」
永「おゝ
誰かと思うたら七兵衞さん、
此方へお這入りなさい」
七「へい御無沙汰を致しました、お梅が毎度御厄介に成りまして」
永「いゝやお前も不自由だろうが
綿入物が沢山有るので、着物を直すにもなア、あまり暮の節季になると困るから、今の
中にと云うてな
斯うやって精出してくれる、
私も今日は
好い
塩梅に寺に居て、今気がつきるから一杯と云うて居たが、好い処へ来たのう、相手欲しやの処へ幸いじゃアのう、さア一杯、さア
此方へ這入りなさい」
七「へい…有難うございます、お梅時々
家へ帰って呉んな、のう子供ばかり残して店を
明ッ
放しにして、
頑是ねえお繼ばかりでは困るだろうじゃアねえか、
此方さまへ来ていても
宜いが、家を
空あきでは困るから云うのだ」
梅「あゝ、だからさ、もう
沢山お仕事もないから私は
一寸帰ろうと思ったが、けれどもねえ、綿入物もして置こうと思って、二三日に仕舞になると思って、
一時に慾張って縫って居るのさ、さぞ不自由だろうね」
七「不自由だって
此方さまでも仕事は夜でも
宜いやアな、昼の
中店を明ッ放しにして、年も
往かねえ子供を置いて来て居ては困るからな、それに此方では夜の御用が多いのだろうから
夜業仕事にしねえな、昼は家で店番をして夜だけ此方さまへ
来ねえな、おれも困るからよ」
永「あゝそれは
然うじゃア、内は夜で
宜い、まア詰らん物じゃアが一杯遣りなさい」
七「有難う……此のお座敷は今まで存じませんだったが、こんな小座敷はないと思って居りました、へえ此の頃お手入で、なるほど
斯う云う処がなければ不自由でしょうね、大層お庭の様子が違いましたな」
永「あゝ
彼処に墓場が有るから参詣人が有るで、墓参りのお方に見えぬように垣根して
囲ったので」
七「なるほど左様で、墓場から
覗かれては困りましょうね、旦那は薬喰いと云うが、此の頃は大層
腥物を
喰りますが、腥物を食ったって坊様が縛られる訳でもないからねえ、
当然で、旨い物は喰った方が
宜うがすね」
永「はい実はな時々養いに
喰るじゃ、魚喰うたとて何も
咎めはないが、仏の云うた事じゃアから喰わぬ事に斯う絶って
居るが、喰うたからって何も其の道に
違うてえ訳ではないのよ」
七「
然うでしょうね、これは然うでしょう、
些とは精分を付けなければなりませんね、旦那今日は御馳走に成ります積りで」
永「左様ともね」
七「実は旦那お願いが有りますが、お前さんにも拝借致しましたし、その上こんな事を云っては済みませんが、
包を
脊負って
僅か
旅籠町を歩いたぐらいでは何程の事も有りませんで、此の頃は萬助の世話で
瞽女町へ
行きますが、旅籠屋も有りますから些とは商いも、瞽女町だけにまア小間物は売れますが、荒物屋じゃア仕様がございません、それに今度金沢から
大聖寺山中の温泉の方へ商いに行きたいと思いますのさ、
就ては小間物を仕込みたく存じますが、
資本が有りませんから、拝借のあるに願っては済みませんが
沢山は入りません、まア五十両有れば山中の温泉場へ行って、商いに少し利があれば金沢で物を買って来る、大きい方の商いは今までに覚えが有りますので、元
私はお梅も知って居ますが、奉公人の十四五人も使った身の上で、
此奴は今は婆アですが若い
中に了簡違いをして、此奴が来たからと云う訳でも有りませんが
此様に
零落して、斯う云う処へ
引込み、運の悪いので、する事なす事損ばかり、誠に旦那済まねえが御贔屓
序でに五十両貸して
呉んなさいな」
十八
永「貸して
遣ろうとも、お前が
資本にするなれば貸しましょう、
宜いわ、宜いが
然う云う事は
緩くり相談しなければならん、
何の
様にも相談しよう……おゝ酒が無くなったが折角七兵衞さんが来てのじゃ、酒がなければ話も出来ぬ、お梅さん御苦労ながら、門前では
肴が悪いから重箱を持って瞽女町へ
往って、うまい肴を買って七兵衞さんに御馳走して……お前遠くも瞽女町へ往って来て呉れんか、とてもうまいものは近辺にはないからのう」
梅「じゃア往って来ましょう」
七「往って
来ねえ、御馳走に成るのだから……旦那え、お梅も
追々婆アに成りましたが、あの通りの奴でね、また私も萬助より他に馴染がないので心細うございます、お梅も
此方へ
上るのを楽しみにして居ります、旦那可愛がって遣って、あんな奴でも
一寸泥水へ這入った奴で、おつう小利口なことをいうが、人間は余り
怜悧ではないがね、もし旦那、お相手によければ差上げますぜ、だが上げる訳にもいきませんかね、
私も苦労を腹一杯した人間ですから、旦那が
私を贔屓にして下されば、話合いで
貴方は隠居でもなすってねえ、隠居料を取って楽に出来るお身の上に成ったら、その時にゃア御不自由ならお梅は仕事に上げッ
切にしても構わねえという心さ」
永「そりゃまさか
他人の女房を借りて置く訳には
往かんが、仕事も出来る大黒の一人も置きたいが、
他見が悪いから不自由は
詮事がないよ」
七「もしそれはお前さんの事だから
屹度差上げますよ、それにお梅はお前さんに惚れて居りますぜ、ねえ宗慈寺の旦那様は
何うも御苦労なすったお方だから違う、あれでお
頭に毛が有ったら何うだろうなんぞと云いますぜ」
永「こりゃ、その様な詰らぬ事を云うて」
七「それは
女郎の癖が有りますから……浮気も無理は無いのです、もう酒は有りませんか」
永「今来るが、
私はねえ酒を飲むと酒こなしを
為なければいかぬから、腹こなしを
為る、お前見ておいで」
と
藁草履を
穿いてじんじん
端折をして庭へ下りましたが、和尚様のじんじん端折は、
丸帯の間へ
裾を上から
挟んで、
後鉢巻をして、本堂の裏の物置から
薪割の
柄の長いのを持って来て、ぽかん/\と薪を割り始めましたが、丁度十月の十五日
小春凪で暖かい日でございます。
七「旦那妙なことをなさるね」
永「いや庄吉は怠けていかぬから
私が
折々割るのさ、酒を飲んだ時はこなれて
宜いよ」
七「なるほど是れは
宜うございましょう、
跣足で土を踏むと
養生だと云いますが、旦那が薪を割るのですか」
永「七兵衞さん薪炭を使わんか、檀家から持って来るが、炭は
大分良い炭じゃア、来て見なんせ……
此方に下駄が有るぞえ」
七「
何処に下駄が」
永「それ
其処に見なさい」
七「成程これは面白い妙な
形で、旦那の姿が
好いねえ、何うもあなた
虚飾なしに、方丈様とか旦那様とか云われる人の、薪を割るてえなア面白いや」
永「七兵衞さん、
先刻お前、
私におつう
云掛けたが、お前はお梅はんと私と
訝しな事でも有ると思って
疑って居やアせぬか」
七「旦那もし、私が疑ぐるも何もねえ、貴方が隠居なさればお梅を
上切りにしても
宜いので、
疾うに当人も其の心が有るのだから、その代りにねえ貴方」
永「おい/\
私はお
前はんのな女房を貰い切りにしたいと
何時頼みました」
七「頼まねえと、頼んでも
宜いじゃアねえか、
吸涸しではお気に入りませんかえ」
永「これ
私も
一箇寺の住職の身の上、納所坊主とは違うぞえ、それはお
前はんがお梅さんと私が
訝しいと云うては、夫ある身で此の儘には捨置かれんが」
七「捨置かれんたってお
前さんも分りませんね、お梅はお前さんと何うなって居ると云うのは眼が有りますから知っては居ますが、何も苦労人の藤屋七兵衞知らねえでいる気遣いはねえのさ」
永「こりゃ
私は覚えないぞ、えゝや何う有っても、そんな事をした覚えないわ」
と大声を揚げて云うより早く、柄の長い
大割という薪割で、七兵衞の頭上を力に任せ、ずうーんと打つと、
七「うーん」
と云いつゝ虚空を
掴んで身を
顫わしたなりで、
只た
一打に致しましたが、これが悪い事を致すと
己の罪を隠そうと思うので、また悪事を重ねるのでございますから、少しの悪事も致すもので有りません。少しの悪事でも隠そうと思って又重ねる、又其の罪を隠そうと思っては悪事を次第々々に重ねて
猶また悪事に陥ります。毛筋ほどでも人は悪い事は出来ませんものでございます。永禪和尚は毒喰わば皿まで
舐れと、死骸をごろ/\転がして、本堂の床下へ薪割で
突込みますのは、今に奉公人が帰って来てはならぬと急いで床下へ深く
突入れました。
十九
お繼という七兵衞の娘は今年十三になりますが、孝心な者でございます。
母親が居りませんに、また
父親が見えませんから、
屹度宗慈寺様へ行って
居るので有ろうと、自分も
何時も此の寺へ参りますと、和尚に物を貰って可愛がられるから
度々参りますので、勝手を存じて居りますから、
繼「お
父様は居りませんか、お
母さんは」
と納所部屋を捜しても居りません。すると本堂の次が開いて居りますから、
其処へ来ると
草履が有りますから庭へ下りまして、
繼「おや和尚様お母さんは居りませんか、お父様は」
と
屈んで云いましたが、女の子は
能く
頭を
斯う横にして下を
覗く様にして口を利くものでございますが、永禪は
只見ると飛んだ処へ来た、年は
往かぬが
怜悧な娘、こりゃ見たなと思ったから、物をも云わず永禪和尚柄の長い薪割を振上げて
追掛けたが、人を殺そうという剣幕、
何ともどうも怖いから、
繼「あれえ」
ばた/\/\/\/\/\/\と庭を逃げる、跡を追掛けて
行き、門の処まで追掛け、既に出ようとする時お梅が帰って来て、
梅「まア旦那何うなすったよ、みっともないよ」
永「おゝ
宜い処へ来た」
梅「もし何ですよ、お繼はキエ/\と云って駈けて
往きましたが、貴方もみっともないよ
跣足でさ」
永「
一寸お前
此処へ来な……お梅はん、お繼が逃げたから
最う是までじゃア、
詮事がない、さア
私も最早命はない、お前も同罪じゃでなア、七兵衞さんはお前と
私の
間を知って五十両金の無心、二つ
三つ
云合うたが、知られては一大事、薪割でお前の亭主を打殺したぜ」
梅「あれまアお前さん、何だってねえ」
永「さア/\殺す気もなかったが、是も仏説で云う因縁じゃア、お
前はんに迷ったからじゃア、お
前は藤屋七兵衞さんを大事に思う余り
私の云う事を聴いたろうが、お繼が駈けて来て床下を覗いてお父様はと云うたから、見たと思うて
追掛けたが、お繼を
欺して共に打殺し、私と一緒に逃げ延びて遠い処へ身を隠すか、
否じゃアと云えば
弐心じゃア、お前も打殺さなければならん」
梅「何だってまア、そんな事を云ったって、お繼はお前さんが可愛がるから
仮令見たとって、よもや貴方が親父を殺したとは気が付くまいと思いますから、
其処がまだ子供だから分る
気遣は有りませんよ、私が
篤くり
彼の子の胸を聞きますからさ」
永「じゃアお前が連れて来れば
宜い」
梅「まアお待ちなさい、当人を連れて来て全く見たなら
詮方もないが、見なければ殺さなくっても
宜いじゃアないか」
永「知らぬければ
宜いが、ありゃお前の
実の子じゃ有るまいが」
梅「だって
三歳の時から育てゝ、
異った子でも可愛いと思って目を掛けましたから、
彼の子も本当の親の様にするから、私も何うか助けとうございますわ、あれまア何うでもするから待って下さいよ」
と話をして居る処へ寺男が帰って来て、
庄吉「はゝ只今帰りました」
永「おゝ帰ったか」
男「へえー
彼方様へ
参りますと
何れ
此方から出向かれまして、えずれ御相談致しますと、そりゃはや何事も此方から
出向れましてと
斯様にしば/\と申されまして、宜しくと仰せ有りましたじゃと」
永「おゝ手前あのなに何へ行って大仏前へ行ってな、
常陸屋の
主人に
夜になったら
一寸和尚が出て相談が有るからと云うて、早く行って」
男「はい
左様か、
行て
参るますと」
永「お梅早く先へ帰りな」
梅「じゃア私は先へ帰ります」
永「
潜かに今宵忍んでお前の処へ
行くぜ」
梅「そうして死骸は」
永「しい、死骸で庭が
血だらけに成ってるから、泥の処は知れぬように
取片付けて置いた、なそれ、縁の下へ
彼の様に入れて置いたから知れやアせん、江戸と違って犬は居ず、
埋めるはまア
後でも
宜い、お前は先へ帰りな」
梅「はい/\」
と云いますが、お梅は
此処に長居もしませんのは
脛に
疵持ちゃ
笹原走るの
譬えで、
直に門前へ出まして、これからお繼を捜して歩きましたが、
何処へ行ったか
頓と知れなかったが、
漸く
片原町の
宗円寺という禅宗寺から連れて来ました。この宗円寺の和尚さんは老人でございますからお繼を可愛がりますので、此の寺に隠れて居りましたのを連れて帰り、
梅「まアお前何処へ行って居たかと思って
方々捜したよ」
繼「はい宗円寺様へ行って居たのでございますわ」
梅「何でお前逃出したのだよ」
繼「あのお
母様怖いこと、宗慈寺の和尚様が薪割を
提げて殺して仕舞うってね、怖くって一生懸命に逃げたけれど、
行く処がないから宗円寺様へ逃込んだの」
梅「お前本当じゃアないよ、
嚇かしだよ、からかったのだね」
繼「いゝえ、おからかいでないの、一生懸命の顔で怖いこと/\」
梅「一生懸命だって、お
前を可愛がって
御供物や何か下さる旦那さまだもの、ほんのお酒の上だよ」
繼「
然う、
私ゃねお
父様を捜しに往ったの」
二十
梅「お
父様はあのお商いも
隙だから、あの金沢から山中の温泉場の方へ商いに往って、事に依ったら大阪へ廻って買出しを
致たいからと云って、
些とばかり宗慈寺様からね
資本を拝借したのだよ、そうして買出しかた/″\お商いに往ったから、半年や一年では帰らないかも知れないよ、その代り
確かり仕入れて、
以前の半分にも成れば、お繼にも着物を
拵えて
遣られると云って、お前が可愛いからだね」
繼「そう、お父様が半年も帰らないと私は一人で寝るの」
梅「
宜いじゃないか、私が抱いて寝るから」
繼「嬉しい事ね、あの
他処の子と
異って私は
少さい時からお父様とばかり一緒に寝ましたわ、お
母さんと一緒に寝られるなら
何時までもお父様は帰らないでも
宜いの」
梅「
然うかえ、私と寝られゝばお父様は帰らないでも嬉しいとお思いかえ、然うお云いだと誠にお前がなア
憫然で、なに可愛くなってね、どんなに私が嬉しいか知れないよ、本当に少さいうちから抱いて寝たいけれども、何だか隔てゝいる中で、
己が抱いて寝るとお
父さんに云われたが、お前の方から
抱って寝たいと云うのは
真に私は可愛いよ」
繼「私も本当に嬉しいの」
梅「あのお前私がお
膳立するから、お前仏様へお線香を上げなよ、お父様へ、いえなにお先祖様へ」
とお梅は
不便に思いますから膳立をして、常と
異ってやさしくお繼に
夕飯を食べさせ、あとで台所を片付けてしまい、
梅「お繼お前表口の締りをおしよ」
繼「はい」
とお繼は表の
戸締を
為ようと致しますると、表から永禪和尚が忍んで参りまして、
永「お梅/\」
梅「はい今開けます、旦那でございますかえ」
と表を
開る。永禪が這入るを見るとお繼は驚きまして、
繼「あゝれ」
と
鉄切声で
跣足でばた/\と逃出しますので。
永「あゝ
恟りした、
何じゃい」
梅「今お前さんの顔を見てお繼が逃出したので」
永「おゝ
左様か、お繼は最前の事は
何うじゃ、死骸を隠した事は
怜悧だから見たで有ろう」
梅「いゝえ見ませんよ」
永「いや見たじゃ」
梅「見やアしませんよ、お前さんは心配していらっしゃるが大丈夫ですよ」
永「然うかえ」
梅「お父様はと聞きますからお父様は山中の温泉場から上方へ往ったから、一二年帰らないと云ったら、私に抱かって寝られゝば帰らないでも
宜いと云います、お父さんは
何処へ往ったと聞くくらいだから知りませんよ」
永「知らぬか」
梅「大丈夫でございます、知る
気遣ないと私は見抜いたから御安心なさいよ」
と云うので、是から亭主が無いから毎晩藤屋の
家へ永禪和尚忍んで来ては逢引を致します。
心棒が曲りますと附いて居る者が
皆な曲ります、眞達という弟子坊主が曲り、庄吉という寺男が曲る。
旅魚屋の
傳次という者が此の寺へ来て、納所部屋でそろ/\天下
御制禁の
賭博を
為る、
怪しからぬ事で、眞達は少しも知らぬのに勧められて
[#「勧められて」は底本では「勤められて」]為ると負ける。
傳「眞達さん冗談じゃねえ、おいお前金を返さなくっちゃアいけねえ」
眞「今は
無えよ」
傳「今無くっちゃア困るじゃアねえか」
眞「
無え物を無理に取ろうて云うも無理じゃアねえか、だらくさい事を云いおるな」
傳「
無えたってお前
己が受ければ払いを附けなければ成らねえ」
眞「今
無えから
袈裟文庫を
抵当に預ける」
傳「こう袈裟文庫なんぞ
己っちが抵当に預かっても仕様がねえ」
眞「是が無くては法事に
往くにも困るから、是をまア払うまで預かって」
傳「そんな事を云って困るよ、おい眞達さん
一寸聞きねえ、まア
此処へ
来ねえ」
と次の間へ連れて
往きまして
「こうお
前和尚に借りねえ」
眞「師匠だって貸しはしなえ」
傳「貸すよ」
眞「いや此の間
私が一両貸しゃさませと云うたら何に入るてえ怖ろしい
眼して
睨んだよ、貸しはせんぞ」
傳「お
前いけねえ、和尚は弱い足元を見られて居るぜ、お前知らねえのか、藤屋の亭主は留守で和尚は毎晩しけ込んで居る、
一箇寺の住職が
女犯じゃア遠島になる、
己ア二度見たぜ」
眞「じゃア藤屋の
女房と悪い事やって居るか」
傳「やって居るよ、己ア見たよ」
眞「それははや
些とも知らぬじゃ」
傳「
斯う
為ねえ、
彼処へ往ってお前が金を貸してと云えば、
否応なしに貸そうじゃアねえか」
眞「成程、じゃア
私が師匠に
逢うてお前様お梅はんと寝て居りみすから、私に何うか
賭博の
資本を貸してお呉んなさませと云うか」
傳「そんな事を云っちゃア貸すものか、そこがおつう
訝しく云うのだ、人間は楽しみが無くってはいけません、
私も女を抱いては寝ませんが、瞽女町へ往って芸者を買ったとか、
娼妓を買ったとか、旨いものが喰いたいから、二十両とか三十両とか貸せと云えば、
直きに三十両ぐらえは貸すよ、お
前さんはお梅さんの酌でお
楽みぐらいの事を云いねえ」
眞「むう、
巧い事を教えて呉れた、有難い/\」
と悦びまして、馬鹿な坊主で、じん/\
端折で出掛け、藤屋の裏口の戸の節穴からそっと
覗くと、前に膳を置いて差向いで酒を飲んで居りますから、小声で、
眞「もしお梅はん/\」