五
水司又市が悪念の発しまする是れが始めでございます。若い
中は色気から兎角了簡の狂いますもので、血気
未だ定まらず、これを
戒むる色に
在りと申しますが、
頗る
別嬪が膝に
凭れて
「一杯お
飲んなさいよ」
なぞと云われると、下戸でも茶碗でぐうと我慢して飲みまして
煩うようなことが有りますが、
惚抜いている者には振られ、
殊に面部を打破られ、其の頃武家が
頭に疵が出来ると、屋敷の門を
跨いでは帰られないものでございました。又市は無分別にも中根善之進を一刀両断に切って捨て、毒食わば皿まで
舐れと懐中物をも盗み取り、小増に
遣りました処の二十両の金は有るし、これを持って又市は
越中国へ逐電いたしました。
此方は
翌朝になりましてもお帰りがないと云うので、下男が迎いに参りますと、七軒町で
斯様/\と云う始末、まず死骸を引取り検視沙汰、殊に上役の事でございますから内聞の
計いにしても、重役の耳へ此の事が聞え、部屋
住の身の上でも、中根善之進何者とも知れず
殺害され、
不束の
至と云うので、父善右衞門は百日の間
蟄居致して
罷り
在れという御沙汰でございますから、翌年に相成り
漸く蟄居が
免りましたなれども、
最う五十の坂を越して居ります善右衞門、大きに気力も衰え、娘お
照と云うがございまして年十九に成りますから、これに養子を致さんではならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善右衞門が遅く帰りまして、
善右衞門「
一寸お前」
妻「お帰り遊ばせ」
善「いや帰りにね武田へ寄って来た」
妻「おや、
大分お帰りがお遅うございますから、
何処かへお立寄と存じまして」
善「少し悦ばしい話があるが」
妻「はい」
善「
斯う云う訳だが、
予てお前も知っての通り、昨年悴が
彼アいう訳になって
私も
最う
勤は辛いし、大きに気力も衰えたから、照に
何な者でも養子をして、隠居して楽がしたい訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸いと武田の次男
重二郎が養子になるように相談が
極ったよ」
妻「おやまアそれは
何うも此の上もない事でございます、お屋敷
中でも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方はございません、評判の
宜い方でござりますねえ」
善「それに
彼は武田流の軍学を
能くし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が
練れて居て、
如何にも武芸と云い学問と云い老年の者も及ばぬ、実に
彼のくらいの養子は
沢山あるまい、此の上もない有難い事でのう、早く照をお呼びなさい」
妻「はい、お照や一寸
此処へお
出で、お
父様がお帰りになったよ、さア此処へお出で」
御重役でも榊原様では
平生は余り
好い
形はしない御家風で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども
銘仙の
粗い縞の小袖に
華美やかな帯を
〆めまして、文金の
高髷で、お
白粉は屋敷だから常は薄うございますが、
十九や
二十は色盛り、器量
好の娘お照、親の前へ両手を突いて、
照「お帰り遊ばせ」
善「はい……此処へお出で、今お
母様にお話をしたが、お
兄様は去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思ったが、親の慾目で、何うかまア心掛のよい
聟をと心得て居ったが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に
疾うから話はして置いたが、
漸く今日話が
調ったからお母様と相談して、善は急げで結納の
取交せをしたいが、
媒妁人は高橋を
以てする積りで、
嫁入の衣裳や何かお前の好みもあろう、
斯ういう物が欲しい、
櫛簪は斯う云うのとか、立派なことは入らぬが、
宜くお母様と相談して、其の上で先方へも申込むから宜いかえ」
照「はいお父様
私に養子を遊ばす事はもう少しお見合せなすって」
善「見合せる、
其様な事はありません、
何で見合せるのだえ」
照「はい
私はまだあなた養子は早うございます、それに他人が這入りますと、お父様お母様に孝行も出来ません様になりますから、私も心配でございますから、
何卒もう四五年お待ち遊ばして」
善「そんな分らぬ事を云ってはいけません、早く養子をして
初孫の顔を見せなければ成りません」
妻「ほんとうに養子をしてお前の身が定まれば、お父様も私も安心する、双方に安心させるのが孝行だよ……まことにあなた
何時までも子供のようでございます……あんな
好い養子はございませんよ、
家へいらっしゃってもあの
凛々しいお方で、本当に此の上もないお前仕合せな事だよ」
善「さア、はいと返辞をすれば
直に結納を取交せるから」
照「はい、
私はあの
池の
端の弁天様へ、養子を致す事を三年の間
願掛けをして
禁ちました」
善「そんな分らぬ事を言っては困りますよ、弁天へ行って
然う云って来い、願掛けは致したが、親の勧めだからお
願を破ると云って来い、それで
罰を当てれば至極分らぬ弁天と申すものだ、そんな分らぬ弁天なら罰の当てようも知るまいから心配はありませんよ、これ何時まで子供の様な事を云って何うなります、私が約束して今更
変替は出来ません、
直様返事をおしなさい、これ照、困りますなア」
六
妻「貴方、そう御立腹で仰しゃってもいけません……何時までもお前子供の様で、養子をすると云うものは怖いように思うものだけれど、私も当家へ縁付いた時は、こんな不器量な顔で恥かしい事だと
否々ながら来ましたが、また亭主となれば夫婦の愛情は別で、お父様お母様にも云われない事も相談が出来て、結句頼もしいものだよ、あいとお云いよ/\、泣くのかえ」
善「なに泣くとは何事、泣くという事はありません、何だ」
妻「まア
其様にお
怒り遊ばすな」
と無理に手を取って娘の居間へ連れて
行き、
種々言含めたが
唯泣いて
計り居て返答を致しませんのは、屋敷
内の下役に
白島山平という二十六歳になります美男と
疾うから夫婦約束をして居りました。遠くして近きは恋の道でございます。逢引する処が別にございませんから、旧来
家に奉公を致して居りましたおきんと云う女中が、
上野町に団子屋をして居るので、此の
家の二階で山平と出会いますので、是が心配でございますから、おきんの所へ手紙を出しますと、
此方はおきんが山平を呼出しまして、二階で
三鉄輪で話をして居ります。
きん「どうも
先達は有難うございます、貴方、あんな心配をなすっては困りますよ、お忙がしい処をお呼立て申しましたのは困った事が出来ましてね」
山「毎度厄介になりまして気の毒でのう、今日は急に人だから何事かと思って来たのだが、どう云うわけだえ」
きん「どう云うたって実に困りますよ、何うしたら
宜かろうと存じまして、お照さまに御両親様から急に御養子を遊ばせと仰しゃるので、嬢様は
否だと云って弁天様へ
禁ったと仰しゃったそうでござりますが、お父様が聴かぬので、一旦約束したから
変替は出来ぬと云うので、仕方がないから
私は養子をする気はない、どんな事が有っても自分が約束したからは
何処迄も強情を張る積りだが、お父様が腹を切るの
何のと云うから、
寧そ身を投げて死んでしまおうと、小さいお子様の様な事を仰しゃるので困りますよ、何か云えば
直に自害をするのなどと詰らん事を云うので困ります、
私は思案に余りますから貴方をお呼び申したので」
山「ふう成程、そうして
何方から御養子を」
きん「お嬢様の仰しゃるには、白島様には云わぬ方が
宜いと仰しゃいますが、あの武田重二郎様ね、それあの
厭な気の詰るお方で、私も御奉公して居るうち見ましたが、偏屈な
嫌に
堅苦しいね嫌な人で、実に困った訳でございますけれども、
否と言切る訳にも
往きませんから誠に心配していらっしゃいます」
山「お照さん……この山平は江戸詰に成りまして間がない事で、これまでお
引立を
蒙りましたは、実は武田の
重左衞門様の御恩でござります、そのお家の御二男様が御養子の約束になって居るものを、貴方が
否と仰しゃれば
何故に
背くと、
夫れより事が
顕われますれば、拙者は屋敷を
逐出される事になります、
私の身は仕方がない事でございますが、あなた様の御尊父にも済まぬ事で、
何卒是れまでお約束は致しましたが、何卒親御の意を背くは不孝なり、あなたも世間へ済まぬことになりますから、只今までの事は水にあそばして、何うかあなた武田から御養子をなすってください、実は只今まで私はお隠し申したが、国表を
立出でます時男子出産して今年二歳になります、国には妻子がございますので」
照「えゝ」
と娘は驚きまして、じッと白島山平の顔を見て居りましたが、胸に迫ってわっとばかりに泣倒れました。
きん「あなた奥様があるの、おやお子さん方がお二人、まだ若いのに、おや
然うでございますかねえ…お嬢さん白島様が御迷惑になりますから、お厭でもございましょうけれども、思い切って貴方、お厭でも御養子を遊ばせな、此の事が知れると物堅い旦那様だからきんもきんだ、長らく勤めて居ながら娘を二階で逢引をさせるとは
不埓な女だと仰しゃって
私が斬られるかも知れませんよ、ねえ
彼ア云う御気象ですから、ねえ御養子をして置いて時々お逢い遊ばせよう、然うすりゃア知れやアしませんよ、あの
釜浦様の
御新造様みたいな、彼アいう事もありますから、
宜いじゃアありませんか、然う遊ばせよ」
山「誠に手前も夢の昔と諦めますから、申しお嬢様
嘸不実な者と
思召すでござりましょうが、この白島山平を
可愛相と思召すなら、あなた親御様の仰しゃる通り武田から御養子をなすって下さい、只今も金の申す通り、お
聴済みがなければ止むを得ず、手前どうも切腹でもしなければならん訳で」
きん「貴方ア切腹なさると仰しゃるし、お嬢様は自害などと困りますねえ……お嬢様何う遊ばしますよ」
照「はい、それ程白島様が御心配遊ばす事なれば
致方がありませんから、それにお国に奥様もお子様もある事は
私は少しも知りません、
最う身を切られるより辛うございますけれども、あなたのお言葉でございますから、
背かず武田から養子致します」
と云いながら、わっと泣き倒れました。
七
おきんも山平も安心して、
きん「宜く仰しゃいました、それで何うでも成ります、またねえ時々お逢い遊ばす工夫もつきますから」
と
漸く
身上の相談をして、お照は宅へ帰って、得心の上武田重二郎を養子にした処が、お照は振って/\振りぬいて
同衾をしません。家付の我儘娘、重二郎は学問に
凝って居りますから、
襖を隔てゝ
更るまで書見をいたします。お照は
夜着を
冠って向うを向いて寝てしまいます。なれども武田重二郎は
智慧者でございますから、
私を嫌うなと思いながらも
舅姑の前があるから、照や/\と誠に夫婦中の宜い様にして見せますから、両親は安心致して居ります
中、段々月日が立ちますと、お照は重二郎の養子に来る前に最う
身重になって居りますから、九月の月へ入って
五月目で、お
腹が大きく成ります。若い
中は有りがちでございますから、まア/\
淫奔は出来ませんものでございます。お照は懐妊と気が付きましたから何うしたら
宜かろう、何うかお目にかゝり相談を
為たいと、山平へ
細々と手紙を
認め、今日あたりきんが来たらきんに持たせてやろうと帯の間へ
挿んで居りましたが、
何処へ振落しましたか見えませんから、又細々と
文を認めおきんに渡し、それから
直におきんより山平へ届けましたので、九月二十日に団子茶屋へ打寄ったが、此の時は山平は
真青になりました。
きん「もし白島様実に驚きましたよ、お嬢
様は
同衾を遊ばさないので、それだからいけやアしません、同衾をなされば少し位月が間違って居ても
瞞かしますよ、何うしたって指の先ぐらいは似て居りますから、何うでも出来ますのを、振って/\振抜いて、同衾をしないので隠し様がありませんからさ、押して云えば仕方がないから、私は自害して死ぬばかり、私は二度と夫は持たない、親が悪い、無理に持たせたから
当然と仰しゃるだけで仕方がありませんよ」
山「露顕しては止むを得ない、何うしても割腹致すまでの事で」
きん「貴方は又そんな事を云って、仕様がございません、それじゃア相談の
纏まり様がございません」
と
彼れの是れのと云って居りますと、折悪しく其の晩養子武田重二郎は
傳助と云う下男を連れて、
小津軽の屋敷へ行って、両国を渡って帰り、
御徒町へ掛ると、
重「
大分傳助道が
濘るのう」
傳「先程降りましたが
宜い
塩梅に帰りがけに止みました」
重「長い間
待遠で有ったろう」
傳「いえもう貴方お疲れでございましょう、
御番退から御用
多でいらしって、
彼方此方とお歩きになって、お帰り遊ばしても
直に
御寝なられますと宜しいが、矢張お帰りがあると、
御新造様と同じ様に御両親が話をしろなどと仰しゃると、お枕元で何か世間話を遊ばして御機嫌を取って、お帰り遊ばしても一口召上って、ゆる/\お気晴しは出来ませんで、誠に恐入りましたな」
重「何も恐入ることはない、
私は仕合せだのう、幼年の時継母に育てられても継母が
邪慳にもしないが、気詰りであったけれど、当家へ養子に来てからは
舅御が
彼の通り
好い方で、此の上もない仕合せで」
傳「へえ
私は旧来奉公致しますが、旦那様も御新造様もいかつい事を云わないお方で、誠に
私も仕合せで、実に
彼アいう方でございますから、
斯様なことを申しては恐入りますが、若御新造様はすこしも御奉公遊ばさない、世間を御存じがない方でございますからな、あなたがお疲れの処へ、御両親様の御機嫌を取ってお長くいらっしゃる時には、御新造様が
最うお疲れだからと
宜い様に云ってお居間に連れ申して、おすきな物で一杯上げる様にお気が付くと
宜しいが、余り遅くお帰りになるのが御意に入らぬのか知れませんが、つーと腹を立ったように、お帰りがあっても
碌にお言葉もかけない事がありますからな」
重「いゝや
然うでない、御新造は奉公せぬに似合わぬ中々
能く心付くよ」
傳「へえ……何うも
私も旧来奉公致しますが、あなた様には誠に
何うも
何とも済まぬことで、実に恐入ったことで、私は心配致しますが、だからと申して黙っていても何うせ知れますからな」
重「何を」
傳「へえー、誠に何うも恐入って申上げられませんが、実は貴方様に対して御新造様がな、何うも何う云うものか、誠に恐入りますな」
重「大分恐入るが、
何だい」
傳「へえ……申し上げませんければ
他から知れますからな、
却って御家名を
汚すようになりますから、御両親様も……また貴方の名義を汚す一大事な事でございますから、
外のお方様なら申上げませんが、あなた様でございますから何うか内聞に願い、そこの処は世間に知れぬうち御工夫が付きますように参りましょうかと存じますが、何うか御内聞に、何うも何とも恐れ入りまして」
重「恐れ入ってばかりではとんと何だか分らんが、他の事と違って家名に
障ると、
私が身は何うでもよろしいが、中根の苗字に障っては済まぬが、
何じゃか言ってくれよ、よ、傳助」
八
傳「実は申上げようはございませんが、もう往来も途切れたから申上げますが、御新造様は誠に
怪しからん、
密夫を
拵え遊ばして逢引を致しますので」
重「ふう嘘を云え、左様な嘘をつくな決して左様な事は有りません、世間の
悪口だろうから取上げるなよ、
私が来ましてから御新造は
些とも
他へ出た事はないぞ、弁天へ参詣に
行くにも小女が附き、決して
何処へも行った事はない」
傳「それが有るのでへえ……実に恐入りますがな、不埓至極なのはお金と申す旧来勤めて居りました団子茶屋おきん、へい
彼奴が悪いので、へい、奉公して一つ鍋の飯を喰いました女でございますから
宜く
私は存じて居りますが、口はべら/\喋るが、彼奴が不人情で
怪しからん奴で、お嬢様を自分の
家の二階で男と密会をさせて、幾らか
しきを取る、
何如にも心得違いの奴で」
重「そりゃア
誰がよ、誰が左様なる事を云う、相手は何者か」
傳「相手はそれは
何うも、白島山平と云う
彼の下役の山平で、
私も
外の方なら云いませんが貴方様だから、お
舅御様のお耳にはいらぬ様にお計らいが附こうと思って申しますが、何うも恐入ります」
重「嘘を云え、白島山平は義気正しい男で、役は下だが重役に
優る立派な男じゃ、他人の女房と不義致すような左様な不埓者でない」
傳「それが誠に有るので、実は昨日な証拠を拾って持って居りますが、開封致しては相済みませんが、
捨置かれませんから心配して開封いたしましたが、山平へ送る艶書を拾いました」
重「どう見せろ」
傳「何うか御立腹でございましょうが内聞のお計らいを」
重「見せろ、どれもっと提灯を上げろ」
と重二郎艶書を
開いて繰返し二度
許り読みまして、
重「傳助」
傳「へえー」
重「少しも存ぜぬで知らぬ事であったがよく知らしてくれた」
傳「何うも恐入ります、それだから貴方様がお帰りになっても、御新造様が快よく御酒の一と口も上げませんので、何うも驚きますな」
重「この文の様子では懐妊致して
居るな」
傳「へえー何うも
怪しからん事でげすな」
重「団子屋のきんの宅に今晩逢引を致して居るな」
傳「へえ丁度今晩逢引致して居ります」
重「きんの宅を存じて居るなれば案内しろ」
傳「いらっしゃいますか」
重「
己が
行こう」
傳「貴方いらっしゃッても内聞のお計らいを」
重「
痴けた事を云うな、武士たる者が女房を
他人に取られて刀の手前此の
儘では済まされぬから、両人の
居処へ踏込み一刀に切って捨て、生首を
引提げて御両親様へ家事不取締の申訳をいたすから案内致せ」
傳「是は何うも飛んだ事を云いました、是は何うも恐入りましたな、
外様なれば云いませんが、貴方様でございますから内聞に出来る事と心得て飛んだ事を申しました」
重「飛んだ事と申して捨置かれるものか、
行け/\」
と云われ
真青になってぶる/\
顫えて傳助地びたへ
踵が着きませんで、ひょこ/\歩きながら案内をするうちに、団子屋のきんの宅の路地まで参りました。
重「これ/\
其処に待って居れ、
町家を騒がしては済まぬから」
傳「何うかお手打ちは御勘弁なすって」
重「黙れ、提灯を消してそれに控え居れ」
傳「へえー」
重二郎は傳助を路地の表に待たして、自分一人で裏口の腰障子へぼんやり
灯がさすから小声で、
重「おきんさんの宅は
此方かえ」
と云うと二階に三人で相談をして居りましたが、
きん「はい
魚政かえ…いゝえ此の頃出来た魚屋でございますから、
器物が
少ないのでお刺身を持って来ると、
直に
後で
甘を入れるからお皿を返して呉れろと申して取りに来ますので」
きんは魚屋と間違えて、
きん「少し待ってお
出でよ」
と
階子段を下りて、
きん「魚政かえ、今お待ちよ」
と障子を開けて見ると、魚屋とは思いの
外重二郎が刀を
引提げてずうと入り、
重「これ照が二階に参って
居るなら
一寸逢わして呉れよ」
きん「いゝえ御新造様は
此方へは
入っしゃいません」
重「入っしゃいませんたって参って居るに相違ない、是に駒下駄があるではないか」
きん「あのそれは
先刻あの
入っしゃいまして、それはあの、雨が降って駒下駄では
往けないから
草履を貸してと仰しゃいまして」
重「馬鹿な、
痴けた事を云うな、逢わせんと云えば
直に二階へ通るぞ」
きん「はーい
何卒真平御免遊ばして、何うぞ御勘弁遊ばして、御新造様がお悪いのではございません、皆きんが悪いのでございますから何うぞ」
重「何だ袖へ
縋って何う致す、放さんか、えい」
と袖を払って長い刀を
引提げて二階へどん/\/\/\と重二郎駈上ります。これから何う相成りますか一寸
一と
息致して。