五十
山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、
繼「なに
と云って山之助に力を附けます。また時々塩を貰って
繼「山之助さん、今日は
山「お繼さん誠に有難う、私はまア
繼「何う致しまして、
山「誠に有難いことで」
繼「山之助さん、誠に寒くていけませんし、斯う
山「えゝ寝ても宜うございますけれども、お前さんが男なら宜いが、女だからねえ、私は何うも一緒に寝るのは悪うございますから」
繼「何も
山「
繼「本当に
山「じゃアお繼さん脊中合せに寝ましょう、けれどもねえ女と男と一つ寝をするのは何だか私は極りが悪いし、観音様にも済みませんから、
繼「それじゃア脊中合せが
と云うので到頭
繼「山之助さん」
山「あい」
繼「私はまア不思議な御縁で毎晩斯う遣ってまア、お前さんと一つ夜具の中で寝ると云うものは実におかしな縁でございますねえ」
山「えゝ
繼「私はお前さんに少しお願いが有りますがお前さん叶えて下さいますか」
山「何の事でございますか、私は病気の時はお前さんが寝る目も寝ずに心配して看病して下すった、其の御恩は決して忘れませんから、私の出来る
繼「私は只斯う遣って、お前さんと共に流して巡礼をして西国を巡りますので、三十三番の札を打つ迄はお前さんも御信心でございますから、決して間違った心は出ますまいし、私も大丈夫な方とは思いますが、気が置かれてねえ、何か打明けてお話をする事も出来ませんけれども、私も身寄兄弟は無し、江戸に兄が一人有りますが、これも絶えて
山「何うもよく似た事が有りますねえ、私も一人の姉が有りましたが、姉が亡くなってからは私も一粒種で、親は有ると云っても、十六七年も音信が無いから、死んだか生きたか分らぬから、真に私も一人同様の身の上だがねえ」
五十一
繼「まア何うも、
山「私もお前さんに力に成って貰いたいと思ってねえ、私は
繼「えゝ」
山「だから私は真に力に思って居ますねえ」
繼「そうして斯う男と女と二人で一緒に寝ますと、肌を
山「なにそんな事は有りません、おかしい事が無くて
繼「そんな無理なことを云っちゃア済みませんが、お前さんも身が定まれば、
山「えゝそりゃア是非持ちます」
繼「不思議な御縁で斯う遣って一緒に成りましたが、三十三番の札を打って、お互に大願成就してから、私の様な者でもお内儀さん……にはお厭でございましょうけれども、可愛そうな奴だから力になって遣ると仰しゃって置いて下されば、誠に私は有難いと思いますが」
山「そう成って下されば、私の方も有難い、本当に
繼「本当にお前さんが
山「
繼「私も打明けて云いたいが一大事の事だから……若し男の変り易い心で気が変った
山「私も一大事が有るのだよ」
繼「
山「本当によく似てるねえ」
繼「まアお前さん云って御覧」
山「まアお前から云いなさい」
繼「まアお前さんからお云いなさいな、打明けて云やア私を見棄てないという証拠になるから」
山「でも一大事を云ってしまってから、お前がそれじゃア御免を蒙ると云って逃げられると仕様が無いからねえ」
繼「私は女の口から斯ういう事を云い出すくらいだから、そんな事は有りませんよ、本当にお前さんを力に思えばこそ、
山「誠に有難う、そう云う訳なら私から云いましょうがねえ…実はねえ…まアお前から云って御覧」
繼「まアお前さんから仰しゃいな」
山「うっかり云われません……全体其のお前は何だえ」
繼「私は元は江戸の生れで、越中高岡へ
山「あの怖い顔の六部が居ましたが、
繼「実は山之助さん、私は
山「えゝ敵討だと、妙な事が有るものだねえ、お繼さん私も実は敵討で出た者だよ」
繼「あらまアよく似て居ますねえ」
山「本当によく似てるが、何ういう敵を討つのだえ」
繼「私はねお
山「それは妙だ、私も敵討をしたいと思ってねえ、私は
繼「いゝえ坊さんに成ったのだが、その前は榊原様の家来でございます」
山「うん榊原の家来……私の親父も榊原藩で可なりに高も取る身の上に成ったのだが、何う云う訳か私と姉を置いて行方知れずに成りましたから、実は姉と私と
繼「まア何うも
山「そりゃア妙な事が有るもんだねえ、よく似てるねえ」
繼「似て居ますねえ」
五十二
山「何うも不思議な事も有るものだ、それじゃア何だね、お前のお母さんは坊さんかえ」
繼「いゝえ、私の継母は元は根津の
山「これは何うも不思議だ、あの十曲峠で私と間違えてお前を
繼「あゝ嬉しいこと、何卒私の助太刀をして下さいよ」
山「助太刀どころじゃアない、私が敵を討つのだから」
繼「いゝえ私が親の敵を討つのだから、お前さん一人で討っちゃアいけません、私の助太刀をしてしまってから姉さんの敵をお討ちなさい」
山「そんな事が出来るものか、何うせ私も討つのだから夫婦で一緒に斬りさえすれば
繼「本当にまア嬉しい事」
山「私も
繼[#「繼」は底本では「山」]「本当に観音様のお引合せに違いない……南無大慈大悲観世音菩薩」
と悦びまして、
山「もう斯う打明けた上は、
とこれから山之助は気が勇んで、思ったより早く病気が全快致しましたからまだ雪も解けぬ
繼「御免なさいまし/\」
男「はい何だえ」
繼「あのお百姓の文吉さんのお宅は
男「あい文吉さんは
繼「あのお婆さんはお達者でございますか、
男「
婆「はい
繼「御免なさいまし、貴方が
婆「はい
繼「あなたお忘れでございますか、
婆「あれや何うも
繼「はいお婆さんに逢いたいと思って
婆「まア宜く尋ねて来たよ、是やア誰か井戸へ行って水を汲んで来て……足い洗って上りなよ……おう/\草鞋
と云われたから巡礼二人は安心して上へ上り、
繼「御機嫌宜う」
と挨拶を致しますると、
婆「お前は全く藤屋七兵衞の娘お繼かえ」
繼「はい全くお繼でございます、兄は
婆「はあえ、
五十三
繼「はいそれに就いてはお婆さん
婆「おゝ正太郎かえ、あの正太郎には
繼「はい実はこれ/\/\/\でございまする」
と涙ながらに、三年
百「はい御免なさい」
婆「誰だい」
百「おゝ
婆「今日は細田まで行くってえなえ、嫁も今湯う貰いに行ったから留守うして居ますわ、まアお掛けなさい、一服お吸いなさい」
百「はア細田へ行ったゞかえ、それじゃアちょっくら帰らないなア、婆さま、まア何時も達者で
婆「達者だってこれ何時までも生きてると
百「
婆「お前も何時も達者だねえ」
百「
婆「達者では
百「あんたア立派な
婆「まだ出来ないよ、あんたア子供は
百「
婆「はえゝ
百「それで何だ、深川の猿子橋の側の
婆「はえーい感心な子だのう、親の為に食い物を贈る様な心じゃア末が楽しみだアのう」
百「所がのう婆さま、忘れもしねえ去年
婆「はえーい何うしたゞえ」
百「何うしただって婆さま、
婆「はえーい
百「忰が行ってる菓子屋へ
婆「はえーい」
五十四
百「まだ宵の事だと云うが、
婆「はえい
百「なに火事でなえ、灰が眼に
婆「はえーい元は侍だって、
百「うん、何とか云ったッけ忘れた、ん、ん何よ元は榊原様の家来で、一旦坊様に成ってまた
婆「はえーい
と話をして居ると、部屋に居ったお繼が
繼「おじさんお
百「はい……おや巡礼どんが出掛けて来た」
婆「なにこれア
百「へえ婆さま、
婆「
百「そうかねえ……額に疵が有りますよ」
繼「じゃア年は何でございますか、四十ぐらいに成りますか」
百「えゝ然うさ、四十もう一二ぐらいであろうか」
繼「元は榊原の家来に相違有りませんか」
百「えゝ然ういう話だなえ」
これを聞くと山之助が出て来て、
山「只今蔭で承まわりましたが、その男は顔に疵がございまして、もとは侍で、一旦出家いたして、その還俗した者というお話でございましたが、其の名前は水司又市と申しますか」
百「おや/\/\また巡礼どんが」
婆「是も
百「婆さま、お
繼「それだよお婆さん」
婆「まあ然うかえ」
繼「本当だよ、観音様の御利益は有難いもの、本当に
百「えゝそりゃア実に豪いもんで、もう少しで忰もぶち斬られる所だったが……
婆「……おいこれえ待て/\、これえ待たねえか、
と云ったが敵に逃げられては成らぬと云うので富川町の