二
殺された原因というのは、その家の嫁がもとであった。
此の開墾地をあてに地方から流れこんで来る、大工、土方、左官などゝいう旅職人がずい分ある。けれども、多くは半年か精々一年たゝずでまた流れて行ってしまうのであった。なかには一寸した小悧口なものもあって、辛抱強く我慢して土地の下附願でもして少しばかりの未墾地を耕しながら、気らくに暮らして行こうなどゝいうものもあるけれどもそれは極少なかった。山崎一家のものを惨殺した大工の万吉は、こうした所謂流れ職人の少し気のきいた男であった。
彼は以前、北見のある海岸に、自分とおなじ内地のものが、一寸した漁業をやっているのをたよって出て来た。国で少しは大工の職をおぼえていたので、慣れないながらも船大工の手伝などをしながら、相当に働いていた。若い職人仲間には、不似合なほど堅い男として、少しは金もためたらしい。彼は今度、稚内鉄道の工事が始まるという事を聞きつけて、その海岸を去って天塩の山奥へ来た。そしてなかば飲食店、なかば安宿というような居酒屋に二週間ほど滞在しているうちに、山崎の家の仕事にありついて、毎日その家に出入するようになったのであった。
新開地といえば、ずいぶん如何わしい女が、そんな土方や職人等を相手にうろ/\している。この新開地もやはり、あやしげな女を多く囲っている家が三四軒もあった。万吉が宿っていた家も、どうやらその家の一つらしい。けれども万吉は、これまでそんな女にあまりかゝわった事がなかった。彼はどういうわけか、所謂良家の娘や、美しいきれいな花嫁などに気が引かれたのであった。もしも思煩った所で、彼方の女に何の歯ごたえがなくとも仕方がないと諦めて居た。
職人などのなかにはよく、きれいな男が一人位はいるものであるが、万吉はその美男な一人であった。色の白い鼻筋の通った、一重目蓋の男である、彼は宿の女将と懇意になると、よく様々な世間話をした末が、この界隈の娘だちや、嫁の話しを初めた。
『五腺奥の藤原さんには、おひめ様のような娘がいる。』
などゝいうことを、如何にもうらやましそうに話したりした。実際藤原の家ばかりでなく、田舎の百姓にはいゝ娘を持った家が多い。
万吉は、そういう娘の噂やなにかを興味深くしていた。
万吉は、たしかに病的な所のある男であった。よくそういう根本的に女が好きな、そして慥かに病的な原因を持つ男に特殊な表情を持っていた。しかしその特殊な表情は、どうかした機会でなければ現われなかった。
万吉は、一見温厚な男である。全く虫も殺さないような男であるが、多くの色情的殺人犯者は型のように、こういう人間である。隠れた暴悪と残忍性とが、薄い皮一重のやさしさと美しさとで蔽われているのであるから物凄い。
万吉は、山崎の家の納屋を建てる為めに、仕事に行くようになってから、山崎の嫁さんが非常に好きでならなくなったと同時に、もはやその感情を自分でどうすることも出来なかった。彼は自分の仕事がすんでしまってからも、毎日々々遊びに行った。
山崎の家は、亭主と嫁さんと一人の乳呑子の外、子守女に亭主の父親がいる外は、外に何の雇人もいない。広い畑が家をかこんでいて、すぐ裏は、とど松やがんぴの樹が一面にしげった低い山が背になっている。麦や馬鈴薯が植えられて、菜の花が黄色にさく頃は、遠い北見峠の頂にまだ真白の雪が見えるのであった。それに家の前には、小さな流れが走っていて、飲料水も肥桶も、また大根も流れの下の方で洗うという、非常に便利な所であった。
台所の板の間からつゞいて長い縁先に腰をおろして、万吉はいつもこの嫁さんを捕えてはいろ/\の事を話しかけるのであった。亭主がいようといまいと、万吉にはさほど苦にはならなかった。
『うちの、かいべつには虫が尠い。』
と、一人言しながら前の一寸した花などを作ってある所に、五つうねばかりのキャベツがある、そのキャベツの上に白い蝶が動いているのを見乍ら、嫁さんの顔をじっと見ていた。嫁さんは、一寸笑ったきり何かの仕事に余念がなかった。万吉は、いつもこんなように別に大した話しという話しもせずに帰って行く。
亭主は、大抵外を出歩いていた。幾分のろまなような亭主は、馬をつれて四五里もある村へ出かけて、馬を交換してみたり、一寸した土地の売買に手出しをしたりして居たが、今度も家の方は嫁さんと老人にまかしたきり、天塩の海岸の方に何の目的もなく出かけて行って、まだ手紙の一本もよこさない。
万吉が凶行を敢てしたのは、その留守である。
其日は、朝早くから万吉が遊びにやって来た。勿論、万吉は最初から殺意があったわけではない。彼は今日こそは、毎日/\考えぬいたことをこの美しい嫁さんに打あけて、自分の思いを遂げたいと思って、とう/\殆んど夢中で、ながい間胸に畳んで居た、嫁さんに対する恋をうちあけて了った。そしてその時はもはや万吉は、意識の明瞭を欠いていた。いざとなれば飛びついて、自分の愛して居るものを、どうにでもしかねまじき勢で、熱心に、全くすがりつくように、また憐みを乞うものゝように嫁さんに対して迫まった。万吉の眼は血走って、すべての血液が両手と頭にだけ溢れてしまって、他の五官は働きを失ってしまったかのようであった。それでいて、青い顔がより以上青ざめて、唇の色は土のように黒く、下唇のぶる/\ふるえるのを噛みしめながら、口のかわきを時々のみこむ唾液でうるおして、心から嫁さんに肉迫した。
嫁さんは、この万吉の要求を頭から拒絶した――というよりは殆ど正気とは思えないので相手にしなかった。しかしじょうだん半分とも思えなかったので思わずぞっとした。とその一瞬間――のぼせ上って血眼になっている万吉の眼は、グル/″\とまわってあたりを見た。――そして不幸にも彼の眼は土間の片隅に置いてあった、短い手斧の先に吸いつけられた。彼はそれを取るより早く振りあげた。万吉はもうその時発狂していた。
急にかぶさって来た、重苦しく恐ろしい凄い憤怒の情の為めに、万吉は立上って何物にかぶつかって砕けてたおれなければならなかった。嫁さんは飛び下りて庭に走った。が、万吉の速度に敵すべくもない。彼の振りかざした斧は嫁さんの右の肩の上に落ちた。嫁さんは悲鳴の下にそこに倒れた。その声に驚いて近所で遊んでいた子守は、子供を負ったまゝ走って来た。寝ていた老人も起きて出た。万吉は猛獣のように、一人の老人と子供を負った子守女とを追いまわして、十二三間はなれた畑の中で、すべてを斃してしまった。
万吉は、そのまゝ斧を投げすてゝ、この新開地の裏道から川にそうて逃げた。
翌朝はやく警察の役人と、検死が来た、そして楯井さんは、兎に角死体を丁寧に棺に納めて、延徳寺のお寺さんの来るのを待った。楯井さんは、ぼんやりしてしまっていた。
嫁さんは、延徳寺の熱心な檀家の一人であった、そして彼女はいつも口ぐせのように、一度は延徳寺にお詣りをしたい/\と言っていたこと等を思出した。そうして延徳寺建立の時などは、率先して大きな寄進をした。
お昼すぎの二時頃延徳寺のお寺さんは来た。噂ではこのお寺さんは、学問があるけれども、非常に、やまし気のある人だという事であった。お寺さんは三十七八の頭の長い人で、顔中、細かい皺がよっていながら、つやつやしたいゝ色の膚の人であった。
お寺さんのお経が終わってその夕方葬式をすませた。村のせまい墓所に四つの新らしい墓標が加った。
延徳寺までは六里もあるので、其夜お寺さんは、此の家に泊った。新開地のことなのでいろ/\の人が集まって、お寺さんを囲んでさま/″\仏様の話し等をした。お寺さんは、こんなことを云った。
丁度、一昨夜の十二時頃、大変ひどい音がして寝られなかったので、朝早く御堂に行って見ると、御堂の前の畳が二畳敷ほどの大きさ一ぱいに、生々しい血がひろがっていたと云った。聞いてた人々は、
『嫁さんがお寺まいりを、したい/\と云って一度もお詣りが出来なかったので、きっと嫁さんのたまし(魂)が知らせに行ったのだ。』
と云って、しみ/″\した顔付をした。
楯井さんは、嫁さんの亭主が帰って来るまで、丁度五日の間この淋しい家に留守をしていた。亭主は帰って来ても、別に悲しんだ様子もなかったが、当座一週間ばかりは、毎日々々墓参りをしていた。
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