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咲いてゆく花(さいてゆくはな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:40:20  点击:  切换到繁體中文

底本: 北海道文学全集 第四巻
出版社: 立風書房
初版発行日: 1980(昭和55)年4月10日

 

少女は、横になって隅の方に――、殆ど後から見た時にはランプの影になって、闇がどうしてもその本の表を見せまいと思われる所で、一心になって小説をよみふけっていた。
 明日からつゞく夏休なつやすみの安らかさと、大きな自由との為めに、少女は[#「少女は」は底本では「小女は」]いま心一っぱいに、小説のなかの[#「なかの」は底本では「なかのかの」]かなしいなつかしい少年とその家庭とについていつまでもいつまでも涙ぐむことが出来るのだった。そして自分の現在のすべてを幻のようにとかし込んで、夢のような息をはいていた。
 おなじ部屋のランプの光りの中心には、中学に行ってる少女の兄と、その友だちが横になってこれから行わるべきボールのマッチのことについて話し合っていた。そして御互おたがいに青年だちは、その息も聞えないような少女について考えなかったし、また少女も小さな彼女の身体からだによって作られた闇のなかに封じられてしまったように、ランプの光りの方に振り向うとも、彼等の話しに耳をかたむけようともしなかった。
『おヤ、君の妹はあんな所で本をよんでるの。』
 不意に一人の友だちが隅の方に頁をまくる音を聞いて云った。
『うん、そうだろう。』彼女の兄も同時に、隅の方を見た。
『本をよみ出すとまるで狂人きちがいでね。側で悪口を云っても聞えないんだから。』兄は嬉しそうに笑った。
『目が悪くなるよ。』とそれからまた声をかけた。少女は、ふと器械的に振り向いて微笑した。しかし誰れの顔も網膜にうつらなかった。只、明るさがまぶしく目についたばかりであった。そしてまたすぐ、彼女は暗いかなしいまぼろしにつゝまれてしまった。
 その夜、おそく少女は自分の部屋の寝床のなかに入った。そして彼女が夢に入ってゆく時、寝床が軽く空に持ち上げられるような気がした。少女は、その夜夢を見た。
 そこは、少女の記憶に、植物園らしかった。少女は、赤い花をほしいと、一生懸命に前から歩いていた。しかし少女の歩いてる所にはなんの花も咲いてなくって、道の色は白かった。けれどもやがて彼女は遠い所に、赤い点のようなものを見つけていそいだ。そして、小さなダリヤの花を一本見つけた。それで、彼女はいそいで折り取ろうとすると、その花は見るうちに驚くほど大きくなって、牡丹のはなのようにくずれてしまった。おどろいて手を引くと、ずっと前にも前にも赤い花が一ぱいにつらなって咲いている。そしてそれがほのおのようにくずれては燃えてるのだ。
 少女は、おどろいて茫然たってしまった。すると、彼女は足元から蒸すような熱さを感じて、めまいがすると、そのまゝくら/\と倒れようとした。
 翌朝、ほのかな暁の光りと共に、少女は夢を忘れてしまった。そして北国ほっこくの晴涼な、静寂な、夏休の第一日目の暁を、少女は常のように楽しい安らかな夢から、白い床の上に一人目覚めた。そして、朝のあたらしい、光りに対する歓喜の為めに、無意識に床のなかゝら、つやゝかなゆたかな片腕をさしのべて、枕際の窓のカーテンを引きあげようとした。けれども彼女は急に、おどろいたような不快な表情をして、床の中に再び引込んだ。
 そして直ちにいまわしい重苦しい、だるい気分になって、どうしたわけか時々おそわれるようにはずかしさが、少女の乱れたお下髪さげの髪の先から、足の先までをぞっとさせた。そして夜具のなかの両足が、物におびえたようにふるえた。
『どうしたらいゝだろう。』
 けれども少女は、そのまゝ床のなかにいるという事も出来なかった。わずかに起き上っては見るけれども、いつものように着物をきるだけの元気はなかった。そして急に目覚めた歓喜も、すべて小さな幸福までも少女の心から消えてしまって、日を見ることの出来ない土のなかのもぐらのように悲しかった。やさしい母にもなつかしい兄にも姉にも、自分は罪人のように逢うことが出来ないように思った。
『どうして逢おう。』少女は、この不意な、肉体上の今の変化が、なにか知られざる罪に対する罰のように思われてならなかった。けれども彼女はすぐに、『わたしは知らないのです。私はなんにも悪いことを致しません。』と心のなかに哀願した。少女は、まだ若い幼い心に、苦しみや悲しさは、悪という罪に対してのみ受ける罰でなければならないと思ってたのだ。そしていま、この烈しい苦しい恥羞は、罰を受けた時の良心であろうと思ったのだ。
『私はなんにも知らない。』
 彼女は、遣瀬やるせなさとかなしさと、不安との為めに立上ることも出来ずにいた。そして、彼女の美しい腕や胸は疲れて、眼は不安に空を見つめたまゝしばらくふるえていた。
 しかし人間のあらゆる感情と行為とは、どれだけ生理的によって強いられるかわからない。
 少女はまたすべての感覚が著しく、鋭敏になっていた。彼女の乱れた髪のなかの小さな二つの耳は真赤になって、襖の外にする物音や声をすばやく捕えることによって、おのゝいているのであった。そして、いまにも何人かゞこの襖を開けて自分を見るであろうという予覚によってたまらなく不安でならなかった。
『どうしよう、どうして。』
 少女は、ぬけ出た夜具の乱れた模様の皺を見つめて、不安と恥しさにふるえながら、
『どうして、すべてのことどんな事でもお話しすることの出来たお母様に、どうして、こんな事がこんなに恥しいのだろう。』と考えた。
 そして、この変化によってすべての今までの明るい面白い歓喜と希望にみちた、ゆうべまでの楽しい多くの友だちと兄弟との世界がすっかり閉されてしまって、彼女には重苦しいやるせない夕方の木影のような暗い不安な世界ばかりになったように思われた。
『私はもうみんなお友だちと遊ぶことが出来ない。私は一人ぼっちになってしまわなければならない。けれどもどうしたことだろう。』
 少女は、たちまちきのう友だちと街を自由に楽しく歩きながら、今日からの夏休に対して、限りない歓楽の想像と、それについていろ/\な約束をしたこと等思出して悲しかった。
 そして、今朝けさは友だちが農園の小川のほとりに遊びに行く為めに、誘いに来るだろうと思いながら、少女は肩のあたりから落ちそうになった、赤いリボンをむしり取りながら、茫然と目の前を見つめた。『本当にどうして、[#「『本当にどうして、」は底本では「本当にどうして、」]私ばかりが、私ばかりにこんな事があるのだろうか、皆が知らない顔をしているとする。けれども皆はいつも愉快に楽しそうなのだもの。私ばかりだ。』
 少女はじっと動かずに疲れたらしい様をして、恨めしそうにカーテンの先をわずかにつまんでは、無意識にかみ初めた。と、不意に殆ど彼女がおそわれるように感じた程に――母親が襖を開けて顔を出した。
『もうお起きだろうね。』
 そして母親は、常のように優しく声をかけて、少女を見守ろうとしたが、少女が全くおびえたように驚いて、カーテンを急にかたく顔におしあてたのを見て、母親は、あきれたように目を見はった。
『おやお前はなにをしてるの。』そして、母親は、おじ/\と彼女の部屋のなかに入って来て、少女の肩に手を触れようとしたが、少女は母の手が恐ろしいものゝように、さけるようにしてうつむいた。彼女は、とう/\カーテンで押えた、その大きな露を持ったような瞳を、すっかり泪におぼれさしてしまったのである。
 母親は、いぶかしそうに再び周囲を見まわした。そして、彼女が自分自身を母親に見られることが、恥しくまた恐れているような様子を見た。少女の肩に乱れているお下髪さげの髪が、静かにふるえているのであった。
 それで母親は、ふとあることに気がついたように、掛けてあった夜具をひろげて見た。そして漸く安心したように襖をしめて、少女の傍に坐り静かに話しをして聞かせた。それが、すべての女に対して女と産れた以上は、必ずあるべきことであるけれども、ひそかにかくすべきいまわしい恥ずべきことゝしてまた母親自身も、それについて話すことを躊躇し、またいとうようであった。
 少女は、なおカーテンの中に顔をうずめながら恥しさと厭わしさに耳をそめて、静かにうなずきながら聞いた。けれども遂に少女は母親が部屋を出て行ってしまうまで、顔からカーテンをはなすことが出来なかった。母親の顔を見ることすら出来ないほど、彼女の心は恥しさに満たされてしまったのであった。
 やがて彼女は、窓硝子を透して暑いまぶしい日光が額と前髪とにあたるのを感じた。それで、漸く彼女は瞳を見開いて、日がうるんだ彼女の瞳の前にいくつかの小さな環になって、キラ/\と渦をまくように感じながら、物倦ものうく着物の前を合せて、それからひそかに姉や兄やまた母親の姿をさけて、茶の間に行った。そして初めての、限りなく不安な不味い朝の食事を、かぎりない寂寥と孤独とを感じながら一人でたべ終った。彼女は、そしてまたすぐ知られないうちに、自分の部屋に帰って襖を閉じた。
 けれども少女は、幾日もまた幾年も逢わない人のように、姉や兄の顔を見たかった。また母に云ってきのうのおいしかった十四号の林檎をたべたかった。そして姉や兄はどこへ行ってなにをしているのだろうと、むやみに恋しかった。茶の間の方に兄や姉などの声が入りまじって聞える時などは、みんなの楽しさにくらべて閉込とじこもっている自分の身が、殊更にあわれまれた。けれどもどうしても、自分はみんなのお仲間入りをして、楽しく話し合うというようなことは出来なかった。この変化があまりに自由であった少女の肉体に、どれだけの束縛を与えたことだろう。
 少女は、一人でじっと悲しさや不安に沈みながらもふと今日は姉の活花いけばなの日であるという事を思出した。彼女は、美しい姉が今日は、どんな様子をしてどんな美しい花を持って行くだろうと考えると、それを一目見たいと思った。またきのう自分が学校で赤い羅紗のマークをつけて上げた兄のボールの襯衣しゃつをもう一度着て見せて貰いたかった。けれども彼女は動くことが恐ろしく不安だった。少女は、耳をすまして家の中の静かな事を考えながらまた急にかなしくってならなかった。
 やがて、『行ってまいります。』と、姉が常のように晴れやかな声で、出て行くのが聞えた。少女は、姉が金仙花と、赤い夏菊とをそろえて、花の方を地にさげて持ちながら、出てゆくのを想像した。そして紫のパラソルが道向うの生垣の角を曲るのをも、目の中に考えて見ることが出来た。

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