その十
それよりいくばくの月と日は、一郎が境遇にも変化を与へず。心裡も平和に過ぎ去りしに。俄然政海の、光景は一変して、頼みきつたる民党の、かれもこれも猟官沙汰。前車の覆轍、後車なる、開明党の殷鑑とはならで、因果はめぐる小車を、我も己れもと轢らせつ。人の失意を我が得意、出世の門に急ぐなる、その失躰は前車といづれ。誰も鴉の雌雄は知らねど、鷺を鴉と争はれぬ、暗き心根世に知れて、絶えぬ噂はこれ一ツ。駿馬の骨のそれならぬ、国士の果てはさても重宝。死しても皮を留むなる、獣の皮は幾十倍、高値く売れても、人といふ、その価の下がるが気の毒と。世間の評判朝夕に、一郎が耳にも伝はれど。ともすれば熱血迸らむとする政談に耳傾くるは、今の青年時代にあらじ。父が出獄もほど近きにと。わざと冷淡を装ひて、素知らぬ顔の一郎が、聞き捨てならぬ一報の、またもや耳辺に轟き来ぬ。そは一郎が唯一無二の師と頼みて、その高節を仰ぎ、その徳量を慕ふなる国野為也の。近日挙げられて某省の次官となるべく、またこれを承諾せしといふ一報なり。
さあれ風声鶴涙に驚きて、先生の清操を疑ふは、知遇に負くの罪大なりと。わざわざ小田が耳語を一笑に付し去りし一郎も。さすがに全くは忘れかね、つらつら邸内の、光景に目を注ぐに。思ひなしかや、昨日は一昨日よりも、今日は昨日よりも、打傾かるるもの多く。かつては一郎が悲歌慷慨せざるを笑ひてし、都督殿が面には、何となく喜色顕れしさへあるに。その日の夕べかねてより、あらゆる志士と、政府の間に斡旋して、人材登用の、中門の鍵を預れりとの噂ある、有名なる権畧家、朝野渡といへるが訪ひ来りて、先生との密談久しかりし際。一郎はふと用事のありて、その応接所の廊下まで至りしに。障子を漏れし主客の対談。
『じやあいつ辞令を下させてもいいね』
『さうさ。だが四五日は待つてくれ。少し都合があるから』
聞き耳立てし一郎の、俄に立止まりしその気配に、中止となせし話し声。誰だと先生の声かけたまふに、決然として大村と答へ。踵を返して書生部屋に、この大疑問の、解釈を試みんとする一刹那。またも一郎が机の上に、一郎を驚殺するの一封書は載せられゐぬ。
『何ツ、父上は御病死とや。獄内にツ、ちゑー残念ツ』
その一書を握りたるまま、押入より蒲団引きずり出し。頭より打被ぎて、夜もすがら悲憤哀歎の声を漏らしぬ。
その翌々日満都の新聞紙上欄外に、二号活字もて数行の殺伐文字は掲げられぬ。
昨夜九時頃、――において、朝野渡氏を、車上に要撃したるものあり。電光一閃氏が頭上に加はりしも早速の働き、短銃を連発せしにより。曲者はその目的を達し得ずたちまちに踪跡を晦したり。車夫の言によれば、壮士躰の男にて、面貌頗る、国野為也氏方の書生、大村某といへるものに彷彿たりと。なほ後報を竢つて記すべし。
国野先生は、この新聞を手にして、呆然自失したまふところへ。令嬢の梅子殿、顔色かえて入り来り。
『お父様、大村の事が新聞に出てゐるさうでございますね。昨日の朝、あれがでまする時、私にこの一封を渡しまして。二三日の内私の事が新聞に出ました時、これを先生にあげて下さい。それまでは決して貴嬢の手を離さず、大事に保存しておいて下さいと。頼みましたもんですから』
と、差し出すに、さてはとうなづきて披き見れば。
かつて聞く、士に貴ぶところのものは気節なり、気節なきは士にあらず。今や時勢滔々奢侈に流れ、人心華美を
衒ふ。ここにおいてか天下の士、気節の貴ぶべきを
遺れて、黄金光暉の下に拝趨す。それ黄金は士気を麻痺するの劇薬、名節を変換するの熔爐なり。今の士相率きひて、媚を権門に
納れ、
を要路に通ずるは、その求むるところ功名
聞達よりも、むしろ先づ黄金を得んと欲するの心急なればなり。その境遇や憐れむべし。その志操や卑しむべし。しかるに天下一人の、これが
頽を挽回するの策を講ずるなし、かへつてこの気運を煽動し、人才登用を名として、為に門戸を啓き、名望あるの士を迎へて
啗はしむるに黄金をもつてし、籠絡して自家の藩籬に入れ、もつて使嗾に供せんと欲す。ああ銅臭、否鉱毒の感染するところ、士の高節清操を糜爛せしむ。あに慨歎に堪ゆべけむや。いはんやその弊害の及ぶところ、ひいて世運の進歩を妨げ、国威の拡張を
障ふる事、決して浅少にあらざるをや、速やかに眼前に横たはるの
蠧賊を除き、士風の萎靡を振ひ、社会の昏夢を警醒せんと欲し、
斬奸の策を決行す。伏して
惟るに先生の盛徳実にこれ国士無双、謙譲もつて人を服し、勤倹もつて衆を率きゆ。加ふるに経世の略、稜々の節、今の時に当つて先生を外にして、はた誰にか竢つあらむ。しかもなほかつその隙を覗ひ、名望高節を傷つけむと試むるものあるにあらずや。
今や国家実に多事、内治に外交に、英雄の大手腕を要するもの、
什佰にして足らず。しかも出処進退その機宜一髪を誤らば、かの薄志弱行の徒と、その軌を一にし、その笑ひを後世に
貽さんのみ。あに寸行隻言も、慎重厳戒せざるべけんや。すべからく持長守久の策を
運し、
力めて、人心を収攬せよ。人心の帰する所、天命の向ふ所には、大機自から投ずべし。その大機に会し、大経綸を行ひ、大抱負を伸べて、根本的革進を企図するも、未だ遅しとなさざるにあらずや。黄口の児
敢て
吻喙を
容るるの要なきを知る、知つてなほかつこれをいふ、これ深く天下の為に竢つところあればなり。
顧ふに生や師恩に私淑し、負ふところのものはなはだ多し。しかるに軽挙暴動、
妄りに薫陶の深きに
負むく。その罪実に軽しとせず。しかれども生がこの過激蛮野の行為を辞せず、一身の汚名を
堵して、微衷を吐露し、あへて一言を薦むるものは、いささか深厚の知遇に
酬ゆるに外ならず。
冀くはこれを諒せよ。門下生某泣血頓首。
覚束なき筆の跡ながら、一郎を知る、先生の眼には自から生気あり。撫然として長歎独語、
『ああ惜しい、青年を廃らせた』
その余響かあらぬか、朝野策士は、重ねて国野氏を訪はず。されば国野氏が邸内の光景は、旧によつて旧の如くなるも。流言蜚語は、未だ全く跡を絶たず。その進退は今もなほ、世間疑問の一問題たり。
されど一郎は疾くその筋の手に捕はれて、その黯澹たる半世の歴史は、謀殺未遂犯てふ罪名の下に、葬られ了んぬ。知らず彼がかねていへりし将来の志望とは、かかる疎暴の一挙なりしか、ああかかる簡短の児戯なりしか。行雲語らず、流水言はず。さはれ世評は既に定まりぬ。咄痴漢、何等の大馬鹿者ぞ、戦後日本の文明を汚せりと。
外に二三巾幗の評語あり。
『ほんとに思つたよりも、恐ろしい男だつたよ。永く置いといたら、私達だつて、どんな目に逢つたか知れやあしない』とこれのみは七十五日の後までも繰返されしを、鎌倉河岸と、飯田町の辺に、聞きしといひしものありし。(『世界之日本』一八九七年七月)
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