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誰が罪(たがつみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:33:24  点击:  切换到繁體中文


   その五

 そもこの男を誰とかなすと、この人の出端だけは、堅くるしく、書かねばならぬ大村一郎。ついでながらその身の上のあらましを記すべし。
 一郎が父耕作といふは、かつても彼がいひし通り、宮城にては、隠れなき旧家の大地主。その分をだに守りなば、多額納税の、数にも入るべき身上なりしに、小才覚ありて素封家には、似合はしからぬ気力ありしが、その身の禍、明治も廿、廿一の、政海の高潮四海に漲りて、大同団結の大風呂敷、ふわりと志士を包みし中に、捲き込まれての馴れぬ船出、乗合とてはいづれを見ても、某々の有力家、その来往を新聞に、特書せらるるほどの国士ながら、金力には欠乏を感ずる饑虎の羊となりて、耕作が前にはやつちややつちや、下へは置かぬ待遇方もてなしかた。某の伯爵殿の前にも政客の、上坐を占むる客将の楽しさ、なかなか小作の与茂作や太五兵衛に、旦那旦那と敬はるる類にあらずと。一足飛びのゑらものに成済ませし、嬉しさの込み上げて、それよりは東京住居、家族も芝辺に引取りて、やれ何倶楽部の集会で候の、政社組織の準備のと、とかくに金の要る相談掛けらるるも、乃公だいこうならでは夜の明けぬ、頼みある中の同盟やと、ぐつと乗地のきた南。東西へ遊説の費用までも引受けて、瞬く隙に財産を蕩尽せし壮快の夢、跡をひきし廿三の春。敵味方入り乱れの戦場に、三百の椅子のその一ツを、占しが因果同志との、悪縁これに尽くる期を失ひて、なほも丹心国に許す、殊勝なる心掛を、新聞屋の京童は嘲りて、田舎議員の口真似を、傍聴筆記の御愛嬌に売る心外さ。その新聞の伝はりては、ゑらものと誉めし郷里の親族までも、酔狂ものと指弾する、表裏反覆頼みなの、世の人心を警醒の、木鐸となる大任は我が双肩に、かかる奴等を驚かさむは、政党内閣の世となして、乃公は少なくも次官の椅子を占むる時にこそあれと、力めば力むほど要る費用、なかなか八百の歳費では、月費にも足らぬ月のあるを、国許より御随行の奥方は危ぶみたまひ、形の通りの御諫言もありしかど、婦女おんな幼童わらべの知る事ならずと、豪傑の旦那殿、一口に叱り飛ばしたまふに、返さむ詞もなさけなの、家道の衰へ見るに忍びず。その心配の積り積りて、軽からぬ御いたつき。そを憐れとは見たまはで、政事家の妻たるものが、そんな小胆な事では、とても今后の乃公には伴はれぬ。かの泰西大政事家の夫人を見よと、奥方はかつて聞きたまひし事もなき、むづかしき名を数へ立てたまひての御説諭。分らぬながらにごもつともと聞かねば、その場が納まらねど、納まりかねるお胸の内。旦那殿にはこの三四年、物の恠がついたさうなと、お熱高まりし夜の囈語うわごとにも、この言をいひ死にに。これも間接には国事に殉したまひし憐れさを、旦那殿はかへつていひ甲斐なきものに思ひ捨てたまひ。それについてもかねてより、秘密会議の席をかねて、赤阪に囲ひ置く妾のおあか、かれは大年増の芸者上りだけに、図太いところが好個の資格と、さすがは藩閥攻撃の、旦那殿程ありて、やはり野に置け蓮花草の、古句法には※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)らず。これを草莽に抜きたまひし御卓見、小子一家の内閣は、早交迭を行ひしぞと、笑談交り、真面目半分、吹聴したまふ事もありしとかや。
 さればさしづめおあかの方は、一郎が母となりし訳なれど、稚きより剛気の一郎、なかなかこれを母と呼ぶをがへんぜず。おあかは無理にも、息子待遇にせむとするを、こなたはそれに抵抗して、母といはじの決心堅く。十三の春おあかが奥方となりし年の翌年、父に乞ひてある漢学先生の家塾住居。稀にも家へ帰らねば、双方が胸の高潮は昂まりながら、幸いに甚だしき衝突もあらで、一二年は大村が家も、無事大平の観を呈しき。
 おあかはその間に万事己が意に任せて、したきほどの栄耀し尽くし、一郎が事は少しも搆はねど。一郎が妹とくといふは、女の子だけに己れに手なづけ、姿容きりようのよきを幸ひに、玩具代はりの人形仕立、染れば染まる白糸を、己が好みの色に仕入れ、やがてはしかるべき紳士の奥方に参らせむ心の算段。何かにつけて議員さまの、奥様は、こんなものぞといはぬばかり、妙なとこまで旦那殿が、お名前の張持出して、外交に伴ふ内政の方針、これまた無鉄砲なる大仕掛に。驕るもの久しからぬ、四年の任期疾く過ぎて、次回再選の運動費は、出処進退きわまりし、脊に腹は代えられずと、一時の融通齷齪たる、破れかぶれの大功には、はや細瑾の省み難く。首も廻らぬ借財の、筋の悪きを聞付けて、得たりや応と攻め掛けし、反対党の爪牙さうがに罹り、そが煽動の出訴により、思はぬ外の監獄入り。世を落選の耕作が、万事休せし一期の淪滅、家の激動、一郎が学びの窓を破壊して。書に親しまむ少年の、春は柳の千縷蕭條、いとくり返し読み得しは、紙より薄き人情の、立つて歩行くが人の名と、思へばさして世の中に、誉れを得むの心はなけれど、冷笑痛罵の奴原を、驚かしくれむづの、心は期する将来の、大名故には螢雪の苦労を積まむ志、あれどもなきが如くする、君子の徳は養はで、執拗我慢の性情の、募り行きしも境遇なれや。この日猪飼を出てより、行くに家なき身のせつぱ、つまるところが父のもの、子が喰ひに行くに何の不思議と、苦し紛れの一理屈。日頃はこれも憤懣の、一ツとなりし継母の住居。父が難儀を傍観の、母娘二人が事欠かぬ、暮しは絶えぬ古川の、水の流れを売喰ひの、この小格子をおとづれしなり。

   その六

 おつかさんとはいひたからぬ、おあかの顔に瞳を据え。
『一体今の奴は、何といふ奴です。失敬極まるじやないですか、徳を妾になんて』
といふは我への面当と、おあかはわざと冷やかに。
『いいじやないか何だつても。お前あれを知らないかえ』
『何知るものですか、あんな奴ツ』
『ホホホホまたお株が始まつたよ。あれはね、ほら芝に居た頃、始終出入りしてゐた袋物屋さ』
『袋物ツて何です。どふせ正当の商売じやないでしやう』
『困るねえ、袋物は袋物さ。せいとの商売か、先生の商売か、そんな事は知らないが、何しろお父様もよく御存じの人だよ』
『……………』
『さういつちや気に入らないかしらないが、あれだけはよく感心に尋ねてくれるよ。外の者は随分御贔負になつた者でも、見向きもしないんだけれど』
『それがいけないです。彼奴きやつ為にするところがあるからです』
『何、為になんぞなるものかね、今の躰裁だもの。人をツ、私だつてそれ位の事は知つてるよ。まんざら人のおもちやにやあならないからね』
 一郎はしばし無言、やにはに談話一歩を進め。
『それで何ですか、いよいよ徳を妾にお遣りなさるんですか』
『ああ仕方がないからね。さうでもしなけりやお前。二人の口が干上ツてしまわうじやないか』
『これやあ恠しからん。なぜそんなら妻に遣らないのです』
『ホホホホお前も未だ了簡が若いね。そりやその筈さ、自分では一廉ひとかどおとなのつもりでも、まだ兵隊さんにも、行かれない年なんだからね。まあよく積つても御覧、お父様はあんなだし、荷物といつちや何一ツ出来やうじやなし。それで何かえ、立派な方がお嫁に貰つてくれますかえ』
『そりやあります、先さへ好まなければ』
『さうさ、大きにさうさ、それでもよくまあ感心に、先さへ好まなけりやあといふ事を、知つてお出だね。それならば話すがね、なるほどお前のおいひの通り、巡査か、小学校の先生位のところなら、これでも御の字で貰つてくれやうがね。それではお前此娘これの一生も可愛さうだし、また一人ツぽちになつた、私は誰が養ひますえ、お前は今でもたくさん家に、財産ものがあるとお思ひか知らないが、さうさう居喰も出来ないよ。今までだつて、私が遣繰やりくり一ツで維持もたせてゐたればこそ、居られたもの。そこへお前が帰つて来ては、三人口の明日の日を、どうして行かうといふところへ、お前は少しも気が注かぬかえ。それとも代言さんのとこに、二年ほども居た身躰、見ン事お前の腕一ツで、お父様のお帰りまで、私をどうにかしておくれかえ。そこさへ極まれば私だつて、お徳を妾に遣りたくあなし、直ぐにも思案を変えやうわね、さあその返事をしておくれ』
 弱身につけ入る強面、憎しと思へど母といふ、名には叶はぬ痩腕の、油汗を握り詰め
『そ、それは無理です、私は未だ修業中の身躰です』
『それ御覧、それならお前も無理じやないか。修業中なら修業中のやうに、なぜ私にお任せでない』
『そ、それは任せます、もとより任せてゐるのです。だが徳は私の妹です、お父様の娘です。それがどうして、妾になんぞ遣れるもんですか』
『これは面白い、聞きませう。ではお前何かえ、私に耻をかかすんだね。かくべき耻なら、かきもしませう。なるほど私は妾上り、芸者もしたに相違ない。だが今では大村耕作の、家内で通るこの身躰を、見ン事お前はお徳の母でないといひますかえ。さあ聞きどころ聞きませう』
と詰寄する権幕の、売詞には買詞
『もとよりさうです、母でない、この一郎は最初から』
『母と思はぬこの家へ、なぜおめおめとお帰りだ』
『もちろん出ます、直ぐ出るんです』
と畳を蹴立つる一郎の、出たれば結句厄払ひと、落着き払ふ母の顔、怖々こわごわながら見ぬ振して、妹のそつと袖ひくに、一郎はふと思ひ出し。
『むむ徳、貴様も己れと一所に来い』
『あら兄さん嫌ですよ。そんなに怒るもんじやあないわ。早くお母さんにおあやまりなさいな』
『馬鹿ツ、貴様も己れの妹じやないか』
『だから兄さんもここにいらつしやいツてば』
『馬鹿ツこれが分らないか、大馬鹿の、無神経めツ』
むしだつてしやうがないわ。兄さんなんぞについて行つたら、どこへ連れて行かれるか、知れやしないわ』
『なんだと。では貴様妾に遣られても、搆わんか』
『仕方がなけりやあなりますわ』
『うぬ、父上の顔汚しツ』
 怒りに任せて蹴り仆すを、待ちかねておあかのさし出。
『さあさあもつと蹴つておくれ。お徳を蹴るのは私へ面当、さあさあたんと蹴られませう』

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