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心の鬼(こころのおに)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:29:27  点击:  切换到繁體中文


   下

 この事ありてより後は庄太郎、仮初の外出にもお糸への注意いつそう厳しく、留守の間の男の来りし事はなきや、お糸宛の郵便どこよりも来らざりしやと、店の者に聞き下女に聞き、なほそれにても飽き足らず、大人はお糸にくはされて、我に偽る恐れありと、長吉お駒を無二の探偵として、すこし心を休めゐしに、あひにくにも一日あるひの事、庄太郎の留守にお糸の里方より、車を以てのわざと使ひ、母親急病に罹りたれば、直ちにこの車にてとの事なり。お糸は日頃の夫の気質、親の病気とはいへ留守中に立ち出ては悪かりなむと、しばしはためらひゐたりしかど、待つほど夫の帰りは遅く、いかにしても堪へ難ければ、よし我上はともかくもならばなれ、親の死目に逢はぬうらみは、一生償ひ難からむと、日頃の温和には似ず、男々しくも思ひ定めて、夫への詫びはくれぐれも下女にいひのこし、心も空に飛行きぬ。その跡へ帰り来りたる庄太郎、お糸の見えぬに不審たてて、

 これお糸どうしたのじやどこに居るのじや、亭主の帰りを出迎へぬといふ不都合な事があるものか。

 見当り次第叱り付けむの権幕恐ろしく、三人の下女は互ひに相譲りたる末遂に年若なるが突き出されて、

 ヘイアノ先ほどお里からお迎ひが見えまして。
 どこから迎へが来たツ。
 お母アさんの御病気やとおつしやつて。
 フム苦しい時には親を出せじや、親の病気が一番エエいひ草じや。それでお糸は出て行たのか。
 ヘイお留守中で済みませんけれど、何分急病といふ事どすさかい、充分お断りをいふといてくれとおいひやして。
 ソソンそれて何ぞ風ろ敷包でも持て行たか。
 イイエ何にもツイお羽織だけを召しかへやして。
 ハテナ。

 考ふる隙に、下女は龍のあぎとを逃れ出でたる心地、台所の方へ足早に下りつつ、三人一時に首を延ばして、主人の容子いかがとこはごはに窺ひゐる様子なり。
 庄太郎はやがてスツクと立上り、お糸の部屋へ入りて箪笥の引出し、手文庫の中はいへば更なり、鏡台の引出しまでも取調べて、

 ハテナ別に何にも持出してはゐぬやうな。そんならやはりほんまかしら、ええわおれが行て見て来てやろ――これ長吉車呼んで来い。

 いつになき寸法に長吉は驚きて、

 ヘイアノ人力どすか、なんぼ位で応対致しませう。
 馬鹿め、なんぼでもええわ、達者そうなを呼んで来い。

 近江屋始まりてより以来このかた、始めて帳場の車は呼ばれつ、値段の高下を問ふに及ばず急げツとばかり乗出しぬ。お糸の里といふは、六角辺のさる糸物商、家の暖簾の古びにも名ある旧家とは知らるれど、間口の広きには似ず、店の戸棚はがたつきて、内輪はそれ程にもなき様子なり。母といふは内娘にて、今の父重兵衛といふは二度目の入夫、お糸の為には義父なればや、お糸は何事も遠慮がちにて、近江屋へ嫁ぎてよりの憂さつらさも、ついぞ親里へ告げ越したる事なければ、両親はただお糸を幸福ものと呼びて、我が家よりも資産ゆたかなる家へ片付けしを喜びぬ。庄太郎は以後の懲らしめ、たとへその事の実否はともあれ、お糸が泣いて詫ぶる顔見では済まされじと、三行半みくだりはんの案文さへ、腹の裏に繰返しつ、すわとばかり飛下りしに、お糸の家の事の体容易ならず、医師の車と覚しきは二台まで門辺に据へられつ、家内は鳴りを鎮めてしんみりとしたる体に先づ張詰めし力も抜けて、我知らず足音も穏やかに、案内を乞ひて奥の間へ通りしに、次の間には主人と医師との立ち噺、声は小さけれど耳引立てる庄太郎には聞こえて、

 どうもよほどむつかしさうに見えまするな、滅多な事はござりますまいか。

 案じ顔に問ふは主人なり、八字髭美しき医師はちよつと首をひねりて、

 さうーどうもまだ何ともいへませぬネ。先づ今日明日はよほど御大事になさい。

 かくとききては庄太郎も、お糸にここへ出よとはいはれず。急に我も気遣はしさに、見舞に来りし体にもてなして、医師を見送り果てたる重兵衛に向ひ、慇懃に会釈しつつ、

 どうも御心配な事でござりまするな、留守中にお糸を呼びに御遣はしになつたといふ事を承りましたので、ツイ私も取るものも取りあへず御見舞に出ましたので、ツイ御見舞の品も持つて出ませず、誠にどうもすまぬ事でござりまする、どんな御様子でござりまするな。

 心配らしくいはれて重兵衛も喜び、

 イヤどうもお留守中に呼び寄せて、済まぬ事でござつた。が何分にもただ今お聞きの通りの次第でござるから未だ海のものとも山のものとも付かぬといふ仕儀、万一にも母の死目に逢はせぬといふやうな事があつては、私もなさぬ中の事じやさかい、母親なりお糸なり心がいつそう不憫でござる。そこでどうぞここ二三日の内お糸をお借り申す訳には行きますまいか。

 事をわけていはれてみれば、嫌といふ訳にはゆかず、かへつて藪を叩いて蛇を出したといふやふな心持を抑へて、

 ヘイ、イエ、ヘイ宜しうござりまする。家の方はどうなと致しますさかい、お心置なしお留置なすつて。

 ちよつとお糸をと顔だけでも見たさに呼びて、舅の手前殊勝らしく、

 そんなら二三日御介抱申すがよい、家の方は気にかけいでもええさかい。

 さすがに人の性は善なりけり。かく世間並の挨拶はして帰りしものの、考へて見れば父も義父なり、医師も立派なる紳士なりと、また例の心よりさまざまなる妄想起こりて夜もおちおちと眠られず、淋しさと気遣はしさに明くるを待ち侘びて、再び見舞といふ触れ込みにて去年の暑中見舞に、外より貰ひ受けたる吉野葛壱箱携へ、お糸の方へ至りしは、その実妻を監督する心とも、知らぬ母親は喜びて、

 ああ今の今まで庄太郎さんは、あんな深切なお方とは知らなんだ。御用も多かろにまた御見舞にとは……お糸庄太郎さんを大事にしてたもや、一生見捨てられぬやうにな、あんな深切なお方はまたとない、私もこれでお前の事は安心の上にも安心して死ねる。

 聞くお糸はあながちさうとのみは思はねど、死ぬる際にも我が事は思はず、子を思ひくるる親の慈愛、身にしみじみと有難く、ああ何にも御存じない母様の、御安心なさるがせめてもの思ひ出、母様なき後は父様も義理ある中、打明けて相談する人はなけれど、今逝くという人には、何事もお聞かせ申さぬが何よりの孝行と、わざと嬉しげなるおももちにて、

 さうでござりまする、誠にやさしい人で、私も幸福でござりまする。どうぞお母アさん何も御心配おしやはんと……

 さりげなくいふお糸の胸は、乱れ乱れてかきむしらるるやうなり。さるを庄太郎は急に帰りさうなる気色もなく、とかくうるさく附き纒ふを、親の手前よきほどにもてなして、心は母の枕辺にのみ附き添へど、勤めは二ツ身は一ツ、一ツの躰を二ツに分けて、心を遣ふぞいぢらしき。
 かくて庄太郎夜は帰れど昼は来て、三日ばかり経し明け方、医師の見込よりは、一日後れて知らぬが仏の母親は、何事も安心して仏の御国へ旅立ちぬ。お糸は今更のやうに我が身の上悲しく、ああ甲斐もなきこのわたしをなど母様の伴ひたまはざりしと、音にこそ立てね身をもだえて泣き悲しむ傍らに、庄太郎が我を慰め顔に共泣きするがなほ悲しく、ああこれがこんな人でなければとお糸はいとど歎きの数添へぬ。
 知らぬ庄太郎は早これにて事済みたるかのやうに、

 お糸もう明日はいぬるやろ。

 促し立つる気色浅ましく、ああ人の妻にはなるまじきものと、お糸はつくづく思ひ染みぬ。
 わづかに一夜の通夜を許されたるのみ。その翌朝は庄太郎、一度自宅へ立戻りて衣服など改め来り、参拾銭の香奠包み、紙ばかりは立派に、中は身分不相応なるを恥もせでうやうやしく仏前に供へ、午後はお糸と共に葬式の供に立ちたれど、その実誰の供に行きしやら分らず。眼は亡き人の棺よりも、親類の誰彼に立交らふお糸の上にのみ注がれつ。事果つるを待ち侘びて直ちに我が家へ連れ帰り庄太郎はホツと一息したれど、お糸のおもてはいとど沈み行きぬ。かくて一七日ひとなぬか二七日ふたなぬかと過ぎゆくほども、お糸は人の妻となりし身の、心ばかりの精進も我が心には任せぬをうらみ、せめてはと夫の家の仏壇へともす光も母への供養、手向くる水も一ツを増してわづかに心を慰むるのみ。余事には心を移さぬを、庄太郎は本意なき事に思ひて、

 お糸マアそないにくよくよせんと、ちつとはここへ来て気を晴らしいなア。何もこれが逆さま事を見たといふではなし、親にはどつちみち別れんならんものやがな。

 一かど慰め顔にいふ詞も、お糸にとりては何となくうるさく情なければ、とかくことばすくなに、よそよそしくのみもてなすを、廻り気強き庄太郎は、おひおひに気を廻し、果ては我を疎んじての事とのみ思ひ僻みけむ。お糸の心の涙はくまで、いとど内外に眼を配りぬ。
 涙の内にも日は過ぎていつしか忌明といふに、お糸の父は挨拶かたがた近江屋方に至りしに、この日も折悪しく庄太郎留守なりしかば、男には逢へぬ家法ながらも、父といひ殊にはまた、母亡き後は義父ながらも、この人ひとしほなつかしければ、他人は知らず父にはと、お糸もうつかり心を許し、奥へ通してしばし語らひし事、庄太郎聞知りての立腹おほかたならず、

 たとへお父さんに違ひないにしても、根が他人の仲じやないか。それもお母アさんの生きてゐる内なればともかく、死んだら赤の他人じや。それを私の留守に奥へ通すとは何事じや。どうもおれは合点がゆかぬ。

 あまりの事にお糸も呆れて、それ程私を疑ふなら、もうどうなとしたがよいと、身を投げ出して無言なり。庄太郎はまた重ねかけて、

 なぜ悪かつたとあやまらん、家の規則を破つておいて、あやまらんほどの図太い女なら、わしもまたその了簡がある。何いふ事を聞かせいでか。

 それよりは仮初の外出にもお糸を倉庫へ閉籠めて、鍵はおのれこれを腰にしつ。三度の食事さへ窓から運ばするを人皆狂気と沙汰し合ひぬ。
 かくてもお糸は女の道に違はじとかや、はたまた世を味気なきものに思ひ定めてや、我からその苦を遁れむとはせず。ただ庄太郎がするままに任せて、身を我がものとも思はねども、さすが息ある内は、大徳も煩悩免れ難きを、ましてやこれは女の身の、狭き倉庫へ閉籠められたる事なれば、お糸は我が身の上悲しく浅ましく、情過ぎたる夫の情余りて情けなの心は鬼か蛇なるかと、ただ恨みかつ歎く心は結ぼれ結ぼれて、遂には世にいふ気欝病とやらむを惹き起こしたりけむ。日毎に身の痩覚えて色青ざめゆくを、下女どもはいとしがりて、

 まアあんたはんの今日この頃の御顔色はどうどすやろ。それも御無理はござりませぬ、なぜお里へ逃げてはお帰りやさんのどす。私等もあんたはんがおいとしさに、辛抱はしておりますけど、さうなりましたらお暇を戴きませうに。

 とりとりに膝を進めて囁くを、お糸は力なき手に制して涙を呑み、

 なんのなんの女子の身は、たとへどんな事があらふとも、嫁入した先で死なねばならぬと、常にお母アさんがおつしやつてたし、またどのよな訳があつて帰つても、いんだト一生出戻りと人に謡はれ、肩身を狭めねばならぬさかひ、私はどこまでも辛抱するつもり、それでも同じ事なら、一日も早う死んだ方が。……

と末の一句計らず、庄太郎漏れ聞きての驚き大方ならず、もともと可愛さのあまりに出たる事なれば、珍らしく医師をとまでは思ひ立ちたれど、これも年老いてかつは礼の張らぬ漢法医をと、撰りに撰りてやうやくに呼び迎へたるなれば、もとよりその効験ききめとみに見ゆべくもあらず、お糸は日毎に衰へゆくを、さすがにあはれとは見ながらその老医さへ我が留守に来りたりと聞きては、庄太郎安からぬ事に思ひ、それとなくお糸にあたり散らす事もあり。罪なきお駒に言ひ含めて、医師の来りし時には、傍去らせず。お糸のいかなる顔をして、医師の何といひしかといふ事まで、落もなく聞き糺すに、お糸はまたもや一つの苦労を増して、いとどその身を望みなきものに思ひ、我からそれをも断りて、死ぬをのみ待つ心細さを、思ひやる奉公人の、いとしいとしとよそでの噂、伝はり伝はりて事は次第に大きくなり、お糸の父なる重兵衛の耳を、ゆくりなくも驚かせぬ。
 重兵衛は聞き捨てならぬ娘の身の上、いかに嫁に遣つたればとて、命にまではのしは付けぬ。それにお糸もお糸じや、おれを義理ある父と隔て、それほどの事なぜ知らせてはくれぬ。ああ水臭い水臭い、それもお糸は承知の上であらふかなれど、里が義理ある中やさかい、よう帰らんのじやと人は噂するわ。よしよしそれではお糸を呼び寄せ、篤と実否を糺した上で、もし実情なら無理にでも、取戻さねば死んだ女房に一分が立たぬと、独り思案のはらを堅めつ、事に托してお糸を招きぬ。
 幸ひにもこれは庄太郎在宅の時の迎へなりしかば、渋々ながら聞き入れられて、お駒と長吉の二人を目付けに差添へられ。お糸は六角なる里方に帰りぬ。
 さて義父よりかくかくの噂聞き込みたれば、その実否尋ねたしとて呼び寄せたるなりといはれ、お糸はハツと胸轟かせしが、よくよく思ひ定めたる義父の様子に容易たやすくはらへせず。さしうつむきて考へゐたれど身をしる雨はあひにくにはふり落ちて、義父に万事を語らひ顔なり。されどお糸は執拗しふねき夫のとても一応二応にて離縁など肯はむ筈はなし。なまじひに手をつけて、なほこの上の憂き目見むよりは、身をなきものに思ひ定め、女の道に違はぬこそ、まだしもその身の幸ならめと、はやるこころを我から抑へて、

 イイエさういふ事はござりませぬ。とかく人と申すものは、悪い事はいひたがりますもので。

 立派にいふて除けるつもりなりしも、涙の玉ははらはらはら、ハツト驚くお糸の容子かほに、前刻せんこくより注意しゐたる義父は、これも堪へず張上げたる声を曇らし、

 お糸、お、お前はおれを隔てるなツ。

 これに胸を裂かれて、わつと泣入るお糸、ウウームと腕を組みて考へ込む義父、千万無量の胸の思ひに、いづれ一句を出さむよしなし、双方無言の寂寥に、我を忘れて縁側に戯れ居たるお駒と長吉とは、障子の隙よりソッとさし覗きぬ。
 やがてお糸はやうやくに涙を収め、始めて少しは打明けたるらしく、重兵衛も次第に顔色解けて、しんみりとしたる相談ありたるらしく、それよりお糸はしばし里方に留置かるる事となり、重兵衛は庄太郎への手紙したため、お駒と長吉に持たせて、この二人をのみ車にて送り帰しぬ。
 庄太郎の怒りはいかばかりなりけむ。ぐにも飛んで来るべしとの機を察して、重兵衛は直ちに媒妁人方へ駈付け、表向き離婚の談判開きたれば、さすがの庄太郎もこれに気を呑まれて、少しはその身を省みたれど、かかる男の常とて、未練と嫉妬はますますその身を燃やし来り、おのれツお糸の畜生女め、我に愛想を尽かせしな、おのれツ重兵衛の禿頭め、我が女房が死んだる淋しさに、我が妻を奪ふ心になつたなと、我が行為のお糸を遠ざからせ、重兵衛を怒らせたる素因もとを忘れて、二人をのみ怨み罵りぬ。
 されど未練心にお糸をすかして見むとや、淋しさに堪へねば一日も早く帰りくるるやうと、筆にいはせてしばしばお糸の方へ送りたれど、重兵衛は義理ある娘を、いかでかは再び彼が如き者にあたふべき。いづれにも離縁させたる上、よき方へ片付けむとの過慮より、これをさへ押収しつ、絶えてお糸に示さざれば、お糸は少しもこれを知らず。されどこなたには未練なき庄太郎に、これまで女の道といふ一すじにのみ繋がれ居たるなれば、この上は父のはからひに任せて、我はいづれにもあれ、外へは嫁付とつかず、一生独身にてくらし身を清らにさへ持ちたらましかばとそれのみ心に念じ居たり。
 知らぬ庄太郎は、我より幾通の手紙遣りても、そよとの返事もなきはいよいよ心変わりに極まつたり、いでいでと我が身分を打忘れつ嫉妬に駆られて夜毎にお糸の方へ至り、内の様子を窺ひ居ぬ。
 ある夜重兵衛はお糸と膝を突合はせての話し声、

 どうも困つたなア庄太郎が男のやうでもない、女房の里から離縁を申し込まれて、酢の蒟蒻こんにやくのと離縁をしおらんじや。でもどうしても私は離縁ささねば置かぬ。それもお前に未練の気があればともかくもじやが、嫌な男に操を立てて、それで身を果たさせてはわしの役目が済まぬ。お前は覚悟の上でも世間が私を譏るからの。

 勝手知りたる裏口の戸に身を忍ばせ居たる庄太郎、障子に映る二人の影の、密接しゐたるさへ快からざりしに、この詞を聞くが否クワツと怒りて身を躍らせ、己れおいぼれ親爺め、思ひ知れと、飛込んでの滅多打ち火鉢を飛ばし鉄瓶を投ぐるに、不意を喰ひたる重兵衛多少の疵負ひてひるむところを、なほ付け入らむとする庄太郎、お糸は親と夫の争ひに、かなたをかばひ、こなたを抑へ、心もわくわく立騒げど、女の身の詮なさに、二人の間に身を入れて、ただ私を私をと、暴れ廻る庄太郎に身をすりつけ、声もかれかれ抱き付きぬ。折しもこの物音聞付けたる店の者一二人、スワヤ盗賊どろぼうと怖気立ちたれど、血気の若ものやにはに手頃の棒を携へ来り天晴れ高名するつもりも、相手の庄太郎なるに心得られて、容易くは進みかねたれど、我が主人の危急には代へ難しと、ともかくもして取抑へぬ。この瞬間に庄太郎は気の狂ひてか、前の威勢には似もやらず。茫然としてそこらキヨロキヨロ見廻はしゐたり。
 重兵衛は咄嗟の間、いかでかはそを気付くべき、庄太郎の不始末いかにもいかにも心外に堪へかねいづれにしても娘の聟、荒立てては互えの恥と、胸をさすつて隠便に済まし、召遣ひの者にはそれぞれ口止めして、庄太郎を家に送らせぬ。

 その後岩倉なる癲狂院には、金満家の主人てふ触れ込みの患者一人殖えて、そが妻と覚しき美しき女の、七ツばかりなる女の子携へたるが、絶えず見舞に来りて、骨身を砕くいたわり方を、見るほどのものいとしがらぬはなしとかや。(『文芸倶楽部』一八九七年一月)





底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「文芸倶楽部」
   1897(明治30)年1月
※疑問箇所の確認にあたっては、「日本現代文學全集 10 樋口一葉集 附 明治女流文學」講談社、1962(昭和37)年11月19日発行を参照しました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年11月6日修正
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