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葛のうら葉(くずのうらは)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:28:41  点击:  切换到繁體中文

底本: 紫琴全集 全一巻
出版社: 草土文化
初版発行日: 1983(昭和58)年5月10日
入力に使用: 1983(昭和58)年5月10日第1刷

 

  その上

 憎きもかの人、恋しきもかの人なりけり。我はなど憎きと恋しきと、氷炭相容れぬ二ツの情を、一人の人の上にやは注ぐなる。憎しといへばその人の、肉をみても、なほあきたらぬほどなるを、恋しといへばその人の、今にもあれ我が前にその罪を悔ひ、その過ちを謝しなむには、いづれに脆き露の身を、同じくはその人の手に消えたしとは、何といふ心の迷ひぞや。さあれ我はこの迷ひ一ツに、今日までをしからぬ命ながらえて、空蝉のもぬけの殻に異ならぬ身をも、せめては涙をやどす器としてだも保ち居たりしなれ。もしこの迷ひなかりせば、我は疾くにかの人を殺さずんば、我自ら死しゐたりしならむ。さるを死なず殺さず今日まで自他の身をまつたふすること得たりしは、にもこの迷ひ一ツの為にぞある。されど今は妄執の雲霧も晴れ、恋慕の覊絆きづなも絶えたれば、いでや再びもとの我にかえりて、きのふけふ知りそめつるつくりぬし、かつは亡き父母君ふたおやの、声なき仰せに随ひて、あはれ世に生まれ出し甲斐ある身ともならばやと、心のみは弓張月の、張るとはすれど、張るに甲斐なき下弦の月、一夜一夜に消えてゆく、今の我が身を何とかせむ。ああ勝ち難き我が心にも勝ち得る時はありしものを、勝たれぬは、身の病なり死の根なり。さあれ今は何をか歎き、何をか悲しまむ、身の生きて、こころの死にし昨日の我よりも、こころの生きて身の死なむ今日の我を幸ひに、我は年頃の憂さを感謝に代へて、せめては最後の念を潔ふし、汚れに染みし身の懺悔を、我と我が心に語りて見む。
 思へば我は、よくよく薄命の筈に生まれ来し身なりけむ。我が父君の家といふは、農家ながらも我が故郷にありては、由緒ある旧家にて、維新前には、苗字帯刀をも許されし家系なりとか。さるを我が父君は御運拙なくいまして、そが異腹の兄上、我が為には伯父君なる人の為に、祖先より伝はりし家督をも家名をも、併せて横領せられたまひて、我がその人の一人娘として生まれ出し頃には、父君も母君も、日毎に自ら耕したまひ、辛ふじて衣食のしろを支へたまふほどの、貧しき御身になり下りゐたまへしなりとか。さあれその事の本末はいかなりけむ、我年けて後しばしば母君に、伺ひまつりし事ありしも、母君は血で血を洗はむも心うしとて、くわしくは告げたまはず。されど我が稚き耳にも、村の人々の一方ならず父君をいとしがりて、お人の善過ぎるが何より難、仏心も事によると、歯痒さうに語らひしを、しばしば聞きつる事あれば、これを母君のほのめかしたまへるお詞のはしばしに思ひ合はするに、我が父君の兄君を超へて、家を嗣ぎたまひしは、さるべきよしありての事にて、伯父君の兄といふ名に、そを横領したまひしは、確かに僻事なりしならむ。さるを天は善にのみくみしたまはぬにや、我が父君は再び世になり出でたまはむ折もあらせたまはで、我五ツといふ年の暮、その頃はまだ御年若かりし母君と、いはけなき我にさこそはお心残りけめを、お心の外にもかの世の人とならせたまひしとぞ。この時にこそ我が生涯の運命は、早くも不幸てふ方に定まりしにやあらむ。されど我が母君は、御心男々しき御方にて在らせたまひしかば、我を直ちに不運の手には委ねたまはで、村の人々の再嫁を勧め、あるひは年頃疎かりし叔父君の、俄かに深切になりたまひて、母君をも我をも、その方へ引取らむといひ出でたまひしをも、母君は深き御心にこれを拒みたまひつ。なかなかに馴染多き土地に在ればこそ、よしなき事にものは思はさるるなれ。なまじひなさけに似てなさけなの、人の詞に袖ぬらさむよりは、知らぬ他国の雪霜を凌いでこそと。世は花衣春霞、人の心も浮かれゆく弥生近きに我のみは、花と見捨ててゆく雁の、かれは古巣を恋ふなれど、これはかよはき女の身に、子を携へてどこへぞと。訝り集ふ人々の、贔負心に冷笑あざわらふ、これも名残の一ツなると。お心強くも背後に聞きなしたまひて、我を東京あづまへ携へ出でたまひたるは、我七ツのほどの事なりき。
 さていかにしてたつき求めたまひけむ。下谷したや徒士町おかちまちの、今にて思へば棟割長屋なるに落ちつきたまひつ。我を世の父ある人と同じやうに、程なく学校へも送りたまひて、盆正月の晴れ衣裳も、そこらにては肩身狭からぬもの着せて育てたまひき。その間の母様のお心遣ひはいかばかりなりけむ、これも我年長けて後伺ひまつりしかど、ほほゑませたまふのみにて何事も仰せ出でたまはず。ただ御詞すくなに、たとへ世に甲斐なき女の身にてもあらばあれ、一心にさへなれば、子は育てらるるものぞとの……
 かく御心男々しき母様とても、さすがに尽きぬ御うらみは思しかねたまひてや。我物心覚へてよりはともすれば我が頭を撫でたまひて、あはれそなたの男ならまじかはと、これのみは幾度も繰返したまふを。我は子供心にも悲しき事に思ひて、いかで我男子にはなり得られぬものにやと、あらぬ望みをかけたる事もありしかど、年長くるに従ひては、よしされば女子の身にてもあらばあれ、男子に劣らぬ身となりて、母様の年頃の御鬱さを慰めまつらばやと、小さき胸に思ひ定めてき。さるを今かく女子としてだも、あるに甲斐なき身と成果てしを、母様の天ツお空よりいかばかり歎きおぼすらむ。そを思ふにつけても憎きはかの人、恨めしきは我が心なりけり。さあれそを悔ひ憤るも今は何の詮なし、いでやまた無心にその頃の記憶を繰返し見ばや。
 さて我はかく思ふにつけても、学びの道にいそしむこそと思ひ定めしを、母様も本意ある事に思したまひてや、あたりの家の子供等は、男子さへあるに、まして女の子は年端もゆかぬに内職の手伝ひ、さては子守りに追ひ遣はれ、十歳過ぎて学校へゆくは、富める人の上とのみ思ひ合へる中に、我が母様のみは朝夕の水仕にさへ我を使ひたまはず。その暇に手習ひもの読む業を励めと宣ふを、近所合壁の人々は冷笑ひて。長屋ものの小娘の読み書き沙汰は聞くもかたはら痛し、天晴れ御出世あそばしてもたくわが五七円の月給取りの女教師様、それもまだ小学校にてのお手習ひ中にては、そこまでの御出精が気遣はるる。人様のお洗濯ものお仕立ものなどあそばす後室様の御内儀には、ちとお荷が勝ち過ぎてお笑止やと、一人がいへばまた一人の。ほんにそなたのいやる通り、この長屋始まりてより以来、男の教師さへここから出たためしはないに、女親に女の子、飛んだ望みの飛汁いばじるは、こちとらの身にもかかりて、例の差配の薬鑵が、家税の滞りに業をにやした挙句は、いつもあの後家殿を見習ひなさい、女子の手業でついに一度、家賃の催促受けられた事はなし、子供はいつまでも学校へ通はさるる心掛け、差配の我までも町のがくこう掛りとやらあくこう掛りとやらへの面目、なかなか下手な亭主持ちでも叶はぬ事、ちと手本にしたがよいと。二言めには引合ひに出すその口振り、何とをかしいではあるまいか。そこには蓋もあり、みを入れる差配の引事心得ず、これも若後家といふ身の上が、何よりも気に入りての事ならむにと。果ては何やら囁き合ひて、手を振るもあり、背を叩くもあり。計らず我と顔見合はせては、何となく冷笑ひ、母様には後指、さすがに眉を顰めたもふ事あるも。我は子供心にも情けなくいとをしき事と思ひしに。明けて十二の春ともなれば、それまでうかとのみ看過ぐせし母様のお心遣ひ。我が筆墨書籍に事欠かせまじとては、夜もろくろく内職のお手休めたまはぬほどの御難儀、ああこれもかれも我が身の為か勿体なやと、心づくやうになりては。いつとなく学校へ通ふ足も重く、まだ高等小学校の卒業にだも程ある身を、その上の女学校とやらむへは何として何として。よし母様のともかくもして、我をそこに送りたまはむとも、さてはいよいよ御苦労の重るべければ、我はここに思ひをひるがへさでは叶はじ。かの剣を墓にかけし人のためしにはあらねど、我辛ふじて身を立てなむ頃は母様の、我為に人より多くのお年とらせたまひて。世になき人の数に入りたまはむやも知られぬに、身に相応ふさわぬ望みはかへつて御苦労させますもとと。思ひ返してそれよりは内職の手伝ひするを身の栄に、学校へはゆかずなりしを。母様の訝しみたまひて、よしなき心遣ひはせずもあれ、吹きすさみてし家の風、起こす心はなきかと。涙ながらに諭したまふ御言の葉にも、つゆ随はぬを孝と思ひしは、これも我から不幸を招くの基なりき。
 されどその頃の我は、これを何よりの事と思ひて、十六といふまではかくして過ぎしに、にも時は金なりといへる世の諺に違はず。母子しての稼ぎに暮し向こそ以前に変はらね、すこしながら貯へも出来しを、かねて贔負に思ひくれたる差配の太助どの殊勝がり。その人の心添にて、表向き下宿屋といふまでこそなけれ、内職の片手間に、一人二人の書生さんを宿してはと。その差配地に恰好の家ありしを、貸与へくれたれば、さはとて母様のそを試みさせたまひしは。かゆき処へ手の届く、都の如才内儀の世話程にこそなけれ、田舎気質の律義なるに評判売れて、次第に客の数も殖ゑ。いつしか下宿屋専業とはなりて、おひおひ広やかなる方に引移りたまひたれば。我十八の秋の頃には神田猿楽町にて秋野屋といへば、名ある下宿屋の一ツに、数へらるるまでになりたまひぬ。

   その中

 朝に北越の客を送り、夕に薩南の人を迎ふる旅籠屋程こそなけれ、下宿屋渡世の朝夕の忙しさ。それ十番でお手がとゆふ飯を運べば、いや飯はまだ喰わぬ、それよりもこの暗いに、燈は何として点けぬ、我を梟と心得てかとわめきたまふかなたには。破れよと櫃の底叩きて、飯の代はりは何とて遅き、堂々たる六尺の男子、これ程の薄扶持に済まさうとは太い量見。否それよりも我が方への牛肉は何とせし酒屋へ三里とは聞かねど、牛屋へは五里さうなと。口々に急立せきたてらるるせわしさに、三人四人の下女おんなは居たれど、我も客間へ用聞きにゆく事もありしに。多くの書生客の中にても、誠に我が注意を惹きしは、その頃大学予備門に通ひゐたまひし浅木由縁ゆかりといへる人なりき。
 何にこの人しかく眼立ちしやといふに、その部屋は行燈部屋に隣れる三畳敷にて、外にはこれに類ふべきものなき麁末なる部屋なりしと。一ツにはまたその人の身装みなり我のみならで、誰の注意をも惹きしなり。先づその一ツを挙げていはば、白紺大名の手織じま。これぞこの人の夏冬なしの平常着ふだんぎにて、しかもまた一張羅なれば。夏はその綿と裏とは無情にも、きつつなれにしつまを剥がれて、行李の底に追ひ遣らるるなれど、われてもあはむ冬を待てば、再び三位一体の、世になり出る春衣ともなりて、年一年をこの人の身に附き纒ふなれば。口さがなき下女どもはこの人のまたの名を大名縞のお客様といひはやしぬ。
 これに我も疾くよりその御名は聞き知りしかど、見ればかく御身装のやつやつしきには似たまはで。外の我は顔に親譲りの黄八丈、さては黒奉書の羽織に羽ぶり利かしたまふ人よりも、幾層立ち勝りたまいしお人品ひとがらのよさ。見るからに何となく床しく覚ゆるさへあるに、若き人に有りがちの、戯れ言などいひたまひたる事はなく。結びがちなる口もとの、どこに愛嬌籠りてや、えもいはれぬ愛らしさは、女子にしても見まほしきに。威ある御眼は男の中なる男ぞといはでもしるきその輝き、あはれいかに幽玄の学理とやらむも、方様のお眼に照らされてはと、頼もしげなる心地もせしが、そもやそも我迷ひの初めにて。それよりは何となくその人の朝夕に気を注くるに、年は廿歳のお若きには似ぬ物堅さ。朝は我が台所のものよりも、先だちて起き出でたまへば、睡き眼を母様に起こされたる下女の、また浅木さんが早起きしてツ、ついぞ祝儀の一ツも呉れた事はないにと小言つぶやくが例なるに。夜は二時頃までも寐たまはず、土曜日曜大祭日の宵とても、矢場よ寄席よと浮かるる人々の中に、我のみ部屋に閉ぢ籠りたまひての御勉強。実にも行末の望みある方様やと、いとど心を動かせしに。母様も同じ御心にや、わけてこの人いとしがらせたまひつ、時雨しぐるる神無月、この夜の長きに定めてお気も尽きやうと、ある夜お茶を入れて、自ら持ち行きたまひたるが、やがて我との縁のはしにて。その時母様の計らず方様より、聞き取りたまひし御身の上ばなしに、母様ホと太息吐きたまひて。さても世に珍らしの方様やと、我は月頃思ひつるに、それもことわりや方様の父御は、世をはやふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば、それゆえの御勉強とは、さても殊勝なるお心掛けや。身につまされて方様の、母御の御苦労が思ひ遣らるる。かうして下宿や渡世はするものの、人様のお金とるばかりが身の能ではなし。あんなお方を助けてこそと、その夜しみじみ我への仰せ。さては母様のお鑒識めがねもと、我はいよいよその人慕わしふなりて。軒端に騒ぐ木枯らしの風にも、方様のお風邪召さずやと、その夜は幾度か寝醒めせしもをかし。
 それよりは母様方様の、下宿料滞らせたまふ事ありても。こなたよりいひ出でたまはぬのみか、たまたま方様のこれをと渡したまふ事あるも。私方では大勢のお客様、お一人口位は別に眼にも立ちませぬ。それよりは御入用なる書物でも、お心遣ひなくお求めなされてはと。一方ならずいたはりたまふお志、方様も嬉しとや。果ては母様を叔母様のやうにも思ふなど、重きお口にいひ出でたまふやうになりしを。母様は本意なる事に思していつしか我が聟がねにとのお心も出でけらし。折に触れては、我へそのあらまし事ほのめかしたまひ。成らふ事なら浅木様のやうなお方に、そなたの行末頼みましたし。下宿や風情の我が家の聟にとてはなりたまふまじきも。我はそなたの仕合はせとあらば、手離して上げまするも苦しからじなど、独言ひとりごちたまふを聞く我は、にはかに心強うなりて。方様の何と仰せらるるかは知らねど、もしさる事ともならば我が為に、年頃一方ならぬ御苦労したまひし母様の、お力ともなりたまふべければ。かかるお方に身を任すも、孝の一ツと思ひしと、いふは心の表のみ。裏はさらでも憎からず、思へる人をといひたまふ、母様のお詞真ぞ嬉しく。勿体なけれどほんに粋な母様と、朝夕心に拝む数も、これに一ツを増したるは、後の歎きの種子ぞとも、知らぬ昔の悔しさよ。
 かかりしほどに、われはひとしおその人の事気にかかりて、ともすれば母様の思したまはむ程をも忘れて。あれ母様浅木様のお袴が、あんまり汚れてみつともない、一ツ拵へてお上げなされてはと、思はず口走りて母様に笑はれたる事もあり。外の客より貰ひ溜めたるものにても、ハンケチ巻紙、その他何にても、男の用に立ちさうなものは、母様にも隠して、こうよりと記し、そとその人の机の辺りに置くを何よりの楽しみに。それといはねど母子おやこして、心を配るその様子を、気早き人達の早くも見てとりてや。我にいやらしき事いひたる覚へある人などは、あて付けがましく、向ふの下宿やへ移りて。我とその人の、あらぬうき名を謡ふもあれば、わざと下宿料滞らせて、我も浅木並にしてほしし、かつは娘を添えものになど、聞くもうたてき事いひはやすを、母様いたく気遣ひたまひて。あるひはそれとなく方様のお心ひき見たまひしに、何がさて一方ならぬ世話になりたまひたる上の事なれば、否みたまはむよしもなくてや。もとより僕も望むところ、ちやうど合ふたり叶ふたりの事ではあれど、修業中の妻帯は何より禁物。自然勉強の妨げともなるべければ、とにかく約束だけの事にして貰ひたし。二年三年の後にもあれ、身を立てたる上は必ずよ。それまでは表向き他人並にて、何分宣しく頼むとの男の一言。よもや違変はあるまじと、母様もそれよりは、人の噂を深くはお心にかけたまはず。いよいよ身を入れてお世話したまふにぞ、我も行末夫とかしづくべき人の、かかる時より真心尽くしてこそと。かげになりひなたになり、力を添えし甲斐ありてや、その翌々年我廿歳といふ年の夏。方様は首尾よく予備門を卒業したまひしかば、これにいよいよ力を得て、これよりは今一際の辛抱にて、我は名誉ある学士の奥様といはれ。母様も、年頃うき世の、波濤なみを凌ぎたまひし甲斐ありて。なみなみならぬ方様の、おつつけ舟ともなりて世の海を、安らに渡らせましたまふ事なるべければ。その時こそは下宿や渡世もやめさせまして、かつては母子の首途かどでを笑ひてし故郷人に、方様のお名を誇らばやなど、心構へし折も折。月かくす雲花散らす風は、世に免れぬ例かや、浅木様の母御俄に御国もとにて、身まかりたまひしとの訃音しらせに、一度は帰りたまはではかなはぬ事となりにしぞ。娘心のあとやさき、飽かぬ別れを惜しむ間も、ないてばつかりゐる事かと母様の、甲斐甲斐しく我を促し立ちたまひて。じみなる着ものを俄の詮索、見苦しからず調ととのへていざとばかりその夕ぐれに浅木様を、出立たたせましたまひたる後は。母子交はる交はるそなたの空をながめ暮せしに、三日おきて浅木様の方より、母様宛に、いと重やかなるお手紙来りぬ。
 我は母様読みたまふ内ももどかしく、いかなる事をかとそぞろに心悩ませしに。やがて母様はホと大息といき吐かせたまひて、力なき御手にそと我が前へ投げやりたまふにぞ。我はいとど胸騒立てど、これもその人のと思へば、何とやらむ面はゆく口の内に読みもてゆくに。あはれなる事に書き続けたまひたる末、かくも母が年頃の瘠我慢、我に後顧うしろみうれひあらせじとて、さまざまなる融通にその場を凌ぎたまひし結果。思はぬ方に借財のありて、我はゆくりなくも今やその虜とはなりぬ。さればこのかこゐを衝きて急に再び出京せむは、いともいとも覚束なき事にて、あるはこのまま田舎の土となり果てむも知るべからず。さてはかねての青雲の望みも空しくならむのみかは。大恩うけしそもじ母子の、知遇に酬ひむよしもなきは、いともいとも残念の至りにはあれど。今の身には少しの金融をも許さねば、いかんとも致し方なし。ついては幸殿も年頃の身なるに、このいひ甲斐なき我がことのみ待ちたまはむには。花顔零落空しく地に委するの不幸を招きたまはむやも知るべからず。されば、他に良縁あり次第、我に遠慮なく身を寄せしめたまへ。我も幸ひに風雲際会の時機を得ば、再び出京せむも知るべからざれど、今はこれも空しき望みとあきらむるの外なしなど。筆の雫も薄にじむ涙は男泣きにかと、我ははやその後を読むに堪へず。もしも少しのお金にて済む事ならば、我が身のかざり髪の道具も何ならむ。残らず売代うりしろしてなりとも、方様のお身を自由にさせまし、我も恋しきお顔見たけれど。明けてそれとはいは橋の、夜の契りもせぬ人に、あんまり出過ぎた出来過ぎだと、母様のおぼしたまはんほどのうしろめたさに。さすがさうとはゆふまぐれ母様のお顔見へ分かぬをもどかしき事に思ひしに。日頃男勝りの母様この時きつぱりとしたお声にて。これ幸やそなたはどこまでも、あのお人と連れ添ひたい気かへと改めてのお尋ねに。何と御返事してよきやらと、我は今更戸惑ひたれど、やうやく思ひ切りてハイと心の誠を告げまつりしに。母様は思ひの外の御機嫌にて、さらば我も真心にて、出来るだけの金の工面はしてもみむ。さるかはりそなたにもこれまで通り、あれがほしいこれがほしいと、いやる通りのもの買ふてやる事は出来まじければ、それだけの事は覚悟しやと、我案ぜしよりは生むが易く、その夜直ぐにどこへか出で行きたまひたるが。翌日は二束三束の紙幣かね調へたまひて、直ぐにあなたへ送らせたまひしかば。一週間をも経たぬ内に、我は床しきその人を、またも明け暮れ見る事を得てき。
 されど思ふ事一ツ叶へばまた一ツ、みを立てたしといふ浅木様のお望み、母様も叶へさせて上げましとは思せども。ならぬ工面もしたまひたる上の事、とてもこの後大学を卒へたまはむまでのお世話、女の手に届くべくもあらぬを、方様も覚悟したまひてや。それはまた時節を待ちし上の事、先づともかくも我は身のよすが求めむと。そこここ頼みありきたまひしが、二月ほどありて小石川なる、ある製薬会社に、出勤したまふ事となりぬ。
 ここにひとまづ方様のお身も納まりたれば、母様は我との盃急ぎたまへど。浅木様はいつも程よくなだめたまへて、まだまだ我は、これで果てむと思ふ身ではなし。折あらば今一際の勉強して、せめては医学士の、学位だけにても得たしと思ふなれば、今しばらくこのままに在らせて貰ひたし。さあれ式こそ挙げね、幸殿は我が最愛の妻、そもじは我が大恩ある母御と我は疾くより心に錠は卸しぬ。そこはどこまでも安心して貰ひたくも、知らるる通り我は大学の入門にも外れし身なるを。口惜しとも思はで早くも妻を迎へとり、瓦となりてもまつたきを望む、彼が望みの卑しさよと、旧き友等に嘲られむが心外なれば、何分にも我が心の済むまでは、今しばらく内分にと、いはるる詞も無理ならねば。母様はともかくもとて、嬉しくそのお詞に任せたまひぬ。
 その内方様下宿や住居にては、世間体も悪しければ、ともかく家だけは持ちてみむといひ出でたまへしを。母様いたく喜びたまひて、幸ひ近き今川小路に、相応ふさはしき家ありしを。これも母様の店請たなうけとなりて借り受けたまひつ。いづれに我を嫁入らすべき方様に、入らぬものいりかけるでもないと。あるほどのもの我が家より運ばせたまひて、何不自由なきまでに整へ、いざとばかりそが方へ引移らせましぬ。
 かくてぞ母様はいとど我の輿入れ急ぎたまへど、方様はいつも同じやうなる事のみいひてうけがひたまはず。されど月日経る内には方様も男世帯の不自由に堪えかねたまひてや。さらば表向きは手伝へといふ名に、内祝言のみはといひ出でたまふを。母様も快からずは思ひたまひながら、いずれにも方様のお身を大事と、思したまふお心より、さらば世間晴れての披露はいついつと、くれぐれもお詞つがへたまひて。方様の御信友中川様といふを媒妁代はり、形ばかりの式済ませたる上、多くは我をそが方に在らせたまひぬ。
 かくて一月二月を経るほどに、我もいつしか方様をあなたと呼ぶやうになれば、かなたにてもお幸さんといひたまふお詞のかどとれて人も羨む睦じき中となりしに。方様は我のみか、母様をもまことの母君のやうに大事がりたまひ。珍らしきものある時はこなたより持たせもし、迎へもしたまひて、うらなくもてなしたまふにぞ。母様も我ももの足らぬ心地はしながら、これに心も落ちつきて、夢の間に半歳ほどを過ぎぬ。
 されど美麗うつくしき花の梢にも、尖針とげある世の人心恐ろしや。我廿一の春はここに楽しくくれて、皆人は花の別れを惜しむ間も。我が身にのみは春の添ひぬる心地して、嬉しさは、しげる青葉の色にも出で、快さをたもとかるき夏衣にも覚えて。方様の大事がらせたまふ鉢植の世話する外、何思ふ事とてなかりしに、ある日方様会社より帰らせたまひてのお顔色常ならず。いつもは何より先に薔薇の蕾など数へたまふ間に、我は用意の夕膳端近う据ゆるを四寸は我に譲りて快く箸とり上げたまふがつねなるに。その日のみはさる事もなくて、さも思ひ入らせたまへる気色容易ならねば。何事のお心に染までかと、我は心も心ならねば、しばしば問ひまつりしに。何として何として、これはそなたに聞かすべき事でなし。我が心一ツのわづらいのみ、迷ひのみ。ああさてもさても世はなさけなきものなるかな、恋愛と功名、これはいかにしても両立し難きものにこそ。よしさもあらばあれ我が心は既に定まりぬ、我は生涯執金吾とはなり得ぬまでも、八幡この陰麗華には離れじと。急に我が手をとりたまふも訝しく、我はいよいよその事聞きたうなりて、果ては隔てあるお心よと怨ぜしに。方様始めてうなづかせたまひて、さらば懺悔のためいふて退けむ。かならずかならず我を二心あるものとな思ひぞとて。さていひにくげにいひ出でたまひけるは、我が勤むる会社の社長増田といふは、人も知りたる紳商なるが。今日しも我をその娘の聟にとの他事なき望み、承諾さへなしくれなば、婚姻は別に急ぎもせじ。望みとあらば大学へも入れてやらむ、洋行も心のままとの事。我はさらさら仮にだもその人の聟となる心とてはなけれど、その他の事は渡りに舟。学資を釣出す苦肉の一策、あるはしばらくその詞に従ひて、約束だけの聟となり。天晴れ修業したる上は、学術はこつちのもの。その時違約したりとて、取返しに来らるるものでなしと。ふと心に浮かみしなれど、もし万一にも我が心の潔白を、そなたの疑はば何とせむ。よし疑はぬまでも、しばしだもそなたにもの思はするは我の忍びぬところ。聞けばその娘といふは、殊の外の不器量ものにて、確かにそれだけの埋め合はせになる代物とやら。いやそんな事はどうでもよい、どうで実行する事でないからと。からからと笑ひたまへど、我が廻り気がどこやらすまぬ御様子にも見ゆるに。方様の日頃の志望こころざしを知りながらと、さげすみたまはむが恥しさに。それは何より耳よりなおはなし、なぜ応とはおつしやりませぬ、私はあなたのお為になる事なら、どんな思ひを致してもと、うつかりいひしを得たりとや。方様は急に真顔になりたまひて、さてはそなたは、あくまで我を信じくるるよ。
 天晴れでかしたり賢女なり貞女なり、それでこそ我が最愛の妻、さては我も心安し、ここ一番雄心ふり起こして、このはかりごとを実行しみばや。かの手鍋下げてもといふ世の諺はあれど、真の愛はその人の名を成し、その身を立たしむるものてふことを。そなたの今の詞あらでは悟らざりし我の心のおぞましさよ。かかる賢女を妻にしながら、我のこのまま朽ち果つるぞならば、男冥利に尽きもやせむ。思へば我も世の中の、男の数には漏れぬものを、いでいで天晴れ出精して、あはれ世の学者の数にも入りてみむ。さあらむ時はかねてより、家の風をも吹起てたしとの、そちの望みも遂げさすべきにと。無暗にそやし立てたまふは、心ありての業ぞとも知らねば我はしかすがに。いひ放ちてし言のはの、矢質とられて梓弓。ひくにひかれぬ瘠我慢、我から心はりつめて、否といはれぬ苦しさを。せめては母様の拒みたまひて、あはれこの事の、そら事となりゆけかしと、危き望みをかけたりしに。我よりそのあらまし告げまつる間もなきに、方様はその夜直ちに母様がりゆきたまひ、いかにして御許しを得たまひけむ、これもあながちに拒みたまはじとの事に、我はいたくも力の抜けて。よしなき事をいひ出でしと、我が軽率かるはづみなりしを悔しかど。その頃は深くも方様を信ずる心より、これも我がいひ甲斐なき心の迷ひとのみ思はれて、我と我が心をのみ叱り懲らしぬ。
 後にて聞けば方様の母様には、我の勉めてしかさせまするもののやうにいひたまひしなりとか。それもこれも我はまだ母様に語らひまつる間もなきに、方様は、母子の心変はらぬ内とや。足もとより鳥のたつやうにその翌日は、事も急なる引越し沙汰。彼一条はとまれかくまれ、かねてより、社の近傍に在らでは不都合と。社長の家を借り置きくれたるなれば、我はこれよりそが方へ引移らむ。つひては夫への心遣ひ、当分は里方に居て貰ひたし。その代はり我よりは絶へず慰めにゆくべければ、よしなき事に物は思ひぞ。それもこれもしばしの程ぞ辛抱せよ、二月三月を経る内には、事に托して遠方へ引越し、これまで通り内には迎へ取るべければと。その場を体よくいひ黒めたまひて、支度もそこそこに出で行きたまひたる、あまりの事の早急に、母様の訝しみて駈付けたまひたる頃は、方様の影ははや北神保町の辻に消えて、我はその人の書斎の跡に、正体もなく泣き伏せる時なりき。
 されどその翌日より、方様は三日にあげず我が方へ来たまひて、他事なく語らひたまふ様子に。母様も我も少しは心落居しに、こなたの心解くるにつれて、かなたの足は次第に疎く。果てはここよとの便りもなきに、さすがは母様のいたく訝らせたまひて、心利きたるものにその様子探らせたまへつるに。思ひきや方様の方には、疾くより赤手柄の奥様居まして、やがては腹帯おびもしたまはむとの噂。さるにても大学へはと聞けば、いなさる様子はなし、今も奥様の父御のものなる会社へ通ひたまふなるが。社長様の恋聟君とて、人々の敬ひ大方ならず。月俸も以前には増したまひたる上、奥様にもお扶持つきて、それはそれは贅沢なおくらし。その上その奥様といふも、お扶持付きには似合はしからぬ御器量よしと、近所の息子もつ親の、さもさも羨しさうな話と。半ばを聞かず母様のキリリとお歯を噛みしめたまひて口惜しがりたまふを、我はその人贔屓の心より。さりとも人の詞のみにては、何とも思ひ定め難かるを、など方様の早う来まして、その入訳母様にはいひ解きたまはぬと。始めは一筋に待ち見しかど、待てども待てども便りなきにぞ。我も遂には疑ひの、雲霧かかる辱めを、受くるも女親故ぞと。さすがの母親も、返らぬ昔忍び泣きしたまふがいたはしさに。我もいつしか口惜しさのまさりて、あはれ我が身の心に任すものならば、その人とり殺してやりたしとまで、思ひ募る事のあるを。また母様のなだめたまひて、今に始めぬ人心、世はさるものと白髪の、年甲斐もなふ瞞されしは、我の不覚ぞ堪忍せよと。諭したまふに四ツの袖、ぬれこそまされ乾く間も、なさけなの母を子を。神はあはれとおぼさずや、中川様さへ東京ここに在りたまはぬを待つとせし間に。いつしか秋の風たちて、桐の一葉も誘はるる、折も折とて母様の、悪しき病に罹らせたまひ、二時がほどに世になき人の数に入りたまへしかば。頼む木かげに雨もりし、我が身は露と消へたきを、かかる時には生命まで、つれなきものか。ある甲斐もなきには劣る身一ツのふり残されし悲しさを。かこつにつけてもさりともと。思ふ心の空頼みより、母様の上方様の方へ知らせませしに旅行中なりとて来もしたまはず。程経て香奠のみ贈り越されたる所為しうちに、いとど恨みは添ひゆきて、人に思ひのありやなしや、思ひ知らせむの心ははやりにはやりしかど、さすがにもまた優しかりし越し方の忍ばれて、胸の炎も燃へては消え、消えては燃ゆる切なさを母様の中陰中は堪らえ堪らえて過ぐせしに。やがて母様の百ヶ日も果てし頃、方様の方には、玉のやうなる男子挙げたまひしと、知らする人のありしかば。我はきつと心に思ふよしありて、身装も立派に調へつ。祝ひの品をも携へて、諏訪町なる浅木様の方をおとづれぬ。

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