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一青年異様の述懐(いちせいねんいようのじゅっかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:25:17  点击:  切换到繁體中文

底本: 紫琴全集 全一巻
出版社: 草土文化
初版発行日: 1983(昭和58)年5月10日
入力に使用: 1983(昭和58)年5月10日第1刷

 

 恋愛を知らずして、恋愛をえがくは。殆んど素人の、水先案内をなすが如し。いはんや、異性の人の、恋愛においてをや。されどかれは、誤れば人命をそこなふの恐れあれど、これは間違へばとて、人の笑ひを招くに止まると、鉄面にものしぬ。予は敢へて、恋愛を説くといはじ。ただその一端はかくやらむと。疑ひを大方にただすのみ。
つゆ子しるす


 予は何故に、彼女のこと、かほどまでに、心に掛かるか、予が彼女に始めて逢ひたるは、たしか数日以前の事にてありき。その後予は、彼女の事について、思ふ外は、何事をも思はず。また彼女に再び逢はむとて、一二度予が友の家へ行きたる外は、何事をなし来りたるかを記憶せざるなり。ただある一人の友は、予が二三日前学校の窓に依りて、何日いつになく、沈んだる調子にて、何か考へいたりしを、見しといへり。また一人は、昨日途中にて、予に出会いしかど、予はただその顔を見たるのみ、彼が何をかいひたるに、答へずして行き過ぎたりと告げたりき。されば予は、例の如く、学校にも行きしものと見ゆ。されども予は記憶せず、予はただ彼女の事のみを思ふ。予は実に、不思議なる人と、なりたるかな。予はもと、父母よりけたる、資質と、しかも自らの修養とに依り、物に動せざる特性は確かに、備へをりたり。この点は人よりも称せられ、また自らもたのみいたりしなり。故に今日まで、いかなる場合、いかなる事変、いかなる人物に接しても、怖るる、あわてる、驚くなどいへる事は、なかりしに、彼女に対しては、予は全く眼くらみ、口とつし、耳ろうし、恍惚として、自他の境をも、弁ぜざるものと、なりたるなり。これまで、強情なる男といはれたる予が、彼女の前には、一処女の如く、化し去らるるなり。予が彼女の前にある時は、彼が予に、何事をか、命じくれまじやとこひねがふのみ。予が全身は、彼女の前に捧げ物となる。予が特性、予が自負、ここに至つて全く烟散霧消す。これそもそも何の理由なるや、予その所以を知らざるなり。かつて聞く、昔泰西の学者の間に行なはれたる説に、知識の石(ストーン、オフ、ウイスドム)または、聖哲の石(フイロソフアース、ストーン)てふ宝石ありて、この宝石は、鉛を銀にし、銅を金にし、またよく不老不死の、仙薬を製し得るの、怪力ありとて、遂にその石の探求に、終生をなげうちたるの学者もありきと、もし彼女は、これら宝石の類にはあらざるか。予は深くこれを疑ふ。しかれどもかの宝石の説は、ただこれ学説上の、妄想迷信より出でたるものにして、一人いちにんもこれを発見したるものなかりしといへば。今日かくの如きもののあるべき筈はなし。さらばいよいよ彼女の怪力は、不可思議なり。彼が予の特性を奪ひ、予の本質を変じたるの事実は、昭々として数日以来予の眼に映ずるところ予は実にその原因を、講究せざるべからざるなり。よつて予は先づ彼女と始めて、相見たりし時にさかのぼりて、それより、順序を追ふて、考ふべし。予が最初彼女と、友人の宅において出会ひし時は、わづかに一二語を交へたりしのみ。別段親密に、談話をなせしといふにはあらざりしかど、彼女が非凡の資質は、どことなく顕はれ、予は先づこれに対して、敬といふ念起こりたり。しかして平素種々の関係よりして。婦人を土芥視し、もしくは、悪魔視しいたりし予は、彼女の前に、いと小さきものと、なりたるが如き心地し。処女の如く、謹んでうづくまりいたりき。この時よりして、予は実に、一般婦人に対する考へもまた大ひに変わり旧時の予の考へは、大ひに誤れるものなりしことを悟りたるが。それにしても、彼女の資質、少しく異様なるやうに思はれ。一層深く、これを探究したしとの念起こりたり。ここにおいてか、事に托して友人に乞ひ。なほ一二回彼女に接見したり。その間言一言を交へ、語一語を加ふるに及んで。予が最初の、探究の念はもちろん。予が本質さへ、全くいづれへか消え失せて、予はかへつて予が全心を、彼女の前に捧ぐるものとは、なりしなり。他に何の事情も。何の関係もあることなし。思ふにこれぞ世にいはゆる恋なるか。ああ恋なりああ恋なり恋に相違なし。予は確かに恋をなせるなり。テモ不思議、偏屈予の如きものも、遂に恋をなすの時機に、遭逢したるか。さても恋なり、恋としても、彼女は、実に不可思議の力を有するなり。さらば、その恋の原因は、なんの辺にありしか。美しき彼女の眉か。涼やかなる彼女の眼か。さらずは閑雅なる挙止か。朗らかなる声か。はたまた富胆なる才藻か。これらのものもとより、一瞥の価値なしとせず。しかれども予は、彼女の外においてもまた、これらのものを見たりし。されども予は少しも、心を動かす事なかりき。ただし彼女において、異様に感ぜしところのものは、かれが身より、放つところの霊光にてありき。彼女が、人を清くし、人を優しく化する。何とも名づけ難き気に感ぜし時は、これ既に予が、恋の人となる始めにてありき。今や予が意識、予が情想はことごとく彼女の事についてのみ働く。予はその外には、何事をも知らず。思ふに今もし人ありて、自刃を予の頭の上に加ふるとも。予はこれを避くることにも気付かざるべし。ああ予は憐れなる人と、なりたるかな、否予てふ人間はくにほろびて。今はただ恋愛の、分子より成立てる一肉塊が。彼女の為に、生きて動けるのみ。ああさてもさても。
 いでさらば予は、この一肉塊としての予が。今や何を考へ。また一意専心に、何を企てつつ、あるかを自白せむ。予が友は、予が未だ、恋をなせりと、心付かざりし以前にありて。早く既に予をば、彼女に意あるものと察して。予の為にともに、彼女の経歴を説き、目下の境遇をば語り。彼女はとうてい、何人なんぴととも、婚姻をなすまじきものなりといへり。予は彼女が、婚姻をなすべき人にてあると否とは。もとより予が彼女を、恋ふるにおいて差し支へなき事なれば。予はこれが為に、別に失意をもなさず。されども、その婚姻をなさずといへる原因は。彼女がかつて、清からぬ男子によりて、その性情を損なはれ。それより一般の男子について、全く絶望せるが故なりといへることを聞き。予はなほなほもつて、この一身を、彼女の為に、捧げむとは、決意せしなり。されども予は、元来恋には無経験なるものなれば。いかにせば彼女が、身辺を纒へる漠々たる愁雲を、払ひ得らるるか。またいかにせば彼女が、胸を塞げる、憂いを開くの鍵となり得らるべきか。これらの事については、予は実に三尺の童子が。宇宙間の大問題に関して、問を発せられたるよりも、なほかつ困難に思ふなり。先づ試みに彼女に対して、あらゆる力を致すの、一親友たらしめよと、いひ送らむか。否彼女は、容易に男子に、信を措かざるべければ。予が未だ彼女に知られざるに先だち、さる事を、いひ送りたらむには、かへつて彼女の、憂いを添ふるの、種子とならむも知るべからず。さらば予はむしろ、予が親友のうちにつきて、もつとも性情の優しき人を選み。しかして彼女を、慰むるの友とならしむべきか。否々これも覚束おぼつかなし。たとひその性質は、いかに、優しくとも。彼女を熱愛せざる者にてはとうてい彼女の心を、和らぐることあたはざるべし。ああ予は彼女に、高潔なる愛情を有する点においては、恐らく予に及ぶ者なかるべしと、自らも信ずれど、ただ予が元来武骨者にして、その方法を知らざるに苦しむなり、予が数日来の懊悩煩悶は、即ちこれに外ならず。なほ一言すれば、予は彼女をば。失望の中に救ひて、多望円満の人とならしめずんば、とうてい心を。安んずることあたはざるなり。この点より思へば、予はむしろ、予が恋愛の、かの人において、成就すると、否とを問はず。誰人にてもあれ、予よりも数等優れる人が出で来りて。予の如くに、彼女を愛しくれ、しかして彼女をして、恋愛を感ずるの、幸福なる人とならしめ得なむには。予は予なるこの一肉塊が、彼女の前に、無益なる供へ物となりて、いたづらに滅尽し去ることあらむも、予は少しも、遺憾とは思はざるなり。むしろ彼女の為に、これをこひねがふの、至当なるを信ずるなり。(『女学雑誌』一八九二年一〇月一五日)





底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「女学雑誌」
   1892(明治25)年10月15日
※底本では、文末の日付に添えて『女学雑誌』を示す記号として「*」を用いていますが、『女学雑誌』に直しました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年11月5日修正
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