参
さすがに母親(おふくろ)は源のことが案じられて堪りません。海の口村の出はずれまで尋ねて参りますと、丁度源が鹿の湯の方から帰って来たところで、二人は橋の頭(たもと)で行逢いました。母親は月光(つきあかり)に源の顔を透して視て、
「お前(めえ)は、まあ何処へ行ってたよ。父(とっ)さんも何程(どのくれえ)心配していなさるか知んねえだに。私(わし)はお前を探して歩いて、どこを尋ねても――源さは来なさりゃせんとばかり。さあ、私と一緒に帰りなされ」
それは静かな、気の遠くなるような夜でした。奥山の秋のことですから、日中(ひるなか)とは違いましてめっきり寒い。山気は襲いかかって人の背(せなか)をぞくぞくさせる。見れば樹葉(きのは)を泄(も)れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも※寂(ひっそり)として、沈まり返って、休息(やす)んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親(おやじ)さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許(ちったあ)痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一(もしも)の事が有って見ろ。これが巡査(おまわり)さんの耳へ入(へい)ったものならお前はまあどうする気だぞい――痴児(たわけ)め。
忘れたかや。お前にはお梅さという許婚(いいなずけ)があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸(やっ)と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰(もら)ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
私はお前の根性が愍然(かわいそう)でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子(ひとりっこ)で我儘(わがまま)放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに――自分さえよければ他はどうでもよい――それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若(わけ)い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸(やっ)と目が覚めて心を入替(いれけ)えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張(やっぱり)あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程(どのくれえ)まあ口惜(くやし)いか知んねえ」
と母親(おふくろ)は仰(あおむ)きながら鼻を啜(すす)りました。
ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠(そばばたけ)の側(わき)を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔(ま)きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯(すがれ)に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶(おもいで)が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺(なが)めて幾度か深い歎息(ためいき)を吐きました。
「源」と母親は襦袢(じゅばん)の袖口で※(まぶた)を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬(たと)えて見るなら丁度干乾(ひから)びた烏瓜(からすうり)だ――その烏瓜が細い生命(いのち)の蔓(つる)をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰(あおむ)きながら首を振る度に、猶々(なおなお)胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮(やぶ)医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨つぎの名人が有るということだによって、明日はなんでも其処へお隅を遣(や)ることだ、と言ってなさる。なあ、お前も明日の朝は暗え中に起きて、お隅を馬に乗せて、村の人の寝ている中に出掛けて行きなされ」
こういう話をして、家へ帰って見ますと、お隅も寝入った様子。母親(おふくろ)は源を休ませて置いて、炉辺で握飯をこしらえました。父親も不幸な悴(せがれ)の為に明日履く草鞋(わらじ)を作りながら、深更(おそく)まで二人で起きていたのです。度を過した疲労の為に、源もおちおち寝られません。枕許の畳を盗むように通る鼠の足音まで恐しくなって、首を持上げて見る度に、赤々と炉に燃上る楢の火炎(ほのお)は煤けた壁に映っておりました。源は心(しん)が疲れていながら、それで目は物を見つめているという風で、とても眠が眠じゃない――少許(すこし)とろとろしたかと思うと、復た恐しい夢が掴みかかる。
夜中にすこし時雨(しぐれ)ました。
源は暁前(よあけまえ)に起されて、馬小屋へ仕度に参りましたが、馬はさすがに昨日の残酷な目を忘れません。蚊(か)の声のする暗い隅の方へとかく逡巡(しりごみ)ばかりして、いつもの元気もなく出渋るやつを、無理無体に外へ引出しました。お隅の萎れた身体は鞍(くら)の上に乗せ、足は動かさないように聢(しっか)と馬の胴へ括付(くくりつ)けました。母親(おふくろ)は油火(カンテラ)を突付けて見せる――お隅は編笠、源は頬冠(ほっかぶ)りです。坂の上り口まで父親に送られて、出ました。
夜はまだ明放れません。鶏の鳴きかわす声が遠近(あちこち)の霧の中に聞える。坂を越して野辺山が原まで出てまいりますと、霧の群は行先(ゆくて)に集って、足元も仄暗(ほのぐら)い。取壊(とりくず)さずにある御仮屋(おかりや)も潜み、厩(うまや)も隠れ、鼻の先の松は遠い影のように沈みました。昨日の今日でしょう、原の上の有様は、よくも目に見えないで、見えるよりかも反って思出の種です。夫婦の進んでまいりましたのは原の中の一筋道――甲州へ通う旧道でした。二人は残夢もまだ覚めきらないという風で、温い霧の中をとぼとぼと辿(たど)りました。
高原の上に寂しい生活を送る小な村落は、旧道に添いまして、一里置位に有るのです。やがて取付(とっつき)の板橋村近く参りますと、道路も明くなって、ところどころ灰紫色(はいむらさき)の空が見えるようになりました。
こうして馬の口を取って、歩いて行くことは、源にとりまして言うに言われぬ苦痛です。源も万更(まんざら)憐(あわれ)みを知らん男でもない。いや、大知りで、随分落魄(おちぶ)れた友人を助けたことも有るし、難渋した旅人に恵んでやった例もある。もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負(しょ)ったような苦痛(くるしみ)ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂(さげ)て、罪過(あやまち)を謝(わび)るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖(おそれ)を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴(たわけ)め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解(いいほど)いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
馬は取付く虻(あぶ)を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。神経の鋭いものだけに、主人を懐しむことも恐れることも酷(はげ)しいものと見え、すこし主人に残酷な様子が顕れると、もう腰骨(こしぼね)を隆(たか)くして前へ進みかねる。
「そら牛馬(うしうま)め」
と源は怒気を含んで、烈しく手綱を引廻す。「意地が悪くて、遅いから、牛馬だ。そら、この牛め」
馬は片意地な性質を顕して、猶々出足が渋ってくる。
「やい戯※(じょうだん)じゃねえぞ。余程(よっぽど)、この馬は与太馬(駑馬(どば))だいなあ。こんな使いにくい畜生もありゃあしねえ」
長い手綱を手頃に引手繰(ひきたぐ)って、馬の右の股(もも)を打つ。
「しッ、しッ、そら、おじいさん」
馬は渋々ながら出掛けるのでした。
晴れて行く高原の霧のながめは、どんなに美しいものでしょう。すこし裾(すそ)の見えた八つが岳が次第に嶮(けわ)しい山骨を顕わして来て、終(しまい)に紅色の光を帯びた巓(いただき)まで見られる頃は、影が山から山へ映(さ)しておりました。甲州に跨(またが)る山脈の色は幾度(いくたび)変ったか知れません。今、紫がかった黄。今、灰がかった黄。急に日があたって、夫婦の行く道を照し始める。見上げれば、ちぎれちぎれの綿のような雲も浮んで、いつの間にか青空になりました。
ああ朝です。
男山、金峯(きんぷ)山、女山、甲武信岳(こぶしがたけ)、などの山々も残りなく顕れました。遠くその間を流れるのが千曲川の源。かすかに見えるのが川上の村落です。千曲川は朝日をうけて白く光りました。
馬上のお隅は首を垂下げておりましたが、清(すず)しい朝の空気を吸うと急に身体を延して、そこここの景色を眺め廻して、
「貴方(あんた)、お願いでごわすが、爰(ここ)から家へ帰って下さい」
と言われて、源は呆(あき)れながらお隅の顔を見上げました。
「折角、爰まで来て、帰ると言う馬鹿が何処にある」
「私はどうしても平沢へ行きたくないような心地(こころもち)がして……気が咎(とが)めてなりゃせん」
「お前はどうかしてるよ。今、爰から帰って何になるぞい。自分の身体が可愛(かわいい)とは思わねえかよ」
「噫、私は死んでもかまわない」
「何? 死んでもかまわない?」と源は首を縮めて、くすくす笑って、「ふふ、馬鹿も休み休み言え。こんな蕎麦も碌々出来ねえような原の上でさえ、見ろ、住んでいる人すら有るじゃねえかよ。奥山の炭焼の烟(けむり)に燻(くすぶ)って、真黒になって、それでも働く人のあるというのは――何の為だ。皆(みんな)、生きたいと思やこそ。自分の命より大切なものが世の中にあるかよ」
と言って、源は板橋村の人家から青々と煙の空に上るのを眺めました。お隅は恨めしそうに、
「貴方は自分の命がそんなに大切でも、他(ひと)の命は大切じゃごわせんのかい。貴方が生きたけりゃ、私だっても生きたい」
「解らねえなあ、何故女というものはそう解らねえだろう。それだによって、己が暗い中から起きて、忙しい手間を一日潰(つぶ)して、こうしてお前を馬に乗せて、連れて行くとこじゃねえか。命が惜くねえもんなら、誰がこんな思いをして、平沢くんだりまでも行くものかよ」と源は気を変えて、「つまらねえことを言うのは止してくれ、お前が助からんけりゃ、己も助からん」
「貴方はそう言いなさるけれど、私だっても他人じゃなし、一緒に死ぬなら好(いい)じゃごわせんかえ」
とお隅は源の姿を盗むように視下(みおろ)して、蒼(あおざ)めた口唇(くちびる)に笑(えみ)を浮べました。源は地団太踏んで、
「真実(ほんとう)に、お前はどうかしてる。己がこれ程言うじゃねえかよ。己を助けると思って、機嫌克(きげんよ)くして行ってくれ。なあ、一生のお頼みだに」
お隅は口を噤(つぐ)んで了う。源はぶつぶつ言いながら、馬を引いてまいりました。
筒袖の半天に股引(ももひき)、草鞋穿で頬冠りした農夫は、幾群か夫婦の側を通る。鍬(くわ)を肩に掛けて行く男もあり、肥桶(こえたご)を担いで腰を捻(ひね)って行く男もあり、爺(おやじ)の煙草入を腰にぶらさげながら随(つ)いて行く児もありました。気候、雑草、荒廃、瘠土(やせつち)などを相手に、秋の一日(ひとひ)の烈しい労働が今は最早(もう)始まるのでした。
既に働いている農婦も有ました。黒々とした「のっぺい」(土の名)の畠の側を進んでまいりますと、一人の荒くれ男が、汗雫(あせしずく)になって、傍目(わきめ)もふらずに畠を打っておりました。大な鋤(すき)を打込んで、身を横にして仆(たお)れるばかりに土の塊を鋤起す。気の遠くなるような黒土の臭気(におい)は紛(ぷん)として、鼻を衝くのでした。夫婦は他(ひと)の働くさまを夢のように眺め、茫然(ぼんやり)と考え沈んで、通り過ぎて行きましたのです。板橋村を離れて旅人の群に逢いました。
高原の秋は今です。見渡せば木立もところどころ。枝という枝は南向に生延(はえの)びて、冬季に吹く風の勁(つよ)さも思いやられる。白樺(しらはり)は多く落葉して、高く空に突立ち、細葉の楊樹(やなぎ)は踞(うずくま)るように低く隠れている。秋の光を送る風が騒しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き靡(なび)いて、柏(かしわ)の葉もうらがえりました。
ここかしこに見える大石には秋の日があたって、寂しい思をさせるのでした。
「ありしおで」の葉を垂れ、弘法菜の花をもつのは爰(ここ)です。
「かしばみ」の実の路(みち)に落ちこぼれるのも爰です。
爰には又、野の鳥も住隠れました。笹(ささ)の葉蔭に巣をつくる雲雀(ひばり)は、老いて春先ほどの勢がない。鶉(うずら)は人の通る物音に驚いて、時々草の中から飛立つ。「ヒュヒュ、ヒュヒュ」と鳴く声を聞いては、思わず源も立留りました。見れば、不恰好(ぶかっこう)な短い羽をひろげて、舞揚ろうとして、やがてぱったり落ちるように草の中へ引隠れるのでした。
外の樹木の黄に枯々とした中に、まだ緑勝な蔭をとどめたところもある。それは水の流れを旅人に教えるので。そこには雑樹(ぞうき)が生茂(おいしげ)って、泉に添うて枝を垂れて、深く根を浸しているのです。源は馬に飲ませて通りました。
今は村々の農夫も秋の労働に追われて、この高原に馬を放すものもすくない。八つが岳山脈の南の裾(すそ)に住む山梨の農夫ばかりは、冬李の秣(まぐさ)に乏しいので、遠く爰まで馬を引いて来て、草を刈集めておりました。
日は次第に高くなる、空気は乾燥(はしゃ)いでくる、夫婦は渇(かわ)き疲れて休場処を探したのですが、さて三軒屋は農家ばかりで、旅人のため蕎麦餅(はりこし)を焼くところもなし、一ぜんめし、おんさけさかな、などの看板は爰から平沢までの間に見ることも出来ないのです。拠(よんどころ)なく、夫婦は白樺(しらはり)の樹の下を選(よ)って、美しい葉蔭に休みました。これまで参りましても、夫婦は互に打解けません。源はお隅を見るのが苦痛で、お隅はまた源を見るのが苦痛です。きのうの事が有ましてから、源は妙に気まずくなって、お隅と長く目を見合せていられない。年若な妻が馬の上に悩萎(なやみしお)れて、足を括付(くくりつ)けられているところを見れば、憐みの起るは人の情でしょう。しかし、ゆうべの書記の話を思出すと、線路番人のことが眼前(めのまえ)に活きて来て、譬えようもない嫉妬(しっと)が湧上る。源は藁草履と言われる程の醜男子(ぶおとこ)ですから、一通りの焼手(やきて)ではないのです。編笠越しに秋の光のさし入ったお隅の横顔を見れば、見るほど嫉妬は憐みよりも強くなるばかりでした。
「お隅、お前は何をそんなに考えているんだい」
「何も考えておりゃせんよ」
「定めしお前は己を恨んでいるだろう。己に言わせると、こっちからお前を恨むことがある」
「何を私は貴方に恨まれることが有りやすえ」
と突込むように言われて、源はもう憤然(むっ)とする。さすがにそれとは言淀(よど)んで、すこし口唇を震わせておりましたが、やがて石の上に腰を掛けて、草鞋の紐(ひも)を結直しながら、書記から聞いた一伍一什(いちぶしじゅう)を話し出した。こう打開(ぶちま)けて罪人の旧悪を言立てるような調子に出られては、お隅も平気でいられません。見る見るお隅の顔色が変って来て、「線路の番人」と図星を指(さ)された時は、耳の根元から襟首(えりくび)までも真紅にしました。邪推深い目付で窺(うかが)い澄していた源のことですから、お隅の顔の紅くなったのが読めすぎる位読めて、もう嫉(ねたま)しいで胸一ぱいになる。
しばらく二人は無言でした。
「貴方もあんまりだ」
とお隅は潤み声でいう。源は怒を帯びた鋭い調子で、
「何があんまりだよ」
「だって、あんまりじゃごわせんか。誰から聞きなすったか知りゃせんが、今更そんな件(こと)を持出して私を責めたって……」とお隅はさもさも儚(はかな)いという目付で、深い歎息(ためいき)を吐(つ)いて、「それを根に持って、貴方は私(わし)をこんなに打(ぶち)なすったのですかい」
「あたりめえよ」
お隅は顔を外向(そむ)けて、嗚咽(すすりあげ)ました。一旦愈(なお)りかかった胸の傷口が復た破れて、烈しく出血するとはこの思いです。残酷な一生の記憶(おもいで)は蛇のように蘇生(いきかえ)りました。瞑(つぶ)った目蓋(まぶた)からは、熱い涙が絶間(とめど)もなく流出(ながれだ)して、頬を伝って落ちましたのです。馬は繋がれたまま、白樺(しらはり)の根元にある笹の葉を食っていたのですが、急に首を揚げて聞耳を立てました。向の楢林(ならばやし)――山梨の農夫が秣を刈集めている官有地の方角から、牝馬の嘶(いなな)く声が聞えて来る。やがて源の馬は胴震いして、鼻をうごめかして、勇しそうに嘶きました。一段の媚(こび)を含んだような牝馬の声が復た聞える。源の馬は夢中になって嘶きかわした。昨日から今日へかけて主人に小衝き廻されたことは一通りで無いのですもの、人間の残酷な叱※(しった)と、牝馬の恋の嘶きと、どちらがこの馬の耳には音楽のように聞えたか――言うまでもない。牝馬は、また、誘うような、思わせ振な声で――こういう時の役に立てねば外に役に立てる時は無いといいたい調子で、嘶きながら肥った灰色の姿を見せました。声を聞いたばかりでも、源の馬はさも恋しそうに眺め入っていたのですから、愛らしい形を拝んでは堪りません。紫色の大な眼を輝して、波のように胸の動悸(どうき)を打たせて、しきりと尻尾を振りました。鼻息は荒くなって来て、白い湯気のように源の顔へかかる。
「止せ、畜生」
と源は自分の顔を拭いて、その手で馬の鼻面を打ちました。馬は最早(もう)狂気です。牝馬の恋しさに目も眩(くら)んで、お隅を乗せていることも忘れて了う。やがて一振、力任せに首を振ったかと思うと、白樺(しらはり)の幹に繋いであった手綱はポツリと切れる。黄ばんだ葉が落ち散りました。
あれ、という間に、牝馬の方を指して一散に駆出す。源は周章(あわ)てて、追馳(おいか)けて、草の上を引摺(ひきず)って行く長い手綱に取縋(とりすが)りました。
さすがに人に誇っておりました源の怪力も、恋の力には及(かな)いません。源は怒の為に血を注いだようになりまして、罵(ののし)って見ても、叱って見ても、狂乱(くるいみだ)れた馬の耳には何の甲斐(かい)もない。五月雨(さみだれ)揚句の洪水(おおみず)が濁りに濁って、どんどと流れて、堤を切って溢(あふ)れて出たとも申しましょうか。左右に長い鬣(たてがみ)を振乱して牝馬と一緒に踴(おど)り狂って、風に向って嘶きました時は――偽(いつわり)もなければ飾もない野獣の本性に返りましたのです。源はもう、仰天して了って、聢(しっかり)と手綱を握〆めたまま、騒がしく音のする笹の葉の中を飛んで、馬と諸馳(もろがけ)に馳けて行きました。黄色い羽の蝶(ちょう)は風に吹かれて、木の葉のように前を飛び過ぎる。木蔭に草を刈集めていた農夫は物音を聞きつけて、東からも西からも出合いましたが、いずれも叫んで逃廻るばかり。馬の勢に恐(おじ)て寄りつく者も有ません。終(しまい)には源も草鞋を踏切って了う、股引は破れて足から血が流れる――思わず知らず声を揚げて手綱を放して了いました。
憐み、恐れ、千々の思は電光(いなずま)のように源の胸の中を通りました。馬は気勢の尽き果てた主人を残して置いて、牝馬と一緒に原の中を飛び狂う。使役される為に生れて来たようなこの畜生も、今は人間の手を離れて、自由自在に空気を呼吸して、鳴きたいと思う声のあらん限を鳴きました。ある時は牝馬と同じように前足を高く揚げて踴上るさまも見え、ある時は顔と顔を擦(すり)付けて互に懐しむさまも見える。時によると、牝馬はつんと憤(すね)た様子を見せて、後足で源の馬を蹴る。すると源の馬は長い尻尾を振りまして、牝馬の足を押戴くように這倒(はいのめ)る。やがて牝馬の傍へ寄って耳語(みみうち)をすると、牝馬は源の馬の鬣(たてがみ)を噛(か)んで、それを振廻して、もうさんざんに困(じら)した揚句、さも嬉しそうな嘶きを揚げる。二匹の馬は互に踴りかかって、噛合って、砂を浴せかけました。獣の恋は戯(たわむれ)です。
急に二匹の馬は揃って北の方へ馳出しました。見る見る遠く離れて、馬の背の上に仰(あおむ)けさまに仆れたお隅の顔も形も分らない程になる。不幸な女の最後はこれです。
やがて馬の姿も黄色い土塵(つちぼこり)の中に隠れて見えなくなりました。
* * *
源が馬の後を迫って、板橋村の出はずれまで参りました頃はかれこれ昼でした。そこには農夫の群が黒山のように集(たか)って、母親(おふくろ)の腕に抱かれたお隅の死体を見ておりました。源は父親と顔を見合せたばかり、互に言葉を交(かわ)すことも出来ません。海の口村の巡査が人を押分けて源の前へ進んだ時は、群集の視線がこの若い農夫に注(あつま)りましたのです。源は蒼(あお)ざめた口唇へ指さしをして、物の言えないということを知らせました。
前(さき)の世に恨のあったものが馬の形に宿りまして、生れ変って讐(あだ)をこの世に復(かえ)したものであろう、というような臆測が群集の口から口へ伝わりました。巡査は父親から事の委細を聞取って、しきりに頷(うなず)く。源に何の咎(とが)がない、ということを確めました時は、両親も巡査の後姿を拝むばかりに見送って、互に蘇生(いきかえ)ったような大息(おおいき)をホッと吐(つ)きましたのです。
群集もちりぢりになって、親戚(みうち)の者ばかり残りました頃、父親は石の落ちたように胸を撫(な)で擦(さす)りながら、
「源、お隅はお前の命を助けてくれたぞよ。さあ爰へ来て沢山(たんと)御礼を言いなされ」
源は妻の死骸(しがい)の前に立ちまして、黙って首を垂れました。
底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年2月15日初版発行
1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:伊藤時也
ファイル作成:野口英司
1999年12月14日公開
2000年6月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
掻※(かきむし)り |
第3水準1-84-77 |
二重※(ふたえまぶち) ※(まぶた) |
第3水準1-88-81 |
※寂(ひっそり) |
第4水準2-91-57 |
戯※(じょうだん) |
第4水準2-88-74 |
叱※(しった) |
第3水準1-14-88 |
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