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伸び支度(のびじたく)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-11 9:05:33  点击:  切换到繁體中文


「ええ、すこし……」
とおはつ曖昧あいまい返事へんじばかりした。
 袖子そでこものわずに寝苦ねぐるしがっていた。そこへとうさんが心配しんぱいしてのぞきにたびに、しまいにはおはつほうでもかくしきれなかった。
旦那だんなさん、袖子そでこさんのは病気びょうきではありません。」
 それをくと、とうさんは半信半疑はんしんはんぎのままで、むすめそばはなれた。日頃ひごろかあさんのやくまでねて着物きもの世話せわからなにから一切いっさいけているとうさんでも、そのばかりはまったとうさんのはたけにないことであった。男親おとこおやかなしさには、とうさんはそれ以上いじょうのことをおはつたずねることも出来できなかった。
「もう何時なんじだろう。」
ってとうさんがちゃかっている柱時計はしらどけいころは、その時計とけいはりが十していた。
「おひるにはにいさんたちかえってるな。」ととうさんはちゃのなかを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)みまわしてった。「おはつ、おまえたのんでおくがね、みんな学校がっこうからかえっていたら、そうっておくれ――きょうはとうさんがそでちゃんをやすませたからッて――もしかしたら、すこしあたまいたいからッて。」
 とうさんは袖子そでこにいさんたち学校がっこうからかえって場合ばあい予想よそうして、むすめのためにいろいろ口実こうじつかんがえた。
 ひるすこしまえにはもう二人ふたりにいさんが前後ぜんごして威勢いせいよくかえってた。一人ひとりにいさんのほう袖子そでこているのをるとだまっていなかった。
「オイ、どうしたんだい。」
 その権幕けんまくおそれて、袖子そでこしたいばかりになった。そこへおはつんでて、いろいろわけをしたが、なにらないにいさんはわけからないという顔付かおつきで、しきりに袖子そでこめた。
あたまいたいぐらいで学校がっこうやすむなんて、そんなやつがあるかい。弱虫よわむしめ。」
「まあ、そんなひどいことをって、」とおはつにいさんをなだめるようにした。「袖子そでこさんはわたしやすませたんですよ――きょうはわたしやすませたんですよ。」
 不思議ふしぎ沈黙ちんもくつづいた。とうさんでさえそれをかすことが出来できなかった。ただただとうさんはだまって、袖子そでこている部屋へやそと廊下ろうかったりたりした。あだかも袖子そでこ子供こども最早もはやわりをげたかのように――いつまでもそうとうさんの人形娘にんぎょうむすめではいないような、あるけたが、とうとうとうさんのまえへやってたかのように。
「おはつそでちゃんのことはおまえによくたのんだぜ。」
 とうさんはそれだけのことをいにくそうにって、また自分じぶん部屋へやほうもどってった。こんななやましい、うにわれぬ一にち袖子そでことこうえおくった。夕方ゆうがたには多勢おおぜいのちいさな子供こどもこえにまじってれい光子みつこさんの甲高かんだかこえいえそとひびいたが、袖子そでこはそれをながらいていた。にわ若草わかくさ一晩ひとばんのうちにびるようなあたたかいはるよいながらにかなしいおもいは、ちょうどそのままのように袖子そでこちいさなむねをなやましくした。
 翌日よくじつから袖子そでこはおはつおしえられたとおりにして、れいのように学校がっこう出掛でかけようとした。そのとしの三がつそこなったらまた一ねんたねばならないような、大事だいじ受験じゅけん準備じゅんび彼女かのじょっていた。そのとき、おはつ自分じぶんおんなになったときのことをして、
わたしは十七のときでしたよ。そんなに自分じぶんおそかったものですからね。もっとはやくあなたにはなしてあげるとかった。そのくせわたしはなそうはなそうとおもいながら、まだ袖子そでこさんにははやかろうとおもって、いままでわずにあったんですよ……つい、自分じぶんおそかったものですからね……学校がっこう体操たいそうやなんかは、そのあいだやすんだほうがいいんですよ。」
 こんなはなし袖子そでこにしてかせた。
 不安ふあんやら、心配しんぱいやら、おもしたばかりでもきまりのわるく、かおあかくなるようなおもいで、袖子そでこ学校がっこうへのみち辿たどった。この急激きゅうげき変化へんか――それをってしまえば、心配しんぱいもなにもなく、ありふれたことだというこの変化へんかを、なんゆえであるのか、なんためであるのか、それを袖子そでこりたかった。事実上じじつじょうこまかい注意ちゅういのこりなくおはつからおしえられたにしても、こんなときかあさんでもきていて、そのひざかれたら、としきりにこいしくおもった。いつものように学校がっこうってみると、袖子そでこはもう以前いぜん自分じぶんではなかった。ことごとに自由じゆううしなったようで、あたりがせまかった。昨日きのうまでのあそびの友達ともだちからはにわかにとおのいて、多勢おおぜい友達ともだち先生達せんせいたち縄飛なわとびに鞠投まりなげに嬉戯きぎするさまを運動場うんどうじょうすみにさびしくながめつくした。
 それから一週間しゅうかんばかりあとになって、ようや袖子そでこはあたりまえのからだにかえることが出来できた。あふれてるものは、すべてきよい。あだかもはるゆきれてかえってびるちから若草わかくさのように、生長しとなりざかりの袖子そでこ一層いっそういきいきとした健康けんこう恢復かいふくした。
「まあ、よかった。」
って、あたりを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)みまわしたとき袖子そでこなにがなしにかなしいおもいにたれた。そのかなしみはおさなわかれをげてかなしみであった。彼女かのじょ最早もはやいままでのようなでもって、近所きんじょ子供達こどもたちることも出来できなかった。あの光子みつこさんなぞがくろいふさふさしたかみって、さも無邪気むじゃきに、いえのまわりを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まわっているのをると、袖子そでこは自分でも、もう一度いちどなにらずにねむってみたいとおもった。
 おとこおんな相違そういが、いまあきらかに袖子そでこえてきた。さものんきそうなにいさんたちとちがって、彼女かのじょ自分じぶんまもらねばならなかった。大人おとな世界せかいのことはすっかりかってしまったとはえないまでも、すくなくもそれをのぞいてた。そのこころから、袖子そでこいあらわしがたいおどろきをもさそわれた。
 袖子そでこかあさんは、彼女かのじょまれるともなくはげしい産後さんご出血しゅっけつくなったひとだ。そのかあさんがくなるときには、ひとのからだにしたりいたりするしおが三まいも四まいものかあさんの単衣ひとえしずくのようにした。それほどおそろしいいきおいでかあさんからいてったしおが――十五ねんのちになって――あのかあさんと生命せいめいりかえっこをしたような人形娘にんぎょうむすめしてた。そらにあるつきちたりけたりするたびに、それと呼吸こきゅうわせるような、奇蹟きせきでない奇蹟きせきは、まだ袖子そでこにはよくみこめなかった。それがひとうように規則的きそくてきあふれてようとは、しんじられもしなかった。ゆえもない不安ふあんはまだつづいていて、えず彼女かのじょおびやかした。袖子そでこは、その心配しんぱいから、子供こども大人おとなの二つの世界せかい途中とちゅう道端みちばたいきづきふるえていた。
 子供こどもきなおはつ相変あいかわらず近所きんじょいえから金之助きんのすけさんをいてた。頑是がんぜない子供こどもは、以前いぜんにもまさる可愛かわいげな表情ひょうじょうせて、袖子そでこかたにすがったり、そのあとったりした。
「ちゃあちゃん。」
 したしげに金之助きんのすけさんのこえわりはなかった。しかし袖子そでこはもう以前いぜんおなじようにはこのおとこけなかった。





底本:「少年少女日本文学館 第三巻 ふるさと・野菊の墓」講談社
   1987(昭和62)年1月14日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第10刷発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:柳沢成雄
1999年12月22日公開
2005年12月26日修正
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