少年少女日本文学館 第三巻 ふるさと・野菊の墓 |
講談社 |
1987(昭和62)年1月14日 |
1993(平成5)年2月25日第10刷 |
1993(平成5)年2月25日第10刷 |
十四、五になる大概の家の娘がそうであるように、袖子もその年頃になってみたら、人形のことなぞは次第に忘れたようになった。
人形に着せる着物だ襦袢だと言って大騒ぎした頃の袖子は、いくつそのために小さな着物を造り、いくつ小さな頭巾なぞを造って、それを幼い日の楽しみとしてきたか知れない。町の玩具屋から安物を買って来てすぐに首のとれたもの、顔が汚れ鼻が欠けするうちにオバケのように気味悪くなって捨ててしまったもの――袖子の古い人形にもいろいろあった。その中でも、父さんに連れられて震災前の丸善へ行った時に買って貰って来た人形は、一番長くあった。あれは独逸の方から新荷が着いたばかりだという種々な玩具と一緒に、あの丸善の二階に並べてあったもので、異国の子供の風俗ながらに愛らしく、格安で、しかも丈夫に出来ていた。茶色な髪をかぶったような男の児の人形で、それを寝かせば眼をつぶり、起こせばぱっちりと可愛い眼を見開いた。袖子があの人形に話しかけるのは、生きている子供に話しかけるのとほとんど変わりがないくらいであった。それほどに好きで、抱き、擁え、撫で、持ち歩き、毎日のように着物を着せ直しなどして、あの人形のためには小さな蒲団や小さな枕までも造った。袖子が風邪でも引いて学校を休むような日には、彼女の枕もとに足を投げ出し、いつでも笑ったような顔をしながらお伽話の相手になっていたのも、あの人形だった。
「袖子さん、お遊びなさいな。」
と言って、一頃はよく彼女のところへ遊びに通って来た近所の小娘もある。光子さんといって、幼稚園へでもあがろうという年頃の小娘のように、額のところへ髪を切りさげている児だ。袖子の方でもよくその光子さんを見に行って、暇さえあれば一緒に折り紙を畳んだり、お手玉をついたりして遊んだものだ。そういう時の二人の相手は、いつでもあの人形だった。そんなに抱愛の的であったものが、次第に袖子から忘れられたようになっていった。そればかりでなく、袖子が人形のことなぞを以前のように大騒ぎしなくなった頃には、光子さんともそう遊ばなくなった。
しかし、袖子はまだ漸く高等小学の一学年を終わるか終わらないぐらいの年頃であった。彼女とても何かなしにはいられなかった。子供の好きな袖子は、いつの間にか近所の家から別の子供を抱いて来て、自分の部屋で遊ばせるようになった。数え歳の二つにしかならない男の児であるが、あのきかない気の光子さんに比べたら、これはまた何というおとなしいものだろう。金之助さんという名前からして男の子らしく、下ぶくれのしたその顔に笑みの浮かぶ時は、小さな靨があらわれて、愛らしかった。それに、この子の好いことには、袖子の言うなりになった。どうしてあの少しもじっとしていないで、どうかすると袖子の手におえないことが多かった光子さんを遊ばせるとは大違いだ。袖子は人形を抱くように金之助さんを抱いて、どこへでも好きなところへ連れて行くことが出来た。自分の側に置いて遊ばせたければ、それも出来た。
この金之助さんは正月生まれの二つでも、まだいくらも人の言葉を知らない。蕾のようなその脣からは「うまうま」ぐらいしか泄れて来ない。母親以外の親しいものを呼ぶにも、「ちゃあちゃん」としかまだ言い得なかった。こんな幼い子供が袖子の家へ連れられて来てみると、袖子の父さんがいる、二人ある兄さん達もいる、しかし金之助さんはそういう人達までも「ちゃあちゃん」と言って呼ぶわけではなかった。やはりこの幼い子供の呼びかける言葉は親しいものに限られていた。もともと金之助さんを袖子の家へ、初めて抱いて来て見せたのは下女のお初で、お初の子煩悩ときたら、袖子に劣らなかった。
「ちゃあちゃん。」
それが茶の間へ袖子を探しに行く時の子供の声だ。
「ちゃあちゃん。」
それがまた台所で働いているお初を探す時の子供の声でもあるのだ。金之助さんは、まだよちよちしたおぼつかない足許で、茶の間と台所の間を往ったり来たりして、袖子やお初の肩につかまったり、二人の裾にまといついたりして戯れた。
三月の雪が綿のように町へ来て、一晩のうちに見事に溶けてゆく頃には、袖子の家ではもう光子さんを呼ぶ声が起こらなかった。それが「金之助さん、金之助さん」に変わった。
「袖子さん、どうしてお遊びにならないんですか。わたしをお忘れになったんですか。」
近所の家の二階の窓から、光子さんの声が聞こえていた。そのませた、小娘らしい声は、春先の町の空気に高く響けて聞こえていた。ちょうど袖子はある高等女学校への受験の準備にいそがしい頃で、遅くなって今までの学校から帰って来た時に、その光子さんの声を聞いた。彼女は別に悪い顔もせず、ただそれを聞き流したままで家へ戻ってみると、茶の間の障子のわきにはお初が針仕事しながら金之助さんを遊ばせていた。
どうしたはずみからか、その日、袖子は金之助さんを怒らしてしまった。子供は袖子の方へ来ないで、お初の方へばかり行った。
「ちゃあちゃん。」
「はあい――金之助さん。」
お初と子供は、袖子の前で、こんな言葉をかわしていた。子供から呼びかけられるたびに、お初は「まあ、可愛い」という様子をして、同じことを何度も何度も繰り返した。
「ちゃあちゃん。」
「はあい――金之助さん。」
「ちゃあちゃん。」
「はあい――金之助さん。」
あまりお初の声が高かったので、そこへ袖子の父さんが笑顔を見せた。
「えらい騒ぎだなあ。俺は自分の部屋で聞いていたが、まるで、お前達のは掛け合いじゃないか。」
「旦那さん。」とお初は自分でもおかしいように笑って、やがて袖子と金之助さんの顔を見くらべながら、「こんなに金之助さんは私にばかりついてしまって……袖子さんと金之助さんとは、今日は喧嘩です。」
この「喧嘩」が父さんを笑わせた。
袖子は手持ち無沙汰で、お初の側を離れないでいる子供の顔を見まもった。女にもしてみたいほどの色の白い児で、優しい眉、すこし開いた脣、短いうぶ毛のままの髪、子供らしいおでこ――すべて愛らしかった。何となく袖子にむかってすねているような無邪気さは、一層その子供らしい様子を愛らしく見せた。こんないじらしさは、あの生命のない人形にはなかったものだ。
「何と言っても、金之助さんは袖ちゃんのお人形さんだね。」
と言って父さんは笑った。
そういう袖子の父さんは鰥で、中年で連れ合いに死に別れた人にあるように、男の手一つでどうにかこうにか袖子たちを大きくしてきた。この父さんは、金之助さんを人形扱いにする袖子のことを笑えなかった。なぜかなら、そういう袖子が、実は父さんの人形娘であったからで。父さんは、袖子のために人形までも自分で見立て、同じ丸善の二階にあった独逸出来の人形の中でも自分の気に入ったようなものを求めて、それを袖子にあてがった。ちょうど袖子があの人形のためにいくつかの小さな着物を造って着せたように、父さんはまた袖子のために自分の好みによったものを選んで着せていた。
「袖子さんは可哀そうです。今のうちに紅い派手なものでも着せなかったら、いつ着せる時があるんです。」
こんなことを言って袖子を庇護うようにする婦人の客なぞがないでもなかったが、しかし父さんは聞き入れなかった。娘の風俗はなるべく清楚に。その自分の好みから父さんは割り出して、袖子の着る物でも、持ち物でも、すべて自分で見立ててやった。そして、いつまでも自分の人形娘にしておきたかった。いつまでも子供で、自分の言うなりに、自由になるもののように……
ある朝、お初は台所の流しもとに働いていた。そこへ袖子が来て立った。袖子は敷布をかかえたまま物も言わないで、蒼ざめた顔をしていた。
「袖子さん、どうしたの。」
最初のうちこそお初も不思議そうにしていたが、袖子から敷布を受け取ってみて、すぐにその意味を読んだ。お初は体格も大きく、力もある女であったから、袖子の震えるからだへうしろから手をかけて、半分抱きかかえるように茶の間の方へ連れて行った。その部屋の片隅に袖子を寝かした。
「そんなに心配しないでもいいんですよ。私が好いようにしてあげるから――誰でもあることなんだから――今日は学校をお休みなさいね。」
とお初は袖子の枕もとで言った。
祖母さんもなく、母さんもなく、誰も言って聞かせるもののないような家庭で、生まれて初めて袖子の経験するようなことが、思いがけない時にやって来た。めったに学校を休んだことのない娘が、しかも受験前でいそがしがっている時であった。三月らしい春の朝日が茶の間の障子に射してくる頃には、父さんは袖子を見に来た。その様子をお初に問いたずねた。
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