落梅集より
明治三十二年――同三十三年
(小諸にて)
[#改丁]
常盤樹
あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千の草の落つるより
傷ましきかな
其枝に懸る朝の日
其幹を運る夕月
など行く旅の迅速なるや
など電の影と馳するや
蝶の舞
花の笑
など遊ぶ日の世に短きや
など其醉の早く醒むるや
蟲草の葉に悲めば
一時にして既に霜
鳥潮の音に驚けば
一時にして既に雪
木枯高く秋落ちて
自然の色はあせゆけど
大力天を貫きて
坤軸遂に靜息なし
ものみな速くうらがれて
長き寒さも知らぬ間に
汝千歳の時に嘯き
獨りし立つは何の力ぞ
白銀の花霏々として
吹雪の煙闇き時
四方は氷に閉されて
江海も音をひそむ時
汝緑の蔭も朽ちせず
空を凌ぐは何の力ぞ
立てよ友なき野邊の帝王
ゆゝしく高く立てよ常盤樹
汝の長き春なくば
山の命も老いなむか
汝の深き息なくば
谷の響も絶えなむか
あしたには葉をうつ霙
ゆふべには枝うつ霰
千草も知らぬ冬の日の
嵐に叫ぶうきなやみ
いづれの日にか
氷は解けて
其葉の涙
消えむとすらむ
あゝよしさらば枝も摧けて
終の色の落ちなむ日まで
雲浮かば
無縫の天衣
風立たば
不朽の緒琴
おごそかに
立てよ常盤樹
あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千の草の落つるより
傷ましきかな
[#改ページ]
寂寥
岸の柳は低くして
羊の群の繪にまがひ
野薔薇の幹は埋もれて
流るゝ砂に跡もなし
蓼科山の山なみの
麓をめぐる河水や
魚住む淵に沈みては
鴨の頭の深緑
花さく岩にせかれては
天の鼓の樂の音
さても水瀬はくちなはの
かうべをあげて奔るごと
白波高くわだつみに
流れて下る千曲川
あした炎をたゝかはし
ゆふべ煙をきそひてし
駿河にたてる富士の根も
今はさびしき日の影に
白く輝く墓のごと
はるかに沈む雲の外
これは信濃の空高く
今も烈しき火の柱
雨なす石を降らしては
みそらを焦す灰けぶり
神夢さめし天地の
ひらけそめにし昔より
常世につもる白雪は
今も無間の谷の底
湧きてあふるゝ紅の
血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
翼をかへす淺間山
あゝ北佐久の岡の裾
御牧が原の森の影
夢かけめぐる旅に寢て
安き一日もあらねばや
高根の上にあかあかと
燃ゆる炎をあふぐとき
み谷の底の青巖に
逆まく浪をのぞむとき
かしこにこゝに寂寥の
その味ひはにがかりき
あな寂寥や其の道は
獸の足の跡のみか
舞ひて見せたる大空の
鳥のゆくへのそれのみか
さてもためしの燈火に
若き心をうかゞへば
人の命の樹下蔭
花深く咲き花散りて
枝もたわゝの智慧の實を
味ひそめしきのふけふ
知らずばなにか旅の身に
人のなさけも薄からむ
知らずばなにか移る世に
假の契りもあだならむ
一つの石のつめたきも
萬の聲をこゝに聽き
一つの花のたのしきも
千々の涙をそこに觀る
あな寂寥や吾胸の
小休もなきを思ひみば
あはれの外のあはれさも
智慧のさゝやくわざぞ是
かの深草の露の朝
かの象潟の雨の夕
またはカナンの野邊の春
またはデボンの岸の秋
世をわびびとの寢覺には
あはれ鶉の聲となり
うき旅人の宿りには
ほのかに合歡の花となり
羊を友のわらべには
日となり星の數となり
夢に添ひ寢の農夫には
はつかねずみとあらはれて
あるは形にあるは音に
色ににほひにかはるこそ
いつはり薄き寂寥よ
いづれいましのわざならめ
さなりおもては冷やかに
いとつれなくも見ゆるより
深き心はあだし世の
人に知られぬ寂寥よ
むかしいましが雪山の
佛の夢に見えしとき
かりに姿は花も葉も
根もかぎりなき藥王樹
むかしいましが
湘の
水のほとりにあらはれて
楚に捨てられしあてびとの
熱き涙をぬぐふとき
かりにいましは長沙羅の
鄂渚の岸に生ひいでて
ゆふべ悲しき秋風に
香ひを送る
の草
またはいましがパトモスの
離れ小島にあらはれて
歎き仆るゝひとり身の
冷たき夢をさますとき
かりに面は照れる日や
首はゆふべの空の虹
衣はあやの雲を着て
足は二つの火の柱
默示をかたる言の葉は
高きらつぱの天の聲
思へばむかし北のはて
舟路侘しき佐渡が島
雲に戀しき天つ日の
光も薄く雪ふれば
毘藍の風は吹き落ちて
梵音聲を驚かし
岸うつ波は波羅密の
海潮音をとゞろかし
朝霜ふれば袖閉ぢて
衣は凍る鴛鴦の羽
夕霜ふれば現し身に
八つのさむさの寒古鳥
ましてや國の罪人の
安房の生れの栴陀羅が子を
あな寂寥や寂寥や
ひとりいましにあらずして
天にも地にも誰かまた
そのかなしみをあはれまむ
げに晝の夢夜の夢
旅の愁にやつれては
日も暖に花深き
空のかなたを慕ふとき
なやみのとげに責められて
袖に涙のかゝるとき
汲みて味ふ寂寥の
にがき誠の一雫
秋の日遠しあしたにも
高きに登りゆふべにも
流れをつたひ獨りして
ふりさけ見れば鳥影の
天の鏡に舞ふかなた
思ひを閉す白雲の
浮べるかたを望めども
都は見えず寂寥よ
來りてわれと共にかたりね
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