かりがね
さもあらばあれうぐひすの
たくみの奧はつくさねど
または深山のこまどりの
しらべのほどはうたはねど
まづかざりなき一聲に
涙をさそふ秋の雁
長きなげきは泄らすとも
なほあまりあるかなしみを
うつすよしなき汝が身か
などかく秋を呼ぶ聲の
荒き響をもたらして
人の心を亂すらむ
あゝ秋の日のさみしさは
小鹿のしれるかぎりかは
清しき風に驚きて
羽袖もいとゞ冷やかに
百千の鳥の群を出て
浮べる雲に慣るゝかな
菊より落つる花びらは
汝がついばむにまかせたり
時雨に染むるもみぢ葉は
汝がかざすにまかせたり
聲を放ちて叫ぶとも
たれかいましをとゞむべき
星はあしたに冷やかに
露はゆふべにいと白し
風に隨ふ桐の葉の
枝に別れて散るごとく
天の海にうらぶれて
たちかへり鳴け秋のかりがね
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野路の梅
風かぐはしく吹く日より
夏の緑のまさるまで
梢のかたに葉がくれて
人にしられぬ梅ひとつ
梢は高し手をのべて
えこそ觸れめやたゞひとり
わがものがほに朝夕を
ながめ暮してすごしてき
やがて鳴く鳥おもしろく
黄金の色にそめなせば
行きかふ人の目に觸れて
落ちて履まるゝ野路の梅
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門田にいでて
遠征する人を思ひて娘の
うたへる
門田にいでて
草とりの
身のいとまなき
晝なかば
忘るゝとには
あらねども
まぎるゝすべぞ
多かりき
夕ぐれ梭を
手にとりて
こゝろ靜かに
織るときは
人の得しらぬ
思ひこそ
胸より湧きて
流れけれ
あすはいくさの
門出なり
遠きいくさの
門出なり
せめて別れの
涙をば
名殘にせむと
願ふかな
君を思へば
わづらひも
照る日にとくる
朝の露
君を思へば
かなしみも
緑にそゝぐ
夏の雨
君を思へば
闇の夜も
光をまとふ
星の空
君を思へば
淺茅生の
荒れにし野邊も
花のやど
胸の思ひは
つもれども
吹雪はげしき
こひなれば
君が光に
照らされて
消えばやとこそ
恨むなれ
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寶はあはれ碎けけり
老いたる鍛冶のうたへる
寶はあはれ
碎けけり
さなり愛兒は
うせにけり
なにをかたみと
ながめつゝ
こひしき時を
忍ぶべき
ありし昔の
香ににほふ
薄はなぞめの
帶よけむ
麗はしかりし
黒髮の
かざしの紅き
珠よけむ
帶はあれども
老が身に
ひきまとふべき
すべもなし
珠はあれども
白髮に
うちかざすべき
すべもなし
ひとりやさしき
面影は
眼の底に
とゞまりて
あしたにもまた
ゆふべにも
われにともなふ
おもひあり
あゝたへがたき
くるしみに
おとろへはてつ
爐前に
仆れかなしむ
をりをりは
面影さへぞ
力なき
われ中槌を
うちふるひ
ほのほの前に
はげめばや
胸にうつりし
亡き人の
語らふごとく
見ゆるかな
あな面影の
わが胸に
活きて微笑む
たのしさは
やがてつとめを
いそしみて
かなしみに勝つ
生命なり
汗はこひしき
涙なり
勞働は活ける
思ひなり
いでやかひなの
折るゝまで
けふのつとめを
いそしまむ
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新潮
一
我あげまきのむかしより
潮の音を聞き慣れて
磯邊に遊ぶあさゆふべ
海人の舟路を慕ひしが
やがて空しき其夢は
身の生業となりにけり
七月夏の海の香の
海藻に匂ふ夕まぐれ
兄もろともに舟浮けて
力をふるふ水馴棹
いづれ舟出はいさましく
波間に響く櫂の歌
夕潮青き海原に
すなどりすべく漕ぎくれば
卷きては開く波の上の
鴎の夢も冷やかに
浮び流るゝ海草の
目にも幽かに見ゆるかな
まなこをあげて落つる日の
きらめくかたを眺むるに
羽袖うちふる鶻隼は
彩なす雲を舞ひ出でて
翅の塵を拂ひつゝ
物にかゝはる風情なし
飄々として鳥を吹く
風の力もなにかせむ
勢龍の行くごとく
羽音を聞けば葛城の
そつ彦むかし引きならす
眞弓の弦の響あり
希望すぐれし鶻隼よ
せめて舟路のしるべせよ
げにその高き荒魂は
敵に赴く白馬の
白き鬣うちふるひ
風を破るにまさるかな
海面見ればかげ動く
深紫の雲の色
はや暮れて行く天際に
行くへや遠き鶻隼の
もろ羽は彩にうつろひて
黄金の波にたゞよひぬ
朝夕を刻みてし
天の柱の影暗く
雲の帳もひとたびは
輝きかへる高御座
西に傾く夏の日は
遠く光彩を沈めけり
見ようるはしの夜の空
見ようるはしの空の星
北斗の清き影冱えて
望みをさそふ天の花
とはの宿りも舟人の
光を仰ぐためしかな
潮を照らす篝火の
きらめくかたを窺へば
松の火あかく燃ゆれども
魚行くかげは見えわかず
流れは急しふなべりに
觸れてかつ鳴る夜の浪
二
またゝくひまに風吹きて
舞ひ起つ雲をたとふれば
戰に臨むますらをの
あるは鉦うち貝を吹き
あるは太刀佩き劍執り
弓矢を持つに似たりけり
光は離れ星隱れ
みそらの花はちりうせぬ
彩美しき卷物を
高く舒べたる大空は
みるまに暗く覆はれて
目にすさまじく變りけり
聞けばはるかに萬軍の
鯨波のひゞきにうちまぜて
陣螺の音色ほがらかに
野の空高く吹けるごと
闇き潮の音のうち
いと新しき聲すなり
我あまたたび海にきて
風吹き起るをりをりの
波の響に慣れしかど
かゝる清しき音をたてて
奇しき魔の吹く角かとぞ
うたがはるゝは聞かざりき
こゝろせよかしはらからよ
な恐れそと叫ぶうち
あるはけはしき青山を
凌ぐにまがふ波の上
あるは千尋の谷深く
落つるにまがふ濤の影
戰ひ進むものゝふの
劍の霜を拂ふごと
溢るゝばかり奮ひ立ち
潮を撃ちて漕ぎくれば
梁はふたりの盾にして
柁は鋭き刃なり
たとへば波の西風の
梢をふるひふるごとく
舟は枯れゆく秋の葉の
枝に離れて散るごとし
帆檣なかば折れ碎け
篝は海に漂ひぬ
哀しや狂ふ大波の
舟うごかすと見るうちに
櫓をうしなひしはらからは
げに消えやすき白露の
落ちてはかなくなれるごと
海の藻屑とかはりけり
あゝ思のみはやれども
眼の前のおどろきは
劍となりて胸を刺し
千々に力を碎くとも
怒りて高き逆波は
猛き心を傷ましむ
命運よなにの戲れぞ
人の命は春の夜の
夢とやげにも夢ならば
いとど悲しき夢をしも
見るにやあらむ海にきて
まのあたりなるこの夢は
これを思へば胸滿ちて
流るゝ涙せきあへず
今はた櫂をうちふりて
波と戰ふ力なく
死して仆るゝ人のごと
身を舟板に投げ伏しぬ
一葉にまがふ舟の中
波にまかせて流れつゝ
聲を放ちて泣き入れば
げに底ひなきわだつみの
上に行方も定めなき
鴎の身こそ悲しけれ
時には遠き常闇の
光なき世に流れ落ち
朽ちて行くかと疑はれ
時には頼む人もなき
冷たき冥府の水底に
沈むかとこそ思はるれ
あゝあやまちぬよしや身は
おろかなりともかくてわれ
もろく果つべき命かは
照る日や月や上にあり
大龍神も心あらば
賤しきわれをみそなはせ
かくと心に定めては
波ものかはと勵みたち
闇のかなたを窺ふに
空はさびしき雨となり
潮にうつる燐の火の
亂れて燃ゆる影青し
我よるべなき海の上に
活ける力の胸の火を
わづかに頼む心より
消えてはもゆる闇の夜の
その靜かなる光こそ
漂ふ身にはうれしけれ
危ふきばかりともすれば
波にゆらるゝこの舟の
行くへを照らせ燐の火よ
海よりいでて海を焚く
青きほのほの影の外
道しるべなき今の身ぞ
碎かば碎けいざさらば
波うつ櫂はこゝにあり
たとへ舟路は暗くとも
世に勝つ道は前にあり
あゝ新潮にうち乘りて
命運を追うて活きて歸らむ
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