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山陰土産(さんいんみやげ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 11:13:36  点击:  切换到繁體中文


    四 山陰道の夏

 東海道あたりの海岸に比べると、この山陰道はおもしろい對照を見せてゐる。こゝには全く正反對のものを見出す。一方に遠淺な砂濱があれば、こゝには切り立つたやうな岩壁がある。一方に高い土用波の立つ頃は、こゝには海のなぎの頃である。一方に自然の活動してゐる時は、こゝには自然の休息してゐる季節である。
 偶然にも、私達はその自然の休息してゐる夏の季節を選んで、山陰道の海岸に多い「もち」の樹の葉蔭を樂しみに來たわけだ。土の色の赤いといふことが、全體の基調を成してゐるといつてもいゝほどで、ゆく先の漁村の屋根にすら山陰名物の赤瓦が見られるのもこゝだ。夏の誇りを見せたやうな柘榴ざくろや、ほのかな合歡ねむの木の花なぞがさいてゐて、旅するものの心をそゝるのもこゝだ。岩には燕が飛びかひ、崖には松の林が生ひ茂つてゐて、その深いところには今でもまだ鹿が住んでゐるといはれるのもこゝだ。磯釣の船を浮べて、岸近く寄つてくる黒鯛を突き刺す光景なぞも、こゝではさうめづらしくない。
 私達はあの瀬戸の日和山ひよりやまで望んで來た日本海を、城崎から香住までの汽車の窓からも望み、香住では岡見公園といふ眺望のある位置からも望んで見た。大乘寺から程遠からぬところにその小さな岡見公園があつた。そこはまだ公園としての設計も十分に出來てゐないやうな小高い山の上にあつた。私も前途の疲勞を恐れて、そこまではと辭退して見たが、大乘寺へ同行した伊藤君にそゝのかされて、また勇氣を起して坂道を登つた。松林の間を分け行つたところに、「かつたい落し」と名のついた高い崖も見える。信州あたりに姨捨山をばすてやまといふと似てゐる。往昔、癩の患者が衆人に忌み嫌はれその崖の上から深い海へ突き落されたのだとは、昔話にしても恐ろしい。山の上には共同の腰かけも置いてあつた。伊藤君のはからひで、近くの茶屋からはサイダーなぞをそこへ運んで來てくれた。城崎のとうやの若主人はそこまでも私達を案内して來て、一緒に腰かけて休んだ。
 海はよく見えた。私は山陰道の自然を、大體に自分の胸に浮べることも出來るやうになつた。旅に來た私に取つては、それをつかむことが肝要でもあつたのである。言つて見れば、この海岸に連なり續く岩壁は、大陸に面して立つ一大城廓に似てゐる。五ヶ月もの長さにわたるといふ冬季の日本海の猛烈な活動から、その深い風雪と荒れ狂ふ怒濤とから、われわれの島國をよく守るやうな位置にあるのも、この海岸の岩壁である。腰骨の根強さである。おそらく山陰道は、その地勢からいつても、東海道ほどに惠まれてゐないかも知れない。山陽道にもおよばないかも知れない。そのかはりこゝには他に見られない自然の特色があり、到るところに湧き出づる温泉があり、金、銀、鐵、石炭その他の鑛物を産する無盡藏の寶庫もある。折よく私達は日本海の靜かな時に來た。この自然が休息してゐる間に旅をつゞけなければならない。
 豐岡川に、瀬戸に、大乘寺に、それから岡見公園に、その日は私もかなり疲れた。伴れの鷄二は、と見ると、あまり疲れたらしい樣子も見えなかつたが、城崎で聞いて來た岩井の宿へその日のうちに着いて、河鹿の鳴く聲が聞えるといふやうな山間の温泉宿で互の靴のひもを解きたいと思つた。
 香住の停車場で、私達は岩美いはみ行の汽車を待つた。岩井まで行かうとするには、更に岩美で汽車を降りたところから、二十分ばかりも自動車の便によらねばならない。夏のさかりで日の長い頃だ。ちやうどその汽車を待つてゐると、以前に東京の方で一度逢つたことのある奧田君が私の側へきてあいさつするのに驚かされた。私も奧田君の顏を忘れずにゐた。同君はある醫學專門學校を出た人だが、まだその學校時代に自作の短篇を抱へて私の飯倉の住居へ見えたのは、あれはもう何年前のことか。思ひがけないところで舊知の人に逢つた。聞いて見ると、香住は同君の郷里で、今では小兒科、婦人科の醫者として多くの患者に接しつゝあるといふ。
「かうして田舍に開業してゐますと、いつまたお目にかゝれることやら。かういふ機會は、私にはめつたに來ません。さう思つたものですから、けふはあなたを探しに來ました。」
 さういふ奧田君は、しばらく創作の筆もとらないと言つて、汽車の出るまで私の側に立ちつくして、醫專時代の昔をなつかしさうにしてゐた。
 城崎の油とうやの若主人はその日一日私達の好い案内者であつた。岩井まで一緒に、とこの人が言つてくれるのを強ひて私達も辭退しかねた。こゝまで案内して來たものだ、案内ついでに、岩井まで見送らうではないかと、若主人はいつて、また一緒に汽車に乘つた。香住から五つ目の驛に岩美の停車場があつて、そこまで乘つてゆくと但馬の國を離れる。縣も鳥取と改まる。岩美から岩井の村までは平坦な道で、自動車に換へてからの乘心地も好かつた。
 日の暮れる頃に、岩井に着いた。思つたほどの山の中ではなかつたが、しづかな田舍の街道に沿うたところに、私達の泊つた明石屋の温泉宿があつた。そこは因幡國いなばのくにのうちだと思ふだけでも、何となく旅の氣分を改めさせた。湯も熱かつたが、しかし入り心地はわるくなかつた。その晩は夏らしい月もあつて、宿の裏二階の疊の上まで射し入つた。庭にある暗い柿の葉も、ところ/″\月に光つて涼しい。東京の方の留守宅のこともしきりに胸に浮ぶ。鷄二も旅らしく、宿の繪葉書などを取りよせた。
「どれ、くうちやんのところへ葉書でも出すかナ。」
「東京へもお前に頼む。」
 旅の頼りも鷄二が私に代つて書いた。私はまた宿の主人に所望して、土地での湯かむり歌といふものを聽かせてもらつた。いつの頃からのならはしか、土地の人達は柄杓ひしやくですくふ湯を頭に浴びながら歌ふ。うたの拍子は湯をうつ柄杓の音から起る。きぬたでも聽くやうで、野趣があつた。この湯かむり歌もたしかに馳走の一つであつた。山間とはいひながら、かうした宿でも蚊帳を吊つたので、その晩は遲くなつてから鷄二と二人蚊帳のなかに枕を並べて寢た。

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