二人が塵払の音のする窓の外を通った時は、岩間に咲く木瓜のように紅い女の顔が玻璃の内から映っていた。
新緑の頃のことで、塾のアカシヤの葉は日にチラチラする。薮のように茂り重なった細い枝は見上るほど高く延びた。
高瀬と学士とは懐古園の方へ並んで歩いて行った。学士は弓を入れた袋や、弓掛、松脂の類を入れた鞄を提げた。古い城址の周囲だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も往昔は厳しい屋敷のあったという跡だ。鉄道のために種々に変えられた、砂や石の盛り上った地勢が二人の眼にあった。
馬に乗った医者が二人に挨拶して通った。土地に残った旧士族の一人だ。
学士は見送って、「あの先生も鶏に、馬に、小鳥に、朝顔――何でもやる人です。菊の頃には菊を作るし。よく何処の田舎にもああいう御医者が一人位はあるもんです。『……なアに、他の奴等は、ありゃ医者じゃねえ、薬売だ、……とても、話せない……』なんて、エライ気焔だ。でも面白い気象の人で、近在へでも行くと、薬代が無けりゃ畠の物でも何でも可いや、葱が出来たら提げて来い位に言うものですから、百姓仲間には受が好い。奇人ですネ」
そういう学士も維新の戦争に出た経歴のある人で、十九歳で初陣をした話がよく出る。塾では、正木大尉はもとより、桜井先生も旧幕の旗本の一人だ。
懐古園とした大きな額の掛った城門を入って、二人は青葉に埋れた石垣の間へ出た。その辺は昼休みの時間などに塾の生徒のよく遊びに来るところだ。高く築き上げられた、大きな黒ずんだ石の側面はそれに附着した古苔と共に二人の右にも左にもあった。
旧足軽の一人が水を担いで二人の側を会釈して通った。
矢場は正木大尉や桜井先生などが発起で、天主台の下に小屋を造って、楓、欅などの緑に隠れた、極く静かな位置にあった。丁度そこで二人は大尉と体操の教師とに逢った。まだ他の顔触も一人二人見えた。一時は塾の連中が挙ってそこへ集ったことも有ったが、次第に子安の足も遠くなり、桜井先生もあまり顔を見せない。高瀬が園内の茶屋に預けてある弓の道具を取りに行って来て学士に交際うというは彼としてはめずらしい位だ。
「そもそも大弓を始めてから明日で一年に成ります」と仲間うちでは遅く始めた体操の教師が言った。
「一年の御稽古でも、しばらく休んでいると、まるで当らない――なんだか冗談のようですナ」強弓をひく方の大尉も笑った。
何となく寂びれて来た矢場の中には、古城に満ち溢れた荒廃の気と、鳴を潜めたような松林の静かさとに加えて、そこにも一種の沈黙が支配していた。皮の剥げたほど古い欅の若葉を通して、浅間一帯の大きな傾斜が五月の空に横わるのも見えた。矢場の後にある桑畠の方からはサクを切る百姓の鍬の音も聞えて来た。そこは灌木の薮の多い谷を隔てて、大尉の住居にも近い。
学士は一番弱い弓をひいたが、熱心でよく当るように成った。的も自分で張ったのを持って来て、掛け替えに行った。
「こりゃ驚いた。尺二ですぜ。しっかり御頼申しますぜ」と大尉は新規な的の方を見て矢を番った。
「ポツン」と体操の教師は混返すように。
「そうはいかない」
大尉は弓返りの音をさせて、神経的に笑って、復た沈鬱な無言に返った。
桑畠に働いていた百姓もそろそろ帰りかける頃まで、高瀬は皆なと一緒に時を送った。学士はそこに好い隠れ家を見つけたという風で、愛蔵する鷹の羽の矢が白い的の方へ走る間、一切のことを忘れているようであった。
大尉等を園内に残して置いて、学士と高瀬の二人は復た元来た道を城門の方へとった。
途中で学士は思出したように、
「……私共の勇のやつが、あれで子供仲間じゃナカナカ相撲が取れるんですとサ。此頃もネ、弓の弦を褒美に貰って来ましたがネ、相撲の方の名が可笑しいんですよ。何だって聞きましたら――岡の鹿」
トボケて学士は舌を出して見せた。高瀬も子供のように笑出した。
「兄のやつも名前が有るんですよ。貴様は何とつけたと聞きましたら、父さんが弓が御好きだから、よく当るように、矢当りとつけましたとサ。矢当りサ。子供というものは真実に可笑しなものですネ」
こういう話を高瀬に聞かせながら帰って行くと、丁度城門のあたりで、学士は弓の仲間に行き逢った。旧士族の一人だ。この人は千曲川の谷の方から網を提げてスゴスゴと戻って来るところだった。
「この節は弓も御廃しでサ」
とその人は元気な調子で言って、更に語を継いで、
「もう私は士族は駄目だという論だ。小諸ですこし骨ッ柱のある奴は塾の正木ぐらいなものだ」
学士と高瀬はしばらくその人の前に立った。
「御覧なさい、御城の周囲にはいよいよ滅亡の時期がやって来ましたよ……これで二三年前までは、川へ行って見ても鮎やハヤ(鮠)が捕れたものでサ。いくら居なくなったと言っても、まだそれでも二三年前までは居ました……この節はもう魚も居ません……この松林などは、へえもう、疾くに人手に渡っています……」
口早に言ってサッサと別れて行く人の姿を見送りながら、復た二人は家を指して歩き出した。実に、学士はユックリユックリ歩いた。
烏帽子山麓に寄った方から通って来る泉が、田中で汽車に乗るか、又は途次写生をしながら小諸まで歩くかして、一週に一二度ずつ塾へ顔を出す日は、まだそれでも高瀬を相手に話し込んで行く。この画家は欧羅巴を漫遊して帰ると間もなく眺望の好い故郷の山村に画室を建てたが、引込んで研究ばかりしていられないと言っては、やって来た。
高瀬はこの人が来ると、百姓画家のミレエのことをよく持出した。そして泉から仏蘭西の田舎の話を聞くのを楽みにした。高瀬は泉が持っている種々なミレエの評伝を借りて読み、時にはその一節を泉に訳して聞かせた。
「君は山田君が訳したトルストイの『コサックス』を読んだことがあるか。コウカサスの方へ入って行く露西亜の青年が写してあるネ。結局、百姓は百姓、自分等は自分等というような主人公の嘆息であの本は終ってるが、吾儕にも矢張ああいう気分のすることがあるよ。僕などはこれで随分百姓は好きな方だ。生徒の家へ行って泊まって見たり……人に話し掛けて見たり……まあいろんな機会を見つけて、音さんの家の蒟蒻の煮附まであそこの隠居やなんかと一諸に食って見た……どうしてもまだ百姓の心には入れないような気がする」
こう高瀬は泉に話すこともあった。
相変らず皆な黙って働いている塾の方から、高瀬は家へ帰ろうとして、午後の砂まじりの道を歩いた。停車場前へ出た。往来の両側には名物うんどん、牛肉、馬肉の旗、それから善光寺詣の講中のビラなどが若葉の頃の風に嬲られていた。ふと、その汽車の時間表と、ビイルや酒の広告と、食物をつくる煙などのゴチャゴチャした中に、高瀬は学士の笑顔を見つけた。
学士は「ウン、高瀬君か」という顔付で、店頭の土間に居る稼ぎ人らしい内儀さんの側へ行った。
「お内儀さん、今日は何か有りますかネ」
と尋ねて、一寸そこへ来て立った高瀬と一諸に汽車を待つ客の側に腰掛けた。
極く服装に関わない学士も、その日はめずらしく瀟洒なネクタイを古洋服の胸のあたりに見せていた。そして高瀬を相手に機嫌よく話した。どうかすると学士の口からは軽い仏蘭西語などが流れて来た。
「そこはあまり端近です。まあ奥の方へ御通りなすって――」
と亭主に言われて、学士は四辺を見廻わした。表口へ来て馬を繋ぐ近在の百姓もあった。知らない旅客、荷を負った商人、草鞋掛に紋附羽織を着た男などが此方を覗き込んでは日のあたった往来を通り過ぎた。
「広岡先生が上田から御通いなすった時分から見やすと、御蔭で吾家でもいくらか広くいたしやした」
こう内儀さんも働きながら言った。
そのうちに学士の誂えた銚子がついて来た。建増した奥の部屋に小さなチャブ台を控えて、高瀬は学士とさしむかいに坐って見た。一口やるだけの物がそこへ並んだ。
学士はこの家の子のことなどを親達に尋ねながら、手酌で始めた。
「高瀬君、まあ話して行って下さいナ。ここは心易い家でしてネ、それにお内儀さんがあの通り如才ないでしょう、つい前を通るとこんなことに成っちまうんです」
「私も小諸へ来ましてから、いくらかお酒が飲めるように成りました」
「でしょう。一体にこの辺の人は強酒です。どうしても寒い国の故でしょうネ。これで塾では誰が強いか。正木さんも強いナ」
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