それから同じ物語の續きとして、もう一つ私は書きにくいことを書きました。
『尾張町の夜店には野菜の市があつて、家の人が買ひに出掛けたものだ。自分もよく隨いて行つた。そこには少年の眼を引き易いやうな繪本を商ふ店もある。美しい表紙畫の草雙紙が數多そこには並べてある。何がなしにその草雙紙が欲しく成つて、何度も/\其前を往つたり來たりして、終に混雜に紛れて一册懷中に入れた少年がある――斯の少年が、自分だ。其時自分は捕まりさうにして、命がけで逃げた。草雙紙は置場所に困つて、溝の中へ裂いて捨てた。もし彼の時捕つたら、自分の生涯は奈何な風に成つて行つたらう……』
左樣です。確かに斯ういふことも有りました。ナポレオンの傳記を讀んで感激の涙を流すといふことと、夜見世に並べてある草雙紙を懷中に入れるといふことと、それが私の少年時代には同時に起つて來たのです。私は自分の爲たことに恥ぢ恐れて、二度とそんな行ひはすまいと心に堅く誓ひました。
斯ういふことを貴女に書き送るとは自分の愚かを表白するに當ります。けれども好いと思ふことでも惡いと思ふことでも、唯それだけでは私には漠然としたものでした。愚かな私は何事でも自分で行つて見た上でなければ、眞實にその意味を悟ることが出來ませんでした。
銀座の夜見世と言へば、夜風の樂しい夏の晩などは私もよく豐田の小父さんに隨いて歩きに出掛けましたものです。こゝで私は物に好き嫌ひの激しい少年時代のことを一寸書き添へようと思ひます。その情の激しさは淡泊で洒落な大人の思ひもよらないことが有ると言ひたい位であります。私達の着る物でも、食べる物でも、すべての上にそれが表れて居ます。例へば芋の莖の酢煮に青豆を添へたのは、いかにも夏らしい總菜で、豐田さんの家でもよく造りましたし、今では私は食物に嫌ひな物があまり有りませんから、膳に上れば食べもします。ところが私の子供の時分には、どうしてもそれが食べられませんでした。
斯の好き嫌ひの激しい子供らしさから、ある時、私はめつたに怒つたことの無い豐田の小父さんを怒らせました。丁度あの海水浴に冠るやうな縁の廣い麥藁帽子が流行つて來た時でした。小父さんの積りでは、輕くて少年の冠り物に好いと思つたのでせう。私にも一つ買つて遣らうと言つて呉れました。私の心では、どうしても彼の夏帽子を冠る氣に成れない。それよりか帽子なしの方がまだ好ましい。何故そんなら彼の流行の輕い麥藁帽が嫌ひだかと言ふに、それは私には説明が出來ません。唯、蟲が好かなかつたまでです。そこで私は小父さんに言出しかねて、尾張町邊の夜見世の前へ誘はるゝまゝに隨いて行きました。『どうだ、是は貴樣に丁度好からう』と小父さんは店先で擇びまして、私の頭に合ふか奈何かと冠せて見ました。私は内々買つて貰ひたくないのですから、これはすこし大きいの、いやこれは堅過ぎるの、種々なことを並べて、到頭強情を言ひ通して了ひました。
『貴樣に帽子を買つて遣ることは懲りた』と人の好い小父さんが何日に無い調子で言ひましたが、それほど少年時代の好き嫌ひは大人の心に通じかねる、名のつけやうの無いものかとも思ひます。
斯の手紙を書きつゞける前に、年老いた姉を見舞ふため、雪深い郷里の方まで一寸行つて來ました。姉のことは既に貴方に御話しました。あの若かつた姉が今年は最早五十八歳です。七人あつた姉弟のうち姉は一番の年長者、私はまた一番末の弟にあたります。
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